○第12話○ 過去(その1)
───翌朝。
呼びにきた乾に大広間へ連れて行かれると、そこには既に全員が揃っていた。
「一応、確認をしておく。記憶が戻るか不確定な要素が多分にある。予期しないことが起こる可能性もあるだろう。・・・それでもやるのか?」
広間の中ほどまで進んで立ち止まると、多摩に問いかけられる。
美久は心の奥まで見透かすような眼差しに一瞬だけビクッと震えたが、確認の意味を込めて隣に立つレイを見上げた。
視線を感じたのか、レイも美久に目を合わせる。
小さく頷くと、彼は何も言わずに手を握りしめてきた。
「・・・・・・ああ、やるよ」
レイは多摩に向き直って一言だけ答える。
自分の意見を通す気はないと言っていた通り、尊重するのは美久の意志のようだ。
「そうか」
多摩は頷き、暫し二人を黙って見ていたが、やがて後ろに立つ巽に目で合図を送る。
それに従って前に出てきた巽は相変わらず読めない表情をしていた。
しかし、レイはこれから自分たちがどうなるか、多少の想像は出来る。
つい先日、過去の断片のいくつかを彼の力によって見せられたばかりだ。
時間の経過についてははっきりとはしないが、実際はほんの数秒程度の出来事だったのだろう。
そう考えるとそれほど長い時間を必要とするものではないのかもしれない。
レイはそんなことを思い浮かべながら、不思議な光を放つ巽の目をじっと見つめた。
「では、此方に布を用意しましたのでお座りください。後ろから美久様をレイ殿が抱きかかえ、後頭部に額を押し付ける形を取っていただければ・・・」
巽は広げられた敷き布を指差し、二人は指示されるままにそこに座る。
レイは美久を後ろから抱きしめ、自分の額を彼女の後頭部に押し付けると、少し疑問が浮かんだ。
「こうしてると俺はあんたを見ることが出来ないが、それでいいのか?」
「構いません。その代わり、美久様は私の目を逸らさないでいてください」
「はい」
「レイ殿は紅い光を感じたら・・・何があっても逆らわないようにお願いします」
「・・・・・・わかった」
いくら美久の意志を尊重するとは言え、特に信頼を置いているわけではない相手だ。
身を委ねることに違和感を拭いきれないまま、レイはかろうじて小さく頷く。
一方で美久はそれほど警戒してないのか、素直に頷く様子が窺える。
せめて何も問題が起こらずに終わってくれと願い、レイは抱きしめる腕に力を入れた。
「レイ、・・・・・・ごめんね」
身体に回されたレイの腕にそっと手を当て、突然美久は小さな声で囁く。
どうしたんだろうと顔を上げると、彼女は少しだけ振り返った。
「こんなの、レイにはすごく嫌なことだよね」
「?」
「頭の中を覗くようなもの・・・というか、そのものだし・・・」
「それは・・・・・・」
言われてみればこれは頭の中を覗かれる行為だと、今さらながらレイはそのことをぼんやりと考える。
確かに気分のいいものではない。感情も何もかも隠すことなく全てを見られてしまうんだろう。
しかし、そのことを躊躇する気持ちはあまりなかった。
腹をくくっているわけでもないし、まな板の上の鯉の気分というわけでもない。
彼女に見られるというのがどういうことなのか今ひとつピンときていないだけというのが、実際のところだった。
「だけど、私、・・・嬉しいと思ってる。過去とか、そういうのを抜きにしても、いつも言葉を飲み込んでしまうレイの声が聞ける、レイの目に映った世界が見られるって、そんなふうに思ってしまって。・・・・・・ごめんなさい」
意外な言葉に少し驚く。
そんな考え方もあるのかと思いながら、レイは済まなそうに目を伏せる美久に笑みを浮かべた。
「・・・・・・謝らなくていいけど。・・・俺のことを嫌になるかもな」
多分、いつも碌なことを考えていないだろうから。
そんな意味を込めて言うと、美久は『ならないよ』と少しむきになっている。
小さく笑い、もう一度彼女の身体を強く抱きしめた。
・・・・・・何だか力が抜けた。
彼女と無事に戻ってこられれば、もう何でもいい。
「では、始めます」
会話が終わるのを待っていたのか、巽はタイミングよく声をかける。
レイは自分の額を彼女の後頭部にぴったりとくっつけ、時が来るのを待った。
やがて、美久の身体がぴくんと震え、その反応を窺っているとぼんやりと紅い光を周囲に感じる。
左右に目を動かすと自分たちに向かってその光が発せられている様子が分かり、彼女は今どうなっているんだろうと気になった。
───と、
突然大きな衝撃を受け、レイはビクッと震えて目を見開く。
何だ・・・?
無遠慮に内部に手を突っ込まれて掻き回されているような・・・、何かを探られているようなそんな感じだ。
この前はこんな感覚ではなかった。
頭のどこかでそんなことを考えるも、身体が動かない。
そう言えば、紅い光を感じたら何があっても逆らうなと言っていた。
このおぞましい感覚に逆らうな、そういうことだったのかもしれない。
だとしても、どのみち動けないじゃないかと舌打ちしたい気分のまま、レイはひたすらその感覚に堪える。
気持ちが悪くて吐き気がした。
内をかき回され、その衝撃が繰り返される度に鳥肌が立つ。
しかし、それと同時に頭の中で映像が浮かんでは消えていく。
幼少期から少年期へ、成長していく自分が・・・。
小さなレイはクラークに抱きつき、クラウザーに笑顔を向けていた。
あんな時もあったと他人事のように感じながら、やがて紅い光の中へと飲み込まれていくのを感じる。
そして、流されるまま逆らわずにいると、ふと、光の渦の中心に立つ美久を見つけた。
───美久、こっちに・・・
手を伸ばし、彼女を捉えようとする。
けれど、渦の中心に中々辿り着けず、美久を捉えることが出来ない。
あと少し、もう少し、そうしているうちに、彼女が誰かを見ていることに気がつく。
誰だ・・・、美久、誰を見てる?
その男は誰だ? どうして俺を見ない?
美久が見つめるのは、男の後ろ姿。
けれど、その後ろ姿にはどこか見覚えがあるような気がした。
考えている間にも、美久はその男に自らの意志で近づいていく。
しかも、彼女が男に手を伸ばして触れると、あろうことか、美久の身体が男の中に徐々に取り込まれていく。
おい、美久をどうするつもりだ! 美久、そいつから離れろ!!
驚いて叫びを上げるが、彼女には届かないのか振り向くことさえしない。
どう言う事なのかわからず、困惑しながらレイは尚も叫ぶ。
そして、男の身体と彼女が解け合っていく最中、その男がゆっくりとレイを振り返ったのだ。
───え?
レイは驚愕に目を見開く。
振り返ったのは他でもない、自分だったからだ。
今よりも、ほんの少し幼さを残した・・・・・・あの時の自分が。
美久を取り込もうとしているのは・・・オレ自身?
よく分からなかった。
自分は此処にいる。しかし、此処にいるのは出会った頃の自分ではない。
そう考えるなら、今の美久に必要なのは過去の自分ということだろうか・・・。
何となくそのことに納得がいかず、レイはもう一度手を伸ばそうとする。
だが、過去の自分は何歩か後ずさり、触れられるのを拒絶した。
その直後、彼の背から黒羽が飛び出す。
そして巨大な羽根を広げると、そのまま逃げるように紅い光の渦の向こうへと飛び立ってしまったのだ。
・・・・・・おい、どういうことだよ。
どうしてオレを置いていくんだ? せめて美久を返せよ!!
レイは愕然としながら、既に視界からいなくなってしまったその姿を探し歩く。
しかし、どう目を凝らしても見えるのは紅い光のみで、人影はどこにも見当たらない。
声が嗄れるほど彼女を呼ぶ。
誰からの反応もない、いつしか自分の声さえも聞こえなくなった。
それでも叫んだが、今度は目の前が霞みはじめ、身体がどろどろに溶けていくのを感じた。
見れば、周囲を包んでいた紅い光も弱くなっている。
その光景を呆然と見ていたレイの身体は徐々に形を保てなくなり、やがて何もかもが消滅してしまった───
「───・・・っは、・・・っは、はぁ、はあっ、はあっ」
一拍置き、突然世界が拓ける。
レイは何が起こったか理解できないまま、荒い呼吸を繰り返していた。
「はあっ、はあっ、・・・・・・はっ、・・・・・・はぁ・・・、・・・・・・」
ところが、周囲を見回し、今自分が抱えている温もりに気づき、愕然とする。
「・・・・・・ッ、美久・・・?」
完全に力の抜けた美久の身体。
彼女はレイの腕に完全にもたれ掛かり、顔を覗き込むとぼんやりとどこかを見ている。
いや、どこかを見ているわけではない・・・。
どこも見ていないのだ。
時折瞬きをするだけで、それ以外は何一つ反応がなかった。
「美久、・・・美久!?」
レイは美久を抱え、蒼白になって声をかける。
しかし、腕がだらんと床に投げ出されただけで、やはり反応が返ってくることはなかった。
「・・・・・・おい、これはどういう状態だ!? 美久はどうなってる!?」
唇を震わせ、巽を見上げる。
彼の瞳からはもう紅い光は放出されていなかった。
「・・・やけに早い気がしますが、・・・戻ってきたのはレイ殿だけのようですね」
「は?」
「それとも彼女の方は夢の途中なのか・・・・・・。互いを繋げることが出来た手応えはありましたが、この先は私にもわかりません」
「互いを繋げる?」
「はい」
「・・・・・・それ、・・・違う。・・・・・・オレじゃない。今のオレとは繋がっていない。過去のオレだ・・・美久が溶けたのは過去の・・・・・・」
「それに何の間違いが? 過去のあなたと繋がらなければ意味が無いでしょう」
「じゃあ、オレだけ戻ってきて、美久はどうやって此処に戻ってくるんだ!?」
問いかけるも巽は黙り込んでしまった。
しかし、レイも分かっている。
返答が無いと言うことは、分からないと言うことなのだ。
彼らは最初から言っていた。先ほども確認されたばかりだ。
予期しないことが起こる可能性があると・・・───
「レイ、そう焦るな。・・・少しは待ってみたらどうだ。今、おまえが自分で言ったばかりだぞ?」
「・・・・・・何をだよ」
突然、多摩が口を開き、二人の傍に膝をつく。
「美久は過去のおまえと繋がったのだろう? ならば、その過去が終われば戻ってくるのではないか?」
「・・・・・・っ」
「兎に角、今は少し待て。様子を見て、どうしても戻ってくる気配が無いと分かれば、また巽におまえの中を探らせるといい。どの道、美久はおまえの中にいるんだからな」
「オレの・・・中に・・・・・・?」
それは本当なのだろうか?
レイには分からなかった。
声をかけても振り向かず、彼女は過去の自分と解け合ってどこかへ飛び去ってしまったのだ。
蒼白な顔のまま美久を抱きしめる。
彼女は静かに瞬きをして、またぼんやりと視線を宙に向けた。
───しかし、その時だった。
「・・・・・・ッ!?」
突然胸の奥の方で悪寒が走り、それが一瞬のうちに全身へと広がってぞわりと鳥肌が立ったのだ。
レイはばっと顔を上げ、美久を抱えたまま、いきなり立ち上がる。
そして、奥歯を噛み締め、掠れた声を絞り出した。
「・・・・・・ッ、・・・暫くは辿り着けない距離なんじゃなかったのかよ・・・っ」
その言葉に窓際に立っていた乾が眉をひそめる。
近くにいた美濃も首を傾げていた。
どうして誰も気づかないんだと顔を歪ませ、レイはそのまま部屋から飛び出しかける。
「レイ、落ち着け。・・・下手に動くな。まだおまえを追ってきたかどうかは分からない」
と、多摩がその背中を追いかけ、酷く焦りを滲ませるレイの肩を押さえている。
どういうわけか、彼はレイの不思議な行動に一定の理解を示している様子だった。
しかし、此処にいる他の者は何が起こっているかが分からない。
突然二人は何を話しているのかと、皆、首を傾げていた。
「この距離と速度なら、辿り着くまでに、あと二、三日といったところか。・・・レイ、おまえ、気配を完全に消すことは出来るか? 今、彼らに見つかるのは厄介だ」
「・・・気配を消したくらいで奴らを欺けると思えない」
「だろうな。だが、一時しのぎでもやらないよりはましだ。・・・巽、二人を地下道へ連れて行け」
「・・・は、」
突然命令され、巽は面食らった様子で顔を上げる。
明らかに何が起こっているか分かっていないと、それが彼にも分かったようだ。
多摩は改めて美濃や乾にも目を向け、皆が同じ状態と理解すると、そこでようやく事の次第を口にした。
「宮殿を目指している者が四名いる。・・・・・・分かるのは、クラーク・・・、クラウザー、他二名が誰かは知らぬ。何れにしてもレイを見つけるため、何らかの思惑を持ってやってきたのは間違いないだろう」
その言葉に美濃と乾は顔を見合わせ、巽は僅かに目を見開いた。
「おい、多摩・・・。それ本当か? ・・・クラークって・・・、バアルの王だろ・・・? 何らかの思惑って、そりゃあれだろ・・・、神託だろ・・・。直接神託を受けにきたとか、そういうんじゃないのか? やっぱりバアルの王が望む神託ってレイにも関係が・・・、・・・・・・だとしても、・・・・・・いきなり本丸が登場って・・・、どうなってんだ」
顔を引きつらせながら乾が前に出てくる。
王自ら乗り込んでくるなど想像にも及ばない出来事だったが、此処に用があるというならそれしか思い浮かばなかった。
「少なくとも俺を利用する腹なのは間違いないだろう。だが、今此処でそれをおまえたちと話し合う気はない。彼らが此処にやってくれば自ずと分かることだ。・・・とは言え、その前に分かっている問題は片付けておかねばなるまい。・・・俺たちにとっては、レイが此処にいることをバアルの連中に知られるのは少々都合が悪い。レイにしても、彼らに自分の居場所が知れるのは都合が悪い。つまり、この点に関して俺たちの利害は一致している。だから今は二人の身を隠す」
多摩はそう言うと巽に目を向け、先ほどと同じ言葉を口にした。
「巽、分かったか。二人を地下道へ連れて行け」
「・・・は、承知しました」
「それから、おまえは今後暫く、この二人と共に行動しろ」
「っ!?」
「美久が戻ってこなかった場合、おまえは再び力を尽くす必要がある。例え結果がどうなろうとな。・・・その時に二人の傍にいなければ話にならない」
「しかし・・・っ」
「反論は聞かぬ。これは命令だ。行け」
「───ッ! ・・・・・・は、・・・」
命令と言われ、巽はビクッと肩を震わせ膝をつく。
その顔は納得した様子ではなかったが、主の命令は彼にとって絶対なのだろう。
彼は先導するため、広間を先に出ていく。
レイは惑う様子を一瞬だけ見せたが、美久がこの状態では彼らの言葉に従うしかないと考え、巽の後を追いかけた。
「レイ、地下道は宮殿地下から外へ繋がる。途中、休憩出来る部屋がいくつもあるから、一旦はそのどれかに身を隠していろ。万が一、おまえたちに追っ手が迫った場合は先に進むといい。道は幾重にも分かれ、ちょっとした迷路のようになっているから直ぐには見つからないだろう」
広間を出る直前、多摩にそう声をかけられてレイは小さく頷く。
そのまま先を行く巽の背中を追いかけ、腕の中の美久を見つめた。
ぼんやりとした眼は何も映していない。
まるでビオラのようだと思った。
彼女もずっと意識が戻らず、あのままだと言う。
何でオレは一人で戻ってきたんだ・・・
その事に意味があるならいい。
だけど、何の意味も無かったとしたら・・・───
レイは歯を食いしばり、胸の奥からわき上がる不安を押し込め、今はとにかく地下道を目指すことだけを考えた。