『約束』

○第10話○ 深紅の瞳と歪んだ命数(その4)







 一方、意気揚々と宮殿を飛び出した美久と美濃は、ちょっとしたアクシデントに見舞われ、早々に途方に暮れていた。


「・・・・・・う〜ん、どうしよ。こっから先の足跡がひとつも無いね」

「・・・うん」

 二人とも足跡さえ辿れば追いかけることが出来ると考えていた。
 ところが、どんなに眼を懲らしても、ある地点から忽然と足跡が消えてしまって辿るに辿れない状況なのだ。
 首を捻って考え込んでいる美濃は、その理由が分からないようだった。
 そんな彼女の様子を視界の端に留めながら、美久は周囲を見渡して他に通った道があるのではないかと探ってみる。
 ふと・・・この辺りから急に背の高い木々が増え、何となく陽の光が弱くなっている事に気づいた。
 しかも今はもう陽が落ちかけていて、まるで深い森への入り口のよう。
 高い場所ならそれなりにまだ日が差しているかもしれないが、このまま進んだら足場が悪くて結構危険かもしれない。


「あ・・・もしかして、木の上をピョンピョン跳びはねて行ったとか?」

 半ば冗談のつもりで思いついた事を言ってみる。
 けれど、美濃はビックリした顔をして美久の手をギュッと握りしめてきた。


「美久すごい! ぜったいそうだよっ、多摩も巽もすごい身軽だもん!!」

「え、・・・・」

「そっかぁ、こう・・・木から木へと・・・なるほどー」

「それなら、どっちに行ったか、もう分からないね・・・」

「・・・っ!? ・・・そ、そうだ、ね・・・」

 またも美久の言葉に衝撃を受け、美濃はこの先どちらへ向かえばいいものか答えを見失ってしまう。
 しかし困り果てながら懸命に考えている様子を見ていると、何とも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 此処まで一緒に来てもらったが、美濃をこれ以上巻き込むのはいけない気がする。


「美濃ちゃん、此処から先は私ひとりで大丈夫。暗くなる前に帰って」

「・・・・・・なんで?」

「進めば進むほど雪も深くなっていくみたいだし・・・それに、だんだん暗くなってきて・・・、もし怪我したら」

「美久のばか!! こんな所にひとりで置いて行けるわけないじゃないっ!! 私だって・・・ひとりで帰るのいやだよっ!!! それに、怪我なんてしないもん、こう見えても丈夫だけが取り柄なんだから、平気って言ったら平気なんだからっっ!!」

「でも・・・」

「足跡が無いからってなによ、別にそんなの気にしないしっ、こんなの適当に進めばいつか追いつくんだから」

「それは・・・、遭難しちゃうかも」

「遭難なんかこわくないよっ、寒かったらくっつけばいいんだもん。美久はめいっぱい私を頼ったらいいんだよ! ほら、こんなの何でもないんだから」

「・・・あっ」

 美濃は美久の手を力強く握って、森の奥へとどんどん引っ張っていく。
 もはや足跡を探すどころではない。
 言い方が悪かったのか、完全に美濃は暴走してしまったようだ。
 こうなってしまうと美久にはどうしようもなく、ただただ彼女の言う後をついていく事しか出来ない。
 しかも雪は一層深く、場所によっては腰まで埋まってしまいそうな所もある。
 それを敢えて美濃は自分が先に立つ事で道を作って、美久が少しでも楽に進めるようにしている。
 そこからは打算も何も見えず、精一杯進む背伸びした後ろ姿はひたむきで、レイが消えてから続いた心細さを埋めるように、美久の胸に温かいものが少しずつ流れ込んでくるようだった。

 そう言えば・・・今までこんな風に接してくる子はいなかった。
 無意識のうちに人と深く関わらないようにしていたんだろうか。
 考えてみるとそれなりに会話するクラスメートはいても、親友と思える子はいない。
 楽しそうに男の子の話をする友達の話を、自分には縁のないものと適当に聞き流して面倒に思うこともあった。
 もっとたくさんの子と打ち解けようとしていれば、心の中を少しでも話せば、その中から親友と言える友達が出来たかもしれない。
 それはきっと凄く楽しいものだったかもしれないのに。
 だって、繋いだ手はこんなに温かい・・・


「・・・美濃ちゃんっ、・・・ありがとう・・・」

 少しだけ握りしめる手に力を込める。
 美濃はぴくんと肩を震わせ、息を大きく弾ませながら目をまんまるにして振り返る。
 一歩前に進むのだって大変なはずだ。
 後ろにいても結構きついのに、それをわざわざ前に立って自らが道を作ろうとして、弾んだ息と真っ赤な頬でどれだけ彼女の負担が大きいかよく分かる。


「うんっ!!」

 嬉しそうな笑顔がとても愛らしい。
 愛される為に生まれてきたみたいな人だと思った。


「今度は私が前を歩くね」

「えっ、平気だよ!」

「だってこれじゃ美濃ちゃんだけが大変で不公平だよ」

「そうかなぁ・・・そんな事無いと思うよ」

「じゃあ、向こうの木までが私で、また次の木までが美濃ちゃんにしよう?」

「う・・・ん・・・。でもぉ・・・」

「でも・・・なに?」

「ホラ見て、まだあんまり進んでないの。びっくりしちゃうね」

 片手で後ろを指さし、美久も後ろを振り返る。
 蛇行しながら進んだ跡・・・
 それはまだ足跡が無いと騒いだ場所から多く見積もっても20メートル程度だろうか。
 かなり頑張って進んだ気がしただけに拍子抜けするような距離しか進んでおらず、美濃の『びっくりしちゃうね』というのが当てはまりすぎて本当にびっくりした。
 突如、すぐ傍でボスンという音がして2人ともドキッとする。
 それは少し先の木の上から雪が落ちただけだったのだが、とても大きな音に聞こえたのだ。
 そうして固まっているうちに今度は別の木の枝が小さく揺れ、またも枝に積もっていたらしい雪が音を立てて落下する。

 何だか・・・ちょっと不気味だ・・・

 喉を鳴らして周囲に眼を懲らす。
 異様なまでに静かで気味が悪い。
 2人いるのにそう思うんだから、1人だったら比べものにならない程こわいに違いない。


「・・・・・・何か、が・・・」

「・・・?」

 突然美濃がぶる・・・と震えながら美久の腕を強く掴む。
 彼女はどこか遠くを見ていた。
 視線の先を追いかけるように振り返ろうとしたが、


「美久は見ちゃだめ!!!」

「・・・えっ!?」

 そう言ってぎゅうっと抱きつかれて身動きが取れなくなってしまう。
 もこもこに着込んでいる所為かそれ程力は入っていなくても容易に動く事は出来ず、何よりもどうして急に抱きしめられてるのかよく分からず首を傾げるばかりだ。
 見れば、真っ赤な頬を美久の肩に押しつけた美濃の白い息がキラキラとした氷の粒になっていた。
 先ほどよりもかなり気温が低くなってきたのかもしれない、頭の隅でそんな事を冷静に考える自分がいた。


「・・・美濃ちゃん、・・・あの」

「だめ、だめ、だめなの」


 本当にどうしたんだろう。
 もしかして・・・何かいるんだろうか・・・?

 その考えにたどり着いた瞬間、心臓がどくんと跳ねる。
 何故なら美濃は強く抱きつきながら美久の肩越しで息をひそめて、どこかをじっと見ているのだ。


「・・・美濃ちゃ」

「おねがい、私につかまって。離れないで、離れないで」

「あの・・・」


 ガサ・・・───

 音が・・・近くの木の上から・・・聞こえた。
 普通に考えればこの森に住む動物と思う方が正しいのかもしれない。
 けれど、美濃の様子がそうじゃないと言っているのだ。


「違うの、・・・、だめなの、だめなの」

 ぐいぐいと圧されてよろめく。
 ただでさえ足場が悪いのに体重をかけられてしまっては一溜まりもない。
 にも拘らず、美濃は倒れそうなくらい尚も体重をかけてくる。


「だめなの、だめなの」

「・・・あ、・・・わ、・・・倒れちゃ・・・・・・───」

 ぐら〜っと2人の身体が傾き、そのまま重力に逆らえずに美久が押し倒される形で雪の中へ身体が沈んだ。
 幸いと言うべきか柔らかい雪が積もっているのでクッションの上に転がったような感覚だったが、完全に雪まみれ・・・流石に頬にあたる雪が冷たい。
 そして、不意に美久は倒れた自分の頭の先に『サク・・・』と雪を踏む音が聞こえて我に返った。
 本当に何かいる。
 なのに起き上がろうとしても先ほど以上に美濃にしがみつかれてどうにも動けないのだ。
 まるでそれは、上に覆い被さることで美久を隠そうとしているようでもあった。


「美濃ちゃ」

「わ、私だけだもん、ここにいるの私ひとりなんだから!!」

「・・・」


「・・・・・・、・・・・・・ひとり・・・?」


  ───・・・え?

 心臓が跳ねる。
 低音のよく通る声が、すぐ近くから聞こえたのだ。
 喉を鳴らして美濃の腕をギュッと掴んだ。


「そーだよ、私ひとりなの、見てのとおりなんだからっっ」

「・・・そう? ・・・じゃあ、下から腕がもう2本見えるのはどうして?」

「うっっ、・・・そそそそれは・・・っ、えーとえーと、・・・あっ、私の手が4本あるからだよ、そうに決まってるでしょ? 今、私は修行中の身だからこれ以上は答えられないの・・・っ、だから、はやく向こう行ってね、ばいばいっ」

「・・・・・・」

 美濃は一気に喋ると再び身を固くして下にいる美久を抱きしめた。
 会話の相手はそれきり沈黙し、代わりに2人の頭の上に影が落ちる。
 たぶん上から覗き込んでいるんだろう。

 それにしても美濃ちゃん・・・、嘘が下手だ・・・・・・
 どう見たって私より小さな美濃ちゃんが私を隠せるわけないのに・・・

 だけど、あまりに嘘が下手だから、見下ろしてる影が声を殺して笑っているみたいだった。
 笑いを含んだ息づかいで手を伸ばし、はみ出している美久の腕にそっと触れる。


「出ておいで、美久。・・・もうわかってるんだろう?」

 名前を呼ばれて鼻の奥がツンとする。
 美濃の腕を掴んだ自分の手が小刻みに震えていた。


「・・・レ、・・・レイ・・・・・・」

「・・・、・・・・・・え? えっ? ・・・レイ・・・って、それって確か・・・」

 驚いた美濃は此処で漸く顔をあげ、しゃがんで自分達を見下ろしている相手の顔をはじめて目の当たりにした。
 彼は美久に手を差しのべ、美久も彼に手を伸ばす。
 2人の手がしっかりと繋がれて、美濃の下から引きずり出される。
 美久の身体は強く抱きしめられ、すっぽりとその男の人の腕の中へと収まってしまった。


「・・・、ひとりにしてごめん・・・」

「───・・・ほ・・・、ほんもの・・・・・・っ・・・?」

「ああ、本物だよ」

「・・・・・・、わ・・・私・・・っ、・・・レイが死んじゃったらどうしようって・・・、・・・・・・」

「そう簡単に死んだりしないよ」

 薄暗い中、風に揺れる色素の薄い茶色の髪。
 白い肌に宝石みたいにとびきり綺麗な瞳。
 そして、その整った顔が柔らかく微笑んでいて・・・美濃は思わず見とれてしまう。


「美濃、おまえはこんなところで何をしている」

 不意に後ろから腕を取られて美濃はハッとした。
 振り返るといつの間にかそこには多摩が立っていて・・・身体についた雪を適当に払い、彼は美濃を当たり前のように抱き上げる。


「・・・あのね、美久を多摩のところに連れて行く途中だったの」

「待っていろと言ったはずだ」

「う・・・、だってだって」

「あ、あの・・・、ごめんなさい。美濃ちゃんは悪くないんです。私が無理を言って此処まで彼女をつきあわせてしまったんです」

 美濃が責められているのを聞いて、すかさず美久が口を挟む。
 本当の事だ、自分があんな風に取り乱して懇願したせいで彼女を巻き込んでしまったのだ。


「・・・私・・・、あなたが未来を見通せる力を持ってるって聞いて・・・どうしてもすぐに教えて欲しいことがあったから、それで・・・」

「・・・・・・」

「どこに行けばレイ・・・彼に会えるのか知りたくて。まさかあなたがレイを連れてこようとしてたなん知らなかったから・・・美濃ちゃんを巻き込んでごめんなさい」

 どうやらこの状況は美久の目から見ると、多摩がレイを連れて来たと言う事になるらしい。
 本当は一歩間違えば一色触発という状況だったのだが、敢えて言うのも馬鹿らしいと思ったのか、レイは微妙な顔をするだけで特に何も言うことはなかった。
 多摩は無表情なままそんな2人を見つめている。
 やがて静かに空を見上げ、艶やかな黒い長髪が風に靡き緩やかな曲線を描いてサラサラと肩からこぼれ落ちた。
 風が強くなってきた・・・多摩の白装束が音を立てて揺れているのを見て美久はそう思った。


「・・・今夜は吹雪く。我が宮殿へおまえ達を招待しよう・・・、少し話したいこともある」

 そう言うなり多摩は美濃を抱きかかえたまま背を向け、振り返ることなく軽やかな動きで音もなく雪を蹴り上げ、あっという間にこの場から立ち去ってしまう。
 此方の返答を聞かなかったのは当然来ると思っているのか、来てもこなくても良いと思っているのかよく分からなかった。
 2人の気配が小さくなっていくと、レイは少しだけ緊張を解いて立ち上がる。
 そして腕の中の美久と目を合わせ、少しだけ安堵したように目を細めた。


「驚いた、・・・美久にこんな行動力があったなんて知らなかったよ」

「それは・・・自分でも驚いてる・・・」

「オレに会うために、此処まで歩いてきたの?」

「・・・うん」

「・・・がんばったね」

 彼の声が凄く優しくて涙が出そうだった。
 本当に夢じゃないんだろうか、会いたいと願いすぎて幻を見てたとしたらどうしよう、夢だったら醒めないでほしいと強く願う。
 けれど抱きしめる腕は温かくて、これが紛れも無く本物のレイだという事が分かってたまらなく嬉しい。


「・・・レイはどうやって此処に?」

「あぁ・・・オレは手段さえ選ばなければ、何とでもなるから」

「・・・?」

 レイはどこか遠い目をしていた。
 少なくとも連れて行かれたのは事実なのだから、一度は彼の生まれた場所へと戻ったのだろう。
 今自分が立っている場所がどういう場所にあるかは分からないけれど、レイがこうしているのがそう簡単なことには思えない。
 きっと何かあったのだ。
 そうでなければ、レイの瞳に見え隠れする暗い影は何だというのだろう。
 何だかこのままレイが手が届かない所へ行ってしまいそうな錯覚に陥り、きゅうっと胸が痛んだ。


「・・・さっきの男に着いていく? ・・・美久が決めて良いよ」

「・・・・・・え、・・・・・・えと・・・」

「・・・」

「・・・・・・・・・着いて、いきたい・・・」

 美久は少しだけ考えて、そう答えた。
 多摩の言いかけた話が頭の隅に引っ掛かっているのも事実だし、このまま美濃に何も言わず去るのもいやだった。


「分かった。・・・ところで美久、一体何枚着てるの? どこまで抱きしめても腕が沈んでいきそうだよ」

「・・・わかんないけど、美濃ちゃんが寒いからって」

「そう・・・彼女、・・・美久を凄く気に入ってるみたいだね。・・・・・・・・嘘は下手だけど」

 レイはさっきのやりとりを思い出したのか、珍しく歯を見せて笑っている。
 言われた瞬間、美久も同じ事を思い出して、一緒に笑ってしまった。
 美久を庇う為についた可愛い嘘。
 腕が4本あると、修行中だからと懸命に言い張る彼女を見て誰が彼女を疑うだろう。
 あれ以上の勇気なんて中々見られるものじゃないと美久は思った。


「美濃ちゃん、すっごくいい子なんだよ」

「・・・そうみたいだね。・・・じゃあ、行こうか。しっかり掴まっていて」

「うん」

 頷くとレイは美久を抱えたまま音もなく雪を蹴る。
 重さなど関係ないような軽やかさだった。
 自分達はあんなに苦労して雪に埋まって歩いたのに、その分の距離を戻るのはほんの一瞬で、レイは人ひとり抱えながらでも鮮やかに雪道を駆け抜けていく。
 美久はレイの横顔を見ながらぎゅっと抱きつき、その肩に顔を埋める。
 すると、抱きしめるレイの腕に力が入るのがわかって、涙が出そうになった。
 今はこの温もりに触れられるだけで胸がいっぱいだった。










その5へつづく


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