一週間後。
紅恵が、こっそりと後をつける男子生徒がいた。
真田である。
学園派として名を売る生徒会長で、恵としては面白からぬ男だが、さして興味はなかった。
スケバンの紅恵としてならともかく、けっこう仮面の相手としてはあまりにも役不足だった
からである。

なのに彼女が真田に目をつけ出したのは、高橋真弓のせいである。
何かにつけ学園に難癖をつけられ、仕置き教師たちの餌食になっているこの薄幸の美少女は、
それだけに保護本能をそそられる。
特にけい子が目を掛けているのだが、恵も何くれとなく真弓に注意を払い、見守ってきた。
その真弓が、こともあろうに、最近、真田とつき合っているという良からぬ噂があったからだ。
彼女の趣味からしても、とても真田を受け入れるとは思えない。
しかし、真田に寄り添っている真弓を見たという目撃談がいくつもあったのだ。
何かあると踏んだ恵が単独調査に乗り出したのである。

「……」

真田は2−Aの教室へ行くと、真弓を呼びだした。
その様子を見ていると、真弓は無理矢理連れ出されている感はなかった。
しかし恋人同士というような浮かれた様子もない。
どちらかというと諦めたような表情を浮かべている。
何か弱みでも握られて脅迫されていると見た恵は、そのまま尾行した。
着いたのは生徒会室だった。

───────────────

真田が学園長室を訪ねたのは、その翌日であった。
「体調が悪い」と言って授業を抜け出し、誰にも見つからぬようこっそりとやってきた。
辺りをキョロキョロと見回して周囲に人がいないことを確認すると、遠慮がちにだが何度も
ノックした。

「学園長、学園長!」
「なんだ、誰だ?」
「学園長、生徒会長の真田です。お話があります!」
「生徒会長……? まあいい、入り賜え」

許可が出ると、真田は飛び込むように室内に入った。
中では大きなデスクに向かった学園長が難しい顔をして書類を睨んでいる。
まるで西洋の悪魔のようなコスチュームに、日本の般若面のようなマスク。
この格好にどんな意味があるのか、何度見てもサッパリわからない。
それでいて、黙っていても異様な迫力があり、廊下で擦れ違っても、女生徒などは遠巻きに会釈
するだけでおののいているのが普通だ。
男子生徒でも半ばそうで、真田のように何度か学園長と話す機会があった者でも、なかなか慣れ
ることはなかった。
書類から目を離してジロリと学園長が睨む。

「……何の用かね、真田君。まだ授業中のはずだがね」
「……」

威圧感のある受け答えに、真田ですら思わず怯んでしまう。
何も言わない真田に痺れを切らしたのか、学園の支配者はイライラした口調で言った。

「授業中にわざわざ何の用かと聞いておるのだ。生徒会長のくせに授業をサボる気かね?」
「そ、それどころではありません! 大変なんです!」

真田の言葉を聞き、学園長がこめかみを押さえて言った。

「何が大変なのか言ってくれ、真田君。わしゃ、その「大変だ」という言葉は聞き飽きておる
のだ。まったく、けっこう仮面のお陰でな」
「だからそれです! けっこう仮面ですよ!」
「けっこう仮面が出たとでも言うのか?」

学園長が、部屋の天井隅にある校内放送用スピーカーに目をやった。
もし学園内にけっこう仮面が出現すれば、発見した教師か職員が即座に放送室に連絡して「コ
ードK」発生を放送させるはずである。
先に学園長の携帯電話に直接連絡が入ることもある。
それがないではないか。

「そうじゃありません。けっこう仮面の正体がわかったんですってば」
「……」

焦れったそうに生徒は言ったが、学園長はうんざりした顔でその様子を見ていた。
これまでも「誰それがけっこう仮面だ」と言う情報はそれなりに寄せられている。
だが、それらすべてが誤報だったらしい。
というのも、通報があって疑われた女子生徒や職員たちを調べはしたが、結局証拠がなかった
のだ。
それどころか、彼女たちを捕らえて尋問している最中に、本物のけっこう仮面が乗り込んで
きてこてんぱんに叩きのめされたのである。
何度も通報はあったが、すべてそうだった。
終いには、そうした情報はガセネタ扱いされるようになり、ロクに調べもしなくなっていた。
「これ」という決定的な証拠でも出ない限り、いくらスパルタ学園でも憶測だけではあまり執拗
な調査は出来ないのだ。

すべての女性を疑っていてはキリがないし、一般職員ならともかく、教師や成績優秀な生徒を
疑うにはそれなりの根拠がいる。
彼女らに拷問に近い尋問を行えば、教師なら激怒して学園に対して強硬に抗議するだろうし、
生徒ならショックで成績不振になりかねない。
慎重にならざるを得ないのだ。
無駄だと思ったが、取り敢えず聞いてみた。

「で? 誰がけっこう仮面だと言うのじゃ?」
「な、夏綿先生です!」
「……」

聞かなければよかった学園長は後悔した。
実のところ、夏綿教諭を疑う声は過去にもあったのである。
もちろん「事実無根」で、情報を受けて一度取り調べた後、学園長がけい子に平謝りする事態
になった。

「あのな、真田君」

学園長は落胆したように言った。

「迂闊なことは言うものではない。夏綿先生のどこがけっこう仮面なのだ。生徒が教師を疑う
など、以ての外じゃぞ。しっかりとした証拠でもあればともかく……」
「証拠ならありますよ!」

畳みかけるように真田が叫んだ。

「オレ……あ、いや僕は見たんですよ! 夏綿先生がけっこう仮面の衣装を持ってるところを」
「なんじゃと?」

真田は学園長に、昨日起こったあの事件を包み隠さずすべてを告白した。
最初は半信半疑だった学園長も、真に迫った真田の態度や、その証言に矛盾がないことを確認
すると、腕組みして唸った。

「……そうか。あの殺人犯は事故死ではなかったのか」
「そうです。あれは2年の高橋真弓がやったんです。もっとも、ナイフで夏綿先生を殺そうと
したあいつを咄嗟に突き落としたんですから正当防衛だとは思います。それは僕も認めます」
「そうか……。すると何か? つまり高橋真弓があの犯人に攫われて暴行されていた、と」
「はい」
「そこにキミと夏綿先生が駆け付けて、高橋真弓が人質になり、夏綿先生も、その……」
「……はい」

それはあまり詳しくは言えない。
何しろ、けい子は真田をフェラしてくれたのだ。
そのことだけは言わなかった。
学園長は深く頷いていた。

「そうか、そういうことだったのか。だが真田君、それと夏綿先生がけっこう仮面だということ
がどう繋がるのじゃ」
「ええ。その時、犯人が僕らの荷物を取り上げて調べたんです。そしたら夏綿先生のリュックの
中から、けっこう仮面のマスクやブーツが出てきたんです」
「ふうむ……」

それなりに信憑性はあるように思えるが、それにしても本当だろうか。
ウソだとしたら、真田がそんなことを言う理由はなんだろう。
けい子に個人的な怨みがあるとか、そういうことだろうか。
しかし、仮にそうだとしても、こんなウソはすぐにバレる。
今回は見間違いや勘違いなどというものではない。
明らかにウソなのだ。
けっこう仮面に関してウソをつき、しかも教師を陥れるような証言をしたならば、この学園では
タダでは済まないということは、生徒なら誰でも知っている。
まして真田は生徒会長なのだ。
そんなことをして彼が得をする理由はどこにもない。

「キミを疑うわけではないが、それだけではな。証言だけではどうにもならんぞ。何か決定的な
証拠はないのかね?」
「決定的な証拠ですか?」

事実、自分が見たのだから、それ以上の証拠はないと彼は思っている。
しかし冷静に考えれば、疑われても仕方がないのかも知れない。
どさくさに紛れてマスクでも奪ってくればよかったが、後の祭りである。

「そうだな、例えば……。キミは夏綿先生の身体を見たのじゃろう。何か特徴的なことはなかっ
たかね?」

そうは言ったが学園長は期待していなかった。
体つきが似ているから、という理由は理由にならない。
そんなものは今までにもいくつも証言があったのだ。
しかし、それを聞いて真田は目を輝かせた。

「そうだ! 学園長、僕、見ましたよ。夏綿先生の、その、あの……」
「何じゃ、はっきり言え」
「だ、だから、そのお尻がですね……」
「尻?」
「はい。お尻の穴の近くにホクロがありましたよ」

「まったくどこを見ておるのだ、このスケベガキが」と学園長は思ったが、ふと思い当たること
があった。

「ホクロじゃと……? 尻の穴の近く……?」

思い当たることがあった。
医学部事件の時、瀬戸口が撮った写真だ。
SSの阿久沢にも見せた憶えがある。
学園長は「コードK資料」とプレートの入ったキャビネットの引き出しを漁ると、分厚いカタ
ログ封筒を取り出した。
中身をざっとデスクの上にぶちまける。

「うわあ」

真田が絶句した。
出てきたのはすべて女性のヌード写真だったのだ。
けっこう仮面のものだ。
よくもこれだけ集めたものだと呆れるほどの数である。
真田の驚嘆などお構いなしに、学園長は散らばった写真の中から一枚を選び出した。

「これじゃ!」
「え?」

学園長が持っていたのは、臀部のクローズアップである。
写真いっぱいに、大きな尻たぶがデンと写っている。
しかも、男の手によって、それが割り開かれているのだ。
真田にも奇妙な既視感があった。
こんな光景を見たことがある。

「これだ」

あの時、秋本が夏綿教諭の裸の尻を割った時もこんな感じだったのだ。
しかも、写真に写っている臀部にも、肛門のすぐ側に小さなホクロがあるではないか。
学園長が食ってかかるように聞いた。

「ま、間違いないのか!」
「間違いありません、これです」

真田はその写真を両手でしっかりと持ち、顔をくっつけるようにして凝視していた。
もちろん顔は写っておらず尻だけなのだから、それだけで誰と特定することは難しい。
ホクロにしても、人間誰しもあるものだ。
だが、いくらポピュラーだとはいえ、場所まで同じ位置にあるホクロを持った他人を見つける
のはなかなか難しいだろう。
となれば、この写真の人物──つまり、けっこう仮面──が、夏綿けい子と同一である可能性
はかなり高くなるのだ。

「ううむ……」

学園長は唸った。
これを確認するのは厄介である。
まさか、これだけのことで夏綿けい子を呼び出して尋問し、まして素っ裸にしてアヌスを調べる
などということは、いかに強権の学園長とはいえ、さすがに無理だ。
もし真田の勘違いや見間違いだった場合、「間違いでした」では済まない。
ことがことだけに、けい子は文科省へ強硬な抗議を提出する畏れがある。
そうでなくとも学園は文科省に目を瞑ってもらっていることが多い。
その上、昨今の事件多発で、省の方も少々ナーバスになっている。
こんな問題を提訴されたら、学園長自身の身もタダでは済むまい。

では、けっこう仮面を取り調べるか。
これも甚だ無理な注文だ。
取り調べられるくらいなら、とっくに捕まえているだろう。
けっこう仮面が目の前に姿を現すことはあるが、捕縛して身体検査することは不可能に近い。

おまけに、けっこう仮面複数説が有力なのだ。
うまく捕らえたところで、他のけっこう仮面だったなら、尻のホクロもないだろう。
真田の目撃証言も通用しなくなる。
学園長が思い悩んでいると、真田が耳打ちした。

「学園長、手はあります。もし本当に夏綿先生がけっこう仮面なら、間違いなくかかりますよ」

───────────────

咎島。
ここはかつてスパルタ学園を守る警備会社の本拠があったが、けっこう仮面の活躍によりSSS
が壊滅して以降は、すっかり陰を潜めていた。
但し、施設はそのままそっくり残っていたし、機能も減じていない。
規模こそ小さくなったが、今でも稼働していたのである。

使っているのは仕置き教師たちだ。
それまではSSSの暗躍が大きく、仕置き教師たちの活動は、彼らのサポートや学園での不満
分子生徒の捕獲に限られていた。
しかしSSS亡き後、再び仕置き教師たちの支配が始まったのである。

校則違反や成績不良、問題行動を起こした生徒や、不幸にも生贄に選ばれた生徒たち、あるいは
けっこう仮面ではないかと疑われた職員などが連れ込まれ、日夜ひどい責めを受ける地獄と化し
ていた。
SSS健在時は、指揮を執る阿久沢が規律を重視したため、そう惨いことはなかった。
彼には生徒を虐める趣味はなかったし、純粋に学園勢力の固持を目的としていたからである。
今では学園長が率先して生徒を責めているくらいだから、歯止めはなくなっていた。
今日も今日とて、不幸な生徒が引き込まれていた。

「わ、私は何も……!」

例によって高橋真弓だ。
責めているのは学園長である。
今日は学園長が直々に取り調べているようだ。
真弓は涙声で言った。

「夏綿先生は……夏綿先生はどこですか」
「彼女は人権擁護委員じゃ。単なるオブザーバーに過ぎん。この島には来ているが、この場に
は来んわ」
「そんな……」
「君への尋問は明日の朝からと伝えてあるからな。その前に、君から「カンニングをしました」
という言質をもらっておこうと思ってな」
「ひ、ひどい……」

脅えて震える真弓を好色そうな目で見ながら学園長が言う。

「正直に言いたまえ、高橋君。君が苦手の物理で満点を取るなどというのは……」
「そ、その疑いはもう晴れたじゃありませんか!」

またカンニングの疑義がかかっているらしい。
以前も物理で高得点を挙げた時に疑われ、やはりこうして咎島へ引っ張り込まれたのだ。
あの時は、香織のけっこう仮面が救出にきている。

「あの時はあの時じゃ。大体、その時はけっこう仮面に踏み込まれて、まんまと……」
「お待ちなさい!」

どこからともなく綺麗な澄んだ声が響く。

「ど、どこじゃ!? どこにおる!」

慌てふためく学園長がドアに駆け寄ると、それを跳ね返すように内側に開いた。

「どわ!」

内側に開いたドアをまともに喰らって、学園長は無様にひっくり返った。
床に這い蹲った学園長のすぐ側に、ストッと僅かな音をさせて真っ赤なブーツが着地する。
白いリボンを額になびかせた真っ赤なマスク。
首には長いスカーフを巻いている。
これも赤い。
手には肘まである手袋、そしてブーツ。
いずれも真紅だ。
そして身につけているのはそれだけだった。
これぞ神の創造物としかいいようのない素晴らしいプロポーションの肢体は、ほぼ全裸である。
けっこう仮面だ。

「出おったな、けっこう仮面めが」
「サタンの足の爪! 性懲りもなく、またしてもいたいけな少女を謂われなき拷問にかけるなど、
このけっこう仮面が許しませんよ!」
「威勢がいいな、けっこう仮面。今日こそは貴様に目にもの見せてくれるぞ」

学園長が指をパチッと鳴らすと、どこから湧いて出たのか、いかにも凶暴そうな頭の悪そうな顔
をした─つまりチンピラ─連中がぞろぞろと出てきた。
いよいよ刺客を呼ぶカネがなくなったのか、かつてのようなプロではないようだ。
そこらから安いカネで雇ったような連中ばかりである。
一応「仕置き教師」などと呼ばれてはいるが、もちろん教鞭などただの一度も取ったことのない
やつらだ。
ここに連れ込まれた生徒や職員を嬲るしか能のない、学園長子飼いの暴力バカどもである。
真ん中にリーダーらしいスキンヘッドの巨漢、それを囲むように角刈りサングラスの男、オール
バックの中年、雪駄に腹巻きをした小太りの男がいる。
ヤクザの見本のようなスタイルである。

「ふん、相変わらずね、学園長。自分では決して手を出さず、手下にばかりやらせて」
「それが主義なのでな。おまえら、遠慮せんでいいぞ、やれ!」
「うっしゃあ!」

命令一過、粗暴な男どもが一斉にかかってきた。
木刀で突っかかってきた雪駄オヤジの一撃を軽く避けると、その後ろにいたオールバックの腕に
ヌンチャクを振るった。
見事に右腕にヒットすると、男は悲鳴を上げて手にしたナイフを落とした。

「野郎!」

サングラスが短刀を抜くと、腰だめにしてけっこう仮面に向かって走る。
けっこう仮面は少しも慌てず、すっと身を引くとヌンチャクの柄を持って棍棒部分で男の上腕
部を殴りつけた。

「うっ!」

男は腕を押さえて呻いたが、それでも得物は落とさなかった。
腕の筋肉のあるところだったのが幸いしたようだ。
腹巻きが木刀を構え直し、今度は突きを放ってくる。
けっこう仮面がそれをヌンチャクで弾くと、ビィンと手が痺れ、思わず男がかがみ込む。
そこをすかさずけっこう仮面の手刀が捉えた。

「げへっ!」

首筋にモロにチョップが決まり、一瞬呼吸が止まった男は、そのまま崩れ落ちた。
学園長が苛立たしげに叫ぶ。

「ええい、何をしておるか! 一斉にかかっていかんか!」

それを聞いて、巨漢が「うおお」と吠えながらけっこう仮面の突撃した。
思いのほか動きが早く、けっこう仮面の対処が遅れる。

「しまった!」

そう叫んだ時には、巨漢はけっこう仮面の細身の肢体にしっかりと組み付いていた。
頭を下げてけっこう仮面に押しつけ、太い両腕でがっしりとその身体を抱きしめている。
けっこう仮面の身体が持ち上がる。
同時にその美貌が歪んだ。

「んんっ……おっ……ぐ……」

ぎりぎりと丸太のような腕に力が籠もり、けっこう仮面を締め上げていたのだ。
万力のように締め上げる腕の筋肉が盛り上がり、血管が浮き上がる。
強烈な圧迫に、鍛え抜かれたけっこう仮面の身体も悲鳴を上げた。
ミリミリと筋肉が絞られ、肋骨と背骨が砕けそうだ。

「ぐへへ、いいざまだな」
「なかなかいい見物だぜ、見ろや、あの苦しそうなツラを。昂奮するぜ」

男どもは追撃をすることも忘れ、ベアハッグを受け、苦悶するけっこう仮面を淫猥な表情で眺
めている。
けっこう仮面の締まった胴回りが一層絞られたような錯覚を受ける。
ぶらぶらとぶら下がった脚が細かく痙攣している。
ややもすると遠のいてしまう意識を必死になって食い止め、けっこう仮面は反撃を試みる。
しかし腕ごと絞られているからヌンチャクは使えない。
残った力を振り絞って、ぐぐっと背中を反らせる。
そしてそのまま、後頭部を見せてベアハッグをしている巨漢に向かって頭突きを喰らわせた。

「ぐあ!」

後頭部へモロに硬いものがぶち当てられたからたまらない。
それでも何とか最初の一撃だけは堪えたが、二発三発と連続して喰らうと、さすがに腕力が緩
んだ。
もともと頭突きなどという攻撃法はけっこう仮面のバリエーションにはないから、けっこう
仮面も一発打ち込むごとに頭がくらっとするほどの衝撃がある。
不慣れで、どこを使えば自分には影響が少なく相手には効果的かということがわからない面も
ある。
しかし、今はとにかくこのピンチさえ脱すればいいのだ。
僅かに弱まった腕の圧力を感じ、けっこう仮面は右膝を相手に打ち込む。

「ぐっ……」

膝蹴りを鳩尾に受け、さすがのマッチョもふらついた。
それでもけっこう仮面を両腕から離さないのはさすがだ。
しかし、それによってけっこう仮面と巨漢の身体の間に僅かな隙間が出来た。
ぶら下げられたままの脚をぐっと前に折る。
胸につくほどに膝を曲げると、今度はそれを前に向けて思い切り伸ばして蹴り込んだ。

「うぐわあっ!」

強靱な腹筋と大腿筋を遺憾なく使ったケリが、またしても巨漢の鳩尾に決まった。
二本の長い脚、それも爪先で蹴り込まれたのだからたまらない。
巨漢は腕を離し、そのまま壁へと吹っ飛んでいった。

部屋が揺れるほどの衝撃で巨漢が壁に激突すると、ようやく子分どもが怒りに燃えた表情で
けっこう仮面に襲いかかった。
だが、残りは所詮、有象無象だ。
けっこう仮面はヌンチャクを振るって角刈りの顔を殴り飛ばした。
柄の棍棒がモロに横顔に命中し、サングラスが砕け散り、男は顔を押さえてもんどり打った。

左右から同時に腹巻きとオールバックが向かってきた。
左手から来たオールバックにもヌンチャクの一撃をくれてやり、右手から来た雪駄には、大きく
腰を捻って左脚の回し蹴りを喰らわせた。
両者ともに腕と腹を押さえてうずくまったところに、雪駄にはエルボーを顔面に決め、オール
バックには右足で膝蹴りを叩き込んだ。
連中は苦鳴をひとつずつ上げて、そのまま動かなくなった。
けっこう仮面は、倒れ込んだ無能な男どもを蔑んだ目で見下ろし、学園長をキッと睨んだ。

「さあ、あなたの仕置き教師たちは片づいたわよ。今度はあなたの番ね」

けっこう仮面は珍しく高揚していた。
学園長を殺すわけにはいかない。
公務員に準じる立場である彼女たちに、その権利はない。
だが、少々痛めつけるくらいのことは出来るのだ。
今までの刺客たちと違って、学園長はそれなり省や他の教育機関にも影響力はあるから、無茶
に叩きのめして病院送りにするわけにはいかないが、暴挙の報いとして正義の鉄拳を喰らわす
くらいのことはしないと気が済まなかった。
学園長が前面に出てくることは滅多になかったから、これまではそうはいかなかったが、今回
は数少ないチャンスだ。
けい子を始め、香織や恵たちが惨い目に遭ってきた「個人的な復讐」を、ここで少し晴らさせて
もらっても罰は当たるまい。

「役立たずの仕置き教師どもなんぞには何の期待もしておらんわ」
「あらそう。それならあなたが来るのかしら?」

嘯く学園長に対し、けっこう仮面は挑発するようにヌンチャクを振って見せた。

「そううまくいくかな、けっこう仮面。ふふふ、きさまは何も出来んはずだ」
「?」

その時、突然ドアが開き、中に誰かが倒れ込んできた。
後ろから押されたらしい。
高橋真弓だった。
学園長は真弓に駆け寄ると、その身体を引き起こし、後ろから抱き留めた。

「どうじゃ、けっこう仮面。おとなしくせんと……」
「きゃああ!」

学園長の手が、美少女の首にかかった。
けっこう仮面は違和感を持った。
いつもの拷問とは違う。
学園長を筆頭とした彼ら仕置き教師たちが生徒を責めるのは、冤罪を含めた罪を認めさせるか、
情報を得るか、あるいは単なる虐めかのいずれかである。
真弓のように容姿端麗な少女の場合、サディスティックな性的欲求を満足させるために責める
という言語道断なこともある。
ただ、いずれにせよ、生徒たちにケガをさせたりすることは滅多にない。
身体にキズが残らぬように痛めつける技術は持っているし、ヘタに大怪我でもされたら、いくら
スパルタ学園とは言え文科省も無視は出来ないし、父兄からの寄付金にも影響する。
いわんや殺人など以ての外となる。

同様に、意外かも知れないが、女子生徒に対する暴行──つまりレイプ──もほとんどない。
さすがにこれは学園長も禁じているし、もしバレたら、教師と言えどもクビは免れない。
不祥事として省に報告せねばならないからだ。

唯一の例外は、相手がけっこう仮面のケースのみである。
その女子生徒や女教師が、仮にけっこう仮面であったなら、学園長に報告の上、沙汰は自由と
なっている。
殺すわけにはいかないが、痛めつけるなり凌辱するなり勝手ご免というわけだ。
何しろ、けっこう仮面などという者は存在しないという建前になっているのだから、いない
はずの相手なら何をしてもいいというわけだ。

その学園長のやり口がいつもと違う。
今にも殺しかねない迫力で、真弓の細い首を絞めている。

「く、苦しい……お、おねえさま……」
「真弓くん! やめなさい、学園長! 真弓くんを離して!」
「離して欲しければ武器を捨てい。そしてわしの言うことを……」
「卑怯者!」

けっこう仮面は血を吐くような声で罵った。

「おまえはいつもそうだ! 弱い立場の生徒や職員の前では尊大で傍若無人なくせに、私には
何も出来ない。仕置き教師や刺客を雇って戦わせるばかりて、いつも後ろで隠れてばかりよ。
自分自身の手で戦ったことがあるの!? 卑怯者!」
「……いいじゃろう」

学園長の手が真弓の首からすうっと離れた。今のけっこう仮面の叫びが堪えたのだろうか。
いや、そんな男ではない。
卑屈になる時は徹底的に卑屈になれるのが、この男の強みでもあるのだ。
だが、今の彼からは異様な雰囲気と妙な自信すら感じられたのである。

さすがにけっこう仮面も警戒した。
この程度の挑発に乗るような男であれば、けっこう仮面たちも苦労はしていない。
何かあるに違いない。油断なくヌンチャクを構え、学園長ににじり寄る。

「これで満足か、けっこう仮面」
「ええ。少しは見直したわよ、学園長」

けっこう仮面は、床に座り込んでいる真弓を気遣わしげに見守りながら、ファイティングポーズ
を取る。
真弓は喉を押さえ、苦しそうにぜいぜいと荒い呼吸を繰り返していた。
今は解放したが、戦況が不利になれば、また真弓を人質に取るかも知れないのだ。
彼女から出来るだけ離れた場所で戦う必要がある。
けっこう仮面が近寄ると、学園長もじりじりと距離を詰めてきた。
何か策があるのだ。
それ以外に学園長がこうした行動を執るはずがない。

す、と学園長の手が懐に隠れる。
何か武器を取り出すらしい。
だが、その武器が何であれ、それを避け、あるいは叩き落とす自信はある。
ナイフや特殊警棒くらいならまったく問題はないし、スタンガンなら、よほど近くでないと
効果はない。
まさか短銃を持っているとも思えない。
刃物ならば何とかなる。
そう思って一歩踏み出した途端、突然学園長が右手を突きだした。

「!?」

シュッと音がして視界を霧が覆った。
同時に、目が灼けるような激痛に襲われる。

「きゃあああ!? ぐうっっ!」

一瞬の隙を突かれた。
目が開けられない。
目の粘膜を襲った強烈な刺激は、鼻腔にまで到達していた。
息が苦しい。
霧を浴びた皮膚も痛い。
熱い。
けっこう仮面はたまらずにゴロゴロと床を転げ回った。

「きっ、きさまあっ……くっ……な、何をしたっ……」

学園長は手にしたスプレー容器を弄びながら勝ち誇るように言った。

「ほほう、なかなかに効くもんじゃな。これはな、いわゆる唐辛子スプレーというやつじゃ」

その名の通り、唐辛子のエキスを応用した劇薬である。
もとが食品でもある唐辛子が主原料であるため、人体へは無害とされる催涙スプレーだ。
個人差はあるものの、これをまともに浴びてしまったら、30分くらいは目の激痛、咳や鼻水、
くしゃみなどで呼吸困難に陥る。
致命的なのは、一時的に目が見えなくなってしまうことだ。
20〜30分くらいで症状は収まるが、飛沫を浴びた皮膚は火傷のような痛みや熱さが1時間
くらいは続くことになる。

けっこう仮面のマスクは、目の部分しか開きがない。
それを弱点と見越しての攻撃なら、学園長の作戦は図に当たったということになる。
目を押さえ、苦悶するけっこう仮面を見下ろしながら学園長は言った。

「痛むかね? 心配するな、人体には無害だそうじゃ」

とはいえ、それは「死ぬことはない」という意味であって、痛みは相当に激しいし、量によって
は皮膚が炎症を起こしてしまう。
また、稀には大量噴射を浴びて、呼吸困難のために死亡する例もあるらしい。
実際、これも化学兵器の一種として、戦争で武器として使用することが禁止されているくらいだ。

「だがな、効果は限定的だそうじゃ。おまえが立ち直ってしまっては、わしでは勝ち目はない
でな。少しおとなしくしてもらおう」
「ぐっ……!」

学園長は非道にも、倒れ込んでもがき苦しんでいるけっこう仮面を思い切り蹴り飛ばした。
見かねた真弓が、けっこう仮面を庇うように学園長に抱きつく。

「やめて! もうやめてください、学園長!」
「うるさい、黙っておれ!」
「きゃあっ」

学園長は、真弓を邪険に張り飛ばすと、けっこう仮面にストンピングをお見舞いした。
目の痛みと呼吸困難で、抵抗どころではないけっこう仮面は、両手で頭を保護するのがやっとだ。
その美女の肩を掴んで半身を起こすと、学園長は思いきり膝を鳩尾にぶち込んだ。

「うぐっ……!」

たまらずけっこう仮面が身を折ると、今度は無防備になった背中に、遠慮なくエルボーを叩き
落とした。

「ぐうっ……」

学園長の殴打に、けっこう仮面は意識が遠のくのを感じた。



      戻る   作品トップへ  第三話へ  第五話へ