さくらは何となく新次郎が気になっていた。
何だか今日の彼はいつもと違う感じがする。
どこがどうとは言えないのだが、思い詰めたような雰囲気がある。
話しかければ普通に答えるし、その様子におかしなところはない。
笑顔がぎこちないとか、口ごもるということもない。
ただ、さくらを見る目が少し違う。
それまでの照れとか遠慮を含んだ目つきではなかった。
さくらから目を合わせると顔を染めて逸らしてしまうような初々しさがなくなり、
興味深そうにじっと見つめ返してくる。
関心を持ってさくらを見ていたのは以前から同じだが、その目が子供ではなく大人
びた……いや、男臭さのようなものが感じられた。
さくらは浴室での事件を思い出す。
あれは新次郎だった。
あの時もさくらを、こんな目で見ていたのだろうか。

昼食を摂る食堂のテーブルでは、いつも新次郎はさくらの隣にいた。
彼がそうしたのではなく、さくらの方が彼の隣に来てくれたのだ。
だが、今日はそうしない方がいいと、彼女の直感が知らせてきている。
しかし、他の隊員たちも当たり前のように自分のいつも席に座っている。
さくらだけそうしないわけにもいかなかった。

「……」

さくらがぎこちなく座ると、続いて新次郎も席に着いた。
間もなく食事が運ばれ、挨拶もそこそこに賑やかな食事が始まった。
今日は英国風の白身魚のフライとポテトフライだ。
つまりはフィッシュ&チップスである。
他に香の物や小鉢がつき、味噌汁というメニューだった。
かなり和風寄りではあったが、レニや織姫といった外国からの新参者もすっかり
日本食に慣れてきている。
しかしまだ箸の使い方は苦手のようで、レニはナイフとフォークである。
織姫は意地もあって箸を使っているが、これがヘタだ。
いらいらして声高に叫ぶ。

「まったくもう、何デスか、これは!? 使いにくいったらありゃしません!」
「あなた、いつまで経ってもヘタねえ」

すみれが鼻で笑う。

「何デスって!?」
「あなたは箸を使って何ヶ月になるんですの?」
「……」

織姫が悔しそうにすみれを睨んでいる。
そこにさくらが割ってはいる。
いつものことだ。

「ま、まあまあ、すみれさん。織姫さんは伊太利亜暮らしだったんですから仕方
ないですよ」
「そうかしら? わたくしなんぞ箸でもナイフでもどっちも使えますわよ、日本に
住んでますけど。おーっほっほっほ」

織姫がすみれに噛みつきそうな表情を見せたので、隣のさくらが懸命に宥める。
レニを始め、他のメンツは「いつものこと」とばかりに放っておく姿勢のようだ。
それぞれの会話に入っている。

「無理にお箸を使わなくても、レニみたいに……」
「いいえ」

織姫はきっぱりと言った。

「私は伊太利亜生まれデスが、ここ日本デス。日本の風習に従いマス!」
「その気持ちは立派だと思いますけど……」
「さくらは、私には出来ない言うデスか!」
「そ、そうじゃありませんけど」

さくらは困ったようにそう言い、自分の箸を手にした。

「織姫さん、あたしの言う通りにやってみてくれますか?」
「……どうやるんデスか」
「まず一本だけ持ってください。それをペンを持つように握ってもらえますか」
「こう?」
「あ、そうです。中指と人差し指と親指で……そう、そんな感じです。そしたら
もう一本取って……」

織姫は一本持ったまま、それを落としそうにしつつも、もう一本を拾った。

「その一本は中指と薬指の間で持つようにしてください……難しいですか?」
「少し……でも何とか……、これでいいデスか」
「あ、そうです。それが正しい持ち方ですね」

さくらはにっこり微笑んで織姫を褒めた。
織姫の方も安心したのか、少しホッとしたように褐色の顔を緩める。

「そしたら、基本的には最初の一本……、そう、親指で押さえている方ですね、
そっちだけ動かして二本目は動かさないんです」
「一本しか使わないデスか? なら、なぜ二本持つデスか」
「いいえ、使わないんじゃなくて動かさないんです。二本目の方は、摘んだ食べ物
を支えるような感じですね」
「……」

織姫はその状態で、何度か魚フライを掴もうとする。
箸先が震え、そのたびに皿に落下した。
それでも彼女は諦めず何度も挑戦し、不器用そうながら、一口大に切られたフライ
を何とか箸で掴むことが出来た。
さくらは嬉しそうに手を叩く。

「そうです! 出来たじゃないですか!」
「そ、そうデスね……」
「その調子です。その感じをよく覚えていけばいいんです。織姫さんならすぐです
よ」

それを聞いて織姫もにっこり笑った。
これで和やかに食事が出来そうである。
まだ不慣れそうに箸を操る織姫を見ていたさくらだったが、妙な感覚を覚えて我に
返った。
履いている袴がもぞもぞしている。

「?」

袴に手をやってみると、さくらの脚をまさぐっている者の腕に触れた。

「!」

ハッとして隣を見ると新次郎はそっぽを向いている。
しかし、左隣に座っている彼は、左腕をテーブルの下に伸ばして、さくらに触って
いるのだ。
さくらは慌てて、しかし大声は出さず無音声で叫んだ。

「しっ、新次郎くんっ! 何してるの!」
「……」

新次郎は素知らぬ顔で、なおもさくらの脚をまさぐっている。
さくらは右手でその腕を押さえ込もうとするが、それに逆らって新次郎は手を蠢か
せている。

「あっ……!」

新次郎の手が素足に触れ、思わずさくらは小さく叫んでしまった。
不審に思った大神とマリアが一斉にさくらの方を向く。

「どうした、さくらくん」
「どうかした?」
「あ……、い、いいえ、何でもありません……」

そう答えたものの、さくらは気が気でない。
新次郎はいったい何をするつもりなのかわからない。
まさかこの場で、痴漢まがいにさくらの身体を触り続けるつもりなのだろうか。
あまりにも常識を逸している。
まともとは思えなかった。

「やめっ……やめてよ、新次郎くん……いやっ……」

相変わらず無音声で止めようとするが、新次郎の方は向かなかった。
よく見れば新次郎の肩が何やら動いているのはわかるし、手がテーブルの下に潜っ
ているのもわかるはずだ。
そうなら、新次郎がテーブルの下でさくらに触っていることに気づく者も出るかも
知れない。
さくらはそれがバレないか気が気でなかったか、一方の新次郎はまったく動ぜず
さくらの脚を触っていた。

さくらの着用している緋袴は、いわゆる行灯袴である。
これはスカート状になっている。
男が履く襠有(まちあり)袴や馬乗(うまのり)袴は裾下が割れていてズボンの
ようになっている。
女用の袴は、今のスカートのようなものだ。
行灯袴が現代のスカートと大きく異なるのは、腰の部分に大きなスリットが入っ
ていることだ。
ここから手を入れて袴を上下させ、腰の位置を調整するのである。
新次郎はそこから手を突っ込み、さくらの太腿の素肌を擦っていた。

「んっ……んんっ……」

さくらはその虫が這うようなおぞましい感覚に耐え、眉間に皺を寄せている。
ともすれば悲鳴を放ってしまいそうな口を噛みしめ、右手で懸命にいやらしい動き
をする男の腕を引き離そうともがいている。
新次郎は、震える左手でさくらの滑らかな太腿を触り、こねていた。
さくらの温かい肌のぬくもりが、なめらかな肌の感触とともに手のひらへ伝わって
くる。
新次郎は息を飲みながら、袴の下から手を這い上らせていく。
自然に股間が盛り上がってきた。

「やっ……」

さくらの押し殺した悲鳴を心地よく聞きながら、手を広げて手のひら全体で彼女の
脚を愉しんでいる。
年少の男の手は、腿から下へ這い進んでいく。
さくらは右手だけでなく、両腕をテーブルに潜らせて新次郎の左腕を掴んできた。
新次郎はそんな妨害などものともしないように愛撫を続けていった。
気が動転しており、恥ずかしさも手伝って、さくらは冷静さが保てない。
新次郎の腕を掴んでもするっと滑ってしまったり、敏感な内腿に触れられたりする
と、つい力が抜けたりして、未だ彼の暴虐を留めることが出来なかった。

「やめて……、ほ、本当にやめてっ……冗談はやめなさい、あっ……」

膝小僧を爪でさわさわとくすぐるようにされると、さくらはぞくりとするような刺激
を受けて思わず両手を離してしまう。
慌ててまた新次郎の腕を捕まえるのだが、その腕には力が入らない。
さくらの膝は硬い骨が透けるような皮膚で覆われており、それでいて決して骨張って
はいない。
そこを越えてまた上へ登っていくと、急に柔らかい肉質に変わった。
懸命に腰と両脚に力を込め、ぴったりと閉じ合わせている腿を裂くように、新次郎の
手がさくらの両腿の間に侵入していく。
内腿は、さくらの性感ポイントのひとつである。
慌ててさくらが両脚を締めても、新次郎の手を柔らかい腿に挟み込むだけだ。

「や、やめてもう……いや……」

今にも泣きそうな顔になってきたさくらに、今度は紅蘭が心配そうに聞いてくる。

「どないしたん、さくらはん? なんぞ身体の調子でも悪いん?」
「あ、違うわ、紅蘭……、あっ。へ、平気だから」
「ホンマ? それにしてはちっとも食べてへんよ」

そう言われて、さくらは仕方なく右手をテーブルに載せ、箸を持った。
それを見てすみれが言う。

「さくらさん、お行儀が悪いですわ。お食事の時は、きちんと両手をお出しなさい。
箸を持つのは右手ですけど、左手も使いますわよ」
「そ、そうですね……。あ……」

右手に続き、左手もテーブルから出さざるを得なくなり、これで新次郎の手を排除
する手段はなくなった。
もはや脚で締め付けて動きを止めることくらいだが、膝ならともかく腿の間に入り
込んでしまっていてはどうにもならない。
新次郎は、今にもさくらの両脚を割ろうと、太腿に手を掛けてきていた。
新次郎はその柔らかさをじっくり愉しんでいた。
指を使って虫が這うように両腿の間に手のひらを侵入させ、ほぼ完全にその間に潜り
込むことが出来た。
そこは手のひらに吸い付くようにふくよかで、頼りないほどに柔らかかった。
存分にさくらの美脚を弄ぶと、淫らな指が今度はさらに上へと這い進んでくる。

「だ、だめ……」

さくらは目に涙をいっぱい溜めて新次郎を見た。
いかにも「お願いやめて……」と言いたいのを顔全体で表現していた。
さくらの美貌は、そんな表情すら男をそそる。
新次郎は生唾を飲み込んで左手を蠢かせた。そしてとうとう指先は、さくらの下着
にまで到達した。
さくらはすみれに勧められて洋風の下着──ブラジャーとパンティを身につけている。
新次郎の指は股間のパンティ──クロッチ部分に触れてきた。

「やめて、お願いっ……新次郎くん、そこはだめっ……」
「?」

触れてみて新次郎はあることに気づいた。
何だか湿っている気がしたのだ。念のため、クロッチから指を離し、腰や下腹を覆っ
ている部分に触ってみたが、そこは綿の乾いた肌触りである。
それを確認して改めて股間に指を持っていくと、やはりそこは湿気ている。
下着を浸透するほどに濡れているわけではないが、内部は濡れているのではないだ
ろうか。

新次郎は少し驚いていた。
女はこういう状況でも濡れるのだろうか。
そう思ってさくらの顔を見てみると、目の縁に涙すら浮かべてこの屈辱に耐え忍ん
でいる。
噛んだ唇が震えていた。
ここで新次郎の行為を糾弾することは自分がされていたことを晒すことにもなり、
恥辱である。
それよりも、新次郎を悪者にしてしまうという懸念が、さくらにはあるように思えた。
この期に及んで、まだ彼を庇おうというのだ。

そんなさくらの健気さに、新次郎も萎えてきそうになってくるが、こんな機会はそう
ない。
それに、もう決行すると決めたのだ。
後には引けなかった。
それでも、さくらの仕草を見ていると、ついほろりと来てしまう。

「ああ……いや……」

さくらは軽く顔を左右に振っている。
弱々しい動きだった。
新次郎の指が淫らに蠢くたびに、さくらの内腿がびくびく痙攣している。
さくらの目から大きな涙の粒がぽろっと零れた。
ふるふると睫毛が震えている。

「い、いやっ……!」

耐えかねたのか、さくらは一声叫んで立ち上がり、両手で顔を覆って食堂から駆け
出て行った。

「?」
「何ですの?」

突然に出て行ったさくらを、すみれたちはきょとんとして見送って

────────────────────────

さくらは今でも新次郎が配属されてきた時のことを鮮明に記憶している。
大神は、就任挨拶は支配人室で米田とあやめにしただけで、あとは出くわした時に
隊員たち個人個人にしただけである。
ところがどうしたことか新次郎の場合、わざわざ全員が支配人室に集まり、そこで
挨拶させられたのである。

「てっ、帝国海軍少尉、大河新次郎でありますっ……。ほ、本日一二〇〇を持って、
帝国華撃団に配属されましたっ。そ、そのっ、よろしくお願い致しますっ」

かえであたりは、それでも真面目に顔を引き締めて拝命を聞いていたのだが、新次郎
のあまりの緊張振りに、他のメンバーは笑ったり呆れたりした表情を浮かべていた。
米田は苦笑していたし、大神は我が事のようにあたふたしていた。
マリアも苦笑に近い笑顔だったが、すみれなどははっきりと呆れていた。
また頼りないのが来たものだと思ったのだろう。
彼女の場合、大神が来た時でさえそうだったのだから無理もない。

「大尉……、大丈夫ですの、この子」
「い、いや平気だよ、すみれくん」
「そうよ、すみれ。まだ士官学校出たばかりで、いきなりここへ配属なんだから
緊張して当たり前よ」

マリアがそうフォローすると、さくらもにっこり微笑んだ。

「そうですよ、すみれさん。大神さんだって初めていらした時には相当緊張して
ましたし」
「そ、そうだったかな」
「そうですよ。その大神さんだって隊長を立派にこなして巴里にまで行って、そして
また隊長なんですから。大河少尉だって大神さんと同じく、首席卒業なのでしょう?
 ね?」
「は、はいっ……!」

さくらに笑顔でそう言われると、新次郎は顔を真っ赤にして返事をした。

「叔父さん……いえ、大神大尉どのに負けぬよう粉骨砕身頑張りますので、みなさ
ん、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしますっ」

新次郎が大声でそう言うと、どっと笑いに包まれてから、拍手が湧いた。

それ以来、さくらは新次郎に目をかけている。
大神に特に頼まれたからということもあるし、自分のファンだと言ってくれたと
いうこともある。
それにも増して、新次郎がまだ未熟で経験不足であり、それを何とか助けてあげ
たいという母性本能があったからだ。
ルックスが可愛らしいということもあるのだろうが、どうにも放っておけないタイ
プだったのだ。

だからさくらは何くれとなく新次郎の世話を焼いた。
紅蘭やカンナに「大神がヤキモチ焼くぞ」とからかわれるくらいに献身的だった。
さくらとしては、新次郎をあまり男性とは見ていないし、何しろ大神の甥である。
そんな気持ちはさらさらなかった。
それは大神としても同じことで、例えば加山あたりがあまりにさくらとベタベタ
していれば嫉妬することもあったかも知れないが、それが新次郎ではヤキモチに
すらならない。
そういう相手としては見ていないのだ。
蔑んでいるわけではなく、身内だと思っているからだ。

その新次郎があんなことをしてくるとは想像もしなかった。
彼はさくらのファンを公言していたくらいだから、もちろん彼女に興味はあるだろう。
男として女性の身体に関心があるのもわかる。
しかし、だからと言って痴漢していいということにはならない。
さくらは一時憤慨したものだが、その後の新次郎の行動を見るにつけ少し拍子抜け
した気がした。
それ以前も以後も、普段の生活や勤務に於いて、ちっとも変化がないのだ。
もぎりや小道具の用意、大道具の運搬、舞台の補修といった劇場の勤務はきっちり
こなしている。
勤務態度は極めて真面目で、そのせいか隊員たちや風組の面々の評判も良かった。

「どういうことなんだろう……」

さくらは抱えていた行李をいったん廊下に下ろして、窓から銀座の景色を見やった。
考えれば考えるほどにわからない。
もしさくらによからぬ思いを持っているなら、一度あんなことをすればかさにかか
ってくるのではないだろうか。
失敗しても成功しても、さくらに対する態度は変わってくるだろう。
なのに、さくらに対しても接し方はちっとも変わらなかったのだ。
その時、不意に後ろから声が掛かった。

「さくらさん、大変そうですね」
「新次郎くん……」

案の定、新次郎だった。
やや小柄な青年が微笑んで立っている。

「な、なに?」
「重そうですね、僕、持ちますから」
「あ、いいの。平気よ」
「遠慮しないでください。僕、いちばん下っ端なんですから、便利に使って下さいよ」

新次郎はそう言って、ひょいと行李を持ち上げ、そのまま肩に担いだ。

「あ、軽いんですね」
「な、中身は衣装ですから。大河少尉、あたしが持ちます」
「いいですよ。大きいから持ちにくいでしょ? それに「大河少尉」なんてやめて
くださいよ。今まで通り新次郎でいいですよ、急にどうしたんです?」
「……」

さくらは二の句が継げなかったが、新次郎の方はにこにこしている。
表と裏の顔があるのかと思ったが、別に誰が見ているわけでもない。
ここにはさくらと彼しかいないのだ。
なのに今までとまったく変わらぬ対応である。
「急にどうしたのだ」とは、さくらの方で聞きたいくらいだ。
新次郎が歩き出すと、さくらも慌てて後を追った。

「楽屋ですか? それとも衣装部屋?」
「あ……、い、衣装部屋に……。あたしとすみれさんのです」
「ふうん。ああ、次の公演の衣装が上がったんですね」
「は、はい」

さくらの受け答えはどうしてもぎこちなかった。
新次郎が何を考えているのかわからなかったからだ。
このまま衣装部屋に行ってそこに誰もいなかったら襲われるのではないか、とまで
考えて警戒した。

「すみません、さくらさん。開けてくれますか」
「は、はい、すみません!」

行李を肩に持ったままではドアは開けられないだろう。
さくらは慌ててドアを開け、中に導いた。
すみれがいた。

「ああら少尉、ご苦労さまですわね。さくらさん、いい召使いが出来ましたわねぇ」
「召使いだなんて……」
「あら違うんですの? だって少尉、いっつもさくらさんの側にいますし、さくら
さんも少尉にそうやって荷物持ちさせてるじゃありませんの」
「心外だなあ、すみれさん」

新次郎は笑いながら行李を言われた場所に置いた。

「僕、さくらさんのファンですけど、別にさくらさんだけにこうしてるわけじゃ
ないですよ」

実際、そうなのである。
マメによく動き、骨惜しみしないこの青年は、さくらだけでなくどの隊員の手伝いも
積極的にしてくれた。
あまり好意的でなかったすみれでさえそれは認め、まだ頼りないとは思っているよう
だが、よそよそしさはなくなっている。

「あら、そうでしたかしらね。ま、いいわ、少尉、お時間あるなら少しお茶でも飲み
ませんこと?」
「いいんですか?」
「もちろんですわ。ねえ、さくらさん」
「は、はい」

さくらは新次郎から少し離れたところに座り、お茶の支度を始めた。

────────────────────────

その日の夜、夕食を終えると、さくらは真っ直ぐ自室に戻ってきた。
普段なら、大抵はそのままサロンで仲間とお茶を飲みながら談笑するのだが、今日
は気分が優れないと言って断ったのである。
実際、食欲もなく、夕飯は抜こうと思ったのだが、あまり周囲に心配をかけるのも
どうかと思い、無理をして食べたのである。

自分の異変を覚られぬよう、午後は普段と同じように振る舞ったつもりである。
仲間にはそれと感づかれてはいないはずだ。
さくらは度重なる新次郎の淫行に対し、よほど大神に相談しようかと思ったのだが、
大神と自分、そして大神と新次郎の関係に遠慮してそれも出来なかった。

ただ、先日の昼食時の痴漢行為はいくらなんでも酷かった。
あれがきっかけとなり、さくらは決心した。
洗いざらい全部というわけではないが、それとなく大神に話をしてみようと思った
のだ。
本当なら、今夜。
夕食を終えての自由時間、つまり今である。

ところが大神は、何の用事かはわからないが、米田に連れられて午後から外出して
しまっている。
藤枝中尉の話を聞くと、どうも今度米国に設立されることになった新たな華撃団に
ついての会議があるらしい。
先達である日本と仏蘭西も協力することとなり、駐日米国大使と仏蘭西大使、日本
陸軍、そして帝撃から米田と大神が出席するのだという。
本来はかえでも出席するはずだったが、司令に隊長、副司令まで帝撃を留守にする
ことは出来ず、今回は彼女が居残りになったらしい。
一応、今夜中に会議は終わる予定だそうだが、かなり煮詰まっているらしく、終了が
いつになるのかまったくわからないのだそうだ。

大神の帰りを待ってもいいが、遅くなるだろうし、そうなら彼も慣れぬ会議で疲れ
ているだろう。
そこに余計な心配事を相談するのも躊躇われた。
話はするにしても、日を改めた方が良さそうである。
ドアの鍵を開け、室内に入ると中は真っ暗だ。
そのままドアロックを掛ける。

「ん……?」

さくらは眉をひそめた。
異臭がする。
何だろう、この生臭い匂いは。
電灯をつけたが、別に生ゴミが部屋に散らかっているはずもない。
きれい好きのさくらは、毎朝、室内のゴミ箱は綺麗にしている。
まして生ゴミが出るようなものを室内に持ち込むこともなかった。
部屋で飲食することもないではないが、ほとんどはサロンでみんなと一緒に食べる。

「あっ!」

ふとベッドを見て驚いた。
さくらのパンティが3枚、横に並んで置かれていた。
こんなところに出しっぱなしにした覚えはない。
さくらは幾分顔を赤らめて、慌ててそれを手に取った。

「うっ……」

臭い。
臭気の源はどうもそれらしい。
履いた下着を出しっぱなしにすることなどなかったし、そもそも下着は毎日履き替え
ている。
匂うまで履き続けることなどなかった。
しかもそれは濡れていた。
尿を漏らすこともないし、自分のいやらしい体液で汚れたままというのも考えにくい。
大神と寝る時は大抵あらかじめ脱いでからベッドに入る。
もちろん、戯れでさくらが着衣のまま大神が抱いてくることもないでもない。
その場合、さくらは自覚するほどに濡れやすい方だから、下着が汚れることもある。
だが、そういう時でも事後には必ず片付け、新しい下着を着用し、汚れたものはすぐ
に洗っていた。
そのまま放置しておくことはあり得ない。
最近大神に抱かれたのは3日前になるから、それがそのままであったならもう乾いて
いるだろう。
これは、まるで今汚れたばかりのように濡れている。

「やっ……!」

思わずさくらはその下着を放り投げた。
指にその汚れがつき、はじめてそれが何かわかったのだ。

「こ、これって……男の人の……」

精液らしい。
さくらは大神との行為ではほとんど避妊しているから、彼の精液に接したことは
あまりない。
最初のセックスの時くらいだ。
あの時はふたりともかなり動揺していて、避妊することすら思いつかなかった。
中に出され、それが零れてきた時、初めて男の精液を目の当たりにしたのである。
匂いは、その時だけでなく、大神がコンドームを処理する時にも鼻についたから
わかる。
さくらのパンティを汚していたそれは、まず間違いなく精液だ。
一度の射精で出したとは思えぬほどの大量の液体が、べったりと付着している。

「だ、誰が……誰がこんなこと……」

さくらは汚れが手につかないよう、慎重に指先で一枚ずつつまみ上げた。
その下着も、クロッチの辺りを中心に大量の精液にまみれており、どろっとした
粘液で汚されていた。
気持ち悪くて、もう使う気になれない。
懐紙に包んで捨てようと、パンティを持ったまま振り返り、さくらは「あっ!」と
小さく叫んだ。
人がいたのである。

「あなた……、新次郎くん……」

振り向いたさくらの目の前に立っていたのは、大河新次郎であった。
そう言えば、彼は夕食も早々に終え、さくらよりもかなり早く退出していた。
だが、まさかさくらの部屋に忍び込んでいるとは思わなかった。
鍵は掛かっていたはずだが、合い鍵を手に入れたか、あるいは針金の類でこじ開けた
のだろう。

新次郎は、唖然として自分を見つめている美女の顔を黙って見つめていた。
白い肌に対照的な黒い睫毛は震えている。
眉の形も美しい弓形で、どうも自分で引いている感じではなく、生まれつきそういう
形状のようだ。
鼻梁は特に高くも低くもなく、日本人女性らしい高さですらりと通っている。
小さめの唇は紅も引いていない自然なもので、薄いピンクなのが清楚さを物語って
いた。

そしてその目の美しさに新次郎は陶然となる。
まるで人形のようにくっきりと切れ込んだ瞼の下には、真っ白と言うよりやや青み
がかった白目がある。
その奥には、びっくりするくらい大きく黒い瞳が覗いていた。
彼女の驚愕がその瞳から読み取れた。
こんなに綺麗で清純そうな女性に乱暴するのかと思うと、さすがに新次郎にも憐憫
の情が出てきたが、それ以上にぞくぞくするような嗜虐の喜悦が沸き起こる。

さくらが帝撃に配属されてきた時は17歳だったと言う。
今は確か22歳のはずだ。
なのにその顔立ちは若いままで、今でも立派に10代で通るだろう。
ただ、やはり少し落ち着いた雰囲気は出てきていて、それがまた女性的な魅力を
引き出している。

ほとんど化粧っ気がないのに、その肌は白粉をはたいたように白かった。
立ち居振る舞いも清楚そのものだし、性格も純情で素直。
その快活さは花組全体の雰囲気向上に一役買っている。
そのどれもが新次郎を虜にした。
たっぷりとした美しい黒髪を赤い大きなリボンでひっつめ、ポニーテールにしている。
薄いピンクの和服に紫の帯、そして真っ赤な袴は、いつものさくらのスタイルである。
足には白い足袋をつけ、今で言うローファーを履いていた。
巫女服に似た和服を着るのは、実家が神社だからだろうかと思ったのだが、聞いた
ところ、どうも学校の制服らしい。
もうとっくに卒業しているのだが、気に入っているのだそうだ。
その和服の襟元から僅かに覗く素肌を見ていると、息が詰まりそうな色気を感じる。

「ど、どういうつもりなの……。こ、これも新次郎くんの仕業なの!?」
「……」
「答えて。これはあなたが……」
「そうですよ」
「……」

新次郎が、あまりに悪びれずに答えたので、さくらの方が絶句した。
こんな失礼なことをしておいて罪悪感はないのだろうか。
ずいと一歩踏み出してくると、さくらは逆に後じさった。
普段は頼りなさそうな彼だが、今は思い詰めたような異様な迫力がある。

「さくらさん」
「な、なに……?」
「僕はさくらさんが……」
「あたしが……?」
「さくらさんが欲しい」
「え……?」

さくらは一瞬、きょとんとした。
何のことかわからなかったのだ。そしてすぐにその言葉の意味を覚り、見る見る顔
が青ざめていく。
つまり、さくらの身体が欲しい、と言っているのだ。
風呂を覗き、食堂で脚を触ってきた。
だが、まさか直接的にさくらを犯そうとするまでエスカレートするとは思わなかった。

「な、何を言って……、いやっ!」
「さくらさんっ!」
「やめて、やめて新次郎くんっ……馬鹿なことしないで! こ、こんなこと大神さん
が知ったら……!」
「!」

大神の名を出され、新次郎の躊躇や気の迷いが吹っ飛んでいく。
何だかわからないが、頭に血が上った。

「うるさいっ、叔父さんのことを言うな!」
「新次郎くんっ」
「あんなこと……あんなことしてたくせに!」
「あ、あんなことって……?」
「……」

さくらも人並みにセックスするのだ。
新次郎は先日、そのことを痛いほどに判らされた。
考えてみれば当たり前で、さくらが正常で健康な女性であれば当然性欲もあるだろ
うし、まして大神というパートナーまでいるのだ。
大神にしても、さくらのような女性と交際していて何もしないということはあり得
ない。

彼は、つい覘きをしてしまうくらいに性的な興味は人並み以上に持ってはいるが、
基本的に奥手である。
しかしそこは軍隊生活をしているだけあって、そうした情報や猥談は仲間内から
いくらでも入ってくる。
そもそも海軍は陸軍に比べてリベラルであり、女性に対して寛容であると同時に
関心も隠そうとしない。
連合艦隊司令長官ですら、正妻の他に愛人を囲っている有様で、しかもそのことが
減点の対象にはならないのだ。
女絡みの武勇伝でもあれば「元気があってよろしい」と、むしろ褒められるくらい
である。
そうした空気に馴染まされていたから、大神もあまり婚前交渉には罪悪感はなかった。
「責任」を取ればいいし、彼は最初からそのつもりだったのだ。

もちろん新次郎も同様である。
但し、彼の場合、少々事情が違っていた。
さくらに対する憧れは、銀幕スターへのそれとほぼ等しかったのだ。
新次郎にとって真宮寺さくらとは、ブロマイドの中の存在だった。
つまり人間的な生臭い行為とは無縁ような錯覚をもっていたわけだ。

帝撃に配属され、それは愚かで幼い思い込みであったことはわかったが、同時に
生身の女性の良さも理解出来た。
会話してくれるだけでなく、場合によっては手で触れたり触れられたりも出来る。
こんなことは二次元では無理だ。
その逆もあった。
極端に言えば、新次郎の思い込んでいたさくらとは、トイレにも行かないような
存在だった。
もちろんそんなわけはないので、そうした誤った理想像は徐々にかき消えていく。

風呂での覘きもそうだ。
さくらの美しい女体全体が湯煙に覆われ、けぶるような神々しさすら感じたが、
その股間に目が行った時、少し印象が変わった。
やはり靄でよくは見えなかったが、黒くけぶっている。
陰毛であろう。
それとわかった時、新次郎は何となくショックだったのだ。
ブロマイドにはそんなものは写っていないし、さくらの白い肌とそれは何となく
不釣り合いな気がしたのだ。
彼は別にパイパン愛好者ではなかったが、それが二次元と三次元の女の決定的な差
だったのかも知れない。

そして衝撃的だったのが大神との閨である。
それをドアの隙間から目の当たりにするに及んで、偶像としてのさくらは崩壊した。
同時に、さくらの身体に対する気安さまで生まれてしまった。
食事の時のテーブル下での痴漢行為もそれだ。
虚像の美神は少しずつひび割れ、新次郎の「奮起」を促していったのだった。

「あ、あなた、まさか……」

さくらの白い頬がさらに青白くなる。
あの時、確かに施錠したはずのドアの鍵が外れ、僅かに開いていたことが気には
なっていた。
ただその時は、覗かれていたのでは、という思いよりも、この隙間から恥ずかしい
声が廊下に漏れ出ていたかも知れないという羞恥だった。
だが、今はっきりとわかった。
大神とのまぐわいを新次郎が見物していたのだ。
さくらの衝撃は大きかった。



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