『呪縛』

○第3話○ 乾と巽(その1)









 それは多摩と美濃が同じベッドで深い眠りに落ち、数時間は経過したであろう、ある夜の出来事だった。



 今まで寝ていたとは思えないほど鋭い眼差しで多摩の瞳が不意に開かれ、彼はそのまま身を起こして突然ベッドから降りたったのである。


「・・・・・・・・・」


 彼はいつも無表情でいることが多いが、この時の表情は暫く一点を見つめたまま微動だにもせず、幾分険しいようにも見えた。

 少しして・・・
 多摩は何かを窺うかのように視線だけを部屋のドアの向こうへと移す。



 美濃と離れることは許されない。
 彼はそれを充分わかっていたはずだった。

 だが、その場に留まっていたのはほんの束の間のことで、ゆっくりとドアの方へ歩き出し、彼は部屋から出ていってしまった。




 広く長い廊下を裸足でヒタヒタと歩いたのはほんの僅かな間だけ。
 彼はある部屋の前でピタリと立ち止まり、眉を寄せた。

 心持ち首を傾げたようにも見える動作は、恐らく今の多摩の心中の全てを語っている。
 どうやら多摩の頭の中では、色々な考えが巡っているようだ。


 カシャンッ

 ドアに掛かった鍵はあっさりと彼の“力”によって解放された。
 そして静かにドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開けて前に進む。




『・・・・・・っ・・・・・・、・・・』



 かすかな声が彼の耳に届く。


 部屋の奥で誰かが会話しているようだった。
 それだけなら彼も興味を失って引き返したのだろうが、どうも何かが気になるようだ。
 多摩は更に足を前に進め、会話の聞こえる方向へと尚も向かっていった。







「・・・・・・っ、ぁ・・・ん・・・・・・もぅ・・・だめぇ・・・っ」


 粘着質な水音と激しく何かがぶつかり合う音が響き渡る。
 それに加え、息の乱れた女が苦しげに喘ぐ声と・・・


「・・・っはっ、・・・っ、まだ早いだろ!」


 男の声。


 多摩は更に眉を寄せて歩を進める。






 彼の目に飛び込んできたのは、裸で激しく絡み合っている男女二人の痴態だった。




「あっ、あっ、あああっ」

 男が女に向かって幾度も腰を打ち付けている。
 その度に女の身体は弓なりにしなって、言葉にならない声を発していた。



 と、

 男が不意に顔をあげた。
 直ぐ側に立ち、自分たちの行為を感情のない目で見ている多摩と目が合う。

 男は驚きの表情を浮かべたものの、それは一瞬のことだった。
 直ぐにニッと不適な笑いを浮かべ・・・


「お前も混ざりたいのか?」

「・・・・・・・・・いや」

「じゃあ、何の用だ」

「寝ていたらおまえ達の声が聞こえた」


 肌のぶつかる音と、卑猥な水音。
 その行為が行われている場面に足を踏み入れたのにも関わらず、平然とした態度。
 男は面白そうに笑うと更に腰の動きを早め、多摩に向かって挑発的な笑みを浮かべた。



「あんっ、あああぁっ、あああああああっっ!!!」


 多摩の存在に気づくこともないくらい夢中になっている女は嬌声をあげ続けている。


「・・・っ、イけよ!」
「あああぁああああああっ!!!!」


 男の動きがより激しくなった時、女は髪を振り乱し、身体が断続的に痙攣し、程なくして気を失った。
 少しして男も小さく呻き、何度か腰を打ち付けた後、女の身体の上にドッと倒れ込んだ。



 ───その間、多摩は黙ってその様子を見ているだけだった。


 荒い息づかいが聞こえるだけの部屋。
 ややして落ち着いた男が顔をあげ、気怠そうな顔で多摩を見上げる。


「お前、名前は?」
「・・・多摩」
「・・・多摩? どっかで聞いたような・・・、まぁいいか。俺は乾(いぬい)、どうやって入ってきた? お前面白い奴だなぁ」
「・・・?」
「人のセックスをそんな顔して見る奴なんてそうそういないだろ」
「・・・・そうか・・・」
「そうだろ」

 多摩はそれきり押し黙り、ぐったりした女に目を移した。
 眉を寄せてしばし考え込む。


「乾」
「・・・(いきなり呼び捨てかよ)なんだ?」



「その女はどうしたのだ?」

「は? なにが?」

「痙攣して失神した、病気か?」


「・・・・・・・・・」



 乾と名乗った男は絶句し、口をあんぐりと間抜けに開いて多摩の顔を凝視する。
 どう見ても冗談を言っているわけでもないし、とぼけているわけでもないと、・・・乾には思えた。


「お前、セックスを知らないのか?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 黙り込む多摩を見て、『コイツマジかよ!?』と口を引きつらせた。

「おいおいおいおい〜っ、今俺達がヤッてた事を見て何かしら思わなかったのか? こうムラムラしてきたとか、一部分が硬くなったとか、何かあるだろ?」

「・・・・・・あぁ」

「なんだよっ、あるんじゃねぇのっそうだよなぁ、男なんだから普通にそれくらいは」

「男女の性器は繋げることが出来たんだな」

「はぁ〜〜〜!?」



 今の行為を見ていて、多摩から出てきた感想はこれだけだった。

 実は彼には性行為に関する知識を一切与えられておらず、それが子供をつくる行為だという事は勿論、男女の睦みごとを問われても答えられる筈もなく、激しく腰を振りたくる訳も、女が喘ぐ理由も理解できなかった。
 そして、裸の男女がもつれ合っているのを目の当たりにしたからと言って、彼の中では何の変化も生まれなかったのだ。


 しかし、乾の方は多摩の感想にがっかりして肩を落としてしまう。
 たったそれだけ・・・? と。

 だが、彼は立ち直りが早い性格らしく、何か名案を思いついたように顔を輝かせた。


「そ〜かそ〜か、わかったぞ。お前もヤッてみればいいんだよっ、そうすりゃ全部納得するからよっ! 女はい〜ぞ、やわらかくていい匂いで気持ちよくて!! 俺がイチから全部教えて」

「・・・いらない」


 実に素っ気なく感情も抑揚もない声で一蹴され、またも乾は撃沈した。


「じ、じゃあさ・・・お前・・・・・好きな女とかは? 好きな女だったらムラムラくるだろ? もしかして・・・ホモ・・・」

「・・・なんだそれは」

「あ〜〜っ、それも知らないのかよ。男が男を好きになるってヤツだよ」

「そういう趣味はない」

「だったら」

「くだらん。乾の言う“むらむら”がどういうものかは知らぬが、欲しいと思うなら何であろうと自分のものにすればいいだろう。この世には支配する側とされる側しか存在しないんだからな」

「・・・・・・・・・」


 これは・・・恐らく裏も表もなく言葉のままなのだろう。
 だがその裏表のない言葉には、“自分は支配する側”という意識がありありと見える。

 こんな事を平然と言える多摩に得体の知れない不気味な影を感じた乾は、背筋がゾクリと粟立つのを感じた。


「ハイ、一つ質問」

「なんだ」

「例えばさ〜、多摩の言うところの“支配される側”ってのが逆らったら?」


 ちょっとした興味本位からくる質問だったが、この多摩という少年はもしかすると面白い答えを出すのではないかと思えた。

 同じような日々の繰り返しは刺激が足りない。
 そうなると刺激が欲しくなるというのが道理というもの。

 乾はジッとしているのが性に合わない質の男だった。
 女無しの人生なんて考えられないが、女に縛られるなどもっと考えられない。
 彼はもっと強烈に自分を刺激する『何か』を求めていた。
 それが何なのかは皆目見当がつかないが・・・


「そうだな」


 多摩は少し考えるように顎に手を置き押し黙る。
 次の瞬間、無表情な彼の顔が笑みを浮かべた。



「教え込めばいい、絶対服従しか道はない、とな」



 多摩はあっさりと、そんな言葉を口にした。



 ・・・おもしろい。



「そうか、多摩は何を支配したいんだ? 国か? それとも・・・」
「いや、この世界は興味をひくものが少なすぎる・・・・・・あぁ、だが、一つだけ。ただ“アレ”をどうしたいのか、よく分からない・・・」

 多摩が“アレ”と指したもの。
 それに興味がわく。
 顔に出ていたのだろうか、多摩が乾を見て薄く笑った。


「部屋に戻る」

「えぇっ、教えてくれないのかよ!?」

「単独行動は禁じられている身だからな。“アレ”が眼を覚まして俺がいなかったら色々怒り出すに違いない」


 それだけ言い残すと多摩は足早に部屋を出ていった。
 乾は真っ裸のままだったが慌てて多摩を追い、部屋を出る。

 だが、そこには長い廊下が続くだけで、気配も何もなく足音さえもない、ただ静まりかえった夜の闇があるだけだった。










その2へつづく


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2005 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.