『呪縛』

○最終話○ 静かなる世界(その11)









「姫さまを連れてきたのにも驚いたけど、あの場を任せて大丈夫なのか?」

 別室に移動するなり、乾が若干呆れたように口を開く。


「あぁ、余計な事は言わぬよう釘を刺してある。どのみち懸念するほどの事は起こらないだろう」

 別段気にする様子も無く、多摩はあっさりと答えてみせた。


 確かに初めてクラウザーがやってきた時とは状況が違う。
 だが、仮にも美濃を連れて逃げた相手だ。
 その相手に近づけさせてしまう多摩の思考回路は相変わらず理解出来ないと、心の中で乾は苦笑した。



「そんな事より、戻るのに随分時間がかかったな」


 多摩は静かな眼差しで二人を見据える。

 彼がそう言うのも無理はなかった。
 四日前に多摩達が巽と別れた場所から乾達の居た場所は、それほど離れた場所ではなかったのだ。
 あの日の夕方には宮殿に戻った多摩達の事を考えれば、どんなに遅くとも精々半日程度の遅れで戻って来られる筈のもので、これほど時間がかかるのは不自然だった。


 乾は一瞬迷うような顔を見せたが、直ぐに口を開いた。


「・・・・・・王の墓を建てていた。・・・それと、他にも生存者がいるのか、調べ回ってたんだ。途中で合流した巽と話しているうちに、地下道の存在が浮上したんでな。そんなもの、信憑性のない噂レベルの存在だと思ってたんだが・・・・。まさか本当に見つけちまうとは思わなかったよ・・・・」

「・・・事実、宮殿から続く何本かの地下道の存在が王を生かしていた事は間違いないようです。我々が見つけた地下道には途中小さな部屋がいくつか点在し、備品の他食糧が貯蔵されていました。確認した限りでは他に2体の遺体を発見、しかしどちらもかなり前に亡くなったもので生存者は確認できませんでした」


 乾の台詞に続けるように話す巽の様子から、既に彼にも内容は知るところで、二人でこれらの行動を行っていたということは事実のようだった。




「つまり、王だけが生き残り、皆が死に逝くのを目にしながら狂っていったというわけか」


 そしてまともな思考能力も無くなった王は、ひっそりと地下で変貌を遂げた。
 結果的に残ったのは多摩への憎悪と殺意、ただそれだけの感情が彼を生かし続けていたということになる。
 更には、王が潜んでいた近くに偶然にもクラウザーと乾が現れ、それが多摩の気配を感じさせるものだった為に、今回の事態を引き起こしたのだと・・・


「・・・・弁解の余地もありません。・・・・私の浅はかな行動が神子殿を危険な目に遭わせました」


 巽は深く頭を下げ、悲痛な面持ちで陳謝している。
 後は任せると言われたにも関わらず、王を逃がした自分の行動を悔いているのだろう。

 巽はあの時の己の行動を覚えていた。
 復讐するなら自分に向ければいいと言って、とどめを刺すことなく、残った者を連れて逃げろと言った自分を。

 だが何故そんな行動をとってしまったのか・・・今の巽にはよく分からなかったのだが・・・。



 しかし、多摩にとって最早そのような事を振り返る気など微塵も無いらしい。

 興味無さそうなその顔を見た乾は直ぐにそれを察したようだった。
 こういう場面になると間に入っていく彼を時々目にするが、意外にも空気を読む才能に長けているのかもしれない。


「まぁ・・・この件については、念のため確認を続けるつもりだ」

「・・・そうか」

「で、ここからは・・・・・・クラウザーについてだが・・・」

「・・・あぁ・・・」

「彼は俺が背負って運んでいたんだが、目覚めたのは宮殿に着く少し前の事で・・・その時既に、ここでの記憶は無かった」


 乾にとって、クラウザーの変化は異様だった。

 彼の内部から発せられた別人としか思えない声、異様な力、そして抜け落ちた記憶。
 どれも言葉では言い表せない不気味さを感じるが、一連の流れを見ていた乾には、それら全てに多摩が関わっているとしか思えないのだ。


「あの男の中にはもう一つ意志を持った存在が宿っている」

「・・・・・っ! ・・・・俺には、あれが多摩に似た声だと・・・」

「それは否定しない、あれは俺の内から放たれたものだ。それ故、俺に害を為すような事も無いだろう。だが最早独自の意志で行動する別個の存在だ。要するにあれが手始めに行った行動が、記憶の抹消という事なのだろう」

「・・・多摩の内から・・・放たれた・・・」


 それはつまり。
 多摩の放った赤黒く光った槍・・・やはりあれがクラウザーに変化をもたらした元凶という事だろうか。

 ならば、あれを身体の中に取り込んでしまったクラウザーは・・・


「あれは罰そのもの。身の内から己を喰われ、どれ程抵抗しても侵蝕は止まらない。・・・全てを失くす、その時まで」

「・・・・赦す事は・・・出来ないのか?」

「赦す?」

「だってもう充分だろう・・・?」

「はっ、笑わせるな。簡単に赦されるものを罰と云うものか。大体おまえは俺を万能な何かだとでも思っているのか? 例え元は俺の内にあったものだとしても、あのように巣くってしまったものを相手にすると言うなら、それなりの代償を覚悟しなければならぬものだ。・・・他の誰でも代わりにはなれぬ、俺自身の何かを代償としてな。・・・・・・腕一本か、両足か、・・・それとも心臓か・・・・」

「・・・ッ・・・えっ!?」


 紅い瞳を冷酷に光らせ、多摩は底冷えするような空気を放ちながら低く嗤った。



「・・・俺の心臓の半分は、おまえの黒剣に持って行かれてしまったがな・・・」


「・・・・・・ッッ!!」



 乾は驚愕しながら己の黒剣を手に取り、化け物のように変化を遂げてしまった理由が、彼の血を吸った為だけではない事を知り愕然とした。


 では多摩は・・・またしても・・・・・・






「・・・・・・・俺には・・・・・・当たり前のものがいつも足りぬな・・・」




 静かに呟いた言葉が、乾の胸に突き刺さる。
 彼はこれ以上は何の言葉も出ず、ただ腰に下げた黒剣を強く握りしめる事しか出来なかった。


 そこには自分が触れていいものは何一つ無いように思えたのだ。





 たぶん多摩にとって本当に必要なのは、欠けた心臓などではない。


 どうやっても埋められないそれを、彼は美濃の存在で補おうとしたのかもしれなかった。



 そして、与えられることを知らずに生きた彼との違いを・・・
 善悪の区別すらつかない哀しさを・・・

 美濃はこの先ずっと、身を以て知っていかなければならないのだろう。


 そう思うと、彼女もまた大変な道のりに身を置いた稀有な運命を背負った存在なのだと・・・乾はそう感じずにはいられないのだった。

















▽  ▽  ▽  ▽


 乾達と別れた後、多摩はつい数日前まで正門が存在した場所でひとり佇んでいた。
 やわらかな風をその身に受け、彼は静かな眼差しで天を見上げる。

 穏やかな空模様は、まるで今の彼の心を映す鏡のようだった。



「・・・多摩」


 後ろから声を掛けられ、多摩は静かに振り返る。
 かさついた土を踏む音と共に、美濃が此方へ向かって歩いてくるところだった。

 更にその後方には伊予の姿があり、彼女は多摩の視線に気づくと小さく頭を下げて微笑み、宮殿の中へと戻っていった。


「迎えに来るって言ったのに・・・」

「・・・あぁ、もう行くつもりだった」


 そう言って彼は美濃の手を取り身体を引き寄せる。


「・・・・・・身体・・・冷たくなってるよ・・・」

「・・・そうか」


 美濃は多摩の腰に抱きつき、彼を見上げた。
 何かもの言いたげな彼女の表情に、多摩は僅かに目を細める。


「・・・何だ」

「・・・・・・・分からない事がいっぱい」

「あぁ・・・」


 納得したように多摩は頷き、長身を屈めながら彼女のつむじに唇を押しつけた。

 誰ひとり生き残った者などいないと信じ込ませ、拠り所になるようなものを全て摘み取って、ひたすら自分の存在だけを彼女に刻み込んできた。
 巽のこと、乾のこと、クラウザーのこと、それから伊予のことも全て彼女には突然のことでしかない。


 だが、多摩は彼女に知られた時点で、言葉を濁す気など全くなかった。
 知りたいと言うのであれば、例え彼女の父の最期ですら、包み隠さず全てを明らかにしても構わないと思っていた。


 美濃は瞳を揺らしながら多摩を見上げ、腰に回していた両手で彼の頬に触れる。



「・・・でも、一番知りたいのは・・・・・・多摩の事だよ」



 多摩は目を見開く。
 そして、自分の頬に触れる小さな手に触れ、言い聞かせるようにやわらかく握りしめた。


「・・・・・・俺の世界にはおまえしかいない。・・・それだけだ」

「・・・もっと・・・もっとだよ・・・・・・、私の知らない昔の事や、今まで多摩がどうやって生きてきたのか・・・・・・小さなことでもいい・・・ちゃんと知りたいよ」

「・・・・・・・・」


 彼は困ったように眉を寄せ、考え込むように沈黙した。
 美濃は一体何を知りたいのか、過去を聞いたら何だというのか・・・彼にはよく分からないのだ。


 今まで・・・どうやって生きてきたのか・・・・・・


 そう言われてもあまりに遠い昔の事で、自分には何の思い入れもないものをどう話せばいいのか・・・。



「神子としての役目を果たす時に外に出るだけで、ずっと白い部屋で何をするでもなく過ごしていた・・・それだけだ」

「・・・それはひとりだったの? さみしくなかった?」

「そんな事は思いつきもしなかった。・・・・・・俺の過去など、話して聞かせるような面白いものは何もないぞ、おまえは変な事を考えつくな」

「変なことじゃ無いもん」


 不服そうに口を尖らせる美濃の顔を見て多摩が笑みを零す。
 風が冷たくなってきたのを感じて、宮殿に戻るつもりで彼女の身体を抱き上げ、小さく息を吐く。


「・・・まぁいい。好きなだけ聞け。・・・だが結局行き着く答えは同じだ」

「・・・・・・」

「だから・・・おまえは俺の手が届くところにいろ。・・・あまり遠くへ行くな・・・」




 ───この腕の中に自らの意志で美濃が戻ってくる・・・

 たったそれだけの事が多摩には手の届かない、遠いものだった。


 だから、彼女の世界をほんの少し広げてやるかわりに、彼はそんなささやかな事を望むのだ。
 手の中からすり抜けていこうとする美濃をどうやって引き戻せばいいのか分からずにいた彼が、縛り付けるだけの関係とは違うものを手に入れたいと・・・。


 激しい想いが無くなったわけではない、狂おしい気持ちが消えたわけでもない。

 今この瞬間さえ、彼女に触れているだけで胸が熱くなるのだ・・・・・・無茶苦茶に抱いてしまいたいという衝動はいつだってこの胸の内にある。


 だからこれからもずっと、美濃の存在ひとつで彼の感情は簡単に翻弄され続けるに違いない。






「・・・側にいる・・・・・・ずっとここにいるよ・・・」



 抱き上げる多摩の首に腕を回し、一途な眼差しで涙を浮かべながら囁かれた言葉に、多摩は一瞬息を呑み、瞳を揺らした。

 そんな様子を見て、美濃は少しでも彼に届くようにと祈りながら、彼の唇に自分のそれを押しつける。




「・・・・・・・・・全部、夢なんかじゃないよ。・・・・・・夢で終わらないよ・・・」


「・・・あぁ・・・・・・」


 吐息を漏らすかのように頷いた多摩の姿を見て、美濃は胸が苦しくなった。

 風に揺れる黒髪が陽の光で輝きを増し、白い肌を引き立たせる深紅の瞳が煌めいて、切ないくらいに綺麗だと思ったのだ。
 その姿はこれからも誰の目をも惹きつけ魅了しつづけるに違いない。
 彼はそういう存在なのだ。




「・・・・・・美濃・・・・・・もう一度・・・・・・」



 多摩は甘く強請り、静かに目を閉じた。

 そして、彼の想いに応えるように口づけ、美濃はゆっくりとその耳元に小さく囁きかける。




 奪うだけではないのだと、彼にも分かり始めているのだ。



 だから美濃は彼に囁き続ける。
 多摩の中にも同じものが存在しているのだという思いを込めて・・・




 愛しい、愛しい。




 それは、目の前にあるものだと言うことを───






2010.7.3 了
あとがき


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