『呪縛』

○第7話○ 運命の選択(その3)








 多摩の青白い顔にほんのりと赤みが差していく。
 己の身に浸透して満たされていく感覚を心の底から味わうように、多摩は深く深く息を吐き出した。


「・・・・・あぁ・・・・・・全てが揃うとこういう気分になるのか・・・・・・」

「・・・・・・なぜ・・・どうやって・・・・・・っ!?」

「簡単なこと・・・己自身であれば元に戻ろうとするのが自然なのだ。あれは俺のもの、自ら手の中に飛び込んできただけのことだ。・・・・・無論、近くにあれば、の話だが」


 腕を掴まれたままの巽は、多摩の手から溢れ出すような何かが自分の中へ入り込んでくるような錯覚を覚えた。
 何かとてつもなく大きなものに支配されていく気がして、背筋に冷たい汗が伝う。


「乾よ、・・・・・これが自由なのだろう?」


 一層紅色を強くした瞳で、呆然と立ちつくす乾に話しかける。
 乾の目にも明らかに多摩の変化が見て取れた。

 その身に纏う空気だけで周囲を支配しているかのようだった。


「・・・・・・そう、だ」


 乾の答えに満足そうに多摩は頷く。
 生まれ落ちた日以来、初めて自分が一つになった瞬間。
 目に見えない忌まわしき呪縛から解き放たれた多摩は、内から満ち溢れていく充足感を生まれて初めて感じた。


「・・・・・爽快な気分だ。もう目の前で賑やかに動き回る美濃を捕まえる事も出来ずに苛つく必要も無い」

「美濃さまには二度と会わないでいただきたい」

「なに?」


「二度と姿を見せず、ここを立ち去って欲しいと言っているのです・・・っ」


 美濃という言葉を聞いて我に返った巽は、掴まれた腕をふりほどき言い放った。
 何もしていないのに息が上がっている。

 何が起こっているのか、端で見ている乾には分からなかったが、巽の様子がどこか変だな、とこの時感じた。
 どこが、何が変なのか、いつもと何が違うのか、ただ漠然とした疑問だけだったため、乾は今起こっている緊迫感を優先するしか無かったのだが。



「・・・美濃さまは、貴方に夢を見すぎている・・・っ、幼いままの気持ちで一緒にいられると信じすぎている・・・っ!!」

「・・・・・・」

「貴方のことを彼女の口から幾度聞かされたか分からない。だがそれは親愛の情で、それ以上のものではなかった・・・っ、今の貴方は彼女を己の征服欲で満たしたいだけではないのか!?」


 純粋すぎる彼女は、きっと深く傷つく。
 あの日溜まりのような笑顔も、何もかもを失ってしまう。

 この国の未来は彼女のもの。
 自分はその傍らでそっと見守り続ける、そんな姿を想像していた。


 だがそれは・・・
 目の前の、この男がいなければ、の話だ・・・・・・



「おまえの言っている事が俺には何一つ理解出来ぬな。美濃がどう思おうが、おまえが俺をどう評価しようが知ったことではない。・・・おまえ・・・・・・、俺の邪魔をするのか?」

「・・・・・・貴方が、ここを立ち去らない限り」

「立ち去る理由が無い」

「では貴方を殺す・・・っ! 例え差し違えても、・・・それが俺の役目だ」


 紅い眼が不愉快に細められる。
 そんな表情にさえ、なんと現実味のない存在だ、と巽は苦々しく思う。

 何もかも、恐ろしいほどに人の目を奪い惹きつける。

 このような者がこの世に存在して良いはずがない。
 全てが破滅する、取り返しのつかない未来が見える。



「おまえに俺は殺せぬ。・・・結果的に"あれ"を手に入れるのは俺なのだ」





 ふわり、白い装束が窓から入ってきた風に舞う。





 ───白い装束・・・・・・・・・?



 一見して、それは死に装束のような。


 また変な感覚が呼び戻される。
 思い出せそうで思い出せない・・・だが、確かにこの目で・・・



 目の前にいるのは、背の高い長身の黒髪。
 端正な容姿から漂うのは、圧倒的な存在感。





「・・・・・・・・・どこか・・・で」


「なるほど、記憶そのものが失われていたわけではないのだな」


「・・・・・・?」




「・・・皆忘れる。おまえのように。俺の神託を覚えている者は、俺だけだ」




 静かな、抑揚のない声。
 囁くようなそれは、全てを知り、全てを分かっていて行使する強さを持っている。




「・・・・・・長い・・・黒髪の・・・男・・・?」


「俺自身にも確信は無かった・・・だが、この状況下であれが俺以外の誰か、という選択肢は消えたのだ。あれは俺、運命の選択は必ず行われる」





 ───ゴロ、・・・ゴロゴロ・・・・・・ッ


 遠くの空が唸り出す。

 多摩が口角を持ち上げ、笑みを浮かべる。
 だが、その眼は決して笑っていない。
 背筋が凍るとは正にこの事だと思った。


 神託・・・あれはどのような内容だった?
 何故覚えていない。覚えているのは多摩だけ・・・? そんな馬鹿なことが。

 ならば何故俺は思い出せない。
 いや、憶えはあるのだ。


 青空が次第に曇り空へと変化していく。
 空は夜のように暗く変化し、雷雲が発生し始める。


 この光景は見覚えがある。
 そう、憶えがあるのだ。


 何が起こる。


 黒い雲、雷雲、・・・運命の選択。
 何を選ぶ?
 何を選ばせる?


 ・・・危険、
 そうだ、この男は危険なのだ。
 行かせてはいけない。


 美濃さまに、二度と会わせてはいけない。




「その前に俺が貴方を殺す。この力を行使して生き延びた者は、唯一人も存在しない」




 巽の目が極限まで見開かれ、光を放出した。
 多摩は見たこともない不思議な光景に驚きの表情を浮かべ、同時に目を奪われる。


 ───それが命取りなのだ。




「・・・ばっ、・・・・・・やめろ!! 見るな、多摩!!! 巽を見るなーーーーーーーーッッ!!!!!」




 乾が突如叫ぶ。
 彼は巽の放つ光から逃れるように強く目をつむり、多摩が立つ方へ走った。

 まだ間に合う。
 きっと間に合う。

 見てはいけない、己の全てが壊される。




「その男は美濃さまにとって有害そのもの。例え乾であろうと、邪魔をするのは赦さない」


 腰にかかる護身用の剣を、巽は何のためらいも無く抜き、乾目掛けて投げつけた。
 ビュッ、と空を切るそれは、まるで矢のように、まるで的を射るように、乾に視線を移すことなく意図も容易く彼はやってのけたのだ。


 乾の身体がスローモーションのように宙を舞う・・・




 ・・・・・俺は・・・・・巽を甘く見過ぎていた。



 床に身体を叩き付けられる瞬間、乾は漸く自分の身体を貫く友の剣に気がついた。
 相手が巽なら、自分が危険に曝される筈が無いと・・・甘く見た。

 何かが変だと感じたあの時、彼は悟らなければいけなかった。
 多摩が自分を取り戻し、それを目の当たりにした巽は一分の隙が命取りになることを理解したのだ。

 全てを断ち切って、全身全霊で多摩に立ち向かう決意をする為には、例え誰が邪魔をしても赦しはしない。




 ・・・・・・俺は・・・・・・・・・巽に・・・・・・




 失いかける意識の狭間で、乾は二人の姿を眼にした。




 こちらを見向きもしない友の姿と、

 放つ光に、今にも吸い込まれてしまいそうな多摩の姿。







 もう・・・・・・駄目だ。

 あの眼を見てしまったら・・・・・・もう逃げられない。




 ・・・・・・・・・本当に、・・・・・・見たことがないんだよ。




 あの眼を見て、生き延びたやつなんて───












その4へつづく


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