『手の中の幸せ』

○第6話○ 時が満ちる(前編)









 クラークがビオラを手に入れた翌日から、大きく世の中の動きが変わった。
 滞った執務もそこそこに、クラークはありとあらゆる事を独断で次々と決めていったのである。

 かねてよりビオラを后にする事は公言していたが、大まかな式の時期や、その細かな内容に至るまで彼が取り決め、果てはナディアとその子供達の住む場所を移すことまでも言及した。
 そして何より皆を驚愕させたのは、ビオラの専属医師としてバティンを、護衛兼侍女としてニーナを指名し、彼らには一切の罪を問わない代わりに命をかけてビオラを守り抜くこと等が命令されたのだ。


 確かに独裁国家であるバアルではクラークに全ての決定権があると言っても過言ではないのだが、ここまでの事を彼の独断で決定したのは極めて異例の出来事であった。
 この一連の出来事は温厚で有名だったクラークの印象をガラリと変えるきっかけとなり、ビオラを知らない多くの者は遂に王は魔女の色香に狂わされ、正常な判断が出来なくなったのだと噂し始めた程だった。


 しかし、そうして皆の意見を何一つ聞き入れずに強行された婚儀は予想を裏切るほどしめやかなもので、誰をも驚かせる結果となった。

 実を言えば、可能な限りひっそりと静かに済ませたいというビオラの希望が通った結果だったのだが、王族や貴族が贅を尽くすのが当たり前の世にあって、そうしたビオラの行動は人々の心に火をつけ、民の人気を一身に集めた彼女の存在感は一気に広まったのである。


 その影響があった所為か、それともバティンとニーナの護衛が吉と出たのか・・・、

 結果的に彼女の身に危険が及ぶ事も無く、気がつけばビオラはこの地で5年の月日を過ごしていた。







「ビオラ様、身体の調子はどう? まだ怠い?」

「ううん・・・大丈夫・・・・・・。朝よりは随分良くなったみたい」


 甲斐甲斐しく身の回りの世話をするニーナに話しかけられ、ビオラはベッドの上で小さく微笑んだ。

 今朝からビオラの体調がどうにも思わしくない。
 ・・・というよりも、ここ半月ほど身体の調子が頻繁に崩れるのだ。

 元々病弱というわけでもないのだが、何故か一度体調が崩れると2、3日ベッドの上で過ごす羽目になり、このところ随分周囲を心配させている。


「バティンは何て? 毎日診てもらってるんだよね?」

「えぇ。・・・でも、難しい顔をするだけで・・・」

「アイツの難しい顔は地顔だからなぁ・・・」

「ふふっ、そうね」


 二人の会話の通り、バティンには毎日のように診てもらっている。
 だが、彼は何の診断も下さない。

 いつもの難しい顔で、毎日ビオラの身体を診続けているだけなのだ。




 ───と、その時、


 バンッ


 勢いよく扉が開け放たれた音と共に、突然クラークが飛び込んできた。
 彼は取る物も取りあえず・・・と云った様子で、いつも執務中に使用するペンを右手に持ったままと言うことにも気づいていない。


「ビオラッ!!」

「・・・クラーク、どうしたの?」


 クラークは部屋に入るなりビオラをぎゅうぎゅう抱きしめ、直ぐにハッとして力を緩めると、ニーナがいるにも関わらず彼女の顔中にキスの雨を降らせた。


「あぁっ、今日は素晴らしい日だね。とても素敵な日だ!」

「クラーク?」


 彼はうっとりした目でビオラを見つめ、彼女の腹を柔らかく撫でる。


「あっ、クラーク、なにを・・・っ」


 驚いたビオラがその手を押し返そうとしたが、次の彼の言葉がその行動の意味を教えることとなった。



「ビオラ、君の中に命が宿ってるんだ・・・っ」

「えっ!?」


「私たちの子だ・・・、考えただけで愛しい・・・っ」


 クラークは目を潤ませてビオラの腹に顔を寄せ、心の底から愛しそうに彼女を抱きしめ目を閉じた。
 ビオラは驚きの表情のまま声を発することを忘れ、同じく驚愕して固まっているニーナと視線を合わせた。


 命が・・・、私の中に・・・・・・

 それをクラークが知っているということは・・・


「バティンが・・・そう言ったの?」

「そうだよ。つい今しがた教えてくれたんだ。ここ数日診てきた限り間違い無いだろうって・・・、随分勿体つけてくれたよ、こっちは何かの病気かと気が気じゃなかったのに・・・っ」


「・・・・・・・・・・・・」




 バティンが・・・



「・・・・・・そうなの・・・」


 この5年、一度も彼女の妊娠について彼の口から何かが語られる事は無かった。
 もう以前のようにクラークから全幅の信頼を置いてもらっているわけではないのだからと、言葉にする危険性を誰よりも危惧し、その時が来るまで彼は沈黙を守り続けてきたのである。


 だからこそ、ビオラはバティンが発言する言葉の重さを誰よりも分かっていた。


 とうとうこの時が訪れたのだと・・・




「クラーク様、まだ話は終わっていません・・・っ」


 開け放たれたままの扉からバティンが入ってくる。
 どうやら話を告げた瞬間クラークはこの部屋に向かって走り出したらしく、バティンを置いてきてしまったらしい。
 バティンは若干呆れ顔で、小さく息を吐いている。


「・・・あぁ、すまない。居ても立ってもいられなかった」

「どうやら・・・ビオラ様にも話が伝わってしまったようですね・・・、・・・ならば、隠すような真似はここまでにしましょう・・・」


 そう言って彼は用心深く扉を閉める。
 常よりも難しい表情をする彼の様子に若干違和感を感じ、クラークは僅かに顔を上げた。

 バティンは静かに歩を進め、ベッドの側まで近寄ったところで立ち止まり、静かな眼差しでビオラを見つめた。


「・・・バティン? 隠すってどういうこと?」


 ビオラの声に、彼は若干堅い表情を崩してみせる。
 それでも普段以上に堅い表情をするバティンに、後ろ立つニーナも少し不安げな顔で佇んでいる様子が手に取るように分かった。

 彼は暫し押し黙り、何かを決断したようにゆっくりと口を開いた。


「・・・・・これから私が申し上げることを、どのように判断いただくかは全て御二方にお任せします」

「・・・どうした、バティン。何か問題が・・・?」


 クラークの質問にバティンは目で頷き、無意識に手を何度か握りしめる。
 それは感情を押し殺しながら何かを話す時のバティンの癖で、後ろでそれを見ていたニーナはただならぬものを感じてひとり喉を鳴らした。


「ビオラ様の腹に宿った御子について直ぐに申し上げなかったのは・・・、その成長について少々確認の時間が必要だった為です」

「発育が悪い・・・とか、そのような類のことか? それならば過去に例はいくらでも・・・」

「いえ・・・逆です」

「・・・?」

「日々成長を続けております。・・・・・・分かりやすく申し上げれば、半月前まで受精卵だったものが、今はもう頭や胴体、手足の区別がつくほどの驚異的で異常とも言える速度・・・。恐らく体調が思わしくなかったのはその所為でしょう。母体がその速度について行けないのです」

「どういうことだ?」


「このままの速度で成長し続けるというなら、臨月までそれほど時間を必要としないはず。・・・・・・恐らく・・・ひと月・・・いえ、ひと月半後には・・・」

「ばかな・・・っ、たったのふた月で子が生まれるというのか!? それでビオラの身体は耐えられるのか・・・!? 子は無事に生まれることが可能なのか!?」

「初めての経験ゆえ、判断が出来かねます。・・・しかし、無事を保証出来る材料は何一つありません」


 バティンの言葉にその場の誰もが息を呑んだ。
 部屋の中はシンと静まりかえり、重い沈黙が流れる。
 その空気を打ち破るようにクラークが唸るように口を開いた。


「・・・・・・バティン、何か方法は? 何かあるだろう・・・っ」

「・・・・・・・・・有るとすれば・・・」

「何だそれは、言ってみろ」

「・・・・・・」


 クラークに詰め寄られ、バティンは眉を寄せて考え込む。
 そして、小さく息を吐き、ビオラを見つめた。



「今ならば・・・或いは・・・・・・堕胎も・・・・・・可能です」

「なっ!?」

「・・・・・・あくまで母体を優先させた場合の手段のひとつですが・・・」


「いやよっ!!!!」


 突然、今まで大人しく話を聞いていたビオラが叫んだ。
 この反応を想像していたバティンは『やはり・・・』と目を閉じる。

 だから彼は、真っ先にクラークに話をしに向かったのだ。
 危険性とそれによる冷静な判断、ビオラに出来るとは思えなかった。
 当然の事ながら、彼女の意志を無視するつもりなど毛頭無い。

 だが、クラークの妻になってまで、腹に宿った子の為に生きている彼女には・・・・


「この子は私の子よッ、誰にも邪魔はさせない、誰にも渡さないわッ!!!」

「ビオラ落ち着いて。誰もそんな事を良しとはしていないよ、ゆっくり考えよう、大丈夫だから」

「バティン、お願いっ、そんな恐ろしいことを言うのはやめて。手段のひとつなんかじゃないわっ!!」

「ビオラ・・・」

「いやよっ、いやいや、この子を取り上げないで・・・っ、いやあーーッ」


 ビオラは取り乱し、クラークの手をはね除けてベッドから転げ落ちた。
 それには皆が驚き慌てて手を差しのべたが、彼女はその全てを振り払い、泣きながら首を横に振って部屋を飛び出してしまった。


「ビオラッ! ・・・バティン、ひとまずこの話は後だ。今はビオラを・・・ッ」

「はいっ」

「あたしも追いかけるッ、ビオラ様ーーッッ!!!」


 ビオラを追いかけ3人が一斉に部屋を飛び出す。
 外で待機していた衛兵達は、ビオラに続いて慌てた様子で次々と飛び出してくる3人を目にして、一体何事かと顔を見合わせた。


「ビオラを探せ! 宮殿全ての者を使ってでもビオラを探せっ」

「はっ!!」

「ただし手荒な真似は赦さないッ、彼女に傷ひとつでもつけたら厳罰に処す事も合わせて広めろっ!!」

「ははっ!!」


 クラークはアイスブルーの瞳を苛烈に燃え上がらせながら衛兵達に伝えると、疾風の勢いで走り去った。
 そして、ただ事ではないと感じ取った衛兵達もまた、クラークの命令を確実に伝達し、ビオラ捜索に乗り出す為、一斉にその場から散ったのだった。










後編へつづく


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