平成元年。
暦の上では春を迎えたものの、その風は未だ肌に冷たい。
それでも天気の良い日中は、日溜まりにいれば暖かな春の日差しを感じることもある。

そんな中、古ぼけたアパートの一角でふたりの女性が談笑していた。
場所は東京都練馬区時計坂。
築35年の木造モルタル二階建てのそこは一刻館という名があった。
日当たりはいいが狭い庭に面した一階の部屋に付属した縁側に腰掛けているのは一の瀬花江と
音無……もとい、五代響子であった。

花江はここの一号室の住人で、夫と高校生になる息子の三人暮らしである。
ころころとした体格で噂話が好きで、といった普通のおばさんである。
一の瀬夫人は、両手で湯飲み茶碗を抱え持ちながら言った。

「しかしあれだね、あんたらも結局ここに居着いちゃってるんだね」
「そうですね」

響子は笑って言った。

「なんだかんだで管理人の仕事もありますし、お金の問題もね……。裕作さんは二人目が欲しい
みたいですけど、経済的に少し……」
「そうだろね。まあ家賃がずっと値上がりしないのは、あたしらにとっては助かるんだけど」

そう花江は言ったが、正直なところ値上げなどできる状態ではなかった。
旧態依然とした一刻館は、それでもなんとかやり繰りして修繕を加えてはいたが、もはやそんな
ことではどうなるものでもなくなってきていた。
限界に近いのだ。
手を入れるたびに呼ぶリフォーム業者たちも、口を揃えて「これでは建て直した方が早い」と
言っていた。

とはいえ、解体、新築となると話が大きくなる。
解体の間、住人たちをどこに住まわせればいいのかという直近の問題もあるが、それ以上に、
その費用はどこから捻出するかというのがある。
とてもじゃないが、響子たち夫婦にそんなカネはないし、住人たちも似たり寄ったりである。
そもそも一の瀬たちにそんな財力があれば、とっくにこのボロアパートから出ているだろう。

今でも親戚づき合いを続けている前亡夫側の義父からは、資金援助するから全面的に改修したら
どうか、という話も出ているのだが、もはや戸籍上も道理上も無関係になっている人から、そこ
までしてもらうわけにもいかぬ。
もちろん響子の両親から借りるというのも筋違いであろう。
響子はぽつんと言った。

「お家賃の方はいいんです。アパート自体、こんな状態ですし。それよりも……」
「?」
「住人の方が少なくなったのはけっこう大きいですね……」

裕作と響子の結婚騒動以来、入居者が激減した。
それは別に彼らの責任ではなく、成り行きや必然としてそうなってしまったのである。

二号室の二階堂望は、地元へ就職と同時に実家へ戻った。
これはやむを得ないだろう。
五号室の住人だった裕作は、こうして響子と管理人室に同居している。
これもごく当たり前だ。
六号室の六本木朱美は、勤め先だった「茶々丸」のマスターに求婚され、まだ結婚はしていな
いが、店舗の二階に同棲している。
これだって自然な成り行きである。
そして三号室はもともと空き部屋だ。

つまり現在の一刻館は、6つの貸部屋のうち実に4部屋が空いてしまっているのだ。
健在なのは一号室の一の瀬一家と、四号室の四谷氏だけだ。
響子たちが結婚前、最盛期の頃は5部屋埋まっていた。
それが今は60%減の2部屋しかない。
家賃収入が大きく落ち込んでいたわけだ。
それまでは5部屋分の家賃で響子の生活を賄っていたわけで、いくら裕作の収入があるとはいえ、
これは楽ではないだろう。

「そういや、こないだ二号室に入った彼はどうだい?」
「二谷さんですか?」

空いていた二号室に新しい住人が入ったのは先月のことである。
何でも受験生らしく、この3月に大学入試を受けるのだそうだ。
そこで予備校に近く、しかも家賃が格安の一刻館にやってきた、ということらしい。

「そうそう、二谷君とか言ったっけね。どんな感じ?」
「そうですね……。真面目でおとなしそうな感じです。きちんと挨拶もしてくれますし」
「確か浪人だって話だね。何だか五代さんを思い出すね」
「あ、私もそう思いました」

花江が言った「五代さん」とは、言うまでもなく響子の夫の裕作である。
裕作も浪人時代からここに住み、新たに管理人として赴任してきた響子に一目惚れ、そのまま
ゴールインしたのである。
一の瀬のおばさんが感慨を持つのも当然で、頼りなかった浪人時代は裕作のことをそのまま
「浪人」と呼んでいた。
大学に合格し、響子と結婚するまでの間は「五代くん」と呼び、家庭を持った今では「五代さん」
と呼んだ。
彼女の中でも、裕作はもう立派なおとな、社会人として認めたということなのだろう。
現在の二号室住人・二谷は、昔の裕作を思い起こさせるような雰囲気を持っていたのだ。

「でもまあ、五代さんよか二枚目だよね」
「そうですね」

それは響子も認める。
目鼻立ちがすっきりと整った、いわゆるジャニーズ顔であり、さぞやもてるのではないかという
ルックスなのだ。
響子が飲み終えた湯飲みを盆に起きながら言った。

「それに頭も良いみたいですよ」
「そうかい? なら、なんで浪人なんかしてんだい」
「なんでも、去年のセンター試験の時、インフルエンザで体調を崩しちゃって、試験どころじゃ
なかったみたいなんです」
「あらあら」
「それに家庭の事情とかもあって、どうしても国公立じゃないとまずいってことみたいで」
「なるほどねー。じゃあ今年は……」
「ええ。体調さえ普通なら、志望校は充分パスするんじゃないかって裕作さんも言ってました」
「でも、合格したら出ていっちまうんだろ?」
「ええ、そう聞いてます……。ここは予備校には近いんですが、二谷さんの志望大学からは
けっこう離れてるみたいですから」
「仕方ないやね」

一の瀬のおばさんはそう言って立ち上がった。
腰に手を当てて、軽く伸びをしている。

「みんなそうやって巣立っていくんさ。うちの賢太郎にしたって、高校を出たらね……」
「え」

響子は少しびっくりして先輩主婦を見た。

「……一の瀬さん、出て行かれるんですか?」
「え?」

今度は花江が驚いた。
そして笑って手を振る。

「そうじゃないさ、出るのは賢太郎だけだよ。大学へ行くつもりらしいけど、そうなったら自活
するんだそうだ」
「……」
「あれはあれなりに考えてるんだろうよ。入学金とかも奨学金で賄うつもりらしいし、授業料や
生活費もバイトで何とかすると言ってる」
「へえ……」
「ま、確かにそうしてくれれば、うちとすりゃ食い扶持がひとり減るわけだから楽にはなるわな」

花江はカラカラと笑ってそう言った。
響子が来た時はまだ小学生だった賢太郎も、もうそんなことを考える年代になっているのだ。
その時点でもうだいぶ古かったこの建物がくたびれてくるのも当然なのだろう。
洗濯物を取り込んでくるという一の瀬を見送りながら、響子もゆっくりと立ち上がった。

* - * - * - * - * - *- * - *

響子は新宿に来ていた。
普段は滅多に繁華街へは行かない。
彼女の行動範囲は、基本的に時計坂圏内である。
都心へ出るのは、こうして友人に会うときくらいだ。

この日の昼間、示し合わせて、ひさしぶりに高校時代の同級生たちと会った。
高校時代に行き着けた喫茶店だった。
響子たちの仲良しグループの中で、最後の独身者が結婚することになったので、そのお祝いと
いうわけだ。
集まった仲間は5名ほど。
響子を含め、うち4名が結婚しているとあって、話題は夫婦生活が中心となった。
話が盛り上がる内に、いつのまにか「夜」の夫婦生活に話が行ってしまった。

「どうなの、恵のほうは?」
「まあまあかな」
「じゃ涼子は?」
「うちはほら、ダンナ年下だから」
「きゃー、激しいんだ」
「毎日ぃ!?」
「すっごーい、うらやましー」

きゃっきゃと騒ぐそのさまは、高校時代と大差ない。

「あたしんとこなんかさあ」

真理子という同級生が言った。

「もう週に一度がせいぜいよ。まだ結婚して3年なのにさぁ」
「そりゃ少ないわ」
「ホントよ。もう浮気しよっかなって」
「過激ねー」
「半分本気だもの。まだ30前なのよ、このままじゃ枯れちゃうわよ。あーあ、この際、強姦
でも何でもいいや」

やだーっと叫ぶ仲間の中、恵が秘密めいて小声で言った。

「ねぇねぇ、ここだけの話なんだけどぉ」
「なによ」
「あたし、こないださ……犯られちゃった」
「え……」

それまで話についていけなかった響子も唖然とした。

「飛び込みの営業マンだったらしいんだけどね……あたしにも隙があった、というか、物欲し
そうに見えたんだろうなあ」
「それで、それで!?」
「うん……抵抗はしたんだけど、割とあっさりとね……。それも3回も」
「うっそー」

仲間は騒ぐが響子は声も出ない。

「で、どうだったの?」
「どうだったって?」
「だからさー……感じた?」
「きゃー」

話題がどんどん響子の困る方向へ進んでいく。
基本的にシモネタは苦手なのである。

「……正直言ってさ……感じちゃったよ」
「……」

みんな息を呑んで聞いている。
テレビの昼ドラではない。
実話、それも知人の話だけに説得力が違った。

「最初はね、もちろん厭だったんだよ。抵抗したしさ。でも力じゃかなわないじゃない?」

恵はその時のことを思い出すようにコーヒー・カップを見つめている。

「で、組み伏せられて、下着下ろされて。強引に犯されちゃってさ。でもね、2回め、3回め
になると、なんだかあたしも昂奮してきちゃって。なんか、最後には相手にしがみついてた
ような気がするよ」

告白する恵も、さすがに顔を赤らめている。

「ぜんぶ中に出されちゃってさ……。すぐに洗ったから大丈夫だったけど。でも、感じちゃった
んだよね……」

涼子が話を受けた。

「でもさ……女ってそういうもんかもね」
「……」
「女にだって性欲はあるし、感じるもんは感じるんだもの。そりゃあ愛する人にたっぷり抱か
れるのがいちばんだろうけど、それがなかったらさ……。男が女遊びするのも、人妻が浮気
したりするのも根っ子はおんなじだと思うんだよね」

涼子は髪を掻き上げながら言った。
何気ない仕草が女っぽいタイプである。
そのくせ言うことは過激だ。

「だからさ、みんな口に出しては言わないけど、女なら誰にだって強姦願望ってあると思うん
だよね」

さすがにみんなビックリしたような顔をしている。
涼子はかまわず続けた。

「マッチョな男に、身体が折れるくらい強く抱きしめられたいってのがあるじゃない。あれの
強いもんだと思うんだ、強姦願望ってさ」
「でもぉ、犯されたいとまでは思わないけどな……」

真理子が目をくるくる回しながら言う。

「気づかないだけだと思うよ」
「気づかない?」
「うん。強姦願望だけじゃなくってさ、SM? そういう欲求とか、覗きとか、どっかにある
もんだと思うんだ。もちろん全部じゃないと思うよ。人によって違うけど、鞭で叩かれたりとか
ロウソク垂らされたりとか、縛られたりとか。人のセックスを覗きたいとかね。誰でも心の
どこかにそういう願望ってあるのよ」
「あんた精神科医だっけ?」
「からかわないでよ。世間じゃさ、そういうちょっと変わった性行為なんかを変態の一言で片づ
けちゃうけど、誰でもそういうのってあるのよ、多かれ少なかれ。それをビョーキだ変態だって
言ったら、世界中みんなビョーキだわ」
「そうは思わないけど」
「だから気づかないだけなんだってば。そのチャンスがないだけ。機会に恵まれてある日突然
目覚めることがあるんだと思うわ。逆に、気づいてる人は世間に折り合いつけて解消してるん
だと思う」
「どうやってよ」
「男は簡単よね。そういう風俗店もあるし、なんなら雑誌やビデオ見てオナニーすればいいん
だろうし。大抵はそういうので解消できちゃうんじゃないかな」

そこまで言うと、少々照れたように涼子は響子に話を振った。

「あんたんとこ、まだ一年だもんね。それも長年の愛が実って、ってことだし。夜も満足で
しょ?」
「な、なに言ってるのよ」
「違うの?」
「うん、満足……してるし、今以上を望んでないし」
「ホントー?」
「……どういうこと?」
「だってさぁ」

涼子はストローでずずっとレモンスカッシュをすすった。

「あんた高校出てさ、その秋に結婚したでしょ? でも音無先生、半年もしないうちに亡く
なっちゃったし」
「うん……」

10代だったこともあり、前夫の惣一郎も気を使って、あまりしつこくセックスを要求したり
はしなかった。
響子の方も、そういうものだと思っていた。

「その後は……6年?」
「7年……かな」
「7年もブランクがあったんでしょ。その間、男がいたとか、そういうことあったの?」
「そんなの……いなかったわよ」
「男と寝てもいないの?」
「……そう……かな……」

信じらんない、という声がいくつも上がった。
響子は何となく顔が赤くなる。

「で、今のダンナと結婚してまだ一年でしょ? 年下だし。どう? 激しい?」
「なによ、激しいって。普通よ、普通」
「響子の「普通」ってのは人より少ないってことなの。あんたネンネ(死語)だし」
「そうかな……」
「てことはさ、女盛りの間、ほとんど男日照りだったわけでしょ?」

露骨な言い方にいっそう顔が赤くなる響子。

「で、今のダンナは割と淡泊。それじゃ身体が夜泣きするでしょ」
「そうよねー」

恵は響子をちらりと見てドキリとするようなことを言う。

「響子なんかが男に襲われてさ、何度も犯されたりしたら溺れちゃうかもよ、その男に」
「そんなことないわよ」
「ないわけないよ。響子、良さげな身体してるしー」
「やめてよー」

どうにも響子は、この手の話は苦手である。
嫌いというほどではないが、自分から積極的に話したいと思う方ではない。
別に可愛い子ぶっているわけでもないのだ。
照れるというか、そういう話は秘めておくべきだと思っているのである。
旧友たちもそれがわかっているからこそ、こういう話題で響子をからかうのが楽しいのだろう。

* - * - * - * - * - *- * - *

「ごめんなさい、遅くなって」

予想外に長引いた(というより引き留められた)ミニ同窓会のせいで、帰宅は夕方遅くになって
しまっていた。
案の定、夫である裕作は勤めの保育園から帰ってきており、一の瀬のおばさんに預けていた春香
も引き取っていた。

「いや、いいよ。たまには響子も息抜きしないと」

裕作は微笑んで言った。
響子より2歳年下ということもあり、長い間「管理人さん」、「響子さん」と呼んできたので、
なかなか響子と呼び捨てにしづらかったらしい。
人前では気取って呼び捨てにしていたが、ふたりになるとすぐに「さん」付けに戻ってしまう。
それが、響子との間の第一子である春香が生まれたあたりから、普通に呼べるようになってきて
いた。
男として、夫としての自覚と責任感が生じてきたのだろう。

「それに、手が掛からない子だしね、春香は」

裕作はそう言うと、娘の頬をそっと撫でた。
誰に似たのか、おとなしい子だった。
夜泣きをして響子たちを悩ませることはほとんどなかったし、どこに連れて行ってもぐずって親を
困らせるということもなかった。
あまり人見知りしないので、アパートの住人たちにもすぐ慣れた。
お陰で、響子と裕作が出かける時などは、安心して一の瀬夫人に預けられる。
花江の方も、おとなしく愛想の良い春香がすっかり気に入っており、可愛がってくれている。
お乳も、母乳の方が好みのようだが、粉ミルクでも機嫌良く飲んでくれる。
問題らしい問題のない子だった。

春香をあやしていた裕作が、思い出したように言った。

「あ、そうだ。さっき真人が来たよ」
「二谷さん?」
「うん。なんか、部屋の壁が少し崩れてきたって」
「まあ……」

昼間、一の瀬夫人と、この建物の老朽具合について話したばかりである。
そう言うと、裕作も苦笑した。

「本当にねえ。ネズミとシロアリ駆除はしたけど、建物本体については手が出ないもんなあ」
「先立つものがないとどうしようもないわ。で、二谷さん、どうなさるって?」
「ああ、すぐにどうこうってことじゃないらしい。穴が開いて風が吹き込んでくるとか、そうい
うことじゃないみたいだから。一度、管理人さんに見てもらいたってことだろ」
「そうね。じゃあ明日にでも……。二谷さん、いらっしゃるかしら?」
「予備校は午後からだって言ってたから、午前中なら平気じゃない?」
「そう。じゃあそうするわ」

* - * - * - * - * - *- * - *

翌日。
二谷真人は自室で響子の訪れるのを待っていた。
室内は小綺麗に掃除されている。
これは、何も響子が来るから、ということではない。
裕作などは、来客がある時くらいしか掃除しなかったものだが、二谷はまめに片づけも掃除も
するタイプだ。

六畳一間の狭い部屋に、勉強机とクローゼット、飾り棚がふたつもある。
布団は押入にしまってあるにしても、その狭さは否めない。
それでも、裕作の独身時代の部屋などは、布団は仕舞わず丸めて置いただけで、そこに机や
卓袱台、箪笥があり、3人入ったらもう動けないくらいのものだった。
それに比べればずいぶんとマシではある。

コンコン、とドアがノックされた。
二谷は慌てて立ち上がり、ドアを開ける。

「はい!」
「あ、おはようございます」

響子がけぶるような笑顔を浮かべて会釈した。
ポニーテールにまとめた黒髪が、お辞儀した頭に連れて動く。

「あの、主人から聞きましたけど、壁が壊れているとか……」
「あ、はい。大したことはないんですが……。あ、どうぞ」
「はい、お邪魔しますね」

二谷が先に立って響子を先導する。
彼が指差したのは、窓辺の下あたりの壁だ。
なるほど、見ると壁が崩れかけている。完全に穴が開いているわけではなく、漆喰が剥がれて
きているという感じだ。
白い部分が崩れており、下の格子に編んだ木材が見えてしまっていた。
直径にして5センチほどで、すぐにどうこうというものではないだろうが、このまま放置して
おいたら、さらに崩れてくるのは間違いないだろう。

「う〜〜ん……」

響子は四つん這いになって、そこを覗き込んでいた。
もしかすると、この状況は二号室だけではないのかも知れない。
一号室や四号室でも似たようなことが起こっているのではないだろうか。
一の瀬は響子に気を使って言わないということもあるだろうし、四谷の方は、そんなことは気に
もしていない可能性もある。
これは、人の入っていない部屋も合わせて、全室チェックする必要があるかも知れない。

「あのお……」

響子がそんなことを考えていると、二谷が後ろから声を掛けた。

「あ、ごめんなさい、ぼうっとしちゃって。これじゃ困りますよね」

と言って響子が指差すと、意外にも二谷は微笑んで手を振った。

「いえいえ、別にすぐ困る類のものじゃないですからいいですよ」
「でも……」
「風が吹き込むわけじゃないですし」
「いえ、ダメですよ。これじゃどんどん崩れちゃうでしょう」

何かが触れたりすれば、いっぺんにではないものの、少しずつ崩れ続けてしまうだろう。
確かに大穴が開いたりする心配はしばらくないだろうが、崩れた漆喰を掃除するだけでも大変
なはずだ。

「わかりました。正直言って、本格的な修理はつらいんですけど、応急で壁を塗るようにします」
「そうですか。そうしていただけると助かります」

二谷の返事を受けて、響子は立ち上がった。
そして改めて室内を見回した。
いかに管理人とはいえ、そうそう住人の部屋を見て回るわけではないのだ。

「それにしても綺麗に使われてますね」

響子は感心する。
裕作の部屋もそうだったが、独身男の部屋などはもっと乱雑で汚れているものだとばかり思っ
ていた。
掃除されているだけではなく、二谷の性格なのか、机や棚も整理整頓がなされている。
自分の夫と比較すると苦笑せざるを得ない。

「そうですか? 自分の住むところだし、掃除くらいしておかないと落ち着かないんで」

響子に褒められて照れたのか、二谷は少し俯いて頭を掻いた。
そういった仕草も、響子には微笑ましい。
浪人しているということもあり、かつての裕作を思い出すのだ。
タイプは違うが、どちらかというとおとなしく控えめなところも似ている。
裕作もそう思っているのか、彼を名前の「真人」と呼び、何くれとなく面倒をみているようだ。

そうこうしているうちに、二谷がお茶の用意をし始めた。
この辺もマメである。
響子の方も、急ぐ用事はないし、せっかく用意しているのもを断ることもないと、つき合うこと
にした。
コーヒーを煎れてくれているようで、室内にぷぅんと芳ばしい香りがした。
しかもインスタントではなく、ミルで挽いてドリップしているようだ。

「今年は、受験の方はどうですか?」
「はあ、まあ何とか……」
「ご謙遜。裕作さんも……主人も、今年は大丈夫だろうって言ってましたよ」

二谷は、デキ自体は良い。
もう「大学ならどこでも」的だった裕作とは異なり、彼は国立を狙っている。
しかも滑り止めは受けないらしい。
実家の経済的な問題かと思ったのだが、そうでもないらしい。
親はそれなりの資産家で、子供の頃は生活に困ったことはないのだそうだ。
家の方針で受験は一回だけ、しかも国公立に限るということのようだ。
で、去年、受験に失敗した彼は、家を追い出されてここに来た次第である。
もっとも、今度合格すれば、また家に戻れるらしい。

「はあ、厳しい親御さんですね」

出されたコーヒーをすすりながら響子が言った。

「そうですかね。でも、ウチではみんなそうなんで。姉も兄もそうでしたから」
「あら、ご兄弟がいらっしゃるんですか?」
「はい。浪人したのはおまえだけだ、なんていつもいじめられてますよ」

二谷はそう答えると屈託なく笑った。
冗談でそういうことが言える家風だということなのだろう。

「でも、去年、失敗したのだって風邪を引いてたからだって主人が言ってましたけど……」
「ええ、そうです。ちょうどインフルエンザが流行ってて、見事に……」
「それなら不可抗力じゃないんですか?」
「僕もそう思ったんですが、親はそう言ってくれない。体調管理も出来ないでどうする、と言わ
れちゃいました。ま、もっともですけどね」
「失礼ですけど、大学はどこを……」
「はあ、医大です」

二谷の実家はそれなりに大きな病院なのだそうだ。
父親は院長、母親は理事長で医師免許も持っている。
他の兄姉たちも、それぞれ医者らしい。当然、
彼も医師になることを望まれたのだが、二谷はそれに反発し、わざと受験に失敗したらしい。

「え、そうなんですか?」
「はは、風邪を引いていたのは事実ですけどね、試験を受けられないってほどじゃなかったん
です。でも、親の敷いた路線に引きずられるっていうのも何となくイヤで……」
「まあ。お医者さんになるの、いやなんですか?」
「っていうか、医者以外にも道はあるんじゃないかって思ったんです。なんだか反抗期の中学生
みたいで子供っぽいですけど」

響子は、二谷の笑顔を見ながら思った。
二谷は恋人がいないらしいと、裕作が言っていた。
おとなしい性格のようではあるが、決して暗いわけではない。
会話も普通にするし、なにしろ二枚目である。
こう言っては何だが、冴えない裕作とはひと味違う。
もちろん、女は男を選ぶ時、顔だけを基準にするわけではないが、大きな要素であることは間違
いない。

響子ににしても、今でこそこうして裕作という人生の伴侶を得たわけだが、独身時代は彼ともう
ひとりの男を天秤に掛けていたことがある。
三鷹瞬というその男は、すっきりした男らしいルックスで、響子もときめいたことがないわけ
ではない。
裕作と結婚したことは何の悔いもないし、もう一度ふたりを比べろと言われても裕作を選ぶだろ
うが、それでも三鷹の凛々しい顔には惹かれるところはあったのだ。
二谷の容貌なら、女の子は引く手数多という気がするが、今は受験で頭がいっぱいなのかも知
れない。

話も弾み、それから一時間ほども他愛のない話をした。
ふと響子は頭の芯に鈍い痺れを感じて、軽く頭を振った。ふと時計を見る。
長居をし過ぎたかも知れないと思った響子は、テーブルに手をついて立ち上がろうとした。

「すいません、随分と長居しちゃって……」
「あ、そんな、いいんですよ」

つられて立とうとした二谷は、さりげなく響子のコーヒーカップを覗いた。
底が見えている。
全部飲んでくれたようだ。
ならば、もう一時間以上経つから、そろそろ効いてくるはずである。

「あっ……」

立てていた肘がガクンと折れて、響子が尻餅をついた。
二谷が驚いたような顔をして彼女を支えた。

「管理人さん、どうしました?」
「あ、ごめんなさい……なんだか、ちょっと……」

そこまで言うと、響子は全身から力を抜き、背中から支えている二谷に身体を預けた。

「……」

二谷は、腕の中で正体もなく眠りこけている美しい生贄を見て生唾を飲んだ。
何度も迷い、躊躇し、二の足を踏み続けていたが、とうとうやってしまった。
響子のコーヒーに睡眠薬を盛ったのである。
腕にかかる心地よい重さと、ほのかに漂う成熟した女の香気を感じながら、二谷は回想する。
半年前のことだった。

梅雨空の鬱陶しい季節、彼は仮の住処を探していた。
受験を失敗して家を追い出されてしまったのである。

浪人しているのは自分の責任である。
その面倒まで見るつもりはない。
自活し、大学に合格するまで帰ってくるな。

親にそう言い捨てられた。
落ちたのは自分のせいなのだから致し方なかった。
それにしても、受験勉強をしながらのバイト生活であり、仕送りは一切ない。
出来るだけ生活費を切りつめるしかなかった。
固定費でもっとも高いのが住居費、つまり家賃である。
手当たり次第不動産屋を回って、最安価だったのが、ここ一刻館だったのだ。
二谷は一も二もなくそこを希望したのだが、不動産屋の社員は苦笑を浮かべてこう言った。

「みなさん、最初はそうおっしゃるんですが……」

どういうことか聞いてみると、建物自体がかなり老朽化しており、居住空間としてあまり芳しい
ものではないという。
つまるところ、ボロボロであり、よほどの理由がない限り、そこへ住みたがる人はいないという
ことだ。
確かに家賃は格段に安かったが、利点はそれしかないらしい。
若干興味を示した客でも、実際に一刻館を見せてやると、途端に断ってくるのだそうだ。

そんなわけで、不動産屋の方も、一刻館を斡旋することは半ば諦めているらしい。
実際にアパートを見せると必ず拒否してくるので、いい加減うんざりしているのだそうだ。
そうまで言われると二谷も怖じ気づくが、背に腹は変えられない。
とにかく一度連れて行ってくれと頼んだ。
若い社員は、露骨に迷惑そうな表情を浮かべたが、二谷は強引に案内させた。

遠目にその建物が見えてきた時、二谷は早くも後悔していた。
自宅は白亜の大御殿……とまでは言わぬが、邸宅と呼べるほどのものではあった。
なのに一刻館ときたら、半世紀前に建築した小学校の方がまだマシではないかというくらいの
建造物だったのだ。
塀に囲まれているが、その塀自体、もう崩れかかっている。

すっかり気乗り薄となったが、道の反対側から門の中を覗いてハッとした。
妙齢の婦人が、庭を竹箒で掃除していた。
ポニーテールで髪をまとめ、エプロンを掛けている。
ジーンズを履いていて、下半身の曲線が見事なくらいに浮かんでいた。
そしてその美貌。

向きを変えてこちら側に顔を向けたのを見て、二谷は呆然となった。
こんな美人がいるのか。
歳の頃は24,5歳といったところだろうか。
大きな瞳のすっきりした顔立ちは清楚そのものだったが、ほどよく脂の乗ったと思われる肢体も
相まって、そこはかとない色気がある。
もしかすると結婚しているのかも知れない。
二谷は呆然と見とれてしまった。

その様子を見て怪訝な顔をした不動産屋に、二谷は勢い込んで訊いてみると、彼女がここの管理
人らしい。
長い間、一刻館の斡旋をしているその不動産屋が事情を説明した。
何でも、前の夫に死なれてから、その実家の経営するここに管理人として赴任したらしい。
今では再婚しており、子供もいるという。
なるほど、やはりあの色気は人妻ならではのものだったのだろう。
二谷は天命を受けたと思った。
この人こそ、自分の女になるべき人だと。

30分後、二谷は不動産屋で一刻館に入居する手続きを終えていた。
あまりの即断ぶりに呆れた不動産屋は、なぜあそこにする気になったのか不思議がったが、まさか
管理人の女性に惚れたからだとは言えなかった。
受験する学校が近いとか(これは事実である)、何と言っても家賃が安いことを上げ、すぐに
でも入居したい旨を伝えた。
訝しみながらも、不動産屋はOKした。
なにせあの通りのアパートだから空き部屋だらけらしい。
おまけに住人も変わり者が多く、それでなかなか入居者が出なかったのだそうだ。
その説明を受け、入居した後、そのことで文句を言わないことを条件に、二谷は一刻館へ移り
住んだ。

「ん……」

響子の微かな呻き声に、二谷の回想が解けた。
見ると、美しい顔を少し歪めている。
もう醒めかかっているのかも知れない。
量は最少にしたから1時間も保たないのだろう。
二谷は響子をそっと畳に寝かせると、慌ててクローゼットを漁った。

「……」

彼は、手にしたバンダナを持ったまま息を飲んだ。
眠りこけている響子のなんと美しいことか。
長い睫毛も小さな小鼻も、大きすぎない口も綺麗だし、唇はぽってりとしている。
といって太すぎることもない。
顔の輪郭すらまぶしく感じられた。
二谷は軽く頭を振った。
じっくり見るのは縛ってからでも遅くない。
「落ち着け」と自分に何度も言い聞かせて作業に入った。

響子の頬を少し押し、口を開かせる。
歯並びも綺麗だった。
わずかに開いた口に、バンダナで猿ぐつわにした。

隣の一号室の一の瀬は買い物に出かけ、二階の四号室・四谷もいずこかへ出かけたことは確認
済みだ。
響子の夫である裕作も出勤している。
今、この建物にいるのは二谷と響子だけであるが、大声を出されでもしたら、通行人や近所の
住人に通報される危険もある。
念には念を入れたかった。

さらにバンダナを数枚取り出し、その端同士を結びつけていく。
ロープで縛ると跡がつくと考え、バンダナですることにした。
三枚ほど結んで長くして、それで響子の両手を縛り上げた。
後ろ手にして手首を縛っただけである。
そこで彼は気づいた。
これでは服を脱がせられないではないか。
二谷は苦笑した。
まだ焦っているらしい。
無理もない。
5ヶ月近くも憧れ続けた女性を、ようやくものに出来そうなのだから。
若者は、震える手で響子のセーターに手を掛けた。

「ん……」

響子はうっすらと意識が戻りつつあった。
まだ頭がぼんやりしているし、微かに頭痛もある。
二度寝して起こされた後のような気分だった。
目を開け、焦点が合ってくると、ぼんやりと二谷の姿が映った。
そういえば自分は、二谷の部屋を訪ねて来ていたのだ。
しかしその後の記憶がない。

「んむ……」

名前を呼ぼうとして気が付いた。
少し息苦しい。
喋れない。
口に何かを咬まされているらしい。
異常事態にようやく意識がシャンとして、跳ね起きようとしたが、抱え込まれた。

(に、二谷さん……!?)

どうやら猿ぐつわでも咬まされているようだ。
おまけに両腕の肩が抜けるように痛い。
手首が後ろに回されて、これも縛られている。
その響子の身体を、若い住人が抱えているのだ。

「んんっ……ふむむっ……」

二谷はチッと舌打ちした。
思ったより早く意識が戻ってしまったらしい。
こんなことなら定量飲ませてしまえばよかったと思うが、もう遅い。
危機感を察した響子がしたばたと暴れ出したのを押さえ込むように抱きかかえ、二谷が言った。

「管理人さん、ごめんなさい! こんなことしてしまって本当に申し訳ない」
「……」

その声を聞いて、響子の抵抗が止まった。
二谷の声に荒っぽさがなく、本当に謝っているように聞こえたからである。
二谷は響子を横座りにさせ、その両肩を押さえるようにして顔を見つめた。

「初めて一刻館に来た時から、ずっとあなたのことが好きでした」
「……」
「でも、でもあなたはもう五代先輩の奥さんだ。どうにもならない。そう思っていたんです」

初めて会った時から惹かれていたという。
まるで裕作のようだと響子は思った。

「それでも。それでも、もう我慢出来ないんです。どうしても管理人さんが……いえ、響子さん
が欲しい!」
「……!!」

それを聞いて響子は再びもがきだした。
二谷は私の身体を求めているのだ。
惚れているというのもウソではないかも知れないが、往々にして男性が女性に惚れるというのは
性的なものも含む。
声にならない悲鳴を上げ、必死に彼の腕から逃れようとする響子を、二谷は後ろから抱きしめて
いた。

「僕は五代先輩にもお世話になってる。だからこんなことはしたくありませんでした。だけど
、もうどうにもならない。響子さんが好きで好きでしようがないんだ! あなたと結婚したい!
あなたの身体が欲しい!」

響子の悲鳴はバンダナに吸い込まれ、籠もるだけで声にならない。
もがく女体は、座布団の上に転がされた。
腕は背中の後ろで潰されているが、脚は自由だ。
縛られた腕を下敷きに反らせた胸を打ち振り、脚をばたつかせようとしたが、その上に二谷が
座り込んでしまった。
男の重みに、響子の脚も自由を奪われた。

(二谷さんっ、バカなマネはやめて!)

響子は必死になって若者に呼びかけた。
その声は、もちろん意味のある言葉になっていないが、その表情で察して欲しかった。
縋り付かんばかりの美貌を示すものの、二谷の興奮度は響子の説得に応じそうもない。
仮に響子が口を利けたとしても、その言葉を受け付けなかったろう。

「むうっ! むむっ……んむうっっ……」

懸命に叫び、助けを求めているのだろうが、響子の口から洩れる音声はくぐもっている。
あとは綺麗に伸びた鼻筋から零れる吐息くらいのものだ。
隣近所はもちろん、一刻館に住人が居ても気づかないレベルだったろう。
せめて隣室の一の瀬が居てくれれば、気配を察してくれたかも知れないが、二谷の行動は彼女の
留守を狙っていた。
腕を解放させようと盛んに動かすものの、手首にバンダナが食い込むだけだ。
脚を二谷の尻に、腕を自分の背中に圧迫され、どうにも動けない。
まるで魚のように上半身と下半身をもがかせてバタついたが、響子の体力を奪うだけで事態の解決
にはなりそうにない。

「……」

一方、二谷の方も少々持て余していた。
響子が息を吹き返すのが早すぎて、服を脱がせる暇がなかったのだ。
トレードマークのエプロンこそしていなかったが、上にはベージュのとっくりセーターを着込み、
下はデニム地のスカートを着けている。
こう暴れられては、素っ裸にするのは難しいだろう。
響子が疲れるまで暴れさせるという手もあるが、もたもたしていては一の瀬のおばさんあたりが
帰ってくる恐れがある。
このままやるしかなかった。

二谷が少し尻を持ち上げ、響子の左脚を解放すると、たちまちその脚を振ってきた。
二谷はすかさずその脚を抱え持った。

「んん!」

思いも掛けず脚を開かされた響子は、幾分染まった顔を振りたくった。
二谷はその足首を掴むと、ぐいと大きく脚を開かせ、その間に自分の身体を入れた。
これでもう響子は、股を閉じることは出来ない。
無理に閉じると、両脚で二谷の身体を抱え込むことになる。
スカートがまくれ上がり、すらりとした美しい脚線美が露わとなった。

「……」

二谷が思わず見とれるほどの美脚であった。
ほどよく脂肪が乗り、見事なほどの肉付きである。
それでいて、むちむちと余計な脂は付いていない。
筋肉と脂肪がほどよくミックスされた、理想的な形状だった。

若者の気色ばんだ視線を感じるのか、響子は身を捩って脚を振りほどこうとする。
ストッキングにくるまれているとはいえ、脚を見られるだけでも恥ずかしいのに、このままでは
その奥に潜む秘所まで見られるかも知れない。
響子は絶望的な抵抗を試みていたが、二谷は委細構わずスカートの中に手をやり、下着に手を
掛けた。
ストッキングとパンティの縁を一緒に掴むと、そのままずるずるっと引き下げた。

「んんんっ!! んっ、んんっ!!」

(だめだめっ……ああ、二谷さん、それ以上はダメですっ)

響子が最後の力を振り絞り、二谷の暴虐を食い止めようとするものの、男の力には敵わない。
二谷も必死なのだ。
決して大げさでなく、彼は死ぬつもりで響子を抱こうとしているのである。
ここでもし、邪魔が入って最後まで出来なかったら自殺するつもりだった。
彼にとっては乾坤一擲の大勝負だったのだ。

二谷は勃起を自覚した。
ジーパン生地に締めつけられていたペニスが自己主張し始め、股間がきつくなってきている。
響子が暴れ、また下着を下ろしたことにより、ほのかに汗と女の香りが漂ってきていた。
そのフェロモン臭を鼻腔に捉えた途端、彼の性器は素直な反応を見せたのである。
同時に、彼の理性も吹き飛んでしまった。
誰にも見つからないように、とか、響子の裸身を拝んでやろうとか、そういう気持ちは消し
飛んだ。
何よりも男性としての本能が先立っていく。
魅惑的な異性体を目にして、とにかく挿入したいという獣欲が噴き出したのである。

「うんっ! ……くっ……んくっ……んんっ……」

二谷は苦労して響子の脚から、ストッキングとパンティを抜き取った。
まだ股間はスカートに覆われている部分も多く、半端に表出している。
完全にまくって凝視しようという余裕もなく、彼は響子の両脚を抱え込んだ。
彼女のなめらかな素足が二谷の腰や腿に接触する。
すべすべとしており、いかにもナマの女の脚という実感があって、彼のペニスは否応なく硬く
なっていく。

忘我の状況にあった二谷だが、いきなり突き通すことはしなかった。
当たり前のことだが、まだ響子はとても濡れるところまではいっていない。
強姦でそうならせるには、じっくりと時間をかけて責めていく必要がある。
二谷はそうさせる自信がないではなかったが、とにかく時間がないし、今は早く入れたくて
しようがなかった。
トランクスを濡らしていたカウパーに加え、自分の唾液を先っぽに塗りたくった。

(二谷さんっ、お願いっ……それ以上はホントにだめですっ……こ、こんなことしたら、あなた
もタダでは済まないわっ)

この期に及んで、自分が汚されることよりも二谷の行く末のことを心配しているのが響子らしい
と言えば響子らしい。
もっとも、その真意を二谷が知ったところで、彼はこのレイプを止めはしなかったろう。

彼は響子の両脚首を掴むと、V字型に股を割った。
そして改めてその股間に入り込み、両脇で腿を抱えた。
もう扱く必要もないほどに隆々と屹立した肉棒でその股間を探り出す。
熱くぬめぬめしたものが肌に触れると、響子はそれこそ発狂したかのようにもがき、叫んだ。

(だめっ、いやあっ……ああ、あなた、あなたぁっ……助けてぇっ!!)

夫にしか許したことのない秘穴に別の男のペニスが当てられると、響子は死ぬ思いで抵抗を試み
たが、もはやどうにもならなかった。
熱いものが響子の身体を割り、ゆっくりと中へ沈み込まされると、諦めたように力が抜けた。

女の抵抗が止むと、二谷は腰を捩るようにして根元まで埋め込んだ。
二谷は、響子の膣の感触を愉しむ余裕もなかった。
ただ焦っていた。
くたりと身体の力を抜いた響子に覆い被さると、彼女の腰を抱えていた腕を抜いた。
そして響子のセーターをたくし上げ、胸を触ろうとする。
セーターの下のブラウスのボタンを外すのももどかしく、そのまま乳房を揉んだ。
柔らかい肌の感触は得られなかったが、ブラや下着の上から揉むもの悪くない。
とけてしまいそうなほどに柔らかかったが、心地よい弾力もある。

響子は、こぼれ落ちそうになる涙を必死に耐えて、顔を背けて目を閉じていた。
悲運を堪え忍ぶ美女の貌に興奮させられ、二谷はその乳房を両手で揉みしだきながら腰を使っ
ていく。

「んくっ……くっ……んんっ……くくっ……」

若さに任せ、深く鋭く腰を打ち込んでくる二谷の責めに、響子は身体を固くして呻いた。
腰が持ち上がるほどに強く打ち付けてくるが、もちろん響子に快感はない。
どうしてこんなことになったのか、なぜ二谷はこんな非道いことをするのか。
そうした疑念と悔恨に打ちのめされている。
何度も貫かれているうちに、膣の通りがよくなってきていることに気づいた。
感じているわけではないが、膣には異物との摩擦を和らげるために体液が分泌されてきている
のだろう。
響子はそう思っていたが、二谷に乳首を潰されて別の感覚が起こった。

「くうっ……!」

二谷は意識したわけではなさそうだが、彼の指先が響子の乳首を潰すような動きを見せたのだ。
乳房を揉まれ、身体が授乳だと勘違いしたのか、乳首が硬くなり立ってきていたのである。
そこは赤ん坊に吸われただけでも心地よい。
これは性的な快楽とは別物であるが、硬く張り詰めた乳頭を吸われたり、こねられるのは快感
には違いなかった。
しかし、ムリヤリ犯されているのにそんな気持ちになったことに響子は戸惑った。
響子の当惑したような表情にほだされたのか、二谷が息荒く呻いて攻勢に出てきた。

「くっ……んむっ……むむっ……」

(二谷さんっ……ああ、もうやめてくださいっ……)

響子が抗い、呻く様子に煽られ、若者は早くも限界にまで来ていた。
それまでも計画的に女体を責めていたわけではないが、今はもう滅茶苦茶に媚肉を貪っている。
二谷は乳房を握りしめ、盛んに腰を振っていた。
深いストロークが、浅いが速いものに変わってきた。
男の呻き声に変化が出てきたことを覚り、響子はハッと気づいた。

(ま、まさか……)

射精しようとしているのではないだろうか。
犯されただけでも死にたいほどのショックだったが、さらに膣内射精されてしまっては最悪だ。
それだけは避けたかった。
響子にとっても二谷にとっても、悪い結果しか出ないはずだ。

「むむ……ん、んんん……」

響子は悲壮な表情で二谷を見た。
責められ、腰を使われて、身体を揺さぶられながらも、二谷へ訴えかけるような瞳で見つめ、
呻いた。

(お願い、二谷さん……な、中だけはだめですっ……ああ、早く抜いてっ……)

「……!」

それがわかったのか、二谷は迷った。
最初は何も考えず、そのまま響子の中で果てる気でいた。
しかし、彼女の思い詰めたような美貌にほだされ、それは思い留まった。
仕上げに数度激しく律動し、響子に悲鳴を上げさせてから、あわやというところでペニスを
引き抜いた。
そしてそのまま響子の顔まで持っていき、そこで一気に射精した。

「んんん!? ……ん、んんむっ……」

思わず目を閉じた響子の鼻面に、熱いものが引っかかった。
どろりとした粘液が異臭を立てて響子の美貌を汚した。
鼻の付近に浴びせられ、それが口の猿ぐつわ、顎にまで滴っていった。

* - * - * - * - * - *- * - *

「……」

10分後。
着衣の乱れを直した響子がドアの前に佇んでいた。
二谷とは目を合わさない。
二谷の方も、まともに響子を見られなかった。
後ろを向いたまま響子がつぶやいた。

「ひどい……」
「……」
「ひどいです、二谷さん……」

消え入りそうな響子の声に二谷が視線を戻すと、彼女は俯いた顔をゆっくりと彼に向けた。
その悲しそうな表情に、二谷は言葉もなかった。
響子は声高に非難することはなかった。
悪し様に罵ることもしない。
泣き喚きもしなかった。
ただ悲しそうな目で二谷を見つめるのみだった。
それが二谷には堪えた。



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