『約束』

○第12話○ 過去(その6)








「・・・レイ!」

 誰かが戻るのを待っていたのか、レイが門の傍に姿を現すと美玖が駆け寄って来た。
 強張った顔を見て多少のことは既に耳にしているのかもしれないと思い、レイは彼女の腕を取り、自分の部屋に連れて行くことにした。


「あの、静さんが獣に襲われたって・・・」

「・・・ああ」

 部屋に入るなり探るように話しかけられ、それに頷きながら戸を閉める。
 座るよう促すと美玖は動揺を隠しきれない様子を見せたが、おずおずと畳に膝をついたのを確認して、レイも傍に腰を落とした。
 そう言えば、何をどこまで美玖に説明すればいいのだろう。
 部屋に連れて来たはいいが、現時点で分かっていることはほとんど無いと言っていい。
 貴盛とは想像の範囲で話を進めたが、それを今の段階で話してしまうのは悪戯に動揺させるだけだろう。
 掴んだままの美玖の腕に力を入れたり弱めたりを無意識に繰り返し、レイはどこで線引きをすべきか判断に迷っていた。


「美玖はこの話、どんなふうに聞かされたんだ?」

「細かい話は知らないよ。里から少し出たところで静さんが倒れてたって・・・、だから熊の仕業かもって皆で噂してたんだけど。酷い傷だったんでしょう?」

「ああ」

「・・・・・・やっぱりそうなんだ。こういうの初めてで皆すごく怯えてる。どうしたらいいのかな」

「美玖もこわい?」

「うん、こわいよ・・・」

「だったら外に出る時は誰かと一緒にいた方がいい。貴盛がそうした方がいいって言ってた」

「うん、わかった」

 素直に頷いているが、美玖は瞳を曇らせてかなり気持ちが沈んでいるようだった。
 確かにこんな山の上にある小さな村里で人が殺されるなんてことは滅多なことでは起こりそうにない。
 しかし、今回のことがレイを追って来た何者かの仕業だったなら、被害はここで終わらない可能性の方が高いだろう。
 かと言って、こんなことを誰にでも話してしまえば、パニックになって収拾がつかなくなってしまう。
 貴盛があの場で敢えて『獣に襲われた』と若い夫婦に言ったのは、そういったことを避ける意味合いが含まれていたのかもしれなかった。


「そう言えば、一郎が来ないな。この騒ぎの所為かな・・・」

 再び考えを巡らせているうちに、ふと思いついてレイはそんなことを口にする。
 美玖は握られた自分の腕をじっと見ながら小さく頷いた。


「流石に危ないから連れ戻されたんじゃないかな」

「・・・まぁ、それもそうか。あと七日しかないって寂しがってたのにな」

 朝のやりとりを思い出し、レイは小さく息をつく。
 そのまま黙り込んでいると、くすりと笑う声が聞こえた。
 顔を上げると柔らかく微笑む美玖と目が合い、レイは『なんだ?』と僅かに首を傾げた。


「レイ、変わったね」

「え?」

「今のレイはすごく優しい顔をしてる。・・・それとも元々こうだったのかなぁ」

「・・・は?」

「今だけじゃないよ。朝の食事の時も私のことを心配してくれて、とっても優しいんだなぁって感動してたんだ」

「・・・・・・っ」


 ───オレが優しい?

 生まれて初めて言われた台詞にどう反応していいか分からず目を泳がせていると、不意に彼女の腕を掴んだままだということに気づいて慌てて手を離し、パッと顔を背ける。
 しかし、離したばかりだというのに今度は美玖に手を取られてしまう。
 そのうえ彼女は自分の手のひらとレイの手のひらをピッタリ合わせてきた。


「な、なに」

 内心で少し動揺していたが、レイは平静を装って問いかける。


「うん、さっきから大きな手だなぁっ思ってたんだ。ほら、私の手と合わせると全然大きさが違うの」

「・・・・・・ああ、ほんとだ。美玖の手は随分小さいんだな」

「レイが大きいんだよ。私は普通だもん」

「そうなのか」

 そう言ってレイは美玖の指の間に自分の指を挟み込み、そのままやんわりと握りしめていく。
 少し加減を間違っただけで壊れてしまいそうな小さな手は、とても柔らかかった。


「なんか・・・、この繋ぎ方はちょっと恥ずかしいかも」

 暫くそうやって握りしめていると、美玖は頬を赤らめながらはにかんだ。
 その様子に目を細め、レイは繋いだ手を自分に引き寄せた。


「あ・・・っ!?」

 自然と身体が引っ張られ、美玖はレイの胸に真っ直ぐ飛び込んできた。
 密着してみると、どこもかしこも柔らかいことがよく分かる。
 ふわりと香る甘い匂いにくらくらして、もっと強く腕の中に閉じ込めたいという欲求に駆られ、抱きしめる腕に力を入れながら彼女の耳にそっと歯を立てた。


「・・・ん」

 微かに聞こえた吐息まじりの声にぞくりとする。
 顎を掴み自分に向けさせると、耳まで赤くした美玖と視線がぶつかった。


「・・・・・・また、口をくっつけていい?」

「え、あ・・・っ、───ッ」 

 レイは返事も聞かずに美玖の唇を自分の口で塞いだ。
 しっとりと湿っていて、とても柔らかくて、くらくらしてしまう。
 激しく鳴り響いているのは自分の心臓の音だ。
 その音にまで煽られて、唇の間から滑り込ませた舌で彼女の咥内を舐め回すと、くぐもった声が唇の隙間から漏れてくる。
 レイは我慢出来ずに美玖の身体を強引に押し倒した。


「ん、ん、・・・っ」

 苦しげに喘ぐ声が唇越しに伝わり、レイはうっすら目を開ける。
 美玖は相変わらず真っ赤な顔で固く目を瞑っていたが、いつかの夜のように抵抗する様子を見せない。
 このまま自分を止められなくなりそうで、レイはぶるっと身体を震わせた。

 やっぱりオレは、美玖を抱きたいんだろうか・・・。

 頭の隅で考えるも、明確な答えはまだ出ない。
 けれど身体の中心に集まる熱は正直で、言い訳のしようがないくらい彼女に欲情してしまっていた。
 こんなふうに一方的に手を伸ばすなんて誰に対してもしたことがないのに、美玖を前にすると自分が別人になってしまったようになる。
 押し倒してキスをしただけなのに信じられないほど息が上がり、抵抗されないのをいいことに彼女の舌に自分のものを執拗に絡めさせ、その肌を確かめようと自然と指が動き始めてしまう。


「美玖、嫌だって言えよ・・・。このまま最後までされてもいいのか?」

「・・・ん、・・っは・・・、はぁ、あ・・・っ」

 袖口から手を忍ばせ、上腕を指の腹で撫でていくと美玖は僅かに息を呑み、戸惑った様子でレイを見上げる。
 そんな顔をするくせに、どうして拒絶の言葉を口にしないのだろうか。
 柔らかな肢体、惑わせる香り、甘い唇。
 このまま身体を繋げ、好きなように中を掻き回して、暫く消えないたくさんの痕をこの身体に残してしまっても、嫌だと言わない美玖がいけない。
 そんなことを考えながら、レイは掴んだ腕を引っぱり、美玖の身体を力強く抱きしめた。


「何か言えよ。今日は貴盛が戻るまでずっと傍にいるつもりなんだから、抵抗しないと酷い目に遭うぞ」

「ひ、酷い目・・・って?」

「決まってるだろ。だから、その・・・、美玖がこの先、囲われるかもしれない場所でされることだ。この間の続きだよ」

「・・・・・・」

 分かっているのかいないのか、美玖は無言でレイを見上げている。
 彼女の瞳には相変わらず怯えの色が全くなく、もしかしたら彼女はこの行為自体を知らないのではないかという疑問を抱かせた。

 しかし、そんなことを考えはじめた直後、


「───ッ!?」

 いきなり首に腕を回されて抱きつかれ、レイの頭の中は一瞬で真っ白になってしまった。
 美玖の息が首にかかって、カーッと顔が熱くなる。
 すると、彼女はぐすっと鼻をすすり、額を首に押し付けながら消え入りそうな声で囁いた。


「て、抵抗しろって言われても困るよ・・・。何もかも私には初めてのことだけど、それでもちっとも酷い目だなんて思わないんだもん。相手がレイだからだって言ったじゃない。どうして分かってくれないの?」

 次第に美玖は泣き声を漏らし始める。
 それに気づき、レイは驚いて彼女の顔を覗き込んだ。


「・・・それ、って」

「も、もう・・・分かるでしょ。私の気持ち、分かってるんでしょ・・・」

 目に涙を溜めてじっと見つめられ、心臓がドクンと跳ね上がる。
 逸る気持ちに振り回されそうになる自分を抑え、レイは息をひそめてその先の言葉を待った。


「駄目なのに、私、レイを好きになっちゃったよぉ」

「・・・・・・っ」

 涙で顔をくしゃくしゃにした告白は、レイの胸にまっすぐ突き刺さる。
 途端に抱きしめていた腕がガクガクと震えだし、自分の体重すら支えられなくなって彼女の上にどすんと倒れ込んでしまった。


「んんっ!? レ、レイ、重・・・」

「ごめ・・・、力が、抜け・・・・・・」

 全体重で伸し掛かられて、美玖は足をばたつかせて苦しがっていた。
 けれど全身の力が抜けたきりになってしまって、身体を動かそうとしてもうまくいかない。
 それでも何とか腰を捻らせることで横に転がり、レイは息を弾ませながら彼女の顔をじっと見つめた。
 小さな唇を震える指先でそっと触れてみる。
 美玖の口がぴくんと反応し、潤んだ瞳で見つめ返された。


「オレが、好き・・・?」

「・・・うん」

 聞き間違いではなかった。
 分かった途端胸の奥が熱くなって脱力した身体に力が戻り、感情的に彼女を掻き抱いた。


「だったら、どうして他の男のところ行こうとするんだよ!」

「・・・っ!?」

「好きだって言うなら、いなくなるなよ! オレは・・・、オレはこの身体も心も、他の誰にも触らせて欲しくないんだ・・・っ!」

 これまで明確にならなかった胸のモヤモヤを、レイは感情のままに言葉にしていた。
 美玖は目を見開いて驚いていたが、ようやくストンと自分の気持ちが落ちついた気がする。
 今までこの感情を認めたくなかったのは、否定されるのが怖かったからだ。
 手を伸ばしても無くならないものが手に入るなら、本当は他には何も要らないと思っていたくせに・・・。


「・・・・・・じ、じゃあ、レイは?」

 感情的なレイの言葉に彼女は黙り込んでいたが、やがてぽつりと問いかける。


「レイは、私をどう思ってるの? 身も心もって言うなら、私も同じようにそれをレイに望んでもいいってこと?」

「・・・え」

「レイはどうして私と唇を合わせるの? 他の人にも同じことをする? こんなことを聞くのはいけないこと? だけど、同じことを他の人にするなんていやだ・・・想像したくないよ」

 真っ赤な顔をして次々浴びせられる問いかけに、レイの顔がどんどん熱くなっていく。
 ぐずぐずと泣き出した美玖を見て、身体からまた力が抜けていった。
 だけど、これは彼女と同じ“好き”だと表せる気持ちなのだろうか。
 もっと重い感情のようにも思えたが、それでもこの瞬間、どこを探したって他の言葉は見つかりそうになかった。


「オレは・・・───」

 ところが、やっとの思いで言いかけた時、廊下の向こうが突然慌ただしくなった。
 気を削がれながらも耳を澄ませると、パタパタと忙しない足音が部屋に近づいてくる。
 この部屋の前の廊下は建物の奥まった場所に有り、貴盛の部屋とレイに用意された部屋しかないので、貴盛不在の今、レイに用があると考えるのが自然だ。
 居ないフリをして部屋に押し入られ、この状況を見られるのは流石にまずいだろうか。
 このタイミングで邪魔が入られたことに溜息を吐き、レイは頭をガシガシと掻きながら憂鬱な思いで起きあがった。


「レイ?」

「ごめん、少し待って」

 僅かに身を起こした美玖を置き、レイは一人で廊下に出る。
 長い廊下の向こうに目をやると慌てた様子で朝子が走ってくるのが視界に入った。
 朝飯の時といい、今日の彼女は随分忙しいようだ。
 まるで他人事のように考えていると、息を切らせて傍まで駆けてきた朝子が蒼白な顔で声を上げた。


「レ、レイ様っ! 貴盛様が酷い怪我を・・・ッ!!」

「───は?」

 思いもよらない台詞に、レイは瞬時に顔を強張らせる。
 部屋に残した美玖も驚きで息を呑んだ様子が伝わってきた。


「一緒に行動をしていた者が言うには、里を出て直ぐの山道で"何か"に襲われたと・・・」

「"何か"?」

「申し訳ありません。伝聞なので、これ以上のことは。どの程度の怪我なのか意識があるのかも分からないんです。里の人間がレイ様を呼んだ方が良いって、それで・・・、お願い出来たらと・・・・・・」

 朝子の言葉にレイは考え込み、ふと、自分の手のひらを見つめる。
 生きているならまだ間に合うかもしれない・・・、そんな考えが頭の中に浮かんでいた。
 ぐっと手を握りしめ、レイは後ろを振り返る。


「レイ・・・っ、わ、私も一緒に行く」

 障子を開けると真っ青な顔で美玖が立ち尽くしていて、縋るような眼差しで言われた。
 しかし、そんな危ない話に頷けるわけがなかった。


「だめだ」

「ど、どうして!? いやよ、絶対行く。駄目だって言うなら、一人でも行・・・」

「それで何かあったらどうするんだ?」

「で、でも・・・」

「とにかく美玖はここで待っていてくれ。貴盛はちゃんと此処に連れて戻る。それで・・・、怪我も何とかするから」

「・・・っ、何とかって、何とかなるの?」

「なるかもしれないからそう言ってる」

「ほんとう!?」

「あぁ。だから此処は一旦オレに預けて、他の皆となるべく固まって動かないようにするんだ。いいか、絶対に一人で行動しようと思うなよ。混乱を招く行動は誰の為にもならないからな」

 レイが強い口調でそう言うと、美玖はハッとして少し冷静になったようだ。
 ぎこちなく頷いたのを確認し、レイも同じように頷いた。


「それと、さっきの話は戻ってからでいいよな?」

「え? ・・・・・・あっ、・・・う、うん」

「オレだって初めての感情で、これでも戸惑ってるんだよ。だけど、誤摩化したくないし美玖だけに言わせたくないから」

「・・・ッ!?」

 美玖は目を丸くして、とても驚いた顔をしている。
 そんな彼女の傍を離れ難く感じながらも、レイは自分の中で何とか区切りをつけて朝子を振り返った。


「美玖を頼む」

「は、はいっ」

「オレたちが戻るまで、誰も外に出ないようにしてくれ」

「はい・・・っ」

「じゃあ行ってくる」

 初めて抱いた感情に唇を噛み締め、レイは廊下を駆け抜けそのままの勢いで外に飛び出していった───。









その7へつづく



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