ファッションビル「Zoom」の裏口通用門から、阿武と荒戸が連れ立って出てきた。
ふたりが挟むようにして、ひとりの少女がぼんやりした顔で歩いている。
午後10時を回っており、ビルはとうに閉店していた。
守衛所のガードマンが少女──蘭を見て咎めるような視線を向けたが、連れているのがオーナーと知って慌てて敬礼した。
それでもまだちらちらと蘭の方を見ていたが、阿武が睨みつけると慌てて守衛所に引っ込んだ。阿武は、少しブスッとした表情でぼやいた。
「まただよ」
「何が」
蘭の肩を抱くようにしている荒戸は、あまり気乗りのしない様子で生返事をした。
愚痴やぼやきを聞くのはうんざりである。
阿武は荒戸に比べてやや神経質なところがあるから、つまらないことを気にしすぎると荒戸は思っていた。
そんな話は酒でも飲みながらでなきゃ聞いていられない。
荒戸は、これから行く予定のクラブのことを考えていた。
蘭にはいったん帰宅させてから私服で呼び出したから制服は着ていない。
顔つきで未成年だとわかるかも知れないが、荒戸たちは上得意だから、蘭を連れ込んでも店は何も言わないだろう。
阿武は蘭どころではないらしく、息を吐き出すように言った。
「連絡が取れないんだよ、組織に」
ここ数日、黒の組織に連絡できなかった。
もちろん阿武も荒戸も幹部などではないから「あの方」と直接アクセスするなどという大それたことは出来ない。
定期的に連絡係の男に報告するだけである。
恐らく幹部のひとりなのであろうが、阿武は会ったことがなく顔も知らなかった。
連絡先は国外で、その国番号からするとアメリカのようである。
判っているのはそれだけで、混み入ったことは何も知らないのだ。
急用がない限りは定時連絡以外してくるなと言われているから、組織の方から電話してくる場合を除けば、二週間に一度の報告以外はアクセスすることはない。
その連絡日が四日前だったのだが、なぜか電話が通じなかったのである。
呼び出し音すら鳴らなかった。電源を切っているものか。だとしたらなぜだろう。
番号が変わったのであれば当然知らせてくるだろうに、それもなかったのだ。
阿武でなくとも不安になるだろう。
しかし荒戸はほとんど気にした様子を見せず、蘭の長い髪をいじりながらのほほんと言った。
「何か用事があれば向こうから言ってくるだろうさ。別に急ぎで連絡したいこともないんだろう?」
「まあな。でもな、副業の方が少しヤバくなってるだろう?」
「ん? ……ああ、ロンダリングがうまく出来なくなってるってやつか」
「ああ、そうだ。俺たちが使ってる口座が次々に押さえられてる。送金が滞っちまって困ってるんだよ。どうもサツが捜査してるらしい」
「サツ? なんでまた。あの女刑事はもう動けないだろ? 実際、ビデオスタッフどもへの捜査は止まってるって聞いたぞ」
「それはそうなんだがな。でも、おかしくないか? 俺たちが脅したのはあの佐藤って警部補だけなのに、なんで捜査自体が手控えられてるんだ?」
「そりゃおまえ……」
「あのデカが捜査を外れただけだってんなら話はわかるがな、捜査自体が中止になるってことはないだろうよ。なんせあの女は捜査一課で、もともと裏ビデオの捜査とは無関係なんだからな」
「まあな」
「実際に捜査してるのは生活安全部なんだろ? なのに捜査課のデカを脅迫しただけで、どうしてそっちまで捜査をやめちまうんだ」
「……」
さすがに荒戸も歩を止めて考え込んだ。
阿武がその貌を見ながら言った。
「あの佐藤って女刑事、打ち明けちまったんじゃないかな、上司に」
「なんだと?」
「でなけりゃ説明がつかないよ。まさかいち警部補が理由も言わずに別部署に捜査中止を進言したって門前払いだろう、普通は」
「……そうか、くそっ」
荒戸は忌々しげに言った。
「あの女、こっちが思った以上に骨があったんだな。まさかあんな目に遭わされて、おまけにビデオに撮られてそれをバラすと脅されても訴えやがったのか」
「多分な。だから水面下では捜査は続けてるんだろうが、あまり派手にはやってないんだろう。逆に別方面から捜査の手を伸ばしてるんじゃないか?」
「……」
そう言われると荒戸にも思い当たるフシはある。
闇で薬品を流して不法に入手している件である。
そっちに警察の影が見えてきたことに、荒戸も気にはしていたのだ。
しかし、それは裏ビデオとは別件だと思っていた。
同根だったのだ。
荒戸と阿武はビルの脇道の暗がりで顔をつきあわせた。
「……どうするよ」
「どうするったって……」
「……どうする必要もないわよ」
突然に後ろから声を掛けられ、ふたりとも飛び上がるほどに驚いた。
蘭はまだ虚ろな顔をしている。
阿武の術にかかっているのか、それとも荒戸のクスリを使われているのか。
恐らくはその両方なのだろう。
男たちは、鋭い女の声にびくついている。
「だ、誰だ……!?」
まさかあの佐藤とかいう刑事なのかとも思ったが、少し声が違う。
慌てて振り返ったふたりの前に、月の逆光を背にした長身の女が姿勢良く立っていた。
長い髪はブロンドのようだった。
濃い臙脂のカバーオールを纏い、スカートも同色である。
ぎくりとした荒戸が、つい大声で叫んだ。
「だ、誰だ!?」
「……」
「おまえは誰だと……」
「私を知らないの?」
女が少し失望したような、あるいはバカにしたような声でそう言った。
荒戸も阿武も呆気にとられている。
「……何だと?」
「知らなきゃそれでもいいわ。もう知る必要もないんだし」
「ど、どういう意味だ!?」
動揺する男どもを軽蔑したような視線で見下してから、その美女はゆっくりと言った。
逆光のせいで貌がよくわからない。
「……余計なことをしすぎたようね」
「なに?」
「あんたたちは構成員なんだから、おとなしく組織の指示に従ってれば良かったのよ。つまらないことに手を出したりしないで」
「組織……? じゃ、じゃあ、あんた組織の……」
女は、またも男の言葉を無視して続けた。
「そもそも、その指示にも従ってないわね。阿武、あんたの催眠による人間操縦は失敗」
「ま、まだ失敗したわけじゃない。あれは時間がかかるもの……」
「かかりすぎなのよ。その経緯の報告もない」
「……」
「荒戸、あんたもそう。薬品を使った人格改造およびコントロールも未だに成功報告がない」
「そうたやすく出来るもんじゃねえ」
荒戸はそっぽを向いて吐き捨てた。
「おれは専門家なんだ。素人のくせに……」
「あんたと同じ研究をしてるのは、他にもいくらだっているのよ。そっちはいくらか成果を出してるわ」
「……」
「挙げ句、組織の資金を流用して別の商売までやってる」
「だ、だから、それは……、ちゃんと組織にもカネを入れてただろ!」
「上納金を納めてれば何をしても許されると思ってたのかしら?」
女は、そこで組んでいた腕を解いた。
「バカにしないで! 黒の組織はそこらのマフィアやヤクザじゃないのよ!」
「……」
「しかも……」
女は、阿武と荒戸に挟まれている美少女をじっと見つめた。
そこで女は少し沈んだような、それでいて白い怒りの籠もったような低い声で言った。
「私のエンジェルにまで手を出すなんて、絶対に許さない。あのクール・ガイにもメンツが立たないわ」
「エ、エンジェル? 何のことだ?」
「あんたたちは知らなくていいことよ。それに、こんなことを「あの方」が許すわけないでしょう。あんたたちは組織と私の顔の両方に泥を塗ったのよ」
「い、いや……だが……」
おののくふたりに、女は冷たく宣告した。
「「あの方」はあんたたちを見限ったわ」
「な……」
「自分で尻ぬぐいするなら手を貸してもいいけど……」
「あ、あんた……! ベルモット……か?」
「今頃わかったの? もう遅いけど」
ここに至って、阿武と荒戸は、組織が自分たちを粛清するためにこの女を送り込んだと初めて理解した。
黒いシルクの手袋を嵌めたベルモットの右手が左胸に、左手が右胸に入っていく。
すぐに引き抜かれた両手にはそれぞれ拳銃が握られていた。
いずれもサプレッサーがついている。
カバーオールの下にはショルダーホルスターが隠されているらしい。
二丁の凶器を目の当たりにして、ふたりの男は悲鳴を上げた。
ベルモットの右手の銃はぴたりと阿武の胸を照準している。
ふたりはあっさりと蘭を置き去りにして逃走にかかった。
荒戸の腕から解放された蘭は、そのままへなへなと地面に座り込んでしまう。
その表情にはまだ生気がない。
状況がまるで掴めていないのだ。
また新一に呼び出された、また抱かれる、という認識しかない。
引き攣ったような声を出して後じさった阿武にたちまち三発の銃弾が撃ち込まれ、苦鳴もなく地に伏した。
それを見た荒戸は背を向けて逃げ出したが、ベルモットは少しも慌てず、逃げる荒戸の背中に撃ち込んだ。
くぐもった銃声が低く三回轟くと、荒戸の身体はそのまま前にスライディングするかのように倒れ込んだ。
ベルモットは、倒れた荒戸と阿武の死体に近づき、爪先で突ついてその死を確認する。
「ふん」
蔑むように男どもの死体を見やってから、自分が手にした銃を阿武と荒戸の手に握らせた。
そして、まだ座り込んでいる蘭を立ち上がらせると、そのまま抱きしめた。
「ごめんなさいね、マイ・エンジェル……」
その時、ほとんど音をさせずにするりと黒塗りのリムジンが路地に入ってきた。
ドアが内側から開かれると、ベルモットは蘭を抱えたまま乗り込んだ。
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「ああ、佐藤さん、ここでしたか」
「どうだった?」
所轄署へ確認へ赴いた高木が戻ってくると、美和子は勢い込んで尋ねた。
高木は美和子の顔を見ながら、大きく頷いた。
「間違いありません。今朝方発見された死体はマークしてたふたりですね」
「そう……」
美和子はほうっと大きくため息をついた。
安堵のため息である。
その様子を見て高木がきょとんとした。
「どうしたんです?」
「え、べ、別に何でもないわよ。そう、やっぱりあのふたりだったの……」
「はい。名前は阿武信輔32歳、表向きはファッションビルのオーナーでした」
「ファッションビル?」
「ええ。だから……」
そこで高木は周囲を気にしながら、美和子の耳元でそっと囁いた。
「例の蘭ちゃんのビデオ、オープニングの方で着替えのシーンがあったじゃないですか。あれ、どうもそのビルの試着室らしいです。ビルにガサ入れ
入ってますけど、どうもそれらしい痕跡があったようです。カメラ自体はなかったようですが、試着室の周囲に不可解な隙間があって、そこに何か
設置されていたのは間違いないみたいですね」
「そういうことなの……」
「はい。もうひとりは荒戸武義44歳。こっちは化学者ですね」
「学者?」
「ええ、以前はいくつかの大学で教鞭を執っていたようです。教授ではないですが、准教授だか助手だか講師だか知りませんけど」
「ふうん」
「今は自分の小さな研究所を持ってたみたいです。どうやって生計を立ててたのか不明ですがね」
「ファッションビルのオーナーと化学者って……、どんなつながりがあったの?」
「それはわかりません。所轄と本庁の生安で捜査中です。でも間違いないようですね、ビルの阿武の部屋から、いくつかそれらしいビデオの素材が
発見されてるみたいです」
高木には気づかれなかったが、美和子は少し動揺している。
もしや自分のビデオもそこにあったのではないか。
そうなら、生安や所轄署の連中がそれを……。
そう思うと居ても立ってもいられなくなる。
美和子が立ち上がったのを見て、今度は高木が慌てた。
「佐藤さん、どこへ……」
「私も行ってみる。確認したいことがあるのよ」
「ど、どこへですか」
「所轄……、いえ……、生安の加藤課長のところ……」
「加藤課長? また何で……」
「……」
訳もわからず、高木は早歩きで廊下に出た美和子を追いかけた。
「佐藤さん!」
「高木くん、それで連中の死因は?」
高木は美和子と並んで歩きながら早口で言った。
「それが……射殺なんです」
「射殺ですって!?」
さすがに美和子の足も止まる。
「じゃ、殺されたの?」
「殺されたのは殺されたんでしょうが……」
「?」
「ふたりとも拳銃を握って死んでいたそうです。だから……」
「まさか……、撃ち合って?」
「じゃないか、と言われてます。実際、施条痕は一致してるそうです。阿武の身体に撃ち込まれた銃弾には荒戸の持っていた銃の、荒戸の身体にあった
弾丸には阿武が持ってた銃の施条痕があったとか……」
「なんでまた……、仲間割れ?」
「でしょうかねえ。調べてみないと何とも言えませんが……、あ、被疑者が死んでるから取り調べるわけにもいかないのか。まあ、状況から判断
するに、ふたりの間で某かのトラブルがあって揉めた挙げ句の凶行と、そういう感じですかね」
「……銃は? 前はあったの?」
「いいえ」
高木は首を振った。
「前はないようです。銃種はグロック……、グロック17だそうです。例のポリマー製の拳銃ですね。しかもですね……」
ここでまた高木が声を潜めた。
「登録ナンバーが刻印されてなかったそうです」
「ええ? だって改造拳銃じゃないんでしょう?」
「はい、真正拳銃です。グロック社の刻印はあるらしいですが、ナンバーがないとかで」
「……」
「所轄の連中も驚いてましたし、僕もそんな話聞いたことがありません」
美和子だって初耳だ。
ナンバーなしの銃が流通するなど、あり得るのだろうか。
「だから銃器対策課の連中が色めき立ってますよ。外国ではいくつか例があるらしいですが、多分、日本じゃ初めて使われたんじゃないかって。
刻印を調べてそこから足が着くことも多いですから、その対策なんですかね」
「じゃあメーカーに通じてる組織があるのか、それともメーカーの中で不心得者が裏で流してるのか……」
「そんなところでしょう。銃器対策課の連中も、外事のやつらやICPOにも協力を求めてるそうです。そんな銃が国内に入ってきてたならえらいことですからね」
「そうね……」
美和子は立ち止まり、少し考えてから高木に言った。
「高木くん、あなた先に所轄へ行ってて。私もすぐに行くから」
「え? 佐藤さんは……、生安ですか?」
「ええ……」
もしや自分の痴態を撮影したビデオが出た場合の「処置」を頼むのである。
美和子も刑事ではあるが女である。
高木には言えなかったし、事情を話せば加藤課長ならわかってくれるのではないかと思うのだ。
恥を忍んで上司の目暮には報告してあった。
美和子がすべてを言う前に大方の事情を察した彼は、即座に手を打った。
生安にも表向き捜査を控えるよう要請し、その裏で水面下では一課が全面協力して他のルートを当たらせたのだ。
美和子に対する暴行と恐喝行為があったのだから、堂々と一課も捜査に入れるわけだ。
その目暮から加藤の方へ、それとなく美和子の事情も伝えてあったかも知れない。
そうであっても、一応自分から加藤に頼んでおきたかったのだ。
足早にエレベーターへ駆け込む美和子を見送ってから、高木はその指示に従うべく所轄署に向かっていった。
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工藤新一は、蘭の入院を聞いて取るものも取り敢えず病院へ駆けつけた。
新橋にあるJ医大付属病院である。
なぜ米花市在住の蘭がこの病院に担ぎ込まれたのかわからなかった。
念のため、小五郎のもとへ連絡はしてみたが何も聞いていないらしい。
事故や急病の類ではないようだ。
そもそも新一へ連絡してきたのも、あまり聞き覚えのない女性の声だった。
名を問うても答えてくれず、ただ「早く来るように」と告げるだけであった。
悪戯にしては念が入っているし、そもそもそんなことで新一を騙して利のある人間はいないであろう。
悪い予感がした彼は、指定された病院へ急いだ。
小五郎への連絡は、蘭の入院が事実だと確認出来たらにすればいい。
まだ事情のわからない段階で、不要な心配を掛けることはない。
いざその病院に来て驚いた。
大きいのだ。
大きな病棟がいくつもあってわけがわからない。
案内図を見ると、病棟はA〜F棟と中央棟で7つもある。
さらに同じ敷地内に医大の建物もあった。
病院フロアの案内を見て呆れかえった。食堂や売店があるのはわかるとしても、レストランだけで2つあり、他に喫茶店にそば屋まである。
売店はもちろんコンビニもあるし、別にパン屋があった。
他にも花屋に書店が2つ、おまけに美容室まであるというからすごい。
クリーニング店も入っていて、こちらは病室まで配達してくれるらしい。
至れり尽くせりで、この病院がひとつの街のようになっている。
戸惑ったが、電話での指示通り、中央棟の受付で面会の手続きをしてE棟に向かう。
いちばん大きな建物で、地上10階、地下1階だそうだ。
E棟の受付に行き、服に貼り付けた面会者シールを見せて蘭の名前を告げると、受付嬢はすぐに院内LANで調べてくれ、最上階の1001号室だと教えてくれた。
エレベータも6基もあって、新一が乗ったものには他に数名乗り込んで来たが、みんな9階までで降りてしまい、10階まで残ったのは彼一人だった。
ナース・ステーションに寄って案内を頼むように言われていたのだが、新一が降りるとエレベータの真ん前にナースがひとり立っていた。
(金髪……? 外国人か)
ブロンドの髪をポニーテールでまとめていた。
すっきりとしたロングではなく、割とばさっとしている。
髪の量自体が多いらしい。
どうも普段はまとめている感じではなく、仕事だからポニーテールにしているという雰囲気である。
目つきがやや厳しく、凛とした感じのする女性だった。
ナースに知り合いはいないが、こういうタイプは珍しいのではないかと、新一は要らぬ詮索までした。
「……来たわね」
「……?」
知人のような物言いである。
新一は、もしかするとこのナースが電話してきたのかも知れないと直感していた。
誰だったか思い出せず名を聞こうとすると、ナースはくるりと新一に背を向けた。
「マイ・エンジェル……、いえ、蘭は無事よ。怪我もしていない」
「事故とかじゃないんですか。じゃ……」
「心配しないでいいわ、病気でもない」
「え? それじゃ何で入院なんか……」
「……今回のことは……ごめんなさい」
「え?」
まったく脈絡なく言われたので、新一は面食らった。
「本当にこっちの不始末なのよ。どんなに謝っても償いきれるものじゃないわ、それはわかってる。だけど、ちゃんとケリはつけたから、もう心配ない」
「な……、何のことだ?」
ナースは新一の問いには答えず、背を向けたまま一方的に喋り続けた。
すらりとした長身で脚も長く、制服のワンピースから伸びているふくらはぎのラインが美しかった。
腰もよく張っており、ウェストが引き締まっている分、余計に立派に見える。
年齢は20代後半といったところで、もしかすると30代にかかっているかも知れない。
スタイルが素晴らしいのはともかく、どことなく隙がなく、ナースという感じはあまりしなかった。
「後催眠は解いておいたわ」
「後催眠だって……?」
「薬の効果もじきに消えるはずよ。調べたけど常習性はなさそうだから、禁断症状になることもない」
「く、薬……? おい、蘭にいったい何を」
その時、女はくるりと振り返った。
かなりの美女だが、やはり少し険がある。
だが、そのきつそうな目元は少し柔らかくなっていた。
「心配ないと言ったでしょう? エンジェルもあなたも何も気にしないでいいの。ほじくり出すようなこともしないで」
「……」
「忘れてくれればいい。エンジェルも恐らく、催眠術の影響で記憶が曖昧でしょうし、夢……そうね、悪夢と現実の折り合いがつかずに混乱していると思うわ」
その時、別のナース──こちらは日本人のようだ──が、怪訝な顔をして新一たちを見ながら、1001号室にノックして入っていった。
女はその様子をちらりと確認しながら、新一の両肩に手を置いて言った。
「だから、あなたに出来ることはエンジェルを暖かく見守ってやることよ。何があったのか無理に聞きだそうとせず、普段通りに振る舞ってあげて」
「蘭に何があったんだ!? あんた、それを知ってるんだろう?」
「こっちの不始末と言ったはずよ。それ以上でもそれ以下でもない。あなたもエンジェルも、もうこのことは忘れて。それが身のためだわ」
そこで新一はようやく気づいた。
目を大きく見開いてから思わず口にする。
「あ、あんた、ベルモッ……」
「しっ」
言いかけた新一の唇に、そっと女の長い人差し指が押し当てられた。
冷たい指先だった。
蘭の病室のドアが開いて、ナースが新一に歩み寄ってきた。
それを見て、女はすっと新一の前から離れ、階段の方へ向かって行った。
新一が慌てて引き留める。
「ま、待ってくれ! どこへ……」
「あとひとつ後始末が残ってるのよ。……こっちは予定外で予想外だったんだけどね。これを片付ければ……なかったことにできるはず。多分、明日から
あなたたちの学校の先生がひとり……、ううん、何でもないわ」
「何のことだよ!」
「いいから早く行ってあげなさい。エンジェルが待ってるわよ」
そう言い捨てると、ベルモットは足早に階段を下りていった。
そこにナースが近寄って新一に話しかけてきた。
「あなた……、工藤新一さん?」
「は、はい、そうですけど」
「毛利蘭さんへの面会ね」
「そうです……。どうして俺のことを……」
「さっき受付から連絡があったのよ、ご案内するようにって」
若いナースは、そう言って新一を観察している。
「失礼ですけど……、お友達ですか? 同級生とか」
「あ、はい。そうです」
「ふ〜ん……。彼氏ってとこかな?」
からかうようにそう言われると、新一の顔が紅潮する。
事件捜査の際は冷徹なまでの落ち着きを見せる彼だが、プライベートではまだまだである。
「若い」ということだろう。
ナースは興味深そうに小声で聞いてきた。
「ねえ、あの毛利さんってどこかのご令嬢なの?」
「は……? いえ、そういうわけじゃ……」
「そうなの? そうか、綺麗な子だったけどお嬢様って感じではなかったしね」
「何でです?」
「何でって……」
ナースは少し含み笑いして答えた。
「わからない? ここ、特別病棟でね……ぶっちゃけた話、入院費がお高いのよ」
「え、そうなんですか」
「ええ、そう。だから今このフロアで入院してるのは……、毛利さん入れて三人だもの」
ナースによれば、ホテルのスイートとまでは言わないが、匹敵するくらいの病室なのだそうだ。
見舞客用の応接セットもあれば、付き添いが休むためのベッドまで2つもあるという。
「だからねえ、きっといいとこのお嬢さんかもよって、みんなで噂してたのよ。初診料に検査費、入院費も一週間分、気前よくキャッシュで前払いして
もらってるそうだし。ただ保険は使ってなかったなあ、何かワケありなのかな」
「それで、蘭はどこか悪いんですか? 怪我とか……」
「いいえ」
ナースは優しく笑って言った。
「精密検査したけど、どっこも。何も悪くないわ。連れてきた女性にそう言ったら……、ああ、そう言えばその人も外国人の綺麗な女性だったけど……、
入院させてくれって。本人が退院したいと言ったらさせてあげて、もし一週間以内に出ることになっても返金しないでいいっていうの」
それでようやく新一にも読めてきた。
すべてはベルモットのしたことだろう。
「看護婦さん、さっきの外国人のナースって……」
ナースは首を捻って言った。
「私も見たことないのよねえ……。あの人、この病棟なのかしら? うちには外国人のナースもいるけど、あの人は見憶えないわ。毛利さんを連れて
きた方とも似てる気がしたけど……、う〜ん、わからないわね」
「……」
「工藤さん、少し話し込んでいたけど、もしかしてお知り合いですか?」
「あ、いいえ、そういうんじゃないんですけど……」
そこまで言うと、思い出したようにナースが言った。
「あ、毛利さん、目が覚めたようですよ。病室はこっちです」
ナースがそう言って先導すると、新一はベルモットが消えた階段をもう一度見てから、足早に病室へ向かって行った。
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