○第12話○ 過去(その5)
美玖に触れた夜から何かが変わってしまったのか、それとも既に変わりつつあったのか。
レイは今まで経験したことのないその感覚に惑わされて、美玖から逃げ回る日々を送っていた。
「レイー、レイー」
遠くの方で美玖が呼んでいる。
レイは背の高い草陰にサッと身を隠して地面に座り込むと、草の隙間からこっそり彼女の様子を目で追いかけた。
美玖は繰り返しレイの名を呼び、きょろきょろしながら探している。
朝食の誘いだということは分かっていた。
彼らの食事は自分には必要の無いものなので断ればいいだけなのだが、ここ何日かは食事に限らず美玖が傍に近づこうとすると逃げ腰になって、こうやって身を隠してしまう。
まだ探してるな・・・
レイは草葉の陰から顔を覗かせ、じっと彼女を見つめた。
逃げ回るくせに、一旦距離を取るとこうして美玖を探してしまう。
そして、探すのをやめて戻っていく姿を見ると、もの凄くがっかりしてしまうという訳の分からない状態になるのも毎回のことだった。
レイがこんな状態でいるとも知らず、美玖は押し倒してしまった後も変わること無く接してこようとする。
怖がられていないということだけは少しホッとしているが、全く気にしていないように見えるその様子は、同時にレイを複雑な気分にさせていた。
「天狗さま、こんな所で何してるんだ?」
「・・・っ!?」
草の隙間から覗いていると、小さな顔がレイの前にひょこっと飛び出す。
油断して美玖以外の気配を探っておらず、驚いて声を上げそうになったが、寸前のところで何とか堪えた。
目の前にいるのは一郎という社の近くに住む少年で、此処に来て間もなくの頃にレイが羽根を見せた数少ない人間の一人だ。
彼は日に一度はこうして顔を見せて、暇そうな者を見つけては遊んでくれとせがむ。
厄介なヤツに見つかったとレイは顔を顰め、この場をどう乗り切ろうかと考えを巡らせた。
「なあ、美玖さまがさっきから呼んでるぞ。あ、もしかしてかくれんぼか?」
「・・・・・・」
かくれんぼが何だか分からないが、レイはとりあえず頷く。
あっちへ行けと手でサッと払い、このままでは見つかってしまうと思って場所を移動しようとする。
ところがその時、足音が向かってくるのが聞こえ、レイはハッとして身を硬くした。
「一郎ちゃん、おはよう。レイ、見なかった?」
レイを覗いている一郎に気づいた美玖が近づいてきたようだった。
一郎は美玖を振り返ろうとしたが一瞬だけこちらに視線を移したので、レイは『シー』と人差し指を唇に当てる。
しかし、その直後に一郎がニヤッと笑いを浮かべたのに気づき、何だか嫌な予感がした。
「ここにおるよー」
「・・・ッ!」
レイを指を差しながら、一郎は美玖に笑顔を振りまいている。
そのまま近づいてくる彼女の腰に抱きつき、一郎はレイに向かって悪戯が成功したと言わんばかりの笑みを浮かべた。
こいつ・・・、わざと!!
小さく舌打ちをして、レイは一郎を睨む。
彼女の腰に抱きついているのも何だか妙に苛ついた。
「レイ、やっと見つけた! 最近一人でどっかに行っちゃうんだもの・・・。何か用事があったの?」
「・・・っ、・・・いや、別に」
「レイがいないと寂しいよ。朝餉が出来たから、たまには一緒に食べよう」
「あ、ああ」
レイは目を泳がせ、気まずい想いのまま頷く。
嬉しそうに笑う美玖と目を合わせづらくて、俯きがちに立ち上がった。
「あ、一郎ちゃんも一緒に食べる?」
「おれはもう食べたからいい。そのかわり食べ終わったら遊ぼう! あと七回寝たら会えなくなるってばっちゃんが言ってた。おれ、さみしいよ」
「・・・うん、そうだね」
美玖は寂しげに頷き、一郎の頭を撫でている。
その横でレイは息を呑み、咄嗟に美玖の腕を掴んでいた。
「・・・レイ?」
「・・・・・・今の・・・、・・・・・・」
「・・・・・・」
「あと、・・・七日?」
「・・・・・・うん」
彼女が頷くと、レイは掴んだ腕にぐっと力を込めてしまう。
しかし、痛みに顔をしかめた顔を見てようやく美玖の腕を掴んでいることに気がつき、パッと手を離した。
そんなレイを一郎は不思議そうに見上げている。
「天狗さまは知らなかったのか?」
「・・・ああ」
「そっかぁ。教えてもらえなかったから、拗ねてかくれんぼしてたんだな」
「な・・・っ」
「かくれんぼ?」
「うん、美玖さまに見つからないようにかくれんぼしてたんだ」
「え?」
「・・・」
眉を寄せ、レイは溜息を漏らす。
解釈はともかく、美玖に見つからないよう隠れていたことは事実なので弁解の余地がない。
だが、美玖は一郎の言葉に驚き、すまなそうにレイに謝った。
「言おうと思っていたんだけど・・・ごめんね」
「え、あ、いや・・・」
彼女から謝罪されるとは思わなかったので、レイは目を泳がせて口ごもる。
避けていたのは自分の方なのだから、美玖がそれを話そうと思っても機会は無かったはずだ。
どうしてこんなふうに人を責めずにいられるのかと、不思議でならなかった。
───だが、あと七日・・・。
知った途端、レイの胸に重く伸し掛かる。
この数日、オレは一体何をやっていたんだろう。
彼女をどうしたいのか、それさえも分からず一方的に逃げ回っていただけだ。
それなのに時間が無いと知った途端焦るなんて、やっていることと思うことが滅茶苦茶だ。
大体、こんなことに首を突っ込んでどうするつもりだ?
貴盛と美玖が決めたというなら、例えどんな理由があろうとそれはそれで一つの答えだろう。
だったらオレは何に拘っているんだ? 何がそんなに気に入らない?
いつまで経っても答えが出せない自分が嫌になり、レイは沈んだ気持ちのまま俯いた。
すると、そんな自分をじっと見ていた一郎と視線がぶつかる。
無邪気な眼差しに心の中を覗かれているような気分になり、レイは一郎を美玖から引きはがして柔らかな頬をぶにっとつねってやった。
「いてー」
「気軽に抱きつくな」
「だめなのか?」
「・・・だめだ。美玖、オレを呼びにきたんだろ、行くぞ」
自分たちのやりとりをにこにこと見ている彼女に胸がざわつくのを感じながら、レイは返事も待たずに美玖の腕を掴んだ。
そのまま戻ろうとしたが、ふと一郎を振り返り、頭をぽんと撫でてやる。
自分でもその行動に何の意味があるのかよく分からない。
一郎は不思議そうな顔をしていたが、レイが手を振ると満面の笑みを浮かべていたので、何となく満足した気分になってその場を離れた。
「美玖、オレの手は怖くないか?」
「ううん。ちっとも」
問いかけに、美玖は躊躇無く答える。
掴んだ手に力が入りそうになって、レイは慌てて力を緩めた。
オレは美玖をどうしたいんだろう。
知りたいような知りたくないような複雑な気分だ。
ただ一つだけ分かることがあるなら、それは彼女に触れていると思うだけで、どうしようもなく胸が震えてしまうということかもしれない。
▽ ▽ ▽ ▽
「レイと食事するのは久しぶりだな」
部屋に足を踏み入れた途端、貴盛が嬉しそうに話しかけてくる。
レイは小さく頷き、いつも自分が座っていた場所に腰を下ろした。
確かに久しぶりだ。美玖を避けていたことが影響して、この数日は貴盛ともほとんど顔をあわせることがなかった。
けれど、あと一週間で美玖がいなくなると聞き、今はいても立ってもいられずに此処にいる。
このまま黙って美玖を行かせるのはどうしても嫌だ。
手を合わせ、「いただきます」と言って食べ始める二人を見ながら、レイは意を決して口を開いた。
「貴盛、食事をしながらでいいから少し話をしたい。・・・出来れば人払いをしてくれないか?」
レイは障子の傍に座る女中の朝子をちらっと見ながら口を開く。
視線に気づいた彼女は一瞬顔を赤らめたが、窺いをたてるように貴盛に視線を移す。
貴盛は箸を置いて考えを巡らせているようだったが、直ぐに小さく頷き、それを肯定と察した朝子は頭を下げて部屋から出て行く。
廊下の向こうへ遠ざかる足音に耳を澄ませ、やがてそれが聞こえなくなると部屋の中は静寂に包まれた。
「・・・・・・話というのは、美玖のことか?」
少しして沈黙を破ったのは貴盛の方だった。
レイはその言葉に小さく頷き、隣に座る美玖をじっと見つめる。
彼女は少し不安げな顔を覗かせていた。
「貴盛は分かってるんだよな? 美玖がこれからどうやって一生を過ごしていくのかを・・・」
「・・・・・・」
「状況を聞く限り、美玖はその・・・人質でもあるんだろう? だったら閉じ込められたまま、もしかしたら二度と外には出られないかもしれない。毎日毎日、死にたいって思いながら過ごすのかもしれない。苦痛しか与えられないかもしれない。相手によっては心までも自由を奪われる。・・・・・・正気を保っているほど現実に打ちのめされていくんだ。誰かを守る為に自己を犠牲にすると尚更逃げられない。逃げ出したいと思っても、それを主張出来なくなる」
「・・・レイ?」
「なぁ、貴盛。本当にこれは一番いい方法なのか? 他に何かあるんじゃないのか? 犠牲になるものが本当に美玖で合っているのか? それだけのものを差し出して、自分の知らない過去の恩に報いるのは正しいことなのか? こんな差し迫った時期に言われても困惑するだけかもしれない。だけど二人が納得していると言っても、オレはどうしてもそれが本心だと思えない」
一気に喋り、レイは僅かに息をつく。
その剣幕に貴盛も美玖も驚いた顔を浮かべていた。
けれど、もっと冷静でいたいのに感情が高ぶってどうしようもなかった。
これからの美玖の運命は自分が歩んできたものとどこか似ている気がして、そう思うと黙っていられないのだ。
そんなレイの言葉に二人は黙り込んでいたが、やがて貴盛が探るような眼差しで問いかける。
「それで・・・、レイはどうしたいんだ?」
問いかけにレイは眉を寄せて考え込んだ。
───どうしたい?
そう言われても、よく分からなかった。
今までの憤りは良案があってのことではなく、単に嫌だと思う自分の感情を彼らにぶつけていただけだ。
しかし、どうしたいと言われて初めて頭を悩ませる。
行動を起こせるとしたら、一体どんなことが出来るのだろう。
「・・・・・・邪魔を、する」
「どうやって?」
「たとえば・・・・・・」
「たとえば?」
「オレが美玖を連れ去る、とか」
考えを巡らせながらぽつりと呟く。
美玖に目を向け、吃驚した顔をしている彼女を見ているうちにそれでもいいように思えてきた。
知らない男なんかに取られるくらいなら、自分が横から攫ってしまえばいいと・・・。
しかし、そう納得しかけたところをまた貴盛が問いかける。
「連れ去って、その後は?」
「え?」
言われて首をひねる。
その後ってどういうことだ。
適当に日を置いて此処に戻ればいいだけじゃないのか?
ところが、そんなふうに思うレイの単純な考えを読んだのか、貴盛は小さく首を横に振った。
「レイ、それでは駄目なんだよ。そんなことをすれば・・・、いや、何をしても一週間後には美玖の居場所は此処にはなくなってしまうんだ」
「どういうことだ?」
意味が分からず眉を寄せる。
もう一度美玖に目を移すと、彼女は俯き少しだけ涙を滲ませていた。
「もしもレイが美玖を連れ去って、その後此処に戻ったとしても向こうは黙っていないだろうね。再び美玖を寄越せと言ってくるのは容易に想像出来る」
「だったら人目のつかない場所に美玖を隠して・・・」
「レイは、それでずっと隠し通せると思うのか?」
「・・・それは」
「それをやるなら里の皆の協力も必要になる。けれど全ての人々が団結することはとても難しいだろう。僕は此処の里の長をしてはいるけれど、まだ歳が若いこともあって反発している者も少なからずいる。簡単なことではないよ。・・・・・・なによりも、一生美玖にそうやって過ごさせるなんて僕にはとても堪えられない」
「それならっ! それならオレは美玖を連れて逃げ続ける。此処には戻らない。そうならいいだろ!?」
「───それもだめ。レイ、それでもだめなんだよ・・・」
不意に此処まで黙って聞いていた美玖が口を挟む。
レイは訳が分からず困惑した。
すると美玖は傍に近づき、レイの手を握りしめる。
今にも目から涙が零れ落ちそうで、唇は小刻みに震えていた。
「私がいなくなったら、その時点であに様が私を隠したと疑われてしまう。里のみんなも疑われてしまうわ」
「・・・あ」
「皆を困らせることはできない。だって私、この里に育ててもらった、あに様に育ててもらった。全てに感謝してるの。だから、この里のみんなを守れるなら、これくらい小さなことだと思ってる」
「な、に言って・・・」
「レイ、ありがとう。とても嬉しい。本当よ。私、今日のことを一生の思い出にする」
「・・・っ」
「此処を離れる前にレイと出会えて良かった。短い時間だったかもしれないけど、たくさん、たくさん・・・、知らなかった想いをレイは教えてくれたんだよ。レイは私にとって本当に・・・」
「やめろ!!」
レイは大声を上げて美玖が触れる手を振り払った。
そんな話は聞きたくなかった。
何をしても八方塞がりだと、そんな現実を突きつけられたかったわけじゃない。
顔を背け、レイは俯く。
やはり自分は役立たずだと思った。
「───もしもレイが本気で美玖を連れて行くと言うなら」
だが、意味深な貴盛の台詞にレイと美玖の動きが止まる。
先の言葉を待ったが、硬い表情で目を伏せたまま、彼が続きを口にする様子は見られなかった。
「あに様?」
美玖が声をかけると、貴盛はハッとして顔を上げる。
そして、一度置いた箸を手に取り、黙々と食事を摂り始めた。
「・・・・・・二人も食べなさい。この話は此処までだ」
「貴盛、今のは・・・」
「レイ。・・・あとで気が向いた時に、僕の部屋に来て欲しい。話したいことがある」
「此処では言えないことか?」
「ついでに見せたいものもあるんだ」
「・・・・・・わかった」
小さく頷くと、それきり部屋の中は静かになった。
貴盛は強ばった顔で米を口に放り込んでいるし、美玖は涙を潤ませたままみそ汁を飲んでいる。
いつも二人はとても美味しそうに食べるからレイもつられて何口か食べるのだが、今日は少しも美味しそうに見えないので箸を取ろうとは思わなかった。
レイは俯き、唇を噛み締める。
自分が思いつくことなど、二人はとっくに考えていた。
もしかして、貴盛は簡単に美玖を差し出すと決めたわけではなく、あらゆることを考えた末に手だてが無いという結論に至ったんだろうか。
そうだと言うなら、本当にもう何も出来ないんだろうか。
一人そんなことに頭を悩ませていると、パタパタと慌てた様子で廊下を走る音が近づいてくる。
「お食事中に申し訳ありません・・・っ!」
障子を挟んだ向こうから、息を弾ませた朝子の声がした。
レイたちは一斉に顔を向け、端に座っていた美玖が障子を開ける。
「どうしたの?」
「・・・た、貴盛様、あの・・・」
普段と明らかに違う様子に貴盛は立ち上がり、朝子の傍まで近づいていく。
そして、一人廊下に出て行く彼の背中を見て、レイと美玖は顔を見合わせた。
何があったか知らないが、朝子の顔は青ざめていて、あまり良くない報せを伝えているように思えた。
しかし、そうして少しの間小声で何かを話していた二人だが、不意に貴盛は振り返り、何故かレイに目を向ける。
眉を寄せて見上げると、彼はレイの目の前にやってきて膝をついた。
「レイ、一緒に来てくれないか」
「どうしたんだ?」
「説明は後でする。出来れば、君の意見を貰えると有り難い」
「オレの?」
「だめか?」
「別に・・・いいけど」
貴盛は酷く強ばった顔をしている。
どうして自分の意見が必要なのかは分からないが、こんなふうに頼まれては断れず、レイは立ち上がって貴盛と一緒に行くことにした。
「あに様っ」
「美玖は此処にいてくれ。今日は僕たちが帰るまで絶対に外には出ないように。いいね、後で必ず説明するから」
不安な面持ちで美玖は自分たちを見ている。
その姿が気になったが、レイは貴盛の言葉に圧されてそのまま廊下を走った。
一体何をそんなに焦っているのか、蒼白な横顔は初めて見るものだった。
▽ ▽ ▽ ▽
───貴盛と向かった先でレイが見たものは、小さな家の中で既に事切れた女の遺体だった。
部屋に入り、レイは彼女の顔をじっと見下ろす。
どこかで見た顔だった。
「静さん・・・」
貴盛の呟きで、レイは数日前のことを思い出した。
突然迫られて美玖と口論になった時に彼女の名を『静さん』と言っていたのだ。
そうだ、目の前で死んでいるのは、あの時の女だ。あんなに元気だったのに一体何があったというのか。
ふと、首に巻かれた布に血が滲んでいることに気がついた。
貴盛もそれに気づいたようで、彼女の傍に膝をついて首に手を伸ばしている。
布をずらすと噛み千切られたような大きな傷が覗いた。
「若様。うちのが最後に彼女と話をしたようで・・・」
不意に声をかけられ、振り返ると家の戸口に夫婦と思われる若い男女が佇んでいる。
見れば外には人だかりが出来、つい先ほどレイが此処にやってきた時よりも騒然とした雰囲気になっていた。
「中に入って話を聞かせてもらえるだろうか。悪いが戸は締めて欲しい。こんな姿を晒すことは出来ないから」
「は、はい」
二人は戸を閉めて中に入り、柱に寄りかかるレイに気づいて目を見開く。
『噂の天狗様だ・・・』と手を合わされ、何とも言えない気分になった。
「朝食を済ませた後、山菜を採りにいこうと里から続く山道を歩いていたんです。そこで人が倒れているのを見つけて。その時はまだ少し息があったんですよ」
「彼女とはどんな会話を?」
「・・・それが、"天狗様の仲間が今度こそあたしを幸せにしてくれるんだ"って、そんなことをしきりに呟いていたような」
「"天狗様の仲間"?」
「ええ・・・」
女は頷きながらレイをチラチラと見て頬を染めている。
レイは眉を寄せ、首をひねった。
"天狗"は自分を差しているのかもしれないが、レイに仲間はいない。
貴盛もそんなレイの顔をじっと見ていたが、難しい顔をして黙り込み、また亡骸へ視線を戻して手を合わせた。
「可哀想に。恐らく獣に襲われたんだろうね。すまないが、静さんには身寄りがいない。皆で彼女を丁重に弔ってやって欲しい」
「はい・・・」
「話を聞かせてくれてありがとう。暫くは皆、一人で行動しないようにした方がいいかもしれない」
「ええ、本当に物騒なことで・・・。では私たちはこれで」
そう言って頭を下げ、夫婦は家から出て行く。
再び貴盛と二人になり、レイは小さく息を漏らす。
どうして自分が此処に一緒に連れてこられたのか、その理由がまだよく分からなかった。
すると、貴盛は合わせた手を膝に置き、暫しの間無言でその亡骸を見つめていたが、レイを振り返って泣き笑いのような複雑な顔を浮かべた。
「静さんは元々此処の人ではないんだ。この里の男に嫁いだものの、一年も経たずに病で先立たれてね。泣いて泣いて可哀想なほどだった」
「・・・・・・」
「身寄りも無いから此処で暮らし続けたが、彼女の為には本当にそれで良かったのか・・・。真っ先に手を差し伸べたのは夫の親族ではなく、下心のある男連中だったと聞いた。どんな経緯があったかまでは知らないが、いつの間にか身体を売るような真似をし始めたと。この里ではちょっと見かけないくらい器量のいい人だったっていうのも災いしたのかもしれない。・・・・・・以来、亡くなった夫の親族とは疎遠になり、里の女たちには疎まれ、蔑まれ、孤立していったんだ。僕の方でいち早く面倒を見てやれればよかったんだが、丁度その時期に"依頼"があって暫く里を留守にしていてね・・・。とても可哀想なことをしてしまった。最期もこれでは本当に報われない」
そう言って貴盛は肩を落とした。
レイは無言で静の亡骸を見つめる。
数日前、彼女は『ずっと不幸だった』とレイに縋ってきた。
己の不幸を何とかしたいと、もがいていたのだろうか。
彼女の最期は一体どんなものだったのだろう。
本当に獣に襲われただけなのか・・・それとも・・・・・・。
「貴盛、何で此処にオレを連れてきた?」
「・・・・・・」
「オレに意見を貰いたいって言ったよな? まさかオレを疑っているのか?」
「そうじゃない。君ではないことは分かっているよ」
貴盛は首を横に振り、再び静に向き直ると首筋の傷にそっと指で触れた。
「ただ・・・、静さんの首に獣に噛み千切られたような傷があると聞いて、一瞬頭に過ってしまってね」
「?」
「最初にレイが此処にやって来た時、僕の首筋に口を当てて・・・・・・その、食事をしただろう? 傷は残らなかったが、小さな痣だけ何日か残ったんだ。何となくあの時のことが頭に・・・・・・。だから君の考えを聞いてみたいと思ったんだよ」
「・・・・・・」
その言葉に納得し、レイは考え込む。
───つまり貴盛は、オレの他にも此処へ来ている者がいると疑っているのか。
貴盛の隣に座り、レイは静の首筋に目を凝らした。
確かに首筋だけを狙って襲われているように見えなくもない。
自分が貴盛を襲った時も無意識に首筋を狙っていた。
噛み千切らなかったのは本能的にその必要が無いと分かったからで、その感覚がなければ噛み千切って貪っていた可能性もあるだろう。
レイと同じようにこれまで人に遭遇したことがなければ、こんなふうに襲ってしまうこともあるのではないだろうか。
しかし、もしそうなら・・・
「オレを追って来た奴がいる・・・?」
ぽつりと呟くと、隣に座る貴盛が息を呑んだのが分かり、顔を向けた。
薄暗い部屋だがレイには彼が青ざめているのがよく見える。
もしかして彼を怖がらせてしまったのだろうか。
自分のことも、貴盛は怖いと感じたのだろうか。
レイは言葉無く俯いた。
「レイ、大丈夫だよ。絶対に僕が守ってみせるから。そんなふうに怖がらなくていい」
「え?」
だが、思いもよらない言葉をかけられ、レイは目を丸くする。
そんなレイに貴盛はふわりと笑い、大きく頷いた。
「言っていたじゃないか。君の周りは敵ばかりだったんだろう? これが誰の仕業だろうと、それはレイの仲間なんかじゃない。だから君を守る為に僕が力を使っても赦されるはずだ」
「・・・っ」
───もしかして、オレ、もの凄く弱いと思われてるのか?
レイはぽかんとして貴盛の顔を見つめた。
普通は死ぬようなことをされても生きている、化け物とよく言われたと言った気がするのだが、それを彼はどう解釈したのだろう。
自分の力のことをちゃんと説明した方がいいのだろうか。
けれど、貴盛と比べて自分が強いのか弱いのか、そもそも人の力がどの程度のものなのかすらレイにはよく分からない。
考え込んでいると貴盛はおもむろに立ち上がった。
「レイは先に戻っていいよ。僕はこの場をどうするか皆に指示しなければいけないし、現場も見ていきたいから帰りは夕方になると思う。だから、レイは美玖の傍にいてくれるかな」
「・・・いいけど」
素直に頷いてレイも立ち上がり、そのまま一緒に外に出た。
外は沢山の人だかりが出来ていて、レイの姿を見るなりどよめきが大きくなり、どうしてか皆頭を垂れて手を合わせ始める。
それにはとても居心地が悪く感じたが、顔には出さずに貴盛とその場で別れた。
そして社に戻る間、レイはぼんやりと空を見上げながら気持ちのいい風を受けて深呼吸をする。
まるで結界に守られているかのような、とても澄んだこの里の空気をレイは結構気に入っていた。
此処は貴盛や美玖みたいだ。
よそ者の自分でも難なく受け入れた。
もしも本当にバアルの連中が此処にやってきているとすれば、彼らも同じように受け入れられるんだろうか。
侵入者と見なしてこの場所が何かを拒絶することがあるなら、それは一体どんな場合だろう。
社に戻る途中、レイはその考えが妙に引っかかり、来た道を振り返って立ち止まった。
「そう言えば、どうして襲われたのが彼女一人だったんだ?」
考えを巡らせたが答えは見つからない。
そのまま帰路につき、レイは真っ先に美玖の元へと足を運んだ。