「愁く〜ん、朝ですよ〜〜〜!!」
「っぅげっ!?」
バフンッと音をたてて、ベッドの主の上に勢い良く飛び込む少女。
呻き声を漏らす彼の上に馬乗りになり、トドメとばかりに思いきり頬をつねる。
「あと少しで夏休みなんだから、そしたらいつでも寝てられるでしょ〜!! 遅れないように学校行こうよっ。智くんはもう支度できてるよ」
「・・・うぅ・・・・・・」
「起きた?」
「・・・起きた・・・・・・」
彼がそう言うと、彼女、蓮見鈴音(はすみ りんね)は、満足そうに頷いて、ベッドから降りた。
「リン、その起こし方・・・いつか、けが人がでるぞ」
「いいんだよ〜、こんな起こし方愁くんだけだもんっ!」
「智にはどうやってんだよ?」
「智くんは、いっつもちゃんと起きてるから必要ないでしょ〜」
「あっそ」
その間も愁の着替える姿を何の恥ずかしげもなく観察して、時にかいがいしく制服のネクタイを結んでくれる鈴音は、愁の彼女ではない。
鈴音は今年高校生になったばかりの一年生で、まだまだ幼さの残る雰囲気があるものの、色白でぱっちりした目や、果実のような瑞々しい唇、笑った顔の愛らしさなど文句無しの美少女は、入学当初から随分騒がれていたものだ。
だが、それも生徒会長を務める愁の双子の弟、海藤智(かいどう とも)の彼女であると知るや否や、男どもはあまり騒ぐことはなくなった。
智は、生徒会長という肩書きを持つどころか、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、性格も温厚で優しく、完璧すぎるほど揃った男子生徒だった。
周囲は彼を羨望の眼差しで見つめ、教師からの信頼も厚い、とても17歳の少年とは思えない程落ち着いた雰囲気を持っている。
一方、双子のもう1人、海藤愁は、容姿だけなら親でも時折見紛うほど智とそっくりだったが、性格は極めて粗雑で、思ったことは素直に口に出し、気に入らないことは絶対に受け入れない、何とも分かりやすい性格だった。裏を返せば扱いにくい性格とも言えるだろう。
勉強嫌いな彼は、殆ど机に向かうことはなく、それでも学年順位を50番以内にキープしているのだから、本気を出せば計り知れない可能性を秘めている。
なのに真面目な学生をやらないのは、産まれたときから側にいる智の存在が大きかったのかもしれない。
双子は、鈴音のことをリンと呼んだ。
幼い頃に両親が離婚して、母親に引き取られた鈴音は、母親が仕事に出ている間、家ではいつも1人だった。
一人っ子だったために、それはやむを得ない結果と言えた。
だが、それも彼女の家の隣に海藤家が引っ越してきてからは、2つ年上の双子の少年達が、彼女をことのほか可愛がり、本当の家族のように、兄妹のように過ごした。
しかし、それもある時期を境に、少しばかり事情が変わる事になる。
鈴音が中学2年にあがったばかりの頃、智が彼女に告白したからだった。
彼女は智も愁も同じくらい好きだったが、別に断る理由もなく、首を縦に振り、二人はつきあい始めたのだ。
「愁、またリンに起こしてもらったのか? いい加減1人で起きろよ」
二人が階下に降りると、智は新聞を読みながら朝食を食べていた。
新聞といってもスポーツ欄ではなく、ましてや芸能欄でもない。
彼が読むのは経済欄や政治欄なのだ。
愁はそれを見るたびに、本当に高校生かよ、と密かに心の中で毒づくのだった。
「わかってるよ、昨日寝るのが遅かったから・・・」
智は苦笑しながらコーヒーを飲む。
「女遊びも程々にな、お前いつか刺されるぞ」
「仕方ねぇだろ、やりたい盛りなんだから」
愁のそんな言葉を隣で聞いていた鈴音の動きが止まり、それに気づいた智は咳払いをひとつする。
「そんなこと、母さんに聞かれたら張り倒されるぞ」
「・・・ふん」
幸い母親は、ベランダで洗濯物を干しているため、その会話が彼女の耳に入ることは無かったが、聞いていたら間違いなく張り手の2つや3つは飛んできただろう。
ちなみに父親は単身赴任でこの家にはいない。だが、週末になると彼らの母親は、必ず夫に会いに行くという近所でも有名なおしどり夫婦だ。
智に釘をさされたとおり、愁に近づく女生徒は、大勢いた。
そして、彼はそれらの女性複数と関係を持ち、まるで使い捨ての駒のように次から次へと相手を変えていった。
それでも彼に引き寄せられるように近づく女性は後を絶たず、愁もまるでゲームのようにそれらの交遊をやめることはなかった。
同じ容姿をもつのに、全く中身の違う二人。
愁は、学園の中で完全に問題児だった。
「さて、リン。愁のバカなんてほっといていいからオレ達は学校へ行こう」
「でも・・・」
「リン、ちゃんと待ってろよ。オレを1人にしたら学校に行かないからな」
「・・・う〜」
全く筋違いな台詞を吐く愁。
だが、鈴音はその言葉に心が揺らぎ、
その結果、
「智くん、わたし愁くん待ってるね・・・・・・」
毎朝同じような事を繰り返すこの片割れに、さすがの智も溜息を吐いた。
「リンはお前の彼女じゃないだろう? そう言うワガママを言うな」
「いいんだよ。リンがいいって言ってるんだから」
「いいわけあるか、リンが断らないのをいいことにして。リン、いいんだぞ? 愁の言うことにいちいち振り回されてたら疲れるからな」
「・・・う〜ん、でもやっぱりわたし、愁くん待ってるよ。ホントに学校サボりそうで・・・」
実際、愁の出席日数はかなり厳しいものがある。
このような問答を繰り返して、愁を1人にすると、本当に学校に来ないこともしばしばで、鈴音はそんな彼を放っておくことなど出来なかった。
智は呆れつつ、そんな鈴音の優しさに申し訳ないと思いながら、彼には本日生徒会の用事がある為にいつもより少しだけ早めに出なければならず、仕方なく先に出ることにした。
「リン、愁を頼んだよ」
「うん、いってらっしゃ〜い」
にこにこ微笑む愛らしい鈴音に送られながら、智は軽く手を振り、足早に家を出て行った。
この状況を作った愁は、というと。
あろうことか、のんびりとコーヒーを飲み始め、テレビをつけ、とてもこれから学校へ行く人間とは思えない。
鈴音は慌てて愁の元へ駆け寄り、起きたてで未だにぼぅっとした様子の愁を説得する。
「あ、ダメダメ。愁くん、テレビ見てる場合じゃないよ〜、学校行く準備しよう、ね?」
「・・・ん〜」
「愁く〜ん」
「・・・・・・」
泣きそうな鈴音に後押しされ、数秒悩んだ末に、仕方なく愁はテレビを消した。
そして、パンを口にくわえ、バックを手に持つ。
どうやらそれで完了のようだった。
「・・・ねぇ、愁くん顔洗った? 歯磨きはいつするの?」
「ん〜、まっほおいっっへはは(学校行ってから)」
「ダメッ!! 絶対やらないもんっ!!」
もう一度愁を椅子に座らせ、キチンとパンを食べさせる。
この際顔を洗う順番などどちらでもいい。
鈴音は普段おっとりしているが、愁の側にいるとどうしてもしっかり者に見えてしまう。
彼を見ていると、世話を焼かずにいられないというのが理由らしい。
「あら、リンちゃんおはよう。ごめんねぇ、また愁が迷惑かけちゃって」
「あ、沙耶さん、おはよう〜♪ あん、愁くん、ボロボロこぼしてるっ!」
「・・・朝は弱いんだって〜」
「それと食べ方は関係ないよっ」
「へいへい」
「全く・・・愁はリンちゃんいなかったらどうなっちゃうんだろうねぇ」
「沙耶さん、大丈夫。ちゃんと学校まで一緒に行くからね!」
「本当に助かるわぁ。ほれ、愁!!! あんたもとっとと顔洗って支度しな!」
そう言って愁の母親、沙耶は彼の頭をバコッと叩き、すぐまた部屋から出ていってしまう。何秒もしないうちに掃除機の威勢のいい音が聞こえだすと、愁は大あくびをひとつして、適当に顔を洗った。
「リン、行こうぜ」
「うんっ」
こんな風景が、あまりにも当然のように幼い頃から続いているのだろう、誰も不思議に思わないし、自然に流れていく日常だった。
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