神崎すみれは、生まれ育った本宅と離れた別宅に居住している。
ちょうど一年前、後に「帝都の闇」事件と呼ばれた騒乱を収めると、すみれは帝国華撃団を退団した。
20歳の時だった。

理由は、霊子甲冑を操るのに不可欠とされる霊力の著しい減少のためである。
霊子甲冑の機動に霊力が必要なのはわかっているものの、その霊力自体の研究は未だ途上だった。

霊力を持つ人間とそうでない人間がいるのはわかっている。
これは生まれながらの素質によるようで、ないものをいくら鍛えても、後天的に霊力が発生することはないらしい。
また、霊力は遺伝的に受け継がれ、どういうわけか女性に発祥することが多いという統計もある。
その因果関係についても調査研究中であり、はっきりしたことはわからないようだ。
さらに、霊力がある者でも、幼い頃から強い力を持っているケースや、ずっと後になって力を自覚する場合もあり、まちまちなのだ。

ただはっきりしているのは、幼少期から強い霊力を持っている者はそれが枯渇するのも早く、遅れて発現した者やさほど強くない者は維持が長いということである。
このことから個体内の霊力には限りがあり、利用する度に減少していくものらしいことも判明していた。

すみれの場合、かなり強い霊力を発揮していたもののキャパシティはさほど多くなかったらしく、帝撃花組に参加して5年ほどで衰退している。
大事件を片付けて、取り敢えず帝都に平和が戻ったこともあり、霊力減少を自覚していたすみれは身を引くこととしたのだった。
それは華やかな引退記念公演も開かれ、関係者やファンから惜しまれつつトップスタァから一般庶民へと戻ったのだった。

実はすみれに引退を決意させた要因はもうひとつある。
彼女自身が結婚することになったのだ。
相手は、誰あろう華撃団花組隊長である大神一郎その人だ。
華撃団時代から愛を育み、時に燃え上がり、時に喧嘩して疎遠となり、紆余曲折を繰り返したものの、ライバルだった真宮寺さくらを退けてゴールインしたのである。

霊子甲冑を華撃団へ納入していたのが実家の神崎財閥の一角、神崎重工だったこともあり、両親も華撃団の本来の任務は知っていた。
そもそもすみれはその霊力の強さを活かして、試作機だった霊子甲冑のテストパイロットを務めていたのである。
テストパイロットの件に関しては、他に適任者もおらず、神崎側も渋々すみれ搭乗を認めたものの、まさか実戦配備された機体に乗るとは思っていなかった。
舞台女優という隠れ蓑の下に、陰で魔から帝都を守る武力集団の一員となったわけだ。

さすがに両親は強く反対したものの、華撃団の米田一基陸軍中将や藤枝かすみ、そして賢人機関の花小路伯爵の懸命の説得もあり、受け入れざるを得なかった。
陸軍重鎮である米田と誼を通じることは(それも「貸し」を作ることにもなる)神崎にとって悪いことではなかったし、門閥貴族である花小路家とも関係を持つことになる。
新興の神崎財閥にとって、軍と貴族という力強い味方を得ることも魅力だった。
何より、すみれ自身が帝撃への参加を強く希望したため、両親もやむなくそれを認めたのだ。

もっとも、花組参加以後も、すみれを退団させるため、あれこれ手を尽くしてはいた。
強引に見合い結婚させようとしたり、新鋭機開発の費用捻出と引き替えに引退を条件に出したこともある。
いずれもすみれ本人がそれらをはね除け、帝撃は事なきを得ていた。

そのすみれが引退して結婚、家へ戻ると聞かされた時は、祖父は大喜びだったようである。
すみれをもっとも熱心に帰らせようと画策していたのは祖父の忠義であり、父の重樹、母の雛子は嬉しいというより「ホッとした」というのが本音だったろう。
重樹はすみれを心底可愛がっていたし、雛子も自分自身が銀幕のスタァだったから芸能界の仕事への理解はしていた。

ただ、舞台だけならともかく、霊子甲冑に搭乗して降魔と戦闘するというのは認めがたかったのである。
両親は娘が無事に戻るというだけで充分だったし、祖父の方は孫娘が念願の結婚をしてくれる──神崎の跡取りを作ってくれる──ということで欣喜雀躍したものだった。
その際、大神は神崎家へ入り婿することになった。
重樹夫妻には子は娘のすみれしかいなかったし、神崎の名を継ぐ者が必要だったのだ。

すみれ自身は、神崎の家を大切には思っていたし、気位も高かったが、名を継ぐこと自体には拘っていなかった。
そんな名前などどうでもいいと思っていたし、名字を変えることに大神が難色を示すのではないかと気にしていた。
だが、思いの外あっさりと大神は改名を認めた。
些細なことだと思ったらしい。
実際、大神の所属する海軍でも、結婚と同時に名を変えた士官はいるのだ。
特に平民出身で上流階級の娘と結ばれた者などは、箔を付けるためにも積極的にそうした。

こうして、試行錯誤はあったものの、すみれは無事に大神と結ばれ、ふたりは神崎本家の敷地内に新居を持ったのだった。
新郎新婦は仲睦まじく、愛し合っていた。
人前ではともかく、ふたりっきりの時などは、普段のすみれとは思えぬほどに一郎に甘えている。
結婚後まだ一年ということもあるが、誰もいなければ一郎にべったりという感じだ。

セックスに関しても同様で、処女だったすみれは、初めて結ばれるまではかなり恥ずかしがり、躊躇していたものの、最近では自分から積極的に抱かれるようになっている。
男を知って一年ほどであり、セックスが心地よく感じられてきていた。
気持ち良かれば素直に快感を口にするし、快楽に関して偏見もないようだった。

また、技術的なことについても好奇心旺盛で、見聞きした性技を試してみるようなところもある。
まだ「のめり込む」というほどではないが、セックスが好きか嫌いかで聞かれれば「好き」ということだろう。
好き合った仲なのだから、毎夜のように一郎とは同衾していた。
それも、両親や祖父から子供を作るようしつこく言われていることもあって、子作りを意識したセックスになっている。
一郎自身も子供好きだったから、すみれや神崎家の希望に沿うよう毎回励んでいた。

ただ、この日は少しいつもと違っていた。
どうしたわけか、すみれが遠慮がちに拒んだのである。
確かに、体調が悪かったり気分が乗らない時などは抱擁し合うだけで済ませ、セックスに至らないこともあった。
だから一郎も、すみれの体調が優れないのかと思ったのだ。

「……ごめんなさい、あなた。ちょっと、わたくし……」
「ああ、いいんだ。具合が悪いなら仕方ないよ」
「ええ……」

すみれはそう言って顔を伏せた。
ウソをついた後ろめたさで、夫の顔がまともに見られない。
体調が悪いわけではないが、今日だけは抱かれる前にしておかねばならないことがあった。
すみれは少し恥ずかしそうに小さな声で言った。

「その……、わたくし、口でしますから……」
「え?」
「ですから……、あなたも、その……したいのでしょう? だからわたくし……」

つまり、一郎はすみれを抱きたいのだろうから、取り敢えず口でしてあげる──フェラチオするから、それで満足してくれ、というわけだ。
一郎は面食らった。
それまでも、前戯として口唇愛撫をされたことは何度もある。
意外とすみれはセックスに関心があったようで、そうしたことを厭わなかった。
一郎も、口でしてもらいたいが妻にどう言えばいいのだろうと思っていたから拍子抜けしたくらいだ。
以来、一郎がすみれの裸身を愛撫するのと同じように、すみれも一郎のペニスを手や口で愛撫してくれていた。
だが、セックスは出来ないから口でしてくれ、と言われたのは初めてだった。
一郎は少々焦って首を振った。

「あ……、い、いいよ。きみの具合が良くないなら俺は……」
「いいんですのよ……、さあ……」
「あ……」

戸惑う夫を尻目に、妻はそっとペニスへ手を伸ばした。

「うっ……」

妻の柔らかい手で男根を握られ、一郎は思わず声を洩らした。
我が妻ながら、ぞくりとするほどの色香がある。
目元に泣きぼくろのある妖艶な目つきで見られると、それだけで男性器が元気よく勃起してしまう。
すみれは夫の様子を見ながらペニスを少し強く握り、そして亀頭へ舌を這わせる。

「ん……ちゅっ……ん、んぶ……じゅぶっ……ふんっ……んむ……」

すみれは、顔に垂れてくる髪を片手で払いながら、ねっとりと舌を使った。
一郎の顔を上目遣いで見つつ、舌を大きく伸ばして先を尖らせ、ちろちろと先端を舐める。
そして頃合いを見ながら口を大きく開き、夫のものを咥内に含んだ。
一郎の顔が少し仰け反る。
生温かく柔らかい咥内粘膜の感触を受け、彼の肉棒がますます滾っていく。
あっという間に、すみれの小さな口の中を圧迫するまで膨れあがった。

「うん……んむ……ん、んじゅっ……んく……」

すみれは細い指を肉棒に絡ませてしごきつつ、咥え込んだ唇を窄めてカリを刺激する。
唾液を塗り込めるかのように舌を使い、夫のものを責めた。
口の中に入ったそれはビクビクと痙攣を始め、耳には一郎の呻き声が聞こえてくる。
何となくセックスには、男性が女性を責めるイメージが強かったが、フェラチオだけは女性が主導権を握れる。
気の強いすみれにとっては優越感を感じる行為でもあった。
自分の中で暴れ回る男性器を、自分が支配できるからだ。
初めてやった時はかなり抵抗感があったものの、今ではけっこう好きになっている。

(ふふ……、大きくなってる……こんなにビクビクさせちゃって……可愛いですわ……)

「んんっ……んふっ……ん……」

ペニスが口いっぱいに膨らんだため、呼吸は鼻が中心になる。
その際に洩れる鼻に掛かった甘い吐息が甘く切なかった。
すみれは根元をしごきながら顔を離し、一度口から出した。

「ふあっ……、あなた、気持ち良い?」
「あ、ああ……最高にいいよ……」
「そう。なら、もっとよくしてあげますわ」
「あっ……く……」

再び襲い来る快感に夫は呻き、思わず妻の頭を押さえ込む。
柔らかい髪が指に絡み、指先に頭皮が感じられた。
そこから伝わる体温はかなり高く、すみれもかなり興奮しているのがわかった。

すみれは軽く頭を振りながら肉棒を頬張り、舌を絡ませる。
顔を前後させて抜き差しし、唇を窄めてペニスを擦りつけた。
カリ首まで引き出し、そこを唇で締めつける。
そして、喉に当たりそうになるまで深く飲み込んだ。
もちろんその時にも舌を使い、裏筋を強く擦りながら愛撫していた。
いずれも夫との行為の中で覚え込んだ技巧だった。

「ん、んあ……んっ、ちゅ……んぐ……ふあっ……あんむ……」
「ちょ、ちょっと……すみれ……あっ」

すみれの性技が熱を帯び、一郎のものは破裂寸前にまで追い込まれた。
たまらず一郎はすみれの顔を離そうとするものの、妻の細い手が腰に巻き付き、しっかりと抱きついていた。
一郎は呻きつつ手を伸ばし、すみれの胸を揉んだ。
指先で乳房を柔らかく揉み、硬くなりつつあった乳首を擦る。
乳首の刺激に強い快感を得て、思わずすみれは顔を歪めてピクンと反応した。
それでもめげずに、なお夫のものを咥えている。

(あ……、先から出てきた……)

すみれは舌先でカウパーの分泌を感じていた。
もうすぐだ。
ビクビク痙攣する肉棒を強く唇で締め、舌先でカリを舐め込む。
夫は小さく呻き、頭を押さえた指に力を込める。
追い込むべく、すみれは舌先を尖らせて尿道口をこそぐように抉った。

「くっ……、す、すみれっ……」

堪えようもなく、一郎の腰がガクンと持ち上がり、突き込まれる。
上顎を亀頭が擦り、すみれも強い快感を感じた。
夫はなぜか慌てるようにすみれの頭を掴み、上擦った声で言った。

「だ、だめだ……くっ……も、もういいよ、出そうだ……」
「んんっ……」

すみれは「構わないから出していい」というように、顔を小さく上下させた。
一郎はその快感とすみれの態度に目を白黒させて呻く。
今までも妻の口で愛されたことは何度もあったが、最後まで口で、ということはなかったのだ。
あくまで前戯、愛撫という認識だったから、口で大きくさせてから膣へ挿入、というのがパターンだったのだ。
口だけでいきそうになったこともあるが、その前にすみれにそのことを告げ、口から引き抜くのが普通だった。
いかにすみれが今で言うところの「ツンデレ」であったとしても、うっかり咥内射精してしまったり、あまつさえ顔にでもかかってしまったら、「何をなさるの!」とばかりに気の強い彼女が激怒しかねないからだ。

ところが今回は、まるで口へ出されることを望んでいるかのような態度であった。
一郎は迷ったものの、もうこれ以上耐えられそうにない。
すみれの頭を抱えるように掴むと、そのまま腰を押し込んでいく。
頬裏の粘膜と舌のぬめぬめした感触と暖かさに感応し、一郎の腰が大きく震えた。

「くっ……、で、出る!」
「んむっ……!」

口の中で男根が炸裂し、熱い精液が放たれた。
すみれは、瞬間的に亀頭を奥から前に引き出して、そこで射精させた。
飲み込むわけにはいかないのだ。
舌の上や上顎の裏に精液がかかる。
それどころか舌の裏側にまで粘った白濁液が入り込んでくる。
妙な生臭さがあり、苦かった。
決して美味しいものではない。
だが強烈な男性フェロモン臭があって、頭の芯がぼうっとしてくる気がした。
すみれはその味に顔を顰めて堪え忍ぶ。

「んんっ! ……ん、んむ……んっ……ちゅううっ……」

すみれは少し顔を顰めながらペニスを強く吸った。
愛する夫のものだとはいえ、初めての咥内射精は気持ち悪いだけだった。
そのことを一郎に気づかせないよう、ペニス内に残った残滓も絞り出すように頬を窄め、精液を吸い取った。

「んっ……」

すみれが口を離すと、閉じた唇からつうっと精液が滴る。
口から零れないよう、すっと手の甲で唇を押さえる。

「大丈夫かい?」

すみれが苦しそうに屈んだので、一郎がそっと背中をさすってくれた。
飲んでくれたからそのせいだろうと思ったらしい。
しかしすみれは一滴も飲んではいなかった。
一郎に背を向け「大丈夫」というように手を振っている。
苦しんでいる顔を見られたくないのだと判断した夫はすぐに引き下がった。
すみれは、ベッドの下に隠してあった小瓶を咄嗟に取り出すと、一郎に見つからぬよう口に当て、精液をそこへ注ぎ込んだ。

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一郎に初めて咥内射精を許した日から一週間後、すみれはこっそりと大学病院を訪ねていた。
帝都郊外にある東京慈英会医科大学付属病院だ。
ここへ訪れるのは二度目であった。
来院していることは一郎にも家族にも内緒である。
この病院は貴族や華族などが診察、検査を受けることも多く、貴賓室や身分を隠した者が受診するための特別室もあった。
すみれもそこへ通されたが、案内する看護婦もなるべくすみれの顔を見ないようにしているようだ。
プライバシーの厳守は徹底されているらしい。
奥まった診察室に通されると、そこには中年の医師が待っていた。
医師はすみれを見ると微笑み、椅子を勧めた。

「さあ、どうぞ。お待ちしてました」
「……」

すみれは黙って会釈してから、白い布カバーのある丸椅子に腰を下ろした。
いつも堂々としているだけに、こそこそするのは性に合わぬらしく、すみれは少し居心地悪そうにしていた。
今日は、前回依頼していた検査の結果が出るのだ。
先日すみれは、口で一郎の精液を受け、それを採取してこの医師に渡したのである。
言うまでもなく、男性の側の不妊症を調べるためだ。
夫に内緒でそんなことをしている後ろめたさもあり、すみれは幾分俯いている。
結果を聞くのが怖くもあり、すみれがなかなか切り出せないでいると、山城医師が言った。

「精液に異物が混じっていて、ちょっと時間がかかったんですが結果は出ました」
「異物……ですか?」
「ええ、唾液でした。ご主人とは血液型が違いましたから、恐らくあなたのでしょうね。ご主人は自分でせずに、あなたに出してもらったんですね。それも手じゃなくて口で……、くく、あなたのような美しい方にそんなことをしてもらえるなんて羨ましい限りですな。……おっと、これは失礼」
「……」

すみれが睨みつけたので、医師は軽く咳払いして謝罪した。
が、その顔はまだいやらしそうに笑っていた。

山城医学博士は、神崎家の主治医である平住医師によって紹介された婦人科医である。
すみれは、結婚後一年経っても妊娠の徴候が見られないのを気にして、主治医にそれとなく相談したのである。
平住医師は「まだ一年なのだから気にすることはない」と言ってくれたし、夫の一郎も「授かりものだから仕方ない」と言っていた。
すみれ自身もそう思うし、個人的に焦っているわけでもない。
第一、まだ20歳である。
懐妊するチャンスは、これからいくらでもあるはずなのだ。

ただ、家の事情がある。
家柄が家柄だから「早く跡取りを」という親族の気持ちはわかる。
加えて、父の重樹と母の雛子との間にはすみれしか子が出来ず、そのせいで大神との結婚も入り婿という形を取らねば許されなかったのだ。

そうでなくとも、大神との婚姻には一悶着あった。
海軍士官とはいえ、平民の大神と結婚するとなると、「家柄が違う」と親族から懸念の声が上がったのだ。
そんなことを気にする娘ではなかったが、祖父にまで難色を示されると少し困ってしまった。
父の重樹も、何度となくすみれに貴族や士族相手の見合いをセッティングしていたくらいで、出来れば娘にふさわしい地位を持った者と結婚させたかったようだ。
祖父の忠義は、巻菱財閥の三男にして子爵の爵位を持つ巻菱洋三郎を、父の重樹は、紀平子爵家の嫡男であり陸軍士官学校出のエリートだった紀平順一郎中尉を強く推していた。

パーティ等でふたりに会ったことはある。
その時は挨拶をし、会話も楽しんだ。
どちらも悪い印象はなかった。洋三郎は気の優しい善人という感じだったし、順一郎も軍人臭さは抜けないものの、海軍士官並みに女性の扱いには慣れているようだった。
すみれも、もし大神一郎に出合っていなかったら、どちらかと見合いをし、結婚していた可能性もあったと思っている。
だが、すみれの心は大神の方へ向いたままであり、洋三郎や順一郎に限らず、どんな男のアプローチにも乗らなかった。
貴族の娘にありがちな、複数の男とアバンチュールを愉しむような性格でもなかったのだ。

大神の存在と娘の気持ちを知り、両親は諦めたようだった。
すみれが言い出したら聞かない娘だということはよくわかっていたし、何しろ重樹にしたところで、自分の妻である雛子が平民出身の女優なのだ。
加えて、身分を除けば大神という男の人間性は評価していたし、信頼も出来そうだと思っていた。
だから両親ともに、最終的にはすみれの決断を認めたのだが、最後まで反対していたのは祖父だった。
息子の重樹に続いて、孫娘のすみれまで平民に嫁ぐことが面白くなかったようだ。

だからこそ、すみれは早く子が欲しかった。
跡取り──それも、出来れば男児──が生まれれば、一郎も居心地の悪さを感じないで済む。
すみれには何も言ってこないが、もしかしたら陰で何か言われているかも知れないのだ。
それも、悪意というよりはすみれや神崎家を思っての発言だろうから、頭ごなしに反発するわけにもいかなかった。

だが、すみれはさほど心配していなかった。
一郎と愛し合って、早く子を為せばいいだけだからだ。
そんなこともあって、すみれは積極的に夫と交わっていた。
もしかしたら「淫らな女だ」と思われてしまうかも、という恐れはあったが、背は腹に変えられない。
それに一郎の方も最初は吃驚していたようだったが、次第に慣れ、妻の求めに応じていった。
そもそも一郎も、帝撃内で女風呂を覗くなど、女好きではあったのだ。
だから、自分から言い出すだけでなくすみれから求められるというのは、彼にとっても願ったり叶ったりだったのかも知れない。

こうしてすみれと一郎は、毎晩のように愛し合っていたが、一向に妊娠する様子もない。
前述の事情があるから、無論、避妊などはしていない。
一郎も神崎家の跡取り問題はわかっているから、連日すみれを抱き、励んでいたのだが、どうしたことか「当たらない」のだ。

こうなるとすみれも少し気になってくる。
一郎はあまり心配していないようだが、もしかしたらどちらかの身体に問題がある、という可能性もあるのだ。
不妊症だったら……という恐れから抜けられない。
そうでないのなら、それに越したことはない。
それこそ「天からの授かり物」であり、思うようにはならないということである。
もし親族から不妊症の疑いをかけられても、きちんと検査しているという言い訳も出来るのだ。

山城はすみれをちらりと見ながら、カルテを手に取った。
恰幅がよいと言えばその通りだが、どちらかというと肥満体である。
信頼する平住医師の紹介とはいえ、すみれはこの人物をあまり好きにはなれなかった。

「平住先生のご診断ですと、あなたの方には問題はなさそうですね」
「……」
「お身体の方は健康であり、これといった欠陥もありません。充分に受胎能力はあるでしょう。まあ、中には受精は可能でも着床しにくい──つまり受精した卵子が子宮にうまくくっついてくれない、という女性もいますが」
「では、わたくしは……」
「いえいえ」

不安そうなすみれに、山城教授は微笑んで見せた。

「心配ありませんよ。お年を召されると確かに着床しにくくなるんですが、あなたはまだお若いですし、それは考えにくいと思いますよ」

専門家に太鼓判を押された形となり、すみれも些かホッとした。

「失礼だが、ご主人との「夜の生活」ですが……、どれくらいの頻度でしたか?」
「……」
「週に何度、とか……。それとも毎晩?」
「毎晩……に近かったと思います。あ、子供が欲しかったので……」
「ええ、わかりますよ」

医師は、すみれに気づかれぬようにやにやと笑った。
そこから表情を引き締め、一転、少し暗い表情を作る。

「ご主人の精液中には……、精子が存在しませんでした」
「そんな……」

すみれは愕然とした。
医師はなおも冷酷に告げる。

「病名は閉塞性無精子症……あるいは非閉塞性無精子症と思われます。前者は、精巣の中では精子が作られているんですが、精管が何らかの理由で閉塞……つまり塞がってしまっているために、射精しても精子が出て来ないという病気です。後者の方は、管は詰まっていないんですが精子が出て来ない。これは精巣に問題があって、精子がまったく作られていない場合と、僅かに作られているものの成熟が止まってしまっていて、結果として精子となっていない、というものです」
「……それは病気……なんですの?」
「そうなります。そうですね……、この症例は大体、100人にふたりか三人くらいいますよ」
「え……、それじゃあ……」
「けっこういる、という感覚でしょう? まあ非閉塞性無精子症の場合、僅かに精子が作られているわけですから、確率は低いし気の長い話ではありますが、無事にお子さんが出来るケースもあるんです。ですがご主人の場合、精子がまったく見あたりませんので……」
「だったら治療法は……」

縋るような表情ですみれが尋ねると、山城は重々しく顔を振った。

「不治……とは言いませんが、難しいでしょう。現状では閉塞性かそうでないかわかりません。ご主人に来て頂いて、一度詳しく調べてみないと何とも言えませんね」
「……」

そうしたいところだが、もし一郎をここへ連れて行ったことが知れたら、それだけで問題になるだろう。
治癒可能だとしても、子が生まれる可能性は著しく低いことは変わりないのだ。
最悪の場合、離縁させられるかも知れない──というより、その可能性は高い。

「どうにか……、どうにかならないのでしょうか? わたしくとあの人の子供を作る方法は……」
「将来的には……なくもありません」

山城医師は、指先でトントンと机を叩きながら答えた。

「ご主人が僅かでも……例え一匹でも精子を作れるのであれば、その精子をあなたの卵子に直接受精させる、という手段があります」
「え……」
「この場合、ご夫婦の間に性交は必要ありません。ご主人の精液を採取して精子を抜き取り、あなたの胎内から採取した卵子に掛け合わせるわけです。その上で奥さんの子宮に戻します。理論上、精子は一匹で構いません。身体の外での受精ということで、体外受精とか人工授精とか言われています」
「そ、そんなことが可能ですの?」
「いえいえ」

医師は笑って否定した。

「今の医療技術ではまだ無理ですね。理論的には可能である、というだけです。日本でも海外でも研究されていますが、そうですね……50年とは言いませんが、あと30年くらいはかかるでしょう」
「……」

仄かな期待は脆くも打ち砕かれ、すみれは今にも消え入りそうな声で言った。

「では……、もうわたしくたちの間に子供が生まれる可能性は……」
「残念ながら……」

さすがに山城も重々しい表情を作ってそう言った。
覚悟していたとはいえ、すみれは目の前が真っ暗になったような気がした。
絶望だと言われているのだ。
このままでは、ほぼ確実に離婚させられてしまうだろう。
一郎も、離婚はもちろん自分に子を作る能力がないと知れば大きなショックを受けるはずだ。

万が一の場合、すみれは離婚を拒否して一郎と駆け落ちしてもいい、とすら思っている。
だが同時に、自分を慈しみ育ててくれた両親を捨てて勝手をする、ということに大きな躊躇いも感じていた。
自分は一人娘なのだ。
すみれがいなくなってしまえば、事実上、神崎家を継ぐ者は誰一人としていなくなる。
すみれは自分の家に誇りを持っていたから、そうなることも耐え難かった。

あっちを立てればこっちが立たず。
完全なジレンマに陥ってしまった。
泣きそうな顔ですっかり気落ちしているすみれを見ながら、医師は思わせぶりに言った。

「奥さん……、そんなにお子さんが欲しいですか」
「はい……」

当たり前である。
誰だって、愛する人との間に生まれた子は欲しいだろう。
ふたりの愛の結晶が出来たということは、ある意味ですみれと一郎の愛の証ということにもなる。

それだけではない。神崎という名家の世継ぎを作るという重い使命もあるのだ。
まだ歴史の浅い神崎の行く末は、ひとえに若干20歳であるすみれの双肩に掛かっていた。
彼女に子が出来るか否かというのは、もはやすみれ夫婦だけの問題ではなくなってきている。
山城はすみれの様子を窺いながら、慎重に尋ねた。

「奥さんのお気持ちはわかりました。色々と事情もお有りでしょうし、ご夫婦がお子さんを望むのは当然でしょう。しかし、現状では懐妊は難しいでしょう」
「……」
「ですが、あなた方以外にも、お子さんが出来ないというご夫婦はたくさんいらしゃいますよ。子供がいないから不幸である、ということもありませんでしょう」
「ですけど……」
「ええ、わかりますよ。では、養子ということは考えたことがお有りですか?」
「え……、養子……ですか?」

すみれは虚を突かれた思いだった。
考えたこともなかったのだ。
一郎との間に子が出来なくとも、養子をもらえばいいのではないか。
一郎は子供好きだし、血のつながりがなくとも可愛がってくれるだろう。
それは自分も同じである。
子供は、誰から産まれたかということよりも、誰に育てられたかということの方が重要なのではないか。

一瞬、希望を抱いたすみれではあったが、やはりそれはダメなのだ。
養子ということを両親にまで隠しておくことは出来ない。
何しろ、妊娠や出産という行為を伴っていないのだから、すみれの子でないことはすぐにわかる。
重樹や雛子はともかく、ことさら血統に拘る祖父は、養子など認めないに違いない。

それに一郎のこともある。
なぜ養子をもらうのかという理由を説明しなければならない。
一郎には生殖能力がないと告げるのがつらかった。
女にとって、子が為せないというのが大きな衝撃であるのと同様、恐らく男にとっても子種がないというのはかなりショックなのではなかろうか。
そうでなくとも、神崎の家に入って気苦労が絶えないであろう夫に、これ以上の心労をかけたくはなかった。

「それは……できません……」

すみれはそう答えたものの、しかし他に策もない。
いずれ折を見て、両親と一郎にこのことを話して、養子縁組するしかないのかも知れない。
何とか祖父にだけは知られぬようにするのはどうすればいいか、家族と主治医にも相談する必要があるだろう。
そんなことを考えていると、山城が声をかけた。

「実は……、方法がないわけでもありません」
「……」
「奥さんのお子さんを作る手段が、ひとつだけあります」
「え……?」

すみれは思わず顔を上げた。
さっきまで絶望的だと言っていたのに、突然なにを言い出すのだろう。
それでも、すみれは前のめりになって医師に聞く。

「そ、それは……本当ですの!? わたくしたちの子供が出来るんですの!?」
「いいえ。それは無理です」
「だ、だって先生、今……」
「ですから」

医師が背もたれに身を沈めると、椅子がギィッと軋んだ。

「さきほども説明しました通り、ご主人はお子さんを作ることは出来ません」
「……」
「ですが、あなたは別だ。健康体ですし、生殖能力は充分にある」
「それはそうですけど……」

いかにすみれがそうであっても、一郎の方に問題がある以上、妊娠は出来ないはずだ。
すみれがそう言うと、医師は首を振った。

「ですから、ご主人の子を作ることは不可能ですが、あなたの血を引く子を作ることは出来る。あなたは妊娠できるのですから」
「……おっしゃっている意味がよくわかりませんが……」
「ですからね」

山城は肘掛けに腕を預け、ややリラックスした姿勢で言った。

「あなたの子宮は健康です。子を作るには、そこに精子が入ってくればよい」
「……」
「わかりませんか? ご主人以外の精子であれば、あなたは出産可能だということです」
「なんですって!?」

すみれは仰天した。
詰まるところ、夫以外の男に抱かれろと言っているのだ。
浮気であり、不倫ではないか。新婚一年の新妻は、顔を真っ赤にして言った。

「何をおっしゃるの!? 冗談じゃありませんわ! あなた、正気!?」
「無論、正気ですとも」

憤るすみれに対し、医師は至って冷静に答えた。

「いいですか、落ち着いて聞いて下さい。奥さんもご家族も、あなたのお子さんが欲しいわけだ。そうですね?」
「そ、それはそうですけど……でも!」
「でも、ご主人は残念ながら子を作る能力がない」
「……」
「而して、家の事情もあり安易に養子縁組というわけにもいかない。なら、答えはひとつだ」
「待って下さい!」

たまらずすみれは医師を止めた。

「先ほどの先生のお話では、その……体外受精ですか? それはまだ現実的ではないとのことでした」
「その通りです」
「だったら、あの人以外の子種で子を作るには……そ、その、他の殿方に身を任せろということになるじゃありませんか!」
「出来ませんか?」
「当たり前ですっ! そんな、夫を裏切るような真似は、わたくしには……」
「奥さん」

今度は山城の方がすみれの言葉を遮った。

「そのお気持ちは私もわかるつもりですよ。ですが私は、何もあなたに浮気しなさいと勧めているわけではない」
「は……?」
「浮気だ不倫だとあなたは言いますが、あなたはご主人を愛している。違いますか?」
「無論ですわ」
「だから奥さんは、その身体だけ……もとい、あなたの子宮に他の男性の精子をもらえばいい。そうではありませんか?」
「意味が……」
「私はね、奥さん」

医師は座ったまま、前屈みになってすみれに顔を近づけた。
すみれは反射的に顔を引く。

「心まで奪われることがなければ、それは浮気に当たらんのではないかと思ってます。男が女遊びをするでしょう? もちろん女から見れば面白くないでしょうが、男はあくまで遊びであり、本気で商売女に惚れてるわけじゃないですよ」
「それはそうでしょうけど……」

すみれは少し困惑している。
医師の言っていることは何となくわかるが、それとこれとは別問題ではないだろうか。
医師は恐らく意図的に話題を変えてきた。

「奥さん、女系ってご存じですかな?」
「女系……ですか?」
「ええ、母系とも言われている。つまりね、女性の側に血統を求める家系のことですよ。これは日本にも外国にもある。昔は日本も女系社会だったという説もあります」
「それは……、当主が男ではなく女だってことですの?」
「まさにそうです。家の主人は女性なんですな。夫はおりますが、家の代表はあくまで女なんです。それが何代も続いている」

知らなかった。
江戸の昔から、日本は男尊女卑の国だとばかり思ってきた。
日本にも女系があったということは、それ以前の話なんだろうか。
だが、いずれにしても大昔のことだ。
すみれはそう思ったのだが、医師は意外なことを告げた。

「それがね、一般的に知られていないだけで、今でも続いている女系の一族というのは存在するんです」
「そうなんですの」

だから何だというのだろう。
すみれには関係ないし、神崎家も女系ではない。
医師はすみれを見ながら話を続ける。

「これは伝統的に女系だという一族もありますが、どうしたわけか家系的に男子が産まれにくいという一族もある。遺伝的な問題なんでしょうが、はっきりとはわからない。で、そうした女系一族の場合、主人は女で男は付随的なものなんですな」
「……」
「従って、次代を継ぐ嫡子というのも、必ずしも夫の──一族の男の子種である必要はないんです」
「どういうことですの?」
「だから、女主人の子であれば、精は誰のものでも構わない、ということです」
「それって、つまり……」

すみれは息を飲んだ。

「そうですよ。夫との間でも子は作るでしょうが、それ以外の男の精も受けて子を為そうとするんです。そういう一族は家柄や血筋も大事にするでしょうから、出来るだけ夫との間に子を作ろうとするでしょうが、もし夫以上の優性な子種を持つ男がいれば、積極的に交わって子を作ったんです」

まるで昔の殿様が、正室の他に側室を持ち、多くの子を作ったのと同じではないか。
違うのは、殿様が女であり、室が男である、ということだ。
医師は続けた。

「このことについて異論を持つ人は多いと思います。特に、近代的な西洋文化にかぶれてしまった人たちなどはね。ですが、この制度で古くから続いてきた家系も少なくないんです。自分に理解できぬからと言って、すべて否定してしまうのはどうかと思いますね」
「先生は……」

すみれは震える唇で言った。

「今でもそうした家系があって、そういうことが続いていると……」
「……大っぴらには言えませんがね。実は、そういう「需要」に応えるべく活動している組織があるんです」
「組織……?」
「奥さん、これは内密に願います」
「あ……、はい……」

医師は声を潜めて言った。

「昔はね、身分の貴い方が来訪すると、女当主が身を任せて持て成し、子種を受けるようなことをしていたそうです。女系の家には、そうした方々が定期的に訪問したようですな。あるいは自分の方から赴いたりもしたとか。ですが、何分にも昔のことです。優秀な男を捜し回るにも限界がありますし、地域の目もある。だから限定的だったようですね。だけど今は違います。その組織は、女系の一族から、高貴な子種が欲しいからと連絡を受けると、それにふさわしい身分や家柄の男を紹介するんです。女系一族としては大助かりでしょうね」
「……」
「実はその他にも需要はあるんです。要するに奥さん、あなたのような立場の方からですよ」
「……!」
「世継ぎが欲しいが、当主もしくは奥方に問題があって、自然懐妊が出来ない。さりとて血統を重んじるため、気軽に養子縁組も出来ない。そういうご夫妻のために「情報」を提供し、場合によっては「紹介」するわけです」
「……」

すみれは明らかに動揺していた。
医師は浮気ではないと断言しているが、それでも夫以外の男性に抱かれることに違いはないのだ。
すみれは、自分が一郎以外の男と肌を合わせるなど、考えたこともなかった。
だが、確かに手段としては有効なのだろうと思う。
夫への愛と一族の血統の間で、若妻は美貌を困惑させた。

「で、でも、そんな……ふしだらですわ……」
「そんなことはありませんよ。お子さんが欲しいご夫婦にとっては切実な問題です」
「それはそうでしょうけど……」

その通りなのだ。
事実、今のすみれがそうである。
山城は言い聞かせるように言った。

「まあ……、ご主人以外の男性に身を任せることになるんですから、それは躊躇がありましょう。当然ですよ」
「……」
「でもですね、奥さん。ここだけの話、何も子作りの問題以外でも、「それ」を希望する方もいらっしゃるんです」
「どういうことですの?」
「うーん……」

やや言いにくそうに医師は口を開いた。

「失礼を承知でお聞きしますけど……」
「はい……」
「奥さん、ご主人との「夜の生活」にはご満足なさってますかな?」
「よ、夜のって……」

すみれの顔が途端に赤く染まる。

「そ、そんなこと聞くなんて……失礼ですわ!」
「ですから、そう言いました」
「……」
「でも、なんで? どうしてそんなことを……」
「いや、お気を悪くされたなら謝ります。あなたはそんなことはないと思いますが、世の中には夫に抱かれても……性交しても快感を得られない。かえって苦痛ですらある、そういう女性もいるんですよ」

それはすみれも聞いたことがある。
不感症とかいうらしい。
幸いすみれは、一郎との相性が良かったのか、初夜の時からあまり苦痛はなかったし、数を重ねるたびに快楽が強くなっていった。
だから夫に抱かれるのは嬉しかったし、気持ちも良かった。
そうなったことは幸せだったと思う。

だけど、山城医師の言う通り、そうでない女性もいるのだろう。
実感はないが、何となくわかる。
まだ頬を赤くしているすみれに、医師は言った。

「こうなってしまうと、奥さんも旦那さんも不幸です。そうでしょう?」
「そう……でしょうね……」
「そうした場合、「治療」を受けることで改善されることもあるんですよ」
「そうなんですか……」
「ええ。その治療にも私たちの組織がお役に立つんです」

それを聞いて、すみれも気づいた。

「それって、つまり……、そ、そういう方々も、その……夫以外の、その、ほ、他の男性に……」
「そうです。抱かれるんですね。治療とはすなわち、男性と性交することです」

と、医師は事も無げに言った。

信じられなかった。
まさか、そんなことがあるなんて思いもしなかった。
山城は言う。

「驚かれるのも無理はないが、これは事実です。出産であれ不感症であれ、そうした性の悩みを解決するために組織は存在しています。無論、無料ではありませんが……」
「……」

すみれが知らなかっただけなのか、案外とそうしたことがまかり通っているらしい。
もしかしたら両親も知っているのかも知れないが、とても娘に話せるようなことではない。
だが、もしそうであるなら、確かに妊娠することは可能だろう。
揺れ動くすみれの心を見透かすように医師が言う。

「……その場合、血液型の心配もありません。ご主人と同じ型の男性をご用意致します。ですから、血液型でバレることはないはずです。ご主人に知れることもなく、ご主人の子として懐妊することが出来るんですよ」
「……」
「もちろん、種の質については保証します。名前は出せませんが、神崎家にふさわしい貴種をご用意しますよ。貴族もしくは華族の、優秀な精子を持った方になります。決して、どこぞの馬の骨とも知れぬような男ではありません。ああ、言うまでもありませんが、秘密は厳守しますよ。例えご家族や親族、ご主人から問い合わせがあっても、このことを私たちから漏らすことは絶対にありません」

本当にこれしかないのだろうか。
他にまだなにか手段があるのではないだろうか。
すみれは必死にそれを考えていたが、妙案は浮かばなかった。
これ以上妊娠できないとなれば、間違いなく一郎は窮地に立たされる。
決断するしかなかった。

「あの……、それを利用するのは……一度だけでよろしいんですの?」

それを聞いて、山城医師は心の中でほくそ笑んだ。
迷ったようだが、この令嬢も言いくるめられたらしい。
医師は、そんなことはおくびにも出さす、真面目な表情で答えた。

「そうですね……、妊娠が確認できれば、それでおしまいにしていいと思います。ただ……」
「ただ?」
「ただ、妊娠が判明するまでにある程度の期間が必要です。ご本人の自覚症状……例えば、生理がないとか、気持ちが悪いとか……眠くなるって人もいますね。風邪に似た症状が出る人もいます。この辺は千差万別ですね。体調が変だと思ったら平住先生にでも診ていただいて確かめればよろしい。もちろん私でも構いませんよ」
「はあ……」
「もっとも、経験があればともかく初めてであれば気づくのが遅れる人も珍しくありません。何となく調子が悪い、生理が来なかったけど、単に遅れているだけ、生理不順なだけだと思っていたら、実は妊娠していた、なんてこともありますから」
「では……」
「そうですね、そうなるまで何度か交わっていただいた方が確実になりましょうね」
「……」

どうやら、一回だけでは済まないらしい。
すみれはますます不安になった。

「その場合……、何度も、その……同じ殿方と……」
「それはご自由ですよ。もしその男性が気に入ったのであれば、二回目以降もお願いしてみます。まあ、男性の方も都合等もありますから確実とは言えませんが……。同じ殿方の方がよろしいですか?」
「あ……、い、いいえ……そういうわけでは……」
「わかりました。では、取り敢えず毎回変えてみることにしましょう。奥さんとの相性の問題もありますしね」
「それで、その……何度くらいすれば……」
「それは何とも言えません。運が良ければ一発で……ああ失礼、一度で当たることもありますが、半年一年と続けても、なかなか授からないこともありますから。こればかりは文字通りの「天からの授かり物」ですよ」
「……では、それくらいのペースで……」
「そうですね、なるべく早くというのであれば、それこそ毎日でも出来ればそれに越したことはありませんが、なかなかそうもいかんでしょう。ですから、奥さんのご都合のよろしい時……そうだな、取り敢えず週に二、三度くらい試してみるのは如何でしょう?」
「……」

この提案については右も左もわからぬ以上、山城医師に任せるしかなかった。
すみれは、かなり躊躇いつつも「お願いします」と言って、頭を下げた。

「そうですか」

山城は、なぜか嬉しそうにそう言って、何やら書類を作り始めた。
そして書面に外国語──どうやらドイツ語らしい──で何事か記しながらすみれに確認してきた。

「ところで奥さん、お子さんですが、どちらをお望みですか?」
「え? どちら……と言いますと?」
「ですから、男の子が欲しいのか、女の子がいいのか、ということですよ」

そう言って、医師は笑いかけた。
やると決めたら度胸が据わったのか、すみれは意外に取り乱さず、冷静に答えた。

「そうですわね……、やっぱり男の子かしら……。その方が、お祖父様もお父さまもお喜びになるでしょうし……。でも、元気に生まれてくれれば、わたしくはどちらでも……」
「わかります、わかります」

医師はそう言って何度も頷いた。

「出来れば男の子、ということですね」
「ええ……。でも、そんな、産み分けみたいなこと、出来ますの?」
「出来ますとも!」

そう言って山城は笑った。

「昔はねえ、子を作ることの成否に関しては、ほとんど女性の問題だと思われてきたんですよ。子を為せない女性のことを「石女(うまずめ=産まず女)」なんて失敬な呼び方をしたりね。性別についても女性側の要因だとされていました。でも、そんなことないんですよ。医学の発達した今では、不妊の原因の半分は男性にもあることがわかってますし、生まれる子の性別なんて懐妊した女性には何の関係もないことが証明されています」
「そうなんですの……。でも、それなら、どうやって産み分けるんです?」

すみれは興味深そうにそう聞いた。
そんな手段があるのなら、自分だけでなく友人知人っちにも教えてやってもいい。
医師は得意そうに話し始める。

「難しいお話は避けますが、男性の精子には二種類あることがわかっています。言うまでもなく、男の子になる精子と女の子になる精子ですね」
「まあ……、精子の段階でもう男女が決まってますの?」
「そうなんですね。で、男の子になる精子というのはアルカリ性に強くて、女の子になる精子は酸性に強いんです。なぜかはまだわかってません。でも、そういう二種類があると思って下さい」
「はあ……」
「一方で、女性の膣というのは、まあ女性の前では言いにくいですが、人体内から外に接している器官じゃないですか」

それはそうだ。
でなければ、男性と交接することも出来ない。
けっこうきわどい会話ではあるが、相手が医師であり、言葉も選ばれているせいか、あまり淫らな感じはしなかった。

「だから、外からの雑菌を防ぐために、膣内は常に強い酸性になってるんですよ。酸で菌を殺すんですね。でも、さっきお話した通り、男の子になる精子はアルカリ性ですから、膣内に入っても膣内の酸性液で殺されてしまうんです」
「えっ……」
「女の子になる精子は酸性ですから、これは素通りです。それじゃ男の子が生まれにくいとお思いでしょう? でもその分、男の子になる精子は女の子になる精子のおよそ二倍もあるんです」

なるほど、数で劣勢を補おうとしているのだろう。
うまく出来ているものだ。

「それと、膣の中でも奥の方、つまり子宮頸管や子宮の中はアルカリ性なんですね。ここまで辿り着けば男子を懐妊する可能性が高くなるわけです」
「はあ……。で、男の子を産むには、その……」
「方法があります。それはね、奥さんが性交を愉しむことです」
「は……?」

すみれは一瞬、きょとんとした。
この医師は何を言っているのだろう。
呆気にとられているすみれをよそに、山城はさらに解説した。

「いや、誤解なさらんでください。いやらしい意味で言っているのではありません。女性が性交によって快感を得てますよね」
「はあ……」

何とも返事のしようがない。
相手が医師でなければ、すみれの平手打ちが飛んでいるところである。

「で、気持ち良くなっていって、最後にオルガスムス……つまり絶頂に達するとですね、子宮頸管から強アルカリ性の分泌液が出てくるんです。それによって、膣内が酸性が弱まりアルカリ性になっていく、というんですね。わかりやすく言えば……」

そう言って、山城はちらりとすみれの顔を見る。
美しいだけでなく、なかなか色気のある表情だ。
これも結婚して、一年に渡って夫に毎日のように抱かれたせいだろうか。
切れ長の目の脇に泣きぼくろがあって、それがまたセクシーである。
その美貌を困ったような色を浮かばせ、すみれは居心地悪そうにしていた。
言いにくいことのはずだが、医師ははっきりとした口調で言った。

「女の子が欲しければ、あまり感じないようにあっさりと済ませると良いようですね。奥さんの場合、男の子が欲しいのですから、積極的に性交を愉しんで、感じるようになってください。そして、必ず絶頂するよう心がけるんです。精子を受ける時は特にね。相手の男性がいく時に合わせて、あなたも気をやるように努力してみてください。そうすれば男子を授かる可能性が高まりますよ」


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