双影記 /第2章−4



 深更――

 寝付けぬままに、ルデスは執務室の書架に、並ぶ本の背に、視線を這わす。壁面を埋めた無数の本の中央でひときわ大部の書籍が目を引いた。
 小柄な者には一抱えはある、大部の書籍は豪華な装丁がなされ、テシャの技術の高さを見せつける。既に二十冊近い本――毎年、一冊、二冊と、ルデスに請われるままにカイワンが運び来たった、それらの書籍だった。
 背表紙に並ぶ金を捺した文字。己が思いをたどるルデスの視線は、だが、ただ文字の上を滑っていく。
 今年の滞在でカイワンが見せた微妙な陰り。伴われた医師アフォラ。突然かけられたテシャへの誘い。くどいほどに示された来年の再訪――
 ――では‥‥来年は、ないのだ。
 アフォラは――はなむけだったか――
「まさかと、思いたいが‥‥若気の至りだったな‥‥。獅子を呼び込んでしまったか‥‥」
 口中に苦く呟かれる声は、低く、自嘲に満ちていた。
 このようなときに‥‥
 思わず。拳で本の背を打つ。ルデスに、
「驚いたな――」
 背後から揶揄に満ちた声がかかった。
 一瞬にして。ルデスの上から懊悩の翳が拭われた。ゆっくりと振り返る、室内、燭台の灯りの外に、暗い双眸を煌めかせて佇む、アルデがいた。
「それは、お前にとって命の次に大事な、宝ではないのか――そのように、手荒にあつかって、よいのか――」
 常にまして冷然と静もったルデスの双眸が灯りを吸って淡い金に輝く。無言だった。
 アルデは吐息をかみ殺した。脇に下げた腕の先で拳に白く骨が浮く。
「何故来なかった。来い、と命じた――」
 ゆっくりと、灯りのなかに歩み出る。
「オダンに伝えさせたと思われるが――」
「テシャの者どもか。隠し部屋から充分、堪能させてもらった。言葉はわからなかったがな。だが――今宵はどうなのだ。奴らはもう帰ったではないか。来れたはずだ」
「明日は王が来る。数日もすれば御身が王というときに。堪え性のないお方よ――」
 一片の感情も含まない乾いた声が漏れ落ちる。アルデの上に怒りが凝った。
「ここへこい」
 強ばった声が命じる。ルデスは静かに歩み寄った。
 眼前に立つルデスの威圧感に竦み上がる己れを叱咤するように、アルデは声を張った。
「伽を命じる。わたしを抱け――」
「では。寝室におまわり頂こう」
 踵を返しかけるルデスの腕をアルデがとらえた。
「ここで。いますぐに。だ」
「ここは執務室だ。ここに。御身の匂いを、撒き散らそうといわれるか」
 低くかすれた声が微かな侮蔑を這わす。それが、アルデの心をさらに硬化させた。
「ここで――だ」
 何の感情もこもらない淡い双眸がアルデに向けられる。無言のまま肩から夜着を脱ぎ落とし、身体を戻したルデスの手がアルデの襟元を寛げ、腰の紐を緩める。そして、着ているものをずり落としながら、ひんやりとなめらかに、肌を滑っていった。首筋から肩へ、背中へ‥‥と。
 その手の下に、アルデの肌がざわめく。胸の奥が、ざわめく‥‥
「ああ‥‥」
 アルデは、目を閉ざした。
 眉根を寄せ、夢見るように‥‥呟く。
「たって‥‥いられない‥‥」
 脱ぎ落としたものの中に立つ、アルデの身体が揺れた。しがみつくようにルデスの背に腕を回す。肌が、合わされる。その、自らの腕のなかにある微かなぬくもりを、アルデは貪った。
 冷たい‥‥
 ルデスの手は腰をすべり、大腿を抱え上げてアルデを静かに横たえる。
「胸‥‥を‥‥してくれ‥‥」
 しっとりと冷たい髪のなかに手を差し込み、アルデはルデスの頭を胸のうえに引き寄せた。
 唇が胸の小さな隆起をとらえる。熱い舌にねぶられ甘噛みされ、アルデは喘ぐ。わきおこった甘い痺れに腰をとられ萎えていく下肢を開き、片腕にルデスの頭をとらえたまま、アルデは腰にそえられていた手を自らの股間に導いた。
「‥‥いかせ‥‥て‥‥」
 手はそれをつかみ、求められるままに動き始める。
 求められるままに――ルデスは仕える。以下でもなく、それ以上でもなく、優しくはある、ただそれだけの動きで。



 優しくせよ――とはアルデが命じたことだった。手荒くは慰むな――と。
 始めてロッカの砦に伴われ、王弟と知らされ、何を望むかと問われた、あの一連の、最後の夜――ルデスの望みのままに王になると応え、抱かれた――苦痛が、苦痛ではなくなった夜――あの夜のままに優しくせよと。



 あれが。ニルデアでの初めての夏――その、夏の始めだった。
 だが。あれ以後二度と、ルデスは自ら、アルデを抱こうとはしなかった。伽をせよと、アルデが命ぜぬかぎり――
 伽をせよと命ずるアルデに、従うルデスは、だが、それが望まぬことだと思い知らせるように、アルデを苛んだ。
 アルデの憎しみを煽りたてるように視線で、言葉で、その、しなやかな指先でアルデの心を、身体を、嬲り、苛み、熱く猛々しい楔でアルデを引き裂き激痛のなかに置き捨てた。
 ――どうすれば、
 どうすれば‥‥与えてくれる‥‥
 ‥‥あの優しさを。あの、温もりを‥‥
 ロッカで、始めて伽を命じた夜、アルデに問われてルデスは応えた。王になられよ――と。
 では、王になれば必ず、
 与えてくれるのか――とは、アルデには問えなかった。ただ月に一度、アルデを試しに訪れるルデスに一夜の伽を命ずる。
 命ずることは容易だった。ルデスは唯々として従った。
 ただ。命じられたことのみに。
 それでも、アルデは求めずにはいられなかった。残されるものが、ただ、苦痛と、底の知れぬ空虚さだけであっても、その間だけはルデスを、その温もりを己がものとすることができる――
 空虚は、だが、さらなる渇えを生んだ。
 アルデは渇えていた。
 ルデスに。その温もりに。
 そして、それ故に。その温もりを与えないルデスゆえに――アルデは、憎んだ。
 その憎しみに駆り立てられるように、アルデは日々に課せられたものを習得していった。王たるに必要とされるものを。王として知るべきを、武人として身につけるべきを――
 だがそれでも、
 いつか、必ず‥‥と、ひそかに唱え続ける己れがいた。
 優しくせよと命じたのは、伽を命じるようになって三度目の訪いの夜――ハソルシャの森に、秋が深まっていた。





 その前の月、
 アルデは入れ替わった後の王の処遇を、質した。
 その夜――ルデスの前には決して、四つには這わぬと告げたアルデを、ルデスは焦らしぬいた。まるで、罰でも下すように、高みに追い上げながらいつまでも弾けさせてはくれぬ手に、腰を炙り灼くとろけるような快感の疼きに、アルデは知らされた。苦痛に勝る牙があるのだと。
 そしてアルデの言葉ひとつで、熱く痺れる疼きのなかに平然と突き放し、また、おざなりな手つきであっさりと果てさせた。
 何一つ充たされることのない空漠たる思いのなかに置き捨てられたアルデが、晩夏の夜に、寒さに身を震わせる。その背にルデスは冷然と応えた。
 王は殺し――闇に葬る――と。
 その王を、殺さずに幽閉することを望んだのはアルデだった。それでも。さらなる寒さが、身内に巣食う。
 それは、しかし、添い臥しさせるだけでは癒されぬ寒さだった。初めて伽を命じた夜にアルデはそれを身をもって知らされた。
 ルデス‥‥温めて‥‥
 そう、すがりつきたい己れがいる。
 だが。身内によみがえる苦痛の記憶がそれを阻み、まだ続けよと申されるか――と問うルデスに、二つの思いの間に竦みたつ、アルデは応えることができなかった。
 冷たい汗を滴らせながら沈黙するアルデに、ルデスは問い直すこともせず寝房を立ち去った。
 それからの一月間、アルデは煩悶した。
 そして、思い知った。
 例え、それが苦痛でしかないのだとしても。己れの内に穿たれた空虚が、それを求めるのだと。かつて。そこを充たしたルデスの記憶が、それを求めて止まぬのだと。
 心の渇きとは別の、肉の渇きが、今、アルデを苛み始めていた。
 だから、三度目にルデスがロッカを訪れたとき、アルデはただ、せめて――優しくせよと命じる以外の何をも、もたなかった。
 だが、ルデスはアルデが求めないかぎり決して、自らを入れようとはしなかった。
「こればかりは。優しくはできぬ――」
 うそぶくルデスに、さらに大きな空虚を穿つにすぎない、いとなみであると知りながら――そのたび毎に、アルデは求めずにはおれなかった。
 怖れと、期待に、身を裂かれながら。
「お前のものを‥‥入れよ‥‥」
 ――と。
 そして今。アルデは二度目の夏にいる。
 不審――は、いつから根ざし始めたのか。
 王を幽閉すると望んだ時に、その種は、まかれたか。真にそれを望んだのは己れではなくルデスではなかったか――
 ことさらに酷い処遇を並べ立てることで、それをアルデに望ませたのではないか――と。





 ニルデアで、二度目の春を迎えた頃、隣国アルザロが突如、大挙して国境を侵しオルガラの城を囲みイルバシェルの野を占拠した。
 イルバシェル――両国の境をなすこの沃地をめぐって過去、幾度、戦いが繰り広げられてきたか。ラデール家の祖たるツーリが兄ローデンの即位に時をあわせ、ハソルシャに封じられたのもそれが故といってよい。両国の確執はそのほとんどがこの地に起因する。
 戦いの帰趨によって東進し西漸する国境はその時イルバシェルの西にありその地の全てがアルザロの領有するところであった。
 それを今の位置に押し戻し、終の守りとすべくオルガラの丘に城を築いたのがかのグレン・セディアでありその領有するところを王家となしたことでツーリの子セイカーとの間に根深い確執の種をまくこととなった。後の破局の遠因ともなったその一事はおくとして、以後、イルバシェルはニルデアの領土として五十年を経た。
 その間、恒例のように繰り返されたアルザロの侵攻が、だが、久しく収まりを見せていた。ルデスがその存在を広く知られ始めた頃からだった。アルザロ側に内紛がつづきイルバシェルに食指を動かす余裕を失ったためだった。
 その内紛が収まりを見せた矢先の、この侵攻――だったが、応じるニルデアの動きが鈍かった。
 ともかくも、その月、ロッカにルデスの訪いがなかった。
 アルデは焦れた。
 報せを告げたオダンに言葉にできぬ憤懣をぶつけた。
 剣に、騎馬に、この頃、既にオダンをしのぐまでに腕を上げていたアルデに強かに打ち込まれ、オダンが倒れ伏した。
「すまない‥‥」
 傍らに膝をつくアルデに、仰のき見上げるオダンの目元が微かに笑う。
「年は取りたくないものよ。――それにしても、お強くなられた――」
「まだ‥‥ルデスにはかなわない‥‥」
「それは、王も同じこと――」
 ゆっくりと体を起こすオダンに手をかす、アルデの顔が強張る。
「もし‥‥王とわたしが戦えば‥‥どちらが勝つと思う?‥‥」
 一瞬、オダンは沈痛な視線を投げる。
「――技量のほどは‥‥さして差はないと思われるが――王は既に幾度も実戦を経ておいでだ。御身にはそれがない。――人を手にかける。技量をこえるものが――必要となる」
 アルデの身体を戦慄が這う。苦しげな笑いに顔を歪め、オダンの傍らに腰を下ろした。
「レカルにいた頃‥‥いつも考えていた。この身を慰む者ども‥‥殺してやりたい‥‥いつか‥‥殺す‥‥。いつか――は‥‥来なかった‥‥。わたしは‥‥臆病者だ‥‥王になど、なれない‥‥」
 両手の間に顔を埋め、肩を震わすアルデを、オダンは暗澹と見つめた。
 ロッカに、ルデスの訪いがないままに、一月はとうの昔に過ぎていた。
 オルガラでは急遽出陣したアージェの騎士団が野を占拠したアルザロ軍と対陣し、小競り合いを繰り返す中で戦局は膠着していた。
 オダンによってもたらされる知らせに、アルデのうちに高まる不安をよそに、この頃ルデスから書簡が届いた。
 オダン宛てのその書簡には、ただ、それまでの経緯、彼我の戦力、将の分析が事細かに綴られていた。
「これには――ルデス自身のことが何もかかれていない――」
 砦の二層、書斎にしつらえられた房室の大卓の上に書簡を投げ出し、失望も露わなアルデの声がオダンを責める。
「御身に――問うておいでなのだ。御身がルデス様ならどう戦うか――」
 アルデは乾いた声で笑った。
「ありえない想定だな。いっそ、王ならと、はっきり言え。所詮は机上の戯言だ。その場に立てば竦み上がって何も考えられないに決まっている」
 自嘲に満ちたアルデの言葉に、オダンは微かに吐息を這わす。
「では――アルザロはどう、動くと思われる。御身はこれまでずっと学ばれてきた。過去。戦いがどのようになされてきたか――予想はおできだろう――」
 オダンを見返す顔は、戸惑った子供のような表情を浮かべる。アルデは視線を窓の外に流した。
「オルガラが包囲されて既に半月余――その間、ルデスは何をしていたのだろう。アルザロが壕を掘り塁を築くにまかせている。兵数の上からはアージェ一軍でアルザロを叩くのは不可能だが、逆に見ればアルザロにとってニルデアの兵数の整わない今こそアージェの軍を撃破する機会ではないか――何故そうしない‥‥ オルガラを落とし国境を旧に復するだけが目的か‥‥だが、そうであるなら当然、イルバシェルでの決戦を予期しているはずだが、それにしては軍容が薄いように思われる。オルガラの包囲‥‥ニルデアの本隊を引き寄せるための囮、陽動ではないのか‥‥」
 むしろ苦しげに、アルデは語り続ける。
「十年近く。互いに戦いらしい戦いはしていない。相手がどの程度に戦うか、わからないのはニルデアばかりではないはずだ。出足の鈍さに気を良くしている‥‥とすれば、ニルデアの本隊が集結するのを確認ししだい別動の隊をもって一挙にオーコールを突くだろう。おそらく、イルバシェルの南、国境付近に待機させているだろう騎馬本隊を西進させエサリアの谷を抜ける。谷を抜ければオーコールまでは二日。イルバシェルに釘づけのニルデア軍には防げない。オーコールは落ちる。
――だが。だとしたら――それのわからないルデスではないはずだ。‥‥では‥‥それをさせることがルデスの狙いか‥‥みすみす防塁を築かせた。囮だ。アルザロにとって囮であるならニルデアにとってもオルガラは囮なのではないか――」
 それを聞くオダンの顔に感嘆の色が広がる。アルデは見ていなかった。アルデの視線はただ空を漂う。
「――決戦は、エサリアの谷の東、クローセンの野だ‥‥ニルデアの懐深く誘い込み、進路を断って叩きつぶす。本隊にみせかけた一隊がイルバシェルに展開し包囲軍を押さえている間に別動する本隊がクローセンに向う。エサリアの谷はアルザロの柩だ‥‥オーコール側の出口を扼し左右の山腹に弓兵を伏せ横撃する。アルザロは戦わず壊滅する。活路は谷を引き返す以外にない。だがそこに、ニルデアの本隊が待構えている――壊走するアルザロをやり過ごし追撃する‥‥」
 アルデは視線を戻した。見返すオダンの双眸に称賛の色を見取り、泣き笑いに顔を歪めた。
「別動の本隊を撃たれればオルガラの軍に勝機はない。いずれ投降する。クローセンに退路を襲う部隊は。ルデスが指揮を‥‥するのだろうな‥‥。それとも‥‥王か?――」
「おそらくは――共に。それぞれが谷の口の両翼をかためることに――」
 アルデの顔に、不安だけが凝った。
「アルザロが――ルデスの思惑どうりに動くとは限らない――ただ、望みどおり壊走して終わるか‥‥」
 オダンは無言だった。
 アルデの不安をよそに、ロッカには平穏な日々が流れる。ルデスの書簡を最後に報せは絶えていた。
 アルデは毎日、塔に上る。
 塔の上に立ち、遠く、森の上に視線をさまよわす。その森の果てるところにハソルシャの城館がある。
 ただひたすらにアルデは、待つ。
 その顔の上にしだいに深くなる焦燥を、オダンは言葉もなく見守った。
 そして、月が変わり――ルデスが戻った。
 王を救うために深手を負ったルデスが――
 目の前に昏睡する、憔悴した姿を見て。そのルデスの、己れを見舞う王に向けられた微笑を目のあたりにして。アルデのうちの微かな不審が、確たる疑惑に変じた。
 何故。ルデスは王をすり替えようというのか――
 ただ、王の実権をわが手にするためか――
 違う――
 と。アルデの中で何かが応える。
 アルデは首を振り、その想念を振り落とそうとする。
 何かが、嗤った。
 アルデの、その、こころみを。
 目をあけて見よ――と。






「なぜ‥‥わたしでは‥‥いけない‥‥」
 我知らず、言葉は口を突く。
 その言葉に、手の動きが止まった。
「何を。言われた――」
 冷ややかな声が、降り落ちる。
 喉元に塞上げる、熱い高まりに胸を喘がせながら、アルデは、見上げた。半面を灯火に照らされた、白い顔を。頬に落ちかかる艶やかな髪に翳る、淡い双眸を。
 熱いうねりがじりじりと腰を炙りたてる。
「ルデス‥‥」
 アルデはルデスの手を求めて身悶えた。
「なぜ‥‥わたしでは、だめなのだ‥‥」
 間近に見下ろす顔は無表情に静もる。
「同じ‥‥顔だ‥‥」
 だめだッ――と。アルデの内で声が叫ぶ。言っては――いけない――
「同じ‥‥姿だ‥‥。声だって‥‥」
 口は。理性の声に背き、言葉を紡ぐ――
「なぜ‥‥わたしでは、ソルスの代わりになれない――」
 ルデスが微かに嗤った。
「御身は。何を言っておいでだ。もちろん。御身は代わりになられる。その為に王を招き、手筈も整えた。これほど早くその時を迎えられるとは思わなかったが――さすがに、同じ血を分けたお方だ――」
「ごま‥‥かすな‥‥」
 アルデが喘いだ。ルデスの手に激しく扱き上げられて。
「わかっ‥‥て、いるのだ‥‥。お前は‥‥ソルスが欲しい、の‥‥だ‥‥。だから‥‥あ‥‥」
 乱れる息に、声が弾む。
「‥‥忘れ‥‥て‥‥お願い‥‥ソルスは忘れ‥‥て‥‥」
「御身は。何を言っておいでだ」
 あくまで、冷然とルデスは応じる。その背中を、アルデの手がかきむしるように爪をたてた。
「わたしが‥‥王位など望んでいない‥‥知っているな‥‥お前の命運は‥‥わたしの手の内にある‥‥わたしがソルスの元に名乗り出れば‥‥お前の企てを‥‥すべて、告げれば‥‥お前は、破滅だ‥‥」
 その、言葉に――
 ルデスの眦が切れ上がった。
 凄絶な嘲嗤に、唇が歪む。
「では。そうなされよ」
 強靭な手が、からみつくアルデの腕を引き剥がした。
「ル‥‥デス‥‥」
 愕然と、アルデは見上げる。
 その視線を断ち切ってルデスは立ち上がった。
「ここには御身を止めるものはいない。好きに。なさるがいい!」
 脱ぎ捨てた夜着をとり肩にまとう。
「後は、ご自身で始末なされよ」
 言い捨て、大股に扉に向かう背に、アルデは跳ね起き声を絞った。
「違うッ――ルデス――わたしは、ただ――」
 声は。思いとともに、閉ざされた扉に断ち切られた。扉は再び開かれることもなく静もる。アルデは。呆然と扉の面を見詰めた。
 重熱い痺れに、疼く腰をとられ、ねじれ投げ出された下半身が淫らに震えている。
 床に支えた両腕がわななく。
 やがて。アルデは崩れるように腕の間に頭を落とした。頭を抱えるように蹲ったアルデの身体が瘧のように震えつづける。
「ルデスッ‥‥」
 その手が緩慢に股間に差し込まれる。
 ‥‥なんという‥‥ざまだ‥‥
 ご自身で始末なされよ――と、冷ややかなルデスの声が耳底に木霊する。その言葉のままに、自らを握り擦りたてる、アルデの口から笑声が流れ出る。低く床を這う、嗚咽に似た笑声は、乱れる息に弾み、切れ切れに尾を引き、絶えた。
 自らの手で、果てたままに、うずくまる、その口辺に息がもれる。
「‥‥死にたい‥‥」
 微かな――それは、吐息だった。




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