『約束』

○第7話○ 捕獲命令(その4)







 しかし、レイが男達に手を伸ばしかけた時だった。


「この揺れは、貴方が引き起こしているのですか?」

 何の前触れもなく、この場の雰囲気にはそぐわない女の声が突然ドアの向こうから響いたのだ。


「・・・・・・ッ」

 紅く変貌した瞳を向けると、ひしゃげたドアの傍に女生徒が一人佇んでいるのが目に入る。
 逆光で顔がよく見えないが、制服から伸びた華奢な手足と長いストレートの黒髪が静かに風に靡く様子は、地鳴りが起こり激しく揺れ続けるこの場に似つかわしいものではない。
 女は数歩だけ前に出て、ピタリと足を止める。
 目の前に這いつくばっている男子生徒に気をとめて、小さくため息を漏らした。


「・・・・・・失敗に終わってしまったのですね」

 そう言って彼女はレイの腕に抱きかかえられている美久に目をやって少しだけ沈黙し、近場の男子生徒の傍に膝をついた。


「アシダくん、もうそんなに揺れてないよ」

「・・・・・・えっ・・・・・・あぁ、・・・ホントだ・・・・・・・・・何だよ美久、服着ちゃったのかよ」

「授業始まるもの。・・・ほら、他のみんなも行きなよ、ね?」

「・・・あ、・・・あぁ、そうだな。ホラ、本多、・・・淳ッ、市田ーッ、行くぞ」

「ん? あぁ・・・」

「おぉ」

「・・・・・・また放課後な、美久ちゃん」

「バイバイ」

 男子生徒達は女の言葉に誘導されるままに、次々とその横をすり抜けて出て行く。
 彼女を「美久」と呼びながら・・・・・・
 レイが呆然としていると、女はゆっくりと振り返り、此方へ近づいてくる。
 近づくほどに逆光で見えなかった顔がはっきりとしてくるが、彼女はどう見ても美久とは別人だ。
 特に似ている訳でもなく・・・そもそも、見た事もない女だった。


「・・・・・・今のはどういう意味だ、・・・まさかこの2週間、お前が美久に成り代わっていたのか・・・?」

「・・・彼らを騙すのに本人である必要はありませんから。・・・まして、自分の身を犠牲にしなくとも、彼らを意のままに操るのはさほど難しい事でもありません」

「何が目的だ、美久をこんな目に遭わせる為じゃないだろう・・・!?」

「・・・私自身は、それを目的としていました。・・・・貴方を此処に呼び寄せる為に」

「っ!?」

 女は何を考えているのか分からない無感動な瞳で淡々と答える。
 悪びれた様子もなく、ただ静かな口調で。
 やはり目的は美久ではなかった。
 目の前の女はレイを此処に連れてくるだけの為に美久の振りをして、あの男達を含めた周囲全てを騙し、こんな状況を意図的に作り出したのだ。
 基本的にレイの同族たちは、人間相手にこんな風に力を使って陥れようとする思考を持たない。
 単なる食糧としての狩りはしても、ただ単にそれだけの存在で、用が済めば記憶を消して何事もなかったかのように解放し、決して興味を向ける対象として見る事はない。
 レイのように、愛情を傾ける対象として人を選ぶなど、本来は考えにも及ばない事なのだ。
 だからこそ、標的がレイであるなら、美久を狙うのが一番の近道だと考えたのだろう・・・。
 たぶん、・・・そういうことなのだ・・・。


「・・・・・・お前は何者だ、誰の指図で動いてる」

 問いかけると、若干赤みが強いブラウンの瞳で、女はレイを真っすぐ見返した。
 何か言おうと小さめの唇がゆっくりと動く。


「・・・私は・・・・・・───」

 だが、女が口を開くと突然周囲に黒い煙が立ちこめて、その姿を一瞬で隠してしまう。
 あっという間に部屋中に拡散した黒煙は、一寸先も隠してしまう程の勢いで視界を奪い去っていく。
 やがて黒煙に混じってどこからとも無く炎が揺らぎだすと、急激な室温の上昇をその身に感じた。


「・・・・・・げほ・・・、ごほ・・・ッ」

 意識を失った美久が、煙に咽せる。
 平然としたレイとは対照的に、この種の煙は彼女には有毒なはずだ。

 ・・・まずいな・・・

 レイは美久を抱え直し、この場から脱出することに思考を切り換える。


「・・・美久、もう少し眠ってて。・・・起きたら全部終わってるから」

 そう言うと彼は右手を振り上げ、背中の壁に思い切り己の肘を叩き付ける。
 ボゴッという鈍い音が響いた直後、見事に粉砕された壁には大きな穴が作られていた。
 そして、美久を抱きかかえて穴から飛び出したレイは、ここが2階であるにも拘らず、姿勢ひとつ崩すことなく地面に着地する。
 同時に激しい熱気が背中から伝わり、パンッ・・・と硝子が弾ける音が辺りに響き渡った。
 振り返ったレイが目にしたのは、凶暴なまでの炎で部室棟が炎上している姿だった。

 これもあの女の仕業なのか・・・?
 ・・・・・それとも他に仲間が潜んでいるのか?

 火の勢いは凄まじく、一気に燃え上がった部室棟の窓硝子が次々と割れて、外から入ってきた空気を栄養として更に激しい炎上を繰り返す。
 周囲を見れば、先ほどの地震でパニックを起こした生徒達が外に出てきて、今度は燃え上がる部室棟を目の当たりにして悲鳴をあげていた。
 此処に留まっていては更なる混乱を引き起こしかねないと考えたレイは、憎々しげに小さく舌打ちをする。


「・・・随分滅茶苦茶にしてくれる・・・」

 ふと、異常な熱気を感じて上を見上げると、燃えさかる火の塊が次々と二人目掛けて降り注いでくる。
 レイはもう一度美久を抱え直し、全速力で駆け出した。
 しかし炎はまるで意志を持っているかのように彼らを執拗に追いかける。
 それらをギリギリの所で避けながら走るレイの動きは、最早人間とは言えない超越した何かでしかなかった。

 ・・・やはり狙われているか。

 普通に考えれば、彼自身が狙われている状況で美久を連れ回す事は彼女を危険に曝すだけに過ぎない。
 言うまでもなくひとりの方が身動きも取りやすく、わざわざ抱きかかえて走る方がリスクが高い。
 だが、この一連の出来事を思えば、美久を手放すことの方が最悪の結果を招くのは、想像力を働かせれば容易に考えつく事だ。
 彼女をレイの弱点と考えているなら、離した瞬間に攻撃対象として選ばれるのは美久の方だからだ。


「・・・・・・くそ」

 オレを狙え。
 結局はオレを捕らえる為だろう。
 だったらオレだけを狙えばいい・・・ッ!!

 レイは苛烈に光らせた瞳をそのままに、相手を見極める為にピタリと足を止めた。
 そこを狙い澄ましたかのように、巨大な炎の塊が降ってくる。
 轟音と共に途轍もないスピードで、今まさにそれが二人へ向かって直撃しようとしていた。

 ───しかし、


「させるか・・・ッ!!!」

 叫ぶと同時に、レイの全身から爆発的なエネルギーが放射される。
 それは巨大で強烈な光を生み出し、方々から降ってくる炎の塊を瞬時に飲みこんでしまう程の威力を持っていた。
 それでも空から降ってくる炎は次々と発生し続け、その数多の炎の塊が二人に目がけて終わり無く延々と降り注ぐも、やはりレイの作り出す巨大で圧倒的な光の渦を前に否応なく無へと転換されていったが、元凶となるべき相手はレイの前に姿を現さない。
 レイはギリ・・・と奥歯を噛み締め、腕の中の彼女を抱きしめる手にも無意識に力を込めてしまう。


「・・・・・・う・・・・・・」

 苦しげに喘ぐ声を聞き、ハッとしたレイは慌てて力を緩め、彼女の顔を覗き込む。
 今の彼は普通の状態ではない。
 ほんの少し力加減を間違っただけで、彼女を抱きしめ潰してしまうかもしれないのだ。
 すぐに規則正しい寝息に変わったのを見てホッと息をついたが、今度は美久が何の衣類も身につけていない事にギョッとした。

 そうだ・・・美久は脱がされて、そのままだった。
 オレは裸の彼女を外に連れ回していたのか?

 そんな事すら失念しまうほど冷静さを欠いていた自分が信じられない。
 レイは美久の身体を抱き寄せながら、焦る思考の中でぐるぐると考えを巡らせた。

 どうする・・・一旦家に戻るか。

 だが此処から走って戻るのはリスクが高すぎる。
 大体、これ以上美久を誰の目にも触れさせるわけにはいかない。

 なら・・・どうする? 残された方法は・・・

 しかし、今のレイにゆっくりと考える時間などどこにも無かった。
 先ほどの熱気が嘘のように、今度は突然周囲の空気がひやりと冷たくなったのだ。
 視線を彷徨わせると、パキパキという音が四方から響き渡るのが聞こえてくる。


「・・・・・・えっ!?」


 ───それは・・・・・・大地が凍る音だった。
 こんなことを先ほどの女ひとりで行っているとは考えられなかった。
 他にも絶対にいるはずだ。

 一人か二人か、それとももっと潜んでいるのか・・・

 レイはどこかに潜んでいるであろう敵を見定めようと、もう一度周囲を見渡す。
 すると、その隙を待ちかまえたかのように、一気に凍てついた地面がレイの両足を大地に縫い止め、ふくらはぎ付近まで氷で固めてしまった。
 動かそうにも大地全てが枷となり、身動きひとつ取ることすら出来ない。
 それらが単なる氷では無いことを理解したレイは顔を顰め、血が滲むほど唇を噛み締めた。

 ・・・・・炎の次は氷かよ・・・、一体何なんだ・・・っ!?

 更には動きのとれないこの瞬間こそ絶好の機会と、追い打ちをかけるように空気中に含まれる水分が氷の粒へと変化を始める。
 それらは見る間に巨大で鋭利に尖った氷の凶器へと変貌を遂げようとしていた。
 そこかしこでパキパキという音を響かせながら、二人を標的にするための無数の氷の刃が完成されていく。
 こんなものが四方から一斉に突き刺されば、レイはともかく美久の命は無い。
 しかし一刻の猶予も無い事態を前にしても、彼の瞳から獰猛で苛烈な輝きが色褪せる事はなかった。


「・・・・・・・・、く、ぅっ、・・・あああああああああーーーーー・・・ッ!!!!!!」

 レイは癖の無い明るい髪を逆立たせながら叫びをあげた。


 ───ギシ・・・ビシビシ・・・、ビシ・・・

 大地が再び軋みをあげ空気が奮える。
 その直後、普段は彼の内に閉じこめた巨大な黒羽が、背中を突き破るようにして遂にその姿を現した。
 彼の脚を固定する役目を与えられた氷の大地は、その圧倒的な力を前にした途端、為す術もなく砕け散り、今まさに方々から飛びかかろうとしていた氷の刃がぶつかる直前、レイは轟音を奏でながら天空へと飛び上がる。
 間一髪というべきか、数瞬前まで二人が居た場所では巨大な氷がぶつかり合って激しく割れる音が響き渡った。
 レイはそれらを振り返ることもせず、ひたすら上空へと舞い上がり、全ての視界から遠ざかっていったのだった。











その5へつづく


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