『手の中の幸せ』

○第2話○ 自由と檻(中編)








 翌朝、ビオラは早々に目が覚めてしまい、部屋の中を退屈そうに歩き回っていた。
 しかしどんなに部屋が広くとも、歩いたところで退屈しのぎにもならない。
 無闇に室外へ出る事の危険性を感じるから大人しくしているが、元々じっとしていることが性に合わないお転婆な性格なのだ。

 彼女はふと、部屋の窓から見える景色を目にして驚きのあまり小さく声をあげた。

 広大な敷地は王宮・インスパイアとそれほど変わらない・・・いや、それよりも大きいのではないだろうか。
 ベルフェゴールでは王宮以上の建物と敷地を持つ者は存在しないはずだ。
 それは皇帝の持ち物を上回るものを建設する事が、彼を冒涜する事に匹敵すると言う考えがあるからだ。
 ビオラは幼い頃からそういう類の事を聞かされてきて、兄の絶大な力と一身に集めた尊敬と忠誠は揺るぎないもので、このような城がかの地で存在出来るはずが無いと言う事を知っていた。


 ・・・だとしたら・・・ここは・・・どこ・・・?
 クラークは・・・何者?

 だけどこんな事を一体誰に聞けるというのか。
 不審がられるのは当然だし、変な疑惑を持たれたら尋問され執拗な追求にあうだろう。


 ・・・やっぱり・・・そうなる前にここを出なきゃ・・・・・・

 世間知らずとはいえビオラとて馬鹿ではない。
 この一年レイドックと共に生きて多くの事を彼から学んだし、過酷な逃亡劇からは自分の身を守る為に備わった警戒心を学んだ。
 もう何も知らずに守られていただけのあの頃とは違うのだ。


 コンコン

 突然のノック音。
 ビクリと肩をふるわせ、振り向くと同時にクラークが入ってきた。
 彼の後にもう一人男を従えて・・・

「おはよう」

 やわらかく微笑み、彼はビオラの元へと歩み寄る。
 彼が纏う雰囲気はラティエルの穏やかさに似ているのだが、それだけではない気もする。
 それが何であるのか明確には表現出来ないのだが、単なる貴族ではないように思えた。

「彼が昨日話した医師だよ。口数は少ないが信用出来る男だから大丈夫。バティン、挨拶を」
「・・・バティンと申します。以後お見知りおきを」
「ビオラです・・・・・・」

 バティンはビオラの右手を取り、手の甲にキスを落とした。
 そして、挨拶が済むと彼は静かにビオラを見つめ、どことなく哀れむような瞳で微笑みを浮かべる。
 その意味する所が分からずきょとんとして首を傾げたが、バティンは直ぐに視線を外して後へさがってしまった。

「・・・クラーク様、直ぐに診て差し上げても?」
「ああ、頼む。私は執務に戻らなければならないが、また来るから」
「・・・ありがとう、クラーク」

 礼を述べるとクラークはわずかに頬を赤らめて頷き、足早に部屋を退室していった。


「では、こちらで・・・」
「ええ」

 バティンは診察のため、ビオラをベッドに促した。
 ・・・とは言え医療器具を使用するわけでも触診するわけでもない。
 元々素質のある者が特殊な訓練を受けてその手の能力を特化させた者が医師と呼ばれ、手をかざすだけで身体の全てを診ることが可能で、治療もある程度のものなら薬に頼らずに済んでしまう。

 彼もまた、ビオラの身体にくまなく手をかざして状態を診ていた。

「安定していますね、回復力が抜きん出ているのでしょう」
「・・・」

 安定とは何を指して言っているのか・・・
 窺うようにバティンを見るが彼の表情からは何も読みとることは出来ない。


 そして全て診終わると彼は立ち上がり、早々に部屋を退出しようとビオラに背を向けた。
 ビオラもそのまま彼は出ていくものだと思い、黙ってその背中を見ていたのだが、いくら経ってもバティンがその場から動く気配は無い。


 が、突如・・・・・・


「・・・・・・差し出がましい事ですが、なるべく早くここを出た方が宜しいかと・・・」

「えっ」


 そう言って彼は振り向き、またしても哀れむ瞳でビオラを見つめた。
 僅かに肩をふるわせ、何かをぐっと堪えるように唇を噛み締めている様子にビオラは目を見張る。


「出過ぎた事を言っているのは分かっております・・・・・・ただ・・・・・・何故あなたがここにいるのかと・・・・・・」
「・・・・・・え?」
「おおよその想像はつきます、・・・だが、こうなって欲しくなかった・・・・・・」
「・・・・・・」

 彼は何を言っているのだろう。
 どう考えてもビオラを知っていての言葉としか受け取れない。

「私が誰かを知っているの?」
「・・・・・・はい」
「じゃあ・・・私、まだベルフェゴールにいるのね・・・」

 掌をぐっと握り締め、不安を隠しきれず声がふるえた。
 しかしバティンが返した言葉は肯定ではなかった。

「いいえ、ここはベルフェゴールではありません」
「・・・・・・っ! そ・・・ぅ、なの?」
「はい」

 なら・・・ここはどこ?
 この男なら答えてくれるだろうか・・・
 思いながら見上げると彼は労るように頷き、口を開いた。

「バアルの首都ハウレス、その中枢に位置する、宮殿・アンドロマリウスです」

 淡々と言われた言葉を、ビオラはなかなかのみこめない。

「・・・バアル?」

「そうです」


 それは国家として存在する名前の一つだ。

 この世界には国として存在するものは4つしかない。
 第一はビオラが生まれたベルフェゴール。
 第二は芸術大国アスタロト、第三は邪悪で謎が多く、他国から忌み嫌われ恐れられているベリアル。

 そして・・・最強にして最大の独裁国家バアル。

 ベルフェゴールは他国との国交を徹底的に拒んで来たが、バアルは幾度にも渡って使者を送り出してきていると聞いたことがある。
 だが、元来閉鎖的な思考を持つ上に、皇族の禁忌を他国に知られる事を恐れた上層部は、国の周囲を取り巻く迷いの森に守り神を放つことで一切の国交を拒絶する意志を示していた。


 いや、それよりも今考えるべきは・・・

「・・・・・・私・・・なんでバアルの、・・・宮殿、に・・・いる・・・の?」

 事の重大さを知り、ビオラは不安の渦が全身に広まってカタカタと震えだした。
 この城を自分のものだと言ったクラークの言葉を思えば答えが出たようなものなのに、どうしても確認せずにはいられない。


「クラーク様は・・・バアルの頂点に立つ御方です」

「・・・・・・っ・・・、・・・っっ」


 愕然としたビオラの瞳が伏せられる。
 わかっていても・・・・・・口に出される事がこれ程重いとは・・・


「・・・言うまでも無い事ですが・・・今ビオラ様の事で周囲が騒ぎ始めています。・・・これ以上目立つようなことは絶対にあってはなりません」
「私・・・っ、静かに暮らせれば・・・それで良かったの・・・・・・っ、こんな事を望んだわけじゃないわ」
「分かっています。私も可能な限りビオラ様の良いように動きます。出来れば早々にこの城から出られるように・・・」

 バティンは彼女の手を握りしめ、震えが止まらないビオラを励ますように笑ってみせた。

「・・・なぜ? バティン・・・あなた・・・誰なの?」

 わからない。
 敵か味方かわからない。

 どうしてベルフェゴールを知る彼がバアルにいる?
 どうしてビオラを知っている?
 これ程協力的なのは不自然ではないのか?


「私の生まれはベルフェゴールなのです」
「・・・なっ」
「ただ、知っているのは先代の皇帝陛下がお亡くなりになるまで・・・それ以後は半ば追放のような形で国を追われましたので・・・」

 ───追放・・・!?

 バティンの表情は硬く、その奥底にある感情は読みとれない。

「・・・信じていただくしかありませんが・・・・・・どうか、逃げ延びてください、・・・出来うる限りの事をします」

「・・・バティン・・・・・・・・・」

 彼の過去に一体何があったのか・・・
 追放なんて余程の事が無ければないことだろう。


「それよりも今は、腹の中に宿った命の方を大事にしてください」

 ピクッと肩をふるわせバティンを見やる。
 やはり気づいていたかと思い、苦く笑う。

「知ってたのね」
「これでも医者ですから。ですがクラーク様にはまだ言っておりません。・・・少々気になる事がありましたので」

 気になること・・・そう言われて思う事は一つしかない。
 どう考えても自分は怪しい女だ。
 森の中、女がひとり木陰で眠りこけていたのだ・・・しかも危険地帯で。

「・・・私、疑われているんでしょう? ・・・それはそうよね・・・・・・」
「いえ、そうではなく・・・・・・クラーク様は・・・」
「?」

 バティンはためらいがちに俯き、割と長めの前髪を後にかきあげた。

「推測でものを言うのは良くない事です。ですが、今後のことを考えるとこれも予防線と思った方が良いかもしれません」
「・・・どういうこと?」

「クラーク様については先程申し上げた通りです。しかし、もう一つ・・・いずれ耳に入るでしょうが」

「なに?」

「あの方には現在正室としてお一人お妃様がおり、お二方の間には4人の王子がおります」

「そう」


 ビオラは素直に納得した顔で頷いた。

 見た目は若いがそれで年齢は判断出来ない。
 老衰に近い者でも十代で老いが止まる者もいるほどだ。
 彼は落ち着いている。
 それに、国をおさめる者であるなら独身でいられるわけがない。
 そんなことはレイドックを間近で見ていたビオラには説明するまでもないことだった。


「・・・・・・問題は、それにも関わらず、私が一見しただけで気づく程、クラーク様がビオラ様に異常な執着を見せているという事です」

「・・・・・・?」

「現在のお妃様とは所謂政略結婚でした。良くある話ですが、愛も恋も何も知らないままクラーク様は夫となり父となり現在に至っているのです。これまで、お妃様の異常ともとれる愛を受けて、クラーク様が他の女性を側に近づけると言うことは皆無でした。ですが、森の中で偶然とは言え出会ったビオラ様に対し、・・・何かしら運命的なものを感じたのでしょう」

「・・まさか」

「現にこの2日はビオラ様の側に付きっきりで・・・。他の者に任せる事が出来たにもかかわらず、毎夜眠っているビオラ様の手を握り締め、誰が何を言っても離れようとはせず・・・昨夜も一晩中そうしておりました」

「・・・・・・一晩中・・・?」

「そうです」

 そして、眠っているビオラを見つめながら、
 “彼女をずっとここに留めるにはどうしたらいいのかな”
 と独り呟いていたのをバティンは耳にしていた。


「・・・やめてっ・・・・・・っ、そんなの・・・っ、推測なんでしょう? 私クラークに言ったもの、元気になったら出てくって。クラークは頷いたわ・・・ッ!」

 ビオラは首を振り、耳を塞いだ。
 こんなのはいやだ。
 望んだのはこんなことではない。

「・・・すみません」
「私、この子がいれば何も望まないの、二人で静かに暮らしていきたいの」
「えぇ、わかっています」
「私もう元気だわ、明日にでも出ていけるくらい。そうだわ、今からでも」
「どうか落ち着いてください。体調の事は私からクラーク様に話します」
「ほんとう? いつ?」
「・・・数日中には」

 バティンの言葉にビオラはホッと胸を撫で下ろした。
 彼もこのまま何も起こらず、クラークが素直に諦めてくれることを願っているのだ。

 たった一人で・・・ただ逃げる事だけ考えるのはどれだけ苦痛だったろう・・・
 逃げると言うことは追われていると言うこと。
 恐怖が常につきまとい、それでも懸命にここまで逃げ延びて来たのだ。


 恐らく・・・、いや、間違いなく腹の子はレイドック様との・・・


 ベルフェゴールの皇族の歴史はバティンも良く知るところだった。
 繰り返された近親相姦、その末路がこれか。



 ───本当に全て・・・杞憂であればいいのだが・・・










後編へつづく


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