「ふう……」

明け方近くまでセイラを凌辱し尽くしたフォン・ローゼンベルグ少佐は、その日の午前9時
ちょうどに基地司令のマ・クベに呼び出された。
寝不足と度重なる激しいセックスの疲労で、二日酔いのような鈍い頭痛を抱えたまま、大佐
の部屋へ急いだ。

セイラの調教は順調すぎるくらい順調だ。
あれだけ敏感で芳醇な肢体を持っていたのに、ほとんどセックスの経験がなかったセイラは
ローゼンベルグのどろどろとした極彩色のプレイに気が狂うほどの愉悦を得ていた。
もう彼が強要しなくとも、進んで男根を口にし、アナルセックスをねだり、膣内で射精される
ことで絶頂に達するようになっている。
それでもまだ気位は残っており、セックスの最中以外はローゼンベルグに反抗的だが、それも
時間の問題であろう。
旧ジオン国民であれば誰もが傅くジオン・ダイクンの娘を思うままに犯し、嬲り抜いている
ことを思うと、うずくまった重い疲労も薄まっていくように感じる。

執務室前の衛兵が敬礼するのを面倒くさそうに答礼すると、兵が扉を開けるのももどかしく中
へ入っていく。
ドアが閉まると、カチリとロックが掛かった音がしたのが気になった。

「大佐、お呼びで?」
「……来たか」
「……?」

ローゼンベルグ少佐は部屋にいたふたりの男に目を留めた。
ひとりは基地の警備主任であるクインラン大尉だ。
もうひとりの方は知らない。

「……警備主任をお呼びとは穏やかじゃありませんな、大佐どの。それに、そっちの大尉は
……」
「君は知らんかもしれんが、彼はトレスコウ大尉だ。かつては情報局にいた男でな、今は私の
ために働いてくれている」
「……」
「大尉」

マ・クベの呼びかけに、トレスコウが一歩進み出た。
ポケットから折り畳まれたA4サイズの紙片を取り出し、それを読み上げていく。

「ヨアヒム・フォン・ローゼンベルグ少佐、ジオン公国軍軍規を以て貴官を収監する。容疑は
公金横領、軍事機密の揺曳、それに民間婦女子への暴行だ」

ローゼンベルグの濁った脳細胞も、ここに来て事態を把握した。
どうやらここまでのようである。

「ふっ……、ふはははははっっ」

少佐は哄笑した。

「公金横領? 軍事機密の漏洩だ? そりゃいったい何のことですかな、大佐」
「……」
「確かに私はここの資金を一部いただいている。しかし、それが公金とは恐れ入りますな。
公金とはどこの公金です? 非政府組織であるアクシズのことですか? それとも、そのアク
シズすら裏切ろうとしているあなたの組織のことですかね? 軍事機密にしたって同様だ。
何が……」
「そのよく動く口を閉じたまえ、少佐」
「……」
「連邦からもアクシズからも、そしてティターンズからもカネをせしめているきみからそんな
ことを言われる筋合いはない」

トレスコウ大尉が付け足して言う。

「おまけにカラバとも接触を図っていたようですな。こちらは相手にされなかったようだが。
ま、当然ですが」
「節操のないことですな」

クインラン大尉が薄笑いを浮かべて言った。
ローゼンベルグ少佐は、気づかれないようじりじりと後ろに下がっていく。
そして懐に手をやった。

「!」

ポケットをまさぐる少佐の動きを敏感に察した警備主任は、咄嗟に腰の拳銃を抜いた。
その動きをローゼンベルグが鋭い声で制した。

「動くな!!」

少佐が取りだしたのは3センチ平方ほどの小さなケースだった。
ローゼンベルグはそれをマ・クベにつきだして言った。

「こいつはガス装置の起爆スイッチです」
「……」
「万が一を考えて、メインのコントロールとは別にコントローラを作っておきました。まさか
こいつを使うハメになるとは思いませんでしたがね。少々、大佐を見くびっていましたかな」
「……」
「銃を捨てていただきましょうか。念のために言っておきますが、この基地にセットされて
いる装置もコントロール出来ますよ」

クインラン大尉はさすがに戸惑って、マ・クベとローゼンベルグを交互に見ていたが、マ・クベ
とトレスコウは落ち着き払っていた。
その様子が気に入らなかったのか、ローゼンベルグは、やや高ぶったような声で言った。

「聞こえないのか! 銃を捨てろと言ってるんだ!」
「……警備主任」
「……はっ」
「ローゼンベルグ少佐を拘禁したまえ」
「は……?」

このまま銃を突きつけてそんなことをしたらスイッチを入れられてしまうではないか。
大佐が言った。

「クインラン、もしローゼンベルグがスイッチを作動させたら射殺しろ」
「しょ、正気なのか!?」

脅えも恐怖もなく一向に態度を変えないマ・クベに、焦ったローゼンベルグはそう言った。

「ウソだと思ってるのか!? こいつを押せば、フォン・ブラウンもグラナダも、それにこの
基地だって青酸ガスで充満するんだぞ!」
「押せるものなら押してみたまえ。押せば貴官は射殺される、それだけのことだ。もしスイッ
チをこちらに渡しておとなしく罪に服せば長生きできる」

マ・クベの言葉に逆上した少佐は、わなわなと震えながら叫んだ。

「ふ、ふざけるな! 俺の方が立場は上のはずだろうが! きさまがそのつもりならこっち
にも考えがあるぞ!」

もはやローゼンベルグに精神の平衡は消え失せている。
引きつったような表情で、トーンの外れた笑い声を上げながら言う。

「俺も終わりだが、おまえらも終わりだ! こうしてやる!」

狂った貴族の末裔の指が僅かに動くと、意外なほどはっきりとカチリという音が響いた。
その金属音に反応するようにクインラン大尉の銃口がローゼンベルグ少佐に向いた。
ばすっというくすんだ音が二回轟いた。
消音の効いた炸薬を用いた銃弾が、二発とも少佐の左胸を撃ち抜いていた。
それとほぼ同時に、建物のどこかで腹に響くような鈍い爆発音が起こった。
手にしたスイッチを放り投げて崩れ落ちた少佐の遺体には一瞥もせず、マ・クベ大佐は冷静な
口調で命令した。

「クインラン大尉、館内放送を通じて兵たちを避難させたまえ」
「は、はいっ」
「落ち着け。兵たちにも、慌てることはない、落ち着いて冷静に避難せよと命じろ」

大柄な警備主任が、それでも慌てたように外へ向かう背中にマ・クベが言った。

「兵には好きなところへ行けと言いたまえ。貴官も好きにするがいい」

クインランは命令を復唱もせずに、部屋の外へ駆けだしていった。
大佐は、部屋に残ったもうひとりの大尉にも言った。

「トレスコウ大尉、君も自由にしたまえ。組織は解体する」
「それでは大佐は……」
「私も勝手をさせてもらう。大尉も好きにしろ。ハマーンの元へ戻るもよし、それともこの際
軍を辞めるかね?」

──────────────

セイラがその爆発に気づいたのは、ローゼンベルグに犯された部屋だった。
この日も夜に演説を依頼されていたのである。
少佐の強烈なセックスに翻弄され、虚ろなままだったセイラだったが、外が騒がしいことに気
づいた。

さっきの爆発音と関係あるのだろうか?
そう考え始めると、途端に彼女の脳細胞が甦ってくる。
これはチャンスかも知れない。
何が起こったかわからないが、基地内は混乱しているようだ。

セイラは慌てて服を身につけだした。
私服のスーツもあったが、アクシズの基地内なのだからジオンの制服の方が目立たなくていい
だろう。
そう思って、公国軍女性士官用の制服を着込んでいった。
シャワーでも浴びて、男の匂いを消したかったがその時間もない。
髪だけブラシで梳いて部屋から飛び出した。
廊下の向こうから、ヘルメットを被った兵がふたり走り込んできた。

「ちょっと! 何があったの?」
「なんだあんた、まだこんなとこにいたのか!?」

兵は息を切らせたまま立ち止まって言った。
多分、セイラの正体についてはわかっていまい。
単にアクシズのウェーブだと思ったのだろう。

「どうしたの!?」
「よくわからないんだよ」

と、兵は将校に対して敬語も使わずに言った。

「わからんが、とにかくどこかが爆破されたらしい。そんでガスが噴き出してるんだ!」
「ガス? ガスですって!?」
「そうだ! 毒ガスだって話だ。みんなもう逃げてるぞ、あんたも逃げろ!」

兵はそう言い捨てると、被っていたヘルメットを投げ捨てて走っていった。
ガスとは多分、ローゼンベルグたちが仕掛けた青酸ガスのことだろう。
基地にまでセットしてあったのだろうか。
兵が泡を食って逃げ出しているところをみると、何らかの事故か手違いでそれが撒き散らさ
れたようだ。
となれば脱出の大きなチャンスではあるが、そうのんびりもしていられないということである。

セイラは辺りを見回すと、さっきの兵が逃げてきた方向から、もやもやと薄まった黄色いガス
が侵入してきていた。
あれがそうなのだろう。
セイラは逃げるように階段を目指して走った。
そして、一歩昇ろうとして脚がぴたりと止まった。
既に二階は黄色いガスが充満しているではないか。

彼女は踵を返して戻り、手近の部屋に入っていった。
中はもぬけの殻で、書類が散らばったり、戸棚が開け放たれていた。
セイラは大きな窓を開けると周囲を見回した。
建物のあちこちにある窓から煙が噴いていた。
爆発は確かに一階だったようだから、ガス装置は一階にあったとみるべきだろう。
なのにガスは一階より二階の方が濃いように見えた。
そして早くも三階へ到達しかけている。
ということは、このガスは空気より軽くて上昇していく性質があるということなのだろう。
ならば上へ逃げるのは愚策というものだ。
セイラは、屋上倉庫にある大気圏航空機で逃げるという案はあっさり捨てた。
と言って、地下へ逃げてもいずれはガスが入ってくる。
口や鼻を押さえて呼吸をせずに、一気にガスの中を突っ切るかとも思ったが、いかにも無謀で
ある。

セイラは青酸ガスの性質など知らない。
致死量がどれだけかわからないのだ。
もしかしたら10回や20回くらい呼吸しても平気なのかも知れないが、逆に一口でもアウト
かも知れないのだ。
金髪の美女は思い切って地階へ走った。

──────────────

その頃、カイはグラナダでガスに襲われていた。
どうもマ・クベたちは、フォン・ブラウンだけでなく、このグラナダにもガスを仕掛けていた
ようだ。
考えてみれば、ブラウン市にだけセットしたという保証はどこにもなかったのだ。
カイは己の迂闊さに歯ぎしりしながら街を走っていた。
ガス装置が炸裂したということは、マ・クベたちに何か動きがあったということに違いない。
とすればセイラの身にも危険が降りかかっているかも知れないのだ。

しかし、今のカイにはどうにも出来なかった。
彼は自分に出来ることをしていた。
あの売春婦を探していたのだ。
カイの頼みに応え、探りを入れてくれていた彼女を見殺しには出来なかった。
そのカイの背後にも、粘っこい黄色い煙が迫ってきていた。

「くそっ。ジェニー!! どこだっ!!」

──────────────

セイラの期待に反して、地下にもガスが来始めていた。
まだ濃度は薄いらしく、目を凝らしてみるとようやく黄色いガスが見える程度である。
しかし致死量がどの程度かわからない以上、無闇に近づくべきではなかった。
セイラはハンカチで口と鼻腔を覆い、重くて頑丈そうなスチール製のシャッターの前に来て
いた。
カイに聞いたところによると、この基地にも車輛や兵器の倉庫があるらしい。
そこへ行けば、何か軍用車が残っているかも知れず、それで逃げようとしたのだ。
稼働させると、ゴンゴンと低い音を立ててゆっくりと上昇していくシャッターをもどかしく
見ていたセイラは、身体は入るくらいの隙間が開くと、そこに身を屈めて潜り込んでいった。

「……」

シャッターで閉められていただけあって、さすがに中へはまだガスの浸透はないようだ。
しかし、中を見回してセイラは失望した。
いくつか車輛は残っていたが、みんな屋根がない。
オープントップの自走砲や、簡単な幌しかないジープ・タイプのエレカばかりである。
バイクやサイドカーが数台転がっていたが、こんなものは論外だ。
外が無事なら、幌のエレカだけでも突っ走っていけば何とかなるだろうが、グラナダ自体が
どうだかわからない。
もし市街地もガス攻撃されていたら、ジープで逃げても無意味である。
グラナダのドームを出ればいいだろうが、外の重力は1/6で、おまけに大気はない。
出るに出られないのだ。
何としてもシールド・タイプの車輛が必要だった。
セイラはこの倉庫を見限り、隣のシャッターを開けてみた。

「!!」

中には巨大な人型兵器がゴロゴロしていた。
モビルスーツ庫だったようだ。
天井クレーンが何基もあるところを見ると、整備工場も兼ねているのだろう。
場内の兵員はすでに逃げ去ったらしく、人の気配はなかった。

「……仕方ないか」

セイラは小さくつぶやいて、MSに走っていく。
腕のないものや上半身が外されているものもある。
しかしまともに組み上がっている機体もけっこうあった。
車輛と違ってMSは専用パイロットでなければ、おいそれと操縦できないからだろう。
さすがにMSパイロットはここでも少ないらしく、使えそうな機体が整備済みで残っていた
のだろう。
セイラはその中で、コックピットのハッチが開いていた機に乗り込んだ。
見覚えのあるMSだった。
リック・ドムである。

セイラが参戦した一年戦争末期の宇宙戦で登場してきたジオン製のモビルスーツだ。
その形状から、連邦側が「スカート付き」と呼んでいたその機は、もともと地上局地戦用と
して開発された重MSだった。
脚部に装着した熱核ジェットエンジンを使ったホバークラフト・システムを使い、脚への
負担を軽減し、地上を高速移動出来る画期的な機体であった。
大出力のジェネレータがものをいったわけだが、その反面、フルにジェネレータを噴かして
機動し続けると、燃料消費も鰻登りに上昇する欠点もあった。
そのため局地戦用とされたわけである。
重武装でいながら高い運動性を誇ったドムは、戦闘が宇宙空間へ移動しつつあった戦争後期
次期主力MSであるMS−14の開発終了までのつなぎとして宇宙戦用に改装された。
それがMS−09Rリック・ドムだ。

もともと拡張性があり、キャパも余裕を持って設計された機体だけあって、熱核ジェットエン
ジンを熱核ロケットエンジンに換装した他はほとんどいじらなかったにも関わらず、MS−
09Rは軍部の予想以上の戦果を挙げて見せたのだ。
リック・ドムの性能に目を付けた軍は、主力のゲルググ開発が始まったあとも、つなぎだった
リック・ドムの生産を続行した。
MS−14は高性能ではあったが、高価かつ工程の複雑さ、整備の困難さを併せ持った気難
しい機体で、必ずしも現場の評判が良かったとは言い難かった面もある。
ベテラン・パイロットが搭乗すれば、カタログ通りあるいはそれ以上の能力を発揮したが、
末期のまだ育成が行き届いていない新兵では、ザクほどの戦果を上げることも難しかった。
その点、リック・ドムであれば製造工場でもほとんどそのままかつてのドムのラインが使える
し、もともと扱いが簡便だったところへ持ってきて、操縦もしやすかったから、現場の計算が
立つのである。

セイラはそこまで考えたわけではないが、咄嗟の判断でスカート付きを選択したことは正しか
った。
もっとも、彼女が搭乗したのはMS−09R2、つまりリック・ドム2である。
特にMSに関心があるわけではなかったし、見た目はほとんど変化がないから無理もないだろう。

リック・ドム2は、マ・クベが立案した統合整備計画に則ってMS−09Rを大改装した機体
である。
他機種とのパーツ共用や生産性および整備性の向上の他、評価の高かった大型ジェネレータや
スラスターのさらなる改善、そして姿勢制御バーニアの増設、プロペラント・タンクの実装と
いった改造が施された。
量産型がロールアウトしたのが終戦直前だったこともあり、一年戦争にはほとんど参加して
いないが、その後の掃討戦やデラーズ紛争時には部隊単位で投入された記録がある。

0088年の今となっては旧式機ではあるが、終戦まで高品質を保ち続けた公国軍MS最後の
量産機だけあって、乗っていて不安感がまるでない。

セイラが連邦製ではなくジオン製の機体を選んだのはもうひとつ理由がある。
毒ガス対策であった。
ジオンは、マ・クベの核ミサイル発射疑惑でわかるように、いざとなったら核や化学兵器を使用
する覚悟があったことは知られている。
それだけに、連邦側がその報復としてジオンに対してそれらを使ってきた場合を考慮して、MS
には標準で対核対化学兵器用の防御システムを搭載していたのだ。
一説には、この「余計なシステム」搭載がジオンMSの高価さの元凶になっているという話も
あるが、実際に搭乗するパイロットにとっては保険のようなものであり、ありがたかったこと
だろう。
このリック・ドム2にも、密閉与圧式のABC防御機構が付いている。
換気のための通気システムにも超微細フィルターが使われ、放射能はもちろん、細菌やガスも
通さないようになっていた。

一方、連邦軍の方はと言えば、南極条約でABC兵器使用の厳禁が謳われている以上、その
必要はないとして未装備だった。
無論これは建前で、とにかく一機でもモビルスーツの数が欲しかった連邦軍としては、出来る
だけ簡易簡素な機体でよし、としたのである。
量産型ジムが、いかにも粗製濫造の感が否めないのもそういう理由だ。

確かに正規軍同士が正面からぶつかり合う場合の兵器群は「質より量」という面があるから、
戦略的には誤っていない。
しかし、その俄作りの機体に乗らねばならないパイロットは決死の覚悟が必要だったろう。
何しろ、極初期型の量産ジムには換気用のベンチレータすらないという有り様だったらしい
から、パイロットの苦労が忍ばれる。

セイラは、ほとんど手探りの状態でドムの操作系を確認した。
期待した通り、毒ガスはしのげそうだ。
ジェネレータを確認したが、こっちも問題はなく、燃料もフルではないが節約すれば5時間
くらいは稼働出来そうである。

彼女自身、コア・ブースターに乗機していただけで、MSパイロットではない。
一度だけガンダムを操縦したことはあるが、あの時は無我夢中だったし、歩行させるだけでも
大変だった記憶しかない。
それでも今回はこいつを使うしかないのだ。
操縦系統がジオンと連邦のMSでは異なっているらしいが、ほとんどMS経験のないセイラに
とってはどちらでも同じことである。

セイラはシートに収まると、すぐにハッチを閉めてジェネレータを起動させると、与圧を待っ
てABC兵器防御機構を作動させた。
軽い振動音がすると、完全に密閉され外部と遮断されたことを示すシグナルが点灯した。
暖機する意味もあって、エンジンを始動させてから、コックピット内をチェックする。
各ランプとデジタル・メータを調べていたセイラがつぶやく。

「……コンディション、オール・グリーン。問題なし、ね」

それを合図に、リック・ドムを歩かせた。
まだ少しぎこちないが、どうにか昇降用エレベータにまで到達できた。
エレベータの始動スイッチは外部だが、MS内からもコントロールは可能である。
昇降機に乗ったセイラ機はゆっくりと地上に向けて上昇して行った。

「これは……」

セイラは思わず眉間に皺を寄せた。
すでに地上部も薄いガスで覆われていたのだ。
ここへ生身で出たらタダでは済まなかっただろう。
彼女はドームからの出口を探してMSを歩かせていった。

10分も動かしていると、もうすっかり操縦に慣れてきていた。
一度だけとはいえMSに乗ったことがあることと、航宙機とはいえパイロットだった経験が
あるから、基本的なシステムはわかっているということが大きかったろう。
それと、どうも身体がMSの動かし方を憶えているらしい。
水泳と自転車の乗り方は、一度憶えれば一生忘れないというが、モビルスーツの操縦も同様ら
しい。

セイラがそんなことを考えている時、薄いガス膜の向こうに障害物が見えてきた。
セイラは咄嗟に身を隠した。
物体が動いたのである。
あのサイズから推測するに、向こうもモビルスーツであろう。
ならば、それが連邦軍であれアクシズであれ、セイラにとっては敵に等しい。
セイラはモノアイを操作し、倍率を上げた。
見覚えのある機体だ。

「ジム……?」

連邦軍の機体らしい。
試作型であるガンダム・タイプの簡易量産型MSのジムのようだった。
いかにも華奢そうな機体で、実際に乗ったパイロットに言わせれば「紙のような」装甲だった
らしい。
それでも、連邦重工業の地力にものを言わせてとにかく大増産したため、数だけはジオン製
MSを圧倒するほどにロールアウトされた。
ジオンのMSとは1対1ではとても勝負にならなかったが、そもそも大量運用を目的に造られ
た機体だけに、大隊以上の大部隊で投入すれば、それなりの戦果は挙げた。
そのジムが単機で行動しているのは珍しい。

──────────────

「あれはリック・ドム……、リック・ドム・ツヴァイか」

ジム2のコックピットに座っていたのはジオン軍大佐のユニフォームを着込んだマ・クベ大佐
であった。
ヘッドギアから伸びたインカムのマイクを操作すると、目の前のドムに呼びかけた。

「……こちらアクシズのマ・クベ大佐だ。前方のMS−09R2、応答せよ」
−!!

相手が息を飲んだ様子が、ヘッドフォンを通じて伝わってくる。
返事を求めてマ・クベはまた言った。

「応答せよ、こちらマ・クベ大佐だ。貴官の官制名を……」
−セイラ・マスよ。
「これは」

インカムから響いてくるセイラの声に、大佐は失笑した。
連邦のMSにジオンの生き残りである自分が乗って、ジオンMSに連邦軍準士官だったセイラ
が乗っているわけか。
アクシズはともかく、マ・クベは秘密裏に兵器を集めていたわけで、堂々とアクシズやメーカ
ーから購入するわけにはいかない。
裏取引か、ジャンク屋から買うのが中心である。
すると、どうしてもMSタイプをメーカーや軍で統一するというのが難しく、取り敢えずの
戦力を整えるために、かき集められるだけのモビルスーツを入手するしかなかったのだ。
従ってマ・クベの組織では、一年戦争当時のMSから、エゥーゴがアナハイムに造らせた新造
機まで、一種、博物館のように各種取り揃えられていたのである。

「ご無事で何よりです、アルティシアさま」
−その呼び方はやめてと言ってあるはずです。それより、この状況は何なの? なぜガスを
撒いたりしたの!?
「申し訳ないと思っている。ローゼンベルグめが暴走しおってね」
−あの男が……。
「それで、あなたはどうされるおつもりかな?」
−もちろん帰ります、私のいるべきところへ。
「あなたの居場所は我がアクシズ頭首の座だ。地球へ戻ることはまかりなりません」
−冗談じゃないわ、私は戦争ごっこなんかゴメンよ。どうしても妨害するのなら、力ずくでも
帰ります!
「……」

──────────────

セイラは、黙り込んだマ・クベに薄気味の悪さを感じていた。
何をする気がわからない。
あの男の経歴から見ても、多分モビルスーツなど操縦したことはないはずである。
セイラも素人同然なのは同じだが、反射神経はあるつもりだし、運動神経も悪くないと思って
いる。
相手が本職のパイロットならとても勝ち目はないが、マ・クベならいけるかも知れない。

その時、キラッとセイラの脳髄に何かが光った気がした。
セイラは自分でも意識しない内に、ドムの片膝を折って姿勢を低くしていた。

「!」

ちょうど頭部のあった辺りに、ジムが放ったビーム・ライフルの火線が走っていった。
いきなりマ・クベが仕掛けてきたのである。
セイラは怒鳴った。

「大佐、何をするの!! 無駄な争いごとはやめて、私を帰して!」
−そうは行きません、アルティシアさま。あなたが力ずくでも帰国するというのであれば、
不本意ながら私も力ずくでお止めせめばなりません」
「止める、ですって!? 止める手段がビーム攻撃なの!?」
−致し方ありません。この攻撃で考え直してくださればよし、そうでなければ……。
「そうでなければ?」
−こちらの味方になっていただけないのであれば、生きていておられるといろいろ厄介でしてね。
「それで殺すというわけ!?」

金髪の美女はカッとなった叫んだ。
これだから軍人というやつは度し難いのだ。
頑是無い子供と変わるところがない。
セイラは初めてマ・クベに対して殺意を持った。

といっても、こちらの攻撃手段がなかった。
もともとリック・ドム2には、基本装備としてジャイアント・バズーカかシュツルムファウスト
がある。
オプションでは、さらに強力なビーム・バズーカも運用できるのであるが、あいにく今は手ぶらだ。
まさか敵に出くわすとは思っていなかったし、そうでなくとも武器を持とうという発想はセイラ
にはなかったからだ。
ウェポン・チェックで調べると、背中にヒート・サーベルだけは背負っているようだ。
セイラはそれをドムの右手に掴ませた。

「!」

またしてもセイラの脳裏に光が走る。
手が操縦桿とコントローラを光の筋を避けるように動かしていく。
次の瞬間、ジム2のビームが唸りをあげてセイラのドムに襲いかかってきた。
右翼に飛来してきた熱線に対しては身体を捻って避け、左脚を狙ったビームはホバーを噴かして
舞い上がって逃れた。
攻撃が来る直前でそれを察知し、もっとも的確な方向へ逃避している。
セイラにこれほどの動きが出来るわけはないから、これがニュータイプの能力のひとつかも知れ
ない。
だが、逃げてばかりでは戦局は打開できない。
相手のエネルギーが切れるまで逃げ続けるというのも非現実的だ。
こちらの体力だって保たないだろう。
なんとか格闘戦にもっていきたい。
そうなれば勝機が出てくる。

ジム2は、元となったジムと基本設計はまったく同じものだ。
試作段階から問題となっていた単機での性能の低さを解消しようと、センサーやスラスターの
強化や装甲増強に加え武装の拡張が行われた。
しかしジム自体の基本設計がカツカツだったこともあり、生産性が高いという利点以外は、
前機よりは多少マシという程度にしかなっていない。
だからビーム・サーベルを使った近接戦闘や、極端な話、殴り合いならセイラに分があるのだ。

居住性にも著しい差がある。
ジム系はとにかく量産され、その生産速度にパイロット養成の方がついていかなかった。
従って、数で圧倒したい連邦軍としては、とにかく基本訓練だけ積んだ訓練兵でもどしどし戦場
へ送ったのである。
もともと単機戦闘を前提としていないから、部隊の中の一機という考え方なら、多少不慣れでも
数でカバーが利くということだ。

ジムに限らず、この手の汎用人型機動機械の最大の欠点は乗り心地である。
車輪ではなく二本の脚を使ってガクガク歩くわけだから、その操縦席はひどく振動する。
他人の背中におぶられて、乱暴に歩かれているようなものなのだ。
とてもじゃないが、慣れていないと3分も保たずに「MS酔い」して吐いてしまう。
これでは戦闘にならないので、ジム系はかなりサスペンションに気を使っていた。
これでだいぶMS酔いは改善されたようだが、このサスペンションは乗り慣れたパイロットには
えらく不評だったのである。
「まるでトランポリンの上で操縦している」みたいで、調子が出ないというわけだ。
一年戦争時、ジム系に搭乗した連邦軍MSパイロットに、エースが少なかったのはそれが原因だ
という説が有力である。

一方、ジオンにも同様の問題は出ていた。
統合整備計画で、以前よりは生産性があがったMS製造ラインだが、その反面、こちらもパイロ
ットの養成が追いつかなくなってきていた。
連邦軍と異なり、長期的かつ計画的にMS操縦者を育成してきていたジオンだが、戦争終盤に
なり、じり貧となるに従って、歴戦のベテラン・パイロットの喪失が目に見えて増え出してきて
いた。
中堅パイロットたちも、不利な戦況の中、ベテランになる前に戦死してしまうケースが多かった。
パイロット不足に悩んだジオンが、末期には学徒兵までMSパイロットとして動員したのはよく
知られているが、彼らのためにやはりMSのサスペンション機能を見直していた。

ゲルググ以降に生産された機体は、基本的に柔らかいサスになっている。
当然これも、ベテラン級の操縦者にはかなり不評で、彼らは勝手にサスペンション機能を殺して
しまい、わざと「ゴツゴツした乗り心地」に改造してしまった。
これを知った軍部は、違法改造しないようにと通達を出す一方、生産工場に対して、サスを現場
で切り替えられる機能もつけるように指示していた。
セイラの乗っているMS−09R2は切り替え可能機で、当然、彼女はサスを切っていた。
セイラの知る限り、ジムには切り替えはなく、柔らかいサスのみのはずだ。
あのふにゃふにゃしたサスのシートで格闘戦のような動きは難しいはずなのだ。

ジム2から、さらにビームの攻撃が飛んでくる。
セイラはそれらを器用に避けていたが、予想外のことが起こってしまった。

「あっ……」

ガツンと機体にショックがあり、モニタがぶれた。
セイラは慌ててモノアイ・カメラを調整したが、テレビモニタにはノイズしか入ってこなかった。
ダメージコントロール・チェックをかけてみると、頭部付近がレッド・アラームになっている。
拡大して詳細を調べると、アイボール・センサに「No−function」が灯っている。
マ・クベの放ったビームは、ドムに直撃はしなかったが、セイラが隠れた岩肌に命中し、その
大きな破片が跳ね飛んできたのだ。
運悪くそれはモノアイに命中し、そのレンズを粉砕してしまっていた。

セイラはシステムに問いかけたが、ディスプレイには冷たく「現状では修復不能」と出ている。
仕方なくセイラはモノアイの回線を切った。
あとはコックピット前方にセットされている直視用の防弾防熱ガラスを通して前方確認するしか
ない。
セイラは覚悟を決めた。

──────────────

「……」

その、乗り心地の悪いシートに収まっていたマ・クベは、セイラのドムが仕掛けてこないことに
気づいた。
センサの確度を上げて確認すると、手にはビーム・サーベルらしきものを持っているようだが、
他の武装がないようである。
つまり、こっちがいくら撃ち合いを望んでも、飛び道具を持っていないから仕掛けたくとも仕掛
けられないということか。
こっちの武装をチェックしてみると、ランドセルにビーム・サーベルを装備しているようだ。
大佐は、光の刀剣を鞘から抜いた。

──────────────

「……?」

セイラは、前方ジムの動きに戸惑っていた。
マ・クベは、理解の外の行動をしていた。
手にしたビーム・ライフルを投げ捨てたのである。

「弾切れ……?」

エネルギー切れとしか思えなかった。
まだ数発しか撃っていないはずだが、もともと残量が少なかったのだろうか。
いずれにせよ、セイラにとっては願ってもないことである。
格闘性能に優るドム系なら、ジムには勝てるだろう。
お互い素人ということを考慮しても、機体の性能差は段違いなはずだ。

罠かも知れぬという恐れはあったが、サーベルを手にしたまま、セイラのリック・ドム2は
ホバーを利かせて急速にジムに接近していく。
待ちかまえていたジム2もサーベルを抜き、ぐうっと近づいてきたドムに斬りかかっていった。
マ・クベの振り下ろすサーベルを、セイラのビーム・サーベルが受け止めた。

この手の武器は、その装置そのものにはエネルギーは要らない。
サーベルを持ったMSのマニピュレータから、MSの核融合炉からエネルギーを受け取って
そのまま使うのである。
基本構造は、放射するビームを逃がさないための簡単なI−フィールド発生器とビーム発信
機、そしてマニピュレータとのコネクタ、エネルギーチューブだけという至極簡単なものだ。
安価でエネルギー消費も少ない手頃な近接兵器として、MS用基本兵器として一気に広まっ
ていった。

火器管制装置──FCS装備が標準化しているMSに於いて、銃器類は素人が使っても高い
命中精度を誇る。
その一方、ビーム・サーベルやヒート・ホークなど白兵戦用近接直接兵器は、ほぼ100%
使用者の技量で効果が決まる。
そのため、敵味方入り乱れての乱戦や、補給の問題でエネルギーや弾薬が切れた場合、経験
の浅い兵は武器を放り出して逃亡するが、腕に自信があるベテランは最後まで残って奮戦する。
エースか否かは、まさにここにかかっているのだ。

それだけに、お互い素人である今回の戦いに於いて、マ・クベが火器を投げ捨てて白兵に
応じたことは、セイラにとって起死回生のチャンスであった。
こっちが飛び道具なし、相手はビーム・ライフルでは、一方的に撃たれまくっておしまいだが、
サーベル同士なら目がある。

「……」

セイラは、サーベルを抜いてこちらに走り寄ってくるジム2を冷静に観察していた。
ライフルを捨てたことといい、闇雲に仕掛けてくる戦法といい、彼女が知っているマ・クベ
とは印象が違っている。
不可解には思ったが、降りかかる火の粉は払わねばならない。

マ・クベのジムは、サーベルを両手に持って大上段に振り上げていた。
セイラの目から見ても隙だらけの攻め口で、旧ジオンの大佐は斬りかかってくる。
袈裟懸けに斬り込んできたジムの剣を、ドムの剣が受け止めた。
ばちっと大きな電磁音が響き、加粒子ビームを包み込んだI−フィールドが噛み合う。
そのまま力押ししてくるジム2の腹部を、リック・ドム2は思い切り蹴り飛ばした。

「きゃっ」

蹴られたジム2は無様に吹っ飛び、仰向けに転がった。
蹴ったドムの方も、バランスを崩してふらついていた。
セイラもまだ操縦に慣れてはいない。

半身を起こして、落としたビーム・サーベルを握ろうとするジム2の右腕を、セイラのドムが
切り落とした。
少々手応えはあったが、MSの腕一本切り飛ばしたとは思えないほどの小さな衝撃だった。
バッと土煙が舞って、マ・クベのMSの右腕が落下した。

右のマニピュレータを肘から切り落とされたためか、立ち上がろうとしたジム2はバランスを
うまく保てないらしい。
その隙を逃すセイラではなかった。
セイラは慎重にビーム・サーベルで脚の付け根付近を突き刺した。
その辺りに脚部駆動系の心臓部があるはずである。
とにかく動きを封じておかねばならない。
サーベルをぐいっと捻ると、突き刺した右脚付け根付近から、バチンと弾ける音がした。
駆動系のケーブルをうまく切断できたらしい。
続けて左脚にも同じことをすると、ジム2の動きが完全に停止した。

セイラにはマ・クベを殺すつもりはなかったし、ヘタに斬りつけて燃料系か核融合炉が爆発
したら事である。
MSには核融合炉製と燃料電池製の2種類があったが、外見からはその区別はつきにくい。
電池タイプでも、近距離戦で爆発されたらセイラのドムもタダでは済むまい。
セイラはインカムを操作してマ・クベのジムに話し掛けた。

「マ・クベ大佐、聞こえて? おとなしく投降しなさい。と言っても、まだガスが残ってる
からそのままでいていいわ。軍警察が来るまでおとなしく……」

そこまで言いかけてセイラはハッとした。
ジム2の胸の辺りから薄く白煙が洩れている。
確かあそこはコックピットだったはずだ。セイラは慌ててインカムに言った。

「大佐、どうしたの!? 煙が出てるわよ!」

応答はない。

「大佐、ジムにはパイロット脱出用のコア・ファイターがあるわ、使い方わかるでしょ!?」

毒ガスを撒いた男なのだから殺しても、と一瞬思ったセイラだったが、ここで殺すよりは裁判
を受けさせて罪に服させるべきだ。
コア・ファイターに変形したら、飛行する前に捕まえればいい。
ここで死なせては寝心地が悪そうである。
そんなセイラの思いを知ってか知らずか、ジムのマ・クベは沈黙を守り、応答がない。
いくらもしないうちに最悪の事態が起こった。
コックピット付近が爆発したのである。

「大佐! マ・クベ大佐!」

セイラのリック・ドム2は、両手で自分のコックピットを爆発から守りつつ、ジムに近寄った。
爆発は、コックピットのみの小爆発で済んだらしく、燃料系や融合炉は無事のようだった。
操縦席の爆発を受け、自動消化装置が働いて白い泡沫や粉末がジムから噴出し、自らを白く
染めている。
セイラは慌てて爆発したコックピットを剥がそうとしたがムダだった。
そこは装甲カバーごと完全に吹き飛んでおり、操縦席にはマ・クベの肉片すら残っていなかった。

セイラが暗い表情で打ち沈んでいると、南の方から土埃がなびいてきた。
押っ取り刀で連邦軍かグラナダ、あるいはアンマンあたりの地方警察が飛んできたのかと思った
が、近づいてきたのは民間の小型エレカだった。

「……誰?」

聞こえるはずもなかったが、セイラはぽつりとつぶやいた。
何しろメインカメラを潰されてしまったため、目視に頼るしかない。
周囲は薄いガスでもやっている。
肉眼ではわかりにくかった。
それでも、エレカのドライバーがとんでもない格好であることだけはわかった。
ノーマル・スーツではなく普通の服装であり、おまけに防毒ヘルメットやマスクすら装着して
いない。
思わずセイラは怒鳴った。

「あ、あなた、何してるの!? 死にたいの!?」

モビルスーツのコックピット内でいくら怒鳴っても外へ聞こえるはずもない。
セイラはそんなことすら忘れてエレカの操縦者に叫んでいた。
見ると、エレカの方でも大きく手を振って何かを叫んでいるようだ。
小さくてよくわからないが、どうも口のあたりを指差して盛んに何かを伝えようとしている。
その動作につられて、自分の口付近に手をやってようやくセイラも気が付いた。
エレカの男は、通信機の周波数を民間用に調整すれば、彼のつけているインカムに通じるという
ことを言っているのだろう。
3つある民間用バンドに合わせていると、ふたつめでノイズととも肉声が入ってきた。

−……ラさん! あんた……ろ!?
「ちょっと待って! 今、調整してるから!」

セイラはそう言ってデジタル・ダイアルを微調整した。
耳障りなノイズがすうっと消え、今度ははっきりとした、そして聞き覚えのある声が飛び込ん
でくる。

−セイラさん! そのドムに乗ってるの、セイラさんなんだろ!?
「……!! カイ! あなた、カイね!?」
−よかった、通じたな。
「カイ、よかった……。無事だったのね?」
−あんたもな。びっくりしたぜ、こんなところでジムとドムがMS戦なんてよ。しかも、どうも
ドムの方はあんたのような気がしてしょうがなかったんだ。
「……」

そういえば、カイもニュータイプの素養があったらしいことを聞いている。
セイラのそれを、カイは心で認知していたということか。
セイラは知人の無事にホッとしたが、すぐに眦を上げて言った。

「そ、そういえばあなた、なんで無事なの、このガスの中で!」

周囲はまだ薄黄色いガスが出ている。
ドーム外へ換気しているのか、薄いガスが上方へ吸い込まれていっているようだが、まだ充分に
危険濃度ではないのだろうか。
なのに、エレカのカイと、その助手席に乗っているらしい女性はマスクもしていない。
カイは言った。

−いや、俺も驚いたよ、まさかこんなことになってるとはな。
「どういうことなの……」
−ま、いいや。とにかく降りて直接話そうぜ。出て来て平気だよ、セイラさん。
「……」

疑心暗鬼ではあったが、出てみることにした。
カイは平気なようだし、その彼の言うことを疑っていつまでも中で頑張っているというのも
どうかと思ったのだ。
パカンとコックピットの装甲板が開き、出てきたドムの手のひらに乗ると、それがエレベータ
のようにセイラを地上まで降ろしてくれた。
この手の乗降システムはオートマティックである。
セイラは言った。

「ほんとだ、苦しくない……」
「だろ?」

カイは笑って言った。

「どういうことなの?」
「ただのガスなんだってよ」
「ただのガスですって?」
「そ。虫も死なない程度の、ほぼ無害の着色ガスだとさ」
「……??」

セイラが「訳がわからない」という表情を浮かべているのを見て、カイは面白そうに言った。

「セイラさん、どうやってあそこからドムを奪って逃げてきたか知らないけど、その間、ガスは
まったく吸わなかったかい?」
「いいえ……。地下に降りる時、少しね。でも、ハンカチを口に当ててたし、吸っても5回
くらいよ」
「もし、こいつが本当に青酸ガスだったら、それでもおだぶつなんだよ」

シアン化水素ガスの致死量は僅か0.06グラムである。
人の呼吸でいえば、ほんの二口も吸ったらたちまち死んでしまうほどの猛毒なのだ。
それをそんなに吸ってれば、とてもここまで保たないとカイは言った。

「そんな……、で、でも……」
「ガスはどこで噴き出したかわかるかい?」
「ええ、確か基地の一階だったわ……。そこから上昇して二階から上はあっというまに……」
「で、地下はどうだった?」
「そっちはまだマシだったわ」
「な。それもおかしいんだ。青酸ガスってのは空気より比重があって、下から溜まっていくん
だよ。だから一階で撒かれたんなら、二階より地下へ流れ込むものなんだそうだ」
「……」
「しかもシアン化水素ガスは無色無臭だ。黄色い青酸ガスなんてものはないとさ」

セイラは「信じられない」という顔をして聞いた。

「じゃあ……じゃあ、街の被害は?」
「街? ああ、グラナダとフォン・ブラウンだな。安心しなって、死者はゼロだ」
「ゼロ……」
「さっき、ブラウン市の保険局が発表したよ。このガスは無害だからパニックになるなって。
その時に広報官が言ってたが、この件に関する負傷者は3名。いずれも、ガス装置が爆発した
時に、その破片を受けて軽傷を負っただけで入院する必要もないそうだ。当然、死亡者はなし」
「どう……なってるの……」

安心したのか、セイラは脱力してぺたりと地べたに腰を落としてしまった。
カイもつき合うように、その隣に座った。
上着の内ポケットからタバコを取り出し、口にくわえて言った。

「逃げてきたアクシズの連中に聞いたがな、どうも基地司令部が揉めたらしいな」
「揉めた?」
「はっきりとはわからんが、大体は読めるな。ローゼンベルグの不正がバレたんだろうよ」
「……」

紫煙をふーっと吐き出しながらカイは続けた。

「マ・クベに問い詰められて絶望したのか、逆に恐喝したのかわからんが、やつがガス装置を
起動したみたいだな」
「でも、ガスは……」
「そう、無害だった」

カイはセイラの視線に気づくと、シガレット・ケースのフタを開けて奨めた。
彼女は軽く頭を下げると、遠慮なく一本抜き取る。

「思うに」

カイはセイラのタバコに火をつけてやりながら言う。

「……ガスを入れ替えたのはマ・クベじゃねえかな」
「どうして?」
「証拠はもちろんないがね。ただ、やつは……ガンだったらしいぜ」
「ガン!?」

セイラは口をポカンと開けた。

「やつを診察したアングラの医者に聞いたんだがな、末期の胃ガンだそうだ。一度開腹して
みたんだが、かなり進行している上にあちこちに転移していてどうにもならなかったって話
だぜ。保って、あと2ヶ月だとさ」
「……」

不健康な顔色をしていると思ったが、まさか死病に罹っていたとは思わなかった。

「それじゃあ……」
「ああ。やつは汚名を濯ごうとして賭に出たんじゃねえかな」
「汚名……?」
「ほれ、例の核ミサイル」

オデッサでの悪あがきのことだ。
あの時は、アムロのガンダムが何とか核爆発を食い止めて事なきを得ていた。

「……こいつも未確認なんだがな、あのミサイルにゃ核は積んでなかったって話があるんだよ」
「え……?」
「あれは確かに核ミサイルだった。だけど発射する段になって、核弾頭を外したらしいんだな」

意外な話の連続で、セイラの手にしたタバコはひとくちも吸われることなく半分が灰となって
いた。
彼女は、落ち着かせるためにはじめてそれを口にし、そして深くひとくち吸い込んだ。

「でも……何の証拠もないんでしょ?」
「無論さ。だから言ったろ、未確認だって」

カイは短くなったタバコを地面に押しつけながら答えた。

「ただな、その時ミサイル・サイロに勤務していたジオンの兵隊からそういう証言が取れて
いるらしい。連邦軍はそいつを隠蔽したんだな」
「なぜ……」
「決まってる。終戦協定の際、少しでも有利な交渉をするためさ。相手が条約を破って核攻撃
を図ったってことになりゃ、いくら失敗したとはいえ、その賠償額は相当なもんになるだろうぜ」
「……」
「恐らく、核ミサイルに取り付いて阻止したアムロは真相を知ってるだろうよ。もちろんブラ
イトもな。当然、箝口令が布かれたろうから、いくらクルーとはいえ俺やあんたが知らなかっ
たのも無理はねえ」

セイラは言葉もなかった。
ひとくちしか吸えなかったタバコが吸い殻となって地に転がった。

「つまり、マ・クベの野郎は脅しをかけただけで本当に核攻撃する気なんぞなかったってこと
なんだろうよ。となると今回のガス攻撃も……」
「脅しだけ……」
「多分な。アクシズの士官の話だと、この件に熱心で最初に話を持ってきたのもローゼンベルグ
だそうだ。マ・クベは最後まで渋ったらしいな。それでも脅迫効果はあるから、表向き了承して
セットだけはしたんだろう」
「……」
「そうしたところでローゼンベルグの不正が明らかになってくる。それを追求し問い詰めよう
としたが、ローゼンベルグがヤケになってガス装置を可動させたら困る。そこで、事前に無害
のガスと入れ替えておいた。……って筋書きはどうだ?」

多分それで間違いないだろう。
で、あるならば、最後の闘いでのマ・クベの不可解な行動は何を意味していたのか。

「……自決……」
「自決? マ・クベがか?」

恐らく彼は死に場所を探していたのだろう。
核ミサイル攻撃未遂の汚名を濯ぐか、それが出来なかった場合は自分の身を始末しようとした
のかも知れぬ。
どのみち先は短かったのだから。

「……ナルホドね。あのオジサン、カッコいいことするじゃないか」
「ジェニー、おまえ起きてたのか」

シートにもたれて気を失っていた売春婦は、カイたちを覗き込むようにして言った。

「悪かったね。お邪魔だったかい?」
「そうじゃないさ」

カイとセイラは顔を見合わせて苦笑した。
そういう風に見られたのはホワイトベース時代も含めて始めてである。

「とにかく」

ジェニーは赤毛をうるさそうになびかせながら言った。

「あんたも、そっちのお嬢さんもさっさと逃げた方がよかないかい? ま、あたしもだけどね。
おっつけ、軍警察がやってくるよ」
「それもそうだ」

カイは立ち上がって、スラックスの土埃を手で叩いた。
ジェニーがセイラの方を見て言った。

「お嬢さん、あんた運転できるかい?」
「え? ええ……」
「じゃあカイ、あんたフックに掴まって」
「お、おいおい……」
「あたしは運転出来ないんだよ。このエレカは2シートだし、まさか女に後ろの荷物シート
フックのところにいろ、なんて言わないよね?」
「……」
「このお嬢さん運転出来るっていうし、そうするしかないだろ? そもそもこのクルマ選んだ
のはあんたなんだから」
「まいったな」

カイは笑って畳んだ幌の上に腰掛けた。
そのカイの視線を受けて、セイラもエレカのシートに座った。
一度だけ、撃破されたジム2に目をやったが、すぐにエレカのエンジンを起動させる。
そして二度と振り返らなかった。




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