『呪縛』
○第6話○ 慟哭(その3) 神子の里から一時ほど早足で歩いたところに乾の住処はあった。 さほど離れた場所にあるわけでも無いのだが、所謂獣道を使って案内された為、巽自身今度来る時に一人で来れるか、と聞かれれば、否、と答えるしか無さそうだった。 しかも、枝葉で巧く隠されたその場所はどう見ても人目を避けているとしか思えず、ひっそりと佇む家屋に案内されると、中から出迎えた女の存在が巽を更に驚かせた。 「・・・乾さま、こちらの方は・・・?」 鈴のような透き通る声に似つかわしく、長い黒髪の美しい女が首を傾げて二人を出迎える。 「名前くらいは知ってるだろ? 巽だよ」 「・・・まぁ・・・・・・」 そう言って巽に視線を向けたその女は僅かに笑みを浮かべたがそれ以上は口をつぐみ、奥の部屋へと案内してくれた。 乾の女・・・にしては今まで見て来た女とはタイプが違う。 どちらかというと派手好みだったような気がするのだが・・・ 女が部屋を出て行き、乾と二人になったところで巽は沈黙を破って口を開いた。 「・・・彼女は・・・お前の妻か?」 真面目な顔をして質問する巽に、乾はさも心外とでも言うように驚いた顔で返す。 「・・・ちがうのか?」 「ちがう」 にべもなくはっきりと。 「ならば、何故一緒に住んでいる? ・・・いや、一緒に住んでいると思ったんだが、それは俺の勘違いか?」 「いや、その通りだ。あの女とはずっと一緒だ」 「ずっと・・・というと」 「神子の里が無くなってからずっとだ」 「・・・・・・」 では彼女は、神子の里の生き残りか? 聞こうとして乾を見ると、ふいと目を逸らされてしまった。 ───やはり・・・乾は知っている。 巽はそう直感した。 神子の里が無くなったいきさつを、その理由を。 でなければ、こんな苦しそうな顔はしない。 あの地であったことが、乾にこんな顔をさせている。 だが・・・ 「あの女はな・・・・・俺が女を抱きたいと思った時に身体を提供する為だけに存在してる。それだけの為に生かしてる。あの女にとってもそれだけが唯一の“アイツ”の命令だったから、それでいいんだ」 まるでどうでも良い事のように。 それが当たり前の事のように乾は言う。 巽は耳を疑うような気持ちだった。 「巽だってあの女、好きに抱けばいい。いい女だって思ったろう? 普通の男なら喜んで腰振るくらい最高の身体だよ。なにせアイツの子孫を残す為に選ばれた女だからな」 「・・・乾・・・・・・俺にはお前の言っている事がよくわからない・・・・・・」 女好きではあったが、こんな事を言うような男ではなかった・・・ 少なくとも巽が知っている乾はそういう男ではなかった筈だ。 テントでの一件にしても、今目の前にいる乾からは釈然としない思いばかりが募る。 「・・・何があった? 神子の里でお前が見たものは何だ? お前の言うアイツとは誰の事を指している?」 疑問ばかりだ。 何一つ理解してやれない。 乾の抱えている何かを、酷く傷ついているその理由を。 「・・・俺はお前の事をずっと捜していた。生きていると信じていたよ」 「・・・・・・・・・」 「何度この地に足を運んだと思う? あんな・・・何も無くなってしまった場所を神子の里だなどと言われても尚、お前の痕跡を捜し続けるくらい俺は諦めの悪い男なんだよ。こうして会えたというのに適当に誤摩化されて帰るつもりはないからな」 「・・・ふん。よくもそんな恥ずかしい事を本人に向かって言えるな」 「どこが恥ずかしい事なんだ?」 「まるで愛の告白だ。いつから男好きになったんだ?」 「俺はだな、友として・・・・・・あぁ、そんな事はどうでもいい。言ってるそばから誤摩化そうとしたな」 少しムッとした様子で乾を睨むと、彼は急に力が抜けたように笑った。 そしてしばらくの間、何を考えているのか分からない表情で宙を見上げていたが、パタリとその場に身体を倒し、降参、とでも言うように両手をあげた。 「・・・・・・・・・今日はもう遅い、寝よう」 「乾っ!」 あふ、と大きく欠伸をして、乾は眠そうに目を閉じた。 そういえば、もうずっと長い間まともに寝ていなかった・・・とぼんやり思う。 「・・・忘れられないほど俺が好きなら腰に縄でも括りつければいい・・・別に逃げも隠れもしない・・・・・・」 「・・・乾・・・・俺は・・・」 「・・・心配すんな、俺も巽に聞きたい事、・・・あるんだ。・・・・・・明日、・・・・・・うん、明日、・・・・・・話すから、さ」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・久しぶりに・・・・・・・・・よく、寝れそー・・・・・・なん・・・・・・・・・・・・」 最後の言葉は掠れていて。 直ぐに規則正しい寝息が聞こえてはじめた。 「・・・・・・寝た・・・のか・・・?」 巽は捜し続けた友の無防備な寝顔を信じられない気持ちで見つめ続けていた。 少し、痩せたか・・・・・・ だが、生きていた。 信じていた通りだった。 妙な違和感は感じるが、それでも生きていれば分かり合えるはずだ。 知りたい事は山ほどある。 神子の里で何があったのか・・・ さっきの女が神子の里の生き残りだとすれば、乾含めて生き証人が存在していたという事になり、きっと小さな話ではすまなくなるに違いない。 あの里の者が彼女以外皆死んだのなら、乾が慕っていたあの神子も死んだという事。 それはつまり、神子という存在が本当に無くなってしまったという事実を突きつけられる事にもなる。 ・・・都にやってきたとき、あの神子殿はまだ少年で。 目を見張るような綺麗な顔をしていた彼を美濃さまがとても気に入っていて、二人のやりとりがままごとのようでとても微笑ましかった。 「・・・・・・そういえば・・・」 彼の神託では、 今年が運命の選択の年ではなかっただろうか・・・ それなのに誰一人その事を口にしないのはどうしてなのだろうと、不意に思う。 あんなに印象深かったはずの神託を、あれほど重要な行事を。 いや、 そもそも今の今まで、少なくとも俺は、頭の片隅にもなかったのはどうしてだろう・・・・・・ ───その夜は妙に月が紅くて、あの少年神子の瞳は誰よりも紅く輝いていた、などとそんな事ばかりを考えて、気持ち良さそうに熟睡している乾とは対照的にあまり眠る事が出来なかった。 ▽ ▽ ▽ ▽ 「おはようございます。昨夜は眠れましたか?」 朝方、家の前に出て伸びをしながら気持ちよく空気を吸い込んでいると後ろから声をかけられた。 振り返ると穏やかに微笑む女の姿があった。 勿論昨日の女だ。 「・・・あぁ、おはようございます。実を言うと頭の中がうまく整理出来なくて」 「そうですか」 僅かに心配そうな表情を浮かべ小さく頷く彼女からは、卑しい女特有の媚びる目つきがない。 乾の話ぶりからそう言った類いの女だろうかと考えもしたが、そういうわけでもなさそうだった。 「そういえば、貴女の名前を聞いていませんでしたね」 「・・・伊予、と申します」 にこり、と微笑むその姿は純粋に綺麗な女性だと思えた。 乾と彼女にある繋がりとはなんだろう? 仮に神子の里の生き残りだとして・・・、ただ単にそれだけだろうか。 あんな風に侮辱の言葉を向ける意味がどうしても理解出来ない。 「・・・貴女はどうして乾とこんな所で暮らしているのですか?」 「それは・・・・・・」 「その女が自分から望んだんだよ」 伊予が何かを口にしようとした台詞は、欠伸をしながらだらしなく家から出て来た乾に遮られた。 「そうだよなぁ、伊予」 「・・・・・・はい」 目を伏せ頷いた彼女を満足そうに見つめると、乾は『よう!』と巽に笑顔を向けた。 よく眠れたようで昨日よりも随分顔色が良い。 「早速だけど巽に見てもらいたいものがあるんだ。少しいいか?」 「・・・ああ、別に構わない」 「じゃあ家に入ってくれ」 「わかった・・・伊予、君は?」 伊予を振り返り聞いてみるが、彼女は曖昧に笑うだけで小さく首を横に振る。 「伊予が行くわけないだろ。許されてない」 「・・・・・・?」 許されてない? 訳が分からず困惑したものの、乾に急かされるまま後に続く。 だが、その場から動かず二人を見つめる伊予のもの言いたげな眼差しがやけに気になった。 その意味は直ぐに知る事となる─── 奥の部屋から更に奥へと続く隠し通路。 そんなものがどうしてここに必要なのか・・・ 疑問に眉を顰め無言でいると、行き着いた先の扉を開いた乾が声をかける。 「入ってくれ」 一瞬躊躇しかけたが、言われるままに入ると、そこには薄暗い部屋がひとつあるだけの空間が広がっていた。 だが、酷く寒気のするその場所の中央に横たわる存在に気づいた巽は戦慄を覚えた。 「・・・・・・・・・っっ・・・・・・っ!!!!」 死に装束を身にまとい、艶やかで豊かな長い黒髪が白い肌に美しく映えた・・・ まるでそこだけ別空間を作り出すその存在感は、一度でも見た事がある者なら忘れる筈も無いほど強いもの。 ただ一つ違ったのは、巽の記憶にあるその存在が、例え大人びていても少年の枠を超えるものではなかっただけで。 今目の前にあるその存在は、あの少年の面差しを強く残し、青年へと成長を遂げた─── だが・・・ 「・・・・・・・・・彼は・・・・・・・・・生きているのか・・・・・・?」 そう疑問に思うのも仕方の無い事だった。 どう見ても眠っているようにしか見えないものの、身に纏っている物が死に装束という異様さ・・・ 呆然と立ち尽くす巽を見て、乾が感情の籠らぬ目でうっすらと笑う。 「・・・・・それ、生きてるって言うのか」 「・・・なに?」 「息もしてないし、ピクリと動いた事すらないのに?」 「・・・・・・なんだと!?」 「身体だけ、・・・・・・・・・・・・身体だけ成長して、それがなきゃ死んでるのと同じなんだよ。・・・・・・こいつは・・・多摩は・・・、人に夢だけ見させてさぁ、魂だけどっかに行っちゃったんだよ・・・」 そう言って笑う乾の眼は果てしない絶望を映していて・・・ あぁ、そういうことか・・・と少しだけ分かった気がした。 だから乾は・・・・・・ 「・・・・・・・・・乾・・・・・・、教えてくれ。あの里で起こった事を、お前が知っている全てを俺に話してくれ」 「・・・・・」 強い意志の籠った目を向けられた乾は少しの間押し黙っていた。 だが、髪の毛をくしゃくしゃと掻き上げて、はぁ・・・と重い息を吐き、『何から話せばいいんだろうな・・・』と小さく呟くと、自分の中の何かを整理する為に何度か頷くと、・・・静かに口を開いたのだった。 眼をつぶれば全てを鮮やかに思い出せる。 今思えば何もかも、幻みたいな日々だった・・・ 「・・・・・・・・・この俺が・・・初めて誰かの為に何かしてやりたいと・・・思ったんだよな・・・」 ───何も与えられず、何も知らない多摩。 「それくらい・・・・・・多摩には・・・・・何も無かったんだ・・・」 だけど不思議なもので。 奪われるだけの人生を送っているアイツに、どうしてか無性に夢を見る自分がいた。 そう思わせてしまうものを確かに持っていた。 俺は結構そんな自分が好きで、こいつが自由になったらどれだけの事をしでかすんだろうと期待に夢を膨らませて・・・ やっとスタートラインに立ったのに、 それすらも奪われた。 何もかも、全て。 神子の里の真実、その救いようの無い堕落。 乾の話は、日が落ちる頃まで続いた─── その4へつづく Copyright 2007 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |