『手の中の幸せ』
○第6話○ 時が満ちる(後編) 「はぁっ、はぁっ、はぁっ」 逃げないと、また追っ手がやってくる。 走らないと、またこの子を奪おうとする手に阻まれてしまう。 ビオラは“あの時”の事を、何度も頭の中で繰り返し思い出し、懸命に走り続けていた。 幸せな日々を壊すように、男達数人に追いかけられ、 彼らは言った。 これは生まれてきてはいけない子供だと。 こんなものを始末することなど一瞬なのだと。 逃げなければ殺されてしまう。 こんなものと言って、生まれてはいけないと言って、奪われてしまう。 「いやっ、・・・・・だめ・・・、そんなのだめ、絶対いやッ!!!」 もうどこをどう走っているのかよく分からない。 だけど、とにかく走らなければ守れないという気持ちでビオラはひたすら走った。 だが・・・、 「・・・・・・あっ、きゃぁあっ!」 目の前に突然現れた子供。 驚いたビオラは、咄嗟に避けようと身体を捻って転んでしまった。 「・・・・・・っ、・・・ッッ、・・・は、はぁっ、はぁっ、赤ちゃん、赤ちゃんッ」 思い切り身体を地面に打ち付けて、ビオラは腹をさすった。 まだ何の膨らみも無いように思える。 だけど、確実に息づいている大切な私の・・・ 「・・・・・・ごめんなさい。・・・ぼく・・・、人が走ってくるなんて・・・思わなくて・・・っ」 涙声の子供の声がビオラの直ぐ側で聞こえた。 ハッとして振り返ると、人形のように愛らしい子供が心配そうにしゃがんで覗き込んでいた。 「・・・あっ、はぁっ、はぁっ・・・はぁっ・・・・・・」 「だいじょうぶ? お腹・・・いたい? ごめんなさい、ごめんなさい」 ぽろぽろと大粒の涙を零して、その子供は精一杯謝罪している。 腹を抱えたビオラを見て痛がっていると思ったのか、小さな手がビオラの腹を懸命に撫でた。 それを見ているうちに彼女は不思議と気持ちが鎮まり、上体を起き上がらせて目の前の子供をじっと見つめた。 金髪・・・・、・・・いや、銀髪だ。 それに、何て綺麗なエメラルドの瞳だろう・・・ ミルク色の肌は柔らかそうで、泣いている所為で薔薇色に染まった頬がとても愛らしい。 まだ、子供だ。 このお腹の子も、いつかこの子のようにすくすくと育つんだわ・・・ 「大丈夫よ。・・・私こそ、ごめんね。走ったりしたら危ないのにね・・・ごめんね、ありがとう」 ビオラが微笑むと、子供は安心したように笑った。 とても綺麗な子供だった。 「ぼく・・・、お姉さん、見たことある。・・・ビオラ様?」 「え? そうよ。・・・どこかで会ったかしら・・・?」 ビオラは突然名前を言い当てられ、首を傾げた。 よく見れば上質な洋服を身に纏って、どこかの貴族の子供なのかもしれないが、これだけ目を惹く子供なら忘れるほうが難しい気もするのだが彼女には憶えがない。 ビオラはこの5年、人目に晒されるような場には極力出席してこなかった。 そう言った点ではベルフェゴールに居た頃と同じような状況なのだが、今は敢えてそうしている。 いくら他国との国交を一切持たない国の姫君と言えども、バティンのように人知れず他国で暮らし、彼女を見知っている者がいたという前例もある。 だから、出来る限り顔を広めるのを避ける必要があったのだ。 つまり・・・この子供に会ったことがあるとすれば、ごく限られた機会しかないわけで・・・ 「会ったことは、ないけど・・・、見たから・・・」 「・・・?」 「バティンの目の中にビオラ様がいたから、ぼくが見つけたの。父上と、鬼ごっこしていたんでしょう?」 「・・・・・・え・・・」 「あ、足・・・すりむいてる。・・・いたい? だいじょうぶ?」 「・・・え、えぇ・・・大丈夫よ」 子供は心配そうにビオラの足を撫でている。 小さな手・・・柔らかくて、優しい手。 会ったことはないのに見た・・・? バティンの目の中で・・・? ・・・鬼ごっこ・・・・・・ ビオラは次第に頭の中を掠める過去の記憶に、ほんの少しだけ唇をふるわせた。 「・・・・・・ぼく・・・、って言う事は男の子?」 「そう。みんな、ぼくのこと、女の子って間違えるの。ぼく、男に見えない?」 「見えるわ。将来絶対に素敵な男性になるわ」 「ほんとう?」 「えぇ、本当よ」 どうやら少年は自分の容姿にコンプレックスを抱いているみたいだった。 拗ねた顔をしていたのを、ビオラの言葉ひとつで心底嬉しそうに頬を薔薇色に染めて笑みを浮かべる。 本当はじっくり見たって人形のように愛らしい姿は少女にしか見えなかった。 着ているものは確かに男の子が着用するものでも、この子が着るとドレスのように艶やかに見えてしまうようだ。 だけど、ビオラはコンプレックスがどれだけ自分の気持ちを内に閉じこめてしまうものかを知っていたから・・・ 「あなたの・・・お名前は?」 「クラウザー」 「・・・クラウザー」 どこかで聞いたような気がする名前だった。 バティンを知っていて・・・、そしてこの子供が言う『父上』が誰を指すのか・・・。 それにこの容姿・・・とても良く似ている。 血のつながり以外何があるというのだろう・・・。 「・・・お父様は・・・クラーク・・・?」 「はいっ」 彼の名前を出した途端、その少年・・・クラウザーは背筋を正して返事をしてみせる。 それだけで、彼がどんなにクラークを尊敬しているのか想像出来るほどだった。 あぁ・・・何て言うことなの・・・ クラークにはこんなに可愛い子供がいたんだわ・・・・・・。 私・・・、分かった気でいて、何も分かってなかった。 「ビオラ様ッ、こんなところに・・・ッ、おいっ、陛下にお伝えしろッッ!!!」 不意に後ろから兵士らがビオラを発見し、駆け寄ってくる姿が目に入る。 ビオラは咄嗟に立ち上がろうとしたが、足に痛みが走り、上手く力が入らないことに初めて気がついた。 「足を挫いておられる。至急バティン様もお呼びするんだッ!!」 「ビオラ様ーーッ!!」 突如、叫び声とともに兵士たちの隙間からニーナが飛び出してくる。 そして、ビオラを目にして漸く安心したのか、彼女は大きな声をあげて抱きつき、子供のように泣きだしてしまった。 「うわああんっ、っよかったよぉ、ビオラ様がいたぁッ、・・・っこわかった、・・・見つからなかったらどうしようって、こわかったよぉっ!!」 「ニーナ・・・」 「どこか行くなら一緒に連れてって、ひとりで行ったらだめなんだからっ、ビオラ様ッ、ビオラ様ッ」 「・・・・・・」 「おい、ニーナ、ビオラ様から離れないかッ、無礼だぞ」 「いやだぁっ、離すもんかーーッ」 ニーナはガッチリ抱きついてビオラから離れようとしない。 兵士達は呆れたが、ビオラは『構わないから』と周囲に笑いかけると、先程までの自分を冷静になって思い返して反省すると、ニーナの身体を抱きしめた。 「・・・ごめんね。・・・・・・、・・・バティンがあんな事を強行するはずないのにね・・・」 冷静に考えればわかりきったことだった。 ひとつの手段だと言って、そんなことを強行するような人ではない。 それに、判断は二人に任せると彼は言ったのだ。 クラークがどういう風に思ったかは分からないが、少なくとも彼女自身は頷ける内容でなかったのだから、何か別の方法も考えてくれるかもしれない。 そんな事を考えていると、ざわめきが一層大きくなった。 顔を向けると、兵士達に連れられたクラークが此方へ向かって駆け寄ってくる所だった。 二人の側に立つと、彼は安堵したのかホッと息をついて地面に膝をつく。 「ニーナ、・・・ビオラを渡してくれないか?」 クラークの言葉にニーナは涙を浮かべたまま顔を上げて、離れがたそうにしながらビオラの身体から手を離す。 「あの、あの・・・っ、クラーク様、お願いです。ビオラ様の気持ちを分かってあげて。別の方法を探してあげて、お願いします、お願いしますッ!!」 「・・・・・・あぁ、わかってる」 必死な形相で頭を下げるニーナを見てクラークは微笑みながら頷いた。 そうしてビオラの側に膝をつき、彼女の頬を愛しそうに撫でる。 「ビオラ、・・・君が泣くような事はしないよ」 「ほんとうに?」 「一緒に考えよう。・・・だから、私の腕の中に戻っておいで」 「・・・・・・クラーク」 ビオラは涙を浮かべ、クラークの腕の中へ飛び込んだ。 誰が見ても見惚れてしまう美しい二人の抱擁に、その場にいた皆が溜め息をつく。 「あぁ・・・足が腫れてるね・・・。直ぐに部屋に戻ろう」 「・・・あ、待って・・・」 そのまま抱きかかえて戻ろうとするクラークに訴えかけるような眼差しを向け、ビオラは後ろを振り返る。 そこには銀髪の少年が真っ直ぐに此方を見ている姿があった。 「・・・・・・クラウザー・・・」 「父上・・・お久しぶりです」 「・・・・・・大きくなった・・・」 「はい」 「・・・彼は私が転んだ側で、ずっと一緒にいてくれたの。お腹を優しく撫でてくれたの」 「・・・・・・そう」 「いい子ね、とても優しい子だわ。・・・この子のお兄さんになるのね」 「・・・ビオラ・・・」 「・・・クラウザー・・・、良かったら遊びに来てね。またお話しましょう」 ビオラは手を伸ばし、クラウザーの見事な銀髪に触れ、頭を優しく撫でた。 クラークは一瞬複雑そうな顔を見せたが、諦めたように小さく息を吐く。 「来る時は言いなさい。遣いを寄越すから」 「は、はいっ!!」 クラウザーは久々に会った父の優しい言葉に大きく頷いた。 それを見て小さく微笑み、クラークは我が子の頭を一度だけそっと撫でると、その場を去っていく。 それは彼にとって、5年ぶりに見た父の姿だった。 クラウザーにしてみれば、事情もよく理解出来ないまま、ある日突然自分達の住む場所が宮殿の中心から北の棟へと変わり、その時からクラークに会うことが禁じられてしまったというのが全てだ。 どうしてなのか分からないまま、大好きな父に会えない寂しくて恋しい日々。 だけど、このたった数秒の出来事が全てを吹き飛ばしてしまうほど嬉しくて・・・ 変わらず優しく頭を撫でて笑いかけてくれた事に胸がドキドキする。 ビオラとの出会いもまた、クラウザーの心に強く残るものだった。 笑う顔がとても優しくてキレイで、 ビオラ様の手・・・母上より白くて柔らかかった・・・。 遊びに来てって、父上も来る時は言いなさいって・・・ クラウザーは嬉しそうに頬を染め、父とビオラが撫でた自分の頭にそっと手を添えてみる。 「・・・夢みたい・・・」 また会える・・・、 会いたかったら会いに行ってもいいんだ・・・ 後ろ姿が見えなくなっても、クラウザーは父の背中を追いかけるようにひたすら見つめ続けていた。 ▽ ▽ ▽ ▽ クラークはビオラを抱きかかえたまま部屋へ戻り、時折泣き顔を見せながら必死で訴える彼女の言葉を、包み込むような柔らかな眼差しで聞き続けていた。 ビオラの様子はこの部屋を飛び出していった時とは比べようもないほど落ち着いてはいるが、またいつ興奮状態になるか分からず、出来るだけ刺激しないように振る舞う事が一番彼女を鎮められる方法だと考えたのかも知れない。 「私・・・絶対生むわ。・・・誰が何て言ったって、この子を抱きしめる。・・・クラークだって愛しいって言ったわ」 「そうだね・・・、でも私にとってはビオラが一番愛しい」 「お願い、この子も同じだけ愛して」 「・・・・・・愛しいよ」 「お願い・・・」 「・・・あぁ、約束する」 「・・・っ、クラーク・・・約束よ。この子は宝物なの・・・生まれる為に授かった命なの」 「ビオラ・・・そうだね」 ビオラは訴えるようにクラークに抱きつき、胸の中に顔を埋めた。 彼はその懸命な様子に胸を痛め、彼女を静かに抱きしめる。 と、丁度そこへニーナに連れられてバティンがやってきた。 かなり遠くまで探しに行ったようで、戻るまでに随分時間がかかった。 そんな彼の慌てぶりも大変なものだったのだろう。 「・・・あぁ、バティン。・・・お前を待っていた所だ。ビオラが足を挫いてしまった。少し擦り傷もある。治してやってくれ」 「わかりました」 「あ・・・それくらいは私・・・自分で・・・」 「いいから、今は力を使わず、子供の為に蓄えるんだよ」 「・・・・・・クラーク」 「では、ビオラ様。少し足を診せていただいてよろしいでしょうか」 「えぇ・・・」 バティンは彼女の足に手を翳しながら小さく息を吐く。 「走って転ぶなど無茶な事を・・・。クラーク様からビオラ様に話していただき、お二人で考えて決めていただけたらと思っていたものが、こうも裏目に出てしまうとは・・・考えが甘かったようです」 「・・・え?」 「・・・私から申し上げるより余程良いかと思ったのです。どうやら顔のつくりや話し方の問題で、私の場合、必要以上に深刻に捉えられてしまうようですし・・・」 「そんな・・・、ことは・・・」 「気を遣わないでください。ニーナに日々言われている事です」 「・・・・・・まぁ」 驚いてニーナを見ると、彼女は苦笑いを返してくる。 それを見て小さく笑うとバティンは僅かに頭を下げた。 「・・・申し訳ありませんでした。取り乱す事は分かっていたというのに、あのような言い方を・・・ですが、非常に危険な問題に直面しているのは本当のことなのです」 「バティン・・・、それでもお願い、この子を助けて。殺したりしないで、お願い」 足に手を翳しながら悲痛に訴えるビオラを見つめ、彼は静かに瞳を揺らした。 決して断言など出来るはずのないものに対し頷くなど普段であれば考えられないことだが、ここまで必死に訴えられ、全ての事情を知った身として何とかしてやりたいという思いがあるのは本当だ。 第一、この時を彼女はひたすら待ちわびていたのだ。 今更何を言ったところで考えが変わるわけが無いことなど、承知の上だった。 だからこそ、ビオラの幸福をこの数年ひたすら願い続けてきたひとりとして、叶えてやりたいと思うのは本心だ。 「・・・・身体の様子を見ながら、ビオラ様も、この御子も無事でいられるよう・・・手を尽くしていきましょう」 「・・・・・・バティン・・・・・・ありがとう」 涙を零して笑う彼女を見て、バティンは静かに微笑んだ。 彼女の手を握るクラークはその涙を唇で拭い、ビオラもまた彼を見つめ、漸く安心したように笑みを零す。 そんな二人を見て、バティンは眩しいものを見るかのように目を細めた。 クラークと過ごした5年という月日も、ビオラにとって大きなものだったに違いないと。 それはクラークの献身的とも言える細やかで甘やかな愛情が非常に大きく、当初は好きでもない相手と添うなど・・・と、バティンもニーナも己の不甲斐なさとビオラの決断に胸が押しつぶされそうな日々を過ごした。 しかし形だけ受け入れるような真似をすることに、何一つ意味がないことを理解していたのは彼女自身だったのだ。 端から見ていて彼女がその想いに応えていくのはとてもゆっくりとしたものに思えたが、次第に彼に寄り添い、慈しみ、育てようとした愛情がふたりの中で確かに存在しはじめているのは、今では言葉にするまでも無いことのように思えるのだ。 「さぁ、治療は終わりです。痛みは無いとは思いますが、今日は念のため安静にしてください」 「わかったわ」 「では、何かあったらいつでもお呼びください、直ぐに参りますので・・・」 そう言い置き、バティンは静かに部屋から退出していった。 ニーナも今は二人きりにするべきと気を遣い、バティンを追いかけるように部屋から出て行く。 静かになった部屋の中、クラークはビオラの頬に唇を寄せ、柔らかく彼女を抱きしめた。 「・・・クラークは・・・どうして反対しないの?」 小さな声で疑問をぶつけるビオラに彼は黙って微笑んだ。 クラークは反対するような言葉を最初から一度も口に出していない。 腹の子の成長が異常だということは、ビオラにも何となく分かる。 普通ならバティンが堕胎の話を持ち出したところで考慮の内に入れるのではないだろうか・・・ 「・・・・・・反対、・・・してほしい?」 「・・・いや」 疑問を返されてビオラは思わず即答して首を横に振る。 彼は小さく笑い、ビオラの頬に唇を寄せた。 「・・・・・・ビオラ・・・、全部私にぶつけていいよ・・・君ひとりが抱える事じゃない。二人で分かち合おう」 「クラーク・・・」 「・・・こう思わないか? ・・・この子がビオラを選んだと・・・」 「・・・この子が・・・?」 「そう。・・・だから、選んだ母親を傷つけるような真似はしないよ」 「・・・私を・・・選んだ・・・」 「君はこの子に選ばれた母親だ。・・・私は信じる、君も、この子も・・・バティンも・・・」 「クラーク」 「信じてる。君は私達を残して先に逝ったりはしない・・・、君がこの世からこぼれ落ちそうになっても、私が手を伸ばして引き上げる。それでもこぼれ落ちてしまうと言うなら・・・・・・、決してひとりで逝かせたりしないよ・・・」 それはクラークが自分に言い聞かせている言葉かもしれなかった。 本音を言えばビオラを失うかもしれない現実を突きつけられ、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。 バティンのいう堕胎も、確かにひとつの方法なのだろう・・・ だが、それが本当に取るべき方法かと問われたところで、別の方法を模索すべきだと答える自分がいる。 ここまで必死に彼女が守ろうとする命に、代用などありはしないのだ。 だからこそ、何かあった時は絶対にひとりになどさせないと心に誓うことで、彼は懸命に心を保とうとしていたのだ。 もしそんな事があれば、正気ではいられない。 ビオラをひとりになど、彼女のいない世界などとても考えられない。 「私は・・・生きて・・・この子を抱きしめるわ・・・」 「あぁ、そうだね」 「大切なものを残して、死んだりしないわ」 「そうだよ・・・」 「あなたのことも・・・」 「・・・・・・っ」 ビオラは瞳を揺らしながらクラークを見つめた。 この5年で何が変わったかと言えば、彼といることを自然に受け止められるようになった自分の気持ちだ。 彼の唇から愛の言葉を日々囁かれ、数え切れないくらい身体も重ねた。 多忙な執務の合間にビオラの元へ訪れ、抱きしめてキスをして、また執務へ戻っていく。 休養と言っては共に散策に出かけ、一緒に乗馬もした。 同じベッドで朝と夜を過ごし、同じ空間での他愛ない会話が楽しかった。 愛しそうに抱きしめる腕が好きだった。 指が、唇が、眼差しが、慈しむように動くのが好きだった。 レイドックを想うような激しさではないけれど・・・。 あんな風に身を切られるような焦がれる想いではないけれど・・・ それでも・・・こんなに穏やかな時を過ごす事は、ひとりでは出来なかっただろうと、今になって思うのだ。 「・・・・・・クラーク・・・・・・、ありがとう・・・」 「ビオラ・・・」 同じように頂点に立つ者なのに、何もかもひとりで背負い込もうとするレイドックとは違う考え方を持つクラーク。 彼はまだ膨らんでもいない子供の命を一緒に守る道を選んでくれた。 ひとりで抱える事じゃないと、ふたりで分かち合おうと言った。 ひとりにしないと・・・何よりも欲しい言葉を迷わずくれる。 今の自分に、これがどれ程の力をもたらすのか計り知れない。 溢れるような想いにひたひたに浸されて、クラークを想う気持ちも少しずつ育っていった。 好きになる予定だなんてとても馬鹿なことを言った。 本気の想いには予定などでは返せない。 この想いは、お腹の子とともに育んできたものだ。 「・・・ありがとう・・・、・・・あなたが好きよ・・・・・・」 他愛ない自分の告白に、簡単に頬を濡らしてしまうクラークが愛しい。 レイドック以外は愛せないと泣いた自分は、この手を取ったあの日に全て置いてきたつもりだ。 己の半身にしか寄せられなかった想いは、クラークと過ごした数年で穏やかな温もりへと形が変わっていったのだと思う。 彼を騙し続け、全てを秘密にする事に罪の意識を持ちながら・・・・・・ それでも・・・選び取った未来が、少しでも幸せなものであればいいと・・・ただそれだけを願う日々だった。 最終話へつづく Copyright 2010 桜井さくや. 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