米国、紐育。
賢人機関のバックアップを受け、東京、巴里に続いて新たな華撃団の創設が急がれ
ていた。
全米から選り抜きの霊能力者が集められ、厳密な適性検査と実技試験、そして首脳
部による面接によって隊員たちも選抜されている。
ただ、彼女たちの搭乗する予定の霊子甲冑がまだ間に合わず、取り敢えず試作機と
それを基に製作された練習機による訓練が繰り返されていた。

本拠地となるリトルリップ・シアターの支配人室には、総司令となるマイケル・
サニーサイドと、副司令就任が予定されているラチェット・アルタイルがお茶を
飲んでいた。

「それで霊子甲冑の完成はいつになるんだって?」

常に明るい──というよりはスチャラカ系の彼にしてはやや沈んだ声である。
まだ34歳と若いが、このシアターのオーナーであるだけでなく、米国国内という
より世界的な富豪だ。
一民間人に過ぎない彼が総司令職に就任したのも、その資金力に大きな魅力があった
からだろう。

彼同様、若い国である米国は青空天井のように伸び盛りの国家ではあるが、それでも
霊子甲冑の研究、製作には莫大なカネがかかる。
当然のように軍部からは強い反対意見があったが、マイケルが溢れる資本をバックに
それを押し切った形だった。
それだけに、この華撃団を順調に運営させ、紐育に蔓延る魔を打ち払わなければ、
彼の存在意義が問われてしまう。
なのに、粒選りの隊員が揃っても、際立った能力を持った隊長がいても、肝心の
霊子甲冑がまだとあっては如何ともしがたかった。
デスクの椅子に深々と腰掛け、眼鏡のフレームをいじりながら女性隊長の方を見や
った。

「スタアは、もう最終段階にまで進んでいるそうです。ただ、微調整や空洞実験に
公試もありますから、年内には無理だろうとFENICSは言ってますわ」

問われたラチェットは、手にしたカップをテーブルに置き、フルーツ・バスケット
からリンゴを取った。
ラチェットの好物である。
もともと果物は好きだったが、日本で食べたリンゴのおいしさに感動してしまった。
米国にもリンゴはあるが、日本のリンゴの甘さと酸味のバランス、そして食味の良さ
に驚いたのだ。
帰国後もその味が忘れられず、もと同僚の真宮寺さくらに頼んでわざわざ船便で送っ
てもらっている。
さくらは東北の出で、近くにリンゴの産地があるらしい。

リンゴを見るたび、さくらや帝撃のメンバーが思い出されてくる。
ヤフキエルと戦った頃が懐かしかった。
あの時はラチェットも腹に一物あったわけだが、彼らはすっかり水に流してくれた。
それはともかく、同じような事件がこの国で起これば為す術がない。
霊子甲冑の生産が急がれるわけだ。

初の米国製の霊子甲冑──通称「スタア」は、制式採用されれば「FENICS AT-05」
となる予定だ。
05ということは、それ以前に01から04まであったわけで、それらはいずれも
試作段階で製作が中止され、今の05になっているのだ。
もちろん技術やノウハウは、霊子甲冑先進国である日本の光武シリーズや、独逸の
アイゼンクライトから引き継がれてはいるものの、初めての機体であるだけに、なか
なか進捗しなかった。
素直にライセンスを取ってコピー生産するのが手っ取り早いし、事実、賢人機関と
日本政府を通じて、神崎重工から技術供与とともにライセンス権を売却してもいいと
いう話もあったのだが、そこは新興国とはいえ米国にも意地や自意識はある。
その有り難い申し出を謝絶して、自国開発に拘ったのだった。

05の前の試作機である「FENICS X-4Si」は軍や賢人機関の出した要求をクリア
しており、ほとんど制式採用されかかったのであるが、機体運用上そして搭乗する
隊員の居住性を鑑みて可変タイプにすべきという案が出されたため、中断された。
加えて操縦が極めて難しく、まともに動かせるのは歴戦のラチェットくらいだった
ことも大きかった。
要請を受けて大急ぎで改修し、試作し直しているが、どうしても完成は年を越しそう
だった。

ラチェットはリンゴを左手に持ち、右手でそこにあった果物ナイフを掴んだ。
彼女が身体を動かすと、肩に掛かった美しく柔らかいブロンドの長髪がさらさらと
流れていく。
まだ10歳に満たぬ幼少の頃、極秘裏に設立された実験部隊の欧州星組に入隊し、
その隊長を務めていたほどの能力者である。
試作のアイゼンクライトを駆って、当時の新兵器である戦車を蹴散らしていたその
姿は記憶に新しい。
また、一個体としての戦闘能力も際立っていたが、それ以上に戦場全体を見渡す
戦略眼に秀でていて、そこが紐育華撃団隊長就任の根拠となったのだろう。
やや自信過剰なところはあるが、常に冷静で頭脳明晰、おまけに見目麗しい美貌の
持ち主だ。
やや気が強そうだが、きらきらと輝く美しいブルー・アイ。
シルクかと思えるほどに柔らかで見事なブロンド。
肌の色はミルクを溶かしたように白い。
スタイルの良さも申し分なかった。
米国人が理想とする女性像が、そのまま偶像化したかのような美女だった。
星組解体後、米国に渡って女優としてデビューし、卓越した演技力と眉目秀麗さ
に、あっという間にブロードウェイを代表するトップスターのひとりに成り上がっ
たところを見てもそれはわかる。

「年内は無理!?」

マイケルは葉巻を持ったまま、大仰な仕草で両手を拡げ、肩をすくめた。

「困るよ、困る。僕たちはもちろん、民衆たちだって期待してるんだ。これ以上
待たせるわけにはいかないよ」
「私もそう思いますけど、無理に急かして欠陥機を作られても意味がありません」

飛び抜けた能力を持っているラチェットには、試作4号機がさほど扱いにくい機体
だとは思っていない。
しかし、その4号機ですら、まともに動かせない隊員がいるのだ。
ここまで来たら、じっくり作らせるべきだろう。

「第一、まだ隊長だって就任していませんし」

ラチェットの言葉に、少しトゲがある。
彼女は副司令を拝命しているが、ラチェットとしては隊長として実戦部隊を率いて
みたかったのだ。
だが、その希望を受け入れられず、隊長には外国人が就任することになっている。
日本の帝国華撃団から派遣されてくるのだ。
ラチェット自身、研修として帝撃に出向していたことがあり、愛着も感じている
から、そのこと自体に不満はない。

隊長だった大神を始め、主立った隊員たちは能力も高かったし、人間的にも問題
なかった。
未だ人種的偏見の多いこの国でも、ハーフのマリアなら申し分ないだろう。
言葉も話せるし、戦闘力も高く、指揮統率にも優れている。
だからこの話を聞いた時、ラチェットは大神かマリアが来てくれることを望んで
いた。
しかし大神はまだ巴里華撃団から戻ったばかりだし、マリアが抜けては帝撃が困る
だろう。
アイリスは論外として、さくらやすみれ、カンナに紅蘭も、光武搭乗員としては
ともかく、隊長としては「帯に短したすきに長し」だ。
果物ナイフを不器用そうに扱っているラチェットを横目で見ながらマイケルが言う。

「……確かその帝撃の隊長の従兄弟だか甥だかって話だね。確かに霊力は遺伝する
ものだと言われているから、その一族に霊能力が強い者が多いというのはわかる
けど、まだ若造だろう?」
「だから私たちはしっかりサポートしないといけな……あっ」

ラチェットはそう言ってマイケルの方を見た。
リンゴを剥く手から目を外したその瞬間、ゴトンと音がしてリンゴがテーブルに
落ちて転がった。

「……」

ラチェットは呆然と、そして少し悔しそうな顔で落ちたリンゴと手にしたナイフを
見つめている。
ようやく半分ほど皮を剥かれたリンゴはゴツゴツと不格好で、剥いた皮も妙に分厚
く、実が大量にくっつている。
それを見て、マイケルは笑いを噛み殺すように言った。

「しかしキミも不器用だよねえ。何をやらせてもそつがないのに、どうして日常
レベルのことになると、途端に凡人化しちゃうんだろう」
「……」
「そもそもキミはナイフが得意なはずなのに、なんでリンゴの皮ひとつまともに剥け
ないんだね? 本当にナイフが……」

マイケルはその無神経な発言を最後まで口にすることは出来なかった。
ラチェットの右手がそっとワンピースの裾に入ったかと思うと、目にも止まらぬスピ
ードで投げナイフが飛来してきたのだ。
鍔の部分がほとんどない細身のダガーナイフは、ラチェットの指を離れると一直線に
マイケルの葉巻に飛んできた。
ナイフは見事に葉巻のど真ん中を貫き、マイケルの指から引き離して後ろの壁に突き
立っていた。

「と、得意のようだね……」

────────────────────────

大河新次郎はコンプレックスを持っていた。
日本に於いて、最大の難関と言われている海軍士官学校を早期卒業している。
飛び級による繰り上げであった。
それでいて卒業時には首席である。
真面目な性格の上、成績優秀、武道にも秀でている。
なのになぜ劣等感を持つかと言えば、その容姿についてなのであった。
美醜の問題ではない。
それで言うなら、かなり眉目秀麗である。
ただ、どちらかというと中性的──というより、やや女性的な物腰であり、見た目
なのだった。

二枚目であることは疑いないのだが、彼を評するに「ハンサム」とか「真面目」と
いう言葉は聞かれても、「男らしい」という評価はなかった。
実にたったそれだけのことなのだが、新次郎にとっては大問題だった。
当時はまだまだ男尊女卑の風潮が強かったし、男は積極的こそ美徳で、女性は控え目
が推奨された。

まして新次郎は海軍軍人なのだから、積極的どころか攻撃的くらいでないと困るわけ
だ。
ところが彼は見た目からしてなよなよしているところがある。
決して弱くはないのに、そう見られてしまうのだ。
スマートやユーモアをモットーとし、女性にも優しいことを旨とする海軍だから
まだいいが、これが陸軍だったら士官学校入校すら怪しかったに違いない。

そして身長もだった。
165センチだから、そう低い方ではないが、尊敬する叔父の大神一郎は176
センチもある。
顔見知りで後見役となる加山雄一も172センチだ。
彼らの前に出ると、どうしてもコンプレックスを感じてしまうのだ。
もちろん身長だけではなく、その経歴や実績、言葉にならない雰囲気、そして男
らしいルックスにもだ。
新次郎は大神を尊敬し、加山にも好感を持ってはいたが、それとこれとは話が別で
ある。

帝撃にやってきて、その思いはまた強くなった。
隊員は女性ばかりと聞いていたから、要らぬ劣等感を持たずに済むかと思っていた
のに、そうはならなかったのだ。
さくらやすみれは、辛うじて新次郎の方が高かったが、それでも似たり寄ったりだ。
マリアやカンナなどは見上げるほどの長身である。
もっとも、大神から見てもマリアやカンナはかなり大柄なのだ。
しかし、小さな頃からそうしたことを気にしていた新次郎としては、どうしても
気圧されてしまう。
すると余計に軟弱に見え、優柔不断に思われてしまうのである。

だが女性にはもてた。
本人が気にしていた女性っぽい優しい顔立ちは母性本能をくすぐるようで、特に年
上の女性には人気があった。
顔立ちは女のようだったが、性欲はあった。
海軍に志願して合格するくらいだから、健全な男性には違いないのだ。
だから童貞を捨てたのも早かった。
このことだけは叔父の大神を凌ぐ。
ご多分に漏れず、年上の女性に誘惑され、早々に初体験を済ませていたのだった。
これを皮切りに、新次郎は性遍歴を重ねることになるが、本気になった女はいない。
どの女も新次郎を可愛いマスコット的に扱いたがったからだ。
そのことも彼に劣等感を抱かせる一因となっている。
希に同級あるいは下級生に告白されることもあったが、新次郎はあまり真面目に取り
合わなかった。
「これは」という女性に出合わなかったこともあるし、
どうせなら、今まで軽くあしらわれていた(と彼は思っていた)年上の女をものに
したいと思っていたからだ。

だからかどうか、新次郎はセックスにちっとも満足していなかった。
若いから放出したいことはあったので、その時は女を抱いたが、それでもあまり
のめり込まなかった。
むしろオナニーの方が気持ち良いと思っていたくらいだ。
おかずとして、今まで新次郎を「お姉さん」気取りでリードしてきた女たちを虐げ、
乱暴に犯すようなイメージを思い浮かべて自慰していた。
これが興奮する。
セックスと違って、オナニーは妄想が不可欠だ。
現実よりも激しい刺激を求め、それが徐々にエスカレートしていった。

ただ夢想してすることもあったが、猥褻な写真を使うこともあった。
その中で新次郎が気に入ったのが、江戸時代の春画だった。
ただの絡みではなく、女を縛り上げたり虐めたりして苦しめながら犯す絵に衝撃を
受けた。
異様なほどに昂ぶった。
あっという間にSMの虜となってしまったのだ。
とはいえ、さすがにそれを実践したことはなかった。
そんなことをして問題を起こしたら、母や叔父にも迷惑がかかる。
大神に憧れ、海軍を志している自分のためにもならない。
仮に女が受け入れてくれたとしても、まだ新次郎には加減がわからない。
女も、いつ裏切って親や教師に泣きつくかも知れないのだ。
だからもっぱらオナニーにふけるしかなかった。

そんな新次郎がただ一度、ハッとした女性がいた。
まだ会ったことはない。
写真で見ただけである。
ひとめ見て、胸がキュンと締め付けられるようなショックを受けた。

全体から醸し出される清楚な美しさ。
活発そうだが穏やかな雰囲気。
ふっくらした顔の輪郭が何とも優しそうだった。
それでいて太った印象は全然なく、大神の話だとむしろ痩せ気味らしい。
こんな綺麗な女性がいるのかと、胸を突かれる思いだった。
文字通りの一目惚れである。

新次郎は、大神と手紙をやりとりしているが、たまに大神から写真が添えられて
くることがあった。
士官学校の時も、巴里に派遣されている時も、そして帝撃任務に就いている現在
もだ。
その中で、帝撃の隊員たちと写った集合写真があった。
非番時は女優をしているだけあって、さすがにどの女性も魅力的だったが、中でも
ひときわ新次郎の目を惹いたのが真宮寺さくらだった。
集合写真だから、写っている人たちは小さい。
新次郎はそれを食い入るように見つめ、ため息をついた。

散々迷った挙げ句、「さくらのファンになったので、是非、彼女の写真を送って
欲しい」と大神に頼んでみた。
すぐに返信が来て、さくらの写真とともに、帝撃で売られているさくらのブロマイド
まで送ってきた。
バストアップで、彼女の清楚そうな美貌がくっきりと写っていた。
おまけに、さくら本人からのサインとメッセージまで添えてあったのだ。
そのことがあってから、大神からの手紙にはほぼ必ずさくらの写真が入ってくるよう
になっていた。

そしてある時、遠回しな表現ながら、大神はさくらとつき合っていることを告げて
きたのである。
さくらも大神も、さくらファンだという新次郎にそれを告げるかどうか迷ったらしい
のだが、相手が大神なら喜んでくれるのではないかという期待もあったらしい。
実際、新次郎は嬉しかったのだ。
もちろん新次郎も男であるから、些かの妬心はあったし、がっかりする気持ちもある。
憧れのさくらが、どこの誰とも知らぬ馬の骨とつき合っていたならば、さぞかし失望
しただろう。
それが、敬愛する大神と恋人関係にあるのならば、それはむしろ喜ばしいことだ。
そう思った。
そして同時に、ますます大神への憧憬が強まることにもなっていった。
大神くらいになれば、さくらのような素晴らしい女性とつき合えるのだ、という励み
になったわけだ。
憧れと失恋は、若い新次郎を前向きにさせる推進力ともなっていった。

だから、進路は迷うことなく帝国華撃団を志望した。
海軍士官学校に合格し、飛び級を重ねるほどに優秀な成績を残し、首席で卒業した
のも、出来るだけ早く帝撃に行き、憧れの大神とともに軍務に就き、そしてさくらに
会うためだったのだ。
だが、志願しただけで好きな進路へ行けるほどに軍は甘くない。
新次郎にように飛び抜けて優秀な学兵はどの兵科でも欲しがる。
志望は出したが、行けるかどうかはわからなかった。
まして士官学校の優等組なら、海軍省の方で欲しがるだろう。

それを見越して、彼は叔父に帝撃志望を手紙で告げていた。
大神がそれをどう思うかはわからないが、希望だけは知らせておいた方がいいと
思ったのだ。
優しくも厳しい叔父は、返信の中で「帝撃は特殊任務だから、誰にでも出来るような
ものではない。希望しても来られるとは限らない」と書いてきた。
一見、冷淡なようだが、大神としてはそうとしか返答のしようがなかっただろう。
いかに帝撃の実戦部隊隊長だとはいえ、まだ一介の大尉である。
人事権があるはずもない。

大神としても新次郎の希望を知り、それをバックアップしたいとは思ってはいた。
士官学校でも優秀だったようだし、剣術も一流だ。
ただ、それだけでは帝撃には入れない。
肝心なのは霊力の有無と、その強弱だが、彼も大神と同じ家系である。

母の双葉は大神の実姉で、霊力もあった。
新次郎がそれを受け継いでいるかどうかはわからないが、可能性は極めて高かった。
そこで大神は司令の米田に働きかけ、花小路伯爵にも通じさせて、新次郎を売り込
んだのである。
結果として、帝撃に試傭採用して数ヶ月ほど様子を見、その上で正式に配属を決定
する、ということになった。
言ってみれば見習いである。
充分に霊子甲冑を使いこなせるようであればパイロットとして、士官学校仕込みの
リーダーシップがあると見込まれれば隊長職への道へも拓ける。
大神からそう聞かされると、新次郎は小躍りして喜んだ。
そして海軍士官学校を卒業して少尉を任官、そのまま帝撃へ配属されてきたので
ある。

────────────────────────

「……」

この日も、新次郎は息を飲んで覗いていた。
地下のシャワー室である。
どうしたことか、浴室の入り口付近に身を隠すのにちょうどいいくらいの大きな
木箱がある。
隊員たちが脱いだ服をここに入れておけば、出入りの業者がクリーニングして
くれるようになっているのだ。
さすがに下着までは入れないが、衣装や制服などはそこに入れている。
その箱の陰に身を潜めると、中からは見えないようになっているのだ。
もちろん開き戸は磨りガラスになっているし、浴室内は湯気でもうもうだから、
そのままでは中は見られない。
僅かに引き戸を開ける必要があるのだ。
それも慎重にやれば内部の女性に気づかれることなく覗けることが出来た。
まさか新次郎も、尊敬する叔父も同じこの場所で何度か隊員たちの入浴を覗いて
いたとは知らなかったが。

さくらたちは、ここで暮らしているだけあって、ほぼ毎日ここで汗を流している。
大きな湯船もあるが、シャワーだけで済ませることもあった。
中にいるのは、もちろんさくらである。
新次郎が覗くのはさくらだけだ。
毎日入るからと言って、毎日覗けるとは限らない。
新次郎の空いた時間とさくらの入浴時間が合致しなければどうしようもない。
さらに、いつもひとりで入るとは限らないのだ。
すみれや紅蘭と連れだって入浴することも多かったから、そうした時は避けていた。
すみれとてかなりの美貌だったが、新次郎はまったく興味はなかった。
さくら一筋だったのである。
さらに、新次郎の方で気の進まない時もあった。

こうしてさくらの入浴姿を覗くのは、これで4回目だった。
今日はシャワーで済ませるようで、さくらは立ちっぱなしでシャワーの湯を浴びて
いた。
髪は洗わないのか、長い漆黒の髪を上にまとめてしまっているのは惜しかった。
だが、その髪をタオルでまとめているその姿もなかなかに味わいがあるものだ。
普段見られないヘアスタイルだからだろう。
開き戸を薄めに開けていたが、やはり湯気が立ちこめていて、あまりはっきりと
その裸身は拝めなかった。
しかし、逆に湯気がさくらの肢体を包み込んでぼやけさせ、肢体に薄いヴェールを
被せたようで一種幻想的ですらあった。

それに、輪郭はぼやけてしまうが、そのスタイルは隠せない。
どこもかしこも艶やかそうな肌。
たおやかそうな細い腕。
後ろ姿なのでバストが見えないのは残念だが、胸元からきゅっとくびれたウェストの
細さはよくわかる。
そして、そこからぐっと張り出した見事な臀部も観察できる。
太腿はやや細めで、その分形状が素晴らしく、膝でくびれたラインがまたふくらはぎ
でふっくらと肉付いている。
足首の締まり具合もたまらない。
素晴らしい美脚だった。

新次郎に見られているとも知らず、さくらは鼻歌を歌いながら美肌に石けんを擦り
つけている。
新次郎はそれを見ながら、右手で己の男根を擦っていく。
さくらの美しい裸体に興奮したのか、しごく手につい熱が入り、思わず肘がガラス
戸にぶつかってしまい、大きな音を立ててしまった。

「だっ、誰っ!?」

ガタッと音がしたと思った次の瞬間、さくらがパッとこちらに振り返った。
慌てた新次郎は、ペニスを剥き出しにしたまま脱兎の如くその場を逃げ出していく。

「待ちなさいっ」

さくらは自分が入浴中──全裸であることも忘れ、髪に巻いたタオルを解くとそれを
胸に押し当て、引き戸を思い切り全開にした。

新次郎は脱衣室の戸にぶつかって派手な音をさせた上、転びそうになり、這うように
してそこから走り出ていった。
さくらの耳に、誰かが廊下を大慌てで走っていく音が聞こえる。
すぐに追いかけようとしたものの、そこで初めて裸だったことに気づく。
さすがにこのままでは追跡出来ないが、せめていやらしい覗き魔が誰だったのか見極
めてやろうと、脱衣所の戸から首を伸ばした。

「……」

小柄な男だった。
身なりはきちんとしている。
白いシャツに焦げ茶のズボンを履いていることだけはわかった。

「まさか……、新次郎くん……?」

信じられなかった。
あの真面目そうな子が、女性の入浴を覗くなどあり得ない。
だがその反面、彼だって男である。
もう19歳だと聞いている。
だとすれば、女性に対して興味があって不思議はない──というよりも、ない方が
おかしいのだ。
しかも新次郎は、さくらのファンだと公言していた。
憧れている女のヌードを見たいと思わない男はいないだろう。
だが、それにしたってのぞきだの痴漢だのといった行為は最低だ。
女性に対する侮辱であり、卑劣極まる。
そんなことをあの子がやったとはどうしても思えないし、思いたくもなかった。
明日、本人に確認してみようか。さくらはそうも思うのだが、何となくそれもしに
くい。

そう言えば、大神だって風呂を覗いたことはあったではないか。
男性とはそうしたものなのかも知れない。
許せない、でも許してあげたい。
17歳の頃のさくらなら、恥ずかしさと怒りで我を忘れていたところだろうが、
22歳になった今、それなりの分別もある。
新次郎が罪を認め、素直に謝罪して今後やらないことを誓えば、許すも許さないも
ないのだが、それを口にする勇気を羞恥と悲しさが邪魔している。

「どうしよう……」

彼女にしては珍しく、打ち沈んだ顔でさくらがつぶやいた。

────────────────────────

その夜、さくらは大神の個室にいた。
無論、彼も一緒である。
大神は天井を見ながら、彼の腕枕に頭を乗せている恋人に聞いた。

「新次郎はどうだい? もう帝撃に馴れたかな?」
「そうですね……。まだ来たばかりですから。大神さんだって、初めてここにいら
した時はあんな感じでしたよ」
「そうか……」

確かにそうだろう。
もっとも、大神の時と今回はだいぶ状況が異なる。
大神が花組隊長を拝命し、ここを初めて訪れた際には、米田によるかなり辛辣な
「試験」があった。
帝撃が特殊戦闘部隊であることを伏せられ、ただの歌劇団と聞かされたのだ。
それに腐らず、黙々と仕事をこなして、ようやく信任を得ることとなったのだった。

その点、そうしたことがなく、最初から帝撃花組に迎えられた今回の新次郎は楽な
はずだ。
ただ、いかに夢叶って帝撃配属となったとはいえ、まだ士官学校を卒業したばかり
の若造であり、やってきたここは女の園である。
まだ子供に毛の生えた程度の新次郎が隊員達を必要以上に意識してしまうことは
想像に難くない。
しかもアイリスとレニを除く全員が彼より年上なのだ。
これもやりづらい一因だろう。
大神の時は、少なくともさくらやすみれは年下だった。
もしみんながマリアくらいだったとしたら、大神としてもかなりやりにくかったと
思う。

大変だろうとは思う。
だが、学生の頃から帝撃に憧れ、入隊を望んできた新次郎である。
その試練を自分の手で乗り越えて欲しいと大神は思っていた。
大神は、脇で寝ている愛しい女の髪を優しく撫でながら言った。

「……さくらくんには迷惑を掛けるね」
「え?」
「新次郎のやつ、きみに憧れていたからね。きみにはなついているだろう」
「……」
「きみも、何くれとなく新次郎の世話を焼いてくれている。感謝してるよ」
「そんなこと……」
「まだ尻の青い子供だが、いずれは俺よりも立派な隊長になる。その素質はあるん
だ。それまでは、きみにいろいろ面倒を見て貰うことも多いと思う」

さくらは言葉を無くし、ふっと大神から視線を外した。
新次郎に風呂を覗かれたことを気に病んでいたのだ。
あんなことがあって後も、まだ新次郎に目をかけることが出来るだろうか。

また大神の顔を見上げる。
精悍で男らしい中にも優しい笑顔だった。
それで吹っ切れた。
大神の頼み事である。
拒否するいわれはなかった。
それにあの時も思ったが、若い男の子なら、女性の裸に関心があるのも当然である。
許してあげようと思った。
それに新次郎には、どこか憎めないところもある。
本気で叱りつけるのはつらかった。

ただ、さくらにはひとつだけ気になっていることがある。
それは、自分が大神の恋人である、ということだ。
まして、こうしてさくらと大神が男と女の関係になっていると知ったらどうだろうか。
新次郎がさくらのファンであり、大変な好意を示しているのはさくら自身にもわかる。
そして大神も好きで、心底尊敬しているというのも確かだろう。
新次郎のさくらに対する感情が単なる年上の女性への憧れなのか、それともほのかな
恋愛感情なのか、判断が難しい。
前者であれば問題はないが、もし後者なら新次郎の気持ちは複雑なはずだ。
密かに恋い焦がれている女が、尊敬する男のものになっている。
自分の思う最高の女が最高の男とつき合っていることになる。
嫉妬しようがないのだ。
そのもやもやした感情が焦燥を生み、それが窃視につながったとも考えられる。

「……わかりました」

さくらは微笑んで返事した。
新次郎については、まだよくわからないのだ。
さくらの一方的な思い込みで非難するようなことは出来ない。
これからの付き合いで彼の本心もわかるだろう。
ここは大神の言う通り、今まで通り新次郎の面倒を見るべきだった。

「すまない」
「いいんです。あたしも新次郎くん好きですから」

それもまた一面の事実なのだ。
彼は物腰が柔らかく、嫌みなく、素直な男の子であることに違いはない。
気が利くし、海軍仕込みなのか女性優先なところもある。
すみれあたりは「軟弱者」として軽く見ているが、アイリスやレニなどはもうなつい
ているし、紅蘭とも仲が良いようだ。
徐々に他の隊員たちともうまくやっていくに違いなかった。

「それに、大好きな大神さんの甥っ子さんですもの」
「さくらくん……」
「あ……」

大神が身体をずらし、さくらに顔を近づけてくる。
さくらが目を閉じると、そっと優しく唇が接触してきた。

「ん……む……ちゅっ……」

舌の交換はあったがごく軽く、舌を少し絡み合わせただけで大神は唇を離した。
たまには強引に唇を奪い、舌を吸い取るくらい激しくしてくれてもいいのに、と
さくらは思う。
だが、気の優しい大神には無理な注文かも知れない。

「ああ……」

大神はふくよかに膨らんだ乳房をぎゅっと掴み、それをじっと見つめている。

「は、恥ずかしいです……。そんなに見ないでください」
「綺麗だよ、さくらくん。本当に」

大神の手の中で柔らかく形を変えているさくらの乳房は、かなり成長している。
以前とは見違えるほどに……とまでは言わないまでも、10代の頃はどちらかと
いうと小振りだった胸は、20代になってから見る見る豊かになっていった。
性徴期だったこともあるだろうが、その頃、大神と関係を持ち始めたということも
大きかった。
やはり男を知って愛されると、乳房に限らず女体はより女らしいラインを獲得して
いくのだろう。
サイズは大きくなったのに乳首は小さいままで、乳輪も淡いピンクのままなのが
大神は好きだった。

「あっ……」

見ているうちに無性にそこが吸いたくなり、大神が乳首に吸い付いた。
手で絞るように乳房を掴むと、力を込めて強く吸った。

「ああ……いいです、大神さん……気持ちいい……あっ……」

しばらく乳首を吸い、優しく乳房を揉みしだいてから、大神の手はすべすべした
さくらの肌を撫でていく。
乳房からなめらかなお腹、そして下腹部へ滑り込んでいく。
さくらは一瞬、びくりとしたが抵抗はなく、大神の為すがままにされている。
大神の指が、柔らかい手触りの陰毛の繁みをさするように愛撫しつつ、なおも下に
伸びていく。
クリトリスを素通りして、女の割れ目に潜り込んでいった。

「ああ……」

さくらは真っ白な細い首筋を晒して仰け反り、ぐっと手の指を握りしめた。
大神は、吸い、舐めていた乳首から口を離すと、さくらの太腿に右手をかけて脚を
開かせようと力を入れてきた。
大神の意図を知り、さくらはすっと両脚から力を抜き、大神の望むままに脚を開か
せていった。
さくらの媚肉は徐々に濡れ始めている。
まだそう愛撫されているわけでもなかったし、直前の陰毛は乾いていた。
にも関わらず、もうじくじくと蜜が滲んできていた。
濡れやすいのだ。
そこはもう、念入りに愛撫されたかのように口を開いている。
そこに指が入ってくる感触を得て、さくらはくっと首を反らせた。

「んっ……」

大神は人差し指だけさくらの中に挿入したまま、徐々に頭を下へ持っていく。
その間も、両手を伸ばして乳房を揉み込んだままだ。
顔を媚肉まで持っていくと、さすがに恥ずかしいのか、さくらは両手でぐっと大神
の頭を下へ押した。
これは、恥ずかしがり屋のさくらのいつもの行動なので大神はさして気にせず、
顔を恋人の股間の底に埋めていく。

「ああ!」

さくらは耐えきれず、思わず大きな声を放った。
声が外に漏れることはほとんどない。
さくらたちの個室は、当時の日本建築としては珍しく防音が効いている。
劇場がそうなのは当然だが、隊員たちの私室もそうなのだ。
これは、劇団員でもある彼女たちが、稽古を終えた後、個室に戻っても心置きなく
発声練習をしたり、声を出して台本を呼んだり、歌唱訓練が出来るようになっている
のだ。
ただ個人差もある。
疲れてぐっすり寝たい団員もいるだろうし、まだ稽古をしたい人もいるだろう。
そうしたことを考慮しているためだ。
だから少々大声で怒鳴っても、ほとんど隣室や廊下には届かない。

それでもやはりこういう声は恥ずかしいから、さくらは出来るだけ声を出さない
ように堪えていた。
そんなさくらからいかに嬌声を絞り出すか、ということも大神の楽しみになっている。
慎ましい清楚な彼女から、とろけるような喘ぎを出させるのは男の本分であろう。

「ああっ……大神さんっ」
「気持ちいいかい?」
「ああ、いいです……んっ……あ、そこっ……ああっ……」

クリトリスを舌で優しくねぶられ、すっかり開ききった割れ目の奥まで舐め上げら
れると、官能の火が一気に燃え盛ってくる。

「あ、あは……あっ……」

乳房をぎゅっと握りしめてくる大神の手を思わず右手を掴む。
左手は、ぐっと大神の頭を押しこくっていた。
いずれも意識した行動ではなく、身体が勝手にしていることだ。
さくらの乳房は、乳首を中心に大神の唾液で濡れ光っている。
それを乳房になすりつけるよにして、なおも大神はさくらの胸を揉み込んでいく。
膣の方も、舌を伸ばしてこそぐように舐めていった。
あふれてきた愛液が、大神の舌に絡んでぴちゃぴちゃと淫らな音をさせ始めた。

「あ、いや……恥ずかしいっ……」
「そう? でも感じるだろう?」

さくらは顔を真っ赤にしてコクンと大きく頷いた。
それに気を良くした大神は、舌先を尖らせてグッと膣口に差し込んでやる。
内部に入ってきた舌の熱さを感じ、さくらは身を捩って悶え、より大きく喘いだ。

「ああ……ああっ、いい……あ、あっ……!」

大神は、身悶えつつも目をぎゅっと閉じ、どうしても口から零れてしまう喘ぎを何
とか堪えようとしているさくらを見つめていた。
感じているのに、それを口にしてしまう恥ずかしさにまだ耐えられない。
その控え目さが、普段の快活なさくらとはまた別の一面を見るようで、大神を満足
させている。
大神は、乳房を愛撫していた手を外し、そっとさくらの髪を撫でる。

「……いいかい、さくらくん」
「あ……、はい……」

顔を背けてさくらは小さく頷いた。
緊張のせいか、身体に力が入る。
もう何度も大神に抱かれているというのに、この瞬間だけはまだ気が張り詰めて
しまう。
力んでしまうと、そうでなくとも狭いさくらの膣が余計に狭く締まってしまい、
きつい挿入感に苛まれることになる。
大神には何度となく「力を抜いて」と言われているのだが、まだ出来なかった。

大神はさくらの上に覆い被さる。
身体を重ねるというよりも、腕立て伏せのように両手をベッドに突いていた。
さくらに負担をかけないようにだろう。
そのまま片手でペニスをつまみ、さくらの媚肉に押し当てると、そのままぐっと
挿入していく。

「ああっ、大神さんっ……」
「さくらくんっ」

すっかり濡れそぼっていたさくらのそこは、大神の分身をあっさりと飲み込んで
いった。
さくらの膣内は狭隘で、さして巨根というわけでもない大神の肉棒にもかなり
きつかった。
さくらはその圧迫感に耐えるようにぐっと両手を握りしめている。
大神はそのまま静かに上体をさくらに重ねていく。
完全にペニスが膣内に埋没すると、ホッとしたように大神が力を抜いた。
同時に、握りしめていたはずのさくらの両手が、そっと大神の背中に回ってきた。
ゆっくりと大神の律動が始まった。

「ああ……いい……、うんっ……あ、そこ……そこですっ……ああ……」

喘ぐさくらの美しい顔を見ながら、大神は腰を使っていく。
きつくて狭い膣穴を抉るように突き込んでいくと、さくらの膣襞が大神の男根に
優しく絡んでくる。
狭いが、濡れに濡れている膣口は、さして無理もなく肉棒を受け入れていた。
ピストンが始まると、中から愛液がかい出されて、余計にふたりの腰を汚していく。

「ああ……あっ……いっ、いい……気持ちいいです、大神さん……あっ……」
「お、俺もだよ、さくらくん……うっ……さくらくんの中は最高だ」
「そ、そんな恥ずかしいこと……あ、あっ……」

さくらの素晴らしい収縮と締め付けに、大神はたちまち追い込まれていく。
負けてなるかと彼女も到達させようとして舌と手を駆使して愛撫する。
乳房を揉み、首筋に舌を這わせるだけの愛撫だったが、好いた男に愛されていると
いう事実だけで、もうさくらも達しようとしていた。

「おっ、大神さんっ……あたし、もうっ……」
「さくらくんっ、俺もだ! い、一緒にっ!」
「は、はいっ……!」

大神は今にも射精してしまいそうな恍惚感を何とか押さえつつ、腰をさくらに打ち
込んでいく。
それでも、悩ましく美貌を歪ませ、妖しく喘ぎを発して快感を訴えるさくらの媚態
に、挿入したペニスがぶるぶると痙攣してくるのがわかる。

「くっ……、だめだ、いくぞっ!」
「あ、あたしもっ……ああっ!」

ふたりは呼吸を合わせ、ほぼ同時に果てた。

(ああ……熱い……)

さくらは、自分の中に大神の熱い精液が噴き出てくるのがわかった。
但し、ゴム越しである。
コンドームを通じて大神の熱さはわかるものの、勢いよく出ているであろう精液の
すごさはわからない。
未婚の身で孕むわけにはいかない。
避妊するのは当然だった。

しかし、さくらには何かひとつ物足りなさがある。
大神のすべてを受け入れたかったのだ。
その結果の妊娠なら構わないし、むしろ望むところである。
しかし大神の立場を考えれば、妊娠が判れば結婚するしかない。
彼の性格からして「堕ろせ」とは言わないだろう。
さくらとしても、未婚の母となることは公私ともに好ましくなかった。
今やすみれと並んで帝撃のトップスターであるさくらだ。
それが婚前で妊娠したとなれば一代スキャンダルであろう。

さくらは結婚を望んでいる。
華撃団の任務や歌劇団の仕事に未練がないではない。
しかし、大神との結婚と比較すれば答えは出ているようなものだ。
それに、結婚しても帝撃に残れる可能性があるかも、というほのかな期待もあった。

さくらとしては、何度か遠回しに大神へ結婚のことを匂わせたのだが、鈍いのか、
それとも判っていて誤魔化しているのか、彼から明確な回答はなかった。
大神には大神の考えもあるだろうし、隊長が隊員に手を着けたとなると、よからぬ
評判にもなるとして尻込みしているのかも知れない。
ただ、彼のさくらに対する愛情は本物だった。
さくらは自分の焦りを叱りつけ、あまり我を張らぬよう自戒するのだった。
大神はさくらの上から離れ、その横に寝そべった。

「……よかったかい?」
「ええ……とっても」

さくらは恥ずかしそうに顔を両手で覆った。
好ましそうにその様子を見ながら、大神はコンドームを外し、桜紙にくるんで捨てた。
そして、彼の腕にしがみついてきたさくらの肩を優しく抱いて目をつむった。

愛し合った直後の陶酔感に浸りきっていたふたりは、ドアの鍵を開け、僅かな隙間
から覗き見ていた男のことなどに気づきもしなかった。
事後、部屋へ戻ろうとしたさくらが、錠が外れていたドアに不審を抱いただけだった。




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