「あ……はあ……はあ……はあ……」

今日何度目になるか数もわからないくらいの絶頂を味わわされ、蘭は気だるい脱力感に蝕まれ
ていた。
ミシェルの方も、額に汗を浮かべてベッドに腰掛けている。
三度目の射精とあって、さすがに疲れているようだ。
もう50歳を超えているから、さすがに牧田やトッドのようには行かない。
それでも、この美少女を見ていると、すぐにでもまた抱きたいという欲求に駆られる。

「……まったく大した娘だよ、きみは。老齢に入ろうとしている私をして、こうもその気に
させるとはね」

ミシェルはそう言いながら、蘭の背中や臀部を名残惜しそうに撫で回していた。
だが彼の感慨は、無遠慮なノックの音にかき消された。

「……誰だ、無粋なやつめ」

彼は不機嫌そうに舌打ちした。
蘭を嬲っている間は、決して部屋を訪ねるなと言ってあるのだ。
何かあった場合はインターフォンか電話にしろと命令していたのにこれだ。
なおも続くノックの音に、鼻を鳴らして立ち上がる。

「なんだ! いい加減にしろ、この時間は誰も来るなと……」
「ボス! あ、いえ支配人、まずいです!」

ミシェルは眉間に皺を寄せてドアを開けた。

「静かにせんか。何が……」
「け、警察です! サツの手入れが……」
「警察?」

いったいどこからバレたのだ?
美和子誘拐の件だろうか。
東京警視庁から要請を受けて、さすがに市警も動き出したということか。
いずれにしても、そんなものは追い返せば良い。
証拠は何もないのだ。
あの時、美和子に精液を採取されていたのは失態だったが、その後、市警からは血液型が不一
致だったという報告と謝罪があった。
何も問題はない。

「弁護士はどうした? フレッドを呼べばいいだろう」
「そ、それが、もう連中はここまで……」

秘書の声にかぶるように、他の店員や組織員たちの声が響く。

「やめてください! それ以上入らないでください!」
「待て! おまえら本当に警察なら身分証明書を見せろ!」
「令状はどうした!」

「お黙りなさい!」

数々の罵詈雑言を一息で振り払うような、凛とした声が響く。

「この中にマルタン……、いえパレットのミシェルがいるはずよ。お退きなさい」

コツコツと床を叩く靴音が近づき、ドアをノックされる。

「ここを開けなさい」
「……」

かなり強圧的である。
万が一にでも、こうならないために市議会や地元警察にカネをばら撒いてきたのだ。
仮に末端捜査員が暴走するようなことがあっても、局長レベルでストップがかかるはずなの
である。
ミシェルが電話に取り付こうとすると爆発音が轟いた。

「!?」

爆発ではなく銃声だった。
外の警官はドアロックに向けて発砲したようだ。
アジトと違って装飾的なドアは、一発の銃弾によってノブごとロックが吹き飛ばされた。
ショットガンで10番ゲージのスラッグ弾でも撃ち込んだらしい。
さすがにミシェルも落ち着いてはいられなくなった。

「誰だ! 無礼にも程があろう!」
「……デビット・マルタンこと、犯罪組織パレットのミシェルね?」
「……」

ミシェルの前に立ったのは、見目麗しい妙齢のアメリカ人女性だった。
青い瞳、長いブロンドをアップしてまとめている。
チタンフレームの眼鏡が怜悧そうに見える。
きりっとした美貌は、どこか佐藤美和子に通じるものがあった。
名のあるブランド物だと思わせる品の良いスーツとタイトスカートも、彼女が身につけると
行動的にすら見える。

その一方、スーツでは隠し切れないスタイルの良さを身体の各パーツが主張していた。
ブラウスを押し上げるバスト、スカートを弾き飛ばしそうなヒップ、裾から覗く形の良い白い
腿やふくらはぎ。
見事にくびれたウェストに足首。
成熟した女のフェロモンが、彼女の肢体のそこかしこから流出していた。
こんな時でなければ、ミシェルもすぐに調教対象として捕獲指示を出したかも知れない。

倦怠感で朦朧としていた蘭は、ただぼんやりと事の成り行きを見守っていたが、その女を見て
ハッとした。
見覚えがあったのだ。

「あ……、せ、先生? ジョ……」

女は、蘭を見てウィンクすると「しっ」と人差し指を薄い唇に当てた。
そして蘭に見せた微笑みとは対照的に、ミシェルへは威圧的な眼差しを向ける。
ミシェルがなおも問い質そうとする前に、懐から革ケースを取り出して中を拡げ、バッジを
提示して見せた。

「FBIのジョディ・スターリング捜査官よ」

ジョディがそう告げると、彼女の後ろから、ショットガンやサブマシンガンで武装した数人の
男たちが彼女を守るように取り囲んだ。
ダークブルーのキャップと制服を着たFBI担当官たちだ。

「……FBIだと?」
「あなた、パレットのミシェルで間違いないわね? 黒の組織との関わりもあるらしいじゃない」
「……」

二の句が継げない男に、捜査官はなおも言い募る。

「殺人および殺人教唆、暴行傷害、麻薬取締法違反、薬物取扱法違反、医師法違反、銃器不法
所持、贈賄、脱税の容疑がかかっています。日本警察からも身柄引き渡し請求が来てるわよ。
おまけに……」

ジョディはちらりと蘭の方を見る。
少女は我に返ったらしく、シーツを身にまとって彼女を見ていた。

「この状況から察するに、誘拐、拉致監禁に加えて、未成年者への婦女暴行の現行犯のようね」

ジョディがそこまで告げると、その後ろから転がるように部屋へ飛び込んできた影があった。
ひとりは蘭と同じような少女、もうひとりは少年である。
ふたりは捜査官たちをかき分けるようにして蘭に駆け寄った。

「蘭ねえちゃん!」
「蘭!」

コナンと園子だった。
ふたりを目にした途端、少女の緊張が解けた。
じんわりと溢れてきた涙が、美しい瞳からポロポロと零れ落ちる。
園子より一瞬早く、コナンが蘭の胸に飛び込んだ来た。
コナンとしては抱きしめたいところだったろうが、少年の姿ではそれも出来ない。

「コナンくん……」

コナンを優しく抱きとめた蘭の肩を、親友の少女がまた抱く。

「蘭……ホントにあんたって子は……心配ばっかかけて……」
「ごめん、園子……コナンくんも」

半泣きの園子やコナンを見ているうちに、蘭は徐々に人間らしい気持ちを取り戻してきた。
性に溺れ、淫らな行為に浸りきっていたさっきまでの自分がウソに思えてくる。

視線をふとミシェルにやる。
かの男は、FBI捜査官を前に周章狼狽している。
憎らしいほどの自信と威厳は消え去り、後には惨めな初老の男だけが残っていた。

この男が。
この男が自分を貶めたのだ。
それだけならまだいい。
蘭だけでなく、園子やコナンまでその毒牙にかけようとしていたのだ。
発狂寸前まで責め抜かれ、男の言う通りにコナンたちを呼び出そうと、何度思ったか知れない。
その時に屈服していたら、コナンたちも地獄を見るところだったのだ。
園子やコナンたちに対する愛情や優しさの気持ちと裏腹に、この醜悪な外国人に対するやり場の
ない怒りが込み上げて来た。

蘭は、自分がベッドから降りた時の記憶を持っていない。
気づいた時はミシェルの前に立っていたのだ。

「蘭!」
「蘭ねえちゃん、何を……」

身体を隠していたシーツ滑り落ち、生まれたままの姿で立ち尽くす蘭を、ふたりは呆然と見守
っていた。
ジョディだけは、何事か心得たかのように薄笑いを浮かべ、すっと身を引き、後ろにいた捜査
官たちを手で制した。

「ら、蘭……」

ミシェルは滑稽なほどに動揺していた。
目の前の美少女の瞳に怒りの炎が燃え上がっているのを見て、思わず後じさる。
蘭はさらに一歩ミシェルに近づいた。

「こんの…………」

ぐっと右腕を大きく引き、半身になる。
ミシェルが「あっ」と思ったときには、目にも留まらぬスピードで少女の拳が顔面に迫っていた。

「バカーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」

空手少女の鉄拳をまともに喰らい、威厳をなくした組織幹部は吹っ飛んで、壁に叩きつけられた。
そこにつかつかとジョディが歩み寄って告げる。

「あなたには黙秘権があります。あなたの証言はすべて法廷での証拠と成り得ますから、自分に
不利なことは証言する必要は……って、聞いてないか」

ジョディは、蘭を振り返って微笑んだ。

───────────────

「ご苦労だったな、美和子」

部屋に戻ると、トッドは肩に担いでいた女刑事に話しかけた。
美和子の方は、凄惨な輪姦を受けたばかりで、ロクに口も利けない。
ただただ、荒い呼吸を繰り返すばかりだった。
集団レイプされたその疲労だけでも相当なものだが、犯されて官能を刺激されるごとに気を
やり、射精を受けるごとに絶頂まで押し上げられていたのだから身が保たないのも当然だ。

男の愛撫にムリヤリ反応させられ、男の望むままに絶頂に達せられ、その表情を見られて淫ら
に笑われる。
屈辱と羞恥と汚辱にまみれ、しまいにはそのことにすら被虐的倒錯的な快感を得てしまう。
美和子は、このまま男どもの獣欲と己の色欲から来る官能地獄から抜け出せないとすら思い
始めていた。
暴力的とも言えるトッドのたくましさと、なりに似合わぬテクニックを駆使したプレイに
溺れるのはともかく、けだもののように闇雲に薄汚い欲望を叩きつけてくるだけの老人たちの
セックスにも抗えない自分が情けなかった。

口に出されれば「飲め」と言われたわけではないのに飲み干してしまう。
アヌスや媚肉を怒張で貫かれれば、「中に出して欲しい」と思ってしまう。
気丈な女刑事の心の虚に、失意と絶望が入り込んでいた。

トッドが軽く肩を揺すると、美和子はポンとベッドに投げ出された。
それでも動けない。
身体を、手足を動かすのすら億劫なくらいに、気力も体力も搾り取られていた。
糸の切れたマリオネットのように、だらしなく裸体を晒していた美和子を眺めながら偉丈夫な
黒人が言った。

「それにしても、あのジジイどもの精力と来たらあきれ返るな。いい歳しやがって、美和子の
身体に貪りつくザマは、ティーンのガキどもと大差ねえぜ」

実際、老人たちは異常なほどに美和子の身体に執着した。
当初2時間と指定されていた美和子のレイプを「追加料金はいくらでも払う」として、延長を
繰り返したのだ。
さすがに美和子の身体が保たないとして、トッドが止めに入ったのが5時間後だったのである。
その間に、いったい何度彼女の肉体に射精したのだろうか。
もう美和子の身体は、膣内は言うに及ばず、直腸内も咥内も精液で溢れ返りそうだった。
そして身体の外も、胸や腹、尻や顔に何度となく射精を受けたのだ。
美和子の身体は、中も外も男の精液でドロドロのぬるぬるだった。
トッドは、汗と体液でぬめった女体に手を伸ばし、乳房を揉みながら言った。

「頑張った褒美だ。これからオレさまが失神するまで犯ってやろう」
「ああ……」

いやだ、という言葉も出なかった。
もうどうでもいいという捨て鉢な気持ちとともに、老人たちにはないトッドの巨大で硬質な
逸物で仕上げてもらいたい、という欲情も湧いていた。
自分の身体が自分のものではないみたいに思えた。
精神力を遥かに凌駕する、空恐ろしいほどの快楽。
それに抗うことは、もはや美和子には不可能に思われた。
これからどうなってしまうのか。
この病棟の老人たちの慰み者とされ、最後には彼らかトッドの子を孕むまで犯されるのだ。
いや、それでは終わるまい。
トッドは、孕んだらすぐに堕胎して、またすぐに犯すようなことを言っていた。
自分の最後が、そんな情けないものだとは思わなかった。

(高木くん……)

彼女が、頼りなさそうな若い後輩の顔を思い浮かべた時、ドアロックが鳴った。

「ん?」

黒人も気づいたらしく向かって行こうとすると、大きな音をさせて内側へドアが開いた。

「な、なんだ!?」

驚くトッドと美和子の前には、制服姿の警官が大勢いた。
その人垣を分けるようにして室内に入ってきた男がいた。

「け、警部……。パーシー警部?」

唖然とした美和子のつぶやきを聞くと、パーシーはにんまりと笑った。
慌てたのはトッドである。

「な、なんだてめえら! ここをどこだと……」
「ジョージ・ギャレット病院だよ」
「てめえ! それを知ってて……、こ、ここの理事長はな……」
「そいつも知ってらあ。マルタンことパレットのミシェルだろうが」
「……」

美和子が驚いて尋ねた。

「警部、それじゃあ……」
「ああ美和子、あんたの言った通りだったよ。ハンカチに染み込んでた体液は間違いなくマル
タンのものだった。血液型じゃわからなかったんだがな、DNA検査の結果、同一人物と出た
よ」
「そうだったんですか……」
「マルタンの店には、今頃FBIどもが大挙して検挙に向かってるはずだ」
「……」

ミシェルの店にも手入れがあった。
蘭も救出されるだろう。
ホッとして力が抜けるかと思いきや、逆に美和子は全身に力がこもるのがわかった。
それまで自分に加えられた悪逆な行為。
それは蘭もされていたはずだ。
それを思うと、ムラムラと怒りが込み上げてくる。

一方、カラクリのわからないトッドには何のことか不明だったが、とにかくボスが失脚した
らしいことだけはわかった。
ここでしおらしくお縄を頂戴してはトッドらしくない。
彼もそう思ったのか、もはやこれまでと思ったか、それとも単なるヤケクソだったのか、
トッドは振り返ると美和子に飛び掛った。
咄嗟の機転を利かせたつもりで、美和子を人質にとって機知を脱しようとしたのである。
だが、それは一分遅かった。
彼は、犯され抜いて打ちひしがれた女に向かっていったのではなく、すっかり立ち直った女性
刑事に向かっていったのである。

うおお、と唸ってキングコングさながらの獰猛さで殴りかかったトッドは、いつの間にかその
右手を美和子に掴まれていた。
黒いストレートパンチのパワーを後ろへ逃がすようにして両手で受け止めていたのだ。
美和子はトッドの右手を取ると、手首を軽く内側に捻った。

「ぐっ……」

呻いたトッドは逆に回転させて逃れようとするが、そんなことが出来るはずもない。
余計に増した痛みに喚くと、腕をとられてそのまま床にぶん投げられた。

「……」

トッドの逮捕と美和子の救出に来たはずの警部は呆気に取られていた。
彼の目には、まるでトッドの方が勝手に転がって言ったように見えた。
無様に転倒した黒人は、ひとつ頭を軽く振ると再び獰猛そうな唸り声を上げて、日本美女に
突進していく。
さすがにまずいと思ったのか、パーシーが銃を取り出し、トッドを制止しようとした時だった。

「たーーーーっ!」

気合一閃、美和子はトッドの右腕を掴むとグイと引っ張り、その巨体を腰に乗せた。
重い筋肉の塊がウソのように宙に浮くと、女刑事は黒人の腕を抱え込むようにして、そのまま
ぶん投げた。
トッドは頭を下にした逆「大の字」の格好で吹っ飛んでいき、そのまま背中は壁に、頭は床に
激突して声もなく失神した。

「……」

警部には、まさに空気投げというやつに見えた。
何しろ一瞬のことでよくわからなかったのだが、美和子はトッドの腕と肘を軽く掴んだだけに
見えたのだ。
次の瞬間には、巨漢の黒人は悲鳴を上げるヒマもなく、部屋の隅へと投げつけられていた。
パーシーが我に返ると、日本の女捜査員が微笑んでいた。

「警部、ありがとうございます」
「れ……礼を言われるようなことはしてねえ。それより……」
「いえ、警部が来てくださらなかったら、私は……」
「んなこたあ、いいんだよ。だからそれより何か羽織ってくれねえか?」

正面からこっちを見ようとしないのを不審に思っていた美和子だったが、そう言われてやっと
気づいた。
パーシーの目の前でトッドを投げ飛ばした時も、そして今も、彼女は全裸なのであった。

「すっ……すみません! あ、あの……」

美和子は、彼女らしからぬ素振りで、大慌てで黒人の脱ぎ捨てた黒いTシャツを拾い、身体を
隠した。
サイズが大きいので、前に当てただけで胸から太股まで覆うことが出来た。
それを合図にしたかのように、パーシーの後ろから警官たちがなだれ込んできて、ぐったりして
いる黒人に群がる。
その間、シカゴの警部と東京の警部補は、顔を見合わせて気まずそうに笑っていた。

───────────────

オヘア国際空港。
ターミナル1ビルのコンコースBから、美和子ら一行を見送ったパーシーとディックが出てきた。
若い刑事は自分で肩を叩きながら言った。

「やれやれ、これで少しは肩の荷が降りた感じですね」
「あん? 何がだ」
「ミシェルを捕まえたんですから、パレットだって大痛手でしょう」
「まあな。だが、壊滅ってところまではいかんだろうよ」
「そうですか? 僕、エージェンシー(FBIのこと)に友達がいるんですけど、「ミシェルは
第二のバラキになる」って言ってましたよ」
「バラキね……」

ジョセフ・バラキとはマフィアの構成員で、当局に逮捕された際、FBIとの司法取引に応じた。
当初から裏切るつもりだったのではなく、バラキが裏切ったとマフィアが誤解したためとされて
いる。
一緒に逮捕された仲間が、マフィアが獄中に送り込んだヒットマンに暗殺されたことにより、
彼は自分たちが裏切ったと誤解され、口封じされると思ったのだ。
そこで彼はFBIとの交渉に応じ、マフィアの内部情報の暴露を条件に、減刑と生命の保証を
要求したのである。

「確かにバラキかも知れねえな。半ば伝説化しちまってるが、実のところバラキはマフィアでも
下っ端の方だったって話だしな」
「そうなんですか」
「幹部は幹部だがな。まあそれでもマフィアのちゃんとした構成員が捕まったのは初めてだった
らしいから、ギャングどもの衝撃は大きかったようだな」
「へえ」
「まあミシェルも幹部ではあったらしいが、さて、どこまで影響力があったのかわからんしな。
バラキだって、結局独房に入りっぱなしで死んだんだ」
「暗殺ですか」

ディックが表情を固くした。

「どうかな。死因は心不全てことになってるが、いい加減な話よ。癌で死のうが射殺されようが、
最後は結局「心不全」ってことになるんだからな。心不全なんて言い方じゃ、どんな死に方した
のかわからねえんだよ」
「ああ……」
「おめえの言う通り、暗殺かも知れねえ。ただ、バラキと一緒に捕まった野郎が先に殺されてる。
それを見てバラキも脅えたわけだが、当然、こっちだって警備を厳重にするはずだからな。そう
簡単に殺せはしねえ。それに、実は自殺だったって話もある。その辺はわからんよ。神のみぞ
知るってところだな」
「じゃあ、もしかしてミシェルも消される……」

過去に於いて、パレットが白日の下に晒されることがなかった大きな要因は、当局に確保された
関係者を、あらゆる手段を使って葬ってきたからである。
幹部になるということは、組織からの保護とステータス、そして目も眩むほどの報酬が与えられ
ることとなるが、逆に言えば組織に拘束される、ということだ。
家族は監視化に置かれ、人質化している。
そのため逮捕されても口を割らぬことがほとんどだし、危ないと見れば即座に殺害してしまう。
家族を持たぬミシェルであれば、パレットとしては、まず殺害を狙ってくるだろう。

「いいや。今度ばかりはフェド(FBIのこと)のやつらも本腰らしいぜ。何しろ、今までと
違って一応は幹部だからな」
「どうする気なんですかね」
「やつら、どこでミシェルを取り調べると思う?」
「さあ……。ペンタゴンででもやりますかね」

ディックは冗談のつもりで言ったのだが、答えたパーシーの言葉は想像を超えていた。

「半分はアタリだな。なんと原潜でやるんだそうだ」
「原潜って……原子力潜水艦!?」

すかさずパーシーは「声がでかい」と言って、若い部下の頭を小突いた。

「す、すみません……。でも、まさかそんな……」
「珍しいことに、仲の悪いフェドとカンパニー(CIAのこと)が、この件では手を握った
らしいな。カンパニーが働きかけて、海軍が全面協力を申し出てきたそうだ。まあ、今の
CIA長官が、もと海軍長官だったってこともあるだろうがな」
「そりゃすごいや。さすがに深海の潜水艦の中じゃあ、パレットと言えども手は出せませんよね」
「まあな。原潜なら、その気になれば半年でも一年でも海に潜りっぱなしだし、そもそもどの
海域に潜ってるのかもわからねえ。領海外って可能性もある。もっとも、余剰の原潜があるとも
思えねえから、あまり長期間てわけにもいかんだろうがな」

驚いて「ほうっ」と太い息を吐いてから、ディックは小声で聞いた。

「でも警部、原潜に乗艦するまで油断は……」
「その通りだ。だから今、どこにやつがいるのかは完全に伏せられてる」
「じゃあ警部もご存じないんですか」
「当たり前だ。オレたち下っ端捜査員なんぞに漏れる情報じゃねえよ。今は連邦保安官が
ついてるんだとよ。かのジョン・クルーガーだそうだ」
「ああ、例の証人保護官……。証人保護プログラムだから当然かあ」
「そういうことだ。ま、こっから先はもうオレたちゃ関係ねえよ」
「そうですね。何にしてもよかった」

そう言うと、ディックは「うん」と背伸びした。
そして表情を僅かに崩す。

「それにしても、みんな美人でしたねえ」
「何がだ」
「何がって、彼女たちですよ。園子ちゃんに蘭ちゃん、可愛かったよなあ。それに佐藤警部
補もきりっとした美女だったじゃないですか」
「……」
「日本の女の子ってああいう感じなんですかねえ。前は、つき合うならアメリカ人じゃなきゃ
イヤだと思ってたけど、認識変わったなあ」
「バカ野郎」

パーシーは顔を顰めて毒づいた。

「美和子……佐藤警部補の手際の良さったら、なかったぞ。銀行強盗とっつかまえた時なんか
ニンジャか何かだと思ったくらいだ。おまけに、一端やつらにとっつかまったのに、トイレ
の窓から脱出してきやがった。マジでニンジャだぜ」
「ええ、聞いてますよ。素手で武装強盗犯をふたりも確保したんですってねえ。おまけに、
あのマッチョ野郎の黒人をぶちのめしたそうですし」
「ああ。それにあの毛利蘭って娘は、ああ見えてカラテの達人だそうだ。トーキョーの競技会
でのチャンピオンだそうだし、FBI捜査官の前でミシェルにカラテ・チョップを喰らわせた
らしいぞ」
「ふええ、あんな可愛らしい顔して……」

ディックが肩をすくめたのを面白そうに見ながら、パーシーは続けた。

「それに、鈴木……園子か? あの小娘の親父は、かのスズキ財閥のチェアマンだそうじゃ
ねえか。たかが市警のヒラ刑事じゃ釣り合いが取れねえだろうがよ」
「そうかあ……。そうですね、僕じゃ無理ですよねえ」
「そうだ。身の程を知れよ、ディック。おめえには荷が重すぎらあ」

パーシーは、がっかりしたような部下にそう告げると、おもむろに空港を振り返った。
甲高い飛行音立てながら、旅客機が大空に舞い上がっていく。
それを肩越しに眺めながら、小さな声でつぶやいた。

「あばよ、ニッポンのクノイチ・デカ……」
「何ですって?」

耳ざとくそれを聞き止めた若い刑事の声に、パーシーは少し照れたように顔を戻した。
そしてわざと無愛想な表情を作って部下を促した。

「行くぞ、ディック」
「はい、警部」

───────────────

「佐藤さん、お疲れさまでした」

そう言って高木渉刑事は先輩の女性刑事を労った。
後輩が差し出す紙コップのコーヒーを受け取りながら、佐藤美和子刑事は微笑んだ。

「ありがと」

美和子は、オヘア国際空港から成田への直行便で帰国した後、自宅へ帰らずに警視庁へ直行
したのである。
松本捜査一課長のところへ出頭し報告を済ませた後、刑事部屋に戻ってきたのだ。
まだ夜半だが、人気はない。
聞いたところだと、美和子不在の間に二件ほど事件が発生したのだそうで、それにかかりっ
きりなのだろう。
うち一件は解決したそうで、高木もそっちを担当していたのだそうだ。
高木は立ったまま美和子に言った。

「聞いてますよ、あっちでも大活躍だったそうじゃないですか」
「……」

ミシェルが、美和子協力のもと逮捕されたことは本庁内にも知れ渡っている。
だが美和子自身には、高木が言うように「大活躍した」という感覚はない。
むしろ、またしても仇敵に囚われ、凄惨な凌辱を受けた印象ばかりが残っている。
ただ、このことは本庁に報告されているかどうかはわからない。
松本警視や目暮警部あたりは、知っていて黙っているだけかも知れない。
美和子は上司たちの気遣いに感謝した。

高木らが聞いているのは、蘭を救出したことと(これとて美和子がやったことではないのだが)
ミシェルが捕まったことくらいだろう。
もしかすると、その前の武装銀行強盗犯逮捕の際の情報も伝わっていて、そのことを高木は
言っているのかも知れなかった。

「そんなこともないけど。でも、ホント疲れちゃったわ。慣れない土地だったしね」
「でしょうねえ」
「うん。特に食事ね、これがまいったわ。私、別に洋食嫌いなわけじゃなかったけど、こう
毎日続くとね。朝食なんか、どこで食べても同じメニューばっかよ。ベーコンかハムエッグ、
サラダにスープ、コーヒーってね。さすがにもううんざり」

高木は苦笑して「わかる、わかる」と調子を合わせた。

「やっぱ朝は納豆とか鮭や鰺が良いですよねえ。卵にしても、卵かけご飯とか」

美和子も「そうそう」と嬉しそうに頷いた。

「あーー、もうご飯食べたい、おみそ汁飲みたいって叫びたかったわよ。だから、これ飲んだら
そのこと思い出しちゃって」
「ああ、そうか、すいません。お茶の方が良かったですかね」
「ホント。あとはお風呂よね」
「そうか、あっちはシャワーが普通か」
「そうなのよ。湯船はあるんだけど基本的にユニットバスじゃない? 身体を沈めるように
作ってないから、浅いしさ。熱いお湯に浸かって、のんびり手足を伸ばせてれば、少しは疲れ
も癒えたと思うんだけど」

それなら早く帰ってゆっくりしたら、と、言いかけた高木の言葉を押しとどめるように、美和
子が続けた。

「だからさ、日本に帰ってきたら温泉にでも行って、おいしいものたくさん食べてのんびり
したいって思ってたんだ。どこかいいところ知らない、高木くん?」

と言って、女性敏腕刑事は、思わせぶりな目つきで若い後輩の顔を窺った。
美和子の方から誘ってきているのだ。
鈍感な彼もさすがに覚ったらしく、少し焦ったように言った。

「そ、それならいいところがありますよ!」

慌ててスーツの内ポケットをまさぐり、取り出した手帳をめくる。

「えーと……、ああ、これだこれだ! こないだ群馬県警の山村刑事に教わったんですけど、
あまり知られていないひなびた温泉があるらしいんです。なかなか良さそうでしたよ。そこ
なら……」

それを聞いて美和子は少々難色を示した。

「群馬? 群馬は良い温泉がたくさんあって私も好きなんだけど……。今回はもっと遠くが
いいな。九州とかさ……」
「九州ですか? いやでも、それじゃあ日帰りするの大変なんじゃないですか?」
「誰が日帰りするって行ったのよ」

美和子は悪戯っぽい表情をして、クスクス笑っていた。

「私は「のんびりしたい」って言ったのよ。泊まるに決まってるじゃない。せっかくの温泉
だもの、羽根伸ばしたいわ」
「そ、そうですか!」

高木は、厳しい女教師に指された気弱な男子生徒のように、直立不動で答えた。

「わかりました、実はいいところ知ってるんですよ。湯布院に混浴できる良い温泉があり
まして……」
「コラ。調子に乗るんじゃないの」

美和子は、これも悪戯っ子を叱る女性教師のような顔で、高木を軽く小突いた。

「前にテレビで見たんだけどさ、別府にね、美肌効果のある泥パックができるところがある
のよ。温泉の方もお肌に良い硫黄泉だって言うし。そこにしない?」
「は、はいっ。さ、佐藤さんとなら、どこにでも……」
「じゃ、そうしましょ」

美和子はそう言って立ち上がると、どぎまぎしている高木の腕にしがみついて行った。




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