結局、優吾の実家まで行ったのに、真実を打ち明ける事も出来ず、そのまま帰ってきてしまった。
自分は何て弱いんだろうと思いつつ、普段話さないようなことを明日香と話せて良かったとも思う。
だけど、やっぱり優吾に対しても、彼の両親に対しても、申し訳ない気持ちは消えるわけがなくて。
「ねぇ、優吾、あなた私と一緒になって本当に良かったのかしら・・・」
「まだそんなこと言ってるの? 良かったに決まってるでしょう? 変なこと言うなぁ」
穏やかに笑う彼の姿に、不思議と涙がでてくる。
最近私は涙もろくていやになってしまう。
彼の微笑んだ一瞬一瞬を目に焼き付けておきたくて・・・
「でもね・・・・・・・・・う、・・・っ」
「どうしたの?」
「・・・・んっ」
「百合絵さん?」
それは、
紛れもなく・・・
「・・・・・・優、吾・・・赤ちゃん、産まれる・・・みたい・・・っ」
「・・・えっ!?」
赤ちゃんが・・・・・・
待ち望んでいた赤ちゃんが───
「待って、今タクシー呼ぶからっ!!!」
大慌てでタクシーを呼んで、病院に連れて行かれる間、私はずっと優吾の腕の中で彼の早鐘のように打ち鳴らす鼓動を聞いていた。
その間、優吾はずっと私の手を握っていてくれた。
とても心配そうに。
一生懸命励ましながら・・・
着いた頃には少し痛みが治まっていて、その間に優吾の母親、明日香が駆けつけてくれた。
彼女も優吾と同じように、心配そうにしながら。
ぼんやりと、親子だなぁ、などと考えていた・・・・・・
・・・チクリ。
「百合絵さん?」
「・・・・・・っ・・・・・うん・・・・・・っ、・・・・・・・っく・・・っ」
「どうしたの? お腹いたい?」
「・・・・・・っ、・・・はぁっ、はぁ・・・」
それは、
懐かしい気分にさせるくらい久々の。
胸を刺す痛み。
「百合絵さん・・・?」
自分が次に何をすべきかなど考える余裕も無い中、百合絵は無意識のうちに明日香の腕を掴んでいた。
「大丈夫、百合絵ちゃん、もう少しだからね」
「お義母さん、聞いて、ください」
「・・・どうしたの、こんな時に」
自分は今、何がしたいんだろう。
何をするつもりだろう・・・
私はこんな時に何を言おうとしているの。
これは、この事は
言わずにいれば誰も知らないこと。
きっと赤ちゃんだって、知らずに・・・・・・
だけど。
いつも頭の中に掠めている想いは一つだった。
優吾の幸せはどうなるのだろう、って。
私が奪ってしまった。
彼の将来。
だから・・・・・・
「赤ちゃん、・・・・・・・優吾さんの子じゃ、・・・・・・ありません・・・っ」
「っ!?」
「ゆ、百合絵さん!? 何を言い出すの」
驚いた優吾に、小さく微笑んで、再び明日香に向き直った。
「昔、つき合っていた男性の・・・子供、です・・・・・・知ってて結婚してくれたんです。私が、産むか産まないか悩んでたから、・・・放っておけなくて・・・ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ、い・・・でも、私、彼を、優吾さんを愛してます・・・っ、本当に、心から・・・っ」
「百合絵さん!! 何でっ!?」
「・・・・・・う・・・っ・・・・・」
もう一度、胸がチクリ、と痛んだ。
これは予感。
私は、きっと・・・・・・・・・
「先生、もう子供産まれますっ!!」
明日香の叫びだった。
先程からの百合絵の状況を見て、咄嗟の判断で医師を呼びに行く。
程なくして、医師や看護婦がやってきて、彼女を取り囲む。
普通の妊婦と違い、出産時に伴うかもしれない危険性はしっかりと理解してもらっていた。
そして、
分娩室に運ばれる寸前、陣痛と発作により遠退きかける意識の最中、二人の様子を少しでも目に留めていたいと視線を向け、目にしたものは、明日香の何事もなかったかのように微笑んでいる姿。
「余計なことは考えないで、大仕事してらっしゃい」
変わらない微笑み
やっぱり、優吾のお母さんだ・・・・・・
でも、優吾はこんな時、泣きそうな顔で、いつものように笑っててほしかったな
あぁ、そうだ。
優吾・・・・・・
一つだけ残念なことがあるの。
赤ちゃんの名前、無理矢理でも聞いておけば良かった。
「飯島さん、いきんでください!!」
「・・・っ、先生っ」
「赤ちゃんだけ、助けてっっ!!!」
幸せだった。
ずっと、ずっと・・・本当に、幸せだった。
産まれてくる赤ちゃん、あなたを愛してる。
どうか、誰よりも幸せになって───
エピローグ
───四年後
一流企業である飯島グループに勤務して、かれこれ6年になろうかという女性が、高いヒールで足早に廊下を歩く姿がそこにはあった。
もういつものこととは言え、いい加減会議にギリギリに間に合うような事はやめて欲しい、そう思いながら、部屋の前で立ち止まる。
一つ溜息を吐きながら、無駄のない動きでドアを開けた。
「飯島専務、三時からの会議なんですけど、そろそろ・・・・・・」
「おおきなくりのぉ〜きのしたでぇ〜、あな〜た〜とぉわ〜たぁしぃ」
「な〜か〜よぉく、あそびましょ〜、おおきなくりのぉ〜きのしたでぇ〜」
「・・・・・・専務・・・」
「え? あ、はいはい、何かご用ですかぁ?」
「・・・・・・専務、言葉が・・・」
「あれ?」
「パ〜パ〜♪ もっと〜、あっそびっまっしょ」
「は〜い」
優吾の秘書であるこの女性は、いつものこの状況にもう慣れっこだった。
今年大学を卒業したばかりのこの青年が専務になると聞いたときは、飯島という会社の将来が不安になったものだが。
おまけに毎日のように会社に自分の娘を連れてきて・・・
けれど、仕事をこなすセンスは天性のものがあった。
驚くほど難しい契約を彼が行くと取れてしまったり、時に彼の発案で新しい事業展開をすることもある。
ただ、自分の立場というものを全く理解していないというのが問題なのだが。
・・・とりあえず、この状況をなんとかするには・・・
「専務、私が遊び相手に立候補させていただきますので、会議に行ってください」
「ん〜? あぁ、ごめんねぇ、じゃあお願いしま〜す」
「・・・・・・」
やはり、ちょっと・・・かなり心配だけれど。
優吾は、会議室へ行く前に、少女を抱き上げ満面の笑みをつくった。
「僕はねぇ、華ちゃんがいればなにもいらないよ?」
「華もパパがいればなぁ〜んにもいらないよぉ」
二人の楽しそうな笑い声に、いつしか周囲の顔も綻んでいた。
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