『ラブリィ・ダーリン』番外編・3

(後編)







4.小さな客人


 マンションに戻ると、ドアの前に小さな影がポツンと座っている。
 その影は二人に気づくと立ち上がり、嬉しそうにちょっとだけはにかんだ。

「やほ〜、怜く〜ん♪」

 華が両手をぶんぶんと振り回しながら、小さな少年に駆け寄ると、すぐさま、彼はぷいっとそっぽを向いてしまう。
 彼は優吾の14歳年下の弟の怜二で、只今小学二年生。間もなく8歳になる。
 華は怜二の顔を覗き込み、

「どしたの〜、怜くんごきげんナナメ?」

 首を傾げると、怜二は口を尖らせながら華に抗議した。

「帰り遅いよっ、何十分待ったと思ってるんだ!」
「えへへ〜っ、パパとかいものだったのっ、いっぱいかったのっ」

 嬉しそうに微笑み、優吾の抱えている買い物袋を指さす華を見て、怜二がむっとした顔をして、優吾に駆け寄る。

 と、

「優兄はオレのなんだぞっ、華のじゃないんだぞっ!!」

 そう言いながら優吾の右足にしがみついて華を威嚇した。

「怜クン!?」

 優吾も華もビックリして目をまん丸に見開いたが、華はやがて可愛らしい顔をくしゃくしゃに歪めて・・・・・・


 ・・・・・・・・・・・・そうなると待ち受けている結果は一つしかない。



「わああああああああああああんんんっ!!!」


 辺り一面に響き渡るような大音量で泣き叫んだのだった。


「はっ、華ちゃんっ…」

 優吾は大泣きする華に慌てて駆け寄ろうとするが、怜二が足にからみついてうまく歩けない。
 仕方ないので怜二を抱っこして、そのまま華の元まで駆け寄った。

「華ちゃん、泣かないでッ、ね、ね?」
「わあああああああああんんっっ!!!!!」
「優兄はオレのなんだからっ、華のばかっ! あほっ、おたんこなすっ!」
「怜クンっ、そんな言葉使っちゃダメでしょっ!」
「うっうっ、優兄のばかぁっ、華ばっかりかばって〜〜〜っ、わああんっ」
「わああああああああんんっ、パパァ〜〜〜〜〜〜っ!!!!」


 この場で一番泣きたいのは間違いなく優吾に違いない。
 彼は心底困った顔をして、泣き喚き、しがみついてくる二人を抱き寄せると、


「ああんっ、とにかくおウチ入ろう? みんな仲良くしようよっ、ね?」








5.兄妹同盟


 それから後の優吾は非常に大変な思いをした。
 華を宥めれば怜二が泣き出し、怜二を宥めれば華が泣き出す。
 一向に解決の糸口がないものと思われたのだが、そこはやはり優吾、流石というべきか、子供の扱いには慣れたもので、オレンジジュースと先程のデパートで買ったイチゴのショートケーキで二人を見事仲直りさせることに成功した。



「ねぇ、怜クン、お父さんとお母さんに僕の所に行くってちゃんと言ってきた?」

 美味しそうにケーキを頬張る怜二に問いかけると、彼は一気に険しい顔になり口を尖らせる。

「言ってないよっ、別にオレがいなくたって誰も気付かないもんね」
「そんなわけないでしょ? みんな今頃心配してるよ?」
「ふんっ、もういいのっ、オレは今日ここのウチの子供になりに来たんだからっ!」
「え?」
「わお〜っ、怜くんパパの子供になるのぉ? じゃあ、華のおにいちゃんだぁっ!」

 華は無邪気に喜んでいるが、怜二は家出をしてきたと言ったのだ。

 だが、優吾は怜二が何故こんな事を言い出すのか大体の察しはついたので、これ以上とやかく言うのも彼を余計に逆上させるだけで、とにかく今は怜二の気持ちを落ち着けることが先決だと考えた。



 優吾の実家は、この辺りでは有名な資産家で、多くの会社を経営している。

 東京に本社ビルを建てるという計画が本格的に動き出し、完成した暁には優吾も飯島の実家も引っ越しをすることになるが、まだそれは数年後の話だ。
 だが、それが原因で両親は今までよりも更に忙しくなり、子供と遊ぶということが殆ど不可能に近い状態になっている。

 その上、怜二は上にいる兄たちと年が離れすぎているため、誰かに構ってもらうことが殆ど無く、いたとしても使用人の人間達しかいなかった。
 結果、躾る人間が周囲に存在せず、ワガママ放題に育ってしまった部分があり、自分の思い通りにいかないと大変な癇癪を起こすこともあった。

 しかし、怜二はまだ7歳なのだ。

 寂しさから、時々こうやって前触れもなく優吾の元に訪れて、普段甘えられない分、彼にひとしきり甘えて満足してから帰っていく。
 しかも、ここには華もいるから家で遊び相手のいない怜二にとって、コミュニケーションをとれる最良の場所となっているのだ。


「華、オレの妹になるんだから、おにいちゃんの言うことはなんでも聞かなきゃいけないんだぞ!」
「わぁいっ、怜くんがおにいちゃんっ♪」
「オレのこと、おにいちゃんって呼んでも良いぞっ、特別にゆるす」
「おにいちゃんっ」

 二人はすっかり兄妹になったつもりでいる。
 その様子が何だか微笑ましくて優吾はひとり微笑を浮かべていた。





 ・・・・・・・・・・・・だが、

 それから何分もしない間に、二人は何をして遊ぶかでまたしても対立を始めたのだ。


「やだ〜っ、おかあさんごっこがいいのぉっ!! 幼稚園でみんなやってるんだからぁっ!」
「だめだっ、そんなのは子供のする遊びだろっ! かくれんぼに決まってる!」
「かくれんぼなんかやだっ、華は子供でい〜もんっ、おかあさんごっこするんだもん」

 二人とも十二分に子供で、かくれんぼもおかあさんごっこも子供の遊びとしてほぼ同レベルだとは思うが、怜二にしてみれば、おかあさんごっこなどは女の遊びでつき合っていられないというのが本当の所であった。
 かくいう華も、かくれんぼをしても直ぐに見つけられてしまうため、面白くないからというのが言い分で、どちらも譲る気がない。

「おい、華! おにいちゃんの言うことは絶対なんだぞ! 逆らったらダメなんだぞ!」
「ふ〜んだ! そんないばってばっかりのおにいちゃんだったらいらないっ! 華にはパパがいるもんっ、パパだけいればいいもんっ!」

 言いながら抱きついてくる華に優吾は思わず顔がにやけてしまう。
 だが、目の前では怜二が口をへの字にして今にも泣きそうだ。
 これではまたさっきと同じ結果を生むと思い、優吾は考えを巡らし、一つの名案を思いついた。

「そうだっ、ジャンケンして勝った方の遊びを最初にして、終わったらもういっこの遊びをすればいいんじゃない?」

 それには怜二も華も『そうかぁ』と顔を輝かせて納得した。
 結局ジャンケンは華が勝ったため、最初の遊びは『おかあさんごっこ』ということになったのだった。
 華は心の底から嬉しそうにして、幼稚園でやっている自分の役がいつも赤ちゃんだったため、ここぞとばかりに張り切った。

「じゃあねぇ、華がおかあさんで、パパがおとうさん、怜くんは赤ちゃんね」
「え〜っ、なんでオレが赤ちゃんなんだよ〜っ!」
「いいのっ、怜くんは赤ちゃんの役なのっ、ばぶ〜って言って!」
「やだよ〜っ、優兄〜、赤ちゃんと交代してよ〜」
「え・・・う、うん、いいよ。僕、別に赤ちゃんでも・・・」

 内心、赤ちゃんなんて出来るかな、と不安に思いつつ、優吾は気前よく怜二におとうさん役を譲ろうとした。

 が、

「ダメッ、パパはおとうさんなのっ! 男のひとはおとうさんなんだから!!」 
「そ、そうなの?」
「そう! 怜くんっ、ワガママ言わないでっ、華のおにいちゃんのくせにっ」
「・・・う・・・わ、わかったよっ、何だよ、華の方がよっぽどワガママじゃんか〜! オレだって男なのにっ!!」

 渋々ではあるが怜二が何とか納得して、無事に『おかあさんごっこ』の幕があけたのである。





6.開幕


「ただいま〜っ!」
「あなた、おかえりなさい♪ お風呂になさいますか? それともゴハンになさいますか?」

 そう言いながら、わざわざこの為につけた優吾のネクタイを一生懸命外していく華。
 優吾は、甲斐甲斐しい奥さんだなと内心微笑みながら、

「じゃあゴハンにしようかな♪」

 華は、にっこり笑って炊飯ジャーをあけ、茶碗にゴハンをコテコテと盛りつける仕草をする。
 そして、すかさず怜二に泣くように合図を出し、不服そうな顔の怜二があまりやる気のない泣きまねをした。

「あら〜、あかちゃんおっぱい欲しいの。よちよち。今ミルク作りますからね〜」

 華は赤ちゃん怜二に駆け寄り、あやす動作をしてからミルクを作ろうとする。
 優吾はそれを見ながら、

「ねぇ、おかあさん、僕がミルクを作ろうか?」

 と、何の気なしに聞いた。


 が、

 次の瞬間───

 華の台詞によって、優吾は脳天に雷が落ちたのではないかと思えるほどの衝撃を受けたのだった。


「いいのよ、わたしがやりますからあなたはやすんでらしてっ。その分、よるのおつとめがんばってね、うふっ♪」



「・・・・・・っ!?・・・っっ・・・」




 満面の笑みで言ってのけた華の言葉に、優吾の頭の中は完全に真っ白になってしまった。

 一体このような会話をどこで憶えてくるのか?

 おそらく幼稚園でやったおかあさんごっこで友達が発言した台詞を自然に憶えてしまったのだろうが・・・いや、むしろそう言う発言を子供の前でする母親が世の中にいるという事に驚いた方が良いのかもしれない。


 とにかく、意味が分かっていないにしても、今の華の台詞は優吾にとって心臓が止まってしまうんじゃないかと思うほどの衝撃を与えた。




 ・・・・・・・・・び、びっくりした


 ・・・・・・女の子の遊びってスゴイなぁ。
 僕が幼稚園の頃なんて、一日中お外でかけずり回ってただけで、なんにも考えてなかった気がする・・・


 呆然としながら自分の幼少時代と今の華を比べながら思いを巡らせていると、赤ちゃん役の怜二が早くも不服を唱え始めた。

「オレもうやだよっ、こんなの全然面白くないっ!! 華のままごとなんか、も〜つき合ってやんないっ!!!」
「え〜〜〜っ、ひどい怜くんっ」
「ひどくないっ、何でオレが赤ちゃんなんだよっ、今更ミルクなんて飲めるかよっ! 大体華の方がよっぽど赤ちゃんじゃんか!!」
「あっ、二人ともケンカしないで。仲良く遊ぼう、ね?」
「オレはもうイヤだっ!!!」
「怜クンっ」

 話は益々決裂していく兆候を見せた。

 が、

 そのとき、タイミングが良いのか悪いのか、家の電話が鳴り響き、優吾はその場を離れなければならなくなってしまった。

「とにかく二人ともケンカはいけないからね?」

 それだけを言い残して、心配はあったもののとりあえず電話に出ることにした。




『優吾か?』


 電話の相手は、そろそろかな、と予想を密かにたてていた通り、こんな時にいつも電話をかけてくる優吾の一つ上の兄、秀一だった。
 いつも冷静な秀一だが、怜二のこととなるとやや取り乱すので、その様子が優吾は面白くて好きだった。
 今回も例に漏れずといった感じで、電話の声は少々焦りの色が混じっている。

「怜クンならウチにいるよ〜、早く迎えに来てあげてね。何も言わないけど絶対に待ってるんだから」
『・・・・・・すまない』
「秀一くんが謝るのも変だけどね、お父さんもお母さんも忙しいの知ってるけど、あんまり怜クン1人にさせるとかわいそうだよね・・・あ、でも、秀一くんだってまだ仕事中でしょう?」
『いや、大丈夫だ、親父に言って切り上げさせてもらったから。一応あれでも随分心配しているんだけどな。とにかく、今から迎えに行く。いつもすまない』


 そう言い残して秀一は電話を切った。
 皆忙しいが、怜二のことを忘れているわけではない。ちゃんと家族に愛されているのだ。
 それを怜二に理解させようというのも今の状況では難しいことなのだが・・・



 その後優吾が二人の所へ戻ってみると、既に彼らは就寝中だった。
 仲良くくっつきながら無邪気な愛らしい寝顔を振りまき、そんな様子はまるで天使のように彼の目に映った。


「・・・カワイイなぁ」

 顔を綻ばせながら優吾は二人の頭を撫で、静かにソファに腰掛ける。
 しかし、優吾の視線は華の寝顔を見つめたまま、次第に表情が曇っていく───



 おかあさんごっこ、かぁ・・・

 本当はどんな存在かもわからないんだよね

 友達とお母さんの話になったとき、どうしているんだろう?

 自分にはいないって思ったら、寂しくなるよね
 みんなにはいるのにって思ったら、羨ましいよね


 僕だけじゃ、役不足だよね
 お母さんもお父さんも両方やってるつもりでも、やっぱり足りない部分ってあるんだ

 ・・・・・・それは、わかってる・・・


 だけど、僕は二人でいたい


 このまま、時が永遠に止まってしまえばいいと思うことすらある


 今日会った亮太クンみたいな子が、華ちゃんを好きになって、何年後かに

『彼女を僕に下さい』

 なんて言われる日もいつかくるんだろうか───



 その時、僕はどうすればいいんだろう

 とても素直に華ちゃんを渡せるとは思えないよ



 僕は、華ちゃんが百合絵さんのお腹の中にいたときから、絶対に何よりも大切な存在になるって確信してた。
 産まれてからも、片時も離れたくなかったのは僕だった。
 空気みたいにピッタリと重なり合う華ちゃんの温もりは、僕にとって何よりもかけがえのない存在で、毎日が幸せで仕方がない。


 自分でも笑っちゃうくらい溺愛していると思う。

 でも、まだ足りないって気がする

 本当に大好きで大好きで、どうしようもないくらい大事で───


「・・・・・・・・・」


 優吾はそこまで考え、寂しそうに小さく溜息を吐いた。


「あ〜あ、お嫁さんに行っちゃったりしたら立ち直れないかもしれないなぁ」


 ぼやいてから、まだまだ先の話だったなぁと1人苦笑する。
 そして彼は、気持ちよさそうに寝ている華を見つめ、フワリと頭を撫でた。
 その眼差しはどこまでも優しく温かかった。









7.天使と幸福


 それから半時ほど経過しただろうか。

 秀一が到着し、優吾は彼を部屋へと招き入れた。
 怜二と華が仲良く眠っている様子を目に留めると、秀一は微笑み二人の頭を優しく撫でた。
 彼は、滅多にこういう表情を人に見せることはないが、この小さな天使達の前では柔和な笑顔を見せて周囲を驚かせる。


「華、ちょっと大きくなったんじゃないか?」

 感心したように言う秀一に優吾は苦笑した。

「秀一くん、つい一週間くらい前に華ちゃんを見たときにも同じこと言ってたよ?」
「あぁ・・・だが、大きくなった気がするよ。それとも俺の気のせいかな」

 そう言ってジッと華を見つめる秀一に、優吾は少しだけ寂しい気持ちが込み上げてきた。
 優吾の表情の変化に気付いた秀一が、『どうした?』といったような顔で彼を見つめる。


「僕は・・・華ちゃんが大人にならない方がいいな。誰にもお嫁さんにあげたくないから」


 瞳を曇らせながら悲しそうに微笑む優吾に秀一は驚いたような顔をしたが、何となく彼の寂しさを察したのか『そうか』と呟いたきりそれ以上は何も言わなかった。


 だが、

 それから、他愛もない会話を少しして、寝ている怜二を大事そうに抱きかかえながら、秀一は何を思ったのか、

「俺も華みたいな子供がいたら親バカになりそうだ」

 と優吾の肩を叩き、笑いながら帰っていった。

 それは秀一なりの優吾への励ましだったのかもしれない。

 だが、その言葉により、彼の心は先程の沈んだ気持ちが嘘のように、現金なくらい雲一つない晴天へと変わっていた。


 華が誉められれば理由もなく幸せになる。
 自分が誉められることよりも、何よりも嬉しいのだ。


 華が可愛くて堪らない


 そう思うのは、もはや親友の娘だからではない。
 ほんの少しだけ夫婦になった女性の子供だからでもない。




「華ちゃんは、僕に会うために産まれてきたんだよね」


 寝ている華の耳元で内緒話をするように話しかける優吾。


 ふと、
 華がにっこりと笑った気がした。


 それは、華が産まれた直後、
 優吾の手を握り、自分に笑いかけたあの瞬間に重なる───


 何となく『そうだよ』と言われた気がして涙が滲んだ。



 全てのものから守りたい。


 華ちゃん、僕は、ずっと、永遠にキミを守れる存在でありたいよ───



 優吾は、やわらかい華の頬に優しくキスを落とし、そのまま宝物を抱きしめるように大切そうに彼女を包み込むと、子供特有の甘い匂いがして彼の眠気を誘っていく。
 それでも、何とか華を自分のベッドに運ぶ所までは成し遂げ、華を抱きかかえたまま、優吾は次第に意識がなくなっていき、


 彼は、眠りに落ちかけた時、小さな掠れた声で華に囁きかけた。




「僕は・・・華ちゃんに会うために産まれてきたんだよ」




 彼は知らないが、その後、もう一度華が小さく笑ったように見えたのは錯覚だったのかどうなのか、それは分からない。
 だが、二人ともこれ以上ないほど幸せそうに眠っていることは誰が見ても明らかだった───






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