『呪縛』

○第7話○ 運命の選択(その1)








 陽の光が身体を温めていく。
 閉じた瞼の向こう側がとても明るくて、騒がしくて、否応なしに目が覚める。
 そんなものはとうに忘れかけていた感覚だった。

 神子の里では殆どの時間を屋敷で過ごし、陽の光や暖かさとは無縁だったため、美濃と過ごした数日間が鮮明なものとして多摩の記憶の中で息づき、そこにしか光は存在しない。



「多摩ーーーっ、朝よーーっ!!」


 元気いっぱいの声と同時に部屋の中に飛び込んでくるのは他でもない美濃だ。
 その姿を視界の隅で捉え、多摩は言いようのない気分に包まれる。

 多摩の顔をのぞき込み、目が覚めていることを知った彼女は満面の笑みを浮かべてみせた。




 ───あの目覚めから数週間が経っていた。


 しかし彼は一日の大半を眠って過ごし、日に数時間程度しか起き上がることが出来ないでいた。
 前と違う事があるとすれば眠ったとしても彼が目覚めるという点で、代わりに始終身体の不調が付きまとうらしく、彼がベッドから降りることは無かった。


 美濃は・・・というと、多摩の目覚めがよほど嬉しかったらしく、毎日のようにこうして遊びに来ている。
 流石に王の承諾無しに多摩の元へ出かけていき、挙げ句の果てに目覚めさせてしまった事は、皆を驚かせるのと同時に普段娘には甘い王も体面上美濃を叱ったのだが、彼女自身はそれがどういう事か理解出来ず、ただへそを曲げただけで終わった。
 至って静かで穏やかな神子の様子も、些か不安を感じて目覚めに躊躇していた者達の安心材料となったのも事実ではある。




「まだ起きられないの?」


 やや苦しそうに身体を起こす多摩の様子を見ていた美濃が、心配そうに尋ねた。


「・・・・・・やっぱり長く寝てたからかな。ずっと寝てると体力が落ちるんだって」

「・・・・ああ・・・」


 力のない声。
 それに顔色も悪い・・・

 それでも美濃がやってくると必ず身体を起こして彼女と会話をする。
 元々あまり喋るタイプではないから口にする言葉は本当に短いのだが、鬱陶しがられているわけではないのは何となく雰囲気でわかってうれしかった。



「ねぇ、いつから眠ってたの? どうして眠っちゃったの? 起きたら大きくなってて驚いた?」


 ベッドの横で多摩を見ながら頬杖をつき、矢継ぎ早の質問責めに彼の目が細められる。


「・・・おまえ、成長しないな」

「っ!? ひっどーーーい!!!! 多摩のイジワルっ!!」

「意地悪? なぜそうなる?」

「人が気にしてることそうやって簡単に言うんだもん! イジワルだよっっ!!」


 顔を真っ赤にしながら怒っている様はお世辞にも成長した・・・とは言えないではないか。
 そう思った多摩だったが、きっとこれを口にすればまた怒るんだろうと思い否定することはやめておいた。


 代わりに、


「・・・・・・おまえは元気すぎる。俺は少し疲れた、・・・寝る」


 切り札のように言って横になり目を閉じる。

 美濃は慌てて口を押さえ、相手がほぼ寝たきり状態にあるということを思い出してアワアワと焦った。


 流石に今目覚めたばかりで疲れたなんて嘘に決まっている。

 言えば美濃の顔色が変わる。
 ころころと変わる表情を見たくて、思ってもいないことを言ってしまうだけなのだ。



「ごめんね、多摩だいじょうぶ? ごめんね」


 何度も謝り、顔をのぞき込む。
 そうしているうちに多摩の紅い瞳がうっすらと開き、美濃の顔を捉えると彼女は安心したように笑う。

 同時にふわり、と美濃の香りが多摩の鼻腔をくすぐった。




 ───どく・・・ッ



「・・・・・・・・・っ」



 痛みを伴いながら大きく心臓が脈打つ。


 多摩は胸を押さえ、彼女から顔を背けた。
 その行動に特別な意味は無かったが、このままだと益々痛みが募りそうで自然とそうしていた。

 だが、美濃にしてみれば顔を背けるという行為は拒絶を表しているようで・・・


「・・・っ、怒ったの・・・?」


 悲しくなって、ぐすん、と鼻をすすり多摩の腕を小さく引っ張った。
 彼女の触れたところを中心に、体中へ一気に電流を走らせたかのような強い衝撃を受ける。


「・・・・・・っ、・・・もう今日は帰れ」

「・・・っっ・・・っ」


 冷たい言葉にびくん、と震え、手を離した。
 やっぱり多摩は怒ってるんだ・・・と、シュンとなり、それ以上話しかけることが出来ずに言われるまま部屋を出て行くしかなかった。

 美濃の気配が遠くなる。
 背中の向こうで彼女の動きを感じ取りながら、多摩は得体の知れない喪失感を味わう。

 身体を捻り、彼女に視線を走らせる。
 肩を落として元気のない後ろ姿が扉を開けていた。


 無性に抱きしめたい衝動に駆られる。
 力いっぱい抱きしめて胸の中に閉じこめてしまいたい。



「・・・美濃・・・、明日も来るだろう?」



 多摩の言葉に驚いて振り返る。
 紅い瞳が真っ直ぐ自分を捉えていた。


「・・・うん!」


 多摩の言動は分からないことばかりだったが、彼女は大きく返事をして笑った。



 美濃が部屋を出て行った後、多摩は痛みの治まった胸から手を離し、代わりに彼女が触れた腕にそっと手を置いた。




 ───なぜ美濃は違う・・・・・・?




 触れられても嫌悪感がまるでなく、それとは別の激しい感情が芽生える。



 これは、なんだ・・・?



 分からない。
 久しく憶えのない感情だったが、以前にも美濃に対して持ったような気がする。


 もっと、美濃に触れてみたい。

 そして美濃の全てを手に入れたい、思い通りにしたい。
 思い通りに、滅茶苦茶に、



 滅茶苦茶に、


 ・・・・・・壊してしまいたい。






「・・・・・・・・・・・・・俺は・・・・・・そうしたいのか・・・・・・?」






 知識だけの行為を美濃に望んでいると?




 何故そんな気になるのか。


 ただ、無性に彼女が欲しいのだ。
 彼女を心ゆくまで己のものにして、正常な判断が出来ないほど狂わすことが出来たら、どんな快楽にも勝るに違いない・・・


 考えただけで胸が苦しい。
 あぁそうだ、悪いのはこの心臓だ、いつも自由にならない。

 今も足りない欠片が自分を痛めつける。



 巽・・・、あの男・・・・・・何故返さない?



 欠片を隠し持っている癖に、どういうつもりだ?




 このままにはしない。
 十分すぎる程、時は経ったのだ。

 大人しく、いつ返されるか分からないものを黙って待つ程の愚かさなど、もはや持ち合わせているものか。



 これからは、思うままに行動するのだ。












▽  ▽  ▽  ▽


 その頃の巽は、都に戻ってからの目まぐるしいほどの忙しさに追われ、僅かな休息時間を執務室で過ごしていた。
 ここ暫くは家にも戻れないくらい、公の場に狩り出されている。

 神子と乾、そして里の生き残りの伊予を連れ帰ったまでは良かったが、こうも周囲から持て囃され様々な催しに出席させられる羽目になるとは考えにも及ばなかった。
 ある意味平和と言うべきだが・・・お陰で帰ってきて数週間、美濃と二人で話す機会が全くない。

 彼女が多摩を目覚めさせたと聞いたとき、何か大変なことが起きるのでは・・・と危惧したものだが、特に何が起こるわけでも無く、彼女が毎日のように神子の元へ遊びに出かけているようだという話を聞くぐらいで、その様子も普段の生活の延長上にある楽しげなものだったため、どうやら取り越し苦労だったらしいと皆で苦笑を漏らしたものだ。



「・・・・・・これは本当にあの神子殿の一部なのか?」


 胸の内ポケットに忍ばせている紅い欠片を手にとってみる。

 乾の話だと胸を患っている様子からして、これは多摩の心臓の一部になるだろうと言っていたが、どう見てもただの綺麗な石の欠片にしか思えない。
 これが脈打っていれば信じなくもないが、とても無機質で命があるもののようには見えないのだ。
 大体こんなものがどうやって身体に還るというのか。


 それに、もしこれが彼の心臓だったとしたら、どうして今、神子殿の目が覚めているのだ。
 これが無かったから目覚めなかったのではなかったのか?

 一つだけ気になることと言えば、この欠片を手に入れるときに味わった“感覚”だけだ。
 あの怖気だけが今も胸に残る唯一のものだが、それさえも日ごと忘れつつある。



 ・・・・・・所詮、この目で見ていない俺の思考など、凝り固まった理屈しか浮かばないのだ。



「・・・考えても埒があかないな」


 思慮深く考えたところで結果など見えない。

 神子殿は未だ寝たきりの状態が続いている・・・明日にも見舞い、少し話してみた方が良いかもしれない。
 そう言えばまともに話したことなど一度もなかったように思う。

 彼と二人で話せば何か考えが変わるだろうか。
 美濃さまと仲良くしている昔の様子を思えば、それ程警戒する相手には思えない。




 ───明日?


 ・・・・・・そう言えば、明日は何かがあったような・・・・・・?

 何か・・・・・・思い出せない、だが重要な何かがあったような気がする。
 一体何があった?


 黒い雲。
 雷雲。

 長髪の男の後ろ姿。

 死に装束。


 繋がらない意味不明な映像が頭の中に次々と浮かんでは消えていく。


 運命の選択。

 繁栄と静かなる世界。



 これは一体なんだろう?
 知っていたような、全く知らないような・・・



 頭の中の映像を振り払うように左右に頭を振って気持ちを切り替える。


「・・・ばかな・・・」


 俺は相当疲れているらしい。
 今日はもう休もうか。


 欠片を再び胸ポケットにしまうと、巽は自分に対して苦笑を漏らすだけで、それ以上の考えに及ぶことはなかった。










その2へつづく


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