『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その11)







 男はレイに扮したまま窓辺に椅子を置いて腰掛け、空を見上げていた。
 朝方まで足に嵌められた錠は、部屋にいた女達が引き上げたのと同時に外され、用意されたものに着替えを済ませると、漸くひとりになる事が許された。
 暖かい光を硝子越しに感じながら、男は何をするでもなく静かに瞳を閉じる。

 ───コン、
 扉をノックする音が聞こえたが、男は何も反応しなかった。
 どうせ此処にやってくるのはクラークくらいなのだろうと高をくくっていたからだ。


「本当の籠の鳥になってしまったようだな」

 しかし、背中から降ってきた声はクラークのものではなく、男の背中がぴくんと反応する。


「随分と大人しいものだ、聞けば昨日の朝には目覚めたというではないか」

「・・・・・・」

「父上とは話したのだろう? 此処まで逃げ続けたおまえが簡単に折れるとは思えぬが・・・」

「・・・・・・」

「・・・なんだ、沈黙は抵抗のつもりか? 可愛いものだな」

 喉の奥で笑うバリトンの声はクラウザーのものだった。
 それは男にとってクラークよりも耳に馴染んだ声だったが、まさか彼の方から尋ねてくるとは思っていなかった。
 振り返るべきか・・・
 考えている間にもクラウザーの気配はどんどん近づいてくる。


「レイ」

 ふわりと手が肩におかれた。
 直後にグッと手に力が込められ、男の右肩がクラウザーの方へと引き寄せられた。
 力の流れのままに男の上体は後ろを振り返る。
 自然と目が合う形になり、クラウザーのエメラルドの左眼が男の顔を真っすぐに捉えた。


「・・・・・・」

 一瞬だけ・・・その美しい瞳が細められた気がした。
 頭の隅で気づかれたかという考えが過ぎり、クラウザーの手を振り払って視線を逸らす。
 クラウザーは口元を緩め、愉しそうに笑みを零した。


「おまえが眠っていた3日間、訳あって留守にしていたが・・・どうやら最高のタイミングで戻ったようだ」

 その言葉は男が偽物と気づいているようにも聞こえ、また別の思惑を匂わせているだけのようにも聞こえて、どう捉えるべきかよく分からない。
 ひとつ分かることは、クラークにはこんな風に腹の底まで探るような目では見られなかったということだ。
 盲目的というのかはよく分からないが、大概ふて腐れた素振りを見せるだけで満足そうに笑みさえ浮かべていたので、敢えて顔を近づけて真正面から覗き込まれることもなくやり過ごせたが、クラウザーは誤魔化せているのかどうかの判断すらつかない。
 黙っていると、クラウザーは男の髪にそっと手を伸ばした。
 やわらかそうな薄茶の髪が陽に透けて、今は黄金色に輝いているように見える。
 このまま好きなようにさせておいた方がいいのか考え倦ねていると、クラウザーが唐突に耳元で囁きかけてくる。


「やはり・・・おまえが大人しいのはつまらぬな。折角土産を持って来たというのに・・・」

 そう言って男の手をとると、クラウザーは青色の機械をその手の中にそっと置く。
 手の中のそれを見た男は、目を見開き喉を鳴らした。
 ますますクラウザーの思考が理解出来ない。
 この青い機械がレイの探していたものだったからだ。
 まさかこんな形でこの手に回ってくるとは・・・


「どういうつもりだ・・・」

「そろそろ父上がやってくる・・・、今の内にそれを使ってみたらどうだ? まぁ、どう使うつもりかは私にもよく分からぬが」

「・・・・・・」

「くっくっ・・・、こわい顔だ。なぁ、ロイドよ、上手く化けたものだな」

「・・・っ!!」

 気づかれていた。
 クラークさえも欺いたこの容姿を、クラウザーはあっさり見抜いたということか。


「だが・・・、そうか。父上は気づかなかったか。レイと思い込むあまり眼が曇ったのかもしれぬな」

「まさか・・・、最初から気づいていたのか?」

「父上があれの性格をどう捉えているかは少々疑問だが、目覚めたレイが大人しくしているとは考えづらい。昨晩は朔・・・、黒羽が闇に紛れるのにこれほど適した夜はない。・・・まぁ、おまえとレイが酷似していると知っているからこそ出来る想像だがな」

「・・・・、・・・そう・・・いうことか・・・」

 男は静かに頷き、クラウザーが何を思って此処に来たのか理解はしたが、ふと・・・もしかしたらレイがこの部屋でされてきたことを彼は知らないのかもしれないと思った。
 知っていたらもうひとつの仮定も成り立つ筈なのだ。
 大人しくしているのは、鎖を嵌められているからだと。
 表情を見ても何を考えているか分からないクラウザーだが、知らないからこそ早朝からこの部屋に平然とやって来ることが出来たのではないだろうか?
 レイの身体にはまだ毒薬が残っているかも知れないし、女たちが居るかも知れない。
 何より鎖を嵌めているかもしれず、たとえ出入りに規制が無くともそう気軽にやって来られる場所ではない。
 この事を知らないのなら、彼のこれまでの心情が少しだけ見えてくるような気もする。
 レイが次代の王だと異様な執着を見せて連れ戻そうとするクラークを見て、特別だと、レイしか見えていないとさぞ思ったことだろうと。
 そして、それ以外は蚊帳の外だと痛感したかもしれない。
 陽の当たらない部分で起こった現実は、そんな生易しいものではなかったと知らずに。
 レイはクラークの傍では、己を殺して生きなければいけない。
 結局、此処にレイを連れ戻す際の問いかけに答えたクラウザーの言葉は、意図するところとは違ったとしても極めて的を射ていたのだ。


「・・・・君がなんのつもりでこの機械を俺に渡したかは分からないが、これは持ち主に返却させてもらう」

「ほう・・・レイの姿で返却しに行くのか?」

「そうだ、あと少しだけこの姿を利用させてもらう。・・・終わらせなければいけないこともある」

 クラウザーは男の言葉にピクリと眉を動かした。
 問題を起こす可能性を匂わせる発言にも思えることから、本来ならクラウザーは男を制するために動くべきだろう。
 しかし彼は関心は寄せていても、眼を細め、口元を僅かに綻ばせている様子から、この状況を楽しんでいるようにしか見えず、妨害しようなどという気はなさそうだった。
 何よりたった一日入れ替わっただけで随分行動的になったロイドの姿に興味を持ったようだ。


「ならば私も行こう。レイには会わせたい者がいたのだが、今はおまえに着いていった方が面白そうだ」

「好きにすればいい」

「どこへ向かうつもりだ? 今、レイがいる場所を知っているのか?」

「・・・昨夜、この青い機械の保管場所を彼に教えたばかりだ。北の棟の君の自室に侵入しようとしているかもしれない」

「くっく・・・、とんだ入れ違いだったな」

 相変わらずクラウザーの腹の中はさっぱりわからない。
 元々考えが読めない相手ではあったが、此処に来て益々その傾向が強くなったような気がする。
 男は小さく息を吐き、後ろから足音もなく着いてくるクラウザーの気配を感じながら部屋の外へ向かって歩きだした。
 扉を開けると両脇に立っていた兵士が直立不動で敬礼する。
 部屋から出て行くことを止められる事は無いらしい・・・、日中はそれなりに自由なのかもしれない。

 ・・・が、部屋から出たところで、


「・・・レイ? どこへ出かけるんだ?」

 タイミング悪く此方に向かって歩いてくるクラークと鉢合わせしてしまった。
 この状況に男は内心舌打ちしていたが、この程度の事を切り抜けられなければ先はないだろう。
 しかし、男の後ろに立っていたクラウザーが突然、男の姿を隠すように前へ躍り出たのだった。


「父上、お早う御座います。これから2人で宮殿内を見て回ろうかと・・・久しく此処に戻っていないので忘れていることもあるだろうと」

「あぁ、なるほど。それはいい考えだ。皆にレイの存在を認識させる意味でも良い機会になるだろう」

「はい」

「行ってきなさい。レイ、いい子にしておいで」

 そう言ってクラークは男の頭に手を伸ばしてそっと撫でる。
 昨日も気になったが、あんな事をしてみせる一方でまるで小さな子供に接するかのような態度は何なのだろう。
 こうしているとレイとクラウザーに対する扱いひとつでまるで違うのがよくわかる。
 感情を向ける相手と、感情抜きで接する相手・・・意図的にしているのか自然とそうなっているのか、そこまではわからないが。
 もっと分からないのは、クラウザーが一体どこまで考えて立ち回っているのかという点だ。
 此処まで堂々とクラークを欺いてみせるのは予想外だった。
 これで堂々と此処を歩き回れる口実が出来たのはありがたいが、何を考えているのかわからない筆頭がこの親子だというのだから全く血は争えない。
 そんなことを心の中で思いながら、男はクラウザーと視線を一瞬交わすと、そのままクラークに背を向ける。
 その時、二人と入れ替わるように数人の兵士とすれ違い、慌ただしくクラークに駆け寄っていくのを目にした。
 辺りを見れば皆どことなく落ち着き無い様子が窺える。
 それでもクラウザーは歩みを止める気はないようで、そのまま男と共に彼の自室がある北の棟へ向かうべく黙々と足を進めた。


「気にする必要はない。余程の事が無い限り、どのような問題も私たちの耳に入ることはない」

「・・・・・・そういうものか?」

「そういうものだ。それよりも、皆慌ただしくしながらも此方を盗み見ているさまが面白いと思わぬか? 彼らは無意識で見ているのだ。レイは目を惹く・・・昔からそうだ。おまえ自身もそうだったのではないか?」

「・・・・・・」

 黙り込む男にクラウザーは愉しそうに笑みを漏らす。
 心底この状況を愉しんでいる様子だ。

 だが、二人が階段を数段降りたところで、


「・・・───クラウザー」

 声に引き留められ振り返る。
 そこに立っていたのは他ならぬクラークだったが、つい先ほどまで見せていた柔らかい微笑はすっかり消え失せていた。


「如何されましたか」

 踊り場に立つクラークを見上げて、顔色ひとつ変えずにクラウザーが答える。


「あの仮面の男は、お前の持ち物と聞いていたが」

「・・・はい、あの者が何か」

「宮殿内に火を放ったあと、牢番を倒して地下牢に侵入した。今は入り口を破壊して籠城している。火は現在は鎮火に向かっているようだが・・・地下牢がどこまで被害を受けたかはまだ分かっていない」

「・・・・・・地下牢に・・・?」

「あの者がレイを連れ戻したと聞いた時点で相当の手練れと認識したが・・・。しかし宮殿に火を放ち地下牢に忍び込む目的は何だ? ・・・これはお前の命令か?」

「・・・・・・」

 クラークの言葉にクラウザーも想像の範囲を超えたらしく、言葉を失っている。

 放火?
 地下牢に籠城・・・?
 レイは北の棟に向かったのではないのか?

 仮面の男の正体がレイだと知っていても目的が読めない。
 それはクラウザーの隣に立つ男も同じ感想だった。
 見つからないようにあれだけ気をつけていたものを、どうして突然目立つことをしているのか。
 これでは自ら身をさらしているようなものだが、もしも態とやっているとすれば、やはりその目的に疑問を抱いてしまう。


「レイ、お前は部屋へ戻りなさい」

 クラークが男を引き戻そうと手を差しのべる。
 こうも次から次へと状況が変化すると、どう動くべきか迷いが生まれる。
 しかし地下牢にいるマスクの男が既に敵と見なされていると考えるなら、男は元の自分の姿に戻る道を断たれた事になる。
 ならばこの状況を利用する事でしか、もはや進む道は残されていないのではないだろうか?
 少なくとも、部屋に戻るという選択だけはするつもりはない。


「レイ、・・・何をしている? 此方へ」

「・・・確か地下牢は南の棟でしたね。どういう意図かはわかりかねますが、必ずや私の責任に於いて鎮圧致します」

 クラークの言葉を遮るようにクラウザーが口を挟む。
 そして、頭をゆっくり下げながら、ほんの一瞬クラウザーは男に視線を向けた。
 南の棟、彼はそれを男に伝えたのだ。
 二人が向かおうとしていたのは北の棟、完全に真逆だ。
 その意図を理解すると男は僅かに笑みを漏らし、不意にクラウザーの手をとって彼の後ろに回り込む。
 周囲がざわめき、何が起きたのか認識する前に今度はクラウザーを突き飛ばし、自分は一気に階下に飛び降りた。


「レイ・・・ッ!!!」

 追いかけるクラークの声。
 同時に男の周囲に兵士が群がった。
 しかし、誰ひとりとして男に触れようとはしない。
 パチパチと弾ける音を立てながら薄い茶色の髪が生き物のように逆立ち始め、男の身体の周囲には力の渦が出来ていて、容易に触れることを危険と感じたのだろう。


「・・・レイッ!!!」

 クラークが尚も叫び、それに応えるように男が一度だけ階上を見上げる。
 男の瞳は獰猛な金色へと変貌していて、それを見た誰もが息を飲んだ。
 ジリジリと近づこうとする周囲をよそに、男は腕を一振りしただけで四方を囲む兵士達を吹き飛ばす。
 そして次の瞬間、視界に入る窓が全て、激しい音を立てながら一斉に飛び散ったのだ。
 皆、その音に一瞬気を取られたが、すぐにハッとして愕然とする。


「・・・・・・ッ、・・・!?」

 既に男はいなかった。
 今まで男が立っていた場所に残像だけが残っていたが、それもすぐに消えてしまった。
 男が窓を突き破ってどこかへ消えたと認識するまで完全な沈黙が生まれる。
 クラークはゴクリと喉を鳴らし、そのまま階下に降りると今まで男が立っていた場所に立ち、四方をぐるりと見渡した。
 吹き飛ばされた兵士達は意識を失い、窓も壁ごと破壊され、男が立っていた周囲の絨毯は焼け焦げている。
 金色の瞳。
 あの目に射抜かれた瞬間、クラークは全身を射抜かれたような衝撃を感じていた。
 死の瀬戸際とはああいう感覚なのだろうか。


「・・・あぁ・・・そうか。そういうことだったのか。・・・・・あの子は既に完成していたようだ」

 突然そんなことを言い出すクラークに、この場にいた誰もが首をひねっただろう。
 どこかおかしくなってしまったのではないかと思えるほどその様子は異様で、何かを言っては笑っている姿に声を掛ける者はいなかった。


「───あぁ。ならばレイを連れ戻す前に地下牢を制圧しなければいけないな・・・。何と言うことだ。この日を待っていた、黙ってなどいられるものか。・・・レイの器が完成したのだ」

 そう言ってクラークは男が破壊した窓を眺めると、そのまま廊下を駆けていく。
 周囲に居た者たちは皆状況が飲み込めずに動揺していたが、クラウザーだけは限りなく冷静に父の背中を見つめていた。


「・・・・・・驚いたな。・・・ロイド・・・、あの男は瞳の色まで変わるのか」

 その呟いた顔はなぜか愉しそうに歪み、口角を最大限に引き上げてひっそりと笑っている。
 レイと同じ容姿、漂う気配まで酷似するに留まらず、金に変わる瞳まで彼が持っていたと知り可笑しくてたまらなかったのだ。

 確かにこれでは父上が惑うのも無理はない。
 だが・・・たとえあれが本物のレイだったとしても、あの子の瞳が金に変わるのは今更驚く話でもない。
 父上のあの取り乱しようはなんだ?
 レイの器とはどういう意味なのか。
 ・・・・・・何にしても、あれほど愉しそうな父上は見たことがない。
 向かったのは地下牢だろうか? レイを捜さずに何故マスクの男がいるはずの地下牢へ向かおうとする?
 どちらにせよ、地下牢にいるのはその男ではなく、レイ本人だがな・・・・・・。
 考えただけで笑いが込み上げる。
 これは何かが起こる前兆か?


「皆、宮殿の周囲で厳戒態勢を整えよ。それと琥珀色の軍服を着た者は地下牢に侵入した男とは別に城内に2名いるはずだ。彼らを見つけ次第地下牢へ向かうよう伝達してほしい」

 そう言い置いてそのまま階下へ下るクラウザーの言葉に、周辺にいた兵士達は一斉に散った。
 クラークに限らず、最終的に皆が向かうのは地下牢だ。
 そこで何が起こるのかはわからない。
 しかし、何かが起きる前兆のように状況は刻一刻と変化を続けていた。









その12へつづく


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