『あなたの鼓動が聞こえる』

○第5話○ 夢と主張(後編)







「保健の先生!?」
「そうなの、もう凄くステキだった!!」

 相変わらず顔を紅潮させ目を輝かせながら、百合絵は今日あったことを事細かに多恵に説明した。
 思い出すだけで、あの姿を未来の自分に重ね合わせてしまってドキドキする。

「私、あんな風になりたい。多恵さん、私やりたいこと見つけたの!」
「・・・・・・でもねぇ・・・それには学校行って資格とらないとだよ? 毎日ちゃんと通えると思うかい? 慣れない環境って言うのは想像以上に精神も体も負担がかかるんだよ。途中で倒れたら元も子もないしねぇ・・・」

 百合絵の嬉しそうな姿を見て、そうさせてやりたいのは山々だったが、どうしても多恵は彼女の体が心配だった。
 やりたいと思う心を摘み取ってしまいたくはないのだが・・・

「もし、無事卒業できて、資格もとって、学校で働くことが出来たとしても・・・」
「多恵さん!」

 多恵の心配を余所に、自分を呼ぶ百合絵の声は張りがあり、とても嬉しそうだった。

「私、約束する! 倒れたり発作も絶対に起こさない! 勿論、無理もしないわ!」
「・・・ユリちゃん・・・」
「ここに来て、私信じられないくらい体調がいいの。こんなに元気で、毎日が楽しくて、そんな自分は今までいなかった気がするわ」
「・・・・・・」

 ニコニコと話す百合絵に、多恵は大きく溜息を吐き、苦笑した。そして、今まで思ってきた事を全て吐き出してしまおうと思った。


「・・・ユリちゃん、私はね、あんたは本当はどこか、金持ちのお嬢さんじゃないかと思ってるんだよ。一緒に住んでみてそれがよくわかる。私が普通に生活してきた世界を一つ一つ物珍しそうにして、全部初めてだ、って顔に書いてあるみたいだった。二人で買い物に出かけたときも、ユリちゃんが手に取る服がみんな高級で、とても普通の家庭じゃ手が出せないものばかりだったしねぇ。そんなユリちゃんが私と生活してて息苦しくならないか、とても心配していたんだよ、無理をさせているんじゃないかって・・・」

 少し瞳を翳らせ、寂しそうな多恵の表情に百合絵は驚いた。
 まさか、笑顔の裏でそんな心配をずっとしていたなんて・・・・・・
 自分の方こそ多恵に迷惑をかけていると思っていたのに。

「多恵さん、私息苦しいなんて思ったことないわ。とっても楽しいの。一緒にいて幸せなの。病は気からって言うでしょう? 多恵さんがいるから私、こんなに元気なんだわ」
「・・・ユリちゃん・・・」

 百合絵の言葉に、感極まって思わず涙が溢れてくる。
 病は気から・・・確かにそれには大きく頷ける。気持ちが明るいと病気などしないものだ。
 それに、今の百合絵は本当に元気もあり、体調も優れている。

 いつ発作が起きるのか

 そんな心配は恐らく一生つきまとうものだろう。
 けれど・・・それで、自分のやりたいことを何一つ出来ずに終わる人生ほど虚しいものはないはずだ。多分、これは彼女の人生の転換期なのだ。


「わかった。じゃあ、とりあえず受験しなさい。とは言っても、今からじゃ勉強が間に合わないかもしれないけど、駄目だったら来年だっていい。挑戦しなさい!」

「多恵さん・・・ありがとう!!!」

 百合絵は多恵に思いっきり抱きついた。
 自分は、なんて幸せ者なんだろう、多恵に出逢うことが出来て本当になんて幸福だろう。

 『挑戦』─なんて素晴らしい言葉!



「来年なんて言わずに絶対合格してみせるわ! それで保健の先生になるのっ!」



















▽  ▽  ▽  ▽


 百合絵は、結局大学に合格した。



 家庭教師として薫に教わっていた勉強が、普通の生徒より随分進んでいて、元々飲み込みが早く、素直な性格はあらゆる事を吸収していき、そのままの勢いで驚異の集中力を発揮し、見事合格を手にすることが出来たのだ。

 その後、国立の教育学部でみっちり4年間勉強し、養護教諭免許を取得し、教員採用試験も無事にパスすることが出来た。

 4年間、たまに体調を崩すことはあっても、殆ど全ての日々を元気に楽しく過ごすことが出来たのは、多恵が常に優しく見守ってくれていたことや、良い友人に囲まれて過ごせたからに他ならない。
 勿論、約束通り無理はしなかったし、発作で倒れることは一度もなかった。
 こんなことは、昔の彼女を考えたら奇跡に近いことだ。



 そして、教員採用試験に受かった今、
 彼女は赴任先の学校が決まるのを心待ちにしていた。

 養護教諭は一般の先生と違って校種の別なく配属になる。
 つまり、小学校・中学校・高校・養護学校のうちのどこへでも配属になる可能性があり、そこでは沢山の新しい出会いが待っているのだ。
 百合絵は、出来れば小学校へ配属になればいいと思っていた。

 いつか見た、あの日の小学校の風景。
 あんな活気に満ちあふれた生徒達と一緒に過ごせたら、きっと楽しいに違いないと思ったから───







「ユリちゃんがまさかここまでやっちゃうとは思わなかったよ」

 多恵がニコニコしながら百合絵の頑張りを褒め称えると、百合絵は嬉しそうにしながら多恵に抱きついた。

「多恵さんのおかげよっ、私ね、自分がこんなに前に向かって進めるなんてビックリなの。全部の事に感謝したいくらいっ! 多恵さん大好き!!」

 ギュウギュウ抱きついて多恵に甘える姿は、端から見たら完全に母娘だった。
 夫に先立たれ、子供のいない多恵は、百合絵に自分の愛情を全て注ぎ込んだ。しかし、決して甘やかしたりもしなかった。それだけ、彼女に対する想いが大きかったということだろう。

「後は、どこに配属になってもちゃんと仕事を全うするんだよ」
「はいっ」
「・・・離れて暮らす事になるかもしれないんだねぇ・・・」

 少し寂しそうに涙を浮かべ、ちょっとだけ微笑む姿をみて、百合絵の胸はズキンと痛んだ。
 それは発作などではなく、多恵と離れるかもしれないという寂しさからで、少なからず百合絵の心を苦しませた。


「湿っぽいのはいけないよね。折角羽ばたいていくのに、笑顔じゃなけりゃっ!」

「多恵さん」

「そう言えば、ユリちゃんは好きな人も出来なかったの? 若くてこんなに可愛いんだから勿体ないじゃないの、恋人の一人や二人連れてきて欲しかったのに」

 だが、それには首を横に振るだけだった。
 交際を申し込んでくる男性は確かにいた。けれど、どうしても自分は相手を友人以上に思えず、誰ともつき合うことなく卒業した。


 恋、という気持ちがわからないのだ。

 友人にそれを話すと非常に驚かれたが、こればかりはどうにもならない。
 自分の気持ちが一向に動かないのだから・・・


「私って、恋愛とか出来ないのかしら・・・多恵さんと旦那様みたいになりたいと思うのに・・・・・・」

 落ち込んだような顔を見せる百合絵に、多恵は優しく囁いた。

「こういうのは『縁』だからね。必ずユリちゃんにもそう言う人は現れるよ。まだ、巡り逢っていないだけなんだから」


 そうだろうか。

 自分にもそういう人はいるのだろうか?
 だったら、早く会ってみたい。
 どんな人だろう?
 私は、その人とどんな風に生きていけるだろう



 ただ、今は恋もしてみたいけれど、
 新しい場所で、どんなことが待っているのか、それが一番の楽しみだった。






第6話へ続く

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