『ラブリィ・ダーリン2』

○第5話○ 告白2〜秘書・高辻の場合〜








 プルルルル・・・

 プルル



 遠くの方で、電話の呼び出し音が聞こえた気がした。
 それと同時に優吾の意識が次第に覚醒していく。


「・・・・・・ん」

 一つだけ寝返りをうって、気だるそうに瞼を開ける。
 目の前には起きる気配など微塵もないであろう、華の無防備な寝顔。
 思わず笑みが漏れた。

「・・・っと、電話・・・」

 すっかり魅入ってしまい、電話の存在を無視してしまった。
 しつこく鳴り続ける電話の音は、ベッドの脇に置いてある子機からも発せられていた。
 優吾はそれを欠伸をしながら取り上げる。

「・・はい、飯島です」
『おはようございます、高辻です』

 冷え切った低い声で、幾分怒気を孕んだようにも聞こえるその声は、優吾の秘書、高辻のものだった。

「ん、おはよう」
『今、何時かおわかりですか?』

 いきなりの問いだったが、優吾は枕元に置いてある目覚まし時計に視線を移した。


 ───時刻は10時15分。

 どうやら、目覚まし時計をセットし忘れたらしい。
 優吾はどうしたものかと、頬をぽりぽりと掻いた。


「・・・・・・・・・怒ってる?」

『そんな暇はありません。今、専務のマンションに向かっている途中ですので、到着するまでに出かける準備を全て済ませておいてください。20分くらいだと思います』

「・・・ん、わかった」

 高辻が焦っているのも無理はない。
 今日は大事な契約の日だ。
 相手方とは11時半の約束だから、ギリギリ間に合う限界といったところか。
 普段寝起きの良い彼がこうやって起きるのは極めて稀なことで、やはり昨晩の出来事が大いに影響されていると言うことは疑いようがないだろう。

 優吾は子機を置くと、大急ぎで身につけているものを脱ぎ・・・と言っても殆ど何もないと言った方が正しいのだが、それからスーツに身を包んだ。


「さて、と」

 流石に食事を摂っている余裕はない。
 洗顔と頭髪を整えた後、大方の用意を済ませた優吾は、足早にもう一度寝室に戻ってきた。

「華ちゃん、華ちゃん、ちょっとだけ起きて?」
「・・・・・・ん〜」

 少し眉を寄せ、無意識に返事をするその様子が堪らない。

「は〜な〜ちゃん♪」

 ちゅ、と唇にキスをして、反応を待ってみる。
 ややすると、華の瞼が重そうに開いた。

「おはよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おはよ」

 お疲れだな〜、と思いながら、優吾は昨晩の自分の行動を思い出してちょっとだけ恥ずかしくなった。

 酒の力、というものもあったんだろう。
 酔っている自覚というものはあまりなかったけれど、あんなに何回もなんて、普段の自分では到底出来ない事のように思えた。

 願望、としてはあったような気がするけど・・・


「これから仕事行かなきゃなんだ。すっかり寝坊しちゃったみたい。華ちゃんは・・・今日学校休んじゃう?」

「・・・へ?」

 目をパチパチさせてボ〜ッとした表情のまま目覚まし時計に目をやる。
 やがて、今の状況を把握したのか、目を見開いている。

「・・・学校、とっくに始まってるね」
「ごめんね、起きれなかった。どうする? 学校」
「・・・う〜ん、お昼から・・・行こうかな」
「そっか」

 ふわり、と頭を撫でられる。
 その拍子に、華は昨夜のことを思い出したらしく、恥ずかしそうに俯いてしまった。
 それがあまりにも可愛くて、もうちょっと時間が有ればなぁ、と悔しく思った。

「じゃぁ、そろそろ高辻くんが迎えに来る頃だと思うから、僕は出るね。いってきます」
「うん、いってらっしゃい」

 ベッドからちょっとだけ身を起こし、トロンとした顔で送り出す。
 そんな華を見て、優吾は部屋のドアまで進めていた足を、不意に止めた。

「・・・」

 そして、う〜ん、と空を仰いだ後、再び華の元までUターンしてくる。

「どうしたの?」
「忘れ物しちゃった」
「え?」

 不思議そうにしている彼女の唇にもう一度キスを降らせ、

「いってきますの挨拶♪ 昨日の華ちゃん、あんまり可愛かったから無茶しちゃった。今度は、次の日もゆっくり出来る日にしなきゃね」
「えっ!?」
「いってきます♪」
「い、いって、らっしゃいっ」

 驚いた様子を楽しみながら、優吾は手を振り、今度こそ部屋を後にしたのだった。












▽  ▽  ▽  ▽


 外まで出ると、既に高辻がマンションの入り口付近に到着していた。
 そして、無表情な高辻に促されるまま、素早く助手席に乗り込む。


「ごめんね」
「・・・起きてしまったことは仕方ありません。それに、契約さえしっかりまとめていただければ何も言うことはありませんから」

 言葉の裏に『絶対に成立させなくては許さない』という高辻の意志が見え隠れして、相当怒らせちゃったかな、と改めて反省した。

「昨日は、社長と夜遅くまでだったんですか?」

 暫く車を走らせていると、高辻がチラリ、と視線を向けて問いかけてきた。

「ううん。秀一くんは9時半頃に家に帰ったし」
「はぁ・・・その割に専務が寝坊など珍しいですね」
「・・・・・・あはは」

 歯切れの悪い笑みを漏らすのを、らしくない、と思った高辻は訝しげに見つめる。

「なんですか?」
「・・・・・・ううん、なんでも」


 何か・・・変、だ。

 寝坊する程よく寝た割には、寝不足の時のような充血した目。
 どことなく気怠げな雰囲気を纏っているのに、スッキリした顔。

 ・・・・・・それに・・・


「虫にでも刺されましたか?」

「え?」

「首の所が鬱血していますが」

「・・・え、ホント・・・? ・・・っあ」

 優吾は首筋に手をやった後、ハッとした顔をして固まってしまった。
 その上、みるみるうちに顔を真っ赤に染めて。


「・・・華ちゃ・・・っ、あ、いや・・・・・・なんでも」


 今度は慌てて口を押さえている。
 ・・・・・・・・・『華ちゃ』?
 華がどうしたというのか。

 訝しげな視線を感じ、優吾は益々挙動不審になっていく。
 それでは、疑ってくれと言っているようなものだ。

 高辻にそのつもりは全くなかったが、あまりにも痛すぎる視線を感じ、優吾はガックリと項垂れた。


「どうしました?」

「・・・・・・い、いずれは言うつもり・・・だったんだよ?」


 いずれ?

 なんのことだかよく分からない。

 優吾の首筋にある鬱血した痕が、虫さされなどではないということは、妻子ある身としては、いや、女性経験がある者ならば大抵気付くだろうと思えるほどハッキリした痕だったとかそんなのは別にどうでもよい。
 彼にそういう関係を持てる女性がいても、それはそれでいいと思う。
 飯島というブランドに加え、優吾のような顔や性格に惹かれる女性など山ほどいるだろう。

 プライベートで何をしようが、節度をわきまえているなら構わない。


 だが、それに対して何故華の名前が出てくるのか。
 要するに、話の流れが掴めず、単に訝しんでいただけのことなのだが。


「これはね、キスマーク」

「・・・そうですか」

 分かっているが、小さく相槌を打つ。
 開き直りだろうかと、一瞬そんな思いが頭を掠めた。


「華ちゃんの」













「・・・・・・・・・・・・は?」



 高辻の時間が止まる。




「これは、おふざけでも何でもなくて、真面目な話」


 確かに、

 珍しく真面目な顔をしているが。



「・・・い、いや・・・専務・・・言っている意味が・・・・・・?」



 初めてとも思える高辻の困惑した表情。
 それを見て、優吾は寂しそうに微笑んだ。

 それから、何度も深呼吸をして。
 満足するまで繰り返した後、まるで電池がきれた何かのように、ウィンドウに頭をコツ、と押し当てた。
 真っ直ぐにどこかを見つめているが、それが何であるかはわからない。






 優吾が真実を打ち明けたのは、それから数分後の事だった。







 ポツリポツリと、独白の如く話し始めたその内容は、想像の範疇に無かったもの。

 そう、二人が血の繋がった親子だと信じて疑わなかった高辻にとって、その内容は驚愕するに相応しいものだった。



 それでも平静を保とうと、道中彼は普通に運転しているつもりだったが、何度もアクセルとブレーキを間違えそうになり、それなりに頭の中が混乱していたようだった。
 それを落ち着いた様子で見ていた優吾だったが、半時程して高辻に対し、言い聞かせるように静かに口を開いた。



「ねぇ、高辻くん。一つだけ、言っておくね」

「・・・なんですか」

「もしも僕たちの事で会社に迷惑がかかるなら、そうなる前に会社を辞めるつもりだよ。誰にも迷惑を掛けるつもりもないし、君も無理をして僕の側にいる必要はないんだからね」

「専務・・・」

「わかってる」

「・・・・・・」


「それだけのことしている自覚はある。でも、・・・元に戻る気はないから」


 助手席に座っている優吾は、前方を見据えたまま、それ以上は何も言わず口を閉ざした。

 だが、運転席からチラリと見た優吾の瞳。

 強い意志を持って言っているのだとそれだけで解った。
 それほど力を持った目つきをしていて、逆にその様子に背筋がゾクゾクと泡立ちはじめる。

 いい加減、こんな風に思えてしまう自分に笑えてくる。





「見損なってもらっては困ります。今更、専務以外の誰の下にも付く気はありません」

「・・・っ・・・!?」

 驚きをもって見つめる優吾の視線を無視するように、高辻も前方を見据えた。
 そして、自分が優吾と出会った時の事を何となく思いだし、懐かしい思いに身を投じる。


「後戻りする気がないのは、あなただけではありませんから」



 ───もう、優吾と出会って何年経つだろう。


 幼さを残した顔で、やんわりと微笑んで手を差し出してきた優吾。
 あまりの若さに加え、鋭さなど微塵も感じることの出来ない人格に、何故このような人間の側に付かなくてはいけないのだと心の内で嘆いた日々もあった。

 しかし、一緒に仕事をして驚いたのは、彼が動くと、実績として確実なものが、しっかりと後からついてくると言うことだった。
 一体何がどうなっているのかわからない。
 まるで手品を見せられているようで。



 だが、

 ある時、取引先の人間に言われた一言により、目が覚めたのだ。


『君の上司は不思議な人だな。何故か一緒に仕事をしたくなる。何か出来るんじゃないかって思わせてくれるんだよ』



 ───自分の浅はかさを悔いた瞬間だった。



 皆、優吾自身に惹かれていたのだ。
 飯島が打ち出す契約内容だけでは難しいものもあった。
 つまりは、彼と仕事をしたいと。
 そういう意志の元でついてきた結果だったのだ。

 普段の彼を見ていると、どこにそれ程まで思わせるものがあるのだと思う事もあるが、仕事をしている時に時折見せる射抜くような目つき、更に、思いつく発想は奇抜で、新しい事業への展開に繋がることも実に多い。
 そして、何より折れることのない強い精神の持ち主なのだと言うことを、側にいるうちに気付いてしまった。


 今聞いた話など、どうでもいいと思えるくらい。



 ───要するに、

 自分は隣のこの男に対しては、どうやら頭がイカレるらしいのだ。
 人生なげうってでも片腕として側にいようと。

 全く自分らしくない行動だ。
 信じられないくらい、熱くなって。



「・・・・・・ありがとう」



 隣で小さく呟いたその声色が驚くほど優しい響きを持っていて、高辻は胸の奥から何かがこみ上げるような思いがした。
 それを誤魔化すかのように、彼は無表情を装い、ハンドルを握りしめるだけで精一杯で、それに対して、とても言葉を返すことなど出来なかった。



「今日の契約は、絶対成功させなくちゃね」

「・・・・・・・・・はい」



 ただ、自分に間違いはないのだと、


 何故か、それだけは確信があった───







第6話へつづく


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2004 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.