唐突に鳴り響いた火災報知器の警報に、監視室に控えていた男たちは肝を潰した。
今彼らが牢に閉じ込め、監視しているのは若い女ふたりだ。
片方は何やら武道をやるらしいとはいえ一介の女子大生に過ぎぬ。
もうひとりは学院の女生徒である。
そもそも牢に入れる必要すらないと思っていたのだ。
踏ん縛っておけば充分であり、あわよくば己の獣欲を満たそうと思っていただけに、上からの指示には失望していたのである。
ふて腐れて酒を飲み、だべっていた時の警報だったのだ。

部屋にいたふたりは大慌てで立ち上がり、机の上にあった缶ビールを派手に床へ転がした。
鉄格子のキーと武器のトンファーだけ持って、押っ取り刀で駆けつける。

「なんだ!?」
「誰もいないぞ!」

ふたりは唖然とした。
牢の中は天井からスプリンクラーの水が降り注ぎ、パトライトが点滅しているものの、どこからも火は出ていなかった。
しかも監禁していたはずの女どもの姿までなかった。
大の男がふたりもついていて女に逃げられたとなれば厳罰は確実だ。
男は、些か青くなって鉄格子に取り付いた。
もどかしげに鍵を開け、大きく扉を開放したその瞬間、最初に入った男が蹴り飛ばされた。

「ぐわあっ!」

まるで天井から生えてきたかのような長い脚が唸り、その爪先が男の鳩尾に食い込んだのだ。
派手な水音をさせながら男が尻餅をつくと、もうひとりは飛び降りてきた女に殴りかかった。
恵ははめ込まれた鉄格子の縁に乗って身体を支えて上に隠れていたのだ。
男が入ってくると、手で縁を掴んだまま、反動で身体を大きく回転させて跳び蹴りを食らわせたのである。

恵が行動を起こすと、寿々美もそこから飛び降りた。
さすがに恵のように攻撃を加えることは出来なかったものの、あんな幅の狭いところに乗ってバランスを取れるのだから、
彼女の身体能力もかなりのものらしい。

「きさま!」

殴りかかってきた男を軽くいなした恵は、躊躇せず左ストレートをその顔にぶち込んだ。
頬を抑えた男はすぐに体勢を立て直して恵に掴みかかってきたが、恵はその右腕を掴むと、ぐいっと捻り上げた。
悲鳴を上げる男の背中を思い切り蹴飛ばすと、男は鉄格子に激突した。
それでもなお立ち上がろうとする男に対し、恵の右足が弧を描き、その側頭部に足の甲を叩き込んだ。
ガシャンと大きな音をさせて鉄格子に激突した男は崩れ落ち、もうぴくりとも動かない。

「きゃああ! 恵さんっ……!」
「寿々美っ!」

振り返ると、寿々美がもうひとりに襲われていた。
さすがに格闘技はまだまだのようで、男が近づけないように腕をめちゃくちゃに振り回すのが関の山らしい。
恵はそこに駆けつけ、男の肩を掴むと自分の方に向かせ、右膝を彼の鳩尾にぶち込んだ。

「ぐっ……!」

重い鈍痛と呼吸困難に男が思わず屈んでしまうと、恵はその背中にエルボーをたたき落とした。
男ががくりと膝を突くと、
今度は顎を左膝でぶちのめした。
男は苦鳴も上げられず、壁に叩きつけられる。
流れるような技の連座は、いっそ華麗とでもいいたくなるほどで、寿々美などは状況も忘れて見とれていた。
そんな彼女に恵が声を掛ける。

「さ、行くよ、寿々美!」
「あ、はい!」

興奮したのか、僅かに頬を赤らめて寿々美は、先を走る恵に続いた。
かなりの騒ぎになっていたはずなのに、教頭らはこの事態の報告や協議のためなのか、建物を離れていたらしい。
もぬけの殻となった忌まわしいビルから飛び出ると、そこに例の黒塗りセダンが一台滑り込んできた。
思わず寿々美が立ち止まる。

「け、恵さんっ!」
「寿々美、止まるな! チャンスじゃないか!」
「え……? チャンスって……」

せっかく逃げ出せそうなのに、敵の新手がやってきたのである。
チャンスどころかピンチだと思う。
なのに恵は、慌ててクルマから降りてきた黒服の男たちのところに飛び込んでいく。

まず運転手の男に頭から突っ込んでいく。
あまりにも無謀に見えたが、動揺した男の腹に恵が頭突きを食らわせている。
思わず腹を押さえて蹲りそうになる男にヘッドロックをかけた恵は、そのままグイッと捻り上げた。
ネックブリーカーだ。
恵は思わず顔を背けた。

ボキッと不快な音が響き、男はぐったりと地面に突っ伏した。
まさか頸骨が折れたなんてことはないだろうが、
頸椎捻挫くらいは確実だろう。
ナヴィにいた男が回り込んできたが、恵は少しも慌てずにその男のパンチをかわした。
次々に繰り出される拳を、身体や顔を軽く動かすだけでかわしていくその技量は感嘆すべきものがあった。
もちろん武道をやり、身体も鍛えているのだろうが、それ以上に天性のものが備わっているとしか言いようがない。
見る間に男は恵に叩きのめされていた。

「寿々美!」
「はいっ!」

さすがに了解した寿々美は、クルマの助手席に駆け込んだ。
恵が「チャンス」だと言ったのはこのことだったようだ。
徒歩で逃げるよりもクルマを奪った方が早いというわけだ。
恵は、倒れた男のポケットからクルマのキーを探し出すとシートに滑り込み、ドアを閉めるのももどかしげにエンジンを
スタートさせた。

「寿々美、シートベルトしてくれよ。ネズミ取りなんかに捕まりたくないからね」
「はい。でも恵さん、免許あるんですか? きゃあ!」

急発進したクルマのGが、寿々美をシートに押しつける。
慌ててシートベルトを巻き付ける寿々美に、恵が薄く笑って答えた。

「心配すんな、運転くらい出来る」
「はあ……」
「免許か? 今、仮免なんだ」
「はあ!?」
「だから路上運転の経験はあるんだ、だから心配するなと言ったの。……まだ三回目だけどな、これを入れて」
「ちょっと……! きゃっ、もう少し静かに運転してくださいっ」
「少しだけ我慢しな。なに、街中に入ったら安全運転するさ」

寿々美は頭を抱えるようにして顔を伏せながら、叫ぶように言った。

「あ、あのっ……! 寄って欲しいところがあるんですけど!」
「どこへ?」

そこからクルマで20分ほど走らせると、町外れに小さな公園があった。
遊具はほとんどなく、日除けとその下にくたびれたベンチがいくつかあるだけの広場だ。
寿々美はベンチ脇にあるゴミ箱へ直行した。
そして、いきなりその中を漁り出す。
向かいのベンチにいた若い母親と幼児が、不思議そうに寿々美を見つめていた。
その視線を気にしつつ、恵が駆け寄る。

「おい……、何してんだよ」
「……」
「寿々美っ。ゴミ箱漁りなんてみっともないことは……」
「あった!」

恵の声を弾き飛ばすように、寿々美は弾んだ声で言った。
恵は不得要領な顔で覗き込む。

「……何だい、そりゃ」
「写真です」
「見りゃわかるけど……、あ、あの時、やつらが言ってたやつか!」

恵がそう叫ぶと、寿々美は小さくはっきりと頷いた。
寿々美の手から奪い取るように写真をもぎ取ると、それを見やる。
寿々美がその様子を見ながら説明した。

「最初に恵さんに渡したブリーフケースに、それも入れてたんです。でも、あったものをまとめて詰め込んで来てしまったので
量が多すぎてブリーフケースが膨らんじゃって」
「……」
「それで、関係なさそうな書類をまとめて捨てたんです。その中に……」
「この写真もあったわけか」

恵はそう受けて、写真を見つめた。
普通のスナップ写真だ。
およそ30名くらいの男たちが、3列になって写っている。
最前列の者が座り、二列目が中腰、そして三列目は立っていた。
集合写真というやつだろう。
その後ろには、何やら研修所か何かのような地味な建物がある。
さらにそのバックには、青々とした山並みがあった。
建物の周囲も緑が濃い。
山間のユース・ホステルか何かに見える。
写っているのが全員男であり、年齢層は中高年といったところだ。
企業研修の記念写真だと言えば、誰だって信じるだろう。

「……こりゃ何の写真だい」
「わかりません……」

恵が両手で持った写真に、寿々美も覗き込んだ。

「知ってる顔はないのかい? 例えば学校関係者とか」
「ええ……。学院長のデスクにあったわけですから、学院長の写っている写真だろうと思ったんですけど、でも……」
「学院長は写ってない」
「そうなんです。学校の先生とか、他にも知った顔はありませんでした」
「……」
「だから無関係だと判断して捨てたんですが……」

だとすると、やつらの行動をどう見ればいいのだろうか。
やつらは、この写真を寿々美が持っていないと知ると、途端に態度を変えたように思えた。
そして、本来無関係であるはずの恵を拷問してまで写真を出すように寿々美へ迫ったのだ。
どうも、寿々美を捕獲するというよりも、この写真を捜索に来たようなフシすらあった。

「……こんな写真の、どこがそんなに大切なんだ?」

紅恵は、眼を細めて首をかしげた。

──────────────────

敵の虎口から脱した恵は、寿々美を学生寮まで連れて行き、友美と早百合に事情を説明して匿ってもらった。
取り敢えずあそこなら滅多なことはされないだろう。
まさか大学の寮にまで暴力的に侵入するとは思えない。

身軽になってから、恵は待ち合わせの場所である千代田区永田町のある喫茶店に来ていた。
ほとんど初めて来た街だから、何となく落ち着かない。
官庁街だけあって、学生の恵には馴染まない気がした。
注文したカプチーノを、シナモン・スティックで少々神経質にかき回している。
その時、カランと鈴が鳴り、店のドアが開く。
相手はすぐに恵を見つけてくれた。
ブラウンのセミロングをポニー・テールでまとめた美しい女が、小さく微笑んで恵のテーブルの前に立った。

「……お久しぶりね」
「ああ……、本当に。香織先生も元気そうだ」
「先生はやめて。私、もう保健医じゃないんだから。恵さんもお元気そう」
「おかげさまで。……もう二度と会うことはないんじゃないかって思ったけど」
「私も」

恵もにっこりと微笑んだ。
そこにウェイトレスがやってきて、香織の注文を取ろうとすると、香織は薄く笑みを浮かべて謝絶した。
そのまま店を出ると、香織の運転してきたクルマにふたりは乗り込んだ。
黒塗りのレクサスは、重く粘りのあるエンジンを噴かすと、音もなく国道一号線から外堀通りを滑るように走り去った。

──────────────────

教育施設内問題処理センターは、文科省内局の一室にある。
さほど大きな規模ではない。
その業務のほとんどが「オペレーションK」──つまり、けっこう仮面作戦だからである。
絶対的な少数精鋭であり、その組織は末端のけっこう仮面からセンター長まで含めて20名にも満たないのが実情である。
恵は香織に連絡をつけ、ここに乗り込んだのだ。
恵はデスクの正面に立って、ドンと両手を突いた。

「今話した通りだよ! どう思う、先生!?」
「……」

返事がないのに業を煮やしたのか、些か尖った声で恵が言った。

「なあ、三光学院を調べてくれよ! 絶対に何かあるって」
「……」

デスクに座って恵と対峙しているのは、初代けっこう仮面──今はここのセンター長に収まっている夏綿けい子であった。
けい子は、くしゃくしゃになった写真を持った手が震えていることを恵に見抜かれぬよう、無造作にその写真をデスクに放った。
そしてゆっくりと顔を上げ、睨みつけてくる恵の視線を弾き返すように、彼女の顔を見やる。

「……この写真は一応預かっておくけど……、その寿々美という子の証言だけじゃね……」
「だから、あたしもそこで拷問を受けたんだってば! あたしを信用しないのかい、先生!?」
「証拠がないのよ」
「そんなもん、これから見つければいいだろ!」
「……」

押し黙るけい子に、食ってかかる恵。
気まずい沈黙は、入室してきた香織によって中断された。
香織は、ちらと恵を見てから真っ直ぐけい子の元に歩み寄った。

「確かに、台東区の荒川河川敷にある土手での交通事故は報告されています」

香織の細く白い指が、すっと眼鏡のフレームに触れる。

「ワゴン車の単独事故……と思われていますが、ドライバーも含めて、乗っていた人は現場に残っていなかったそうです」
「……」
「当時、河川敷にいた複数の目撃者からの証言によると、中から女性を含めた数名が降りて、一緒に走っていた別のセダンに乗ってその場を離れたらしいことがわかっています」
「だから、それがあたしたちなんだ!」
「それで?」

恵の叫びを無視するように、けい子が先を促した。

「詳細は不明です。現在、警察が捜査中……」

たまらず恵が口を挟む。

「あたしたちが監禁されていたビルは!?」

恵の証言はほぼ正確で、それがどこのどの建物であるかはすぐに割れた。
香織が恵を見て答える。

「あれは……、海槌グループの持ちビルで、そんな怪しげな連中が入り込む余地はないわ」
「けど、あたしたちは本当にあそこで拷問を……!」
「もういいわ、恵」
「……」

けい子のピシャリとした声が響いた。
ムッとした恵に、少し冷たい視線を投げかける。

「……あなたはもう、けっこう仮面を退任したのよ。余計なことに首を突っ込まなくていいの」
「余計なことだって!?」
「そうよ。あなたはスパルタ学園で散々苦労してきたんだから、もうゆっくり休んでいいの。楽しい大学生活を送りなさい」

この件はここまでだ、と、無表情でそう告げるけい子の顔を、恵は瞬間的に睨みつける。

「……よくわかったよ!」

そう捨て台詞を吐き捨てると、かつての仲間たちにくるりと背中を向け、足音も荒々しく部屋を出て行った。
その後ろ姿を心配そうに見送っていた香織がつぶやく。

「……恵さん、大丈夫でしょうか」
「香織」
「あ、はい」

けい子の厳しい声に、かつての保険医は我に返った。
けい子は、さっきデスクに放った写真を指で摘み、それを香織に突きつけた。

「恵が持ち込んできた写真よ。真ん中の男をよく見て」
「……あ!」

丸めて折り目や皺の寄った写真を拡げ直し、改めてそれを見ていた香織が驚きの声を上げた。
そして、唖然とした表情でけい子を見る。

「これ……、サタンの足の爪!?」

驚愕している香織の顔を見ながら、けい子はゆっくりと頷いた。

「三光学院を脱走した生徒と知り合ったと聞いた時も驚いたけど……、その写真を見た時は思わず声が出そうになったわ」
「なぜ死んだはずの学園長の写真が三光学院にあるんです!?」
「……死んだ「はず」だから、かな」
「でも……でも先生! サタンの足の爪は確かに……」

ふたりは二年前の「スパルタ学園殲滅計画」を思い起こしている。
幾たびもの事件を解決し、生徒達を助けながら、長い時間をかけてコツコツと集めていた小さな証拠が物を言い、とうとう
センターは作戦にGOサインを出したのだ。
当時、学園に派遣されていたけっこう仮面たち、総勢6名の精鋭たちが学園長逮捕に乗り出した。
内部情報が漏れ、すんでのところで取り逃がしたものの、島から逃れることは出来なかった。
香織の言葉にけい子は小さく頷いた。

「ええ。あたしたちは学園長を双子山に追い詰めた。側近達はみな逮捕あるいは負傷して、彼の周囲にはもう誰もいなかったわね。
そこで最後を覚った学園長は……爆死した」

サタンの足の爪は自害したのだった。
それも自爆である。
予め自殺用の爆発物を身体にセットしていたのか、はたまた武器として持っていた手榴弾か何かを使用したのかは不明だったが、
その死は確認された。
肉体は四散してしまったと思われるが、身体の一部──左腕と思われる部位は発見され、DNA検査の結果、間違いなく学園長
本人だと判明したのである。

サタンの足の爪の素顔を知っていたのは、けい子の他は香織だけだ。
ようやく入手した学園長の素顔の写真がけい子の手元に送付されてきたのは、学園への手入れ直前だった。
けい子はそれを香織にだけ見せた。
他のメンバーは現役の高校生たちであり、この任務が終了すればけっこう仮面を退任し、市井に戻るのである。
余計な情報を与えて、彼女たちを混乱させたくはなかったのだ。
呆然とした香織がつぶやいた。

「でも……、確かに彼は……警察の鑑識もちゃんと……」
「死んだ、と思ったわね。でも、こうなると生き残っていた可能性は否定できないわ。それが偶然なのか、それとも予定の行動
だったのかはわからないけど」
「そんな……。まさか、内偵中の三光学院に学園長がいるなんて……!」

──────────────────

三光学院高等学校。
親や学校が見放した問題児ばかりを積極的に預かり、再教育して「真人間」に作り直すということで、最近評判になっている私立学校だ。
静岡県の御殿場に広大な敷地を持ち、そこに校舎や学生寮がぽつんぽつんと建っている。
まるで兵舎か監獄を思わせるような高い塀と、門の側にある守衛所が物々しい。

周囲にはほとんど何もない。
隣──といってもかなり離れているが、そこには海槌グループの中核である海槌重工の御殿場工場がある。
全国に工場があり、製品は大型船や工作機械、原子力を含めた各種エネルギープラントから、家庭用の電気製品、果ては宇宙
ロケットの建造までと幅広い。

その中に防衛事業部というのがある。
陸海空の自衛隊へ納める機材も造っているのだ。
護衛艦や戦闘機、装甲車や戦車といった大物もあるし、小口径の火砲や銃まで製造しており、日本の兵器メーカーとして名が通っている。
中には旧軍をもじってか「海軍工廠」だの「陸軍兵器廠」だのと呼んでいる者までいた。
さらにそこから数キロ先には、陸上自衛隊の御殿場演習場があった。

学院の南校舎の一角に学院長室がある。
そこの大きめの椅子に深々と腰掛けているのは、学院長の服部であった。
先日行われた東京での会議の議事録に目を通していると、胸ポケットに収めていた携帯電話に着信があった。
服部は発信者を確かめてからおもむろにフックを押した。

「……はい、私です。いかがなさいました?」

相手が言った一言により、穏やかだった学院長の顔が一気に険しくなった。

「永井ですと!?」

服部の声を受けて、相手の男が重厚そうに答える。

─そうだ。あの永井だ。やつめが、おまえの学院に目を着けて、ネズミを送り込んで何やら探っているらしいという情報がある。

もう老人の域に入っているその男は、現在の政権与党で長老のひとりとされている。
首相にこそなれなかったものの、数度の閣僚経験がある。
与党内最大派閥の有力幹部であり、名うてのタカ派として名を売っていた。

─気をつけろよ。やつは「けっこう仮面」などという超法規システムを作り上げたほどの男だ。どんな手を仕掛けてくるか予測がつかん。

彼らが話題にしている永井剛は、かつて教育問題処理センターで「けっこう仮面」計画を練り上げ、実践していた文科省の官僚だった。
スパルタ学園が片付いたところで文科省を辞し、衆議院選に打って出て、見事に当選している。
以後、教育問題のプロとして党の教育問題対策委員会の副委員長となっていた。
文科相の懐刀として、早くも党内にその名を響かせている。

政治家に転身したはずの永井が、またも邪魔立てしようとしている。
それを思うと、学院長ははらわたが煮えくりかえる思いだ。

─もし、学院の秘密が漏れれば、わしもきさまも身の破滅だ。わかってるな?

「……存分に」

吐き捨てるようにそう言うと服部は、左手で自分の携帯を握りつぶした。

──────────────────

「ちっくしょう!」

恵の、あまりの剣幕に、寿々美はたじろいだ。
出かける時はにこりと笑って行ったのだ。
必ずや、元の仲間たちは協力してくれるはずだ。
大船に乗った気でいろと言ったのである。
それがこうだ。

逃げるクルマの中で、恵に「実はあたしがけっこう仮面だ」と打ち明けられた時はかなり驚いた。
そして、冗談だろうと思った。
そんな偶然はない。
あるいは少しでも寿々美を力づけようとしてくれているのだと理解していた。
だが、恵は大真面目に自分がけっこう仮面であることを主張したのだ。
そして、三光学院創立以前に有名だったあのスパルタ学園の話も聞いた。

正直なところ、寿々美は恵がかのけっこう仮面の正体だということに対して、半信半疑だった。
寿々美自身も述べたように、けっこう仮面は彼女の憧れであり、学院の仲間たちにとっても希望であった。
但し、彼女たちが聞いていたのは噂レベルであり、そんな正義の味方が実在するのかという疑問は常にあった。
しかし、そうした慰めや希望でもなければ、あの学院で正気を保つことなど出来なかったのも事実である。
信じたかったのだ。

だからこそ寿々美は、偶然知り合った恵がけっこう仮面だと名乗った時には驚喜した反面、まさかそんなことが、という思いも同時に
持っていた。
だから恵が「仲間を訪ねる」と言った時には驚いたが、こうして空振りで帰って来た以上、まだ信は置けなかった。
とはいえ、さすがにその疑問を恵にぶつけることも出来ず、控え目に尋ねた。

「……ダメだったんですか」
「ああ、そうだよ。あの二人、おまえはもう関係ないから関わるなと言いやがったよ!」
「……」
「見損なったよ。管理職になっちまうと、ああも日和見になっちまうもんかね」

恵はそう吐き捨てると、ようやく不安そうな寿々美の表情に気がついた。
ここで自分が荒れても何にもならないのである。
赫い髪の女は、少し表情を和らげて言った。

「……ま、そんな顔するなよ、寿々美。こうなりゃ、あたしたちで何とかするしかない」
「え……?」
「あたしはやるよ。こうなったのも何かの縁だし、あたしが関わる運命だったのさ」
「で、でも……」
「心配すんな。どっちみち、けっこう仮面なんてのは単独行動がほとんどだったんだ。別にどうってことはない、いつものことさ」
「そうなんですか」

恵はそう言ったものの、けっこう仮面作戦に於いて単独行動は厳禁されていた。
けっこう仮面として活動するのはひとりだとしても、バックアップは必ず用意されたし、指揮官であるけい子の判断なしには
出動できなかったのである。
今回の恵のように、先走って解決しようとしても、必ず止められた。
そもそも恵は、スパルタ学園時代の出動で単独作戦に出ることはなかった。
その必要がなかったからである。
恵たちが嗅ぎつけた事件は、けい子の判断で100%捜査対象となり、出動できたからだ。
だが今回はそれが望めない
以上、恵個人でやるしかない。

────────────────

深夜、こっそりと学生寮に戻った恵は、辺りを警戒しながら自室に帰った。
自分の部屋なのだからこそこそする必要はないのだが、どうしても人目が気になる。
廊下の防犯カメラの位置も確認してあった。
この部屋から出る時は、他の寮生はもちろんカメラにもその姿を晒すことは出来ない。
恵はドアを施錠してからカーテンを引き、灯りをつけ、黙ってクローゼットのいちばん下の引き出しを開けた。

「……」

カムフラージュするかのように大きめのセーターを被せてある大きめの紙箱を取り出す。
そっとその蓋を外した。
深紅のコスチュームがそこにあった。
恵は無言で立ち上がり、着衣をすべて脱ぎ去った。
己の裸身を確認することもなく、真っ赤なマスクを手にして、それをじっと見つめる。
ひさしぶりに見るそれは、さすがに使い込んだ形跡がある。
僅か2年だが、恵はそれを着て大暴れしていたのだ。
恵は相変わらず無言のまま、そのマスクを被り、首にチョークを巻いた。
そしてブーツを履き、手袋をつけた。
それだけで彼女の心は2年前の高校時代に戻っていく。

気持ちが高揚していくのがわかる。
平和な今が嫌いなわけではない。
しかし、あの頃の緊迫感と隣り合わせだった充実感とは比較にならなかった。
それを思うと、恵の美貌に苦笑らしきものが浮かんでくる。
つくづく自分は乱世向きなのだと思ってしまう。
ヒロインのコスチュームに着替えると、身を翻すようにして真夜中の学生寮を駆け抜けていった。

────────────────

御殿場までは電車を使った。
駅前のビジネスホテルに身を潜め、夜中を待ってから侵入を試みた。
寿々美の話によると学院は、出るのは至難だが入るのは比較的容易らしい。
生徒は絶対に出られないのが前提だから、入ってくる者には警戒が薄いようだ。
そもそも、こんな学校に足を踏み入れるのは関係者しかいない。
おまけに、こうした夜遅くにも訪れる者がいるらしい。
生徒間の噂によると、恐らくは隣にある海槌重機関係者か、あるいは政治家ではないかと言われているらしい。
いずれ表向きにはこの学校との関係を知られたくない人であり、学院長への客なのだろう。
警備員はいるが、定期的に
巡回するだけだった。
それも、学生寮周辺はパトロールの他にも歩哨まで立っているが、校舎や職員寮は手薄なのだ。
あくまで生徒の脱走防止のみに
主眼を置いているのである。

寿々美の記憶から学院敷地の簡単な地図を描き、侵入ポイントを決める。
正門、裏門、西門と大きな出入り口が3つあり、それらには当然ガードマンが常駐している。
その他に小さな通用門があるが、ここは主に例の「表沙汰」になりたくない陰の客用らしい。
警備員はいないが、来客の連絡がある時だけ臨時に立っているのだそうだ。
普段は照明すら消えていて暗く、知らなければそこが門だとは判らない。
但し、鍵は掛かっている。

塀は3メートル近くもあり、上部には輪を巻いた鉄条網が設置されている上、赤外線センサーまであるらしい。
けっこう仮面である恵であれば何とか越えられるだろうが、素人の寿々美は無理だ。
今回は、勝手知ったるスパルタ学園ではなく、初めて見る建物の敷地に侵入するわけだから、彼女の協力は不可欠なのである。

ふたりの立てた作戦はこうだ。
敷地に侵入したら、寿々美は警戒の薄い校舎に忍び込み、電源室の中央分電盤のブレーカーを落とす。
一瞬にして真っ暗になったところで、恵はガードマンをなぎ倒して学生寮に侵入、生徒たちを解放する。
寿々美と同じように、学院を憂いている者も多いそうだし、そうでなくともここから逃げたがっている生徒たちばかりだ。
完全に学院長に染められているのは全体の1割くらいなのだそうだ。
だから、けっこう仮面が助けに来てくれたというだけで、生徒たちは大喜びだろう。
そこから多数の生徒が一斉に逃亡すれば、いかに職員や警備員たちが追いすがろうとも多勢に無勢。
必ず逃げ切れる生徒は出る。
この際、全員が脱走成功する必要はないのだ。
ひとりでもいいから校外に逃げ出し、警察でも消防でも、どこへでも駆け込めばいい。
地元警察は学院と癒着している恐れはあるが、それにしても学院内で大量脱走の騒動が持ち上がれば出動せざるを得ない。
大がかりな反乱事件とあっては、完全にもみ消すことは難しいだろう。

さらに恵たちがいる。
けっこう仮面としての彼女が三光学院の実態を世に晒せば、公的機関が動かないわけがないのだ。
頭の堅いけい子たちでも立ち上がらざるを得ない。
寿々美によると、学院では実銃を使った軍事訓練までやっているようだが、さすがにわらわらと逃げる大勢の生徒に向かって乱射は出来ないだろう。
脱走騒ぎで警察が駆けつけようとしているのなら余計にそうだ。

つまるところ、目的はふたつだ。
ひとつは騒ぎを起こして警察の出動を促すこと。
もうひとつは、公的な立場であるけっこう仮面が証拠を掴むということだ。
これだけであれば恵ひとり、そして寿々美の協力があれば可能だろう。

闇に紛れ、ふたりは通用門に辿り着いた。
塀の中には四箇所ほど見張り台があって、そこからサーチライトが照らされている。
あれに捉えられたら厄介だが、寿々美がブレーカーを落とせば無効だ。
通用門にはしっかりと丈夫そうな南京錠がかかっており、寿々美は肩を落とした。
しかし恵の方は失望した様子はない。
これくらいは当然だと思っているのだろう。
すっと腕を伸ばしてブーツの内側から、長い針のようなものを取り出し、それを鍵穴に突っ込んでいる。
寿々美は慌てて小さなLEDライトでその手元を照らしつつも、唖然としてけっこう仮面を見ている。

「恵さん……、そんなことまで出来るんですか?」

真面目な寿々美にとって、鍵をこじ開けるというと、どうしても悪いイメージしかないからだ。
泥棒や空き巣のようなものだ。
寿々美の、感心したような呆れたような声を聞いて、恵は不敵に笑った。

「ふふ……、産まれてからずっと正義の味方をやってると思うのかい?」
「え……」
「あたしだって色々あったのさ。青春の蹉跌って……やつがね」

恵とて、もともとはスパルタ学園でも手を焼いたスケバンだったのである。

「あ、開きましたね」

小さな音を立てて鍵は難なく開いた。
けっこう仮面は、油断なく校庭やサーチライトを睨みつけている。
照明は一定間隔で周回しているようだ。
どうやらライトは人力ではなく、オートで動いているらしい。
監視塔には人もいるようだから、緊急時に手動へ切り替えるのだろう。
恵はその間隔を読んでいる。

「寿々美、用意はいい?」
「はい」

逃げた時と同じく体操着を着ている。
恵の私服に着替えればと勧められたものの、動きやすいからこのままでもいいと思った。
白を基調にしてエメラルド・グリーンのラインが、首回りと袖口に走っている。
胸には「H.S. SANKOU」とロゴが入っていた。

さすがに寿々美にも緊張感が漲る。
しかし、最初に脱走した時とは比べものにならないほどの充実感と高揚感がある。
学院や教師たちに捕まることへの恐怖や脅えはほとんどない。
たったひとりだが、この上ないほどに心強い味方が出来たからだ。

改めてけっこう仮面を見る。
本当に噂通りだった。
全裸なのである。
真っ赤なマスクに同じ色のレザーグローブ、ブーツ。
マスクには純白の羽根が付いている。
首には黒いチョークが巻かれ、そこから深紅のスカーフが流れていた。
それ以外は肌を晒しているのだ。

話には聞いていたし、彼女の救援を望んではいたものの、本物を見るまではその存在には半信半疑だったのだ。
聞いただけでは、まるでテレビの特撮ヒーローなのである。
果たしてそんなものが実在するだろうか。
しかも若い女性が、ほとんど裸で大活劇を演じるというのだ。
信じろという方に無理がある。
そんな寿々美の疑念は綺麗に払い除けられ、希望と憧れが満ちていた。
半ばうっとりしたような声で言う。

「恵さん……、本当にけっこう仮面だったんですね」
「何だい、今さら」
「正直言って、信じられなかったんです。いえ、学院の追っ手たちを叩きのめしたり、酷い拷問に耐えたり、牢から抜け出たりした
のを見て、これは本当かも知れないって信じ始めてはいたんです。でも、本物を見るまでは……」
「信じられなかったろうな、あたしも同じさ」
「恵さん、どうしてけっこう仮面に……」
「あたしが通ってた学園にもともといたんだよ、けっこう仮面がさ。そこであたしはスカウトされたんだ」
「スカウト……。じゃあ、最初は……」
「ああ、ただの学生だったんだよ、寿々美と同じにね」
「そうだったんですか……。噂では色々聞いてましたけど、本当にいるなんて思えなかった」
「……」
「だって、もしいるのなら、どうしてこの学院に来てくれないのかって思ってました。ここより酷い学校なんてないと思うのに」

けっこう仮面は少し顔を逸らせて、言いづらそうに口を開いた。

「……人手不足でね」
「え……」
「この格好だろ? 若い女の子のなり手なんて、そうそういないのさ。あたしのような変わり者以外はね」
「そんなこと……」
「けっこう仮面は足りないのに、派遣しなけりゃならない学校はいくつもある。とてもじゃないが、手が回らないのが実態さ」
「……」
「況して、あたしたちは卒業して大学生になった。そこで引退なんだよ。大学に通いながら出来る仕事じゃないしね。そもそも、
けっこう仮面は臨時職なのさ。派遣された学校での問題が終息すれば、基本的にはそこで退任だ。引き続いて他の学校へ出向くって
ことはあり得ない。なぜかって? けっこう仮面のほとんどは、その学園の生徒から選抜されるからなんだよ」

それ以外でも、その学校の教師や職員なのである。
現地、現場に常時いなければ、問題に即応できないのだから、それも当然だろう。
恵は周囲を警戒しながら言葉を続けた。

「普通は、うちの組織が目を着けた問題校を内偵して派遣するかどうかを決めるらしい。派遣が決まれば、まずそこへ教師として
リーダーを送り込むんだそうだ。その上で、学校内にけっこう仮面グループを作り、これはと思った生徒をスカウトしていく。
そんな感じだな」
「……」

けっこう仮面が監視台に鋭い視線を向ける。口調が変わった。

「おしゃべりはここまでだ。寿々美、行ける?」
「行きます」
「よし、じゃあ手筈通りにね。あたしが合図したら走れ。慌てることはない、転ばないようにね」
「はい!」

意を決した寿々美の表情に、けっこう仮面は小さく頷いた。

「GO!」

声を受けて駆けだした寿々美が、無事に校舎棟に到達したのを確認すると、けっこう仮面も足音を忍ばせ、それでいて素早く学生寮へと走った。
寿々美が描いた学院の地図──建物の配置はもう頭に入っている。
広い校庭は南側が開いていて、東には職員棟、北に校舎、そして西に体育館がある。
そのすぐ脇に武道館が並んでいた。
校舎の裏には中庭を挟んで学生寮と職員寮が並列して建っていた。
校舎の屋上にはプールがあり、職員棟の屋上はヘリポートになっているらしい。
物見櫓は校庭の四隅にあり、各々大きなサーチライトが設置されている。

ひさしぶりの扮装で恥ずかしいかとも思っていた恵だったが、コスチュームを身につけるとそんな羞恥は吹き飛んだ。
裸を見られるというその一点だけ堪え忍べば、むしろ動きやすい。
けっこう仮面は、ライトをかわしながら風のように校庭を駆け抜け、たちまち寮棟に到達した。
窓はすべて閉じられており、当然のように消灯されている。
物音もせず、生徒たちは寝ているように思えた。

眼を細めてエントランスを見る。
誰もいなかった。
そう言えば、警戒していたガードマンたちには今のところ出くわしていない。
入ったのは通用門で、普通は出入りしないところらしいからそういうこともあるかも知れないが、壁の内側にも誰もいないというのは些かおかしい。
そう思って職員寮や体育館などを見てみても、警備員は立っていなかった。

不審を抱きながらも、けっこう仮面は寮の入り口に取り付いた。
月明かりだけが頼りだが、それでもガラスドアの鍵は見える。
辺りを警戒しながら、また長針を使ってロックを外しに掛かった。
あっさりと解錠できた。
けっこう仮面は針をブーツに収めながらも、釈然としなかった。

(おかしい……。簡単すぎる)

賊が入ることをまったく考慮していないのだろうか。
いかに軍隊並みの組織とはいえ、いや、だからこそもっと警戒しないだろうか。
サーチライトはあるものの、警備している人間が見あたらない。
生徒が逃げ出したり、ここに忍び込む者などいないと判断しているとしか思えない。
しかし現に寿々美は脱走しているのだ。
しかも捕まえ損ねている。
普通はもっと警備を厳重にするだろう。
これでは、あまりにも間が抜けている。

そこまで考えたところで、一部の建物の窓から漏れていた灯りが一斉に消え、サーチライトも消えた。
寿々美は、無事にブレーカーを落としたらしい。
ここに至って、さすがにざわざわとした人の声があちこちから聞こえてきた。
ここまで来たらもう躊躇えない。
けっこう仮面はガラスドアを開け放ち、寮内に飛び込んだ。
ブーツが床を叩く音がするものの、やはり警備員が飛び出てくる様子はなかった。
けっこう仮面は、ルームナンバーの入っている部屋のドアを片っ端から叩いて回った。

「みんな! 助けに来たわよ!」

驚いたようにあちこちのドアが開かれる。
ここは女子寮なのか、あるいは一階が女子の部屋なのか、出てきたのはみんな女生徒である。
けっこう仮面は、びっくりしたような表情の女生徒たちに取り囲まれた。

「何ですか!?」
「何で急に停電になったんです?」
「あなた、誰?」

口々にそうした疑問が飛び出ていたが、中のひとりがLEDライトでけっこう仮面を照らすと仰天の声が上がる。

「え……!?」
「だ、誰!?」
「やだ、裸よ、この人!」

けっこう仮面は、みんなを宥めるように両手を掲げた。
勢いよく手を挙げたから、大きな胸がゆさりと揺れたが構ってはいられない。
廊下には溢れんばかりの生徒達が集まってきていた。
いちばん近くにいた眼鏡で三つ編みの少女が「あっ」と叫ぶ。

「あ、あなた……もしかして、けっこう仮面ですか!?」

それを聞いてあちこちからどよめきが上がる。

「ええ!?」
「マジ!?」
「でもほら、この人の格好……」

騒ぎ出した生徒たちを宥めつつ、恵は言った。

「そうよ! あたしはけっこう仮面、みんなを助けに来たの!」

それを聞いてもまだ生徒たちは騒いでいる。
「けっこう仮面て本当にいたの」「ウソみたい」「でも裸だし」「本物かしら」などなど、口々に囁いていた。
恵は言った。

「寿々美は知ってるでしょ? 藤寿々美。あの子に頼まれて……」
「あっ……! じゃあ、寿々美は無事に逃げられたんですね!?」
「そうよ! 寿々美は東京まで逃げて……そこであたしが助けたの」

どよめくような歓声が上がった。
彼女たちも寿々美の脱出に協力していたのである。
未だに寿々美捕縛の知らせが学院からない以上、無事に逃げてくれていると思っていたが、反面、秘密裏に始末されている可能性もあった。
その寿々美はそのまま逃げず、こうして救助に来てくれたのだ。
しかも、伝説のけっこう仮面まで連れてきてくれた。
ようやく自体を理解した少女たちは事情のわかっていない子たちに説明を始め、二階に駆け上がって男子生徒たちを呼びに行ったりした。
けっこう仮面が叫ぶ。

「急いで! 寿々美はブレーカーを落としただけだから、いつまで停電のままかわからないわ」

眼鏡の娘が叫ぶように言う。

「それなら3分くらいで復旧してしまいます! 寿々美がブレーカーを壊していたとしても自家発電がありますから!」
「わかったわ、じゃ急いで! あたしと寿々美が先導するから学校から逃げるのよ! 何人でもいい、無事に逃げた人は警察に……
いいえ、民家でもいいから飛び込んで事情を話して通報してもらいなさい!」
「わかりました!」

生徒たちの顔がパッと明るくなった。
やはり、完全に洗脳されている生徒は僅かなのだ。
あとは学院が怖くて従順になっているように見せているだけなのである。
ここで生殺しにされるくらいなら、一か八か逃げてみるのもいいと思い始めている。
けっこう仮面が指示するまでもなく、リーダー格と思われる少女たち数名が他の生徒たちをまとめ、いくつかの小グループに
なって校庭へ走り出ていた。
まだサーチライトは復活していない。
それまでに何人逃がすことが出来るかが勝負だ。
ガードマンが出てくれば、恵が派手に暴れ回って彼らを引きつける算段である。
二階からもわらわらと生徒たちが降りてきた。

「……」

飛び出ていく彼らを見送りつつも、少し不安になる。
計画では、もうそろそろ寿々美がこちらに向かっていて良い頃だ。
まだ姿が見えない。
首尾良く停電させたのだから、手間取っているとも思えなかった。
ふと廊下を見ると、まだ閉じられたままの部屋があった。
他はすべてドアが全開になっているだけに目立った。
けっこう仮面は駆け寄り、ドアを叩くが反応がない。

「まだ誰かいるの!?}

ドアを開け放つと、中から強力なライトを浴びせられた。

「あっ……!」

視界が真っ白に飛んだ。
視力を失ったのは一瞬だったが、それが命取りとなった。

「き、きさま……!」
「ほう、おまえが噂のけっこう仮面か。なるほどな」

白髪で丸眼鏡の男がいやらしく笑って言った。
見覚えがある。

「おまえ、あの時の……」
「そう。教頭ですよ、この学校の。おまえはあの時の女だな」
「……」
「くくく、あの方の言った通りだ。まさか本当に、こうも馬鹿正直に来るとはね」
「あの方だと!? 誰だよ、それは」
「すぐに判るよ。おっと動かない方がいい、怪我するぞ」
「……」

けっこう仮面は背中と脇腹に冷たい感触を得ていた。
怪我するどころではない。
突きつけられているのは自動小銃のようだった。
恵はよく知らないが、アサルトライフルというやつだろう。

けっこう仮面にはふたりのガードマンが銃を突きつけ、教頭の左右にもひとりずつ拳銃を持った男たちがいた。
教頭の方は大きな懐中電灯を持っている。
これでけっこう仮面の顔を照らしたらしい。

「なるほど、寿々美の言った通りだ。本当に軍隊の真似事をする学校だったんだな。けど、本物のライフルを使うなんて、兵隊ごっこ
にしては度が過ぎてるんじゃないか?」
「これは心外だな、「ごっこ」などではない。ここはな、本物の兵士を育成するところだよ」
「何だと?」
「おっと、おしゃべりはここまでだ。両手を挙げて!」
「……」

けっこう仮面はひとつため息をついて、すっと両手を挙げた。



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