○第10話○ 深紅の瞳と歪んだ命数(その3)
多摩と巽は雪道をひたすら駆け続けていた。
当然ながら宮殿に残してきた2人が自分達を追いかけようとしているなど知る由もない。
雪道を駆けるさなか、巽は前を駆ける多摩の背中を見ながら、胸の中に抱く微妙な思いとどう向き合えばいいのか考え続けていた。
そもそも自分達がどこに向かおうとしているのか、その目的が何であるのか・・・巽には今この瞬間でさえよく分からないのだ。
大広間での様子から恐らくは侵入者の追跡と察する事は出来るが、巽には領地に何者かが侵入したとしても、ある程度距離が近づかなければそこまでの感覚は働かない。
テリトリーの端から端までを網羅するほどの鋭敏な感覚を持つなど、こんな事が出来るのは多摩だけだ。
彼と共に過ごしてきた時間は長いが、多摩の中にある計り知れない力の一端ほどしか自分たちは知らない。
と、その時ふいに多摩の駆ける足がぴたりと止まり、後に続いていた巽も止まる。
多摩は周囲に視線だけを泳がせて、まるで何かを探っている様子だ。
「・・・・・・まさか・・・上空か・・・?」
呟いた声は相変わらず殆ど抑揚が無く、淡々とした物言いだ。
だが彼の全神経が、見上げた先に感じる何か得体の知れないものだけに注ぎ込まれていると分かった巽は、自分も同じように空を見上げた。
ふと・・・妙な感覚がして一瞬だけ目眩をおぼえる。
何かが迫ってくる・・・?
これは先ほどまでは全く感じなかった感覚だ。
「巽よ、・・・おまえも気づいたか」
「・・・は・・・、しかし・・・これは・・・・・・なんでしょう」
「分からぬ・・・が、何とも"異質"なものだ。・・・だが、"あれ"には憶えがある。これまでも度々縄張りに侵入してきたものと同一の気配だ」
さらりと言われたその言葉に、普段冷静な巽がぎょっとしたように目を見張った。
「・・・今、・・・侵入と言ったのですか・・・?」
「そうだ」
「・・・・・・ッ、では、あなたはこれまでも、"あれ"がこの土地を頻繁に彷徨っているのを知りながら、放置していたと言うのですか?」
「何を今更・・・、あのような得体の知れないもの、放っておいて害をもたらさないなら、そうするのは当然だろう」
「・・・それは・・・そうかもしれませんが」
「だいたい、今までは現れても長居はせずすぐに立ち去っていたのだ。しかも、何を好んでか同じ場所ばかりにやってくる。・・・こうして近づいてくるのは初めてだ」
「・・・・・・しかし、同じ場所ばかりとは・・・何か不可解なものを感じます」
「不可解といえばそうかもしれぬ。・・・かつて"神子の里"があったとはいえ、あのような辺鄙な場所にいったい何の用があったのか・・・・・・、あぁ、そういえば変わった建物が建っていたな」
「えっ!?」
「それに、よくよく考えれば、あの娘が現れたのも神子の里だった。あの場所には何か特別な力が眠っているのかもしれぬな・・・」
「・・・・・・」
巽は呆然と多摩の横顔を見つめる。
これまでこの気配に気づきながら冷静でいられただけでも驚くが、何よりも、事も無げに話した"神子の里"という単語に衝撃が走った。
巽は空を見上げ、ごくりと喉を鳴らした。
現実離れした力の塊が、人智を越えた速さで近づいているのが手に取るように分かる。
一体何がどうなっている。
"あんなもの"が、これまで神子の里に出入りしていたというのか・・・?
美久様がいたのも神子の里とは・・・どういうことだ・・・?
神子の里は多摩が生まれた場所だ。
未来を見通す奇跡、その力を持つ神子は神子の里でしか生まれなかった。
しかし、かつて存在したその場所はこの国と同じく既に滅んで久しく、今は何もないただの平地だ。
同時にその場所は多摩にとって忌まわしい土地でもあり、いつも何かが起こる始点となってきた場所でもあった。
いつだって何かが起こる時は突然のように感じる。
しかし、それを見過ごすかどうかは別の話として、予兆と呼ぶべきものはどこかで必ず起こっているはずなのだ。
多摩は敢えて見過ごしていたのだろうが、今の彼の話から予兆は確実にあったということだろう。
「・・・まずは正体を見極めるのが先か」
そう言った多摩の声に巽は我に返る。
見れば多摩は真紅の瞳を見開き、片手を天に伸ばして五指を大きく開いている。
雪原を走る冷たい風が漆黒の髪を大きく揺らし、吐く息が細かい氷のように光っては消えていく。
瞬間、周囲を包む空気が大きく震え、それが肌に伝わり背筋に冷たいものが走った。
そして、多摩の指先から徐々に紅い何かが象られ・・・それを見ているだけの巽の全身にぞわぞわと言葉にし難い怖気が広がっていった。
───オオォ、・・・オ、オ・・・
赤黒い不気味な光を讃えた槍のような武具がいつの間にか多摩の手中に収まり、低いうなり声をあげていた。
多摩はそれを天空からやってくる得体の知れない力の塊に向けると、躊躇うことなく天に向かって一直線に投げ放つ。
まるで獣の咆哮のような音を放ちながら、それは一瞬のうちに空の向こうに駆け抜けていった。
巽はその姿を見ているうちに過去にこれと似た光景を目にしていた事を思い出し、憶えのある感覚に鳥肌が立った。
多摩は僅かに口元に笑みを漏らしている。
この状況でどんな精神状態ならそんな顔を出来るのか巽には分からなかった。
───ウオオォオオオオオ・・・オ・・・オ・・・・、・・・・・ン・・・・・・
天に消える唸り声。
周囲は不気味なまでの静寂に包まれていた。
そして、長く続く沈黙に、何も起こらないのかと疑問を感じた瞬間だった。
「・・・巽、少し離れろ」
放った先で何かを感じ取ったのか、緊迫した表情で多摩が低く言う。
巽はその命令に従い、一端彼から離れた。
何も起こらない訳が無い。
変化は起きたのだ・・・得体の知れないものが、今度は多摩を標的に変えたのかもしれない。
もしあれが多摩の命を脅かすことがあれば、せめて身を挺して阻止しなければと巽は頭の片隅で覚悟した。
ところが・・・その次の瞬間、巽は上空から高速で降下してくるものを視界に捉え、あまりの驚きに思考が止まってしまう。
───何だ、あれは・・・!? 黒い・・・翼・・・?
しかし、それはどう見ても鳥類ではないようだった。
喩えるなら"それ"は、人型の異形としか言い様が無いものだった。
それだけではない、それはたった今多摩が投げ放った赤黒い槍を片手に携え、すぐ其処まで迫っているのだ。
オオオオオオオオオォオンン・・・───
地鳴りと共に、異形の何かが紅い槍を大地に突き刺す。
突き刺さった中心から降り積もった雪が一気に蒸発して、咽せるほどの白い蒸気に周囲の温度が上昇し、長く目にすることの無かった地表が露わになり、上層はマグマのように溶けだした。
大きな黒羽が数回その場でゆっくり羽ばたき、巽はその衝撃的な光景にごくりと喉を鳴らす。
その者は、まるで最初から自分が有していた武具であるかのように平然とした顔で紅い槍を片手で大地に突き刺し、巨大な黒羽を背に携えたその姿は、この世に生きるものとして捉えるにはあまりに現実味が無く、まるで天が遣わした化身のように圧倒的な存在感を放っていた。
巽はあの赤黒く光る槍が、多摩以外の誰かの手によってまともな状態で触れているのを初めて見た。
そのうえ、寸前の所で異形の者の攻撃をかわしたらしい多摩に至っては、その者のすぐ傍に平然と立っており、互いに牽制するかのように睨み合っている状況は端から見ていても戦慄を憶える。
周囲に走る緊張が小さなきっかけひとつで弾けそうだった。
遠目からでも分かる獰猛な金の瞳が、怒気を孕みながら多摩を標的にしているのは明白だったからだ。
「お前達が例の同族食いか」
よく通る低い声が静かに言い放つ。
多摩と対峙しながらも、少し離れた場所に立つ巽に対しても牽制している様子がありありと伝わってくる。
多少でも刺激する動きを見せれば無事ではいられないかもしれなかった。
・・・が、
「・・・・・・くっくっく、・・・同族食いか・・・確かに俺達がそう呼ばれている事は知っているが、面と向かってそう言われたのは初めてだ」
多摩は珍しく表情を崩して嗤っていた。
それに対して人型の異形は尚も不遜な態度を崩さず、今度は手に持った紅い槍を地面から抜き取って多摩に切っ先を向ける。
巽は瞬時に身構えたが、静かに手のひらを此方に向けた多摩に『来るな』と無言で命令を下され、それに従いつつも内心どうして止めるのかと理解に苦しんだ。
「・・・・・・真紅の瞳か。本当にいたんだな」
「金の眼を持つおまえがそれを言うのか?」
「・・・ちっ」
「そんなものを俺に向けて何がしたい」
「・・・先に仕掛けて来たのはお前だろう?」
そう言うと、人型の異形は多摩に向かって紅い槍を勢いよく投げつける。
命中すれば無事では済まないだろう。
しかし、多摩はまたも攻撃を寸前の所でかわしたらしく、再び咆哮を上げた槍は先ほどの場所から少し離れた地点に突き刺さり、深く積もった雪を一瞬で溶かして下から覗く大地までをも溶解させた。
2人の立つ場所は熱気と冷気が混在するという異常な現象が一瞬で作りあげられ、むせ返るほどの蒸気で視界がますます白くなる。
だが、間近でそれらを目の当たりにしている多摩の横顔が、あろうことか何やら愉しそうに笑みさえ浮かべているように見えて、巽は自分の顔が引きつるのを感じた。
「おい、あの家から女を連れていったのはお前だろう。どこへ隠した」
「・・・・・あぁ、おまえの目的はあの娘だったか」
「手を出すつもりなら殺す。・・・あれはオレの女だ」
「おまえの?」
多摩は幾分驚いたように目を見開き、少し考えるように宙を仰ぐ。
そして直ぐにひっそりと笑みを漏らし、どういうつもりか男の方へ歩み寄っていく。
「それは少し残念な報せだ。・・・あの娘はそこに立つ巽か、もう一人の乾という男にくれてやろうと思っていたのだ」
そう言って多摩は巽に視線を流し、異形の男も誘導されるように巽に顔を向ける。
金の瞳に真っすぐ射抜かれた巽は憎悪の籠もった眼差しを向けられるも寝耳に水の話であり、どう反応して良いか分からない。
しかし、多摩はその険悪な空気など意にも返さない様子で喉の奥で笑いをかみ殺しながら言葉を続けた。
「そうこわい目をするな。・・・だが、そうか、あの女・・・そう言う事だったか」
「・・・・・・」
「世の理から外れた異端は俺達のもうひとつの始まりの形だ。歪な魂はおまえだったか」
「・・・? 何わけわかんない事いってんだ。イビツがどうした、そんなのこの姿を見れば誰だってわかるだろ」
「くっくっく、おまえ・・・本当におもしろいな、こんなにおかしな事は初めてだ。なるほど、・・・そういう事なら女はおまえに返してもいいだろう。元より無理強いする気も無かった。・・・そうだ、詫びの代わりに我らの宮殿で休んでいけ、ついでにおもしろいことを教えてやる」
「・・・・・・」
人型の異形をしたその男は、敵意の消えた多摩の態度に困惑しているようだ。
それでも警戒は解かずに不審気にじっと様子を窺い、考えを巡らせているのか暫し沈黙が流れた。
そして、不意に男は背に生える巨大な羽根を鳥が休息するときのようにゆっくりとした動作で折りたたみ、そのまま背の中へとみるみるうちに取り込んでしまうと、あの巨大な黒羽は跡形も無く消滅してしまったのだった。
見たことも無い光景に、夢でも見ているのかと巽は呆然と立ちすくむ。
しかし多摩はそれを興味深そうに食い入るように見つめ、更には男の瞳が金から青に変化したのを見て、またまた面白そうに笑みを漏らした。
その笑みを見て、巽は確信する。
やはり多摩は・・・この状況を愉しんでいるのだと。
「今日は何という日だ・・・全く興味が尽きぬ・・・」
感嘆したように呟き、多摩は男に近づいていく。
若干警戒した表情で眉を顰めていた男だったが、危害を加えるような行動にまでは及ばない。
・・・が、突如、多摩と男、2人同時に大きく身を翻したのだ。
しかも彼らは全く同じものを見ているのか、同方向を凝視している。
「・・・美久?」
男があの少女の名を微かに呟いた。
何かに導かれるように一点を見つめ続け、男は不意に視線の先へ向かって駆け抜けていってしまう。
その動きは埋もれるほどの積雪など感じさせないほど軽快で、音も無く木から木へと飛び移っていく姿は幻でも見ているかのような鮮やかさだった。
そのうえ、後に続くように多摩までもが木々を渡り、2人とも巽の前から一瞬のうちに姿を消してしまったのだ。
ひとり残された巽は呆然と雪の上に立つ。
あの二人が視線を向けていた方角に眼を懲らすが、既に視界の範囲には誰の姿もなかった。
「・・・・・・───おい、巽」
不意に背後から声が掛かり、巽はハッとして振り向いた。
巽が立つ場所からそう遠くない場所に長身の影が見える。
大木に身を預け、柔らかそうな蜂蜜色の髪が風に揺れたのがはっきりと目に映った。
「乾・・・、乾かっ!?」
巽は姿を確認するなり乾に走り寄る。
かなり疲労した様子の乾は、心配する巽を他所に悔しそうに息を吐き出した。
「くそぅ、何で俺のいない所でこんな面白そうな展開に・・・」
「お前、いつから此処に・・・」
「ついさっきだよ。この5日走りっぱなしで足腰ガタガタ、俺ってかわいそすぎる・・・」
「・・・大変だったようだな。まさか2人が出向いた先が神子の里だったとは・・・乾ひとりに任せてすまなかった」
「それはいいんだ、俺だって辿り着くまでどこに向かってるか分かってなかったんだ。だけどさぁ、神子の里なんて今や単なる平地だぞ? なのに、どういうわけかとんでもない結界が張られてて、俺としてはそっちに驚いたよ。しかも、それを多摩がわざわざ突破して大騒ぎ・・・おまけにそこにいたバアルの上級兵士をメッタメタにやっつけてくれちゃって・・・、いくら何でもあの国を刺激すんのはまずいだろーに。多少のフォローは入れといたけど、あんま意味ないだろうなぁ」
「何故あんな場所にバアルの兵士が・・・」
「気にはなったけど、聞けるような状態じゃなかったしなぁ。・・・あ、多摩が女の子連れて帰らなかったか? ソイツ、その女の子と一緒にいたみたいなんだよなー」
「・・・美久様と?」
巽は眉を寄せ考え込む。
確かに彼女は誰かと一緒にいたような事を言っていた。
だが・・・それがバアルの兵士だったというのは違和感がある。
彼女にとっては危険極まりない相手のはずだが、そういう様子には思えなかった。
大体、バアルの者が断り無くこの地にいるのは何故だ。
迷い込むにしても神子の里というのが引っかかる。
どうも色々なものが一度に動き出している気がしてならない。
「しっかし、多摩の奴め・・・3日も走り通しだったのに、一瞬でとんぼ返りとかあり得ねぇだろ。・・・巽〜、俺の苦労分かってくれるよなあ?」
「ああ、頑張ったな」
素直に頷き労う巽の言葉に、乾は少しだけ照れくさそうに黙り込み、誤摩化すようにゴホン、と咳払いをする。
褒めてくれと謂わんばかりの口調だったくせに、素直に褒められると居心地が悪いらしい。
「・・・ま、まぁ、そう褒められるのもな、あれだな・・・。・・・あ、そういえば、さっきの男は何だったんだ?」
「俺にもよくわからない。だが、神子殿があのように興味を示す相手は美濃さま以外に初めて見た」
「ていうか、俺は別のところで驚いたよ」
「・・・どういうことだ?」
何やら乾が思わせぶりにニヤニヤと笑みを浮かべている。
こういう時の乾はあまり良いことを考えてない・・・若干眉を潜めた巽は内心そんなふうに思っていた。
「実はさ、神子の里にいた上級兵士と今の男、同じ軍服だったんだよな。珍しい色の制服だから見間違えじゃない、胸に黒羽の紋章があるだけでも間違いなくバアルの軍人だと言える」
「・・・なるほど。ということは先ほどの男もバアルの軍人か」
「っていうより・・・、むしろあれって行方不明の・・・」
「・・・?」
「ほら、バアルの紋章の由来、・・・聞いた事ないか?」
「・・・いや、生憎バアルの歴史については史書で多少読む程度の知識しか持っていない」
「まぁ、俺も噂で聞いた程度だから歴史ってほど大層なもんでもないけどさ。今のバアルの紋章って王冠の上に黒羽が羽ばたいてるだろ? あの紋章は末の王子が生まれてから、その子をイメージして変えられたんだ。・・・って話を、昔バアルに出向いたときに仲良くなった軍人が言ってた憶えがある。その話が本当なら、紋章は末の王子そのものを表していることになるはずだ」
「・・・それは興味深い話だな」
「と言っても、その王子、実際は存在自体がトップシークレットってくらい、情報が徹底的に遮断されて外部には漏れないようにされていたらしい。実際に見た事がある奴の話がどこにもないんだとか。俺がその話をバアルで聞いたときは行方不明って事になってたけど、存在してるかどうかすら微妙に感じたんだよな」
「・・・だが、それが本当なら・・・大変な話だ・・・」
「まぁなぁ・・・実際にさっき目の前でそれっぽいの見ちゃったしなー・・・」
「しかし・・・そんな話をよくバアルの連中が教えてくれたな」
「いやー、身元伏せて接すると意外に仲良くなれちゃうもんだよ。ホラ、俺の目、あんまり赤みが強くないからバレないし」
ヘラヘラと笑いを浮かべてそう答える乾を見ながら、巽は感心していた。
前々からこの人懐こさは分かっていたが、身元を伏せたとは言っても、まさか敵対関係のあるバアルの地でも通用するとは。
「ま、俺の交友は置いといてだなぁ・・・問題は今の男だろ。多摩の放った紅い槍を平然と投げ返すなんてとんでもないぞ? ・・・見ろよあれ、まだ地面が溶け出してる。オマケにそんな危ないヤツを前に、あの多摩が殆ど警戒心を示さないときた。・・・もしかして類は友を呼ぶってヤツか? ヤバイのが2人揃うと、・・・どうなるんだ?」
「・・・・・・」
「・・・手を組んで"もうひとつ"国を滅ぼしちゃったりして」
「乾・・・、あまり軽々しいことを口にするな・・・」
「へいへい、・・・相変わらず堅いね、巽くんは」
乾は肩を竦ませて笑っている。
こんな不謹慎な発言をしておいてどうしてそんなに愉しそうなんだ・・・巽は呆れたように溜め息を吐く。
だが・・・もしそんな事になったら・・・
巽の頭にかつて此処が国として存在した最期の光景が過ぎり、慌てて思考を打ち消す。
「・・・俺達も戻ろう」
「ああ」
大丈夫だ・・・
あの頃と今は、・・・全く違う・・・・・
神子殿は随分変わられた。
巽の頭の中で、たった今打ち消したばかりの、忌まわしくも凄惨な過去の出来事が頭の中を駆け巡る。
そんなはずは無いと自分に言い聞かせていないと、あの頃の亡霊に押しつぶされそうだった。
何故なら、この地に生きたあらゆる命を奪い滅亡に至らしめたのは、天変地異によるものでも原因不明の病によるものでもない。
それは数千年に一度と謳われるほど人々の羨望や期待を背負い、現存する最後の神子でもある多摩が起こした悪夢だったからだ───