『ラブリィ・ダーリン』番外編・1

 【後編】





5.お見合い女性の出現


 何故優吾が彼女とお見合いをする気になったのかは分からない。

 ただ、今まで何をどうしても彼を動かすことは出来なかったのだが、会長に何か条件を出されたようで彼女とお見合いをしたことは高辻も知るところである。

 しかし、それ以来優吾からは何の話も聞いていなかったし、結局話は立ち消えになったものだと思っていたのだが・・・こうして彼女から会いに来るということは少なくとも相手方はその気であるという事ではないのだろうか。

 しかも彼女は紫藤グループのご令嬢。飯島と肩を並べるほどの巨大組織ではないものの、もしもこの話がまとまることがあれば飯島が更なる拡大をしていくことになるのは間違いない。


「紫藤さん、お話だったらここでどうぞ」

 相変わらずにこやかな優吾の表情からは何を考えているのか読みとれない。
 彼女も一瞬眉をひそめたものの、直ぐに優吾に向かって媚びを売るような顔を作る。

「・・・・・・あの・・・私・・・やっぱり優吾さんの事が忘れられないんです」

 そう言って彼を見つめる様子など、完全に小悪魔的演技で、彼女のような女性に簡単に引っ掛かってしまう男など大勢いるだろう。
 もしかしたら演技ではなく、普通にこういう顔を作れる人間なのかもしれないが、瞳を潤ませて上目遣いで優吾を見る姿は見事なものだった。


 優吾はしかし、かなりの少数派の人間だったようで表情一つ変える事はなかった。


「それはルール違反でしょう」
「えっ」

「キミはこの前マンションに来たときにこれっきりにするって言っていた筈だよ? それに、お見合いは断られたらそれまででしょう?」

 高辻は優吾のセリフに思わずギョッとした顔で彼を見つめてしまった。
 相変わらずの優しげな優吾だが、言っている言葉は彼女を拒絶するもの。

 高辻は優吾の秘書になってかれこれ6年以上になるが、彼から相手を拒否するような言葉を聞いたことがない。
 しかも、彼の目の前の女性は紫藤グループのご令嬢で・・・


「・・・お見合いとかそう言うことを抜きにして欲しいんです。私・・・」

 だが、女性の方もそれで退くことはなく尚も食い下がるが、彼女の言葉を最後まで聞かず優吾は首を横に振る。
 そして・・・

「間違って欲しくないんだ。キミとはお見合いだったから会ったに過ぎない。それを抜きにして考えることは出来ないよ」

「・・・や、やっぱり・・・娘さんがいるから・・・それで、考えられないんですね。それなら私、その子のお母さんになれるよう努力しますし、3人で仲良く出来るよう頑張ります」


 自信満々といった風情の女性の笑顔。


 高辻は横で聞いていてもこの女性の頭の悪さに顔をしかめたくなった。
 優吾が言っていることは、『どう考えたってあなたの事は好きになれない』ということだ。
 それを優吾なりにオブラートに包んで断ったというのに彼女には通じない。

 親や周囲の人間に一般常識も教えてもらえず、ただ甘やかされただけのお嬢様というのは5分も話せば十分だ。
 独自の法則で生きている為に話が通じないからだ。
 しかも、基本的に人に拒絶というものをされたことがない。蝶よ花よと育てられ、何の不自由もなく育って、世の中それが当然だと思っている。少なくとも高辻はそう解釈していた。

 だから、優吾の言っている言葉の意味がわからないのだろう。
 そんな彼女が、他人の娘の母親になるなど到底不可能な話だ。

 高辻がそんな分析をしている横で、優吾が小さく息を吐いたのが分かった。流石の彼でも辟易しているのだろうと思うといたたまれない。


 と、その時、


「パパ〜〜〜〜〜っ」

 可愛らしい声が後方から聞こえてきた。
 その声に瞬時に反応した優吾が満面の笑みで振り返り、高辻も数瞬遅れて大きな紙袋を抱えながらパタパタと駆け寄ってくる愛らしい少女を目に留めた。

「華ちゃ〜〜〜ん♪」

 優吾は会社で華の事をデレデレと話す時とは比べものにならないほど目尻を下げて、甘ったるい声を出し、少女を抱きしめる。少女も照れくさそうに、それでいてとても嬉しそうに受け止める。

「華ちゃんカワイイね、おめかししてきたの?」
「分かる? あのねっ、このお洋服この前パパが選んでくれたやつなのっ」
「とっても似合ってる。あと、この口の色もカワイイよ」
「えへへ」

 他の人が見たら分からないくらいほんのり色づいた唇。
 恐らく口紅ではなく、色付きリップであろうが優吾はそれに気付いたようだった。華は恥ずかしそうに頬を染めて微笑んでいるが、そんな可愛らしい姿は高辻が見ても目を細めてしまう。

「あっ、高辻さんだ〜っ、コンバンワ〜〜」
「こんばんわ」

 そこでやっと高辻の存在に気付いたらしい華が彼に手を振って挨拶をし、高辻も彼女に微笑みながら挨拶を交わす。

「ねぇねぇ、高辻さんも一緒にゴハン食べよ〜っ、たっくさん作ったの」
「それは楽しみですね」
「じゃあ、早くパパのお部屋行こうっ♪」

 パパのお部屋というのは、所謂『専務室』の事だ。幼い頃から会社に出入りしている彼女にとってそこは『パパのお部屋』なのだ。
 優吾は恐らく本日の夕食が入っているであろう大きな紙袋を華から受け取り、エレベーターのボタンを押す。そのまま、3人とも穏やかな気持ちでエレベータが来るのを待っていた。

 が、

「・・・あっ、あの・・・っ、優吾さん」
「えっ? あぁっ・・・」

 後ろから声をかけられ、華が来たことによって彼女がいたことをすっかり忘れてしまった優吾はそれを思い出すと、困ったなぁと言ったような顔で再び彼女に向き直る。
 当然華も声の主の方を振り返るが全く状況が飲み込めていない。

 女性は華の全身を上から下まで確認するように見つめながら優吾に問う。

「そ、その子が優吾さんのお嬢さん、ですか?」
「そう、カワイイでしょ?」
「え? えぇ、とっても・・・・・・でも、こんな大きなお嬢さんだったんですね・・・私てっきり5、6歳くらいの・・・・・・」

 どうやらお見合いの席でも優吾は華のことをあれこれ話していたようだった。
 優吾の話しぶりや彼の年齢から見て、彼女は華をまだ5、6歳の少女と思っていたようだ。だから、目の前に現れた少女に相当面食らっているのも無理もない話かもしれない。

 女性にじっと見つめられて、華はきょとんとした顔で相手を見ていたが、やがて表情が曇り、口を尖らせると優吾の腕にギュウッとしがみつく。
 それから、抗議するかのような瞳を優吾に向け、彼の方もそんな華に優しく頷きながら自分の胸に引き寄せると微笑んだ。
 全ての動作があまりに自然で、何も知らない人間がここだけを見たら恋人同士だと思うかもしれない。

「紫藤さん、華ちゃんに母親は要らない」
「・・・・えっ・・・」
「それから、こういうことはもう二度としないでほしい。キミのしていることは迷惑でしかないから」

「っ!?」


 完璧に拒絶された優吾の言葉に流石の彼女も気付いたようだった。
 見る見る顔が青ざめ、その後見る見る紅潮していく。彼の拒絶にワナワナと震えだし、瞳には怒りの色を宿し始めたのが窺える。

「・・・わ、私が誰だか分かってそんなことを仰っているのですか? こんな暴言・・・お父様に言ったらどうなるか・・・」

 だが、それを聞いても優吾の表情は少しも変わらなかった。

「キミがどこの誰でも関係ないよ。それに、僕はキミのお父さんと仕事はしていてもキミ自身とは仕事をしたことなど一度もないし、キミの一言でどうにかなってしまうほどの薄っぺらなつき合いをしてきた覚えはないから」

「まぁっ、よくもそんなことっ!? お父様は私の言うことなら何だって聞いてくれるのよっ、一度だって聞き入れてくれなかったことはないものっ!!!」

 女性は激昂し、周囲に響き渡るほどの大声で喚きだした。これだけを見ても、彼女が幼稚な精神の持ち主だということが理解できるというものだ。

「・・・そう・・・・・・」

「そうよっ、だからあなたの言葉をお父様に言ったらこの会社もただでは済まないわ! 沢山の損害を与えるようにしてもらうつもりよ。一体どれだけの社員が路頭に迷うのかしら?」

 優吾は勝ち誇ったような女性の言葉に、一瞬ピクリ、と眉を動かしたものの、端から見る上では何の変化もないように思えた。

 だが・・・


「それは困ったね・・・・僕はここにいる人間が大好きだから」


 小さく呟いた彼の言葉は、興奮しきってしかも陶酔したような彼女には聞こえなかった。

「それだけじゃないわよ? あなたや周りの人間だって・・・どうなるのかしらね?」

 彼女は華に視線を移し、何かを含んだ笑いを浮かべる。

 邪笑というのはこういうものを言うのかもしれない、彼女が何やら良からぬ事を考えているということが容易に想像できてしまう。
 彼女の願いだけで、紫藤グループがそう簡単に動くとも思えないが、娘を思うあまりに何かをしないという保証もない。

 内心かなりの動揺をしている高辻だったが、優吾を見れば至って落ち着き、全く変わらない表情で彼女を見つめている。


 だが、次の瞬間、

 優吾は目を瞑り深く息を吐き出した後、ゆっくりと目を開け、視線を下に落としたままのんびりと口を開いた。


「・・・・・・もしも、この事が原因で僕や会社に対して何か攻撃を仕掛けてくる気なら、その前にキミのお父さんが戦意喪失する程度の何かをするかもしれないって事くらいは覚悟してもらわないとなぁ・・・」

「・・・っ!?」

「・・・・・・それと・・・そこまで愚劣な事をするとは思いたくはないけれど、もしも華ちゃんにまで何かの力が及ぶことが有れば・・・」


 優吾は、そこで言葉を切ると───

 相手を撃ち殺すような瞳で、身震いするほど綺麗な微笑みを浮かべた。





「僕の持つ全ての力を使わせてもらうよ」










6.高辻秘書の誓い


 高辻はエレベーターに乗り込んだ後も噴き出す汗が止まらなかった。

 ここ6年間ずっと一緒に仕事をしてきたというのに、彼の仕事に対する評価も自分なりにしてきたはずなのに、それら全てが一気に吹っ飛んでしまった気がする。

 先程目の前にいた優吾は確かに優吾だったのに、彼が綺麗に微笑めば微笑むほど頭の中で鳴り響く警笛は強くなる一方だった。

 一瞬見せたあの瞳で、そのまま息の根が止まってしまうかもしれないと錯覚してしまった。自分に向けられたものでもないのに、だ。
 直接向けられた彼女など、あの後3人が乗り込んだエレベーターのドアが閉まる瞬間までも、硬直して身動き一つとれなかったようだった。


 そうなのだ、

 そういうことなのだ。

 優吾の許容範囲はとてつもなく広い。
 そんな彼の懐にいられる間は、実に優しく心から手を差し伸べてくれるだろう。
 だから多くの人間がその優しさに触れることが可能だし、その上多少のヘマをやらかしても目をつぶり、逆に守られるかもしれない。


 だが、一歩彼の地雷を踏んだとき、

 その先に待っているものが何であるのか・・・・・・


 高辻は、改めて飯島優吾という人間が飯島グループの重役に座っている意味を思い知らされたような気がして、今までの自分を恥じた。


「ねぇ、パパ〜、あの女の人さぁ、あの時の人だよねぇ?」

 ポツリと呟くように発した華の言葉に優吾は困ったような顔で微笑んだ。

「ケンカしたの?」
「え?」
「だって、攻撃するとか言ってたし」

 優吾にしがみついたままの華の位置からでは彼のあの瞳は見ることが出来なかったようで、高辻のように冷や汗を掻くこともなく全く平然としている。
 しかも当然の事ながら話が全く見えていなかったらしく、先程の話も単なるケンカと捉えているようだった。

「ケンカじゃないよ。あのね、ケンカしないように仲良くしましょうねって言ったんだ」
「ふぅん・・・・・・・・・・・・何か・・・・・・、ヤダ」
「え?」

「だってあの女の人やっぱり綺麗だったもん。私にも力がどうのって意味分かんないし・・・・・・とにかく仲良くするなんてヤダ」

 唇を尖らせて頬を膨らませている様子はこの上なく可愛らしい。
 高辻は、目の前の少女があの状況を完璧に誤解して、しかも真逆の捉え方をしていることに可笑しくなった。しかも、優吾はそんな彼女に振り回されて慌てているのだ。

「え〜? もぅ、多分彼女とは会わないよ?」
「そんなのわかんないもんっ、パパの浮気者!!」
「え〜〜〜〜っ!?!?!?」

 ぷぅっと膨れた華に優吾は本気で泣きそうな顔になっている。
 今の二人を見ているとまるで恋人同士の痴話喧嘩のようで変な錯覚を起こしそうになるが、これでは優吾があまりに可哀想だと思い、高辻は優吾に助け船を出すことにした。

「華さん、専務の言われたことは本当ですよ」
「え〜? どうしてぇ?」
「仲良くしましょうというのは、会社同士の話です。あの人と専務が仲良くするわけではないですから」
「・・・そうなの?」
「はい」

 高辻の返事と共に、エレベーターのドアが開き、華は『なぁんだ』とホッとしたように笑いながら外に出ていく。
 そして、すれ違う人間ににこにこと挨拶を交わしながら慣れた動作で専務室に入っていくのを見ながら優吾は少し拗ねた顔で、

「何で僕の言うことより高辻くんの言葉を信じるんだろ」

 とぼやいた。

「それは、第三者の意見の方が聞き入れやすい場合もありますから」

「・・・う〜ん、なるほど〜」

 納得したように何度も頷き、優吾も専務室へと入っていく。
 そんな彼の後ろ姿を見ながら高辻は、先程の優吾を思い返していた。

 凄い瞳だった。
 空気が変わったのは一瞬のことだったが、同じ人間とは思えないほどの威圧感を持っていた。

 彼はそんな自分を知っているのだろうか?

 知っていてやったのだろうか?


 いや、そうではないだろう。

 彼は計算をするタイプの人間ではない、それだけは確信を持って言える。
 何年も仕事をしてきて彼の人となりはよく分かっている。惚れ惚れするほど真っ直ぐなのだ。


 そんな彼を変えてしまえるほどの存在。

 宝物のように大切に育ててきた少女。


 彼のような人間の怒りを買うことが、もしかしたら一番危険な事なのかもしれない。
 もしも彼女に危害が加えられた時、一体優吾はどれほど豹変するのだろうか。

 絶対に起きてはいけないことだとは思いつつ、一度くらいは拝んでみたいものだという好奇心が心の中で微少ではあるが燻ってしまう。


 それに、
 優吾は言ってくれた。

 『ここにいる人間が大好きだ』、と。

 彼女ほどではないにせよ、自分たちをも大切に思ってくれている。
 上に立つ人間が一番忘れてはならない心だ。

 自分が認めたこの男に間違いはなかった。

 どんな風に彼が変わろうと、彼がどんな矢面に立とうとも、自分は一生目の前でやわらかく微笑むこの男と仕事をしていきたい。
 彼の動きやすいように、全力で彼を支えていく。

 なにがあっても。



「高辻さんも食べよ〜」
「はい」

「いっただっきま〜す♪」


 3人で仲良く弁当をつつきながら、高辻は自分にそう誓いをたてた。



2003.6.7 了
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