サンセット・ダンシング / 崇人・前
				
				薄暗い室内に、北窓のカーテンだけが仄明るい。その弱い光の中に溶け去ったかのように、室内には身動ぐ気配もなかった。
				「壱岐さん‥‥」
				シンと澱た静寂に、壱岐にむしゃぶりつきたい――むしゃぶりついてでも、壱岐の手に、されたい‥‥意気込みは急速に萎えていった。
				まだ、眠ったはずない‥‥と、思う夏生に、壱岐の沈黙は無言の拒絶だった。強引に求めて突っぱねられたら‥‥ドアを開けた勢いのままに近づきかけた夏生の脚はにぶり、やがて止まる。
				どうしたらいい‥‥
				セミダブルの寝台に長々と手足を伸ばし横たわった壱岐を切なげに見下ろす、夏生は声をかけることもできなかった。明確に拒絶されることへの怖れが、夏生を竦ませていた。
				どう‥‥したら‥‥壱岐はしてくれるのか。塞き止められた思いが、飢えを煽る。
				あの‥‥手で‥‥さわられ‥‥たい‥‥
				‥‥首を、胸を‥‥乳首を‥‥
				されたい‥‥
				撫で回され‥‥揉みしだかれ‥‥こねくられ‥‥
				思いっきり‥‥扱き上げられたい‥‥
				あれを‥‥
				あそこ‥‥を‥‥
				「ああ‥‥」
				壱岐の手の記憶をたどるように、いつか肌に這わせていた手を止めた、夏生は小さく呻いた。内股をすりあげた手で前を握り締めている。もう一方の手は狭間を擦り下ろしていた。そこの上に、つよく圧し当てた指の先が、わずかに内にめりこむ、その感触に思わず身を竦ませた、夏生が怖れるように手を離しかけた、そのときだった。
				「やめるなよ――」
				声に、弾かれたように視線を上げる。薄闇のなかに、鈍く光る双眸があった。
				「壱岐‥‥」
				いつから、眺めていたのか‥‥両手を頭の下に組み、長々とのばした足首をかさねている、壱岐の舐めるような視線を浴びて、夏生の全身が燃えた。
				「続けろよ――」
				薄く笑いを含んだ声が低く、そそのかすようにささやきかけてくる。
				嫌々をするように首を振りながら、夏生の両手はだが前後に回されたままだった。
				その、手の中のものが熱く、脈打つ。
				押しつけられた指の下が痺れたように、疼いた。
				「もっと、脚を開いて――腰を、振ってみせてくれるか――」
				「そんな‥‥」
				口篭もる、夏生のためらいを嗤うように手の中のものがまた、熱く脈打った。
				夏生は顔を伏せた。そして、のろのろと脚を開き、腰を前後に揺すりはじめた。
				「指を――使ってやれよ。欲しがっているだろう――君の、そこが――欲しがって――疼いている――」
				いつか、目をつぶっていた。耳に、吹き込まれるようなささやきに、ヒクリと、押しあてた指をつき上げて脈打つ、そこが、急に別の生きもののように感じられて夏生は喘いだ。
				「壱岐‥‥さん‥‥」
				どうして‥‥壱岐に言われただけでこんなふうになってしまうのか‥‥
				「疼いて――銜えたがっている――入れて、やれよ――入れて――ゆっくり――抉るように、回してやれ――」
				夏生はすがるような視線を上げた。ねっとりと熱い窪みに指の先がぬめり込む。指までが夏生の意志にかかわりなくうごめいていた。熱くまとわりつくものを捏ね回すようにくねる。濡れた襞をまさぐり、穿る。
				もっと‥‥もっと、と刺激を貪り込む指に駆り立てられるように、夏生は激しく腰を揺すっていた。それでも、これが、快感とは思えなかった。
				「あァ‥‥いや‥‥」
				熱い息が、ゆるんだ口に弾む。
				「いやはないだろ。感じると、言えよ。たまらない――だろう」
				低い声は、嗤いを含み、耳の底をくすぐった。
				「壱岐‥‥さん‥‥」
				「右手で――そっとタマを握ると――もっとたまらなくなる。そう――摺りあわせる――ゆっくり――焦らすように――」
				言われるままに手を動かしながら、ふと、それが壱岐の手であるような錯覚に陥いる、とたんに疼き上がる熱いうねりに、夏生はすすり泣いた。
				「ああっ‥‥」
				「声を――呑むなよ――聞かせろよ――」
				「こん‥‥な‥‥」
				どうして‥‥
				「たまらない――だろ――」
				壱岐の声は、嗤う。
				激しく突き上げるように腰を悶えさせながら、夏生は押さえていた声を放った。
				あとは、とめどがなかった。
				壱岐の声に誘われるままに――その視線に煽られるように揉みしだいていた。
				たわめ、しなわせ、我を忘れたように、狂い立っていった。
				
				
				
				その日も夕方になって、ようやく家に帰った夏生は咎めるような視線で迎える母親の声を背に階段を駆け上がる。部屋の鍵をかけ、ベッドに倒れこみ、枕元のCDプレイヤーに腕をのばす。
				FMのコンサート放送が流れだすのを確かめ、ボリュームを上げる。
				クラシックが好きなわけではなかった。クラシックなら多少音量を上げても文句は言われない、それだけのことだった。
				ベッドに腹這ったまま、背中にあてた手をベルトをゆるめたズボンのなかに滑り込ませる。背筋をたどり、狭間に押しつけた指に、だが、あの感触は湧き起っては来なかった。腹のしたに差し込んだ手で、握りこんだものをやわやわと揉み立てながら、後ろに押しつけた指の先をわずかに突き入れて見る。微かな不快感を覚えただけで昂ぶり上がるものはなかった。
				夏生は動きを止める。
				「どうして‥‥なんだよ‥‥」
				それ以上のことを、する気にはなれなかった。それでも手の中には壱岐の寝室で味わった官能の残滓がくすぶり続けている。
				結局、壱岐は触れようともしなかった。
				その声と、視線に煽られるままに痴態をさらした夏生が自らの手で果て、つかの間の陶酔から覚めたとき、壱岐はもう眠っていた。勝手にシャワーを使い、冷蔵庫をあさり、午後になってようやく壱岐が起きてきたときにはソファで眠っていた。物音に目覚め虚脱したようにその姿を目で追う。
				「壱岐さん‥‥」
				「いい加減、帰るんだな――」
				視線を合わせようともしない壱岐の冷ややかな横顔に逐われるようにマンションを出た、夏生は午後の熱気の中で、またしても何の約束もなく別れたことに気付いた。
				全身が鉛になったように重怠い。もう、どうでもよかった。足元に目を落とす。そこに、鉛が融け落ちたように暗い影が小さくわだかまっていた。歩きだせば、足の裏から少しづつ融け落ちていくのではないか‥‥
				いっそ、全身が融け落ちて、消えてなくなったらいい‥‥ぼんやりと歩きだす、夏生は他に行くあてもないまま図書館にきていた。家に帰りたくなかった。
				閲覧室で読む気もない本を前に時間をつぶし、閉館のチャイムに逐われて図書館を出たのだった。
				こんなこと‥‥していて、いいのか‥‥
				壱岐に会って八日、以来まったく受験勉強に手がつかなくなっていた。机に向って、ふと気が付くと、手は股間をまさぐり、思いは壱岐の上に飛んでいる。今では机に向かう気にもなれない。
				胸の奥にどす黒くわだかまる不安とは裏腹に、満たされないものが体の奥でくすぶり続けていた。
				されたい‥‥
				‥‥思いっきり‥‥
				悶えるように身を捩り、寝返りをうった。夏生は胎児のように腰を折り、また、股間のものを弄びはじめる。
				「助けてよ‥‥壱岐さん‥‥」
				薄闇のおりはじめた部屋の中で、夏生はすすり泣いていた。
				
				
				
				玄関ホールに入った夏生はそこに立ち尽くす。壱岐のものではない靴がある。人がいる。それでよければ上がってこいよ――インターホンで壱岐は言った。わかってはいたが、闇雲に壱岐に会いたい、それだけの思いで上がってきてしまったことへの後悔がわずかに胸を噛む。
				三日振りだった。
				図書館に行くと家を出て、また留守だったらと苛まれる思いで壱岐のマンションにきた、夏生は、いると知って帰ることは、できなかった。ようやく、会えるのだ。
				だからといって、どうするあてがあったわけではない。上げてくれるのだから帰るまで待つ‥‥つもりだった。
				壱岐の顔を見たとたん、股間に疼き上がるものに、泣きそうな顔を上げる。
				例の、薄笑いを浮かべた顔が近づく。股間にのびた手がズボンの上から夏生のものを揉みしだいた。
				「誰かいるって‥‥壱岐さ‥ん‥‥」
				咎めるような夏生の声が喉につまる。
				「だから?――」
				「待って‥‥ます‥‥帰‥るまで‥‥」
				「帰るまで?――ここはそんなに待てないみたいだがな――」
				揶揄を含む、壱岐の指がファスナーを下ろし、硬く立ち上ったものを引き出した。絡みつき、湿りを帯びた先端をぐりぐりと圧しなぶる。
				「ああっ‥‥あ‥‥」
				疼き上がる快感に腰を打ち据えられて、夏生は壱岐の腕にしがみついた。
				「やめて‥‥そんなつもりじゃ‥‥」
				背をたわめ壱岐の胸に額を押しつける。
				「じゃあ――どんなつもりで来たんだ?――」
				「話‥‥が‥‥」
				シャツのしたに滑り込ませたもう一方の手で乳首を摘み、責めるように弄んでいた壱岐が低く嗤った。
				「いいよ――話せよ――」
				「壱岐‥‥さん‥‥」
				夏生は、なじるような視線を上げた。それきり、言葉は途切れる。荒い息をもらしながら腰をつき上げるように仰け反った。その夏生の背を凍らせて、声が響いた。
				「克美――何をしている。客なら上がってもらえよ――」
				「だとさ――来いよ――」
				つと、壱岐が離れた。支えを失って夏生がよろめく。
				「壱岐さん‥‥」
				奥に向かいかけた壱岐が肩ごしに振り返る。
				「帰るか?――」
				うつむいた、夏生はのろのろと靴を脱ぎ、熱く疼くものをしまおうとした。
				「しまうなよ――そのまま、来いよ――」
				「え‥‥」
				ぼんやりと顔を上げる。廊下の照明の下に歪んだ笑みを浮かべた壱岐の双眸が底光を帯びて夏生を見据えていた。
				息を呑む、夏生がかすれた声を絞りだした。
				「嫌だ‥‥そんな‥‥」
				「じゃあ、帰るんだな――」
				突放すように背を向ける壱岐に、呆然と立ち竦む。もう来るな――と言われているような気がした。夏生の胸を怯えがかすめる。もし、そうなったら‥‥どうしたらいい‥‥怯えに、背を押されたように、夏生は歩きだしていた。
				自分を、克美と呼び捨てた男を、壱岐は紹介しようともしなかった。
				テーブルの上から床までを何かの草稿らしい紙片で埋めて、ソファに陣取った男はどこか壱岐に似ていた。リビングに入ってきた二人に視線を上げた男は、夏生の股間に目を止めると開きかけた口を閉ざした。
				わずかに年上で、背は壱岐より低いだろう、上着をソファの背にかけ、Yシャツの袖をまくり上げた、その男の舐めるような視線の前に、夏生は体を強ばらせる。
				ただ、壱岐の機嫌を損ないたくない――
				たったそれだけのことで‥‥とっくにどうかしてしまったのだ――と、自らに言聞かせながら、だが、人前に、欲望も顕なものをさらす羞恥と屈辱に、火照った全身が音を立てて脈打っていた。
				壱岐さん‥‥
				すがるように思う相手は背後に立ち、夏生の腰を抱えるように前に回し股間に下ろした片手でいきり立ったものの形をなぞっていた。触れるか触れないかの、その感触に、夏生の背中を戦慄が伝い落ちる。
				「その調子だ――もっと腰を振れよ――」
				ぞろりと耳をなめ上げ湿った息を吹き込む、壱岐の言葉に、夏生はいつか自分が小さく腰を振りはじめていたことに気づく。
				こんな扱いを受けているのに‥‥それでも、感じて、しまうのだ‥‥
				疼き上がる熱いうねりに酔ったように腰を揺らしながら、次には何をされるのか‥‥いつか期待を胸にくすぶらせている自分が、いる‥‥それまでとは違う羞恥に、顔が燃えた。
				思わず呻き、うつむく。その、落とした視線の先に怒張したものが、もたげた鎌首をビクビクと震わせていた。二つの球と茂みまでが引き出され、壱岐の手にやんわりと嬲られている。
				着衣のままそれだけが露出されているのがいっそう淫らだった。
				滑稽だった。
				「どうした?どうして欲しい?――」
				耳元にささやきながら狭間をなぞる壱岐の指が、ズボンの上から抉るようにそこを突き上げた。
				鋭く喉を鳴らして腰を浮かす、夏生は壱岐の腕の中から逃れ出ようとするように上体をのめらせた。鉄罠のように股間に食らいついた壱岐の手をつかむ、夏生の爪がその肌に食い込む。
				「いや‥‥だ‥‥」
				「いや?――止めて欲しいのか?――」
				薄く嗤う、壱岐はしかし股間をとらえた手をゆるめようとはしなかった。左手で握り締めた双球を擦りあわせるように揉み込みながら、右手の指はさらに強く抉り上げてくる。弱々しく首を振りながら、だが、峻烈に股間を噛み上がる快感に、夏生はすすり泣いた。
				「やめ‥‥て‥‥」
				「やめて――いいのか?――」
				スッと手の力を抜く壱岐に、喘ぐ。
				「違‥‥う‥‥だめだ‥‥」
				「だめ?――何が?――」
				「やめ‥‥ないで‥‥いかせ‥‥て‥‥」
				夏生のそれは壱岐の手のなかで上りつめ、弾ける瞬間を待って熱く脈打っていた。他人の目も、もうどうでもよかった。ただ、いかせてほしかった。
				「いい加減にしろ――続きは寝室でやれ――」
				苦々しげな男の声が、その夏生の背に水を浴びせる。
				「そそられたか?――」
				壱岐の声が嗤った。ネクタイをゆるめた男は黙殺して書類に視線を落とす。
				「いまさら、堅ぶるか?――」
				からかうような声を夏生の耳に吹き込みながら小刻みに指を動かす。
				「壱岐さん‥‥」
				ふたたび滾り上がってくるものに腰を灼かれ、夏生は悶えた。
				「ここに――入れて欲しくはないか?――」そそのかすようなささやきに、ゾクリと、痺れるような疼きが走る。そこに、ズボンの上から加えられる刺激がもどかしかった。
				欲しい‥‥
				不意に、灼けつくように、そこに、壱岐の手が欲しかった。壱岐の手でおもいきり、されてみたい‥‥
				「し‥‥て‥‥」
				「何?――」
				「入れて‥‥ほしい‥‥」
				「彼なら――入れてくれる――」
				「おい――」
				うんざりしたような顔を上げる、男の目はだが、淫靡にぬめる。夏生は、衝撃に痺れた頭の芯でそれを認めた。
				壱岐以外の男の手で‥‥される‥‥一瞬、肌がざわめく。嫌だ‥‥
				それは嫌悪感以上の、恐怖だった。
				その思いはだが、うねりあがる官能の疼きに押し流された。
				「どうする――」
				そそのかす、声が耳に熱い。
				手は休むことなく股間をまさぐり、痺れるような快感は高処に弾けることなくジリジリと腰を炙り続ける。
				「入れて――欲しい、か?――」
				欲望は満たされないまま、壱岐はどこまでも夏生を追いつめる。ヒリつくような痛みさえ感じて、夏生はすすり泣いた。己れを弄ぶ手に摺りつけるように、淫らに腰をゆすりながら、考えることもできなくなって、夏生は首を振った。
				「何?――」
				「入れて‥‥いか‥せて‥‥」
				背に被いかぶさるように、耳元に口を寄せた壱岐が、低く、嗤いを吹き込む。
				「ズボン――脱げよ――」
				ぎくしゃくとベルトをはずす、夏生は言われるままに、ズボンを脱ぎ落とした。
				下半身を曝した夏生の背を、壱岐が押す。脱ぎ落としたズボンに足首をとられ、よろめく、夏生は床に膝をつき四這いになっていた。
				「壱岐さん‥‥」
				見上げる視線の先を、壱岐の背が離れていく。
				ソファに歩み寄った壱岐は男の前のテーブルから一山の書類を取り上げた。
				「これは、もういいんだな――」
				「おい――」
				「急ぐんじゃ、ないのか――」
				夏生には視線も向けずリビングを出ていく壱岐に、男が苦々しく舌打ちした。
				リビングに置き去られて、二人はどちらからともなく視線を合わす。ねっとりと絡みつく視線の前に、夏生は首を垂れた。
				まだ、昼にはなっていなかった、盛夏の日差しは高い。ベランダのむこうの空はうねるように白い。カーテンを開け放したリビングは冴々と明るかった。
				その明るいリビングの床に、放り出された体の疼きを抱え込むように蹲った、夏生は不意に咽ぶように笑いだした。
				やがて、息を切らしたように静まる。
				「それで‥‥して‥‥くれるんですか‥‥」夏生の声に期待する響きはなかった。
				男はソファに背を沈め、思いの知れない視線を向ける。
				「そそられないとは言わないが――普通の社会人は平日の真っ昼間、高校生の尻なんかは掘らないのさ――」
				「ふつう‥‥ですか‥‥」
				かすかなあざけりを込めて反問した夏生はふらりと立ち上る。
				「浴室‥‥かります‥‥」
				誰にともなく断り、ズボンを手に、もつれるような足取りでリビングを出た。
				
				欲望の残滓が洗い流され、こもった異臭がうすれていくなかで、冷たいシャワーの下に立つ、夏生はぼんやりと壱岐のことを思う。壱岐に勃起させられたものを、自分の手で絞り尽くさなければならなかったのは、これで何度目だろう‥‥
				思い返してみるまでもない。壱岐と会うこと自体が五回目でしかないのだ。
				信じられない‥‥思いに、虚ろな笑声を上げる。そのどの時にも、満たされた思いを味わうことはなかった。壱岐によって知らされた灼熱感はより深い渇きを生んだだけだった。
				もっと‥‥
				もっと、と、貪るように通う夏生を、壱岐はだが手の先で踊らせるだけで、抱こうとはしない‥‥
				壱岐さん‥‥
				わからなかった。自分さえがわからない。求めているのは、あの灼熱感なのか。壱岐に抱かれることなのか。泣きたいのか、
				もう、泣いているのか‥‥
				顔を、胸を、股間をうって流れ落ちていく水流を浴びて、夏生は立ち尽くしていた。
				その、夏生の背後で浴室のドアが開いた。何気なく振り返ろうとした夏生を素早く歩み寄った男が突き飛ばすようにタイルの壁に押しつけた。
				上擦った悲鳴が喉を鳴らす。夏生は反射的に身を捩って逃れようとした。圧拉ぐようにのしかかった男の膝が強引に股間を割って押し込まれる。抵抗する間もなかった。夏生はヤモリのように壁に貼り付けられていた。
				壱岐より低い分、肉の厚い男の体は重かった。力の差は歴然としていた。その上、押しのけようとあがく手足は濡れたタイルに滑り、力は空しく削がれていく。押しつけられた胸にシャワーの栓が当たる痛みに背をたわめ、夏生はすすり泣いた。
				「やめて‥‥痛い‥‥」
				だが、夏生の訴えは黙殺された。
				背後から抱き竦めるように回された手が、素肌を味わうように胸をまさぐる。
				「入れて、欲しいんだろう。してやるよ――」
				左右の乳首をつまみ、指の腹で転がしながら、男は首筋を舐めるようにささやいていた。
				「嫌だ‥‥」
				「自分から挑発しておいて――それはないな――」
				物柔らかな、幼児を戒めるような声音を淫靡にひずませて、男は片手を薄い下腹に滑らせた。夏生は思わず腰を退き、意図せず股間に押し込まれた男の大腿の上をずり上がった。そして、そこに、堅くあたるものに、かすかに喘ぎ、喉を震わせた。
				男がのしかかった上体にさらに体重を乗せる。シャワーの栓が胸に食い込む。痛みに、両手で、膝で、タイルの壁を必死に押し戻す、夏生には肌を嬲る手を払い除ける余力はなかった。なす術もなく男の愛撫に身を任せる、夏生の、自分の手で果て、冷たいシャワーにようやく鎮まった体が、ざわめきはじめていた。
				嫌だ‥‥
				もう、嫌だと思いながら、夏生のものは期待に、脈打つ。
				それをさらに煽るように、男の手は濡れた肌に吸いつき、執拗に撫でまわしながら股間に滑り落ちていく。まだ薄い茂みをかきなぶり、期待に熱く疼くものの形を確かめるようになぞりながら絡めていった指を、ゆっくりと、握りしめた。
				「君はこうされるのが好きらしいな――」
				二つの球をすり合わせるように揉まれ、夏生の肌を戦慄が走る。ゾクリと股間を噛み上がる快感のうねりに思わず腰を浮かせ、せつなげに呻いた。
				密着して擦れ合う男の肌が熱い。押しつけられたシャワーの栓との間で、胸を串刺しにされたように、腰だけが、淫らに踊りはじめていた。
				「ああ‥‥」
				唇に這う甘い吐息はしかし、じきに喉につまったように途切れる。じわじわと力を加え続ける男の手に、しだいに強くなる痛みが耐えられないまでになった夏生の背が捩れる。声にならない悲鳴を上げ、夏生は全身を引きつらせた。
				「‥‥や‥‥めて‥‥」
				辛うじて声を絞る、その哀願に、ようやく男の手がゆるめられた。夏生はぐったりと力の抜けた背を荒い息に波打たせる。だが、それで開放されたわけではなかった。
				男はなおも、手の中にとらえたものを、やわやわと弄ぶ。
				もう片方の手が背筋を伝い落ち、男の膝で強引に押し開かれた狭間に差し込まれる。
				吸いつくように押しあてられた男の指がゆっくりと、熱い粘膜を抉るように、そこにぬめり込んだ。
				その衝撃に、一瞬、息を呑み硬直した、夏生の腰が前に逃れる。途端に、双球を握り込んだ男の手に力が加わる。夏生はかすかに喘ぎ、動きを止めていた。