『呪縛』

○第5話○ 支配者の宴(その1)








 乾は館に戻るなり、多摩と二人きりになるために彼の寝室に押し入った。
 女達は所詮里の者だ。
 身体の関係があろうが捧げられていようが、警戒心を持たずにいられる程馴れ合っているつもりは乾には欠片もない。
 敢えて多摩の寝室にしたのも、二人の会話が筒抜けにならない場所と言ったら最早ここしかないような気がしたからだ。


 乾は老婆との会話を詳細に伝えた。

「そうか・・・」

 一通り話し終わると、多摩はそれだけ言って頷く。

「で・・・どう思った?」
「・・・?」
「多摩に両親がいたってこととか・・・自分自身のこととか・・・」

 こんな話、多くの者は衝撃をもって動揺するに違いない。
 だがこれは多摩の話なのだ。
 通常の者が動揺したとしても、彼なら感想を持つことすらあやしいものだった。


「・・・どうとも思わぬな」

「・・・・・・」


 やはりそれだけか・・・、と分かっていても溜息を漏らす。
 親がいると言われたところで、それがどんなものかも知らない多摩にとって、だからどうしたと、そんなものはどうでもいいと言える存在でしかないのだろう。
 彼自身の事にしたって、答えようが無いと言われればそれまでだ。

 感傷に耽っているのはむしろ俺の方か・・・


 乾が俯き表情に翳りを見せると、多摩は僅かに眉を寄せた。
 そして、何かを感じ取ったのか、訝しげに見つめながら静かに口を開く。


「乾・・・おまえは何か考え違いをしていないか?」

「え?」
「俺はここに閉じこめられていた訳ではない、閉じこめられてやったのだ。おまえは随分こだわっているようだが、屋敷の中を白く染められても俺はそのようなもので染まりはしない。同時に神子として生きる事を強制されようが、俺が俺であることに変わりはない」
「・・・・・・多摩」
「生まれて直ぐに捨てられたからと言ってそれが何だというのだ? 俺は生きている。生かされてきたのではない、俺の意思で生きてきたのだ」


 ───本当に・・・彼は自分よりもずっと年下の少年なのだろうか。

 自分の境遇を知らされても尚、これ程揺るがずにいられる強さはどこから来るものだろう。
 外の世界を何も知らないからか?
 それとも、・・・独りだったからか?


「これでやるべき事が一つに絞られた。実に単純な事だ」
「・・・あぁ、そうだな。まかせてくれ」
「いや、俺が行く」
「おいおいっ、それは危険すぎる」

 これには流石に慌てて押しとどめる。
 確かに場所は突き止めたが、ここからが問題なのだ。

 まず、神子の館のどこに目的のものがあるのか。
 そして、そこに住む神子の目をどうやってかいくぐれば良いのか。
 今まで見てきたこの里の者達が相手なら、強行突破で蹴散らすことも出来たかも知れないが、相手は多摩と同じ神子だ。どんな手で応戦してくるのか見当もつかない。

 難しい顔をして考え込む乾を横目に、多摩は静かに強く言い放った。


「俺のものだ、俺が手に入れなくてどうする」

「・・・っ」


 ハッとした。

 己の思考に舌打ちをしたくなる・・・
 危険だからとか、そんな理由で臆する男ではなかったのは分かっていた筈なのに。
 欲しいものは彼自身に手に入れさせなければ意味がない。ここから始まるのだ。


「・・・あぁ、・・・そうだったな」


 乾は納得し、重く頷く。

 それを確認したと同時に多摩は立ち上がり、突然部屋から出ていった。
 どうしたのかと後を追うように乾も部屋を出ると、既に屋敷を出ようとしている多摩の後ろ姿を捉えて急いで彼も続く。

 多摩は屋敷の外で立ち止まり、穏やかな里の風景を感情の籠もらぬ目で見つめていた。
 何を考えているのだろう・・・と思いながら乾も同じように里を眺める。


「・・・しっかし、見事に似たような建物ばかりだなぁ・・・神子の館って言っても特別変わった建物は見あたらないし」


 思わず苦笑し、多摩の横顔を見やる。
 彼は真っ直ぐ前を見つめたまま、僅かに目を細めて静かに口を開いた。



「行くぞ」


「えっ、今!? だって多摩っ、場所は」


 慌てる乾に彼は一言、


「俺は神子を一人知っている」


 予想だにしない答えを返した。


「何だって!?」

「驚くことか? 俺は知らないとは言っていない」

「・・・・・・あ?」


 混乱する頭の中でこれまでの会話を思いだしていく。
 やがて乾の額から汗がポタリと流れ落ちた。


 ・・・・・・確かに・・・そうだったかもしれない。

 神子が3人いると多摩は言った。
 だが、乾はそれを聞いただけで、多摩自身の境遇に驚くばかりにそれ以上は聞かなかったのだ。


 うわぁ〜・・・、もう・・・
 ・・・驚かない事なんて無いよな。




「その男の気配を辿る。着いてこい」

「あ、・・・あぁ」


 さぁっと風が吹き抜けた。

 前を行く多摩の背中が、自分よりもずっと華奢な身体が、夕暮れに染まる。
 最早時間を置く、という気持ちは多摩には微塵も持ち合わせていないのだ。


 そうか・・・そうだよな、・・・多摩。
 一刻も早く取り戻したいと思っているのは、多摩の方だよな。


 迷い無く進む姿に着いて行かない者がいるとしたら、それは単なる臆病者だと思った。
 乾はニヤリと笑い、後は何も言わず着いていく。




 この時刻、外に出ている者は殆どいなかった。
 だが、時折見かける者は二人の姿を見て驚き慌てて頭を下げるが、通り過ぎた後、向かう方向を見て訝しげに眉を寄せる。
 きっとこの事が里中に知れ渡るのも時間の問題だろう。

 だからこれは、たった一度のチャンスなのだ。






「乾、一つ言っておく」

 暫く無言で歩いていると、ふと、多摩が思いだしたように口を開いた。

「あぁ、なんだ?」
「俺には欲しいものがある。出来た、と言うべきか」
「本当かっ!?」
「それを手に入れるには里を出る必要がある。つまり、こればかりはおまえの言うとおりだったというわけだ。奪われたものを取り戻さなければ俺はここから動けない。これが自由ではないと言うことなのだろう?」
「・・・そう、そうだよっ」

 多摩の台詞に乾は何度も頷いた。

 里に来てから約9ヶ月の間、感情をぶつけるのは乾ばかりで多摩からはあまり返ってこなかった。
 もしかしたら今までは明確な欲求が無かったから不自由に思わなかっただけかもしれないが、彼の心が今の自分を不自由だと思ったならその瞬間から現状がどれ程煩わしいものか見えてくるはずだ。
 まさか彼の口からそう言う言葉を聞けるとは思わず、妙に感動してしまう。


「知りもしない女を抱いて子を成す事が神子の役目ならば、俺は神子をやめる。もう誰の神託もやらぬ」
「それが・・・多摩の意思なんだな」
「意思・・・あぁ、そうだ」
「ならばそれを貫けばいい。取り戻せば全部多摩の思い通りだ!」
「あぁ」


 乾の言葉に多摩が素直に頷く。
 たったそれだけのことなのに、今まで自分が語りかけていた事に対する答えだと思うと胸が詰まる。




 それから少しの後、
 二人はある館の前に静かに立っていた。

 ここがもう一つの神子の館だなどと説明されるまでもなく、乾は何も言わずただ頷く。

 多摩の瞳がより一層紅く瞬き、口の中で何かを呟いた瞬間扉が開いた。
 ノックして相手の反応を待つ気は更々ないらしい。
 ゆっくりと前へ進み、中へ足を踏み入れ、直ぐ後に乾も続く。

 家の中は何もなく殺風景でまるで空き家のようだ。


 だが、ぐるりと見回した所で、2階へと続く螺旋階段に人影が見え、この家に誰かが居ることを知った。



「勝手に入ってくるなんて随分礼儀知らずだ」



 低い声が上から降ってくる。
 家の中が薄暗いので顔がよく見えないが、白い着物に長い黒髪の男であると判断出来る。
 しかし白を纏っていることから神子に違いないと思った。

 その者はゆっくりと階段を降り、二人の前で立ち止まると呆れたように笑みを零した。


「久しぶりだね、多摩」

「・・・・・・」


 乾は驚いて目を見張った。
 この里に来て初めて“多摩みたいなヤツ”と言える人物に出会ったからだ。

 それだけではない。
 顔形や骨格、雰囲気がとてもよく似ていて、説明されるまでもなく彼と多摩が血縁関係にあることは直ぐに分かった。
 加えて乾はこの男を見たことがある気がして、それがいつのことだったかをぐるぐると頭をフル回転させ、やがてハッとした。


「・・・・・・そぅ・・・か、宮殿に多摩が来たとき付き添っていた・・・・・・あの男か・・・」


 そうだ。
 あの時も似ていると思ったのだ。
 男だったから直ぐに興味が失せて記憶の隅に追いやられてしまっただけで。
 そう言えば誰かがこの男も神子だと言っていたような気がする。
 こんな大事な事を今まで忘れていたなんて・・・


「これは中将、今日はどのような用件で?」

 男は僅かに口端を吊り上げ、乾に話しかける。
 どうやら乾の階級までしっかり把握しているらしい。
 その上突然の礼儀知らずな訪問に対しても全く動揺の色を見せないのは余裕からか・・・


 面白いじゃないか

 乾はクッと奥歯で笑いをかみ殺し、男に目を向けた。


「さがしものがここにあるって聞いてね」


「さがしもの・・・。ご覧の通りここには無駄なものが何一つ無い。そう値打ちのある物は無いはずだが?」

「ところが結構なモノがあるらしいんだよ。元々の持ち主は多摩なんだが、生後直ぐになくしたらしいんだ」

「・・・・・・・・・」


 男は黙り込み、場に絶対零度の冷たい空気が流れた。



 そして、そのような最中、二人のやりとりに加わる気のない多摩の意識は、ある一点に注がれていた。



 男の胸元に光るもの。
 そこから目が逸らせないのだ。



 数珠繋ぎになっている紫水晶の首飾り。
 その先端には一際大きく紅く輝く宝石のような円形の何かが光っている・・・




 どこか懐かしく、耳を澄ませば規則正しい鼓動が聞こえてきそうな───








 見つけた・・・・・・


 ・・・俺の・・・心臓・・・








 多摩の瞳が血色に瞬き、
 首飾りを引きちぎってやろうと手をのばしかけた。










 ───だが、






「志摩(しま)、オマエの水晶が狙われてるよ」




 上から降ってきた声によって多摩の手がそれ以上伸ばされる事はなかった。
 同時にその場にいた全ての者の視線が声がした方へと注がれる。





 階上には、



 またしても白い着物、

 黒い長髪の・・・男がいた。










その2へつづく


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