『約束』
○第2話○ 予想外の出来事(その5) それからどのくらい気を失っていたのか。 目が覚めると既に外は真っ暗で、穏やかな顔をしたレイが美久の隣に横たわり、彼女の長い髪を指で梳いていた。 視線が合うと、レイは静かに瞳を揺らして小さく笑う。 「よく寝てたね」 「・・・どれくらい寝てた?」 「どれくらいかな、でも美久の寝顔を見てるのは楽しかった」 「・・・・・ひどい」 じとっと彼を見上げると、レイはとても柔らかな眼差しで笑みを浮かべる。 美久は真っ赤になりながらも、この人はこんなふうに笑えるんだと思うと胸の奥が熱い思いで満たされていく。 同時に、彼の温もりが美久の中の何かを強く呼び覚まそうとしているかのようで、不思議な感覚に全身を包み込まれた。 「・・・・・・レイ・・・、やっぱり私達、逢った事がある気がする・・・」 「え?」 「・・・こうして触れてると、懐かしいって思うんだよ」 前に学校の屋上で聞いたときは、レイは何も教えてくれなかった。 けれど、今なら違う反応を返してくれるんじゃないかと思い、美久は彼を見上げる。 一瞬どこか遠くを見つめるような眼をしたレイは、少し悲しげに微笑み、美久の髪に口づけながらゆっくりと瞳を閉じて首を横に振った。 「・・・無理に思いだそうとしなくていい。美久がオレを好きだと言ってくれるなら、それだけでいい」 「でも、聞けば思い出せるかもしれないよ?」 「言葉だけじゃ実感出来ないんだよ」 「そんなのわかんないじゃない。・・・それに、私・・・知りたいのに」 「・・・・・・・・・」 レイは迷っているのか口を噤んで黙り込んでしまう。 そして僅かに身じろぎをすると、別の話題を口にした。 「そう言えば、家の人はまだ帰ってこないの?」 「・・・あ・・・そう言えばもうすぐ帰ってくるかも」 「そう」 「・・・うちね、小さい頃に両親が離婚してて、父親と二人暮らしなんだ」 「・・・・・・一人っ子なんだ」 「うん」 しかし、それを寂しいと感じた事はなかった。 両親が離婚したとき美久は幼すぎて、物心つく頃には母の顔もよく憶えていなかったのだ。 何度か母がいない理由を聞いた事もあったが、父は曖昧に笑って誤魔化すので、いつの間にかそれを聞く事も無くなっていった。 我ながらあっさりした子供だったと思う。 「お父さんは何の仕事をしている人?」 「普通のサラリーマンだよ。・・・だからレイのお父さんとは全然違うの」 「・・・何でオレ?」 「だってレイを一人暮らしさせるのにあんな部屋を用意出来るんだもん。やっぱり社長さんとかやってるの?」 「───・・・いや、・・・・まぁ、でも・・・・・一番上ってのは・・・当たってるかな」 「やっぱり!! 絶対そうだと思った!」 美久は確信したように何度も頷いている。 レイの両親は、きっと自分とは違う世界のすごい人なんだろうと。 しかし、レイは美久の頭をやわらかく撫でながら、彼女のその反応に苦笑していた。 「敢えて言うことも無いと思ってたんだけど、あのマンションに父親は一切関わってないよ。手に入れたのはオレ自身」 「えっ、まさか」 「それに父親とはもう随分会ってないな。・・・絶縁状態でね。このまま一生会わなくてもいいと思ってる」 「・・・そんな、どうして?」 「上に腹違いの兄が4人いて、オレだけ母親が違うからかな。あそこは居心地が悪いんだ」 「・・・・・っ」 美久の反応にレイがぎこちなく笑う。 「オレの顔、母親にそっくりらしいんだ。だから、オレはあの場所では憎悪の対象にしかならない」 「・・・レイのお母さんは・・・」 「死んだ。顔も知らないよ」 美久は愕然とした。 彼がどこか寂しそうな目をするのは、もしかしてこのことも原因となっているのだろうか。 「・・・お父さんは・・・? レイを愛してくれなかったの?」 美久の言葉にレイは目を丸くして、すぐに顔を崩して可笑しそうに笑う。 そんなに変な質問をしただろうかと、美久は不思議そうに首を傾げた。 「アイツが好きなのは母親に似てるこの顔だけだ」 そう言ったレイの言葉に美久は絶句し、信じられないとでもいうように瞳をゆらめかせた。 レイがどうしてそこまで自分を否定するのか分からない。 言葉少なに話す家族の話はとても冷たく、彼らに感情を一切傾けようとしないのがとても哀しく思える。 ───だから彼がひとりぼっちに見えたのだろうか・・・ 美久はぼんやりとそんなふうに感じた。 「・・・今日はここまでにしよう」 「え?」 「こんな話、つまらないだろ?」 「そんなことないよ・・・っ」 「おやすみ、美久」 反論する言葉は流され、レイは小さく囁きながらゆっくりと唇を重ねる。 「・・・・・・っ!?」 ・・・・・・な、・・・・・・に・・・・・・─── 口の中に熱い息が吹き込まれると唐突に意識が朦朧として、身体に力が入らなくなっていく。 「・・・・・・また明日」 そして、遠くの方でそうレイの声が聞こえたのを最後に、美久の意識は完全に途絶えてしまったのだった。 そんな美久の寝顔を、レイは何をするでもなくただ無言で見つめ続けている。 しかし、やがて何かに反応したように顔を上げるとベッドから起き上がり、寝ている美久を残して彼は部屋から出ていってしまった。 ピン、ポー・・・ン・・・ レイが階段を降りようとしたその時、チャイムが鳴り響いた。 そのまま躊躇することなく階段を降りた彼は、真っすぐ玄関に向かう。 やがて玄関のドアが開き、チャイムを鳴らしたであろう中年の男性が姿を現すと、その男性は溜め息混じりにのんびりと口を開いた。 「美久ー、鍵閉まってなかったぞー、不用心だからっていつも・・・・・・」 そう言いながら中に入って来たのは、他ならない美久の父親だった。 しかし、彼は階段を降りてくる学生服を着た男を目にした瞬間、驚きのあまりその場に立ち尽くしてしまう。 「───・・・おかえり」 「・・・っっ!?」 「今更知らないフリはするなよ。・・・オレが誰か分かってるよな?」 「・・・・・・」 「おもしろい挨拶だな。手が焦げたよ」 そう言いながら見せた手のひらには何の火傷の痕も見あたらず、美久の父は顔を強張らせると目を伏せた。 「いつからそんな卑怯者になったんだ? ・・・なぁ、貴盛(たかもり)」 強ばらせた顔は苦悶へと変わり、もう一度視線をレイに戻す。 けれど彼のその視線には、どこか懐かしささえ込められているようにも思えるのが不思議だった。 「・・・今は、奥田貴人(おくだたかひと)というんだよ。僕たちは君のように永い時を生きることが出来ない・・・」 レイはピクリと眉を吊り上げる。 そして、酷薄な笑みを浮かべながら貴人に近づき、彼の耳元に唇を寄せて男でもゾクリとする声色で囁いた。 「美久は俺を受け入れてくれたよ?」 「・・・・・っっ!?」 「家に結界なんて張るあんたが悪い。折角美久のかわいい恋人ごっこにつきあってたのに、抑えてる力を久しぶりに解放したら理性がやられちゃったみたいだ」 「・・・レイ・・・お前っっ!!!!」 「選んだのは美久だ。確かに言ったよ。"傍にいてもいいのか"ってね。それは連れて行っても良いって事だと思わないか?」 「それはちがうっ、君の真実を美久は知らない。一番重要なことを隠している癖に都合よく解釈するんじゃないッ!!! それだけで美久を連れて行くなんて、僕は絶対に許さない!!」 「オレの真実を美久は知らない? ・・・・・・何で貴盛・・・いや、今は貴人だっけ? ・・・どうしてあんたがそんなことを知ってるんだ?」 レイの鋭い眼差しに一瞬だけ貴人の顔が強張る。 貴人は肩で息をしながらレイから目を逸らし、しかしすぐに落ち着きを取り戻して深く息を吐き出した。 「・・・それは・・・、そんな気がするだけだ。別に深い意味なんてない」 「・・・・・・」 「・・・なぁ・・・レイ。君は気持ちばかり押しつけていないか? 連れて行くってどこに? そこは幸せになれる場所なのか?」 「・・・・・・」 「僕はね、娘を不幸にするために育ててきたわけじゃないんだよ。幸せにすると約束出来ない相手に任せられるわけが無いだろう」 「約束くらい」 「だったら僕を納得させてくれよ。君がそれに足る相手なのか。それまでは何があっても認めない」 「・・・・・・」 「・・・・・・・・・、だけどそれもまた、・・・・・・君が美久に近づいてしまった今となっては、何を言っても虚しい気もするよ・・・」 貴人は溜息を漏らしてそう言うと頭をぼりぼりと掻いた。 しかし、ふと何かを思いついたのか、若干迷うように視線を彷徨わせながら彼はぽつりと呟いたのだった。 「・・・・・・でも・・・、だったら・・・、君は此処で・・・この家で、それを証明してみるというのは・・・・」 「・・・っ、は・・・?」 予期しない言葉を受けて戸惑っているレイを余所に、貴人は家の中に上がり、ネクタイを緩めながら冷蔵庫から麦茶を取り出してゴクゴクと飲み始める。 レイはポカンとした表情で、それを呆れた様子で見ていた。 「・・・あんた、頭がおかしいんじゃないのか?」 貴人はどうやら聞かない振りをしているようだった。 そして、麦茶を飲んでいる間に何かを思いだしたようで、おもむろに容器をテーブルに置く。 「ああ、そうだ。手が焦げたと言って君は何も無かったみたいに傷を癒してしまったようだけど、あの結界にはそれなりの効果があった筈なんだよ。君のそう言うところは昔から少しも変わってないんだな」 「なんだよそれ」 「強い力を持っているなら、それなりの自覚と責任が必要だってことだよ」 「・・・・・・・・・」 貴人の言葉に、レイはむっとして横を向いてしまった。 しかし、貴人がそんなレイに向ける眼差しは、不思議なことに敵意などではなかった。 不貞腐れているレイを懐かしそうに目を細めて見ているのだ。 「本当に・・・・・・変わらないんだな」 「?」 「なんでもない。ところで、レイ」 「なんだよ」 「麦茶の容器に僕が直接口をつけて飲んだの、美久には内緒にしといてくれよ。怒ると怖いんだ」 唇に人差し指を押し当てて笑う貴人の本意が読めず、レイはただ眉を寄せて彼の顔を見ていた。 第3話へつづく Copyright 2005 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |