米花駅の駅ビルには専門店街がある。
地上六階階建てで一階が食料品売り場で、二階は駅構内と繋がっている。
以下、三階にファッションフロア、四階にリビング用品や電化製品、五階が本や文
具、CDなどのサブカルチャー一般、最上階がレストラン街となっている。
初夏のこの日、その三階の一角にあるショップでは、華やかな若い女性たちの嬌声が
響いていた。

「あんた普段どんなん着けとるん?」
「あたしは……、あ、今着けてるの、これ」
「あ、これかいな。う〜ん、「らしい」っちゃ「らしい」かなー」

10代と思しき三人の女性たちである。ピンクのリボンでまとめたポニーテールの
少女──遠山和葉が、ロングの黒髪の少女──毛利蘭と楽しげに下着を見ている図だ。
蘭が傍らの少女に言った。

「聡子ちゃん、どう? 良さそうなのあった?」
「あ、うん……。多すぎて何だか圧倒されちゃって……」
「そんなん気にせんでええやん。時間ないわけやないやろ、じっくり選べばええんや」
「そうそう。あ、これなんかどう?」

見慣れぬ少女の名は渡来聡子といった。
今日、知り合ったばかりだ。
大阪から遊びに来ていた和葉と蘭たちが市内をぶらついている時、道に迷っていた
らしい聡子たちに声を掛けたのである。
すっかり意気投合してしまい、街を案内しているのである。
聞けば、聡子たちも東京へ遊びに来ているらしい。
言葉は悪いが、いわゆる「お上りさん」だろう。
田舎者をバカにしていると思われても困るので、声を掛けるかどうか蘭などは迷っ
たのだが、和葉が「困ってそうやん」と言って聡子を呼び止めたのだ。
和葉も東京へ初めて来た時は「お上り」に近かったので、彼女の気持ちがわかる気
がしたのだ。
話してみると聡子は気立ても良く、和葉たちの行動も純粋に好意と受け取ってくれた
らしく、感謝して彼女たちに案内を頼んだのだった。

「これなんかどうやろ? うち、けっこうこういうの好きや」
「あ、可愛いですよね」
「せやろ。なあ蘭ちゃん……、って、蘭ちゃん!」
「あ、はい、なに?」
「「なに?」やあらへん。何してん」
「うん、これ見てたの」
「スポーツブラかいな。蘭ちゃん可愛いんやから、もっとキュートなのを……」
「いつもこれしてるわけじゃないわよ」

蘭は苦笑して言った。

「そろそろ新しいのも欲しいかなって思ったから」
「そうなん? でも、そう言うたら、うちもスポブラ買うとこうかな。インター
ハイも近いしな」
「あ、おふたりとも何かスポーツされてるんですか?」
「ちょいとな」

ふたりが話している間に蘭が戻ってきた。
見ているのはブラとショーツのセットである。
すぐに和葉たちも顔を突っ込んできた。

「あ、これなんてどうやろ」
「どれ? ……うわー、ちょっと大胆じゃない?」
「そんなことないやろ。ここんとこフリルになってるし、この刺繍も可愛いやん」

和葉が手にしているチェリーピンクのブラを見て、蘭と聡子は少し顔を染めている。
確かに可愛いデザインではあるのだが、少々際どいのだ。

「で、でもさ和葉さん」
「和葉って呼び捨てでええ言うたやろ」
「じゃ、じゃあ和葉ちゃん。ここの切れ込み、凄すぎないですか?」
「あたしもそう思う……」
「何言うてるのん、ふたりとも」

和葉は手にしたブラをふたりの顔の前で揺らしながら言った。

「んなことないって。うちら高校生なんやから、これくらい当然やって。際どいん
探すんなら、もっと凄いのあるで」

3/4カップであるのに、カップの切れ込みがけっこう際どくて、これを着けたら
モロに胸の谷間が見えそうである。
加えてカップにはボリュームパッドとサイドハンモックパッドまで着いている。
これでストラップはクロスなのだから、谷間を思い切り強調したデザインと言える
だろう。
聡子はそう思って、勧める和葉と蘭を見る。
ふたりとも可愛い顔立ちだし、スタイルもかなり良さそうだ。
彼女たちが着けているブラにパッドがあるかどうかは知らないが、ないとすれば
かなりのサイズに違いない。
そういう女性にとってはこういうブラもいいだろうが、自分はそうではない。
思わず自分の胸元を見下ろして、聡子はため息をついた。

「でも和葉ちゃん、これ着けて肩出したら胸とかすごそうよ」
「そんなことないと思うけどな」

蘭もそうだが、和葉も案外自分のルックスやスタイルには無頓着なところがある。
もちろん年頃の女の子なのだから、シャワーの後に姿身に全身を映してみること
くらいはある。
それでもナルシスト的になることはない。
スタイルが良ければ良いなりに「ここがもっと」とか「そこがもう少し」という
ような理想はあるのだ。
聡子などから見れば「何を贅沢な」というところだろうが、それが女心なのかも
知れない。

「あたし、下着見せるってのは、どうもあんまり好きじゃないのよね」

蘭がそう言うと、和葉も聡子もうなずいた。

「そらそや。あれはなあ、見えるかな、あ、見えへんなっちゅうところがええんや
て。進んで最初っから見せるようなのはうちかて好かんわ」
「でも下着は見えなくても、胸が見えちゃうのも困ると思うんですけど……」
「胸なんか見せへんて。谷間や、谷間」
「それだっていやだって」
「あ、それよりも」

和葉が気づいたように言った。

「聡子ちゃん、サイズは? 一応測った方がええんちゃう?」
「あ、私は……。そ、そういえば和葉ちゃん、どれくらいなの?]
「せやな……」

大阪の少女は、顎に指をあてて上を見るようにして考える。

「Eの……65か70くらいやね。なかなかないんや、このサイズが」
「Eの70!?」

嘆くような和葉の言葉に聡子は驚いた。
ブラのカップサイズとは、おおまかに言ってアンダーバストとトップバストの差で
決まる。
Eなら20センチといったところだ。
アンダーは、胸の膨らみの下部分ぎりぎりで計測する。
おっぱいの下の肋骨が浮いているあたりだ。
ウェストより一回り太い。
見たところ、和葉にしても蘭にしても、ウェストは女の聡子が見てもうらやましい
くらいのくびれだから、彼女たちは二回りくらいだろう。
E65ならアンダーの設定は62.5〜67.5だ。
Eカップはトップとアンダーの差は20センチ。
ということはバストサイズは概ね85から90ということになる。
和葉自身「65か70」と言っていたから、90センチはないにしろ85センチ
以上はあるのだろう。
聡子が感心したように、あるいは自分と比べてがっかりしたようにため息をついた
ので、和葉は蘭に振った。

「蘭ちゃんかてそんなもんや。な、蘭ちゃんもEくらいあるやろ? あんたうちより
ウェスト細そうやし」
「え? そんなこともないけど……。でも、去年までDだったんだよね」
「うちもや。部活ん時サラシで押さえ込んでる割には健気に成長しよるわ、うちの
胸も」

そう言って自分の胸の辺りを見下ろしてから、ぽんぽんと聡子の肩を叩く。

「うちら成長期やもの、聡子ちゃんかてこれからどんどん大きくなるわ」
「そうならいいけど……」
「なるって。蘭ちゃんを見てみい。身体つきもどんどん大人っぽくなってきてるで。
どら、またちょっと胸揉ませてや」
「ちょ、やめてよ、和葉ちゃんってば。あんただんだん園子みたいになってきてる
わよ」
「どこがや。ええがな、減るもんやなし」
「そういうところがよ。オヤジ入ってるわよ」

少女たちの黄色い声が弾けている店内とは対照的に、ショップの外では男が三人、
うんざりした顔で待ちぼうけになっている。
いや、待たされているというのは正確ではない。
彼女たちは入って来るよう言ったのだが、男たちが断ったのである。
当然であろう。

「……まさかランジェリーショップに連れて来られるとは思わなかったな」

ひとりは江戸川コナン。

「まったくや。なんで女ちゅうのは、連れの男までこんな店に入れようとするん
やろな」

ひとりは服部平次。

「わからんね」

そしてもうひとりは、渡来聡子の連れである神出隆久だった。
つまり三組のカップルだったわけである。
蘭とコナンの組み合わせをカップルと呼べるかどうかは議論のあるところだろうが、
コナン=新一である以上、あながち間違いでもあるまい。
この三人の男たちは、女性軍のウィンドショッピングに付き合わされて米花市内を
連れ回され、挙句、とても男には入れない店にまで引っ張り込まれたのである。
平次などは、よほどコナンたちと一緒に別行動をとると言おうと思ったくらいだ。

「どうでもええけど、まだ終わらんのかい、あの連中は……ぶっ!」
「やかましわ!」

コナンが声の方を見ると、和葉が腰に手を当てている。

「女の子がランジェリー選ぶんに時間かかるのは当たり前やろ! それをぐたぐた
文句ばっか言ってからに……」
「和葉っ! てめ、何投げてんだよ!」

顔にブラジャーを投げつけられた平次がそれをむしりとって怒鳴り返すと、蘭もコナ
ンたちもいっせいに吹き出した。

────────────────

六人は六階の喫茶店で一息ついていた。
大きめのテーブルで、女三人、男三人が向かい合って座っている。
蘭と和葉は聡子とケータイのアドレスと番号を教え合っていた。
短い時間だったが、すっかり仲が良くなったらしい。
隆久の方は、どことなくよそよそしいところもあったが、聡子は気さくだったせいも
あるだろう。

聡子は、お目当ての可愛いインナーを買うことが出来てニコニコしている。
一方の隆久はうんざりというか、疲れ気味のようだ。
それはコナンたちも同じではあったが。
聡子が元気良く、ぴょこんと頭を下げた。

「今日は本当にありがとう、蘭ちゃん、和葉ちゃん」
「ええって、気にせんでも」
「うん。いいのが見つかってよかったね」
「ありがと。ほら、これ選んでもらったのよ、隆久。可愛いでしょ?」
「……男に下着見せてんじゃねえよ」
「あら、なんで? あんた聡子ちゃんの彼氏とちゃうん?」

和葉が悪戯っぽくそう言うと、聡子は顔を染めて俯き、隆久はそっぽを向いた。
しかしそれも一瞬で、聡子がすぐに反撃に移った。

「そ、そういう和葉ちゃんだって……。服部君とつき合ってるんでしょ?」
「うち? やめて。平次なんてまだがきんちょで、そこまでいっとらんわ。こんな
女心もよう理解できんような子供なんぞ……」
「何やと、こら〜」

平次が和葉を叩こうとでもするように腕を伸ばしたので、聡子はすぐに蘭へ話題を
振った。
もっとも、こんなことは和葉たちの間ではしょっちゅうなので放っておいても構わ
ないのだが、そんなことは聡子は知らない。

「蘭ちゃんは?」
「そうそう。蘭ちゃんだってそんなに可愛いんだから、誰かいるでしょ」

聡子に続いて隆久もからかうように言った。
蘭は少しだけふっと顔を暗くして答える。

「あたしは……別に」

すかさず和葉がフォローする。

「あ、あんな、蘭ちゃんにも工藤新一ちゅう彼氏がおんねん。ただ、今な、ちょっと
遠いところにおって……」
「そ、そうそう。なかなか会えへんらしいわ。電話では連絡とってんねんけどな。
せやな、蘭ちゃん」

平次も助けるようにそう続けた。
コナンの正体を知っているだけに、蘭とコナンの双方に気を使っている。
ガサツで男っぽいのだが、意外とこうしたことには気が回るらしい。

「そんな、いいのよ、ふたりとも気を使ってくれなくて」
「気ぃなんか使てへんて。お似合いのカップルやで」
「恥ずかしいこと言わないでよ、服部くん……」

そう小声で蘭が言ったので、もう少し励まさないといけないかと思っていたふたり
だったが、逆に出た。

「……ったく、あのバカ、昨日も電話してきたんだけど、相変わらずなのよ」
「……」
「何が「事件で忙しい」よ。言うことそれしかないわけ!? 今度会ったらボコに
してやるんだから……!」

そう言って、握った右の正拳をガラステーブルに叩きつけた。
その衝撃で、グラスやカップがテーブルの上で踊る。
テーブルが砕けずに済んだのは、蘭なりに加減していたからだろう。
その迫力にびびっているのは和葉と聡子、隆久だけで、事情を知っている平次は
必死に笑いを堪えているし、コナンはやや青ざめて唇を震わせながら蘭を恐ろしげに
見ている。
隆久が引きつったように言った。

「か、可愛い顔してけっこう勇ましいんだね……」

それを受けて、聡子が澄ました顔で答えた。

「そうよ。蘭ちゃんは空手やってんだから」
「か、空手?」
「そ。それも都大会で優勝しちゃうくらいの実力。ちなみに和葉ちゃんの方も、
合気道二段だって」
「うえ」

隆久は驚いてふたりの少女を見た。
ふたりともこれだけ綺麗で可愛いのに、そんな猛者だとは思わなかった。
もっとも、最近は空手などの武道の可愛い女子選手が注目されているくらいだから、
隆久が無知なだけなのかも知れない。

毛利蘭と紹介された少女は17歳の高校二年生らしい。
すらりとしたスリムな肢体だが、バストもヒップもよく発達しているのがよくわかる。
くりっとした黒い瞳と同色の長い髪がチャームポイントだ。
ちょっと変わった髪型で、角のような突起にメイクしている。
最初見た時はぎょっとしたが、見慣れるとこれがまたいいアクセントになっている
気もする。

一方の遠山和葉を見る。
こちらは蘭よりも、やや気が強そうな目つきだが、きついという感じではない。
合気道二段と紹介され、自慢するように腕を曲げて筋肉を見せようとしている。
だが、その二の腕にはさほど筋肉は出ておらず、むしろほっそりしている。
蘭もそうなのだが、見た目華奢なその細腕の、どこにそんな力があるのだろうか。

和葉も髪は長いが、ピンクの大きなリボンで後ろにまとめたポニーテールである。
それがまた彼女らしい活発さを表しているような気がした。
スタイルも、蘭に負けず素晴らしい。
パッと見ではあるが、胸などは蘭よりもあるのではないだろうか。
隆久の視線に牡の色が出ていることに気づいたのか、聡子が軽く睨む。
隆久はすぐに首をすくめて彼女の耳元にささやいた。

「そういうつもりじゃねえよ。なに妬いてるんだよ」
「違うわよ、目つきいやらしいんだから。蘭ちゃんたち警戒するわよ」
「わかってるって。でも……、こりゃ合格だろ?」
「……」

口ごもる聡子を隆久が不思議そうに見ていると、和葉が突っ込んできた。

「なんや、ふたりともなに内緒話してるねん。やーらしいわ」
「ち、違うって。なあ」
「知らない」
「あらら、聡子ちゃん怒っちゃった」

蘭と和葉はくすりと笑って顔を見合わせた。
彼女たちも、隆久が自分たちを興味津々といった目で見ていたことには気づいていた
のだ。
それを恋人の聡子も気づいて拗ねていると思ったらしい。
隆久は、聡子と蘭たち、そして平次を困ったように見てから、話題を変えるように
言った。

「そ、そうだ。あのさ、今日のお礼なんだけど……」
「礼? そんなもん、ええわ。どってことしてへんし、どうせ和葉や蘭ちゃんの
つき合いで街をほっつく歩くつもりやったんやしな」
「そうよ、隆久くん。あたしたちに気を使うより、聡子ちゃんの方に……」

それを聞いて聡子の顔が微笑んだ。
気の優しい蘭に好意を持ったのだろう。

「あ、いいんです。お礼といっても、そんな大したものじゃないし……」
「そうそう。ご馳走しますとか、何かお返しに買ってあげますとか、そういうん
じゃないから」
「ほな何やの?」
「島へ……招待しようかと」
「島?」

きょとんとする蘭たちに隆久が説明する。

「俺たち、これでも一応東京都民なんだよ」
「え?」
「東京って言っても島なんだ」

東京都には23区26市の他に5町と8村がある。
町と村は、瑞穂町、日の出町、檜原村、奥多摩町を除けば、あとは島嶼なのだ。
蘭が少し驚いたように聞く。

「島って……、その小笠原とか三宅島とか、そういうとこ?」
「そう。東京たって竹芝からら200キロも南下するんだけどね」
「へえ……」
「人口だって、確か54世帯の122人だったかな」
「少な」

驚くというより呆れているような和葉に、聡子がウィンクする。

「でも、それだけ自然が残ってるってことよ。ほとんど手付かずだもの」
「そうなんだ。都内みたいにきらびやかで何でも売ってるようなわけじゃないけど、
海は綺麗だし空気も澄んでるよ」
「そうやろな。魚なんかもうまいやろ」
「もちろん。高級魚もいいけど、名前も知らない地魚みたいのもおいしいよ」
「う〜ん、なんや行きたなってきたわ。蘭ちゃんも行くやろ?」
「うん、でも大勢で押しかけたらご迷惑なんじゃ……」

遠いとなれば、まず泊まりになるだろう。
どこへ泊まるかわからないが、島の規模や聡子たちの話だと、そう大きなホテル
などはないに違いない。
民宿だろうから、そう高くはないだろう。
しかし、島へ渡るまでの渡航費用はかかる。
それを合わせれば、それなりの出費が必要になるのではなかろうか。

「あたしたち高校生だし、そんなにお金ないし……」
「それもそやな。いっそ園子も誘うか?」
「あー、園子ちゃんをスポンサーにしようとしてる」
「ええやん。あの子、そういうこと全然気にしてへんもん。それがええとこや」

和葉と蘭の会話に隆久が割って入る。

「あ、もし費用のことを心配してるなら、それはいいよ。どうせ島には民宿なんか
ないし、俺か聡子んとこに泊まってもらうから」
「え、それじゃ悪いわ……」
「悪くないって。さすがに島へまでは何とか自腹で来て欲しいけど、来れば一切
お金はかからないからさ」

そのあたりが妥協点かも知れない。
全部丸抱えの大名旅行では申し訳ないし、第一息苦しい気もする。
と言って、蘭たちが行くと言ったわけではないのに、全部こっちが負担して、わざ
わざ行くのもどうかと思う。
旅費は蘭たち、宿泊などの滞在費は向こう持ち。
これならいいかも知れない。

「まあ、民宿もないような島だから、観光地然とはしてないんだ。もともと観光客
を当てにしていたところもないしね。だから景観は楽しめると思うけど、そこまで
行くのはけっこう大変だったりするんだよ。でも、そういうのは俺たちが案内する
からさ」
「海も綺麗よ。砂浜は狭くて、そんなに大人数には向いてないけど、砂は白いし、
それこそ貸し切り状態になるわ」
「行く!」

話を聞いていた和葉が叫んだ。

「な、行くやろ平次も。蘭ちゃんも行こうや。な? な?」
「あたしはいいけど……」

と言って、蘭はコナンを見た。
その様子を見て、和葉はコナンも誘う。

「コナン君も行くやろ? 蘭ちゃん行くんやから」
「僕も行っていいの?」
「決まってるやん。それとも蘭ちゃんひとりにしといてええの? 新一がおらん間
はコナン君が守ってやらんと」

それを聞いてコナンはぎくりとする。
思わず平次の顔を見ると、平次もコナンを見て苦笑していた。
知ってか知らずか、和葉はもう行く気満々のようだ。

「聡子ちゃん、この子も行っていいやろ?」
「え? ええ、もちろんよ。歓迎するわ」
「決まりや。出発までに小遣い貯めときや」

仕方がないなと思いつつも、コナンも蘭も行く気になっていた。
ひさしぶりの旅行だし、いい気晴らしになるだろう。
コナンはその原因を知らなかったが、ここのところ蘭は体調が悪そうだった。
先達て、腕のいい精神科の医師にかかって症状が改善したらしい。
精神科と聞いて少し気がかりだったが、佐藤刑事も一緒に診療したというので安心
していたところだ。
その蘭が行きたいというのであれば、コナンとしても文句はなかった。
プリン・ア・ラ・モードのアイスクリームを突き崩しながら和葉が聞いた。

「それで聡子ちゃんたちの島、何ちゅうねん?」
「神巫子島(かみこじま)……っていうの」

────────────────

日本には極めて多くの島嶼がある。
というより、6852個の島嶼によって日本という国は構成されているのだ。
そのうち北海道、本州、四国、九州。沖縄が最大の島で、その他の6847島を
便宜上「離島」と呼んでいる。
意外な気もするが、佐渡島や国後、択捉のような比較的大きな島も「離島」なのだ。
これらの島々のうち、261の島が有人離島とされている。
これらは平成20年4月現在で76の地域に含まれ、261島の中で110市町村
がある。
261島の総面積は5255kuで、これは日本総面積の約1.4%となる。

蘭と和葉、平次にコナン、そして灰原哀が目指す島は、東京から南へ200qほど
の海上にある。
黒潮本流の真っ直中に位置し、気象が激しい。
伊豆諸島の中でも、もっとも渡島が困難と言われている島だ。
港が小さくて、波風に対して脆弱だからである。
もう目の前に島が見えているのに、波高が高すぎて引き返すということも珍しくない。
竹芝出港の際も「条件付き出港」などという、飛行機のようなアナウンスがされる
こともある。

竹芝桟橋から東海汽船の「さるびあ丸」に乗って約6時間。
空路もあるがヘリコプターであり、当然、値は張る。
ヘリに乗って飛行機とは違う空の旅を楽しむのもいいが、今回は自腹である。
旅費は節約できるに越したことはない。

蘭たち一行の乗るフェリーは、中継地の御蔵島に到着していた。
目指す神巫子島は、ここからさらに船を乗り継いでいかなければならないのだ。
船の時間を確認するため、蘭たちは下船すると村役場へと向かった。
乗ってきた船の乗員に尋ねればよかったのだが、長旅で疲れていたのと、哀が少し
具合悪そうだったので、労っているうちに出港されてしまったのである。
港に関係者は見あたらず、やむなく御蔵島村役場へと赴いたのだ。

「は……? 神巫子島ですか?」

対応に出た中年男性の職員は少し驚いたように聞き返した。
そんなに驚かれるとは思わなかったので、聞いた蘭の方が逆にびっくりした。
その職員は後ろを振り返って「おい、神巫子島だってよ」と、他の職員たちにも
言っていた。
何人か職員たちが集まってきてざわついている。
それからおもむろに蘭たち一行をまじまじと眺めると、

「本当に神巫子島で間違いないの?」

と聞いてきた。
蘭の隣で和葉が聞いた。

「すんまへん、なんや神巫子島へ行っちゃあかんように聞こえるんやけど」
「いやあ、そうとは言いませんけども……」

中年の職員が耳を掻きながらそう言うと、後ろから30歳くらいの女性職員が口を
挟んだ。

「いえ、本当にあまり行かない方がいいところなんですよ。でもお客さんたち、
本当に神巫子島へ行きたいんですか? 何でです?」
「ちょっと待ってください。どうして神巫子島へ行っちゃいけないんですか?」

たまりかねて蘭が聞いた。
職員たちは困ったように顔を見合わせていたが、諦めたように対応の職員が言った。

「あそこも一応、伊豆七島なんだけど……。でも、あそこはちょっと違うんだよねえ」
「違うって、どういうことです?」
「うーん……。何て言うか、少ぉし排他的なんだよ」
「あら、少しじゃないですよ。かなり……」
「おい」

職員同士で、言いかけたり止めたりしている。
和葉には訳がわからない。
何だかその島に触れることがタブーだとでも言いたげだ。
和葉がそう言うと、職員たちは一斉に頷いた。

「そうそう。そんな感じなんだよ」
「それじゃわからんわ。詳しく教えてんか」

と平次が言った。
いつの間にか平次が蘭と和葉の間に割り込んでいた。
コナンは入り口付近のシートで、座り込んだ哀を介抱しているようだ。

「どういうあれか知らんけどね、あの島は神秘的というか、近寄りがたい島なん
だよ」

中年の職員は、蘭と平次、和葉を均等に見ながら話し出した。

「名前を見てもわかるけど、古くから「神の島」として聖域が多くって、立ち入り
禁止区域ばかりなんだ」
「立ち入り禁止やて?」
「ああ。とにかく、貝殻ひとつ石一個、木の葉一枚持ち出してはいけないってんだ
からね。まあ、これはわからんでもないんだよ。観光をウリにしている島々は、
増えすぎた観光客たちが島のあちこちを荒らすことも多いもんだから」
「……」
「でもねえ、神巫子島は別。観光客どころか、島民たち以外が島へ渡ることを極端に
嫌うからね」
「そうなんですか」

蘭が不安げな顔をすると、男は何度も頷いた。

「そりゃもう、年に一度の消防の検査や、たまにこの島の駐在が様子見に行くんだ
けど、それすら嫌がるっていうからね」

それはまた徹底しているものだ。
平次もそう思ったのか、やや呆れたような表情をしている。

「ま、そんなこんなで部外者の訪問を好まないというかね……」
「そうそう、こんな話もあるのよ」

女性職員が付け足すように言った。

「いつだったかな、あたしがまだ中学生の頃だけど、民放のテレビ局が取材に入った
のよ」
「神巫子島へですか?」
「ええ、そう。あそこは何年かに一度、大きなお祭りがあるのよ。秘祭とされていて、
島民とその関係者以外は参加するどころか見ることも厳禁」
「そらまた……」
「一般客だけじゃなくって、研究で訪れた民俗学者の先生ですら追い返したって話
だから」

「それは俺も聞いた」と、何人かの職員が頷いた。

「でね、その時はテレビ局が取材協力を申し出てもどうせ断られるって思って、アポ
なしでその祭りの取材に島へ直接押しかけたらしいの」
「へえ……。それで? 取材できたん?」
「そんなわけないわ」

女性職員は、手をひらひらと振りながら否定した。

「島民たちに混じって船に乗って来たんだけど、桟橋でひと揉めよ。そりゃそうよ
ね、大学の先生ですら門前払いなんだから。で、最初は島の人も穏やかに……って
ことでもないようだけど、とにかく島への上陸を拒否して断ったのね。でも、テレビ
局の人がカメラを持っているのを見て態度が急変したって」
「カメラ?」
「そう。祭りはね、島の人でも撮影なんかとんでもないのよ。メモやスケッチもだめ」
「そらまた徹底しとるね」

平次だけでなく、和葉も呆れている。

「でしょ。テレビ局の取材なんだからテレビカメラ持ってるのは当たり前だと思うん
だけど、とにかく神巫子の人たちが激怒したわけ。テレビカメラを奪い取ったかと
思うと、いきなり海に投げ捨てたって」
「……」
「それどころかスチールカメラやテープレコーダーまでみんな。何をすると言って
抗議してきたテレビ局の人まで海に叩き込んだって話よ」
「そうそう」

中年職員が付け加えた。

「あの島はさ、そういう秘祭があったり、とにかく閉じた社会だから興味を持つ人も
少なからずいるみたいでね。たまにだけど大学の先生や、噂を聞きつけたマスコミ
なんかも来るんだよ」
「はあ」
「だけどねえ、そういう人たちも残らず排除しちゃうんだよね」

職員は顔をしかめて言った。

「いつだったか、無理に島内に入ろうとした本土の若い人を袋叩きにして警察沙汰に
なったこともあったよ」
「……うわ」

和葉が肩をすくめると、職員は脅すような口ぶりで、それでいて笑いながら言った。

「そんなわけだから。七島の中でも変わり者で通ってるんだよ、あそこはさ。あんた
たちはそんなところへ行くっていうから、俺たち驚いたわけ」
「それにしても、どうして神巫子島のことなんか知ったの? あそこは観光も全然
やってないし、知り合いがいなけりゃ上陸だって覚束ない。そもそも、あんな島に
行ったって面白いところなんかないわよ」
「それがその……、あたしたち、神巫子島の人とお友達になって……」
「へえ」

都内で神巫子島の高校生と出会った話をすると、村役場の人たちはたいそう感心した。

「なるほどねえ、そういうことか。それじゃあ……、大丈夫かな?」
「私に聞かないでくださいよ。でもまあ、島に知り合いがいて、その人の紹介なら
上陸はできそうですね……」

ふたりの職員は自信なさげにそう言った。
付け加えるように中年の職員が口を開いた。

「とにかくね、あそこは大概のところは立ち入り禁止のはずだから、島の人に案内を
頼んで観光すること。どこへ行くにも島の人の許可を得てからね。それと連絡手段は
必ず確保して。何かあったら、ここでもこの島の駐在所でもいいから連絡すること。
携帯電話は持ってるでしょ?」
「あ、はい」
「ならよし。最悪、公民館に固定電話もあったはずだけど……。まあ携帯があれば
どうにかなるでしょ」

村役場の人たちは「くれぐれも気をつけるように」と言って、蘭たちを送り出した。

船はここ御蔵島から神巫子島へ連絡船が週に一度出ているらしい。
島へ行くにはそれしかない。
事前の電話では、隆久が神巫子島からその船に乗ってくるようで、折り返し一緒に
乗っていけばいいとのことだった。
そうこうしているうちに隆久が役場へと走ってきた。
船が着いたようだった。

────────────────

「着いたよ」

その声に、哀は顔を上げた。
前日から調子が悪く、この船旅でまいってしまったらしい。
もともと色白だった顔が、脱色したかのように青白くなっている。
吐くほどではなかったが、悪心がひどい。

風邪気味だったので、蘭たちから誘われた時もあまり気は進まなかった。
なのに阿笠博士が半ば強引に行かせたのである。
普段、旅行どころかあまり外出もしないから、蘭から声を掛けられた時、これは
好機だと思ったらしい。
あるいは、哀に隠れて何やら怪しい実験でもしたかったものか。
阿笠博士の気持ちもわかるが、哀にとってはいささか有り難迷惑だった。
とはいえ、博士の厚意を無下にするのもどうかと思って、出かけてきたのである。

船酔いするなら、船の舳先にいろ。
進行方向を見ていれば割と酔わない。
そう隆久にアドバイスされて、従っていた。
そこに神巫子島が見えてきた。

小さな島だった。
周囲が切り立ったようになっている。
いや、垂直の崖というほどではないが、椀を伏せたような形なのだ。
これでは港を作るのは大変だったろうし、砂浜が小さいというのもうなずける。
島全体が小高い丘陵のように見えた。
黒々とした山肌は僅かで、上部全体は深緑で覆われている。
よく見ると、島の後ろにまたひとつ、さらに小さな島がある。
後ろから和葉の声がした。

「なあ、隆久君。あの後ろにもひとつちっさい島があるやん。あれ何?」
「ああ、あれ? あれも神巫子島なんだよ。俺たちは下島と呼んでいる」
「下島?」
「そう。無人島なんだよ。人が住んでるのはこっち……上島の方だけ」

そんなことを話しているうちに、船が波止場に着いた。
港には聡子がニコニコして待っていた。
大きく手を振って挨拶する。

「蘭ちゃん! 和葉ちゃんも。ようこそ、みなさん」

船は小さな艀のようなタイプで、荷物を積み込んでいる。
隆久の話だと、この島へ直通する定期航路はなく、荷がある時だけ、こうして船で
運ぶのだそうだ。
彼はその荷下ろしに来ているらしい。
隆久が、聡子と一緒に迎えに来ていたもうひとりの男を紹介した。

「こいつ、和弘って言います。俺たちと一緒に、みんなの面倒見させてもらいます」
「風戸和弘です、よろしく」

髪を短く刈った、色の黒い島の若者だった。
目つきが少々いやらしかったのが気になったが、哀は慣れている。
蘭や和葉は美少女だから、出くわす男たちはたいてい和弘のような目つきになるのだ。
男によっては、哀にまで淫らがましい目線を寄越す者までいる。
哀は、それを隆久からも感じていた。

和葉や平次、蘭は自分で下船したが、船が小さくて岸が高いので、コナンや哀は
自力では上がれない。
そこで隆久が抱いて聡子に渡すようにして上がった。
その時の隆久に、哀は嫌悪を覚えたのだ。
哀の胴を両手で持ち上げたのだが、その時の手つきや指の動きがいやらしかった。
指が少し胸に触れた。
哀はすぐに振り返って隆久を冷たい目で見てやった。
怒ったり騒いだりするより強烈だったらしく、隆久は首をすくめて聡子に預けたのだ。

「な……んや、あれ」

デイパックを背負いあげた平次が唖然として言った。
指さした先には異様なものがあった。
手作りらしい大きな看板だ。

┌─────────────────────────┐ 
│                         │
│ 神巫子島関係者以外は立ち入らないで下さい。   │
│                         │
│ キャンプ、野宿等は禁止します。         │
│                         │
│ 神巫子島公民館長 神巫子島開発・環境保全委員会 │
│                         │
└─────────────────────────┘

あからさまな「よそ者排除」の警告であり、蘭たちは面食らってしまった。
すぐに隆久が慌てたように取り繕った。

「あ、あ、いやその、これは、そんなに気にすることないよ」
「いや……気にするな、言うたかて……」

たじろぐ和葉に蘭が言った。

「ほら、役場でさ、前に無断で島へ来た人がいたって言ってたじゃない。それに
懲りて……」
「そ、そうなんだよ。いや、蘭ちゃんの言う通り。勝手に上陸して、島の中を荒らし
ちゃう人がけっこういたみたいなんだ。そうでなくても、お年寄りたちは対外的には
人見知りだし……」
「そうなのよ。ここの人たちって、みんなよそ者を嫌うの」

蘭は、寂しそうにそう言った聡子を気の毒そうに見ている。
哀はそんな蘭を見つめた後、周囲を見渡した。
港からすぐのところに村があるのだが、人気がない。
哀は隆久を見ずに聞いた。

「……ねえ、お兄ちゃん。この島、全然人がいないの?」
「え?」
「だって、誰も見かけないから。それに荷物が届いたんだから、そっちの人だけで
なくて他の人も出てきていいんじゃない?」
「あ、いや、それは……」

小さな少女に指摘されてたじたじしている隆久に代わり、聡子が答えた。
身を屈めて、両手を膝について、哀に視線を合わせている。

「哀ちゃん……、だったかしら?」
「……そうよ」
「あのね、哀ちゃん。ここには誰も住んでないのよ」
「誰も?」
「お、おい、聡子!」

驚いた隆久が止めるのも無視して、聡子は話した。
哀が聞いた。

「誰もいない?」
「そうよ。ここはね、神様のいる島なの。だからね、島の人たちはここに住んで
いるということにして、隣の御蔵島に住んでいるのよ。そして何かあった時にだけ、
この島へ駆けつけることになってるの」
「なぜ? 神聖な場所って意味なの?」
「そうね。特にお祭りの間は、誰も外を出歩けないのよ。道は神様が歩くし、それを
見てはいけないことになってるの」
「聡子!」

たまりかねて隆久が割って入った。
蘭と和葉が不安げに聞く。

「あのお、それじゃああたしたちなんかが来たらいけなかったんじゃ……」
「そ、そんなことないよ」

和弘も説明した。

「いやね、あの、その、今、聡子が言ったことも事実ではあるんだけど、きみたちは
そんなに気にしなくていいんだよ。確かに今晩、そのお祭りがあるんだけどさ、それ
って夜だから。どっちみち外へは行かないだろ? 街灯なんかないから、夜道は危な
いし。夕方になったら飯食っておしゃべりしてさ、それで寝ればいいだけだよ」
「そ、そうそう。今日もこれからあちこち見てもらっていいしさ、明日も島中を案内
してあげるって。水着も用意してきただろう? 狭いけどきれいな砂浜もあるからさ」
「そうさ。だから問題なのは今晩だけだよ。今夜は祖神祭があるから出歩けないって
だけさ」

和葉が怪訝な顔をして尋ねた。

「でもさあ、何でそんな大事な行事がある時に、わざわざうちらを招待したん?
島も忙しいやろし、そんな時に客が来たら大変やろ」
「だよなあ。その祖神祭か? それが終わったからでもええやろに」

平次も同調してそう言った。
蘭もコナンと顔を見合わせている。
哀はじっと隆久と和弘の顔を見ていた。
その視線に落ち着かなくなったのか、ふたりとも哀から視線を外して蘭たちに言った。

「いやまあ、さっきも言ったけど、島の人の中には本土の人をよく思ってない人も
いるからさ。でもほら、この祭りの時だけは、島外の人も来るんだよ。島から本土へ
渡ってた人とかさ。それに混じれば蘭ちゃんたちも目立たないと思ってさ」

まるで言い訳じみていると哀は思った。
隆久たちの言葉が本当なら、どうせこの島には普段人はいないのである。
祭りなどの特別の時にしか集まらないという。
ならば、祭り以外の誰もいない時に連れてくればいいだけだ。

「……」

そこまで考えると、哀は再び悪寒に襲われた。
やはり体調が万全ではない。
聡子が、そんな哀の様子にいち早く気づき、抱きかかえるようにして、宿泊予定の
公民館へと連れて行った。




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