○第8話○ 破滅の恋(その1)
あれから・・・何度意識を失い、どれだけ身体を繋げたのか。
美濃にとって唯一出来た泣く行為も喚く行為も、聞き入れられる事のない意味の無い行為にしかならず、休むことのないこの行為は、まともにものを考える力を奪っていった。
そんな日々が続いたある日、初めて多摩は美濃の意識のあるうちに身体を離し解放した。
多摩の熱も身体の重みも消え、全身が悲鳴をあげていると言うことに、美濃はこの時初めて気がつく。
指一本動かすことすら億劫で、起き上がるなんてとても出来そうにない。
そんな事にも気づけない程、長い時間をかけて身体に強く刻み込まれた。
自分の中にはまだ多摩の感触が強く残っていて、自分の身体とは思えないほど言うことをきいてくれない。
「・・・・・少し眠れ」
頬を、多摩の大きな手がやんわりと撫でる。
美濃の隣に横になり、乱れた髪を手で梳いてやりながら、少し気怠げに唇を寄せる。
まともな思考をしていれば、多少でも抵抗を示せたかも知れない。
だが、もはや普通に物を考えることを放棄してしまうほど疲弊しきってしまい、言われるままに目を閉じて、眠りに落ちていく・・・
───・・・もう・・・このまま・・・・・・、・・・永遠に眠ってしまいたい・・・・・・
深い眠りの奥で、美濃は心から切望した。
多摩は完全に意識の失くした美濃の口をペロリと舐め、小さく開いた唇に自分の舌を滑り込ませた。
歯列をなぞり、舌先で上顎を突く・・・
『ふぅ』・・・と苦しそうに喘ぐ美濃の様子に胸の奥がくすぐったくなって唇を離してやると、涙を浮かべたままで寝てしまった所為で目の端に涙の粒が溜まっている事に気づき、それを舐め取ってやった。
───妙な気分だ。
胸の奥が・・・・・
落ち着くと思えば、ざわつく・・・
多摩は彼女の寝顔を見つめたまま少し考え込んでいた。
だが、『・・・ガタン』、遠くから僅かに聞こえた物音に起き上がると、ため息混じりにベッドから降りて、寝ている美濃を残したまま部屋から出て行った。
大階段を降りたところで、気ままに歩く後ろ姿を目にした多摩はピシャリと言い放つ。
「・・・あまり彷徨くな」
後ろ姿は声に反応して振り返った。
乾だった。
「退屈で堪らないんだよ」
「・・・傷が治ればすぐそれか。呆れたものだ」
「多摩は楽しそうじゃん?」
「・・・」
「ははっ、他の女なんて見向きもしなかったのにねぇ。あんまりヤリすぎると、姫さま壊れちゃうよ?」
「・・・壊れる?」
本気で疑問の声を発する多摩に、乾は苦笑した。
今日までの事を思い返すと、乾ですら美濃が可哀相に思えてくるからだ。
乾は最初の数日間、巽にやられた傷で生死を彷徨い続けた。
傷の手当ては主に伊予が行い、巽自身もまた乾の世話をしていたようだった。
目が覚めて動けるようになるまで更に数日を要し、ふと多摩の存在が無いことに気がついたのである。
二人に聞いてみると、美濃と部屋に籠もったきりもう何日も出てこないとだけ言われた。
中で起こっている事など簡単に想像がつく。
あれ程執着していたのだ。
何もないわけがないし、行為そのものは乾の所為で何度も目の当たりにしているわけで・・・
だから何をしているかなんて、愚問以外何ものでもないとは思うのだが。
───今までヤッてましたって顔してるよ・・・あの多摩が・・・
・・・正直、あの多摩がここまで溺れるとは今の今まで、こうして本人の顔を見るまで信じがたい事だった。
「女の体力は男より遙かに劣るからな。程々にしとかないと、ヤるのが厭になるってことだよ」
「・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・」
「ぶっ」
渋い顔をして黙り込んだ多摩に、乾は吹き出した。
自分本位にどれだけ好き放題に美濃を求めたのか、それだけで分かるというものだ。
「・・・何を笑う。俺は可笑しくない」
憮然とする多摩が可笑しくて益々笑えてくる。
「まぁ・・・そうだな。・・・気絶させない程度にしといてやれよ?」
「・・・・・・・・・っ」
多摩が息をのむ。
考え込むように目を伏せ・・・首を横にふる。
彼の心の内が分かるような狼狽えようだった。
一体何回気絶させたんだ? と聞いたら何と返すのだろうか。
「・・・───神子殿」
突如、二人の後ろから多摩が呼ばれた。
「・・・まだそのように呼ぶのか」
呆れたように多摩が振り返った先には巽がいた。
巽は二人の側まで歩み寄ると、多摩の前で跪いてみせた。
この姿は、つい先日まで王に対して最大級の敬意と忠実な家臣である彼自身を示していたものだ。
「御加減はいかがですか。身体に痛みは・・・」
「・・・あぁ・・・そのような事もあったか」
思い出したように多摩は自分の肩に手を触れた。
あの日、この巽に内臓を潰され、両腕の骨を砕かれたのだ。
だが彼はさほどダメージを負った風にも見えず、今日まで平然と過ごしている。
「あの程度ならば、神子の里で幾度かやられたことがある。騒ぐほどの事ではない」
感情無く平然と言ってのける様が、彼のこれまでの道程を物語り、何とも言い難い気持ちにさせる。
確かに全てを取り戻した彼が尋常ではない回復力を持ち合わせているにしても、あそこでの生活が、あの里の全てがこうなるように彼を育てたのだ。
今の彼は己の力を取り戻した事で、圧倒的な力に満ち溢れている。
尽きることのないそれは、あらゆる事が彼の思い通りになる事を納得させるに相応しい。
ただ・・・
多摩の気持ちを動かし、ここまでに至ったのは美濃の存在に尽きる。
裏を返せば、彼女が絡まなければ動かないということで───
「・・・ところでさぁ、知らないうちに外が凄いことになっちゃったみたいなんだけど、あれってどういうこと?」
乾の問いに多摩は眉一つ動かすこと無く答える。
「・・・・・・見たままだ」
「俺の家、確か向こうの方にあった筈なんだけど」
「・・・」
「それに俺ら3人はどうするつもり? はっきり言って、俺らって今の多摩には邪魔でしかないよな?」
その問いは確信に迫ったものだった。
明らかに俺たちは邪魔な存在だ。
多摩が必要なのが姫さまだけというなら、それ以外の存在全てが要らないものでしかない。
他の奴ら同様殺すつもりか、それとも使い道を見いだしているのか。
多摩は一瞬だけ沈黙した。
その一瞬を奪うように乾が口を開く。
「・・・だけど、実は俺たちには役目がある」
「・・・・・・何だ」
「ここに貯蔵されている食料で永久に生存することは不可能。いくら多摩でも食事は必要だ、姫さまも同様にな。だから俺たちは狩りをする必要がある。それも一過性ではない、半永久的な供給を求めて」
「・・・・・・・・・」
「多摩はこういうのに頭が回らないタイプだ、そうだろう?」
「乾、無礼な言い回しはよせ」
「巽は黙ってな。多摩、分かるだろう? そういうのが俺らの役目だよ。より効率的に、より政治的に、より優位に調達する」
政治的に狩りをする?
一見理解しがたい発言に感じた。
・・・だが、・・・・・・
「・・・・・・好きにするといい」
何となく・・・乾を泳がせてやる気分になった。
元より変な男だ、自ら利用されようとして。
「明日にも行くさ。こんな何にも無い所、俺には退屈なだけだ」
その台詞を受けて多摩が薄く笑う。
どこまで都合良い存在でいつづけるのか、それで満足することなどあるものか。
乾に対しては疑問に感じる部分も多い。
だが・・・・
今の多摩の心を占めるのは、それより何より・・・
すっかり胸の奥深くまで美濃で埋め尽くされ、狂わされてしまった。
温もり、香り、甘く蕩けそうな・・・・・油断すると身体も心も美濃を求め出す。
早く目を覚まして、
早く俺を見ろ、
おまえだけは、啼いても喚いても、俺の側に置いて離さない。
「・・・・・・少し、外に出てくる。・・・・・・上で美濃が寝ている、静かに過ごせ」
「随分優しいんだな」
「・・・・・・」
───優しい?
そんなものではない。
“俺以外の存在”をあの子が知ったところで、つまらぬ事しか起こらないからだ。
心の拠り所になるものなど、あの子には与えない。
「・・・・・・なぁ、多摩、今、満足か? 少しは腹いっぱいになったか?」
不意に、後ろから投げかけられた乾の問いかけ。
扉を開ける。
久しぶりの外の世界。
夜風がひやりと肌を冷やした。
───もっと、もっと・・・もっと欲しい。
身体が熱いのだ。
あの子に触れていないと、心がかさつく。
ずっと餓えていた。
欲しくて欲しくて、ひたすら求めていたものだ。
ほんの少しあの子の世界を手にしたからといって、この餓えは簡単に満たされたりはしない。
多摩の目が欲情で濡れる。
はぁ・・・と熱い息を吐き、頬が上気して赤みが差した。
「───・・・足りない・・・・・・」
多摩のつぶやきに、乾は心底嬉しそうに笑った。
月夜に照らされる多摩の後ろ姿が、風に揺れる。
見渡す限り“何も無い”世界が拡がって、当の本人は夜風が心地良いのか目を閉じて静かに佇んでいる。
食い尽くすように世界を無にした多摩。
でも目的はそれではなかった。
ただ、美濃を欲しがっただけだ。