それから数日たったある日。
黛圭太はまだ拓馬たち一派にいびられていた。
逃げようともしなかった。
過去に一度逃げ出したことがあったのだが、足の遅い圭太はすぐに捕まり、それは
ひどい暴力行為に遭ったのだった。
以来、逃げる前に足がすくんでしまうようになった。

蘭と園子に助けられたあの日以後、拓馬たちのいじめは収まるどころか、よりエス
カレートしていった。
憂さ晴らしが途中で中断され、挙げ句、叱られたことに逆恨みしたらしい。
これがあるから、いじめられっ子は助けを求めることが難しいのである。
しかし圭太は、あの日、ふたりの年上の少女に助けられたことを悔いても恨んでも
いなかった。
綺麗なお姉さんに助けてもらい、気に掛けてもらっただけで、天にも昇るような至福
感を味わったのである。

しかし、それといじめは別であり、あの時に蘭も言っていたように、常に蘭に護って
もらうわけにもいかなかった。拓
馬たちも、いじめる相手は圭太だけではなかったから、圭太に手を出すのは数日に
一度程度だったのだが、蘭の一件があって以来、いじめの矛先は圭太ひとりに集中
していた。

「おら、いつまでも泣いてんじゃねえよ」

健がそう言って、圭太の足を蹴飛ばした。大輝も一緒になって尻を蹴っている。
それも靴底で、である。
ズボンの生地に、きっくりと足跡が残るほどだ。

「そうそういつもあの女どもが助けてくれると思ったら大間違いだ」
「そうだそうだ、いい気になりやがって」

健は憎々しげに圭太を睨んだ。

「さっさと拓馬さんが聞いたことに答えろっての」
「そ、そんなこと……言えないよ」
「言えってんだよ、命令だ!」

小突かれ、蹴り倒された圭太の顔を冷たい視線で眺めていた拓馬がぼそっと言った。

「……俺が聞いたこと、もう忘れたのか?」
「じゃあもう一度聞いてやる。おまえ、あの毛利蘭って女に気があるんだろ?」
「……」
「言え」
「い、痛……!」

拓馬が聞くと同時に、大輝が圭太の二の腕を思い切り抓り上げた。
いくら子供の力とはいえ、あそこまで強く抓ったら青あざになるだろう。

「す……好き、ですっ……」

圭太が悲鳴を上げるように申告すると、拓馬はおどけて手下どもに言った。

「おい聞いたかよ。この野郎、女子高生に惚れたとさ」
「身分知らずもいいとこだな。おめえみたいなクズ野郎が、空手チャンピオンの美人
女子高生が好きだと? いい加減にしろ!」
「あぐっ!」

健はそう言って圭太の頭を平手で思い切り叩いた。
口を開けていたら舌を噛むところだった。
拓馬が続けて、さらに言いにくいことを聞いてくる。

「そうか、好きなのか」
「……」
「じゃあ当然、おまえあの女で一発抜いたよな?」
「……?」

意味がわからないという圭太の顔を見て、拓馬と大輝はからかうように教えてやる。

「わからねえのか? だからあの蘭って女をオカズにしてマスかいたことあるのか
って聞いたんだよ」
「毛利蘭を想像してオナったことあるかってことだよ、わかるだろ?」
「そんなこと……」
「ないとは言わせねえぜ、このデカチン野郎が」

健はそう言って、まだ座り込んでいる圭太の足の甲を踏んづけた。

「い、痛い……」
「じゃあ言えよ。毎日抜いてんだろ? 夕べは何回やった?」
「……」
「言え」
「痛い! 痛いよ……!」

足を踏む力を一向に弱まらず、拓馬も大輝も見下ろすだけで健を止めそうにない。
圭太は叫ぶようにして恥ずかしいことを言った。

「しっ、してますっ、しましたっ!」
「そらみろ、このスケベ野郎が」
「……」
「昨日は何回抜いた? え?」
「……よ、4回……」
「何してるの!!」

鞭を叩きつけるような鋭い声が響き、圭太の足を踏んでいた健の力が緩んだ。
拓馬も大輝も声の方を向く。
そこにはまた蘭が立っていた。
今日は鈴木園子はおらず、ひとりで下校中だったようだ。

「あなたたち、また圭太くんいじめてるの!?」
「……」
「仲良くしなさいって言ったのに、またそんなことして!」

蘭は囲んでいる三人を追い払ってから、倒れていた圭太の側に駆け寄った。

「大丈夫!?」
「……」
「ひどい痣……。あ、ズボンも泥まみれじゃないの」

蘭はそう言いながら圭太に手を貸し、立ち上がらせた。
安心したのか、手を目に持っていってすすり泣き始めた圭太を痛ましそうに見やって
から、蘭は三人の少年たちに厳しい視線を向けた。

「どうしてあなたたちはそうなの!? 弱い者いじめのどこが楽しいのよ? 人と
して最低の行為なのよ!」
「……」
「ちょっと聞いてるの!? そもそも……」

蘭がそこまで言いかけると、彼らのすぐ側にすっとクルマが入ってきた。
黒塗りの大型乗用車で、蘭には車種まではわからなかったが、何だか会社の偉い人や
政治家とかが乗っていそうなクルマである。
あとはヤクザだろうか。
蘭はそう思って、圭太を自分の後ろに回して庇った。
鋭い視線の蘭と、呆気にとられている拓馬のすぐ側に大型車が停車し、後部シートの
ウィンドが電導音を軽くさせて下がっていく。

「……何やってんだ、拓馬」
「親父……」
「親父?」

拓馬と窓から顔を出した男を蘭は交互に見比べた。
見たところ、普通の会社員──というか、重役か社長といった趣である。
ヤクザだと聞いていたが、着ているスーツも極道者が着ていそうな悪趣味な派手さは
なくノーマルだ。
生地やデザインに高級感が漂っているようにも見えるから、物はいいらしい。
名のあるブランドなのかも知れない。

普通、ヤクザを目の前にしたら、女子高生などは悲鳴を上げて逃げてしまいそうだが、
その時の蘭は堂々としていた。
彼女とて世間一般の常識はわきまえているし、判断力もある。
通常であれば、そそくさと逃げているだろう。
しかし今は圭太がいることもあって、立ち向かう気になっていた。
無謀だとも思わなかったし、やけくそになっていたわけでもない。
黙っていられなかったのだ。
気丈な女子高生は、暴力団組長に言った。

「ちょっとお聞きしますけど、あなたはこの子のお父さんですか?」
「……誰だ、あんた。見たところ高校生のようだが」
「帝丹高校の毛利蘭と言います。ちょっとお話があるんですが」
「話だと?」

健も大輝も恐れおののいて、じりじりと後ずさりしている。
拓馬もさすがに驚いたのか、父親と蘭に忙しなく視線を走らせている。
一方、圭太の方は本能的に危険を察したのか、つながれた蘭の手を盛んに引っ張っ
ている。
やめよう、逃げようと言っているのだ。
今、この状態なら、走って逃げれば追いかけては来ないだろう。
拓馬たちだけでも怖いのに、この上、父親のヤクザまで出てきたら何をされるかわか
ったものではない。

小学生の圭太にこれだけの判断が出来たのに、肝心の蘭は動きそうもなかった。
相手がヤクザだということを忘れているかも知れない。

「あのですね、あなたの息子さん……この子ですけど、この子、こっちの子をいっつ
もいじめてるんですよ!」
「……」
「三人で徒党を組んで弱い者いじめです。あなた親御さんとしてどう思ってるんです
か!? それとも全然ご存じなかったんですか!?」
「……」
「ほら見てください、この子の姿! ひどいでしょう?」

蘭はそう言って、圭太を父親の前に引っ張り出した。
拓馬の父は、そんな蘭の様子と、引き出された圭太の姿をひとしきり眺めてから
ぼそりと言った。

「……拓馬、本当か?」
「……」
「こっちの人の言ってることは本当かと聞いている」
「……」

黙ったままの息子をじろりと見てから父親は言った。

「乗れ。おまえは前に乗れ」

拓馬が渋々といった風情で父の命令に従うと、蘭は慌てて言った。

「ちょっと待ってください! まだお話が……」
「毛利……蘭さんと言ったか」
「あ……はい」
「それと、そっちの子。ふたりとも乗ってくれ」
「は……?」

蘭が呆気にとられていると、後部ドアがガチャリと開いた。
中からクルマ特有の芳香剤の匂いが漂ってくる。

「……ここでは何だからな、話は中で聞こう。いいかね?」
「わかりました」
「ら、蘭姉ちゃん……!」

びっくりしている圭太に、蘭は優しく微笑んだ。

「大丈夫よ。それとも、圭太くんは先に帰る?」

蘭はそう言ったが、すぐに彼の手を引っ張った。
このまま無事に帰れるとは思えなかった。
拓馬は同乗するが、健と大輝は無視されている。
そのふたりと一緒では、圭太が無事だとは思えない。
蘭は躊躇する圭太を促して、高そうなセダンに乗り込んだ。

────────────────────────

「よ、お姉ちゃん」
「あなたたち……」

声を掛けられて振り返ると、下校中の蘭の目の前にあの時の三人組のひとりがいた。
確か高橋という6年生だったか。
当然、蘭には良い印象はない。

「なに? 何か用?」

普段の彼女からは思いも付かぬ、素っ気ない言葉を吐いた。
顔つきも少し強張る。
子供相手に大人げないとは思うのだが、あの陰湿ないじめを見てからは、年少者に
対する口にきき方をしようとはとても思わなかった。

「こないだは世話になったよね」
「……」
「拓馬さんも親父さんにだいぶ締められたっていうし、僕も健も叱られたよ」
「……当たり前でしょう、あんなことして。先生たちにもよく言っておかないと
いけないわ」

少年は、蘭の言葉を聞いても不遜とも思える笑みすら浮かべている。
蘭は苛立ちと不安を覚えた。

「ところで圭太くんはどうしたの。もういじめたりしてないでしょうね」
「へえ」

大輝は少し意外な顔をした。

「……もう名前で呼ぶほど仲が良くなってんだ」
「そんなことどうでもいいでしょ。圭太くんと仲良くしてるのかって聞いてるの」
「それなんだけど」
「それ?」
「黛のことで、ちょっと話があんだけどさ」
「どういうことなの」
「いいから」

大輝はめんどくさそうに答えた。

「いいから来てよ」
「そうはいかないわよ。あたしの質問に答えなさい。黛くん、どうしたの」
「だから来ればいいんだよ。黛が呼んでるんだからさ、ほら」
「あっ」

少年は、蘭の鞄を持った左手を掴み、引っ張ろうとする。
不審なものを感じた蘭はその手を振り払った。

「何するの! ちゃんと説明しなさい、あの子は……」
「いるってば。来てくれれば会わせるよ。でも、お姉ちゃんが来なければ黛のやつ、
どうなるかなあ」
「何ですって!?」
「……俺たちはともかく、拓馬さん、かなり激怒ってたからなあ。お姉ちゃんが来な
ければ、黛、タダじゃ済まないと思うよ」
「こ、この子たち……」

蘭は唖然とした。
これでは圭太を人質にとった脅迫ではないか。
いや、誘拐あるいは拉致監禁である。
とても小学生のやることとは思えなかった。
少年はだめ押しとも言える一言を放った。

「来ないの? ま、俺はそれでもいいけど。黛は……」
「わ、わかったわよ!」

大輝はにやりと笑うと手を伸ばし、手を繋ごうとしたのだが、蘭はさりげなくそれ
を無視した。
少年は面白くなさそうにぶすっとすると、足早に先を歩いて行く。
蘭は少し距離を置きながら、見失わないようについていった。
すぐに見慣れた建物──校舎が見えてきた。

「帝丹小……」
「そう、お姉ちゃんもここの出身なんでしょ? 先輩ってわけだ」
「……」

大輝は振り向きもせずそう言って正門の前を通り過ぎた。

「ここにいるの?」
「そうだよ。俺らここの生徒なんだから、ここにいたっておかしくないでしょ」
「だったら、何で門から入らないのよ」
「いいじゃない、裏門から入るんだよ。その方が目立たないし」
「……」

やはり邪なことを考えているのだ。
しかし何をしようというのだろう。
圭太を捕らえているのは間違いなさそうだが、そんなことをしてどうなるのだ。
まさか営利誘拐などということはないだろう。
第一、それなら脅迫するのは圭太の家族であって、蘭ではない。
脅して何かさせようというのだろうが、その想像がつかない。

そんなことを考えているうちに、いつしか裏門を通り抜け、講堂を兼ねた体育館の
裏手に回る。
壁と建物の間はほんの1メートルほどしかない。
そこを真っ直ぐ進んで壁の隅へ行くと、小さな建物があった。
体育用具室だ。
蘭も小学生時代、体育の時間に何度か行ったことがある。

「ここ……?」
「そう」

大輝は返事をしながら、どんどんと鉄製の扉を叩いた。
中からくぐもった声がすると、扉が軋んで僅かに開いた。
その隙間へ大輝が顔を突っ込んで何事か告げると、中から扉がギシギシと音を立て
ながら開けられた。
錆びて立て付けが悪いらしく、男の子が身体全体を使って開放している。

「……ったく、おんぼろだぜ。おっ、大輝、マジで連れてきたな」
「あたりめえだよ」

小太りの菊池健が、蘭を見て顔を輝かせた。
すぐに中を振り返って言う。

「拓馬さん、来ましたよ」
「入れろよ」
「わかりました」

健も大輝ももう6年の最上級生なのだが、下級生である5年生の勝村拓馬に対して
敬語を使っていた。
相当に謙っている。
というか畏れている。
やはり親を意識しているのかとも思ったが、よく観察してみると、拓馬自身もかなり
貫禄がある。
親が親だから子供もそれなりに似てくるらしい。

蘭が中に入ると、健は大輝と協力して再び軋む扉を閉めた。
不安がよぎり、一度振り返った蘭だったが、すぐに気持ちを立て直した。
相手は小学生である。
自分は高校生なのだ。
その小学生が「過ぎた悪ふざけ」をしている。
しかもそれは相手に危害を加えかねない行為だ。
先輩として目上として、きちんと注意し、躾け、叱りつける義務があると思っていた。
蘭は腕組みをして言った。

「あなたたち、どういうつもりなの?」
「……」
「圭太くんはどこ?」

拓馬は顎をしゃくって健に合図を送った。
すぐに小太りの少年が動き、山積みになったマットと跳び箱が押し込められている
隅っこから、黛圭太を引き起こしてきた。

「圭太くん! 大丈夫!?」
「お姉ちゃん……蘭お姉ちゃん!」
「心配すんなよ、姉ちゃん。どこも怪我はしてねえよ、まだな」
「あたしは圭太くんに聞いてるのよ! 圭太くん!」

蘭の声に勇気づけられたのか、圭太は小さく頷いた。
ざっと全身に目を走らせたが、どこにも怪我の様子はない。
痣もなかった。
しかしTシャツを着た腹部でも殴られていればわからない。
そこで蘭は異様なものに気づいた。
少年は手を前に回していたが、その手首には何と手錠が掛けられていたのだ。

「あ、あなたたち、何てことしてんの!? 圭太くんから手錠を外しなさい!」
「……」
「聞こえないの!? さっさと……」
「うるせえな」

拓馬がぼそっと呟いた。

「少し黙れよ、姉ちゃん。まだこいつには手出ししてねえが、あんたの出方次第じゃ
わからねえぞ」
「ど……どういういことよ」

蘭がそう聞いた時、また鉄扉がギシギシ言った。
外から誰か開けようとでもしているらしい。
拓馬の目線を受けて大輝が飛んで行く。

「何だよ! 誰だ!」

隙間から覗いたのは、びっくりしたような顔の少女ふたりだった。
3年生か4年生くらいだろうか。
健や大輝の顔は知れ渡っている。
少女たちはおののいたように小声で言った。

「あ、あのう……、クラブでバレーボールを使いたいんですけど……」
「バレー? いくつだよ」
「あ、あの、かご全部……」
「ちょっと待て」

大輝はそう言って、バレーボールが山ほど入っている大きな台車籠を押してきた。
その間、健が扉に立ちふさがって、中を見させないようにしている。

「あ、ありがとうございます」

台車を受け取ると、少女たちは逃げるように去ろうとしたが、それを大輝が呼び止
める。

「おい! しばらくここへは来るんじゃねえぞ」
「え、でも……クラブが終わったら、これを返さないと……」
「うるせえな。じゃあ扉の側にでも置いとけよ、あとで片付けといてやるから。
それと、他のやつらにも言っとけ。今日はここには来るんじゃねえってな。いい
か!」

少女たちは声もなく何度も頷き、慌てて台車を押して体育館へ向かっていった。

「……これで邪魔者は来ねえ」
「あ、あなたたちいったい……」

何をしようというのだ。
蘭は、折りたたんだマットの上に座っている拓馬の足下にタバコの吸い殻が落ちて
いるのに気がついた。
この子たちは喫煙までしているらしい。
まだ小学生なのに。
不審が不安となり、それが徐々に大きくなっていく。
子供だと思って舐めてかかると、思いも寄らぬ悪辣なことをされるかも知れない。
拓馬が言った。

「あん時は世話になったよね」
「……」
「俺の親父がヤクザだってのは知ってるよな? ああ知ってるか、あん時、親父と
あんたが直に話したんだから。恐れ入ったよ、ヤクザの大幹部とサシで話が出来る
女子高生がいるとは思わなかった」

大人びた口調だった。
声はまだやや幼いだけに、その子供じみたところがまったくないしゃべり方や言葉
には、かなり違和感がある。
やはり親の組の事務所に出入りでもしていて、そういうおとなたちと接しているから
だろうか。

「あの後、俺は親父からイヤというほど折檻されたんだ。あんなにぶん殴られたのは
初めてだよ」
「当たり前でしょう! 弱い者いじめなんかして……。あなたのお父さんは確かに
そういう人だけど、でもちゃんとした任侠者よ。堅気には手を出さない、余計な
トラブルは起こさない。しっかりした人じゃないの。その子供のあなたがあんなこと
すれば、お父さん怒るの当たり前よ!」
「……よく喋る女だな」
「なんですって!? 目上の言うことは聞きなさい。いいこと、あなた……」
「うるせえよ!」

拓馬は癇癪を起こしたように怒鳴り、側にあった平均台を思い切り蹴飛ばした。

「とにかく俺としては、あんたに落とし前つけなけりゃメンツが立たねえ」
「何を言ってるのよ、もともとあんたが悪いんでしょう! 逆恨みじゃない!」
「何でもいいよ。とにかく、このままじゃムカついて収まらねえんだよ」
「じゃあなに? どうするって言うのよ」
「……」

拓馬の目が憤ったように仁王立ちになる蘭の身体を這う。
それこそ、爪先から頭まで舐めるように観察している。

「何よ、その目は」
「……脱いでもらおうかな」
「え?」
「服を脱いでくれって言ってんの」

拓馬の言葉を聞いて、健も大輝も「ひょおっ!」と奇声を上げた。
蘭は顔を赤くして叫んだ。

「バカなこと言わないで! どうしてそんなことしなきゃならないのよ!」
「どうして、ったって、そりゃ姉ちゃんの綺麗な裸を見てみたいからさ」
「な……」

蘭は本当に仰天した。
まさかこの子たちは、おとなと同じ欲望を持っているのだろうか。
確かに小学生とはいえ高学年になれば、そろそろ性に目覚め、異性に興味を持ち始め
る子もいるだろう。
よくは知らないが、保健で習った記憶では、男子は10歳〜14歳くらいで精通が
あるはずだ。
ということは、そのあたりで女性への関心が高まる時期になるのだろう。
だが、そんな要求に応えられるはずもない。
蘭はきっぱりと拒絶した。

「いやよ。何であたしがそんなことしなくちゃならないの」
「理由か? 決まってる、あんたが脱がなけりゃ、こいつはタダじゃ済まないって
ことだよ」

健と大輝が、手錠された圭太を左右から挟むように立っている。
それぞれが左右の腕をしっかりと掴んでいた。
拓馬は座ったまま、いつのまにかコンパスかディバイダのようなものを持ち、手で
弄んでいる。
それを見た圭太が「ひっ」と喉で悲鳴を上げる。

「こいつでぶっすり行くぜ」
「……」

蘭は黙っていた。
いくらなんでもそこまでやるだろうか。
ナイフではなく学用品で脅すというのは可愛げがあるが、それでもコンパスの針で
刺せばかなり痛いだろう。
もちろん出血もする。
蘭が「まさか」と思っていると、拓馬は伸ばしたコンパスの先で実にあっさりと
圭太の腕を突いた。

「痛い!」
「何するの!?」

圭太の悲鳴と同時に蘭は叫んだ。
ほんの少し刺されただけのようだが、血の玉がぷくりと膨れあがっている。
痛みもあるが、それ以上にショックの方が大きいようだ。
圭太はもう半べそをかいていた。

「ウソじゃないよ。本当に刺す。今度はこんなもんじゃないよ」
「や、やめて! やめてよ、勝村さんっ!」
「うるせえ!」

必死に懇願し、止めようとする圭太の声を振り払うようにして、拓馬はためらいも
なくコンパスの針を腕に突き刺した。
今度は先っぽだけではない。
いっぱいに伸ばした針の長さ分──4センチくらいを、本当にぶっすりと突き刺した
のだった。

「ぎゃああーーっ!」
「やっ、やめて、やめてぇぇ!」

圭太と蘭の絶叫が狭い室内に大きく響いた。
放課後で体育館はバレーやバスケ、校庭でもサッカーといったクラブ活動で、子供
達が歓声をあげて走り回っている。
遊んでいる子も多い。
いずれにせよ、校庭の隅にある締め切った体育用具室からの物音など、誰も気に
する者はいない。

「あ……あ……」

圭太はショックと痛みで泣くことも出来ないらしい。
いや、涙は出ているが泣き声にならない。
あうあうと呻くだけだった。そして半ズボンは大きく染みを作っている。
子供らしい細い腿に液体が伝い落ちている。
恐怖で失禁したのだ。

仲間──というより子分であるはずの健や大輝も、さすがに驚いていて声もなかった。
叩いたり蹴ったりくらいはするが、凶器で相手を傷つけるなどという行為はしたこと
がない。
それを拓馬は実に呆気ないほどにやってのけた。
やはり拓馬は自分たちとは違うと、畏敬と恐れを抱いた。

「あ、あなたたち……!」

蘭は、黒い瞳を怒りに染めて少年たちに近寄っていった。
空手家である蘭は、無闇にその腕を振るうことは出来ない。
まして相手は大人びているとはいえ小学生だ。
彼らを空手の餌食にするというのは考えられない。
しかし、平手で一発くらい打ってやらないと堪えないだろう。
そう思った蘭だったが、その脚はすぐに止まった。

「それ以上近づくな。近づけば……」

拓馬は針を抜くと、それを圭太の顔の前に持っていき、さらに凄んだ。

「さあさあ、どうするよ姉ちゃん。このままこの野郎が穴だらけ、血まみれになるの
をそこで見ているかい?」
「……」
「それとも、まだ脅しだと思うかい? なら、そこで見ていなよ。今度はほっぺたに
刺して貫通させてやるからよ」
「ま、待って、待ちなさい!」

どこまで本気かわからないが、それだけに怖かった。
目にでも刺されたら取り返しが付かない。

「……待ってもいいが、どうするんだい?」
「……」
「脱ぐってことかな」
「……」
「……そうか、違うのか。じゃあ……」

拓馬がコンパスを頭上に振り上げるのを見て、また蘭が絶叫する。

「わ、わかったからっ! わかったからやめて!」
「へえ、何がわかったんだい?」
「ぬ……脱ぐ、から……」
「……」
「脱ぐから約束して」
「約束?」
「あ、あたしが裸になったら……、圭太くんを自由にして。手錠を外して」
「いいよ」

ヤクザの息子はにやりと笑った。
コンパスを持ったまま、腕を膝に立て、手のひらで顎を支えている。

「おら、早くしろって」
「う、うるさいわねっ」

何でこんなことになったのだろう。
よりによって小学生に命令され、その前でストリップじみたことをしなければなら
ないとは。
悔しさと恥辱を感じつつも、脱がざるを得ない。
何を考えているのかわからない相手だけに、予想外の行動を取るかも知れない。
すっかり脅えている圭太のためにも、もうこれ以上の暴力行為をやめさせねばなら
ない。

蘭は鞄を置くと、制服の前ボタンに手を掛ける。
帝丹高校の制服は男女ともにブレザーである。
その濃い青──淡い紺の上着を脱ぎ去った。
下には同色のチョッキがあるのだが、今日は着ていない。
首に手をやり、しゅるしゅると音を立ててグリーンのネクタイの結び目を解いていく。
真っ白いブラウスに手をやったが、さすがにそこで手が止まった。
すかさずギャラリーの声が飛ぶ。

「早く脱げ! 早く脱げ! 早く脱げ!」
「し、静かにして!」

蘭がそう言ったのは当然だったが、意外にも拓馬も言った。

「おまえらうるせえ。黙って見てろ。どうせこの姉ちゃんは脱ぐしかねえんだ。
焦ることはないさ。遅れれば、それだけ帰れるのが遅くなるだけのことだ」

手下たちはぴたりと黙った。
同時に、蘭も口をつぐんだ。
この少年は本当に小学生なんだろうか。
この落ち着き、あくどさは何だ。
しかし、ここは従うしかない。

ワイシャツの薄い生地を胸の隆起が盛り上げている。
カフスボタンを外し、前のボタンを外した。
するりと白いブラウスの袖を抜き取ると、しなやかで白い腕が露わとなった。
この華奢そうな腕でよく空手などやっているものだと感心するほどのたおやかな手だ。
産毛もあるのだろうが、ほとんど見えない。

スカートの裾からブラウスを抜き取ると、上半身を覆うのはブラジャーだけとなる。
ブラは1/2カップで、ふくよかな胸の谷間がよく見える。
今までは3/4をしていたのだが、だんだんと窮屈になってきたのと、園子が「色気
がない」と言って1/2を勧めたのである。
パッドなどという無粋なものはもちろんない。
ブラに付属はしていたが、蘭には必要なかった。
それでも綺麗に谷間を作っていた。
色はアイボリーで総レース仕上げとなっており、フリルもギャザーも入っていて、
年齢相応の可愛らしさを演出している。
胸の中心部にはワンポイントでリボンがついていた。

「……」

さすがにブラまでは取れない。
といって、スカートを下ろすのも恥ずかしかった。
小学生とはいえ男子である。
そもそもコナンの前だって着替えられないだろう。
しかも拓馬たちは、あからさまに女体への関心を隠そうともしない。
そんな目で見られるのは恥辱であり、屈辱だった。
蘭が躊躇していると、拓馬は持っているコンパスをまたすうっと圭太の顔に近づけ
ていく。
蘭は目をつむってプリーツの入ったスカートを下ろした。

「おお……」と声にならぬ声が飛んだ。
大輝と健である。

「すげえ……、綺麗だ。グラビアやビデオなんかと全然違うや」
「本当だ……。このお姉ちゃん、本当にスタイルいいや……。脚なんか最高だよ」
「今までやった女って、みんな暗がりでだったからこういうの全然わかんなかった
よな」
「そういやそうだ。ねえ拓馬さん、今度やる時は明るいところでやりましょうよ」
「……そうだな」

蘭には何の会話だかさっぱりわからなかったが、彼らは集団で女性を襲っていたの
である。
最初は痴漢に毛の生えた程度のことしかしていなかったが(もちろん、それでも
立派な犯罪である)、徐々にエスカレートしていった。
拓馬の家にあった大人向けの週刊誌や漫画、そしてアダルトビデオは、彼らに過激
かつ誤ったな性教育を施していったのだ。
性に興味を持ち始めた頃に、そんな強烈な刺激を受けては暴走するに決まっている。
挙げ句、拓馬の父親の組で作った違法ビデオが決定打となった。
市販ものと違って、もろに男女の性器が見え、しかも性交の瞬間まで露わに写され
ている。
抵抗する女を無理に犯すフィルム。
女に覚醒剤を打ってめろめろにした挙げ句、失神するまで凌辱した映像。
調教のプロが素人女を仕込み、性の泥沼に沈め込む凄惨なビデオ。
そのどれもが少年たちを異様に昂ぶらせた。
拓馬の指揮のもと、彼らはあっというまに性犯罪に手を染めるようになっていった。

もともと拓馬は、親が女をあてがったこともあり、早々に性体験を済ませ、なおも
経験を重ねている。
その拓馬が先頭となって、めぼしい女に目をつけ、襲っていたのだ。
20代の知的なOLもいれば、初々しい10代の学生も多かった。
成熟した美しい人妻もいた。
そんな彼らですらハッとするような美少女が蘭だったのだ。
偶然に蘭と出合った少年たちは一目でぞっこんとなり、何とかものにしようと策を
練っていたのである。

美人というだけなら、もっと美人はいるだろう。
黒くしなやかで腰のない長い髪は独特の形状だったし、髪が黒いだけに白い肌が際
立っていた。
びっくりしたような大きな目は黒目がちで美しかった。
顔つきも勝ち気そうでいて愛らしく、親しみの持てる美貌だった。
冷たい印象の美人ではなく、気さくそうでどこにでもいそうな、それでいて滅多に
ないほどの美人だったのである。

「どうしたい、蘭姉ちゃん。それでおしまい?」
「……」

蘭は頬を薄紅に染めたまま、子供達から目を外していた。脱いでいる時にちらっと
目に入ったのだが、少年たちは異様に興奮していた。
大輝や健たちはともかく、脅されているはずの圭太ですら、蘭の肢体に目を奪われ
ていたのだ。
小学生が自分をそんな目で見ているということに耐えられなかった。
それでもそのままでいるわけにもいかない。
ぐずぐずしていれば解放されるのが遅くなるだけだ、というのは拓馬の言う通り
なのだ。

意を決してブラジャーを脱いだ。
二の腕に鳥肌が立っているのは、寒いというより少年たちの目線を意識し、羞恥を
感じているからだろう。
恥辱を感じつつも、脱ぐ仕草が淑やかなのは、蘭の特性だったかも知れない。
カップの手前を片手で隠すようにしてストラップを外す。
たらりと垂れた肩紐を見ながら、なだらかな肩からゆっくりとブラジャーを抜き取
った。

蘭が肩や腕を動かすたびに、黒く長い髪がさらさらと流れていく。
肌が白いだけに、そのコントラストが絶妙だった。
両腕をクロスさせて胸乳を隠すポーズを取ったが、もう少年たちは何も言わず、
はやし立てもせず、屈辱のストリップを見守っていた。
蘭は胸を隠すようにしてくるりと後ろを向き、胸から手を外した。
そしてそのままショーツの裾に両手の指を入れる。
目を堅く閉じたまま、するっと下着を足下まで引き下ろした。
足下にわだかまる頼りない下着を見つめていた少女に、拓馬の声が掛かる。



「……よし、じゃあこっち向いて」
「……」
「まさか、今さら「いや」とは言わないだろうね。おっと、手で身体を隠さない
でよ」

逆らう術もなく、美少女は小学生の言に従った。
少年たちは声もなかった。
素晴らしい身体だったのだ。

すらりとした印象なのに、胸や腰、脚には相応の肉が乗っている。
真っ先に目が行ったのが胸だった。
輝くばかりに美しく、張りのある乳房だった。
丸みのある形状といい、肉の盛り上がりといい、淡い色の乳首といい、見事としか
言いようのない乳房だ。
少し前までは、まだ青さの残った発展途上の肉塊だったが、男たちの愛撫によって
開発され、グングンと熟れてきている。
少女からおとなの乳房へと、ちょうど切り替わったあたりだ。
全体としては清楚なイメージなのに、乳首だけは生意気そうにツンと上を向いて
いるのが淫らにも見える。

圭太たちが息を飲んでいるのはわかるとしても、拓馬までが蘭の肢体に釘付けになっ
ていた。
他の連中と違って、女性遍歴もそこそこにある彼だが、ここまでの身体は見たこと
がない。
健たちが胸ばかり見ているのに対し、拓馬は腰と脚を見つめていた。
処女を匂わせるような初々しい裸体だが、よく張った臀部だけは淫らなほどにふく
よかだった。
太腿やふくらはぎが発達しているのは、スポーツをやっているせいだろう。
それでも太すぎるイメージはまったくなく、必要以上に筋肉が目立つ感じもない。

素肌の美しさも特筆に値する。
裸身は白く艶やかに輝き、陶器か何かのようにすべすべつやつやしているのが、触ら
ずともわかった。
足には濃紺のハイソックスを履いたままで、オールヌードではないところが、また
色気を醸し出している。
胸は隠していなかったが、さすがに股間だけは両手で覆っていた。

「き、綺麗だな……」
「ああマジで。なんかこう……ぞくぞくするっていうか……」
「すげえいい女だ……」

口々に身体の美しさを褒める台詞に耐えきれず、蘭は叫んだ。

「み、見ないで!」
「見るなって言う方が無理だよ、蘭姉ちゃん。一年坊主でも勃起しそうな、すげえ
身体だもんな。よ、黛っ、おまえもそう思うだろ?」
「……」

脅されていたはずの圭太ですら、言葉もなく蘭の裸体を見つめていた。
いつも夢想はしていたが、美少女の裸身は少年の想像を遥かに超えるものだった。

(何て綺麗なんだろう……。お姉ちゃん、まるで女神みたいだ……)

息を飲んで蘭の美しさに忘我となっていた少年たちだったが、拓馬がまず我に返った。
そして、ポケットをまさぐって携帯電話を取り出すと、蘭の裸身を撮影し始めた。
フラッシュと擬似シャッター音に驚いた蘭は、慌てて左手を股間にあてがい、右腕で
胸を隠した。

「やっ、やめて! 写真はダメよ!」
「身体を隠すなって。黛が無事じゃ済まないよ」
「で、でも……か、身体を見せたら自由にするって言ったでしょ!? 写真なんか
……」
「気が変わったんだよ。お姉ちゃんの綺麗な身体を見たら、誰だって写真撮りたく
なるさ」

そう言っている間にも、健と大輝も携帯を取り出して、蘭の惨めな姿を写しだした。
思わずしゃがみ込み、身体を出来るだけ隠そうとしている蘭だったが、顔までは隠せ
なかったから、被写体が蘭であることは明白だろう。
そして彼女が全裸であることも、はっきりとわかるはずだ。
羞恥心で身体が、そして股間が熱くなってくる。
自分の身体に集まる視線を振り払うように、強気の少女は言った。

「やっ、約束よ! 早く圭太くんを離しなさいっ……!」

黙っていた拓馬はゆっくり頷いた。

「そうだったね。おい菊池! 黛の手錠を外してやれ」
「はい」
「ちょ、ちょっと……! そのコンパスもやめて」

コンパスの針は、相変わらず圭太の目や鼻の付近に切っ先を向けている。

「だーめ。隙を見せたら、姉ちゃん、俺たちをぶっ飛ばしちゃうでしょ? なんせ
空手の選手なんだし」
「……」
「菊池、手錠外したら、それを蘭姉ちゃんに掛けてやれ」
「……!!」

予想外の言葉に、少女は戸惑った。

「ま、待ってよ、約束が……」
「違わないでしょ? 圭太は自由にすると言ったけど、蘭姉ちゃんに手錠しない、
とは言ってないし」
「さすがっすね、勝村さん」

手錠をじゃらじゃらさせながら、菊池が近づいてくる。
蘭は反射的にしゃがみ込み、身体を隠した。

「い、いやよ! もうこれでおしまいにして!」
「おとなしくしなって。じゃねえと、黛は……」

また針が目に近づいていく。

「やめて!!」
「やめるよ。やめるから言うこと聞いてよ、蘭姉ちゃん。写真もOKだよね?」
「……」



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