『呪縛』

○最終話○ 静かなる世界(その2)







「・・・・・・・・・多摩ーーーッ!!!!!」


 乾は胸の中に沸き起こる予感を払拭するため、絶叫にも似た声で多摩の名を叫んだ。

 クラウザーが何を目的として現れたのか・・・
 今この瞬間を狙って現れた意味などひとつしか無い。



 ───ウオオオォオオン



「・・・・・・ッ!!?」


 瞬間、巽と乾は唸り声のような音が一瞬で空気を引き裂いたのを見たような気がした。


 周囲の空気が変わる。
 多摩の両手は振り下ろそうとしたまま時間が止まったかのように微動だにもしない。


 その代わり・・・・・・


 白い装束が鮮血に染まっていくのだけは誰の目にも明らかだった。




「・・・なっ・・・何であれが・・・、・・・・・・ッ!!!」


 乾は目を見開き、自分の腰元にあるはずの“それ”を信じられない思いで見つめた。

 『黒剣』が・・・・・・・多摩の身体を貫いているのだ。
 貫いても尚、標的を喰らい尽くそうと云わんばかりに唸り声をあげながら。

 見間違える訳がない。
 あれは、あれは・・・・・・多摩が乾の為に与えたもの。

 何故それが他人の手に渡り、よりによって多摩を傷つける道具となっているのか。


 乾は我が目を疑い、腰元に回した自分の手があるはずのものを捉えない事に愕然とし、崩れ落ちてしまいそうな程の衝撃に頭の中が真っ白になった。


「・・・・・・あれは・・・乾の・・・!?」


 どうやら巽もクラウザーが持つ黒剣が乾のものだと気がついたらしく、困惑した様子で食い入るように見ている。
 そして声も発することが出来ないほど狼狽した乾の腰元を見て、鞘だけがぶら下がり、そこに収まっているはずの刀身が無い事を知ると苦々しい思いで眉を顰めた。


 どういうことだ・・・一体いつ奪った・・・?
 いや、空から突然現れたことを考えれば時間も場所も関係ないのかもしれない。
 同様の力を駆使すれば他人のものを気づかれずに奪うくらい造作もないということか・・・もしかしたら美濃さまも同様の手で・・・?


 だがあの黒剣・・・常ならば剣を振り下ろす事で乾の内在するエネルギーを外へ放出することで爆発を引き起こす。
 昔から豪快な攻撃が好きな乾は、あのように刺し貫く事を目的に剣を使用する事は無いが、この場合は単純に斬られただけで済むものなのか・・・そもそも乾以外の誰かが剣を振るってもあの黒剣は同様の性格を持つのか・・・。




「・・・ッ、・・・・・ぅ・・・・ぐッ・・・・・・、がは・・・・・ッ」


 多摩は唸り声をあげ続ける黒剣に胸を刺し貫かれながら、身体の内で逆流した血液を大量に吐き出した。

 ビシャ、という不快な音と共に多摩の血液が目の前に立つクラウザーの頬を紅く濡らし、眉をひそめたクラウザーは鋭い眼光をそのままに黒剣を握る手に力を込める。


「不意打ちだろうと卑怯な手段だろうと、貴方を止める為なら何と云われても構わない!」


 そう叫ぶと大きく踏み込んで飛び上がり、彼はその勢いのままに多摩と多摩を貫く黒剣ごと宮殿の外壁に突き刺した。

 黒剣が更に唸りをあげる。
 命までもを喰らい尽くそうと、貫いた中心から彼の全てを蝕む為に牙を剥いているかのように。


 白い装束が風に揺れながら朱に染まり、吐き出した血液が口元を濡らし、自らが創り出した剣で串刺しにされ───




「・・・くっくっく・・・・・・ッ」



 吹き荒れる風に髪を乱し、多摩は喉の奥で嗤った。



「・・・おもしろいな、おまえ・・・・・・」


 血で真っ赤に濡らした唇を歪ませ、多摩はニィ、と笑みを作る。
 クラウザーは不気味そうに顔を顰めた。



「そうやってあの子を俺から掠め取ったのか」


 狂気を孕んだ紅い瞳が真っ直ぐにクラウザーを射抜く。
 身動きひとつするだけで黒剣が身体を引き裂くであろうこの状況は、誰の目にも多摩の劣勢と映るに違いないのに、どうしてその眼は圧倒的な力強さを持ち続けているのか。

 このまま彼の眼を見ていたらその勢いに呑まれてしまう・・・
 そう感じたクラウザーは間合いを取ろうと一歩後ろへ下がろうとした。

 だが・・・


「・・・・・・ッ!」


 多摩の右手にいつの間にか握られた赤黒い光を帯びた槍がクラウザーを一瞬で震え上がらせた。
 それは寒気のするような異様な空気を纏い、今にも襲いかかって来そうな恐怖を生む。


 ───アレは何だ・・・・・・


 瞬時にその危険性を感じ取ったクラウザーは、一刻でも早くこの場から離れなければいけないと本能が警告するのを感じた。
 元々多摩の動きを止める為だけにこの場にやってきたのだ、命を取る事など端から不可能と分かっている。
 目的は充分に果たしたと言っていい。

 クラウザーはその赤黒い光を帯びた槍を自分に向けられる前に彼の前から消える事が目先の最優先事項と考え、一歩後ろへ下がると同時に再び大きく歪み始めた空の中へと飛び込んでいく。

 多摩は口角を持ち上げて不気味に嗤いながら、その槍をクラウザー目掛けて放った。


「憶えておけ、あれは俺のものだ。この命が尽きぬ限り求め続けるものだ。奪おうなど愚かな考えだったと身を以て知るがいい」


 槍は周囲の空気を巻き込みながら、今にも歪みの中に消えそうなクラウザーの身体に突き刺さる。


 いや、突き刺さったかのように見えたが・・・


 実際はクラウザーが消えたのが先か、槍が彼の身体を貫いたのが先か・・・端から見ていているだけでは判断はつかず、少なくともそれら全てが歪みに呑み込まれていったと言うことだけは確かだった。



 一体何が起こったのか・・・


 あまりに全てが一瞬で始まり一瞬で終わって、乾も巽も呆然とするばかりだった。
 だがその時、雷鳴と共に光が地面を貫き、その強い衝撃で我に返った二人は黒剣に身体を貫かれながら壁に縫いつけられたままの多摩の元に駆け寄った。


「・・・うッ・・・!」


 そして多摩の姿を正面から見た瞬間、二人は途轍もない戦慄を覚えた。

 黒剣は白い装束を焼き焦がし、貫いた周辺から多摩の肉を溶かしていたのだ。
 それでもまだ多摩を喰らい尽くそうと、黒剣は唸り声をあげながらじわじわと傷口を拡げ続け・・・


「乾ッ、早く神子殿から剣を抜けッ!!!」


 巽は叫び、乾は顔を強ばらせながら黒剣の柄を両手で握る。
 恐ろしい程の力が黒剣に流れ込んでいくのを肌で感じた乾は肝を冷やしながら剣を引き抜く。



 ───ウオオオオオオオオオオオオンンッッッ



 まるで多摩の身体から離れるのを拒絶するかのように黒剣が絶叫する。
 乾は負けてなるものかと有らん限りの力を振り絞った。



「・・・・・・ぐぅっ・・・・・・このおっ、・・・・・言うこと聞けーーーーッ!!!!!」



 怒りにも似た気持ちで乾は叫んだ。
 と同時に黒剣は壁をえぐり取りながら遂に引き抜かれ、乾は勢いのまま後方に吹っ飛んで倒れ込んだ。


「はぁっ、はっ、はぁっ、クソ、他のヤツの手で力を奮って喜びやがって・・・ッ」


 地面に転がりながら息を荒げた乾は、未だに唸り声をあげて暴れだそうとする己の剣を力でねじ伏せるように腰元にぶら下がった鞘へと閉じこめた。
 途端に唸り声は止み、乾は荒い息づかいのまま上体を起き上がらせて一緒に吹き飛んだであろう多摩の姿を慌てて探した。

 多摩は乾から数メートル離れたところに飛ばされ、既に巽が彼の身体を抱き起こしている。
 朱に染まった白い装束と、肉を焼いたような異臭が立ちこめて、それらが決して多摩の無事を伝えるものではないのだと突きつけているかのようだった。


「神子殿、神子殿ッ! おい乾、神子殿を中に運ぶ。伊予に伝えて治療の準備を・・・ッ!」

「・・・あ、あぁ、わかった!!」


 治療と言っても一体どれ程の事が出来るというのか・・・そんな事は考えもつかないが、今は兎に角出来ることをやらなければならない。
 乾は立ち上がり宮殿に戻ろうと駆けだした。



 ───だが、


「・・・・必要無い」


 低い抑揚の無い声が響く。
 この嵐の中でも、その声は二人の耳にもはっきりと届いた。


「・・・神子殿・・・?」


 巽は腕の中で静かに笑みを浮かべる多摩を信じられない思いで見つめた。
 意識が有るだけでも奇蹟としか考えられない状況でどうして平然と嗤っていられるのか・・・

 多摩はそんな巽の腕を振り払い、自らの足で立ち上がった。


「・・・・・・ぐ・・・、がふッ・・・・・・ぅ・・・はぁっ、はぁ」


 再び逆流した血液に咽せた多摩は吐血し、苦しそうに息を荒げた。


「神子殿ッ、無茶をされてはなりません」


 だが、そう言って手を貸そうとした巽の手は再び振り払われた。
 多摩は紅い目を獰猛に光らせ、これ以上触れることを拒絶しているかのようだった。



「・・・・・・・・・行け」


 ひと言・・・彼は命令した。


 乾も巽も訳が分からず反応ひとつ返せずにいると、多摩は口を濡らす己の血液を荒々しく袖口で脱ぐい、地を這うような声ではっきりと命じた。


「森へ入ってあの男を追いかけろ、まだそう遠くには行っていない、おまえ達なら直ぐに追いつくだろう。・・・そして“必ず見つけられる”はずだ」


「「・・・・・・ッ!!」」


 森・・・、逃げるなら確かに森の中かもしれない。
 だがその言葉の中に含まれる確信めいた言い方が妙に引っ掛かる。
 必ず見つけられる・・・? どこに消えたか分からない相手を、どうやって見つければ良いのかも分からないというのに何故断言できるのか。

 それに・・・・・・自分達が追いかけて彼らを見つけてしまえば、自ずと美濃にも出くわすと言うことで・・・幼い頃から一途に恋心を寄せていた彼女が巽に再会すると言うことが何を意味するのか、多摩が誰よりも分かっているはずだ。

 分かっていて追いかけることを自分達に命ずると言うことは・・・
 多摩自身にそれを成し遂げる余力が無いということではないのだろうか・・・。

 この嵐が神子の里で見たような風の壁で周囲を包囲する為に起こしたとするなら、一向に嵐以上のものに変化しないのは・・・・・


「・・・・・神子殿、しかしその傷は一刻も早く手当をしなければ・・・」

「ふん、この程度の傷など少し休めば塞がる。・・・直ぐにおまえたちに追いついてやる。それまで足止めをしておけ」


 多摩は何でもないことのように言っているが、とても鵜呑みには出来ない傷を前に、二人の表情は固く強ばったままだ。
 それでもこれ以上何を言っても聞き入れそうにない雰囲気に、乾は唇を固くひき結んで多摩の側へ歩み寄る。


「・・・・・・・・その言葉、信じて良いのか」

「・・・当然だ」

「・・・・・・・・・・・・多摩が決着つける・・・そう言うことだよな?」

「そうだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 対峙して初めて分かるその凄惨な傷口に言いようもない不安を抱きながらも、断言する彼の言葉を否定することは出来ず、乾は長い沈黙の末、自分を無理矢理納得させるために頷いたのだった。


「・・・・・・行くぞ、巽」

「しかし・・・」


 だが乾のようにはどうしても頷くことが出来ない巽は促されても足を踏み出すことが出来ない。
 ここで主を置いて行くなど彼には考えられない事だったからだ。


 だが、


「・・・・・・巽、行け。命令だ」


 多摩にピシャリと言われ、弾かれたように顔を上げた。
 真っ直ぐに射抜く紅い瞳はいつも通り相手を呑み込む強さを持っている・・・それだけが唯一の救いではあったが安心できる材料とは言えない。
 巽は多摩の側を離れることに不安を拭えなかったが、命令と言われてこれ以上食い下がる事は出来ず、彼もまた乾同様納得出来ない思いを押し殺すかのように、静かにその場に跪いたのだった。


「・・・───畏まりました」

「・・・・・・あぁ」


 短い返事に巽は目を閉じて深く頭を下げると、もう何も言わず乾と共に走り去った。
 跪かれることに慣れない多摩は『大仰な男だ・・・』とひとり呟き、彼らの後ろ姿を静かに見送る。

 そして嵐が吹き荒れる中、宮殿の前に佇んでいた彼は何度か咳をして、その度に吐き出される血液に咽せながら壁に凭れて荒い息を吐き出した。


「・・・・・・・・・げほっ・・・げほ、ごぼ・・・ッ・・・・・・はぁっ、はぁっ、・・・はぁっ、・・・・・・はぁっ・・・・・・」


 多摩は貫かれた胸に触れ、その傷が塞がるどころか己の肉を今も尚ジワジワと溶かしているのを指に感じて浅く嗤った。
 痛みには耐性があると思っていたが、流石に生きたまま身体が溶けるような経験は無く、またその傷は心臓を半分剔り取って、そこから絶え間なく血液が噴き出て止まらない。

 目の前が霞み、咽せる事で僅かに現実に引き戻される・・・その繰り返しだった。

 それでも彼の頭の中を占めるのは痛みによる苦しみではなく、美濃への強い思念だけだった。
 荒い息のまま、つい先刻まで自分の腕の中にいた彼女を思い、無言で手を伸ばす。



「・・・・・・───美濃・・・・・・美濃・・・・・・・・・・・・、・・・・・・」



 だが、伸ばした手は虚しく彷徨うだけで何も捉えることはない。
 多摩は手を伸ばし曖昧になる意識の中で、尚も彼女を求め続けた。


 美濃・・・美濃・・・・・・狂おしい・・・
 求めても求めても届かない。全く自由にならない。

 おまえを欲しがる俺の腕を、どうしてすり抜けようとする。


 おまえは何故俺から離れようとするのだ。



 唯一の望みが、どうして遠ざかる───






「・・・・・美濃・・・・・・、・・・・美・・・・・・、・・・・・・」




 多摩は何度か彼女の名を呟き・・・・・・遂にその場に崩れ落ちたのだった。












その3へつづく


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