『ラブリィ・ダーリン2』

○第4話○ 告白1〜兄・秀一の場合〜(その2)







「え〜、今日帰り遅いのぉ!?」

 受話器を握りしめながら思わず大声を出してしまった。

『ごめんねぇ、秀一くんにお食事誘われちゃった』


 ・・・・・そんなぁ・・・

 今日はパパと沢山一緒にいたかったのに。
 ・・・パパの大好きなお料理ばっかりにしようって・・・思ってたのに・・・


『・・・華ちゃん?』

 恐る恐る、といったように話しかけられ、ぐっと言葉に詰まる。

 帰ってきて欲しい。
 そう言いたいけど、でも・・・。


「・・・・・・ぅん・・・・・・・・・わかった・・・秀一伯父さんとなんて、久々だもんね。楽しんできていいよ」

『ごめんね。なるべく早く帰るから』

「うん、・・・じゃあね」


 受話器を置くと、部屋が急に静かになったような気がした。

 聞き分けのないことを言いたくなくて、ああは言ったものの、予期しなかった静けさはあまりに寂しすぎる。
 華は何となく力が抜けてしまって、ソファにポスンと座り込んだ。


 ・・・パパはいつも仕事終わったら、真っ直ぐ家に帰ってくるもん・・・

 一日くらい・・・いいじゃん


 だって・・・
 ワガママ言って困らせたくないし。


 ・・・でも・・・今日は大変だったんだから。

 ヒカルくん、本気の目をしてたんだよ。
 あんな風に気持ちを伝えられたことなんてなかった。

 それがちょっと恐かった・・・
 何も言い返せなかった自分も恐かった・・・


 だから、パパと一緒にいたかったのに。



「秀一伯父さんの、ばか〜〜〜っ! 今日誘わなくてもイイのにぃっ!」







▽  ▽  ▽  ▽


 華が秀一に対して悪態をついていた頃、二人は会社から程近いレストランに到着していた。
 秀一行きつけのその店で、完全にVIP扱いを受け、落ち着いた個室に通される。
 優吾はあまりこういう場所には来ないので、慣れた様子の秀一を感心したように見ていた。

「なんだ? じろじろ見て」
「秀一くん、キマッてるなぁって思って」
「オマエもたまにはこう言うところに来れば良いんだ。誘えばついてくる女は山ほどいるだろう」
「やだなぁ、いるわけないでしょう。それに、華ちゃんの手料理の方がいいに決まってるじゃない」
「・・・困ったものだな」

 思わず苦笑してしまう。

 ”いるわけない”わけがない。

 優吾に憧れを抱いていたり、かなり本気で熱を上げている女性が多数存在することは、秀一の耳にも届いているくらいだ。
 彼の人当たりの良さや、我が弟ながら目を惹くような甘いマスク、それだけだって彼に引き寄せられる人間がどれほどいることか。

 優吾に全くその気がないだけなのだ。
 愛情が全て娘に注がれてしまっているものだから。


「いい加減、周りに目を向けたらどうだ?」
「ん?」
「見合いしろとは言わないが、オマエのソレは愛情過多だ。他に目を向けないといつか自分の首を絞めるぞ」

 実のところ、そういう見合い話は山のように来ているが、理由があって優吾にその話を持っていくことが出来ない。
 前に一度だけという約束で、優吾に見合いをさせたものの、その話は、結局立ち消えとなってしまった。
 父親が『もう二度とこの手の話は持ってこない』などと言ってしまった手前、踏み込んで話をする事が出来なくなってしまったのだ。


「秀一くんはどうなの?」
「ん?」
「彼女、いるんでしょ? モテそうだもんね〜」
「・・・」
「あっ、やっぱいるのっ!?」

 嬉しそうに言う姿はとても年齢に合っていない。
 自分より一つしか違わないのに、どうしてこの弟はこんなにも無邪気なままでいられるんだろうと、いつも不思議に感じる。

「俺の話はいい。お前、さっきの俺の言葉に全然答えてないぞ?」
「だって、他に目を向けるなんて言われても困っちゃうよ」
「そんなの周りをもっと見渡せばいいだけの話じゃないか」

 優吾は、そうじゃないんだよ、といった風に小さく首を横に振り、困ったように微笑む。
 それから、秀一をじっと見つめ、急に何かを思いだしたかのように口を開いた。

「ねぇ」
「なんだ?」
「秀一くんってさ、実は結構ブラコンだよね」
「・・・なんだ、いきなり?」

 突然そんな事を言われ少々面食らってしまう。
 脈絡のないことを言っているつもりはないのだろうが、秀一にとっては、いつも優吾のそんな話の振り方に戸惑ってしまうのだ。

「ウン、他の人には結構つめた〜い顔するけどさ、僕とか怜クンには優しいし」
「・・・そうか?」
「そうだよ〜」

 意識したことはなかったが、優吾にそう言われるとそんな気がしてきた。
 弟たちは無条件で可愛いと思う。
 だが、それは兄として当然の事だと思うが。

「あ、でももっと上がいた。秀一くんって、華ちゃんには激甘だよね。・・・ということは秀一くんって実はロリコンなのかなぁ?」
「・・・・人をヘンタイのように言うな」
「違うの?」

 ハッキリ言って優吾にソレを言われたくない気分だった。
 あれだけ華を溺愛しといて、人にそんな評価をくだすなんて・・・

「違う。華が可愛いと思うのは、どちらかというとお前に似ていると思うが?」
「? どういうこと?」
「俺には娘はいないが、何となくそんな気持ちになるという事だ」
「・・・・・・ふぅん」

 分かったような分かっていないような顔をする優吾だったが、その時、丁度料理が運ばれ、話はいったん中断された。

 食事中はお互い昔話や近況などを語り合い、楽しいひとときを過ごしていたが、秀一の頭の中はずっとあることに囚われていた。


 彼が今日、優吾を食事に誘ったのには理由があったから。

 見合いを強く勧めることの出来なくなった父親に代わって、秀一が女性と引き合わせるきっかけを作ること───

 勿論、優吾をある程度その気にさせると言うことが大前提だし、彼の気持ちを無視するつもりはない。
 だが、彼をこのまま独り身にさせておくわけにはいかない。


 別の男の子供を身籠もった女性と結婚をして。
 産まれてきた子供を、愛情をもって、たった一人で育てた・・・

 そんな彼に幸せになってもらいたいと、そう思うのは家族として、兄として当然の気持ちだろう。



「あ〜、美味しかった。ごちそうさま」

 満足そうに手を合わせる優吾を見て、秀一は話を切り出すことにした。

「優吾」
「ん?」
「俺が紹介する女性に会ってくれないか?」
「? 秀一くんの彼女?」
「そうじゃない。お前に紹介したいと思っているんだ」
「・・・・・・」

 その意味を知った優吾は沈黙し、やがて小さく首を横に振る。

「なぜ? とりあえず会うだけでもいいんじゃないか?」
「・・・・・・」
「どうしてそこまで頑なに拒絶するんだ? ・・・華に遠慮しているのか?」
「違う」

 それにはキッパリと否定する。

 秀一はわからなかった。
 誰かに心奪われているように思えない以上、華がいるからとしか考えられない。

 だが、華はいずれ優吾の元を離れていくのだから・・・


「違うんだ。秀一くん、僕はもう・・・他の人は想えない」
「なんのことだ?」

 眉を寄せる秀一の様子に、少しだけ優吾の瞳が悲しそうに揺らめいた。

「・・・僕はね、華ちゃんが好きなんだよ」
「知ってる」

 そんなことは今更言われなくても百も承知だ。
 華を愛しているから、華のために他の女性を見ないと言いたいのだろうか。

「そうじゃなくって・・・」
「?」

「娘として大好きなのは当たり前なんだけど・・・今の僕は、華ちゃんを一人の女性としても見ちゃうんだよ」

「・・・?」


「・・・お互いそう言う気持ちを持ってるんだ」





 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 ・・・・・・・・・・・・女性として・・・・?



 ・・・・・・・お互いそう言う気持ち・・・・・・・・・・・?







 ・・・・・・・・誰が、誰と・・・・・・?






 優吾が何を言っているのか分からなくて、頭の中はまっ白だった。
 表面上はクールなままだったが、明らかに二の句が告げられずに固まっている。
 そんな彼を更に混乱させるような言葉を、優吾は更に続けた。


「・・・僕たちがそういう関係になってから、もう2年も経ってる。手放すとか他を見るとか考えられるわけないよ」

「・・・ち、ちょっと・・・・・・・・・待て」

「うん」



 そういう関係・・・だと?



 秀一の止まっていた思考回路が、徐々に何かを導き出し、信じがたいような一つの答えが弾き出された。


 ───この考えが間違っていなければ・・・
 もしかして、俺は今とんでもない爆弾発言を聞いたのか?

 いや、そんなわけがない。


 だが、そういう関係・・・

 それに含まれる意味は。



「・・・間違いであって欲しいんだが」
「うん」

 聞くべきか聞かざるべきか迷い、生唾をゴクリと飲み込む。
 だが、ここまできて聞かなかったことには出来ないと思い、秀一は意を決して口を開いた。


「もしかして・・・・・・・・・華と・・・男女の関係がある・・・と?」

「そうだよ」

「・・・っっ・・・」


 どうか否定してくれ。

 そんなアッサリ認められても、こっちはどうしたらいいか分からない。


「・・・・・・俺は・・・お前の好きとか、他にも何だか色々言ってたが、そう言うのは溺愛するあまりに出てきた言葉だと・・・」

「そうだね、溺愛してるよ」


 秀一の頭の中は、グチャグチャにはめ込まれたパズルのように話を整理出来ずにいた。
 自分より一つ下の弟が、その娘と(確かに血は繋がっていないが)とんでもないことになっている・・・
 言っていることは分かるが、『ハイ、そうですか』などと、そんな簡単に理解出来るものじゃない。


「・・・優吾・・・俺は今、自分の中でどうやって結論づければいいのかサッパリ分からない」
「うん。わかるよ、僕もそうだったから」

 頷く優吾を見ていて、ふと、秀一の中で一つの出来事が思い浮かんだ。

「・・・・・・2年・・・って言ったな」
「言ったね」


 二年前。
 そう聞いて思い浮かぶのは『あの事』しかない。


「つまり・・・湯河宗一郎の所に華が行った時って事か?」


 優吾は、混乱しながらもしっかりと事実を組み立てていく秀一に感心した。
 こんな事を聞かされたら、誰だって混乱するに決まっているが、秀一には少しでも理解して欲しいと思ったから口にした事で、当面は拒絶されるだろうと思っていたのだが・・・

 そうだよ、と頷くと秀一は更に考えを深く巡らせ、溜息を吐き出した。




 ・・・何となくわかったような気がする・・・

 イヤ、本当はわかりたくないんだが。


 彼は少しだけ疲れたように目頭を押さえる。
 考えれば考えるほどわかってしまう気がしたからだった。

 優吾の性格からして、自分から華をどうこうしようとか考えるわけがない。
 むしろ、本当の父親になろうと精一杯の努力していたのだから、華をそういう目で見ていなかったという方が正しいだろう。

 だとすると、好きになったのは華の方。

 もしかしたら、優吾に気持ちを打ち明けるような出来事もあったかもしれない。
 それでも、その時点で優吾が華を受け入れる事は無かっただろう。

 だが、湯河宗一郎の所へ華が行ってしまったことで何かが変わってしまった・・・

 勿論、2人の間で何があったのかはわからない。
 だが、今想像した考えが、完全な間違いとも思えない。


「・・・ずっと言わないつもりだったのか?」
「・・・・・・そういうわけじゃぁ・・・」
「じゃあ、何だ、俺はすっかり騙されてたってわけか?」
「騙すつもりなんてないよっ、でも、言い出すにしても、それなりの覚悟が必要な事だから」
「そんなの当たり前だっ!」

 珍しく声を荒げ、秀一は苛立っているようだった。
 ソレもコレも原因は目の前の優吾。

 よりによって・・・・・・・・・

「・・・さっきお前、俺にロリコンだとか言ったな、その言葉、そっくりそのままお前にのしつけて返してやる」
「やだなぁ、僕、ロリコンじゃないよ」
「ウルサイ、出来ればお前を殴ってやりたい気分だ。華を傷物にするなんて・・・」
「・・・今日の秀一くん、過激だね」
「お前がそうさせてるんだ、自覚しろ! 大体これからどうするつもりだ?」

 秀一の質問に、優吾はう〜ん、と唸った。
 だが、その顔はたいして悩んでいるようにも見えない。

「どうするって言っても、今までと変わらないんじゃない?」
「・・・・・・」
「華ちゃんが僕を選んでくれる限りはずっと一緒にいるつもりだよ」

「・・・・・・もしも、お前以外の男を選んだとしたら?」

 あり得ないことではない。
 華が優吾以外の男を好きになることの方が自然なのだ。

 意地悪な質問をしているという自覚はあったが、聞いておきたいと思った。



「父親になるだけだよ」

「・・・出来るのか?」

「出来るもなにも・・・、それが僕に出来ることの唯一だよ。華ちゃんは僕を選ぶ限りずっと結婚出来ない。そういう意味での幸せは与えてやれない。女性にとって、世間的にも、それがどれだけ大変なものか、考えただけで苦しくなるよ」

「・・・・・・」

「でも・・・正直言うと、手放せるかって言われても、自信はないんだ・・・その気持ちが父親としてって言うものと、男としてって言うものと混ざり合っちゃって、境界線がどこだかよく分からなくなっちゃった」

「・・・そう、か・・・」


 親子として生きてきた十数年間。
 女性として見始めた数年間。

 しかし、そんな複雑な状況でも華を愛するという点では変わりはない。
 秀一は何となくではあるが、その事を理解した。
 そして、これ以上何かを言う気にはならず、息を吐き出すと同時に苦笑した。


「今更何を言っても、ということか。・・・・・・ならば、俺は黙って見ていよう。ただし、男として、父親として、全てに於いて責任をとるつもりでいろよ」

「わかってる」

「何があっても華を守れ、あの子の全てを引き受ける覚悟なんだろう?」

「うん」


 一見、優吾は簡単に頷いているように見えた。
 だが、秀一にはその返事がどれ程重いものか、それが痛いほど伝わってきて苦しかった。

 優吾は全部分かっている。
 その上で華を選んだと言うことだ。

 どうしてこんな風に何かを背負い込むような生き方をするんだろう。
 本当にこの道しか無かったんだろうか。
 もっと楽な道だってあっただろうに・・・・・・


 なんで・・・・・・





 端から見ていて、いつも辛くなる。

 それなのに、この弟はいつも笑っているのだ。
 いつも、いつも───




「僕は、華ちゃんといられればそれだけで幸せなんだ」


「・・・そうか」



 迷いのない微笑み。
 それを見て、この事について自分がとやかく言えるような次元じゃないと痛感した。
 恐らく一番苦しんだのは優吾に他ならないのだ・・・


 こんなこと、何が正しいかなんてわからない。

 きっと誰にもわからない。





 それでも、


 幸せならば、それでいいのかもしれない───








その3へつづく


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