ネルフ内の職員食堂は比較的評判がいい。
業者を入れているのだが、ネルフが食費を半額ほども補助しているため、外食するより遥かに安価だ。
加えて、社員食堂運営の会社に一任したのではなく、腕の良いコックたちを引き抜いて新たに社食の会社を発足させたため、味の方も申し分ない。
保安上、職員達にあまり頻繁に外出されては困るから、ということになっていたが、司令や副司令はほとんど外食せず本部に籠もりきりだからそうさせたのだ、という陰口もある。

いずれにしても職員たちだけでなく来客にも評判で、食事時間を外すかも知れない職員などを除けば、外で食べたり買い込んできたりする人間は少ない。
全職員の胃袋を賄わせるだけあってスペースもかなり広い。
地価が地上の10倍に匹敵するジオフロントに於いては異例なほどだ。
200人が同時に食事できる大部屋と、来賓用の個室が3つほどある。
司令と副司令は、常に個室をひとつ占領している。

他の社食と異なるのはバーも兼ねているところだろう。
基本的に24時間稼働のネルフ本部に於いて、この食堂もそれに対応し、食事提供時間は4回ある。
朝は6時から8時半まで、昼は11時から14時、夕方の17時から20時、そして深夜23時から1時までである。
総務経理といった日勤者の中には、出勤して朝食をここで摂り、昼食はもちろん、帰り際に夕食まで食べて帰る者すらいる。

その午前1時の営業時間を終えてからバーに変身するのだ。
とは言っても食堂の一角を使って、6席ほどのカウンターと4人掛けのボックスが4つあるだけだ。
徹夜勤務の者が気分転換に、あるいは寝酒をしにやってくる。

ここで大酒を飲んでバカ騒ぎするような職員はいない。
いたとしても、そんな者は司令の逆鱗に触れ、とっとと追い出されてしまうだろう。
司令がたまに来ることもあって、普通の職員は煙たがってあまり流行ってはいない。
というより、酒くらいは外で飲んで羽目を外したいと思うものなのだろう。

そんなバーの数少ない常連であるミサトとリツコは、今日も隅のボックスに席を取っていた。
リツコはこのまま泊まり込みだが、あとは寝るだけらしい。
ミサトも面倒だったら泊まっていけばいいのだが、マンションにはシンジもアスカもいるから、帰れる限りは帰るようにしている。
リツコは相変わらず白衣のままで、下に青いブラウスと黒のタイトスカートを纏っている。
ミサトも、襟の立った赤いジャケットに黒のワンピース姿である。
これもいつものスタイルだ。

「ここんとこ、やけに静かよね」
「何が? ……ああ、使徒」

早い時は一週間と開けず、次々と襲いかかってくる使徒だが、今回はインターバルが長い。
かれこれ一ヶ月近く音なしである。

「一応、全部撃退してるしね」
「そうね。でも、それでこちらを警戒して、なんて知能や感情が使徒にあるとは思えないわ」
「使徒に知性はないというの? そうも思えないところがあるけど……」

ミサトの疑問は当然である。
使徒は出現のたび、前回に撃退された原因を顧みて、攻め口を変えてきている。
ミサトらは意表を突かれることは珍しくなかった。
であれば、知性や意志があると思っても不思議はない。
しかしリツコは別意見のようである。

「あれはね……、過去のデータ蓄積や……そうね、学習能力と呼べるものはあるかも知れない」
「それなら……」
「でもそれは使徒単体レベルとして見れば、ということ。あなたは、使徒がおのおの勝手に出現して私たちを攻撃しているんだと思ってる?」
「うーーん……」
「そうは思えないわよ。ミサトが言ったように、次々と手を変え品を変え、別種に等しいような使徒が襲ってくる。これって変でしょう? 予め使徒というのが存在していて、順番に来ているとは思えないの」
「そっか……」
「むしろ、前回の失敗を反省し、攻撃方法を改善して新たな使徒を作ってる感じがしない?」
「そうね……。でも、その考え方って人間と同じだよね」
「そうよ。だから前にも言ったけど、使徒の構成要素は99%が人間と同じなんだもの。それが、どうしてああも異質なモノになるのかわからないけど。
だから私は、使徒はもっと何か別の大きな意志が作り出して、送り込んできてるとしか思えない」

あれこれ攻め口を変えてくるところを見ても、使徒には何らかの知能があることは間違いないだろう。
しかし、臨機応変にその場の状況に応じて攻撃を変えることまでは出来ないようだ。
それをされていたら、この本部も何回かは攻略されているかも知れない。
感情がないのはもちろんだろう。

ただ、使徒発生のメカニズムはまったく不明だし、どうも彼らを生み出し、ここを襲撃させているのは別の意志のようなものを感じさせることは事実である。

「で、作戦課長の葛城三佐としては、どんな使徒に攻め込まれると困るかしら?」

リツコはグラスを傾けつつ、長い脚を組み替えて言った。
ミサトは間髪入れずに答える。

「エヴァで迎撃できない使徒」
「エヴァで?」
「そう。だってそうなら、あたしの出番ないじゃない」
「……ああ。例えば、こないだMAGIに侵入してきたやつ?」
「あれなんか完全にお手上げっしょ。仮にあの時、リツコやマヤが出張で本部にいなかったらと思うとゾッとするわ」
「そうね……。象は蜂とは戦えない。11番目と13番目みたいなのが来たら、EVAじゃどうしようもないものね」

そう言って、リツコはグラスを軽く煽る。
釣られるようにミサトもグラスを干した。
リツコはスコッチのソーダ割りだが、ミサトはバーボンのオンザロックである。
ミサトは自分のグラスにアイスを足し、新たなバーボンを注いだ。
クセのある香気が辺りに漂った。
いつのまにか、バーにはミサトたちしか残っていない。

「その対応策ってこともないんだけれど……」

染めた髪を手で軽く払ったリツコが、白衣のポケットから何やら取り出した。
見たところ、テレビかエアコンのリモコンに似ている。
ミサトが眼を細めて聞いた。

「……何それ?」
「簡易使徒発見器……ってとこかしらね」
「使徒発見器?」
「そう。簡単に言えば波長パターンを見分けられる装置ね」

使徒は他の生物と異なり、独特のブラッドタイプを持っており、これを解析することで使徒かどうかを判別している。
使徒出現の報がくると、レーダーから送られた位置情報を確認し、すかさず外部映像と音声、及び核磁気共鳴画像などが瞬時に記録される。
その際、MAGIを通して対象が使徒であるかどうか判断するわけだ。

「へー! どうやって使うの、これ」

ミサトはリツコからそれを受け取ると、興味津々といった風情で眺め、いじり回した。

「簡単よ。先の方を自分の手に向けてくれる? それでそこのスイッチ……そう、そこ。そこを押してみて」
「ん……、何かオレンジになってるけど……」
「つまり、あなたは使徒じゃないってことね」

スイッチを押すと小さくピッと電子音が鳴って、、エアコン等のリモコンについている赤外線発射レンズに当たる部分がパッと赤みがかった光線が発射される。
それが調べる対象物に当たると、それを透過した光がオレンジになっている。
ミサトは自分の手のひらに光線を当てて、手の甲からオレンジの光が透過しているのを見て感心した。

「へー、なるほどぉ。面白いね、これ。いつの間にこんなの作ってたの?」
「こないだからずっとね……。マヤと一緒に合間を縫ってコツコツと。まだ試作品よ」
「人が悪いなあ。こんな便利なものがあるなら教えてくれれば……、ってか、配布すればいいのに」
「言ったでしょう? 試作品なんだってば。もうちょっと小さくしたいし、確実性も増したいしね」
「すごいじゃないの。これなら簡単に判別できるわ」
「まあね……。私もマヤも、MAGIを乗っ取られかけたことがけっこうショックだったのよ」
「わかるわ……。私も四号機が汚染された時はね……」

ネルフ内部に使徒が潜入することは考慮していなかったため、MAGIに侵入したナノマシンタイプの使徒に対応が遅れた。
不意打ちを食らった腹立たしさもあったが、同時に衝撃でもあったのだ。
使徒の攻撃パターンを考えれば、当然こうしたことは予測し得たことだったからだ。

「これって、もし使徒に光を当てたら……」
「もちろん青くなるわけ。それが生物であろうと無機物であろうとね」
「試作品ってこれだけ? 他にないの?」
「あるわよ。それは零号機ってとこね。今は弐号機まで出来てる」
「じゃ、これもらっていい? 何かと便利そうだし」
「いいわよ。多少乱暴に使ってもらってもいいわ。使い勝手の感想が欲しかったところだし。どうやったら壊れたか教えてね」
「そんなことしないわよ。でも、これは便利だと思うけど、ナノマシンなんかで来られたらわからないわよね」
「今度はこっちもそれなりに警戒するから、前回と同じ轍は踏まないわ」
「ま、そのためにリツコたちがいるのよ。敵さんが硬軟両面で来る以上、こっちもそれに応じて対処しないとね」
「まあね。でも、武力で何とかしなくちゃならないことの方が多いわ。なのに現状はね……」
「ん……、アスカね」
「ええ……。このままじゃ出撃、いいえ、起動すらままならなくなるわ」
「そっちとしてはどう見てるのよ」
「あなたも言ってたでしょ? 精神的ダメージが大きすぎたんでしょうね。プライドの塊のような子だったから……。これがシンジくんみたいなタイプなら、
また話は別なんだけど」
「シンジくんの場合、あれはあれでちょっち問題なんだけどね」
「でもあなたがちゃんとコントロール出来てるじゃない。レイはその手の苦労はゼロだけど、アスカはね。彼女、シンジくんに対してかなり複雑……
というか、屈折した感情を持ってるから。単純なライバル心から来る嫉妬だけじゃないでしょう?」
「……なまじ、シンジくんを異性として意識し始めた矢先だったから、余計にそうなのかもね。そうじゃなくても14歳……、難しい年齢だもの」
「そう言えば」

リツコがふと思いついたように言った。

「そのアスカ担当、明日、来るらしいわよ」
「へえ……。コア差し替えまで考えてたあの司令が「弐号機パイロットを何とかする」と言い出した時にも驚いたけど、随分手が早いわね」
「それがね、ミサト。誰が来ると思う?」

リツコはグラスを置き、両肘をテーブルについて、組んだ両手の上に顎を乗せた。
そして、思わせぶりな格好と口調でミサトを驚かせた。

「龍田くんよ」
「は……?」
「やぁだ、忘れたの? だから……」
「憶えてるわよ! びっくりしただけよ……。ホントなの?」
「らしいわね。私も聞いたのは昨日よ。あなた、昨日いなかったから言いそびれてたけど……」
「龍田くんかぁ」

ミサトは感慨深げに天井を見ると、そのままソファに身を沈めた。

「懐かしいなあ」
「なんかさ、大学の同窓会になってきたわね」
「ふふ、そうね。でも、それだけあたしたちの世代に優秀なのが多いってことじゃないの」
「はいはい」

ふたりの美女は、そう言って笑い合った。

──────────────

その日、龍田レイジが徒歩でネルフ本部へ出頭しようと思ったのは大した理由ではない。
自動車免許は持っていたが、マイカーの必要性を感じなかったので所持していない。
箱根湯本駅からタクシーを拾ったのだが、あまりに好天だったので途中で降りてしまった。
街を覚える意味もあって歩いてみることにしたのだ。
迷いながら30分くらいかけてぶらぶら歩いていると、たちまち汗をかいてきた。
暑いなと思って天を見上げると「これでもか」と言わんばかりに憎たらしい太陽がギラギラと照りつけている。

徒歩を後悔しかけたその時、ようやくジオフロントへの特徴的な入り口が見えてきた。
ホッと太い息を吐いた瞬間、それは来た。

「あっ……」

ぴしゃっと何かが空から降ってきた。
雨など想像も出来ないピーカンだったし、雨というよりは少し粘着的な液体だった。
龍田は顔をしかめながら、そっとうなじに手をやった。
思った通り、鳥の糞か何からしい。
それに触れてから、ハンカチで拭えば良かったと思ったが、後の祭りだ。

「ん? 何だこりゃ」

右手の指先に付着していたそれは透明だった。
鳥の糞などではなさそうだ。
感触としては、ちょうどスライムか何かのような手触りである。

鳥の糞というやつも、よく見ると様々な色に別れている。
白っぽい部分や黒、灰色、茶色がかった箇所があって、それが混じり合うような感じで構成されている。
人間や犬猫のそれとはだいぶ違う。
それには確か、透き通ったところもあったから、それなのかとも思ったが、それにしては他の色がなくすべて透明である。
念のため匂いを嗅いでみたが無臭だった。

「まあいいや」

龍田は何でもなかったかのように、それをハンカチで拭い取った。
そのままポケットにしまうと、予め渡されていたIDカードを判定システムに提示する。
小さなモニタに「OK」の表示が出て両開きのドアが開いた。
龍田は、エスカレータに足をかけながら、眼鏡の奥の目を指で擦っている。
顔を洗ったつもりだったが、まだ眠い。
目やにがポロポロと零れてきた。
改めて制帽を被り直し、ネクタイをキュッと締め上げた。
手鏡でもあれば、軍帽の向きやネクタイの曲がりも確認したいところだが、洒落っ気に欠ける龍田としては、そんなものは持ち合わせていない。

長いエスカレータを下り終わると、今度はエレベータがある。
そのホールにひさしぶりに見るふたりの顔があった。

「来たね」
「いらっしゃい」

ニッコリ笑った葛城ミサトと微笑んだ赤木リツコだった。

──────────────

シンジたちEVAパイロットは、控え室を兼ねたブリーフィング・ルームに招集を掛けられていた。
三人が集まって間もなく、ミサトが同年代らしい男性を伴って現れた。

「みんな、いるわね? 新しい関係者を紹介するわ。こちら、龍田レイジ三佐」
「よろしく」

龍田は会釈したが、それに会釈を返したのはシンジだけで、レイは無表情のまま彼を見ているだけだったし、アスカは一瞬「あれ?」という顔をしたが、
すぐにその表情を消し、まるで値踏みでもするような目で眺めている。
その時、龍田はなぜか軽く目眩がしたのだが一瞬のことで、小さく頭を振ってしゃきっとさせた。
目の奥が少し熱く痛むので、少し熱でもあるのかも知れない。
だが、いずれにしても「風邪だ」と騒ぐほどではないと思い、ミサトの紹介を聞いている。

「龍田三佐は医官です。つまり、あなたたちの健康面を管理してもらうことになるの」

すかさずアスカが突っ込みを入れる。

「ネルフには専門病院があるじゃない。なんでわざわざ別に医者が必要なのよ」
「突っかかるじゃない? あそこにはここの職員だけでなく、民間人も受け入れてます。機密保持の面が不安だったのよ。特にあなたたちEVAパイロットは
使徒戦に不可欠で大切な存在なんだから、特別に専任医に診て貰うってわけ」
「……不可欠ね」
「何か言った? アスカ」
「別に」

ミサトは軽くため息をつきながら話を続ける。

「身体だけでなく心の方もね。龍田医官は外科、内科も一通り診られるけど、本職は心療内科なの。カウンセラーの資格も経験もあるから、何か困ったことや
悩み事があるなら何でも相談していいわ」
「あの」

シンジがおずおずと発言した。

「なに?」
「それって、EVAとかネルフとか、そういうことの悩み相談ってことですか? 今までミサトさんとかに頼ってたけど……」
「そうね。もちろんあたしでもいいんだけど、専門の人を置こうってことになったの。だから、まだ龍田くん……じゃない龍田三佐に言いづらかったら
あたしを通してくれても構わないわ。それに、別にここのことだけじゃなくていいの。学校とか友達とか、そういうプライベートな悩み事でもオッケーだから」
「はあ……」

気の抜けた返事をしたシンジを小馬鹿にするようにアスカが言った。

「つまり、あんたみたいにくよくよしたのが、何でもかんでもミサトに泣きつくから、いい加減ミサトもうんざりしたってことよ。わかった?」
「そうじゃないわよ、アスカ。あなただって、あたしにもシンジくんにも言えない心配事とかあるんじゃないの? そういうときに彼を使ってくれればいいのよ」
「は? あたしは悩みなんかないわよ」

「そうは見えないけど」という言葉を飲み込んでから、ミサトが言った。

「まあ、友達っていうか、人生の先輩として何でも相談してよ。友達と言えば、実を言うと龍田くんは、あたしや加持くんとも友達なの」
「……」

その時だけ、アスカの表情が動いた。
もちろんそれを知って、ミサトは意識的に加持の名を出したのである。

「リツコともね。大学の同窓生なんだ。あたしたちが卒業した後でも、医学部だった彼は大学に残ったわけ。その後、戦自の医官募集に応じて受験、見事に
合格して今に至る、と、こういうこと」

そこまでミサトが言ってから、龍田がおもむろに口を開いた。

「今、葛城三佐が全部言っちゃったから、僕から付け加えることはありません。まあ、葛城の説明通り、何でも相談してください。風邪引いたとか、
そういう時でも対応できますから。ここの隣の空き部屋をパイロット用医務室として貰ったんで、ま、気軽に来て下さい。用がなくても来ていいよ。
コーヒーくらいはいつでも飲めるようにしておくから」

と、龍田は気さくそうに言った。

身長は加持くらいだろうか。
体格もほとんど彼と変わらない。
ただ加持のように無精髭を残したり、制服の襟を外したりということなく、きちんと着こなしている。
きっちりとした性格なのだろう。
眼鏡を掛けているが日向マコトのようなものではなく、ノンフレームの怜悧そうなものだ。
その相貌も鋭いものがあるが、柔和そうに装っているらしい。
しかし、ミサトや加持たちとも気心が通じているということは、おかしな人物ではないのだろう。
シンジはそう判断した。

自己紹介は5分ほどで終わり、三人の14歳はそれぞれ帰路に就いた。
部屋に残ったふたりは、テーブルを挟んで腰掛けて苦笑していた。
ミサトは肘を突いて顎を両手に乗せたまま、同窓生の顔を覗き込んでいる。

「……どうだった、彼らとの初対面は」
「どうも、こうも……。あんなもんだろう、思春期の子供達ってのは」

反抗期に入る年頃でもあるし、おとなに対しては興味と関心、胡散臭さと嫌悪感を併せ持っている。
多分、新任の中学校教師でも同じ感想を持つだろう。

碇シンジという少年は体格的にも華奢で、おどおどしていて気も弱そうだ。
ミサトによると、あれでも以前よりは随分とマシになったらしい。
以前はほとんど自閉症に近いような症例すらあったそうだ。
今ではミサトや他の人たちともだいぶ打ち解けており、そこかしこに年相応の少年らしさも出ているらしい。
控え目というよりは消極的に見えるし、こちらが押せば簡単に引くし、なかなか本心を見せないのが困るとミサトは言った。
しかし、他のふたりよりは扱いやすそうではある。

レイという少女はかなり印象的だった。
感情希薄というか、こちらは少女らしさがほとんどない。
というよりも、半ば人間離れしている。
醒めているというか、達観しているイメージだ。
龍田を見る目にも感情がほとんどないように思え、それが少し怖い感じすらした。
ミサトによると、シンジと同様、これでも前よりは多少感情が出るようにはなったらしい。
それでもシンジとは異なり、司令を除く他の人間に対しては義務的なつき合いしかしないようだ。
ただ、最近はシンジを意識しているらしい徴候が見えるらしい。
ミサト曰く、レイが悩み事相談しに来る可能性はゼロに近いが、身体の変調でもあれば遠慮なく診察室に来るはずで、そういう意味での遠慮とかためらいはないということだ。

龍田は紙コップのコーヒーを啜り、パイロットのレポートを眺めながら言った。

「……で、あの赤いのを着たのが……」
「アスカ。惣流・アスカ・ラングレー。ドイツ人とのクォーターで、もともとドイツ支部にいたのよ」
「知ってるよ、僕もベルリンにいたんだから。綺麗な子だったけど、勝ち気なんだよね」
「かなりね。何て言うか、プライドの塊って感じ。でも三人の中ではいちばん適正が高いと思うわ。レイは義務というか、しなければならないから
EVAに乗る感じだし、シンジくんはEVAに乗ること自体、躊躇しているところがある。でもアスカは自分から喜々として乗るからね……」
「ふうん」
「だから、必要以上にシンジくんを意識してる。レイには冷淡だけど、パイロットとしては気にしてるわね。何事も自分がいちばんで、自分が最もうまく
EVAを扱えて使徒をやっつけるということに誇りを持ってるというか、命かけてる感じがするもの」

そこでミサトはふーっと長いため息をついた。

「訓練や検査でまでライバル心剥き出しになるくらいだから、実戦でレイやシンジくんに後れを取ったなんてことがあると、もう大変」
「大変そうだな。葛城は、そのアスカとシンジくんを引き取って同居してるんだって?」
「まあね……」
「リッちゃんが「物好きだ」って笑ってたよ。ネルフだけでなく、私生活でまで彼らの面倒見るなんてな。おまえ、そんなに世話好きだったっけか」
「世話好きっていうか、さ……」
「ああ……」

そこで龍田も思い出した。
ミサトは見た目やその性格からは想像しにくいが、かなり寂しがりやではあるのだ。
家族を早くに亡くしていることもあり、シンジを引き取ったのも疑似家族を作ってみたかったのかも知れない。
それでアスカまで、というのはどうかと思うが、どうも彼女の場合は「押しかけ」だったらしい。

「まあ、その辺はいいや。彼らを一人暮らしさせるというのも、僕から見ても問題だと思うしな」
「調子良い時はいちばん活躍するし、使いやすい子ではあるの。ただ、他のふたりに比べて感情の起伏が激しいのよね……。まあレイは感情の起伏自体が
ない子だし、シンジくんは自分の中に籠もっちゃう方だから、余計にアスカが目立つんだけど。それに、大抵はハイであって落ち込むことなんかなかった
からね、今までは。そういう意味では前向きな子よ」
「……で、そのアスカが問題なわけだ」
「正直言って、もうお手上げ」

ミサトはおどけて両手を挙げて見せているが、その顔はどちらかというと寂しそうだった。

「あたしだけでなくリツコもね。こないだのシンクロテストでも、もう起動ギリギリレベルまで落ちちゃってさ。これが体調や何かの問題で一時的に
下がってるとか、過去にも上下したことがあるとかいうんなら心配することもないんだけどね。アスカはもともとシンクロ率の高い子で、だからこそ
パイロットに選ばれたわけだけど」
「……」
「当初の伸びは、シンジくんには及ばないまでも、こちらがびっくりするくらいの高さだったそうよ。それからはそこまで伸びないまでも一定はしていて
落ちることなんかなかった。でもねえ、それがここんとこガタ落ちなのよ。ええ、ホントに「ガタ落ち」って表現したいほどにね」
「そりゃまた……」
「今度出撃があったらEVAが起動するかどうかすら怪しいものよ。そうなればアスカもショックでしょうし、あたしたちも困るしね……」
「……司令はどう考えてるんだ?」

龍田が少し低い声で尋ねると、ミサトも声を抑えて答えた。

「……最悪の場合、コアの交換。これはリツコも「このままではやむなし」と判断してるわ」
「もし、起動不能になった状態で使徒が出てきたらどうするんだ?」
「……それでもアスカは出撃しようとするでしょうね。司令もそれでいいと言ってる。なぜかわかる? 「囮くらいにはなるだろう」ですって」
「……」
「私生活でも、もう限界。楽しい楽しい疑似家族生活もおしまいかな。シンジくんはともかく、アスカはね……。加持くんに憧れてるから」
「加持? ああ、そうか。聞いたよ、おまえ、加持とよりを戻したんだってな」
「まあ……、そう……かな。うーーん、でもちょっと……、ま、いいか。そういうこともあってさ、アスカってば最近、あたしのことまでライバルと
いうか、そういう目で見るようになってんのよ。恋敵というか、思い人を奪われたっていうか、そんな感じなんでしょうね。ギスギスしてきてると
いうかさ……、一緒に居るとぎこちなくなってる。あたしは意識してないけど、アスカは必要以上にね……」

ミサトはそう言ったが、「意識していない」ということはないだろう。
アスカをライバルなどとは思っていないのは事実だろうが、加持にそういう感情を持っているということは意識しているに違いないのだ。
まさかアスカと加持がベタベタしたからと言って灼くほど未熟ではないが、度を過ぎればアスカはともかく加持には忠告するだろう。
そんなことはあり得ないので普通に振る舞っているだけなのだ。

「加持の方はアスカをどう思ってたんだ?」
「加持? どうもこうも、保護者以上の感情はないっしょ。ドイツ時代から何くれと面倒を見てきたけど、それが愛情に発展するかといえばそんなことは……」
「ない……、だろうな」
「ないわよ。年の差を考えてもそうだしさ、加持くんの好みとは全然違うじゃない。そもそもあれはロリコンじゃないし。でもアスカの方はね……」
「まあ、あの年頃の子は年上の異性に憧れるもんだしな。男臭い加持にまいっちまっても仕方ないか。けどさ、それならシンジくんだって、けっこう
おまえに憧れてるところもあるんじゃないか?」
「シンちゃん? さあ……、どうかしらね。第一、加持くんとアスカもだけど、あたしがシンジくんに手なんか出したら淫行よ、逮捕されちゃうわ」

ミサトはそう言って笑ったが、どうもシンジに対しては特別の感情を持っているようにも見えた。
愛だの恋だのというものではないだろうが、彼に対してはかなり親愛の情を抱いているように思える。

「そのシンジくんについてはどうなんだ? さっき、レイは彼を意識し始めてるって言ってたが、アスカはそんなことはないのかい?」
「意識してる……と思うけど。異性として」
「ってことは、レイとアスカは恋敵とか、そういうことになるのか」
「……そこまでいかないと思うわ。レイはシンジくんに対する自分の感情を持て余してるようなところもあるし、アスカは見ての通り意地っ張りで
無駄に気が強いからね。シンジくんから言い寄られれば悪い気はしないでしょうけど、アスカから打ち明けるなんてことはまずないわ。今のところはね」
「……僕は恋愛相談にも乗らなきゃならんてことか」
「ふふ、そうかもね。でも、取り敢えずの最優先はアスカよ。使徒に敗れて以来……というか、あれでシンジくんに助けられて、使徒も彼が撃破した
からシンジくんに負けたと思ってるのね。あなたの相手はシンジくんじゃなくて使徒よ、って何度も言って聞かせたんだけど全然ダメ」

そう言うと、ミサトは少し表情を曇らせた。
そしておもむろに顔を上げ、龍田の手を握ってその顔を見つめた。

「だからお願い。アスカを立ち直らせてあげて」
「……EVAに乗せるために?」
「それもある……、けど、それだけじゃないわ。助けてあげたいのよ。……こんなこと言っても、今まであの子たちをいいように使ってきたあたしの
言葉じゃ説得力ないでしょうけど」
「そんなことはないさ。善処しますよ、作戦一課長どの」
「お願いね。そうなれば……、司令のアスカに対する見方も変わるかも知れないから」



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