部屋の中にはベッドの他は何もなかった。
調度品はもちろん、窓も壁もない。
それどころか天井も床もなかった。
その寝台の上で、毛利蘭は至福に包まれていた。
「蘭……」
「ああ、新一……」
白いシーツを軽く背中に乗せ、蘭の真っ白な肢体に影を作るようにして見下ろして
いるのは工藤新一だった。
新一はじっと愛しい少女を見つめている。
少女も見つめ返す。
そして彼の瞳に映る自分の姿を確認し、安堵感と幸福感に包まれていく。
少年の目が少女の顔から離れ、徐々に下へ下がっていく。
大きくつぶらな瞳、すっと通った鼻梁、控えめな唇、白く長い首筋、青い色気を
湛えた清楚そのものの鎖骨。
そして年齢の割に、大きく豊かな乳房。
そんな彼の視線が恥ずかしいのか、少女ははにかんだように言った。
「そんなに見ないで……恥ずかしいから……」
「恥ずかしいことなんてないよ。綺麗だ、蘭……」
「でも……あっ……」
思わず胸を隠そうとした腕を払いのけ、そのまま優しく乳房に手をあてる。
「んっ……あ……」
横たわった蘭の唇から密やかな、しかし甘く熱い吐息が漏れ出る。
新一は、その柔らかい肉塊の感触と形状を確かめるように、ゆっくりと揉んでいく。
蘭は心を震わせながら、恋人の愛撫に身を委ねていた。
夢にまで見た新一との抱擁、そして同衾。
蘭は今、自分の気持ちがとても素直になっていることを実感していた。
友人の鈴木園子にも遠山和葉にも、いつも新一との関係をからかわれていた。
そのたびに顔を真っ赤にしながらも否定してきた蘭だった。
なぜ今までつまらない意地を張って、彼を「恋人」と言わなかったのだろう。
ともに奥手で純情で、そのくせ意地っ張りだったふたりはなかなか素直になれず、
どうしても親密な友人、幼なじみから脱皮することが出来なかった。
どちらかが今一歩、いや蘭の方が一歩踏み出していれば、関係は一挙に進んでいた
はずなのだ。
だが、それも昔のことだ。
今の蘭は幸せの頂点にいた。
恋人の手が大事なところに伸びてきた。
「あっ! だめっ、いや!」
蘭が伸びてきた手を押さえると、新一は驚いたようにその腕を引っ込めた。
その顔には自己嫌悪に混じり、不思議そうな色も浮かんでいる。
彼は少女を気遣うように小声で聞いた。
「……だめかい?」
「ご、ごめんなさい、あたし、つい……。だめじゃないわ……」
それを聞いて新一はホッとしたように再び手を伸ばしてくる。
股間に溢れている熱い蜜に、男の割りに繊細な指がすっと触れてきた。
蘭は思わずビクッと痙攣した。
少年の指が徐々に力が入り、動きも大胆になっていく。
とはいえ、さすがにまだ不慣れなようで、動きがぎこちない。
そのつたなく幼い愛撫が焦れったかった。
なぜそう思うのか、蘭はわからなかった。
もう我慢できなくなったのか、媚肉への愛撫もそこそこに、新一は少し息を荒げて
蘭に囁いた。
「いくよ、蘭」
「……」
真剣な新一の眼差しに、蘭は僅かに顔を背けて微かに頷いた。
その少女の髪を撫でながら新一が尋ねる。
「緊張してるのかな。正直、俺もなんだけど」
「……」
新一も童貞だからなのだろう。
確かに蘭も緊張はしていた。
しかし新一のそれとは決定的に違っているような気がした。
「あ……!」
堅く目をつむっていた蘭は、股間に熱いものを感じてびくりと反応した。
彼の男根が媚肉をまさぐるように動いている。
だがこれは愛撫という意味合いではあるまい。
どこに何があるのかわからないのだ。
猛るペニスをどこに挿入すればいいのか、直感的にわからなかったのだ。
それでも何とか入るらしい窪みを見つけると、熱い膣口にゆっくりと押し入れていく。
「ああ……っ……」
蘭の媚肉は意外なほどに難なく新一のペニスを迎え入れていく。
新一は顔を真っ赤にして蘭の中に押し入っていった。
そして全部を埋めきると、ホッとしたように蘭の身体に重なり、抱きしめた。
「新一……」
蘭は、とうとう愛しい男のものになったという満足感、充足感に浸っていた。
さっきまで感じていたそこはかとない不安感が薄らいでいく。
そこで彼の動きが止まった。
「……新一?」
「蘭」
新一の表情が硬い。
「蘭、おまえ……」
「……?」
「おまえ……、初めてじゃあ……なかったのか?」
「……!!」
新一も女を抱くのは初めてなのだから、女体について詳細な知識はないし、何より
実体験がない。
しかし、女性が処女を喪う時は出血するとか、かなりの激痛を伴うらしいことくらい
は知っている。
なのに蘭にはそれがないのだ。
希に出血のない女性もいるらしいが、処女膜を破られて、初めて膣へ男根が貫通した
時に痛みのない女性はいない。
「どうなんだよ、蘭!」
「……」
何も言えなかった。
そして思い出した。
なぜ新一にそこはかとない罪悪感と申し訳なさを感じていたのか。
それまで大切に慈しんでいた身体は、粗暴な男どもの薄汚い獣欲の餌食とされていた
のだった。
それも一度や二度ではない。
数えきれぬほどに貫かれ、身体の隅々まで開発されきっている。
情けないことに、蘭の肉体はその激しい愛撫と猛々しいペニスの虜となり、よがり
狂わされ、何度となく絶頂を極めさせられたのだ。
美しかった肢体は、もう恋人に捧げるには汚れ過ぎていた。
「答えてくれ、蘭っ! どうなんだよ! おまえ……おまえ本当に他の男と……」
「ごめんなさいっ!!」
蘭は両手で顔を覆って絶叫していた。
─────────────────────
「ごめんなさいっ!!」
蘭はガバッとベッドから上半身を起こした。
ハッとしたように周囲を窺う。
見慣れた自分の部屋である。
もちろんベッドには彼女以外誰もいなかった。
コチコチと時を刻む時計の音が、やけに響いている。
徐々に覚醒してくる意識の中で、蘭はそれが夢だったことを知った。
「……」
蘭はひどくがっかりしたような、それでいてどこか安堵したような複雑な表情を浮か
べていた。
最近、やけにいやらしい夢を見ることが多いような気がする。
人は毎晩夢を見るらしいが、蘭はあまり憶えていないことが多い。
睡眠が深いのである。
にも関わらず、淫らな夢──いわゆる性夢を見た時だけはよく憶えているのだ。
蘭にとって哀しかったのは、今日のように新一に抱かれる夢よりも、忌まわしい体験
のせいか、野卑な男どもに無慈悲に犯される夢の方が多かった。
蘭はパジャマの股間に触れてみた。
案の定、湿っている。
下着だけでは体液を吸い取れず、パジャマにまでしみ出してきていたらしい。
蘭は上半身を起こしたままで、無意識に右手を自分の左胸に持っていっていた。
「んっ……」
パジャマの生地越しに乳房へ手を這わせていく。
蘭は、寝る時はブラジャーはしない。
以前はしていたのだが、胸が大きくなっていくにつれて窮屈に思ったのと、寝返りを
打っているうちに、どうしても胸からズレていってしまうためだ。
友人の園子は、寝る時はナイト用のブラをしているそうだが、蘭はそこまでする気に
はなれなかった。
園子は「ナイトなら寝ていても気にならない。ズレにくいし、形も良くなる」という
ので、そんなものかと思いはするが、まだ試してはいなかった。
「ん……あ……っ……」
肌触りの良い布地を通して、柔らかく弾力のある肉が少女の手に確かな手応えを返し
てくる。
自分でも、少し前に比べて一回り大きくなってきているような気がする。
感度は言わずもがなで、最近ますます鋭敏化しているのがわかる。
「あ……うん…………あ……」
あまり声は出せないと、口を閉じて息みつつ我慢するのだが、どうしても唇が緩み、
熱い息と甘い声が漏れ出てくる。
いけない、もうやめないとと思いつつも指は止まらず、なおも乳房の性感を的確に
突いてきて、持ち主の美少女にあえかな妖しい声を上げさせる。
乳房を虐めるのを左手に任せ、右手はパジャマの下の裾の中へ侵入していく。
「……!」
下着は「湿っている」程度のものではなかった。
熱く濡れている。
クロッチの部分など、もう粘った汁が滲み出ていて指にまとわりつくほどだ。
これではパジャマに染みを作ってしまっても無理はあるまい。
指は、それ自体に意志があるかのように動き、濡れそぼった陰毛を掻き分けて、もっ
とも敏感な肉芽に到達する。
直接は触れず、その根元を軽く擦ってやる。
それだけでも鋭い快感が沸き起こった。
「あう……」
人差し指がするすると下へ伸び、口を開きつつあった割れ目の中へ入り込んだ。
そして尿道の少し下にある膣口へ進んでいく。
震える細い指がぬぷりとその中へ侵入した。
「ああ……」
指先が入り、第一関節まで飲み込んだ。
思わず太腿がびくっと痙攣し、間に入った手を締め付けていく。
そのまま官能に囚われたいと強く思ったものの、驚異的な意志でそれを引きはがす。
しかし指は上へは戻らず、さらにその下へと動いていった。
そこは、イヤでイヤでたまらなかったのに、執拗に男たちが開発した箇所だった。
恥ずかしいと、穢らわしいと思いつつも、突き抜けるような強烈な快感を感じずには
いられなかった場所。
アヌスだった。
腕が伸び、指は肛門の皺をほぐすように揉み込んでいる。
「あ……あは……やっ……」
緩んだそこに指が入る。
ピンと背筋が伸びるような快感が来た。
その時、隣室から「がたん」と物音がした。
蘭はビクッとなって手を引っ込めた。
コナンが起きたか、寝返りでも打って何かにぶつかったのだろう。
いきなり現実に引き戻された。
「……」
蘭は、やりきれない嫌悪感と恥辱を感じていた。
どうしてこうなってしまったのだろう。
なぜこんな淫らがましい夢ばかり見てしまうのだろう。
そうした夢を見てしまう原因も、何となくわかっている。
ここひと月ほどクリニックへ行っていないのだ。
いろいろ忙しかったから、あまり時間を取ることが出来なかった。
暇が出来た時でも、父や友人、コナンなどが側にいて、抜け出すことが出来なかっ
たのである。
その間、確実に蘭のもやもやは濃くなっていった。
この清楚な美少女にとって「男が欲しい」などと思うことは認めたくない。
そんな汚い欲望に犯されているとは思いたくなかった。
それでも少女の身体は熟した女へと変化していっており、同時に官能的な感覚も鋭く
なっていっている。
それは蘭だけでなくどんな女性も同じであって、否定のしようもない。
しかし彼女のそれは、他の女性よりもいちだんと早熟で、進行も早かった。
やはり、あの異常な性体験のせいであろう。
「先生のところ……行った方がいいかな」
蘭はそう独りごちた。
行けば行っただけの効用がある。
それはわかっていた。
自分でもどうにもならない欲望が、クリニックでカウンセリングと診療を受けると、
ウソのように消え失せているのだ。
だが同時に、若い身体に得も知れぬ疲労と倦怠感が残留していたのも確かだった。
本当に「治療」なのだろうか。
催眠術を使って、この身体に何かしているのではないのだろうか。
だからこそ、肉の疼きが解消されているのではないのだろうか。
そこまで考えて、蘭は軽く頭を振った。
「先生に限ってそんなこと……」
温厚で誠実な医師を信頼している。
いや信頼したかった。
ここで彼にさじを投げられたら、蘭はもう自分がどうなってしまうのかわからなか
った。
同じ治療を受けているはずの佐藤刑事に相談してみようかとも思う。
布団から脚を出し、ベッドから降りる。
「……」
汚れた下着が気持ち悪かった。
シャワーを浴びて着替えよう。
時計を見ると、もうあまり時間がない。
早く済ませて朝食を作り、父とコナンを起こさなければならない。
少女は頭を切り換え、日常へと戻っていった。
─────────────────────
食事を終えた高木渉巡査が捜査一課の部屋へ戻ると、室内はまだ閑散としていた。
先日、丸の内のオフィス街で発生した人質立て籠もり事件を解決してからは、割と
落ち着いている。
第二強行犯捜査の殺人犯捜査第三係エリアにも人影はまばらだ。
もちろん殺人事件は連日のように発生しているものの、大抵は所轄で解決していて、
本庁が乗り出すような大がかりな事件はない。
「……」
高木の目線の先には、向かい合って何事か話をしている佐藤美和子警部補と白鳥
任三郎警部がいた。
何か面白いことを白鳥が言ったのか、美和子が屈託なく笑っている。
高木はそこはかとない嫉妬を覚えた。
美和子に告白し、受け入れてもらい、関係を持ち、愛を交わし合うようになったと
いうのに、まだ妬心が抜けない。
つき合う前で、美和子の心が自分に向いているのかどうか自信がない頃であれば、
他の男と談笑する彼女を見て嫉妬するのはわかる。
しかし、今はもう名実ともに美和子は高木のものである。
高木は美和子を所有しているつもりはなかったので「自分のもの」になった実感は
ないが、世間一般的には彼女は高木のものなのだろう。
普通、そういう関係になってしまえば、以前ほどの妬心は湧かぬものである。
他の男と仲が良さそうに見えても、それはうわべだけの話であって、女の方は相手を
あまり「男性」として捉えておらず、単なる知人、友人と判断しているものだ。
高木もそのことはわかっているつもりなのだが、どうしても美和子が他の男と話を
しているのを目の当たりにすると、気になってしようがないのだ。
ましてやそれが、美和子に気があると思われる白鳥であれば余計にそうした邪念が
心をよぎる。
まだまだ自信がないのだろうか。
高木は自分の心の狭さにうんざりしながら、美和子たちのところへ行った。
「あら、お帰りなさい」
美和子がにっこりして席を作ってくれた。
白鳥も、少なくとも表面上は笑って場所を譲ってくれる。
「……何をぶすっとしてるの? ひさしぶりにお友達とお昼食べたんじゃないの?」
そう言った美和子の顔がくすっと笑っている。
彼女はわかっているのだ。
美和子が白鳥と親しそうに会話していたことに対して、高木がヤキモチをやいている
ことを。
そして彼女は、それを微笑ましく、好ましく思っている。
それを見抜かれては身も蓋もないので、高木は慌てて表情を取り繕って、白鳥の前に
腰掛けた。
「あ、はあ、そうなんですけど。そこで出た話がどうも、そのあまり楽しくない話題
だったので……。仕事絡みの話だったし」
「ほう。その高木くんの友達ってのはどの部署だい?」
「はあ、生安なんですが」
「生安? ふうん、少年課かい?」
「そうです。事件の第一係ですね」
「じゃあ、少年犯罪?」
美和子がそう尋ねると、高木は頷いた。
「やりきれないって、何度もぼやかれましたよ」
「まあ、そうだろうな。最近の未成年者はおとな顔負けの犯罪を犯すようなのも
いるしな」
「そうなんですよ。しかもそれが……その、暴行事件なんだそうで」
高木は美和子の方をちらちら見ながら話した。
恋人同士になったとはいえ、他人のいる場所で性犯罪の話はあまりしたくなかった。
「暴行って……強姦? 子供が、そういう性犯罪を?」
「いやいや、あるんですよ、佐藤さん」
信じられぬという顔をした美和子に、したり顔で白鳥が言った。
「いつだったか、もう2年くらい前になるのかな。アダルトビデオを見て刺激された
少年が同級生を強制猥褻したというのがあったよ」
強制猥褻とは暴行、強姦であり、つまりはレイプである。
「……信じられない。何歳なの、犯人は」
「驚かないでくださいよ、何と小学四年生」
「えっ……」
美和子は絶句していた。
女性だから男性の生理についてはよくわからないが、それでも小学生がセックス
するとは思えなかった。
確かに小学生の女子が男の汚い欲望のはけ口に使われ、被害者になる事件はたびたび
あった。
しかし小学生の男の子がレイプ事件を起こすとはとても思えない。
美和子がそう言うと、白鳥もさすがに表情を暗くして言った。
「理屈の上では……出来ないことはないよ。高木くんもわかるだろう?」
「はあ……まあ……」
高木も、自分のことを思い出しても、小学生高学年の頃には性器の勃起もあったよう
に記憶している。
よく憶えてはいないが、確か自慰を初めてしたのもその頃ではなかったろうか。
最初に精通があった時のことはよく憶えている。
そういうものが出るらしいと知ってはいたが、自分にそれがあった時はかなり衝撃を
受けたものだ。
陰茎が勃起して射精も可能となれば、確かに白鳥の言う通り、理屈の上ではセックス
も可能だろう。
しかしそれはあくまで身体的には不可能でないというだけで、実際に行なうのは無理
ではなかろうか。
高木がそう意見を述べると、美和子も「もっともだ」と同意してくれた。
しかし白鳥は、そんなふたりの言葉を否定する。
「それがね、小学生……というか、触法少年、つまり13歳以下の性犯罪による補導
者はけっこういるんだよ。彼らによる猥褻事件は毎年のように起きている」
「どれくらい?」
「最近でも、平均すれば100件くらいはね。これでも少なくなった方だよ。昭和40
年代は300〜400件くらいあったから」
呆気にとられるふたりに、白鳥がなおも言葉を重ねる。
さすがにキャリアだけあって、こうした統計や数字には強いようだ。
「平成になってからでも年間平均で100件以上は発生している。猥褻事件のうち
1割弱は強姦……つまりレイプだよ」
「本当に……」
「ああ。これは昭和41年だったかな、なんと少年たちによる強姦集団すらあった。
主犯とされた中心人物は13歳だったそうだ。取り調べてみると、彼は小学生の時
からたびたび女性への暴行強姦事件を起こしていたらしい」
「……」
「大抵は同級生や年下の女の子──下級生や幼女が被害者だが、中には大人の女性を
襲った例もある。信じられないが、未遂ではなく本当に強姦したというから驚きだ」
淡々と解説する白鳥に、高木と美和子はもはや言葉もない。
「まあ、そんな具合だからね。今でもそういった犯罪は減らないんだろう。ただ、
未成年というかまだ子供だからね、マスコミもあまり派手にあおり立てないから、
知っている人はあまりいないかも知れない。で、高木くん、そういった事件が今
起こってるのかい?」
「あ、そうらしいです。友達の話だと、やはり子供らしい容疑者による暴行事件が
都内で発生していると。しかも連続らしいです」
「連続?」
「犯人がまだ捕まっていないということと、被害者の証言によると、どうも同じ
グループではないか、と」
「集団なの!?」
「らしいです。3人だか4人だかの男の子に襲われた、という被害者が数名、所轄
署に相談に来ていたようです。どうも連続犯らしいとなって、本庁の少年課が捜査
に乗り出したんだとか。さすがに捜査本部までは置いてませんが、犯行がかなり
悪質なので、早晩そうなる可能性もあるとか……」
「いやな話ね」
美和子は美しい眉をひそめて言った。高木も頷く。
「まったくです。それで友人も「やりきれない」と」
「容疑者の目星は? 全然ついてないのか?」
「今のところ。何しろ暗がりで襲われるらしいし、相手が子供のようだというのも、
体格が小さかったのと、声がまだ子供っぽかった、ということからの判断だそうで
す。具体的にどうされたのか、なんてことまでは知りませんし。ああ、もちろん
捜査官には話しているんでしょうけど」
普通は、陰部に陰毛がなかったとか薄かったとか、陰茎が小さかったとか、あるい
はまだ包茎だったとか、そうしたことで判断できそうだが、何しろいきなり襲われて
暴行を受けた被害者である。
その時は、ショックと驚愕が大きかったろうし、犯行の最中は何とか逃げだそうと
無我夢中だろう。
動揺してしまって、反撃だの証拠を掴もうなどという冷静な思考は浮かばないに違い
ない。
事後、混乱し衝撃を受けた頭脳を何とか呼び起こして、ようやくとった証言が上記の
程度らしい。
「けど、なんだってまたそんな……」
「ああ、それとこの事件、もともとは所轄とうちの第四係が担当していたらしいです
よ。で、容疑者が子供らしいとなって生安の少年課に話が行ったとか」
美和子は表情を曇らせて考えた。
知り合いの小学生を思い浮かべてみる。
すっと頭に浮かぶのは、コナンたちである。
灰原哀という少女は、確かにぞくりとするほどにおとなっぽいところがある娘だが、
それ以外の友人たち──元太や歩美、光彦たちはいかにも子供である。
もっともコナンたちでは参考にならないだろう。
確かまだ一年生だったはずだ。
ということは、昨年までは幼稚園児だったわけで、さすがに性犯罪はないだろう。
これが小学六年生あたりになると、また違うのだろうか。
一年生よりは体格は良かろうが、それでもまだまだ子供のはずだ。
とてもレイプ事件を起こすとは、美和子には思えなかった。
そこまで考えて、ふと思い出したことがある。
検察官の九条玲子拉致監禁事件である。
確かあの時の犯人は中学生ではなかったか。
直接捜査に当たらなかった美和子たちは知らされていないが、九条検事は性的暴行を
受けていたらしい、という情報もある。
しかし中学生ならあり得ても、小学生というのは美和子の想像の外だ。
美和子は、自分の担当事件ではないが、一度、コナンを訪ねるつもりで帝丹小学校へ
行ってみようかと思い始めていた。
─────────────────────
帝丹小学校は、米花市にある私立小学校だ。
中高一貫校とは違うが、同じ「帝丹」の名を掲げる学校は帝丹小の他に、中学、高
校、さらには大学まである。
同じ敷地、住所ではないものの、運営しているのは同じ学校法人であり、単位さえ
落とさなければ、そのまま大学まで進めるようになっている。
帝丹高校の生徒である毛利蘭や鈴木園子も帝丹小および中学の出身であり、コナン
たちの先輩にあたる。
昼休みが終わり、そのコナンたち少年探偵団が校舎の一階にある自分たちの教室
──1年B組へ入ろうとしていた。
「あっ……」
最後に入ろうとした灰原哀は、廊下をのしのしと歩いてきた上級生に弾き飛ばされた。
持ち前の運動神経の良さで転倒することは免れたものの、華奢な哀の身体は開き戸
にガシャンと衝突した。
「危ないっ!」
駆け寄ったのは歩美だ。
倒れかかった哀の腕を持ち、心配そうな顔で覗き込んでいる。
「哀ちゃん、大丈夫!?」
「……ええ、大丈夫。心配しないで」
「何よ、あれ!」
歩美は、哀の代わりに怒り出した。
いくら上級生とはいえ、この態度はない。
廊下右側通行の規則を堂々と破り、我が物顔で真ん中をのし歩いていた。
あまつさえ、きちんと右を歩いていた哀を跳ね飛ばしている。
こんな暴虐は許せなかった。
「ちょっと、あなたたち……」
「お、おい、待てって」
「きゃっ!」
憤って彼らに一言いってやろうと思っていた歩美の右腕を、元太が思い切り強く
引っ張った。
小柄な歩美は宙を飛ぶようにして教室内へ引っ張り込まれる。
歩美の声に気づいて、連中のひとりが振り向いたが、その姿が見えないと、すぐに
また仲間と歩き去って行った。
「何するのよ!」
「お、落ち着けって」
珍しく元太の方が歩美を宥めている。
どちらかというと直情型なのは元太の方だが、歩美もなかなかに気が強い。
彼女に好意を寄せていることもあって、元太は歩美には強気には出られない。
その元太が、これも珍しく弱気な表情を浮かべて言った。
「やつらはまずいって」
「何でよ。あんなの許せないわよ」
「いや、あの人たちは本当にまずいですって」
元太に光彦も同調する。
今度はコナンと哀が尋ねた。
「どういうことだ?」
「知らなかったんですか。あの連中、この学校を仕切ってるつもりなんですよ」
「……だから何で」
「あのな、さっき哀を突き飛ばしたのがいるだろ? あれは菊池っていってな、土建
屋の社長の息子なんだよ。その横にいた眼鏡のやつ、あれは高橋ってやつで、ここの
PTA会長の子だ」
「それが何よ」
「最後まで聞いてくださいよ」
光彦が言った。
「後ろに人相の悪いのがいたでしょ? あれは勝村拓真といって、その、暴力団の
偉い人というか、その……」
「……つまりヤクザの幹部の子供ってこと?」
哀が冷たい目でそう聞くと、光彦も元太も大きく頷いた。
「そうなんだよ。幹部っていうか組長とかみたいだぜ、よく知らないけどよ。あの
勝村って5年生が、6年の菊池、高橋を従えてのさばってるんだ」
「そうか、聞いたことがあるな」
コナンが言った。
「その勝村の親のせいで、先生達もやつらには手が出せないって」
「そんなこと……」
「私も聞いたことあるわ。あの勝村って子のクラスの前の担任の先生が、胃潰瘍で
入院する羽目になって新しくなったって。小林先生に聞いたもの」
「そういうことだからさ」
元太は眉を八の字に歪めて言った。
「さすがに俺たちでも手が出ないよ」
「触らぬ神に祟りなし……か」
哀がそう言うと、コナンを除く全員が頷いた。
─────────────────────
蘭はその日も、友人の鈴木園子と一緒に下校していた。
この組み合わせだと、園子が一方的に喋って、蘭は受け身一方にも思われるが、実際
にはそんなことはない。
蘭も多感な女子高生なのであり、年相応の話題で友人とおしゃべりを楽しみたいのだ。
でもこの日は、やはり園子が中心だったようである。
「やっ、園子ってば!」
「よーし、ちゃんと着替えてるわね」
園子は大胆にも、蘭のバストに手を伸ばしたのだ。
制服にブラウス、ネクタイをしているから、直接触れられたわけではないが、蘭は
かなりビックリした。
とはいえ、園子はいつもこれくらいのことはしてくる。
彼女は何を確かめたのかというと、蘭がきちんとブラをしているかどうか、である。
当然、蘭だってブラジャーは日常的に着けている。
人並み以上のサイズもあるのだから、何もしないわけにはいかないし、そもそも自分
が生活しにくい。
ただ、空手という激しいスポーツをやっている関係上、着けているのはスポーツブラ
だったのである。
スポブラは着けていて楽だから、運動をやっていなくてもティーンの娘たちは割と
着用している。
しかし園子は、それでは色気がないと思うのだ。
運動をする際はスポブラで当然だが、終わってシャワーを浴びた後は、きちんとノー
マルのブラに着替えるべきだという主張である。
若い時間は短い、花の女子高生が、いつもいつもスポブラでは色気がなさ過ぎると
いうわけだ。
一方の蘭の方は、正直言ってどうでも良かった。
何しろ下着なのだから他人に見せるわけでもない。
なら、バストを支えてくれて汗も吸ってくれ、しかも着用が楽なのだから、スポーツ
ブラでいいじゃないか、ということだ。
実際、蘭はスポブラを気に入っている。
フィット感が抜群だから、バストの揺れをしっかり抑えてくれる。
飛んだり跳ねたりする時におっぱいが揺れるというのは、男の想像以上に女性にとっ
ては恥ずかしいものなのだ。
綿の生地だから吸湿性も高いし、着け心地も良い。
蒸れもべたつきも最小限に留めてくれる。
最近のものだと、揺れやズレを抑えるだけでなく、プリンセスラインをしっかり綺麗
に作ってくれるものまである。
必要充分なのだ。
ただ、普通のブラに比べてファッション性でやや劣るのは否めない。
フリルを着けるわけにもいかないし、装飾もないに等しい。
地味なのである。
事実、今日、蘭が着けていたのはショーツと組みになっているもので、ブラの上下と
ストラップ、そしてショーツのウェストラインと足回りに太く黒いラインが入って
いる。
色はベージュで、ブラの左カップとショーツの後ろにトゥイーティーがプリント
してある。
園子に言わせれば、まるでお子ちゃま仕様だというわけだ。
そこで園子が「もう少し色気づけ」と言って、スポブラは学校にいる時だけで、下校
以降は着替えなさいと言ったのである。
それを確かめるように、服の上から胸を触ったのだ。
感触は、レースやフリル感があった。
スポブラではない。
園子は我がことのように満足げに言った。
「それでいいのよ。あんた、素材がいいんだから、もっと気を遣わなきゃダメ」
「だって、ブラなんか誰に見せるものじゃないんだから……」
「あーら、そうかしら? もう誰かいるんじゃないの、見せてもいい彼氏が」
「ばっ、ばか!」
「もしかして、もう見せちゃったのかなあ?」
「そんなことあるわけないでしょ!」
顔を真っ赤にして否定する蘭を、園子はクスクス笑いながら見ている。
本当にこの娘は、そうしたことに無垢で純粋だ。
根が正直で善人だから、からかえばからかうだけボロを出してくる。
おちょくり甲斐のある娘である。
「まーまー、そう興奮しないで。どうせそのうち工藤くんに見せることになるんだ
から、今のうちに馴らしておきなさいよ」
「新一に……」
「そうそう。あ、もしかしてブラじゃなくって中身を見せたいとか?」
「園子っ!」
ふたりがきゃっきゃと騒ぎながら小道を曲がると、その先に子供達が数人集まって、
これも何か騒いでいる。
ランドセルを背負っている子もいるところを見ると、小学生のようである。
「ん?」
「どしたのかな」
ふたりはぴたりと足を止めた。
何となく、雰囲気が尋常ではなかったのだ。
三人ほどがひとりを囲んでいる。
どう見ても友好的ではなく、責め立てているようにしか見えない。つまりは。
「いじめ……?」
「いじめられてる、あの子!」
「あ、こら蘭!」
駆け去る蘭を、園子が慌てて追いかけた。
一足先に到着した蘭は、泣いていた子を庇うように少年たちの前に立ちはだかった。
「ちょっとあなたたち、何してるの!」
いきなりの闖入者に、子供たちもやや戸惑っている。
「な、なんだよ、あんた」
「あたしの方が聞いてるのよ。この子に何してるのよ」
「……」
「いじめなんておやめなさい、みっともないわよ」
「いじめ……?」
それまで蘭の後ろにいた子を小突いていた連中が薄笑いを浮かべた。
「僕ら別にいじめてなんかいないよ」
「そうだよ。なあ黛くん? 俺たち別におまえをいじめてなんかいないよなあ?」
「……」
いじめられていたと思しき少年は、彼らの視線から隠れるようにして蘭の後ろから
出てこない。
ようやく園子も追いついて事態に気づき、少年の手を引っ張って自分の側に寄せた。
いじめっ子たちは、蘭たちが駆けつけ、いじめを指摘しても、逃げ去るでもなく、
またいじめを認めて謝るでもなく、恫喝するような目でいじめていた子を睨みつけて
いる。
いじめ馴れているというのか、実にふてぶてしかった。
蘭は少年たちを観察する。
身長は150〜160くらいだろうか。
最近の子供たちは成長が早いようだが、顔はまだまだ子供である。
見たところ小学生の高学年といったところだ。
いじめていたのは三人組で、元太ほどではないが小太りの子と、少し頭でっかちな
感じの子だ。
そしてそのふたりとは明らかに違った雰囲気を持った子が彼らの後ろに控えている。
頭目なのだろうが、小学生らしからぬ落ち着きというか、達観さすら感じる子だった。
もしかしたら中学生かなとも思ったが、彼らの言動からするに同級生くらいらしい。
そもそも中学に上がったら、小学生とつるむなんてことは普通しないだろう。
子供らしからぬ目つきの鋭い少年は、それまで園子に手を引かれた少年を見ていたが、
すぐに蘭へ視線を向けた。
ローファーを履いた足下から徐々に視線が上がり、胸から顔まで舐め回すような目で
じろじろと見つめていた。
(なに、この子……)
蘭はその目に、そこはかとない悪意と男の視線を感じた。
それを振り払うように蘭は両手を腰に当てて言った。
「ふざけないで。どう見たってこの子をいじめてたでしょ? どうしてそういうこと
するのよ、友達でしょう?」
「友達?」
その言葉を聞いてふたりの手下は呆気にとられ、すぐに爆笑した。
リーダーらしい少年はくすりとも笑わず無表情だ。
「そうだよ、お友達だよ。だからいじめてなんかいないよ、そうだよな黛」
「……」
「……返事しろよ」
さらに脅迫するようにたたみかけてくるのを蘭が止めた。
「いい加減にして。これ以上いじめるなら先生や学校に報告するわよ」
「学校?」
「そうよ。あなたたち帝丹小の生徒でしょ? あたしもそこのOBなんだから」
「……」
「そうなのよ」
園子も割り込んできた。
怖い顔をして睨む蘭と違って、こっちは笑みすら浮かべている。
が、その目はちっとも笑っていなかった。
「お姉さんたちが優しく言っているうちに、おとなしく引き下がった方が身のため
よ。こっちのお姉ちゃん怒らせたら大変なことになるわ。だって空手の有段者なん
だから」
「それは関係ないわよ、園子。いいからもうきみたちはこのまま帰りなさい。この
子はあたしたちが送ります」
「……いくぞ、高橋、菊池」
何を思ったのか、大将らしい男の子が手下どもに声を掛けた。
「……けっ」
「憶えとけよ、黛」
高橋、菊池と呼ばれたふたりの少年も、捨て台詞を吐いて彼の後を追う。
時々、ちらちらと後ろを振り返りながらぶつぶつと文句を垂れていた。
それを見送っていた蘭は、ふっとひとつため息をつくと振り返る。
「……大丈夫だった? それとも、余計なことしちゃったかな?」
「あ、いいえ……」
蘭に微笑みかけられ、少年はちょっとびっくりしたように返事をした。
園子に肩を押され、蘭の前に引き出される。
「黛くん……っていうの? あの子たちがそう呼んでいたけど」
「は、はい、黛圭太……です」
「そう。あたしは毛利蘭ていうの。そっちは鈴木園子。ともに……」
「ともに帝丹高校の2年生。花の女子高生よ」
園子はそう言って笑った。
「蘭も言ってたけど、あたしたちあなたの先輩だから。同じ小学校出身。だからそんな
に緊張しないでいいわ」
「そうそう」
蘭は両手を膝につき、少し屈んで少年に目線を合わせた。
少年──圭太は、さっきまでいじめられていたことも忘れて、目の前の年上の美少女を
見つめていた。
何て綺麗な人だろう。
びっくりするような美女、近寄りがたいような美人、というのではない。
モデルのような、一種冷たい美貌とは対極を成すような親しみやすい美少女だった。
真っ黒でしなやかそうな長い髪。
全体的に細作りなのだが、痩せぎすといった印象はない。
スカートの裾から覗く脚は官能的なカーブを見せている。
圭太は、そろそろ興味を持ち始めた女性タレントの水着グラビアを思い出していた。
蘭にそのような格好をさせたら、どれだけ素敵だろうか。
そして何より、黒目がちのぱっちりとした大きな目が美しかった。
見つめていると、その瞳に飲み込まれてしまいそうな、そんな目だった。
その美しい目で見られていることを意識すると、少年の頬は熱を持ち、赤らめてくるの
だった。
少年は、さっきまでの地獄のようないじめを受けたことすら忘れ、こんな綺麗な女の人
に助けてもらったということに、小さな誇りのようなものすら感じていた。
「きみ、家どこ? よかったら一緒に帰ろ。ね?」
「え、あ……でも」
「いいじゃないの、蘭もそう言ってることだし。ほら」
「あ」
園子はそう言うと、圭太の手を握った。
蘭も微笑んで手を繋いでくる。
少年は、左右を先輩の女子高生に挟まれ、手を繋いで帰途に就いた。
「……言いにくいかも知れないけど、さっきのやっぱりその、いじめだったんでしょ?」
「……」
圭太の足がぴたりと止まる。
ふたりは顔を見合わせて立ち止まり、彼の顔を覗き込んだ。
「どんなことされるの?」
園子と蘭が心配そうにそう尋ねると、圭太はぽつぽつと話し始めた。
いつからだったのか、それはあまり記憶にない。
気がついてみると、菊池健、高橋大輝、そして勝村拓馬という三人から陰湿ないじめ
を受けるようになっていた。
菊池、高橋は6年生だが、リーダー格の勝村はまだ5年生らしい。
なぜ彼が頭目なのかはわからない。
理由は不明だが、なぜか圭太が目をつけられ、何かにつけいじめられるようになった。
圭太がおとなしく、あまり抵抗もせず、されるがままになっていたからかも知れない。
図に乗った彼らは、あらゆるいやがらせをやってきた。
無視したり、笑いものにしたりなど、精神的なものはあまりなかったようだが、その
分、物理的な暴力行為が多かった。
ぶったり蹴ったりはもちろんのこと、プロレス技をかけたり、体育マットで簀巻きに
したりなどは日常的だったらしい。
さらには、教科書やノートなどに落書きして使えないようにしたり、ランドセルに
ゴミを詰めたりなど、陰湿なこともやってきた。
下駄箱の靴や上履きを隠す、捨てるのも当たり前のようにやられた。
暴力はエスカレートして、最近では圭太の席を取り囲み、座布団や鞄などで周囲の
視線を遮っておいてから、つねったり、定規で叩いたり、シャーペンで突き刺したり
と、それはもうやりたい放題だったらしい。
「ひどい……」
「なによ、それ!?」
蘭は気の毒そうに、慈愛に満ちた目で圭太を見ていたが、園子の方は逆に腹を立てた
らしい。
いじめる側への怒りはもちろんだが、同時に圭太のだらしなさにも我慢ならぬようだ。
「それで黙ってるの、何もしないで? ひっぱたかれたら殴り返せとは言わないけどさ、
黙ってやられっぱなしになってるから、あの子たち調子に乗るのよ」
「園子、そんな責めるようなこと言っちゃダメよ。……圭太くん、言いにくいよね、
そういうのってさ」
気の優しいこの少年は、自分の窮状を教師はもちろん両親にも打ち明けることが出来
なかった。
仲の良かった友人たちでさえ、勝村らの報復を恐れて手助け出来ず、それどころか
圭太から徐々に距離を置くようにすらなっていった。
「でもさ、もし先生たちにも言いづらかったら……今度はお姉さんに言ってくれる?」
「え……?」
「あたしは圭太くんに一日中ついてるわけにはいかないけど、出来るだけ何とかして
あげる」
蘭は何となくコナンのことを考えていた。
彼も同じ小学校の生徒なのだ。
コナンが妙に大人びていいるところがあることもあって、あまり彼に対するいじめと
いう問題を考えたことはなかったが、それも根拠のあるものではないのだ。
まだ1年生だし、クラス担任もしっかりしており、同級生たちが良い子たちばかり
なので、これまでそうした問題はまるでなかっただけなのだ。
これから進級するにつれ、そうしたことも出てくるかも知れない。
帝丹小にその要素があるのなら、それは排除しておくに越したことはない。
蘭には、圭太が成長したコナンにだぶって見えるところがあったのかも知れなかった。
「ね?」
手を繋いだまま蘭が微笑むと、圭太は照れたように視線を外した。
そしてすぐに顔を戻すと、何とか小さく頷くことが出来たのだった。
夕日に染められて、蘭からはわからなかったが、圭太の頬は赤く染まっていた。
この時、少年は蘭に対して、はっきりとした憧憬を抱くに至った。
園子と蘭に握られた左右の手は、蘭と繋いだ右手の方を少し強く握っていた。
暖かく、柔らかい手だった。
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