「お嬢様、朝でございますよ。まぁ、何も掛けないでお眠りになられたのですか!?」
華は、ベッドの上で寝転がったまま布団を掛けずに寝てしまった。
使用人の女性が華を起こしに来て、その有様を見て驚いているのだが、朝が弱い彼女は声をかけても一向に起きる気配がない。
「お嬢様、お嬢様」
体を揺すれば起きると思ったが、それでも眠り続けるのには困り果てた。
だが、根気よく声をかけていると次第に目覚めて来たのか、もぞもぞと動き出す。
そして。
「・・・ひゃっはっはっは」
「・・・えっ?」
使用人歴40年以上にもなるこの女性は、これまで主人やその客人など数えきれぬほどの人間を起こしてきたが、笑いながら目覚める人間を初めて見て、少なからず動揺した。
「・・・パパぁ、お嬢様って何ぃ〜・・・? 声まで変えて〜・・・」
「お嬢様、起きてください、朝ですよ」
「・・・だから、お嬢様って・・・・・・・・・」
そこで、やっと何かが変だと思ったらしく、む〜、と眉を寄せ、目を開ける。
目の前には、使用人専用の洋服を着た中年女性が立っていた。
「あっ、そうだった!」
やっと自分が湯河家にいることを思い出し、ガバッっと勢い良く飛び起きた。
「あ〜ん、ごめんなさいッ!! 学校、学校っ、制服は・・・」
起き抜け早々キョロキョロと落ち着きのない様子の華に女性は内心驚いていたが、そこはやはりプロ、表情には出さない。
「その前に、お顔を洗ってきてくださいな。それまでに用意しておきます」
「は、はいっ! あっ」
「どうしました?」
「おばさん、お名前なんて言うの?」
華の問いに、女性はにんまりと人なつこい笑みを讃えた。
「フミと言います。この家の事は何でも私に聞いてくださいな」
「はい、フミさん。起こしてくれてありがとうっ!!」
フミと名乗った女性は、そんな事で礼を言われたのは初めてだったので、今度こそ一瞬ではあるものの驚いた顔をした。
そして、ばたばたと部屋から慌ただしく出ていく華を見て、おやおや、と呟き苦笑した。
うわ〜、私のばか〜〜〜!!
何で昨日の今日で忘れちゃうかなぁっ
華は、顔を洗い、制服に着替えた後、ぱたぱたと屋敷を走り回り、食堂へと勢い良く入っていった。
そこには既に宗一郎もジュリアも席に着いており、華を待っていた。
「おはよう華」
「おはよう華ちゃん、朝から元気が良くて賑やかでいいわねぇ」
二人の落ち着いた雰囲気と何と違うことか、慌ただしくいつも通りの朝を迎えてしまって恥ずかしくなってしまう。
「お、おはようございます・・・」
「さぁ、こっちへおいで、朝食にしよう」
「はいっ」
初めて迎えた朝がこれだ、
でも、慣れなくてはいけない、と思い直し、3人で仲良く朝食をとりはじめた。
▽ ▽ ▽ ▽
「ちょっとちょっとちょっとぉ〜〜〜〜っ、今日リムジンで来てたんだってぇ!? どうしちゃったわけぇ!?」
教室に入った途端、まったくどこの情報筋なのか、沙耶が駆けつけて訪ねてきた。
「はぁ〜、ああいうのって、慣れないと緊張しちゃってダメだねぇ。みんなどうして平気なんだろう・・・」
「だったら何で車で来たのよぉ、何かあったわけ?」
沙耶の問いに華は困ったように苦笑した。
「ん〜・・・ちょっと、おじいちゃんの家で一緒に暮らすことになっちゃってね〜・・・車なんて要らないって言ったんだけど、”誘拐魔が現れたらどうするんだ”ってスゴイ剣幕で押し切られちゃった」
「ぎゃっはっはっ、なんじゃそれ〜ッ!? 誘拐魔ってアンタ何歳だっつーの!」
「ねぇ? 困っちゃう」
「・・・じゃなくて、なんでじいさんと暮らすの?」
「・・・う〜ん・・・それは・・・落ち着いたらちゃんと話すね」
「そっか、OK、いつでも言いなよっ!」
沙耶は、人の噂大好きなおばちゃん体質人間だけど、私と二人の話を他の人に話すということは絶対にしない。
さり気なく、ちゃんと心配してくれるの。
沙耶にはいつか言おうと思う。
けど、まだ話す気にはなれない、ごめんね。
その日は、何度かあおちゃんを見かけて、向こうも私に気が付くたびにこっちへ来ようとしていたけれど、どこで見ているか分からない、彼のファンの存在にびくびくして、逃げるように立ち去ってしまった。
下校時刻になり、恐らく待っているだろう迎えの車に憂鬱になりながら、昇降口へと向かう。
着いてみると、案の定、運転手がにこやかに華を待っていた。
「お嬢様、お疲れさまでした」
「はぁ、そちらこそ、お疲れさまデス・・・」
運転手は、にっこり笑うと後ろのドアを開け、華に入るよう促す。
彼女はちいさく溜息を吐きながら、体半分まで車に乗り込んだ。
その時、
「華ちゃんッ!!」
腕を掴まれ、驚いて振り返る。
その声は、華が産まれてから毎日のように聞いてきた優吾のもので。
「えっ」
「華ちゃん、帰ろう! お家帰ろうっ!!」
「パパ・・・」
そのまま、ずりずりと華を引きずって、連れ帰ろうとする優吾を制したのは運転手だった。
彼は、全く無駄のない動きで優吾の腕を捻り、華から引き離す。
「何をするんですっ!?」
「それは、こちらの台詞ですよ。困った御方だ・・・お嬢様はもうそちらへお帰りになることはありません。さぁ、お嬢様、車の中へ入っていてください」
「おじさんっ、パパをいじめないで!」
優吾の掴まれた腕がとても痛そうで、華は優吾を庇う。
だが、運転手は華に優しく笑いかけ、車へ戻るよう促す。
威圧感すら感じさせる運転手の雰囲気に戸惑いつつ、自分が中に入れば優吾を締め上げる腕を解放するかと思い、車へ乗り込んだ。
運転手はそれを確認すると、
「あなたが現れることなど、宗一郎様は予想済みです。無駄なことはおやめいただきたい」
そう言って、優吾の腕を解放する。
関節がビリビリと痛む。腕に力が入らない。
直ぐに治るものだろうが、この動きと言い、雰囲気と言い、単なる運転手ではないことを優吾は知り、湯河宗一郎という人間を思うと顔をしかめざるを得ない。
「無駄なことでも構いません。僕は、毎日来ますから」
「・・・それでは、失礼いたします」
まるで聞く耳を持たず、といった風に、運転手は車へと乗り込み、あっという間にその場から華の乗った車はいなくなってしまった。
華は車の中で、運転手に抗議していた。
「何でパパにヒドイ事するの!?」
「仕方ありません、あれが宗一郎様の言う“誘拐魔”ですから。私は運転手兼ボディガードを兼ねていますので、どうか理解してください」
酷い言われようだ。
朝、宗一郎が言っていた“誘拐魔”が、優吾の事を指していたなんて。
華は一気にご機嫌ななめの表情になり、口を尖らせて黙り込んでしまった。
だが、優吾が会いに来た。
その事実が華を多少なりとも舞い上がらせてしまう。
私のことを娘だと思っているから来てくれたに過ぎないのに。
なによ、自分から離れた癖に喜ぶなんてっ。
私のばかっ!
そう思いつつ、一目見ただけで嬉しいと思ったのは本心だ。
優吾が掴んだ右腕を見つめる。
まだ、掴まれた感触が残っている・・・
彼の温もりもまだ、残っているだろうか・・・・・・
ハッとして首を振る。
だ、だめだよ。
パパは、あの女の人と幸せになるんだから。
絶対、だめだ
私は、祝福できない。
お願い、もう会いに来ないで───
だが、
華のその小さな懇願も、全く意味をなさなかった。
なぜなら、優吾はその日から、毎日のように華に会いに来たのだ。
ことごとく話す機会をつぶされようとも・・・
毎日、毎日
「華ちゃん」
優吾から発せられる言葉はそれだけ。
まるで呪文のように、彼女の名前を呼ぶ。
それだけで、心が奮える。
いつか彼が会いに来ることがなくなったら、自分はどうなってしまうんだろう?
自分から離れた癖に、それを考えると恐怖で身を縮ませる。
苦しくて仕方がない。
第10話へ続く
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