○第5話○ 支配者の宴(その4)
「乾には良いものを見せてやろう」
多摩は口端を吊り上げ、心底愉しそうに笑いながら吹き飛ばされた双子の方へと歩いていく。
その姿を見ただけで、動いているというだけで、乾は堪らない気持ちだった。
しかもその本人は、乾に何かを見せようとしている。
それを見ない馬鹿はいないと思い、乾は多摩の後に続いた。
酷い土煙が漸く収まり、埃っぽい空気が立ちこめる中、爆心地跡のようになっているその中心に双子が横たわっていた。
それぞれの胸に紅黒い矢を突き立てて───
これが先程乾の横を通り過ぎた紅い光の正体だと言うのは直ぐに分かった。
あまりに寒気のする気配を放っているのだ。
「この矢は服従しない限り抜けない」
呻く双子を悠然と見下ろし、二人にとって最も屈辱的な方法でしか助かることが無いと宣告される。
屈辱・・・当然だ。
今まで誰かに服従したことも支配されたことも無い、正にその逆の立場として生きてきた者が簡単に屈服できる内容ではない。
激痛を伴いながらも決して従わない意思を眼に宿し、双子は多摩を睨みつける。
しかし、その反抗的な態度を目にしても、多摩はさして意に介した様子もなくうっすらと冷笑を浮かべるだけだった。
「その痛みも増幅しながら永遠に続く、死ぬことが甘美な夢と思えてくるだろう」
「・・・・・・っっ、・・・っく、多摩・・・・・・っ、神子殺しをする気・・・かっ!?」
「だから何だ。おまえたちとて同じ事をしようとしたではないか」
「・・・っ、ぼくたちは、・・・っ、多摩が本性を現したと判断・・・、した場合、お前を殺す事が許されてる・・・・・・ぅ・・・っ」
「誰に? 里の皆に? それともおまえたち自身に? それがどうした。おまえたちの勝手な都合など知らぬ、俺は自分のものを取り返して自由になっただけだ」
「・・・・・・はっ・・・自由・・・、そんなものは永遠にやってこない。国中でおまえを・・・血祭りにあげ、て・・・っ、神子にはソレくらいの権力が・・・」
「下らぬ妄想だな。良いか、おまえたちに与えられた余生は無間地獄のみ・・・。それとも、絶対的な力の差を前にして現実から目を逸らすか?」
「「・・・っ」」
「狂うほどの激痛を味わい尽くし、己の非力を悔いるがよい」
───きっと、二人にとっては、多摩が悪魔のように思えたに違いない。
こんな苦しみが際限なく続くと?
笑う多摩を、去っていく多摩を、押し寄せる絶望と共に見つめながら、崇められ讃えられる筈の双子の神子は、ただ恐怖と激痛に呻くことしか出来なかった。
そして、二人が来た道を戻ろうと歩き始めたときには、里の者が大勢出てきてこの状況を囲むように見られていた事を知った。
彼らは目撃者となったわけだ。
この目撃者たちを放っておくことは、多摩にとって自分の首を絞めると言うことを意味するわけで、元々里の者に対して情の欠片も持ち合わせていない彼が決断するのは簡単なことだった。
「乾、もう館には戻らない。このまま里を出る」
「・・・わかった」
頷き多摩の斜め後ろに着いていく。
ふと、人混みに紛れてあの老婆の姿が目に入った。
老婆は多摩の姿をひたすら見つめ、乾の視線に気づくとハッとしたように息をのむ・・・・・・
そして、深く、深く、頭を下げた。
「・・・・・・」
もしかして・・・あのばーさん・・・
本当はこうなることを望んで───?
「なぁ、多摩」
「何だ」
「事実を知って、後悔したか?」
老婆はあの時言った。
この先を知れば後悔すると。
確かに反吐が出るくらい最悪な事実。
だが・・・
「笑わせるな、これ程気分の良い日は初めてだというのに」
ばーさん、多摩は嬉しそうに笑ってるぜ?
コイツは、血の繋がりとかそういうの分からないんだよ。
愛とかそういうの、分からないんだよ。
そう言う風にしたの、あんたたちだろ?
自分たちの都合だけを押しつけて、何も与えなかったのあんたたちだろ?
だからこれは、自業自得なんだよ。
「俺も、すっげぇイイ気分だよ」
「当然だ」
人垣は決して二人を邪魔することなく、ただ怯えた顔で進む道を空けていく。
二人が夜の闇の包み込む里の入口に立ったのは、それから僅か半時後のことだった。
そこでも二人を遠巻きに見ている里の者たちが大勢いたが、多摩には何もかもがどうでも良いことで、執着する理由など有りはしなかった。
「乾、さっきの力をもう一度使え」
「ん?」
「ここを、無くしてしまえ」
目撃者は一人残らず始末しなくてはならない。
放っておけば、彼らは今日の事を国王ないしそれに近しい者に訴えに行くはずだ。
つまり、あの神子たちが言っていたとおり、国中をあげて多摩が追われる身となりかねないのだ。
折角自由になったのに直ぐにそれを奪われては元も子もない。
そして、多摩にとってここが無くなるという事は、全てを奪ってきたこの場所から解放されることを意味するのだ。
「任せろ」
乾は頷き、腰元にぶら下がっている剣を手に取った。
だが、
「あぁ、少し待て。その剣では駄目だ」
「へ?」
これ以外持っていないのにどうしろと言うのか。
当然多摩だって何も持っていない。そもそも丸腰なのだ。
そんな困惑を余所に、多摩は乾の持つ錆び付いた剣を手に取ると、口の中で何かを小さく呟いた。
途端、ボロボロと錆が剥がれていく。
そして、どう贔屓目で見ても単なるなまくらで名剣でも何でもなかったものが、見る見るうちに黒光りし、異様な迫力を身につけて・・・まるで生き物のように唸り声をあげた。
「・・・これは・・・」
「鞘はこれにしよう」
乾の驚きに耳をかす事なく、多摩は側に落ちていた石を拾い上げると息を吹きかける。
すると紅い光が宿り、それをそのまま黒剣と化した乾の剣の切っ先へ押しつけると、黒剣を包み込むように鞘へと変化を遂げ、どこからどう見ても価値ある一品となってしまった。
「おまえの持つ力を具現化しただけだ。但し、前以上に役立つ」
「・・・・・・すっげ・・・」
「それから・・・皆へは冥土の土産に、これを・・・」
そう言うと多摩は両手を天にかざした。
途端に陰る空・・・
穏やかな夕暮れを突き破り、突如発生する雷雲が唸りをあげる。
「多摩・・・これは・・・」
気がつけば里の周囲だけがどす黒い雲に覆われていた。
それに比例するように、多摩の瞳はこれまでになく紅く輝いている。
───なんだ?
異様な空気の変化で乾の頭に疑問が浮かんだその時、雷鳴が轟き、直ぐ側の大木に直撃した。
この光景・・・どこかで・・・
だが、圧倒する迫力を前にした興奮から答えを導き出すことが出来ない。
どこかでこんな風景を見た筈なのに、多摩の紅い瞳に意識を奪われて、これ以上を考えることが出来なかった。
「乾・・・こんな里など、たったこれだけの時間で包囲できてしまう」
「・・・? どういう・・・?」
その問いに多摩は、ニィ・・・と、笑みを浮かべる。
身震いするほど残酷な笑みだった。
天にかざした両手がゆっくりと振り下ろされる・・・
ド、ゴオォオオオォォォォオオオオオ
な、なんだ?
いきなり激しい風が吹き荒れ、思わず一歩後ずさる。
直後、先程雷が直撃した大木はなぎ倒され、そのまま空に向かって吹き飛ばされていった。
───これは単なる風ではない。
「・・・まさか、竜巻?」
目の前には、猛烈な嵐の如く鳴り響く巨大な風の壁があった。
そう、里の全てを包み込むほど巨大な・・・
「いや、これは簡単に言えば台風の目のようなものだ。中では静かすぎて何が起こっているか分からない筈だ」
「・・・台風の目・・・」
「後はおまえに任せる。先程の力をぶつけても、目の前の壁はおまえの放ったものを内部へ受け入れるだろう」
多摩の言うことは良く分からなかった。
想像力が追いつかないのだから仕方ないが、ただひとつだけ、乾にも分かったことがある。
つまり・・・
「何も考えずにこの剣を振り下ろせ、ってことか?」
それ以外は自分には出来ない。
ならば多摩が求めることはそれしかないのだ。
多摩は・・・僅かに目を細め口元に笑みを浮かべる。
それが彼の返事だった。
「先に行っている」
そう言い残すと多摩は身を翻し、里の入口から出ていってしまう。
この後に起こることは、もう何の興味も無いのだろう。
乾は少しの間、去っていく多摩の後ろ姿を見ていたが、すぐに我に返ると黒剣を抜き、異様なまでに唸るそれを大きく振り上げた。
全身鳥肌が立ち、皮膚がビリビリと悲鳴をあげる。
前以上なんてもんじゃない。
こんな里などひとたまりもないと容易に判断出来る。
多摩・・・っ、俺は今すっげぇ楽しいっ!!!
乾は少しの躊躇もなく黒剣を振り下ろす。
破壊しつくす為だけに変化を遂げた妖剣から生まれた衝撃波は、全てを嘲笑うかのように凄まじいまでの爆音を奏でながら目の前に立ちはだかる嵐の壁に突き進んでいく。
激突する。
いや、寧ろ跳ね返されるのではないか。
そう思う間もなく壁は柔軟に歪み、難なく波動をその内部へ受け入れた。
乾は広がっていたはずの景色が呆気なく飲み込まれていく様子を数秒ほど目にしたが、歪みが消え、元の姿を取り戻した嵐の壁を前にそれ以上を見ることが出来なかった。
ただ、嘶く轟音の中で、僅かに断末魔の音色を聞いた気がしただけで・・・
そして更に数秒後、目の前の嵐の壁が一瞬のうちに消え去った。
「・・・え?」
眼前に広がっていたのは、
嘘のように何も存在しない大地───
乾は我が目を疑う思いで呆然と周囲を見渡す。
里が存在していたはずの場所だけが、ぽっかりと消失していた。
「・・・・・・すげぇ・・・っ」
全身が総毛立った。
これが、求めていたもの
多摩に感じた底知れぬものの正体は、これだったのだ・・・
乾はいてもたってもいられなくなり、ひとしきりの歓喜を味わうと駆けだした。
既に立ち去った多摩に追いつくべく、がむしゃらに走る。
お前は凄い
やっぱりとんでもないヤツだった
俺の想像を超えてたよ
一刻も早く、この想いを伝えたい。
走って走って走りまくった。
だが、
「きゃぁあああああっ」
女の悲鳴で追いかける乾の足が一瞬止まる。
まるで今の気持ちに釘を刺すような悲鳴に、僅かながら冷静さを取り戻した。
里からの道は暫くは一本道。
誰かが多摩と遭遇したのだろうか・・・?
だとしても悲鳴?
相当気分が高揚しているようだったから、もしかしたらその勢いで・・・
何にしても確認しなければ何が起こったのか分からない。
多摩が無闇やたらと誰彼に危害を加えるとは思えないが、今の彼ならあり得るような気がした。
しかし、追いついた先で起こっていた出来事は乾の想像を遙かに超えていたのだ。
「・・・伊与? 何でここにいるんだ?」
悲鳴をあげたのは、伊与だった。
彼女は乾の呼びかけにガタガタと肩を震わせながら振り返る。
「・・・乾・・・さま・・・っ、・・・・・・あ、・・・あ、・・・あ」
「伊与?」
伊与の狼狽ぶりは尋常ではない。
何があったというのか。
ふと、伊与の先に・・・影になっていて気づかなかったが、何か、白い塊が目に入る。
白い・・・塊?
───違う
「・・・・・・お・・・い・・・、少し横にずれてくれ」
「・・・あ、・・・あ、・・・あ」
震える伊与は一歩二歩足を動かし、やっとのことで横に移動した。
見えたのは・・・
「・・・っなんでだよ!?」
───うつ伏せに倒れている多摩の姿。
何がどうなっているのか分からない上、駆け寄り抱き起こした多摩の顔色は蒼白で、その肢体は人形のようにピクリとも動かない。
「どういうことだっ、伊与っ!!!」
伊与に多摩をどうにかする力など有りはしない。
だけど、だけど・・・っ
「伊与っ!!!」
「あ・・・・・・あ・・・っ、わ・・・私・・お二人が、父神子さまの館から出ていくのを見かけて・・・・・・もう二度と戻らない気がして・・・先回りを・・・・・・・・・っ、それで・・・・・・っ、多摩さまが・・・・現れて・・・・・っ、一緒に・・・連れて行ってくださいって・・・お願い、を・・・」
それがどうしたというのか。
それでどうしてこうなるというのか。
「そうしたら・・・好きにしろって・・・・・・私・・・嬉しくて・・・・・・でも、・・・でも・・・・・・っ、多摩さま・・・が、・・・倒れてしまって・・・・・・それでそれで・・・っ」
それきり動かなかった。
普段から触れられる事を厭われている所為で、倒れたというのに近寄る事すら出来ず、伊与はただ悲鳴をあげて震える事しか出来なかったのだ。
「・・・・何でだよ・・・? さっきまで・・・動いてたじゃん・・・」
多摩が起きあがって来たとき、自分が無茶苦茶に口の中へ放り込んだ宝玉の欠片たちが、多摩に奇跡を起こしたのだと、そう思っていた。
これ程気分の良い日は初めてだと笑ったから・・・
だからこの先も見続けることが出来るのだと信じて疑わなかった。
こんなのは嘘だ。
あってはならない事だ・・・
「・・・うそだ、うそだっ、こんなお前、・・・っ、俺は見たくないっ・・・っ!」
なのに・・・
多摩の身体は・・・既に冷たくなっていて。
「多摩・・・・・・っ、多摩、多摩・・・っ、お前・・・なんだよ・・・っ、これからじゃないかっ・・・っっ、・・・っ、なぁ、何が欲しかったんだ? 言ってみろよ、俺が代わりに手に入れるから・・・・・・っ、多摩、多摩・・・っ、返事・・・しろよぉ・・・!! うわあぁあああっっっ・・・っ」
細く折れそうな華奢な身体を抱きしめ、乾はただ声をあげてむせび泣く。
だが、どんなに泣き叫んでも、ひたすら願い続けても多摩が動くことはなく、望んだ答えが返ってくることはなかった。
乾が絶望に打ちのめされたのは、夜が明ける頃・・・
朝日に照らされた顔があまりに穏やかで。
果てしなく広がる筈の未来が途絶えたのだと、
求めたものが、もう戻ってこないのだと分かったから・・・
・・・多摩・・・・・・、お前、何だよ、そんな顔して・・・
「・・・・・・楽しかったのかよ?」
多摩を抱えながらふらふらと立ち上がった乾はぽつりと呟き、
それきり、消息を絶った。
───追記。
双子の神子はあの攻撃で死ぬことは許されなかった。
しかし、身体が裂け溶けていく恐怖と激痛は彼らの心を深く蝕み、翌朝までには身も心も多摩の支配に屈服し服従を心に誓い、その瞬間褒美として死が与えられ事切れたという・・・
神子の里壊滅の報はそれから半年後、
神子への依頼でやってきた貴族の遣いにより発覚し、王に話が伝わる事となったが、真相を知る者を探そうにも、里には誰一人として生き残った者は存在しなかったのである。