『約束』

○第7話○ 捕獲命令(その2)







 翌朝、二人は2週間ぶりの学生服に袖を通していた。
 レイが傷を負ってから、二人とも一度も学校へ行っていない。
 怪我をしたレイが小田切に遭遇してしまい、しかも包帯でぐるぐる巻きの状態を見られてしまったので、無傷のまま学校にいくわけにはいかず、辻褄合わせが必要と考えて暫く学校を休んでいたのだ。
 美久に至っては表向きには風邪をこじらせた・・・という苦しい理由で学校を休み、彼の傍でこの2週間を過ごしていた。
 しかし、久々の学校も、レイにしてみれば特に望むものではなかった。
 元々彼が学校に通っていたのは美久と会うためだったわけで、今となっては行く理由はどこにもない。
 それでも美久が通いたいと言うならと、渋々ながら彼もこのまま通い続けることにしたのだ。


「次の時間、来るから」

「うん」

 今まで通り美久の教室の前まで送ったレイだったが、家でゆっくりしすぎた所為で既に時間がギリギリだ。
 別に遅刻しても構わないと思うのだが、美久が駄目だと言うから、こんな時は廊下で別れなければならないのが不満だ。

 どうして美久はこんな所に通いたいなんて思うんだ・・・?

 レイは溜息を吐くと、いかにもやる気が無さそうに自分のクラスへと足を向けた。
 そして、彼が久々に自分の教室に足を踏み入れた途端、思ってもみない事が起こる。
 ワッと歓声があがったかと思うと、自分を取り囲むようにクラスの生徒が集まってきたのだ。


「牧口くん、元気になったんだ!」

「久しぶりっ!」

「怪我はもう大丈夫なのか?」

 今まで話したことの無いクラスメートに次々と話しかけられる。


「もう治ったから・・・」

 その一言で、皆口々に『よかったね』と言って笑っている。

 何なんだ・・・?

 こんな風に迎え入れられる事に慣れていないレイは、これ以上何をどう返せばいいのか見当もつかず、訝しげに彼らを見るだけだ。
 大体、何故怪我のことを皆が知っているのだろうか。
 疑問ばかりが膨らむこの状況に面食らいつつも、その後は担任が入ってきて皆が一斉にばらけた事で漸く自分の席に辿り着くことが出来たレイだが、そこでも隣からひそひそと喋りかけられる。


「なぁ、牧口〜、何して怪我したんだよ?」

 またか・・・そう思いながら隣の男の顔を見る。
 どこかで見たことがある気がした。
 そうだ、前にもこの男に話しかけられた事があったな・・・とぼんやり思う。


「・・・どうして怪我のことを知ってるんだ?」

「あー、小田切がウチの担任に牧口の怪我の事を伝えてんのを誰かが聞いて広まったんだよ。みんな心配してたんだぜ〜?」

 あぁそうか、と漸く納得する。
 二週間も休んだし、包帯でぐるぐる巻きの状態を小田切に見せてしまったから、きっとオーバーに伝わってしまったんだろう。
 学校には貴人に言われて、自分でも連絡を入れておいたのだが・・・。


「・・・さっきのは・・・心配、してたからなのか」

「おうっ」

「・・・そうだったのか」

 小さく呟いた台詞に一瞬隣の男は驚いた顔をしていたが、すぐに嬉しそうに笑った。
 レイがこういう反応をするとは思わなかったらしい。


「なんか、ちょっと見ないウチに牧口変わったなぁ」

「・・・?」

「あ、良い意味だから。雰囲気がさ、やわらかくなったっていうか・・・話しかけやすくなったっていうか」


 そうだろうか?
 自分ではよく分からない。
 殆ど話したこともないような奴に言われるほど、雰囲気なんて簡単に変わるものだろうか・・・?
 だとしたらそれは、美久が傍にいる事に関係があるとしか思えなかった。


「今日、奥田さんと来たんだろ?」

「ああ」

「・・・・・ちょっと、変なウワサが出てるみたいだから気をつけろよ。・・・あっ、オレは別に信じてるわけじゃないからな」

「・・・は?」

 驚いて男の顔を凝視する。
 何となくその噂というものが頭の中に引っ掛かった。

 ・・・だが、


「コラ、宮下ー! 私語は慎めーっ」

「うはっ、ハーイ!!」

 そこで運悪くも担任に注意された隣の彼(どうやら宮下と言うらしい)は慌てて姿勢を正して、結局それが何なのかを知る事は出来なかった。

 変なウワサ・・・?

 頬杖をついて考えを巡らすも答えが出るはずもなく、一時限目はスッキリしない気分のまま過ごして終わった。


 

 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽


 休み時間に入ると、レイはすぐに美久の教室へ向かった。
 しかし、途中彼を呼ぶ大声に足止めされ、今日は本当に何なんだと振り返ると、叫びながら走ってくる小田切の姿が目に入る。


「おーい、牧口〜っ!」

「なんだよ」

「あぁ、ホントだ。怪我はもういいみたいだな」

「・・・まぁな」

「この前は悪かったよ。昼飯食わせるって言っておきながら寝ちゃって・・・」

「別に気にしてない」

 彼が寝てしまった真相はきっと本人の中でも一生謎のままで終わるだろう。
 だが小田切にしてみれば一つ借りが出来てしまった気分らしく、すまなそうに何度も謝っている。


「あ、ごめん。もしかしてどこか行くところだったか?」

「ああ」

「・・・奥田さんの所・・・とか?」

「そうだけど」

「・・・・・・」

「なんだ」

「あぁ、いや。うん、足止めして悪かったな。じゃあ」

 レイは急に余所余所しい態度で去っていく小田切の後ろ姿を訝しげに見ることしかできなかった。
 意味が分からない。
 隣の席の男も彼女の話になった途端、変な事を言っていた。

 ・・・・・・美久が何なんだよ・・・・・・変な噂・・・って・・・

 妙な胸騒ぎがする。
 だが、美久の教室の前に立ち、扉から声を掛けようとしたところで、レイはピタリと動きを止めた。
 美久がいなかったのだ。
 いつもなら自分の席で嬉しそうに小さく手を振りながらレイを出迎えるはずなのに。


「・・・あ、ちょっと」

「え? ・・・っ、あっ、牧口くん!」

 すぐ傍にいた女生徒に声を掛けると、相手がレイだと気づいた途端顔を真っ赤にして狼狽えている。


「美久は?」

「・・・・・・美久?」

 女生徒は、一瞬険しい顔をした。
 だがすぐにその表情は消え、美久の席にチラリと目をやって首を傾げる。


「トイレじゃないのかなぁ」

「・・・そう」

 ・・・本当か?

 疑問が消えない。
 いや、それならそれで構わない。
 むしろその方が良いような気がする。
 なのに何かが妙にひっかかる・・・違和感を感じて仕方がない。


「ね、牧口くんって・・・まだ美久とつき合ってるの?」

「・・・ああ」

「そう・・・なんだ・・・」


 何だそれは。

 美久に対してだけなのか、やけに棘のある言い方が妙に気に障る。
 これはいくら何でも二週間前と違いすぎないか?
 あの時は少なくとも、美久に悪意を抱くようなクラスメートはいなかった筈だ。
 レイは踵を返し無言で教室を後にした。
 黙って引き返せるわけがない。
 大股で歩きながら美久の気配を辿るために神経を張り巡らせる。
 そして気配を辿るほどに胸騒ぎは一層強くなり、訳も分からず背筋からぞわぞわと冷たいものがせり上がってくるのを感じた。

 ───どうして美久があんな場所にいるんだ・・・?

 ぴくん・・・レイの瞼が僅かに震え、彼は一気に駆け出しながら内心舌打ちをする。
 彼女の気配を感じる場所はトイレなどではなく、校舎から少し離れた別棟にあった。

 これは・・・オレを追っている奴らの仕業なのか?

 今の段階では断定できない。
 だけど、そんなものはどうでもいい。誰であろうと、美久に何かをするつもりなら赦さない。
 人間のように振る舞う事が、今程もどかしいと感じた事はなかった。
 この両足ではどんなに速く駆けたところでたかが知れている。
 あのおぞましい黒羽を使えば、こんな距離など取るに足らないものだというのに。


「・・・・・・っ、くそ・・・っ、狙うならオレにしろよ・・・っ!」

 彼が焦るのも無理は無かった。
 美久は一人ではなく、簡単に気配を感じ取っただけでも彼女の側には複数の人間がいた。
 その全てが男だという事が一層の焦りと不安を掻き立て、ぞわぞわとした悪寒が全身を支配し、すべてが絡まり合ってレイの瞳を獰猛な金色へと変貌させていく。

 

 ───実は一時限目の授業中、美久の教室では密かにこんなやりとりがあった。


「奥田さん、・・・オレ、頭痛がすごくて・・・・・、・・・悪いけど・・・・・・保健室・・・っ、一緒に行ってくれない?」

 額を抑えて頭痛を訴える隣の席の男子生徒。
 その顔色は確かに青白く、美久は教師に許可を得ると彼を支えながら二人で教室を出ていった。
 間もなく休み時間に入ると、数名の男子生徒が何食わぬ顔で教室を出ていき、クラスメート達は一瞬だけ彼らの姿に目をやっただけで、誰もその事については触れることはなかった。
 しかしこれだけの事では、レイが焦りを感じる程の事ではない。
 問題はこの先にある。
 本来ならば保健室に行くはずの美久は、どういうわけか男子生徒だけが使用している部室棟の一室に連れ込まれたのである。







その3へつづく


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