サンセット・ダンシング / 淫乱遊戯・後
板敷きの床に点々と白濁が散り、
異臭が立ちこめる――
もう‥‥何度いったのか‥‥
放つものは尽きても間断ない刺激は止まない。繰り返される快感はいつか苦痛に変っていた。腰は砕け、脚も萎え、動きは緩慢なものだったが、
それでも、なお快感を貪らずにはいられないかのように腰を蠢かせていた夏生の中で、暴れ回っていたものが不意に、静まった。
後手に手首を拘束していたベルトが外される。肩にかけられた手に仰向かされ、胸のベルトが外された。
壱岐‥‥さん‥‥
意識せずに呼びかけたのか、のぞきこむ顔が苦笑した。
体の中から重熱いものが引き抜かれ、突然、体腔が空になったような空虚感に襲われる。
夏生はその空虚感の中を漂っていた。
再び、視界に男が現われ、腰のうえに濡れたタオルを落とした。その冷たさに、浮遊していた意識がわずかに引き戻される。
「拭けよ――」
言い捨て、離れていく男に、夏生はのろのろと起き上がった。
体を拭き、這いずるように床を拭く夏生を、男は寝台に長々と横臥して見ていた。
拭きおわり、がくがくする脚で立ち上がったとき、視線を自分に向けながら、男が何か別のものを見ているような気がした。
夏生にはどうでもいいことだった。汚れたタオルを手に、寝室を出る。
だが、浴室にタオルを置きにいったことでまた少し意識がはっきりしてきたせいか、脱ぎ捨ててあった衣類を着ながら、ふと、そのことが気になった。
男は、今は仰向けに横たわり無表情に宙を見据えている。
「何を‥‥見ていたんですか‥‥」
「何を?――」
男はだが、機械的に反復しただけだった。気力を挫かれた夏生は、毛布を取りに戸棚に向かう。その背を、どこかうわの空の、男の声が追った。
「君は――いつまで、ここにいる?――」
その言葉に、戸棚からひっぱりだした毛布を抱えたまま夏生は床に坐りこんでしまった。
「もう‥‥そそらないからですか‥‥」
落胆と不安をにじませた声で、呟く。
「何?――」
わずかに首をもたげ、男が夏生を見た。
「出ていけと‥‥いうことでしょ‥‥」
部屋の隅からすがるような視線を向ける夏生に、眉をしかめた。
「好きなだけ――いればいい――」
「そそら‥‥なくても?‥‥」
「そんな言い方はやめろ――」
うんざりしたように吐息し、頭を戻す。
「あれは――君と、克美がダブった――本来、俺はストレートだ、言ったろ――君にはそそられないんだよ――」
「壱岐さんと?‥‥やっぱり‥するんだ‥‥」
「ばか言え――あいつが、させるか――」
男の声には自嘲するような響きがあった。
「親父にだってな――今のあいつなら――させなかったろうが――」
その声の何が、夏生にそれを言わせたのか、
「あなた‥‥壱岐さんが好きなんだ‥‥」
口をついて出た言葉に、夏生自身が驚いたとき、男が片肘をついて、もたげた上体を向けた。
初めて見せる、暗い陰りを帯びた顔が、そこにあった。
「そんなところが‥‥克美をその気にさせたんだろうな‥‥そう――俺は奴が好きだよ。初めて、岩間の家に引き取られてきたあいつに会って以来――俺はずっと――あいつに惹かれ続けてきた――」
どこか気弱げに自嘲した。
「十歳のガキがな――祖父が死んだ翌年だった。認知はされていたが、籍は入っていなかった――祖母に反対されてな――奴の母親が癌で死んで、仕方なしに当時戸主だった親父が引き取った――」
男が言葉を途切らせた。その顔に戸惑ったような表情が、浮んで――消える。
男はドサリとマットに背を落とし、夏生の視界から消えた。
「奴は離れで寝起きして、おれたち甥どもは行くことを禁じられた――しかし俺は学年が一緒だったし――クラスまで同じだったからな――」
「学年が一緒?‥‥」
「同い年だ――」
「え‥‥?‥‥」
「見えないか?――」
男が低く嗤った。
「あの頃は――俺の方が、ガキに見えたがな――俺よりデカい――それは今でもだが、大人びた、いやな奴だった――成績もよかった――俺は中の上というところだったが――奴は転校してすぐに、トップになりやがった――ほとんど、万能だったな。スポーツは――」
静かに追想を語る男の声は、優しくさえ、あった。
「ほとんど?‥‥」
「水泳だけは――決して出ようとしなかった。はじめは仮病を使っていたが――それが通らなくなると勝手にフケるようになった――あこがれたね――叔父だと思えば、誇らしかった――」
夏生は、毛布を抱えたまま床に転がる。意識が、冴える。痺れた腰の疼痛が遠かった。見つめる寝台から声だけが流れてくる、その声が夏生の全身に、沁み入ってくるようだった。
「中学でも、同じだった――奴は陸上をはじめた――俺はバスケだったが――いつも一人でトラックを走っていた――別々になったのは高校からだ。奴は公立、俺は私立、そのままストレートでT大の法科だ。俺は一浪してそこそこの私立――同じ家で暮らしながら、もうほとんど顔を合わすこともなかったが、たまたま街で見かけ、後をつけた――このマンションに入った――岩間の表札があった。ウブだったんだな――わけもわからず、割り切れなかった――家族の誰も知らない親父のマンションに奴が入った――親父が家にいるときにキーホルダーをくすねて合鍵を作った――休講があったとき、こっそり、ここにきた――誰もいないかと思ったら、靴があった。親父と、奴の――二人は俺が入ってきたことに気づかなかった――親父は奴に夢中だったし、奴は目隠しまでされていたからな――この前の君と同様――ソファに括り付けられて――よがっていた。衝撃だったね。脚が竦んで――動けなかった。奴を焦らすために親父が浴室にいった隙に、帰ろうと思ったが――傍にいって、もっとよく見たくなった――そそられたね――初めてだった――あんなふうになったのは――しばらくは思い出すたびにビンビンに立って、困ったものさ――あの手触りは――今でも、忘れられない――」
「手‥‥ざわり‥‥?‥‥」
「奴のタマを――揉んでやった‥‥」
その途端だった。夏生の股間で萎え果てていたものが熱く、脈打った。それをされた時の記憶がまざまざと、体に甦る。そこを貫いた峻烈なまでの灼熱感――仰け反り、腰を捩り、喉を絞り上げ、それでも達することのできなかった、気も狂いそうなもどかしさ――夏生は再び疼きだしたそれを両手で握りしめ、声を殺して啜り上げた。
「こいよ――」
男の声が、静かに響いた。
何を言われたのか――わからなかった。
ぼんやりと振り仰いだ視線の先で、起き上がり寝台から足を下ろした男が服を脱ぎはじめていた。
「感じてしまったんだろう――こいよ――してやるから――」
がくがくする脚を踏みしめて、夏生は立ち上がった。
手早く着衣を脱ぎ落とし寝台に腰を下ろしたまま待っている男に歩み寄る、夏生はだが触れ合うほどには近寄らなかった。
少し手前で立ち止まった夏生は男の突然の優しさに戸惑い、今にも泣きだしそうな顔で、そこに立ち竦む。
男は無言のまま腕をのばした。
その腕に促され、怖ず怖ずと男の膝の間に立つ、
夏生の着衣のボタンが外されていった。
ズボンの前を開くと、男は胸元に差し入れた手をゆっくりと肌に滑らせる。
胸の小さな隆起を転がすようにまさぐり、肩から背中へと、シャツを払い落として素肌をさすっていく温かな、感触‥‥
夏生は微かに身を震わせた。口に、熱く、吐息が這う。
あらわになった背筋をしっとりと撫で下ろした手に、双丘が包み込まれる。ズボンが、滑り落ちた。
昂ぶりが、男の眼前に曝け出される。
突然の羞恥に身動ぐ、夏生の前に、男の背が屈められ、
夏生は息をつめて仰け反っていた。
驚愕がかすめる。一瞬のことだった。
熱い口蓋に含まれ――吸い付くような舌に丹念な愛撫を加えられる己れに、肌が粟立つような疼きが突き上げ、その驚愕を押し流す。
「あァ‥‥はあッ‥‥」
たまらなかった。
崩れそうな膝に、思わず男の肩をつかむ、夏生は全身を硬直させて、張りつめていくものに耐えていた。
もう‥‥少し‥‥あと、少し――のところで、だが膨れ上がる期待をスルリと外して、男の口は離れていった。
夏生は失望に、かすかな呻きを洩らす。
双丘を弄びつつ狭間の奥をまさぐっていた、男の片手が内股に流れ、膝裏をすくい上げた。
片脚を脇に抱えるように、寝台のうえに上げさせた男は、抱き竦めるように、さらに夏生の腰を引き寄せる。
そして、男の大腿にまたがるように腰を落とした夏生の乳首を銜えた。
舌先で転がし、きつく吸い上げながら、手は前後から股間のものを嬲っていた。最前の玩弄にいまだ疼きを這わせているそこに蠢く指に、摺り合わせるように揉みしだかれる双球に、
たまらず、小さな喘ぎを放って、夏生は男の首にしがみついていた。
壱岐のものとは違ったが、男の愛撫はやはり、濃厚で、執拗だった。
ゆるゆるとそれを扱き上げられ、いかせてはもらえない、もどかしさに灼かれる。
早く――その瞬間を、究めたい――欲望と裏腹の激しい餓えが夏生を苛む。だが男は急がなかった。じりじりと夏生をその極みに追い上げていきながら、何かを、耐えるように眉を顰め、目を閉ざし――待っていた。
乳首を甘噛みされ、夏生は背をしなわせた。突きぬけない快感に焦れ喉を震わせる。
体内をまさぐる指を、淫らな口はさらに深く銜え込もうとするように息づく。
もっと‥‥
もっと、欲しい――のだった。腰を揺すり、背を捩り、夏生は悶える。
「入れて‥‥あァ‥‥はあ‥‥入れて――‥‥ああッ‥‥もっと‥‥入れて‥‥」
熱く――渇いた己れを、埋めてくれる何かを求めて、咽ぶように、夏生は声を放っていた。
それを、待っていたように、男の口が夏生の胸からはなれる。後ろを責めていた手が抜かれ、男は股間に下されていた脚を寝台の上、腰の横に抱え上げた。
男の腰を挾んでおもうさま開かされた両足に、夏生の腰が男の大腿の間に落ちかかる。男はしなやかな太股を抱え込むようにその腰を支え上げた。
「岩間‥‥さん‥‥」
後ろに倒れそうになる上体を、男の肩をつかんだ手で必死に支えながら、夏生は呼びかけた。
なんとか――して欲しい‥‥それだけの思いで。
なんとかして――と、咽び上げる哀願は、だが、狭間の奥に鈍い圧痛を感じたとき、口のなかに消えた。
腰を支えていた腕が弛み、
思わぬ量感をともなって、熱い、塊が、ぬめり込んでくる――
支えを失い、自らの重みで男の怒張を呑み込んでいく、夏生は圧迫感に息をつまらせた。それに追い打ちをかけて、男が立ち上がった。
「くうッ――」
苦鳴に喉を鳴らし、全身を硬直させる、夏生の爪が、男の肌を食い破る。
その一点でつながった夏生を、背中を抱き支えるように、男は寝台に横たえた。
男は、荒々しくはなかった。
だが、堅く漲ったものに突き上げられるたびに、重い衝撃が全身を貫く。萎え痺れた腰に、苦痛は鈍くわだかまる。それでも、重なりあった体の狭間で、夏生のものは確実に昇りつめていった。
熱い吐息に充たされた部屋のなかに、啜り泣くような声を洩らして夏生が果てたとき、男もまた、夏生の中で果てていた。
その一瞬、白熱する灼熱感の中で、夏生は男の吐息を聞いた。
克美‥‥
――と。
皓々とした照明の下に、荒い息を這わせながら弛緩した体を横たえる、夏生は男の背に回した腕を解こうとはしなかった。
男が身動ぐと、その肌のぬくもりを貪るように、さらにきつく手足を絡めていく。
「どうした‥‥まだ、したりないか‥‥」
苦笑混じりの吐息に、かすかに首を振り、
「ただ‥‥こうしていたい‥‥」
呟いた。
男のものが、そこを、充たしている‥‥
体のなかに、男を感じ続けていたかった。
「壱岐さんは‥‥知っているんですか‥‥」
「知っている?‥‥」
「あなたに‥‥見られた‥‥あれを‥‥揉まれた‥‥」
そして‥‥と、夏生は胸に呟く。
これほどに‥‥思われていることを‥‥
男は、しばらく、応えなかった。
やがて、
「あの後‥‥もう一度、ここにきた‥‥何もかも、ぶちこわしてやりたくてな‥‥つくづく‥‥おれ達は、間が悪くできているらしい‥‥奴が――いた‥‥」
静かな、苦笑を含むような男の声に、だが、夏生の胸が疼いた。
「あいにく、目隠しはされていなかった‥‥さっきの君と同じ姿で‥‥へたばっていた‥‥そこらじゅうに、撒き散らして‥‥言い訳も何も利くもんじゃない‥‥」
咽ぶように、嗤った。
「狼狽して声もでない俺に、奴が聞いた‥‥前にも、来たか――来た――俺が答えると、顔を背けて、さっさと帰れ――言った。木偶のように言われるままに帰った――俺は‥‥確かに、ぶちこわした‥‥」
夏生の上で、男が身を強ばらせた。何かを、耐えるように。
嗚咽を――こらえたのかもしれない。
やがて、
「たまらんな‥‥」
苦笑混じりに吐息する。
「ともかくも‥‥そういうことだ‥‥あれ以来、奴は、何をされても、感じなくなったそうだ‥‥女のようにされ続けて‥‥男も、立たなくなった‥‥笑いながら、言いやがった‥‥それからじきに、奴は岩間の家を出た。祖父からある程度の遺産は残されていたが、成人するまでは後見の親父が管理して自由にならなかった――自由になって――奴は、おれ達を、捨てた――」
「岩間さん‥‥」
「泣くなよ――」
腕をついて、上体を反らし夏生の顔をのぞきこむ、男は指先で夏生の頬を拭った。
「ものごとは‥‥なるようにしか――ならん‥‥」
ゆっくりと、体をずらした。
夏生は、もう逆らわなかった。静かに、男に絡めていた手足を解いた。
「君は――気のすむまで、ここにいればいい――生活費は、貸してやる」
「どこへ‥‥」
「シャワーだ。君も、来るか?――」
男が肩ごしに、悪戯っぽく微笑いかけた。
二人は、
熱いシャワーの下で、ひとしきり戯れるように、体を洗い合った。
欲望の残滓をすっかり洗い流して、だが夏生も男も、シャワーを止め、浴室を出ようとはしなかった。シャワーの下に、どちらからともなく、寄り添う。
夏生は、降り注ぐ水流に全身を打たれながら、陶然と、男の肩に頭を預けた。
ただこうやって、体を合わせていることが、どうして、これほどに心地よいのか――
「おかしいな‥‥」
ふと、口をついて出た、言葉に、
「ん‥‥」
男は生返事を返す。
腰を抱えるように前に回された男の手は、夏生のものを包み込み、その手触りを楽しむように玩んでいた。
「あなたは‥‥ぼくが、壱岐さんにダブるって言ったけど‥‥ぼくは、ずっと、あなたを壱岐さんとダブらせていた‥‥みたい‥‥だから‥‥」
「そうか‥‥」
「さっきのあれ‥‥初めて‥‥壱岐さんのを揉んだとき‥‥したいと思った、ことでしょ‥‥ぼくも‥‥ずっと‥‥」
男の指に力がこもる。腰が萎えそうな甘い痺れに股間を噛まれて、言葉が途切れる。
「入れて‥‥いいか‥‥」
男の囁きに、堅く腰にあたるその感触に、夏生は嫣然と微笑した。
「入れてよ‥‥」
背に回した手で自ら誘い込むように、双丘の狭間を押し開く。
「‥‥入れてよ‥‥岩間‥‥さん‥‥」
男がわずかに身を沈める。
熱く漲り立った男の先端を、夏生は手を添えてそこに、あてがった。
「ああ‥‥」
男の腰がゆっくりと送り込まれる、それにつれて体を貫いていく、その楔の熱さに、夏生の喉が震えた。
全てを、男が夏生の肉に埋めたとき、夏生は爪先立ち腰を折るように胸を突出し、わずかに反り身になった男の腰の上に乗っていた。その結合の深さに、夏生の息がつまる。
膝を曲げ夏生の足を床に下ろした、男はゆっくりと腰をローリングさせる。
男の腰に揺すり上げられるたびに、夏生は背をたわめ、首を打ち振った。
熱い肉が、擦れ合う。
片脚の付根を抱えて差し込まれた手に股間をなぶられ、のめりそうになる胸を支える手に乳首を玩ばれ、乱れあがる吐息は降り注ぐシャワーの水音にかき消される。
二人は腰のその一点で繋がり合ったまま、うねり上がる官能の波に、ゆるやかにゆらぐ海草のように体をしなわせていた。
それは、いつ果てるとも知れぬ、淫靡なダンスだった。
「あなたって‥‥嘘つきだ‥‥」
「否定はしないが――よくわかったな――」闇の中にものうく声が返る。
浴室から戻ったとき、男はもう夏生にソファで寝ろとは言わなかった。気怠い陶酔の残滓をまつわらせたまま二人はベッドに倒れこんでいた。
「本当にストレートなら‥‥誘われても男とはしない‥‥でしょう?‥‥その上、名刺までくれた‥‥」
「克美の、マンションでのことを――言っているのか――?」
「壱岐さんにダブるとか‥‥本当は、どうでもいいんだ‥‥でしょ‥‥」
「まあな――相手に飢えてる男は――木の穴にでもつっこむものさ――」
「木の‥‥穴ですか、ぼくは‥‥」
夏生がクツクツ笑った。
どうして‥‥
腕を上げるのも億劫なほど疲れていた、それでも眠れない。気分が――昂揚していた。
「それほど、固くは、なかったがな――」
「でも‥‥壱岐さんには‥‥似ていない‥‥」
思いは、常に壱岐の上に回帰する。
もっと‥‥壱岐のことを聞きたい‥‥それとも‥‥壱岐のことを語る男と、この時を共有していたいのか‥‥この昂揚した気分のなかに浸っていたい、だけなのか。
だが、
闇の中で、男が黙ったまま、会話が絶えた。やがて、微かな吐息が落ち、男が起き上がった。
「岩間さん‥‥」
「飲みたい気分だ――君は寝かせてくれないし――」
足音が離れていき、リビングに照明がつけられた。
火を慕う羽虫のように、夏生はリビングの入口に立つ。
男はキャビネットから取り出したボトルとグラスを前にソファに身を沈めていた。
「ぼくも‥‥飲みたいな‥‥」
「未成年だろ――」
「ブランデーですか‥‥」
テーブルの前の床に腰を下ろした夏生はボトルをつかみ寄せた。手のなかのグラスから一口含むように飲み下した男は煙草に火をつけ、組んだ脚の先に夏生を眺める。
「似てなくもない――当時は奴も、君に似て、可憐だった――」
言って、さすがに気が差したか、男が顔をしかめた。一瞬のことだった。
「聞いてるほうが‥‥恥ずかしくなる‥‥」
どこまでが本気で、どこからが冗談なのか、グラスごしに人を食った笑いを浮べる男の顔を、立てた膝に顎を乗せて夏生はなじるように見上げた。
「この前の克美は――当時の、親父を――思い出させた――」
男が置いたグラスを掠めるように取ってブランデーをついだ、夏生は舐めるように口に含む。男は止めなかった。ほのかに甘い痺れるような香気が喉の奥に沁み入っていく。
「どうして‥‥また、合うようになったんです‥‥」
その問に、男の笑いが苦みを帯びる。
「親父が――死んだ。三年前だ。が、家には二度と足を向けなかったが――葬儀にも出ない」
腕をのばし夏生の手のなかからグラスを取り戻し、一気に飲み干す。
「――まあ、無理もないが、親父の葬式にかこつけて押しかけた。以来だ。奴はフリーターとはいえ祖父さんの資産で食うには困らない、オレが泣きついて仕事に引きずり込んだ。翻訳でもDTPでも何でもこなす。頭だけはいいやつだからな――」
手の中のグラスを眺める、男の口が自嘲に歪む。
何かを断ち切るように、空になったグラスを置き、男はソファを立った。
「壱岐さんは、知っているんですか‥‥」
何を――と問い返す声はなく、夏生の期待は宙に浮く。
無言のままに、明るいリビングを突っ切り寝室の闇に呑まれる後姿を、夏生は追った。寝台に横たわる男の気配に、闇を手探りする。
まだ‥‥寝ては、いやだ‥‥
肉厚い胸が指の先に触れる。その胸にすがるように、肩に腕を回し寄り添った。
「まだ‥‥壱岐さんと、したいですか‥‥?」
男は答えなかった。
「まだ‥‥ぼくは壱岐さんの‥‥代用品‥でしかない‥‥?」
夏生の下で、男が吐息した。あるいは、ひそりと嗤ったのか――
「俺は――違うのか?――」
その言葉に、つと、夏生は声を呑む。
「おれ達は――奴のことばかり、話しているな――」
「岩間さん‥‥」
男の腕が、背に回される。
「‥‥ずるい‥‥」
「いくら――ずるく立ち回ってもな――逃げ切れない、ものがある‥‥」
男の指が、泣きじゃくる子供をあやすように、夏生の髪をかき回した。
子供のように扱われて、急にこみあげてくるものに、夏生は咽ぶように嗤った。
「ばか‥‥みたいだ‥‥」
「そう――だな‥‥」
闇の中に、吐息が落ちた。