『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その9)







「あんたの要求って、もしかして・・・人探し?」

 レイの問いかけに男は目を伏せ、静かに頷く。
 微妙な顔をしたレイは無言のまま立ち上がり、もう一度ベッドの上に腰掛ける。
 人探しをするリスクを考えると即答が出来なかった。
 そして一端頭を切り換えようと思ってか、部屋の中を見回し、転がったままの四人の女の肢体を眺めながら溜め息を吐く。


「良いことを教えてやろうか」

「・・・・?」

「あの女たちはクラークのスパイだ。このままだと明日には更に強力な薬を投与される」

「え?」

「終わらせるには"レイに抱かれた"という事実が必要だ。本当に抱くのがいやなら、その記憶をこの女たちの頭の中に刻んでやればいい。裸に剥いて朝までベッドに転がしておけば疑われる事なく明日には鎖が外される」

 男は最初、あまりにさらりと言われたため、その意味をよく理解出来なかった。
 だが、それが次第にどういうことか分かってくると、物を見るような目で女たちを眺めるレイの異常さに吐き気のするような想像が膨らんでいく。
 確かに今の状況を冷静に考えれば辿り着く答えだ。
 しかし其処までの想像力は中々働くものではなかった。


「・・・聞いて良いものか、よく分からないんだが、・・・その・・・、君にとってこれは全て想定出来る範囲の出来事だったのか・・・?」

「・・・・・・」

「最初から違和感を感じていた。この足枷を嵌めた時、君は随分扱いに慣れた様子で・・・。だが、君をこんな枷で拘束しておけるわけがない。にも拘らず、クラークはこれを嵌めた君が逃げるとは思っていない様子だった」

「・・・・・・」

「そのうえ、あのような薬を無理矢理飲まされ、揚げ句、女まで強要される。君は・・・何の目的でこんなことをされているんだ?」

 半信半疑を装いつつ確信を持ってしまった疑問。
 これで全てが元通りと言って笑ったクラークの顔を思い出して、今更ながらぞっとする。
 レイは男をじっと見下ろしていた。
 最初の印象と随分違う男の様子に、まさか同情でもされているのだろうかと考えながら。
 やがてレイはその重苦しい沈黙を破るように立ち上がり、床に転がったままの女を一人一人抱き上げベッドに運び始める。
 四人とも運び終えると今度は彼女達の身体に巻き付けた薄布に手をかけ、レイは表情ひとつ変えずことなくそれらを剥ぎ取っていった。
 そして、それぞれの女たちの頭に指先で軽く触れると、その指の周りの空気が微かに歪んだ。
 突然、女たちは甘い吐息を漏らしはじめる。
 恍惚の表情を浮かべ、身悶えるように唇を震わせて、その身体は熱を帯び始めているのか、しっとりと汗ばんでいく様子が窺えた。
 彼女達は今まさにレイと激しく抱き合っているのだ・・・、その頭の中だけで。
 しかしそれは、彼女たちにとっては現実としか思えないほど強烈で生々しく、快感に高揚する肌や息づかいは熱く、それだけで何度も絶頂に達しているようだった。
 その様子を、レイはとても冷めた目で眺めている。
 これを現実だと思いこませることだけが目的だった。
 今日のことは必ずクラークに報告される。
 その際に"レイは彼女たちを抱いた"と彼女たちに言わせることが重要だった。


「・・・・・・こんなことを、いつも・・・?」

 男は愕然としながら女たちの様子を見ていた。
 それに気づいたレイは浅く笑い、僅かに頷いてみせる。


「実際はこうやって力で逃れることが出来ると気づくまでに、随分時間がかかったけど・・・」

「・・・・・・っ」

「あの頃は夜になると頻繁に鎖に繋がれたんだ、夜が来なければいいとどれだけ願ったかわからない」

「・・・狂っている・・・・」

 男は唇を震わせ、呆然とレイの横顔を見つめて呟いた。


「・・・・・・そうだな。狂ってると思うならそうなんだろう。クラークの考えなんてオレにも理解出来ない。オレは幼い頃から、この手の薬に限らずあらゆる薬物をこの身に受けていた。猛毒だろうが一度でも身体に受ければ、大抵二度目からは途端に効きづらくなる体質で・・・そうやって本物の化け物へ近づいていくのを見るのは堪らなく愉快だったのかも知れない」

「・・・・・・っ」

「・・・ただ、あの時のオレはこんな鎖ひとつ壊せなかった。壊せるのが分かってても、出来ない理由があの時にはあった。・・・だけど今はもう、クラークに従う理由はどこにもない」


 ───『・・・いや、だ。・・・もういやだ、・・・だれもさわらな、・・・で・・・』

 それは遠い日の自分。
 藻掻きながら、まだ此処の住人を信じようとしていた頃の自分だ。
 レイは久しぶりに頭の中に現れた惨めな過去の自分に少しだけ胸の痛みを感じたが、それを断ち切るように唇をひき結び、男に話しかけた。


「そんなことより、あんたは自分の心配をしたらどうだ? 明日以降も此処にいればまた似たような目に遭うかもしれない。人を捜して欲しいというのがあんたの望みなんだろ? それなりの情報がないとオレも動くことができない」

「・・・引き受けるつもりか?」

「オレが動ける内容なら。・・・尤も、此処には随分長く戻っていなかったから、あまり当てにならないだろうな」

 レイの言葉に男は黙り込み、窓の外を振り返った。
 夜明けまでもう少し・・・このままではまた数日のうちに同じ状況に陥るのは目に見えていた。
 この一連の話を聞けば、再びレイが男と入れ替わるようなことは二度とないということも分かる。
 男は眉を潜めて何かを迷っているようだったが、やがてレイを真っすぐ見据えて重い口を開いた。


「・・・実を言うと、君に頼みたいのは人探しではない。この宮殿のどこかに限られた者だけが知るような・・・そう言う場所を知りたかった」

「たとえば隠し部屋とか?」

「そうだな」

「・・・そこに捜しているヤツがいるのか?」

「それはわからない。・・・ただ、立場上、俺が宮殿に足を運ぶのは密命を受ける時に限られているが、此処に来るとあの子の気配が途端に強くなることだけはわかる。いることは間違いないが進む道がどこにあるのかが分からない」

「オレを捕まえた時に使った方法では探れなかったのか?」

「宮殿の外から試みたことはある。だが、この場所自体が強い加護を受けているのか、力を使っても弾こうとする力に阻まれて思うようにはいかなかった。本当は内部から力を使いたかったが、宮殿の中枢ではなく北の棟にしか招集がかからなかったのも障害になった。滅多に訪れることのない自分が忽然と姿を消せば怪しまれてしまうだろう。・・・そのうえ警備の手が厚く、出入り禁止になったら元も子もない中で、場所も特定できない自分が強引に探しまわることは不可能だった」

「・・・確かにそうだな」

 北の棟、という言葉にレイは苦笑しながら頷いた。
 そこはこの宮殿の中枢とは繋がっているのだが、少し色合いが違うのだ。
 たとえ軍の制服を着ていようが、滅多に訪れない者に対する警戒が尋常ではないのをレイは知っている。
 クラークに追い出されたナディアを初めとして、二人の間に生まれた王子達もそこにいるのだ。
 勿論クラウザーの自室も北の棟にある。
 あの場所はナディアの唯一のテリトリーであり、彼女の内に抱えた怨念と憎悪で成り立っているような場所なのだ。


「要は八方塞がりだったというわけだ。・・・だから、王に近い存在でありながら従順とは言えない君とは多少無茶をしてでも接触したかった。場合によっては何か情報を得られるかも知れないと・・・」

「それで交換条件か」

「君の持っていたあの機械は君の力に随分影響されているように思えた。・・・何かを送る媒体とでも言うのだろうか。あれを君が簡単に諦めるとは考えづらかったが、一刻も早く此処から逃れようとする様子から、また此処に戻ってくるかは賭けだった」

「・・・なるほど。・・・まぁ、オレに接触しようとした時点でかなり危険を冒しているのは事実だし、それは信じてやるよ。───で、"あの子"ってのはあんたの何?」

 その問いかけに、男は一瞬何を聞かれているのか分からなかったようだ。
 だが、すぐにそれが自分の先ほどの言葉によるものと理解したらしく、僅かに言い淀んでいたものの、すぐに観念したように白状した。


「・・・・・・俺の妹だ」

 それを聞いてレイは少しだけ納得した気分になった。
 この男の妹であれば、自分が似ていたと言われるのも分かるような気がしたのだ。

 ・・・・・・それにしても、限られた者だけが知っているような部屋か・・・

 レイは遠い記憶を手繰りよせながら考えを巡らせた。
 そんな場所が果たしてあるのだろうか。
 自分が不在の間にそういう場所が作られた可能性はあるが、今のレイがそれを知るわけもない。
 思い出せる限りの記憶を総動員させたが、そんなものは見たことも聞いたこともなかった。


「・・・悪いけど、オレが知る限りでそんな場所は全く記憶にない。もし存在していたとしても、知っているのは一部の者に限られるだろうから、探り当てるのはかなり難しいだろうな」

「───・・・そうか、それなら仕方ない」

 男は静かに頷き、それ以上食い下がる様子はない。
 探していると言う割に、随分あっさりしているのが不思議だ。
 もしかして他にも当てはあると言うことだろうか・・・、こんなリスクを冒してまで接近してきたくらいだ、そうは思えないが。
 だが、どちらにしても・・・


「・・・・・これで取引不成立だな・・・」

 レイは諦めたように息を吐く。
 宮殿の中を多少動き回るだけならともかく、今の話ではリスクばかりが高すぎる。
 それなら此処から逃げるために行動したほうが、まだマシだった。
 美久があのまま無事でいるとはどうしても思えないのだ。
 だから一刻も早くレイは彼女の元に行かなければならなかった。


「もう繋がれる理由は無いんだから、あんたも適当に逃げるんだな」

「・・・・・・君は?」

「オレがどうしようがあんたには関係ない」

「まさか今から逃げる気か? もう夜明けだ、見つかるぞ」

「日が昇ってから逃げるよりいいだろ」

「待て・・・っ」

「何だよ、本物が此処にいると騒ぐつもりか?」

「違う・・・、そういうつもりはない」

 男は首を振って、レイの腕を強く掴む。
 まるで引き留めようとする素振りに、レイは警戒心を持ったのか表情が強ばった。

 しかし・・・


「君の探しているものはクラウザーの自室にある」

「・・・え?」

「だから、もう少しだけ俺の振りを続けた方がいい。クラークに分からないほど俺達が似ているなら、兄の目も欺けるかもしれない」

「・・・・・・」

「ただ・・・俺の素顔も、声も、クラウザーは知っている。彼とは素顔でいる時に出会い、この容姿に興味を持たれたのがきっかけだった。この国で生きるならマスクをつけた方が良いと提案され、やがてその意味を知った俺は出来る限り声を殺して過ごそうと考えた。俺はクラウザー以外で、此処の連中と言葉を交わしたことがない。だから騒ぎになっていない今ならば、君が多少動き回っても不審には思われないだろう」

「何だよそれ・・・」

 男は一端レイから離れてベッドの隅に置き去りになったままのマスクを手に戻り、それをレイの顔に装着させる。
 レイはマスクの向こうの男を探るような目でじっと見ていた。
 男の言葉をどう捉えていいのか、測りかねているのだろう。


「・・・もう傷はいいのか?」

「ああ」

「よかった」

「・・・・・・」

「・・・君が疑う気持ちは分かるが嘘は言っていない」

「あんたにメリットは何もない、それだけで疑うには充分の理由になる」

「それは・・・」

「・・・・・・」

「単なる気まぐれだ、君に同情した。それだけだ」

 男は視線を外してそう言うと、そのまま背を向けてベッドへ戻っていく。
 じゃら・・・歩く度に鎖が鳴る音が部屋に響いた。
 レイは納得しきれない様子で男を見ている。
 同情という言葉を信じるほど青くはない。
 しかし取引にはならないと分かっている癖に、男は自分が持っている情報をわざわざ提供した。
 それも、レイがすぐにでも飛び出しそうなのを黙っていられないといった様子でだ。
 一体なんのために?
 じゃら・・・
 また鎖の音が響いた。

 

「・・・・・・あ」

 不意にレイはある事に気がついた。
 男の足枷をじっと見つめているうちに、自分がひとつの可能性を失念していた事を思い出したのだ。


「おい」

「・・・・・・」

 男は返事すらしない。
 もう話しかけるなと言いたいのか。
 だが、レイが声をかけるのは男に対する疑念を晴らすためではなかった。


「ロイド」

「・・・え?」

 男は吃驚したように振り返る。
 名を呼ばれたのが余程意外だったのか男はまんまと反応を見せ、レイはニヤリと笑みを浮かべた。


「昼にバーンという男に会った。一方的に話しかけられてオレをロイドと呼んだんだ。あんたのことだろう?」

「・・・・・・あ、・・・あぁ」

「そんな事より、あんたさっき言ってたよな? クラークが足枷を嵌めたオレが逃げるとは思っていないようだったって・・・」

「・・・ああ」

「だったら・・・オレよりも此処に詳しいヤツが、まだこの宮殿にいるのかもしれない」

「どういうことだ?」

「そもそもその鎖は命と引き替えに嵌めたものだったんだ。外して逃げないかわりに"彼ら"を殺させない約束で・・・だから、その鎖が今も有効だと思ってるなら、まだ生きているのかもしれない・・・」

「・・・?」

 男は眉をひそめる。
 レイは何かを考えている様子で、男の片足から伸びる鎖をじっと見つめ続けていた。


「・・・・・・次の夜までだ」

「え?」

「それまであんたが此処で待つなら、ひとつだけ心当たりを探ってやってもいい。・・・・・どんな結果になっても、それ以上はオレも此処に留まらない」

「・・・それは、俺には願ってもない話だが」

「決まりだな。じゃあ、オレは行く。窓は閉めてくれ」

 そう言うとレイはそっと窓を開け、此処から出ていくつもりらしい。
 だが、今にも部屋から飛び出しそうな背中に向かって、男はまたも意外な言葉をかけた。


「・・・もし何の情報も得られなくても取引は成立だ、その時は此処へは戻らなくていい」

 驚いた顔でレイは男を振り返った。
 真っすぐに此方を見るその瞳も、姿も、恐ろしく自分に似た男。
 男が何者で、どうして妹を捜しているのか、別にそんな事には興味がない。
 ただ、その潔い眼差しに嘘は感じられなかった。
 レイは男の言葉を受けて一度だけ頷くと、そのまま窓を飛び越え大空に向かって身を投じる。
 僅かに夜が明け始めた空を、巨大な黒羽が風に乗って姿を消すのは一瞬の出来事だった。
 男はその姿が見えなくなっても、暫くはその場でレイを見送り続けた。
 やがて音を立てないように窓を閉め、男は薄暗い部屋をゆっくりと振り返る。
 不意に空気が揺らぎ、近くを何かが横切ったような気がした。
 しかしそれは非常に曖昧な感覚で、錯覚だろうかと静かに揺らぐ空気を眼を細めてじっと見つめる。


「・・・、・・・───っ!?」

 部屋には・・・レイがいた。
 まだ少年の姿をしたレイが、部屋の隅で、窓際で、ベッドで、扉の前で泣いている。
 それは単なる幻だったのかもしれない。
 だが、男の眼にははっきりとそれが見えていた。
 繋がれた片足の鎖が、まだ少年の面影を残したレイに暗い影を落としている・・・
 此処にあるのは孤独だ。
 絶望的な孤独しか、此処には存在していなかった───









その10へつづく


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