『あなたの鼓動が聞こえる』

○第3話○ 葛藤と冒険(後編)







「ねぇ、ユリちゃん、今日私の家に寄ってかない?」

 唐突にそんな事を百合絵に聞いてきたのは、学校の友人、水無月桜(みなづき さくら)だった。

「いいわよ、何か見せたいものでもあるの?」
「見せたいものって言うか、ユリちゃんに似合いそうな服があるんだけど、私じゃ着れないの、身長が足りなくて全然似合わないんだ」

 苦笑する桜は、背が低く、ふっくらとした頬が愛らしい。
 笑うとえくぼのでる様子が、百合絵は好きだった。

「だから、ユリちゃん気に入ったらもらって」
「いいの?」
「勿論っ!!」

 ほわほわとした笑顔で、屈託なく笑う桜につられて、自分もつられて笑ってしまう。
 幸せな、学校風景だった。





▽  ▽  ▽  ▽


「うわぁおっ、ユリちゃん似合ってるよぉ〜!!」
「コレ、本当にもらってもいいの?」

 コクコクと頷き、目を輝かせて自分を見る桜に、少し照れてしまう。
 薄いピンク色で丈の長いワンピースは、背の低い桜にとっては”洋服に着せられている”ようになってしまうかもしれない。
 けれど、割と背が高めの百合絵が着ると、本当によく似合っていた。

 桜の趣味の服は自分が普段着るものとは、全然違う。
 なんだか、別人になった気がした。


 このまま、何もかも違う自分になってしまえばいいのに・・・


「ユリちゃん?」

 俯き、無言で考えるような仕草の百合絵を見て、桜が声をかける。
 その声にハッとなり、顔をあげた彼女の表情はまるで何か良いことでも思いついたかのように嬉しそうに輝いていた。

「ねぇ、桜、今お金どれくらいもってる?」
「え? 現金? ・・・う〜ん・・」

 ゴソゴソと財布をとりだし、ひぃふぅ、と中身を数える。

「五万とちょっとかなぁ」
「お願いっ貸して!! 私お金って持ち歩いてないから、無一文なの。直ぐに返すから」
「いいけど、どしたの?」

 言いながら、気前よく、財布の中身を全て百合絵に渡す。
 それを受け取ると、桜に思いきり抱きついた。

「ありがとうっ!!」
「ねぇ、ユリちゃん、お金なんてどうするの?」
「あのね、私、電車に乗ってみたいのっ」
「ふぅん・・・冒険がしたいんだぁ」

 うんうん、と瞳を輝かせる百合絵に桜は苦笑し、

「でも、家の人、心配するんじゃない? 連絡しなくていいの?」
「大丈夫、着いた場所で連絡をちゃんと入れるわ。今日は迎えの車も帰しちゃったし、ちょっとした気ままな一人旅を味わえるのっ!」
「そっかぁ・・・じゃあ、バックとお財布も貸してあげる、楽しんできてね」

「ありがとうっ!!!」

 もう一度桜に抱きつき、いつもより数段元気な百合絵は、これなら大丈夫だろう、と桜を安心させた。


 最近は体の調子もよくなって、退院してからは一度も発作を起こしていない。


 それに、

 誰も自分を知らない場所で、一人になって考えたいことも山ほどあった。
 これは、そんなことが出来る最後の機会なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、嬉々とした表情で百合絵は駅へと出かけていったのだった。








▽  ▽  ▽  ▽


 ゆらゆら揺れる電車の中で、百合絵は一人、思い出し笑いをしていた。
 何せ、電車に乗るのも一人でどこかに出かけるのも生まれて初めての経験。つまり、桜の言ったとおりこれは百合絵にとって冒険以外の何ものでもない。
 彼女はここに至るまでの経緯が本当に楽しくて仕方がなかったのだ。

 電車に乗るには『切符』というものが必要だった。
 人の多さに戸惑いながら、優しそうな婦人に声をかけ、切符の買い方をいちから伝授してもらった。四角い箱から飛び出してきた小さなチケットを見たときは、歓喜の余り子供のようにはしゃいでしまった。
 今、手のひらの中にある、このなんの変哲もない四角い紙が通行手形になるのだ。

 本来は行き先が決まって、その上で切符を購入するらしいけれど、それ以上に行き過ぎたら、降りたところで足りない分のお金を払い精算すればいい、ということも教えてくれた。

 だって、行き先は決めずに気持ちの赴くまま、自分が降りたいと思った場所を終着駅にしたかったから───


 それにしても、自分は何も知らないのだと思った。
 今日初めて体験することばかりで、しかも、それを周囲の人間は当然のようにこなしている。
 けれど百合絵には『自分の力で』ということに達成感があったから満足だった。


 そして、暫く走っていくうちに段々と電車のメカニズムが分かってきた。
 駅の度に電車は停まり、降りたり乗ったり慌ただしい。繰り返し見ているうちに、駅というものはなんて沢山存在するものなのだと感心したものだ。
 走るたびに変わっていく景色を見ているのも飽きなかった。



 何個目かの駅に近づき、電車のスピードが落ち、やがて停車する。
 ドアが開き、何となくぼんやりとしながら窓の外を眺めていると、やがてホームの向こう側にも車両が停車した。
 形も色も今自分が乗っているものよりもずっとステキだと顔を輝かせた百合絵は、その列車に引き寄せられるように立ち上がり、今いる車両から飛び出し、急いでその電車に乗り込んだ。
 それと同時に、ドアが閉まり、発車する。


 何だか本格的に冒険をしている気分になってきた百合絵は、ワクワクしながら車内を歩いていき、程なく空いてる座席が見つかり、深く腰掛ける。
 先程の電車より、シートが個別になっていて、上質だ。
 車内も、先程とは違う気がする。やはりこちらへ来て正解だったのだと思うと嬉しくて思わず顔が綻んでしまう。

 やがて、僅かな揺れは眠気を誘い、窓の外を見ていたいという欲求には勝てず、彼女はいつの間にか眠り込んでしまった。







▽  ▽  ▽  ▽


『・・・・・・は、・・・駅です、降りるドアは・・・・・・』

「・・・・・・・・・ん・・・」

 不意に覚醒し、ハッとして目が覚めたときは、外は既に真っ暗。一体どれくらいこうしていたのだろうか、すっかり寝込んでしまったらしい。
 丁度良く電車も停まったので、その隙に降車する。

 まだぼうっとした頭で完全に眠りから覚めていない様子の百合絵だが、まばらな人の波の後についていくようにしてホームに沿い、真っ直ぐ歩き、階段を上る。
 改札らしきものが見えてきて、教えられたとおり、駅員に切符を渡す。

 そのまま通り過ぎようとすると、

「コレじゃ通れないよ、精算してくれなくちゃ」

 と言う声に阻まれてしまった。
 あぁ、そうだった、と思い、

「申し訳ありません、おいくらになりますか?」

 聞いて、少しごたついたけれど足りない分を払う。
 金銭感覚が全くない彼女だが、桜から借りた金額が充分すぎるほどだった為、手元には余裕を持てる程度の金額が残った。
 駅から出た事だしとりあえず電話、と思うのだが、公衆電話という存在を知らなかった彼女は、あちこちに点在する電話に目もくれず全て素通りしていく。


 困ったわ、電話が見あたらない


 溜息を吐き、とりあえずどこかホテルにでも入ろうと思い、それらしい建物を探す。
 ホテルなら部屋に電話も付いていたはずだ、アレを使えばいいと思った。

 それから少し歩き、ホテルらしき建物が見えてホッと一安心したところで、先程から感じていた不思議な匂いが強くなった気がした。

 そう、先程からずっと感じていたのだ。
 とても不思議な・・・・・・でも、ちっとも嫌な匂いではない。

 何だろうと思い、信号を確認して道路を渡る。






 信号は、青だった。



 けれど、勢い良く突っ込んできた車が脇見運転をしていて、赤信号だと気づき、しかもすぐ近くを人間が歩いていることが分かっても、後の祭りだった。






 急ブレーキの音が、


 悲鳴のように町中にこだました───






第4話へ続く

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