双影記 /第3章 -5



 何故‥‥殿が謝られる‥‥
 疑念はうねり上がる熱い波に呑まれ、砕け散った。
 その夜――オーコールにおける禁忌は破られた。以来、リファンは足繁くルデスの元に忍ぶようになった。
 ルデスは、もう拒まなかった。
 ルデスによって与えられる喜びに満たされる日々が立ち返った。
 ‥‥いや、そうではない‥‥
 その身以上に満たされたいと願うものがあった。――だが、それは決してかなえられぬ願いと、悟らされたのはいつの頃か――
 それでも、ハソルシャに伴われていたときは己れを欺くことも容易だった。
 ハソルシャに行くことを禁じられ自らルデスの元に忍ぶようになって、リファンは嫌でもそれを直視せざるを得なくなった。
 殿は決して‥‥自ら、この身を、求めてはくれぬ‥‥
 その腕に抱かれ、その温もりに浸りながら、不意に、立ち返るその思いに、リファンは苛まれる。
 あの夜、殿は許せよといわれた‥‥
 では‥‥それ故なのか‥‥
 これは、殿には、喜びではないのか――と。
「何故‥‥わたしには、貴方が‥‥わからない‥‥」
 脚を絡め、その胸に頭を凭れさせながら、それでもなお足りぬようにリファンは肩に縋った腕に力を込める。
「死ぬなどと‥‥愚かな真似を‥‥再びさせぬために貴方はこの身を‥‥」
 受け止めてくれるのか‥‥
 何故かはわからぬ、贖罪の思い故に‥‥
 リファンは己が思惟を最後まで口にすることはできなかった。
 無言のまま体を反したルデスの胸の下に抱き竦められ――唇を奪われて――
 思い‥‥捨てねばならぬのだ‥‥
 ‥‥努めねば‥‥
 リファンの努力はだが、虚しく潰えた。
 二度とルデスの元には忍ぶまいとする決意は、常に、長くは続かなかった。





 燭台の炎が激しく揺らぐ。
 それは、大気を震わす吐息の故か。そう思わせるほどに激しい喘ぎが、リファンの喉を突き上げる。
 弱い灯りのなかに浮かび上がる、絡み合った二体の裸形。深々と腰を割ったそれに激しく突き上げられるたびに、とろけるような痺れが脈打ち広がっていく。強くしなやかな指は巧みに執拗にさらに高処へとリファンを追い上げる。仰け反り、切れ切れに白熱する意識の底で、ああ‥‥。と。リファンは呻いた。これだ‥‥。と。二十日余の渇えが一気に癒されていく‥‥

 不意に。けだるいまどろみから覚め、リファンは傍らを見やった。
 削げ立った、それでいてなお美しさを失わない横顔に薄く開かれた双眸が闇を湛える。
「――殿‥‥」
 怯えがリファンの口を突いた。吐息の漏れでるようなその声に、ルデスが見返る。やわらかな笑みが口元にひろがり。腕をのばし胸元に抱き寄せたリファンの額にそっと唇をあてた。
 リファンは目を閉ざした。期待が胸を震わす。半ば開かれた口元に甘い息がただよう。
 ルデスはだが、閉ざした目蓋のうえに優しく唇を押しあてただけで静かに離れた。微かな失望に開かれた目の前で、ルデスは自らが目を閉ざした。
「――明日。わたしは戻れぬ――」
 唐突に言い渡された言葉に、リファンは弾かれたように上体を起こした。
「――殿‥‥しかし‥‥陛下が‥‥」
「陛下には、病と――まだここを動くことはできそうにないと――伝えてくれ――」
「‥‥しかし‥‥」
 不安も露わに言い縋ろうとするリファンに、
「案ずるな――休め――」
 断ち切るようなルデスの声が返る。
 穏やかな、だがそれは逆らうことを許さない強い響きを含む声だった。
 やがて。ルデスの口から寝息がもれだす。
 リファンは。眠れなかった。ルデスが寝入ったのを確かめるようにその寝息を窺っていたが、やがて、起き上がりその顔を見下ろす。ゆれる火影に、深い陰りを湛えた険しい顔を。
 覚めているときは穏やかな笑みを湛えたその顔が、今、無防備に内心の苦悩を曝け出し、眉間に深いしわを刻んでいた。
 殿は優しい。殿は、強い。殿は‥‥変わってなど、いない‥‥
 だが。あの笑いは‥‥
 リファンは今、悟っていた。あれは、自分に見せるための、上辺だけの見せかけの笑いだったと。
 殿は笑ってなどいなかった。凍てついたような双眸は、ついに笑いの影さえ刷かなかったではないか。
 殿は‥‥変わった‥‥
 だが。何が――ここまで、殿を変えたのか‥‥
 リファンは唇をかみしめた。





 早朝。
 肌を冷やす空虚に眠りを破られたリファンは、傍ら、夜具のくぼみに指を這わせた。
 冷たい‥‥それはルデスがでていってからの時の長さを示していた。
「――どこへ、行かれた‥‥」
 思う先に思惟のうちに形なすものに、リファンは寝台をすべりでていた。
 そして。服を着る間ももどかしく、一つの塔への回廊をひた走る。
 館にはいくつもの塔がある。その一つがかつて牢として使われていたことをリファンは知っていた。
 他には、ない‥‥
 その基部に至ってようやくに、辺りを気遣う余裕を得た。足音を忍ばせて、長い階段を登りつめたリファンは、だが、一枚の扉に阻まれる。重く閉ざされた扉の後ろは気配もなく静もっていた。
 リファンは屈み、鍵穴に目をあてる。
 薄暗く闇の淀む塔の間、その正面に細く格子のはまった窓だけが明るい。その光に奪われそうになる視線を闇に流す、リファンは中央に置かれた寝台とそれに座す人影を認めた。
 寝台のうえに視線を落としているのか頭をうつむけた人影は凝として動く気配もない。肩から流れ落ちた髪が射し込む光にその輪郭を白く輝かせる。
 ――殿‥‥
 どれほどの時を。リファンは共に凝固していたのか。やがて。肩を落とし立ち上がった。そして、階段に向かいかけて、初めて、下からの気配に気付く。
 上がってくるものがある‥‥
 愕然として広めの踊場に目をさ迷わせた。身を隠す場所を求める視線が奥の壁につくられた小さな扉に止まる。狼狽に背を押されるようにリファンはその扉の内に、雑多な用具のおかれた小部屋に身をひそめた。
 じきに、階段口に二個の人影が現われる。
 オキル‥‥
 細くあけた扉の隙間からリファンは見た。両腕に大小の篭をさげたワルベクを従えたオキルが扉を押しあけ中に消える。だが。さして間をおかず、二人は塔の間を出て下に戻っていった。リファンは小部屋を出る。
 殿は、まだ中にいる‥‥扉に鍵は下りていなかった‥‥
 リファンの内を熱流がかけめぐる。主の秘事をのぞき見る恐れより知りたい欲望がまさった。逡巡は一瞬だった。扉の前に立ち、そっと押してみる。扉は音もなく動いた。
 目の前に細い隙間がある。内なる熱流に押しながされるように、リファンは前に出ていた。
 リファンの内で。その光景が心に落ちるまでには、しばらくの時を要した。そして。体内をめぐる熱流が、シンと静もる。
 時が、止まった。
 逆光に影をにじませるルデスの腕の中に、今は人影があった。胸に抱き起こしたその人影に、ルデスは手にした器から口移しに、なにかを与えていた。繰り返し、寄せられるルデスの口をうけて、だがルデスの胸のなかの人影は身じろぎさえしない。力なく垂れた腕がその動きにつれて微かにゆれる‥‥
 やがて、手の器を傍らの台のうえに置いた、ルデスは静かに、抱きしめた人影のその胸元に顔を埋めた。
 その全てが、無音のなかに、ゆるやかに、たゆたう‥‥
 微かに震える肩先が、再び、リファンの時を揺り動かす。
「‥‥目覚めてくれ‥‥。‥‥目覚めて‥‥くれ‥‥」
 低く流れる祈りにもにたその声が耳に達したとき、リファンは滄浪と扉の前を離れた。
「――寒い‥‥」
 仄暗い階段のなかほどで――リファンは自らの胸を抱きしめた。


 居間に、塔から戻ったルデスを、出立の支度を整えたリファンが待ち受けていた。
「行くか――」
「はい‥‥」
 応えるリファンの口元が微かに震える。
 体内にたぎる熱情を双眸にこめて、ヒシと見上げるリファンにルデスは静かに歩み寄り、抱きしめた。リファンの身体を戦慄がかけぬける。仰向いた目元から涙が糸をひいて落ちた。ルデスは顔をよせ、唇で、その涙をすくいとる。
「殿‥‥」
「人の‥‥心とは‥‥ままならぬものだ‥‥」
 一瞬、淡い苦笑を目元に刷いたルデスはリファンを離し背を向けた。その袖口をリファンの手が堅くにぎりしめている――
「殿、わたしは‥‥」
 ルデスは、その手を振り払うでもなく、ただ半身になって無言でリファンを見返す。
 青褪めて白い、シンと靜もったその、顔に、やがて、リファンの手から力が抜けていった。
 力なく腕を落とし、一歩を下がり一揖する。再び顔をあげたとき、そこには懊悩の陰はなかった。
 それでも僅かに青ざめた細面に、その双眸が強すぎる光を放つ。
「奥方様に。御言伝は‥‥」
「いや――」
 ルデスは煙るような視線を向けたまま吐息するように応える。リファンが唇を噛んだ。それを押し隠すように、再度一揖して、リファンは踵を返した。
 足早に立ち去るリファンの足音が回廊の彼方に遠ざかる。それを聞いているのか、ルデスは目を閉ざし立ち尽くす。その顔に、疲労の色が濃かった。
 いつか、足音も絶えていた。ふと我に返ったように、視線を上げ、ルデスは整えられた食卓につく。それはルデスにとっては砂を噛むような食事だった。常には、務めを果たすように済ませ、ただちに塔に戻るルデスだったが、この時は、
 食器を下げにきたワルベクはそこに、まだ座したままのルデスを見いだし、顔を強張らせた。
「殿――」
 気遣わしげに声をかけるワルベクに、ルデスは微かに笑いかけた。
「案じるな。わたしは大丈夫だ。お前に、頼むことがあった。――オダンを。呼び戻して欲しい――」
「オダン様を‥‥」
「助けがいる。あの御方を、移さねばならぬ――。わたしは‥‥どうやら、王の、忍耐の底を、割ってしまったらしい‥‥」
 刹那、崩れ伏すか――視界に揺らぐルデスの姿に思わず前に出たワルベクはそれが己れの錯覚と知る。ルデスは、いつに変わらぬ微かな笑みを消すこともなく端然と座している。
「直ちに――」
 己が動揺を押し隠すようにワルベクは深々と一揖した。





 ルデスに臣従してはいたが地方貴族の当主でありトエスの地に広大な領地を有するオダンは、アルデが王としてオーコールに発つ姿を送り、ハソルシャを去った。
 その前々夜――
 牢内でソルスを押し拉ぐルデスを目のあたりにしたオダンは、牢から戻ったその脚でルデスの執務室を訪った。
「お待ち頂けていると。思っていた――」
 怒りの残滓を声に揺曳させるオダンに、ルデスは微かに頷いた。
「弁解はできない。引き止めることも――できない。だが――いてもらうわけには――いかぬか‥‥」
「‥‥御身が。あの御方を、あのように扱うを見るためにか――」
 オダンの声は、硬い。
 ルデスはただ静かな顔を向け続ける。
 やがて。オダンの口を微かな吐息が漏れた。
「わたしには、御身を止めることができなかった。これまではアルデ様のこともあった。だが、これ以上は――。御身の望みが、ただ権力であるなら――従うことも容易であったが――何故、あの御方でなければならぬ――」
「何故――、わたしが、問いたい。――生涯、隠し切れるものと思っていた。アルデの存在を知らされたとき――歯止めが、利かなくなった。一年――。一年でよいのだ――」
 感情の抜け落ちた声だった。
 オダンは淡い双眸を凝視する。内なる思いの何をも伝えない、静もった双眸を――
「一年――。ではその後は――どうなさるおつもりなのだ――」
「アルデでは――王位は支え切れぬ。――あれは、優しすぎる‥‥」
「――ルデス様! 御身は!‥‥」
 オダンは絶句した。己が想像を口にすることができずに。
 ルデスがそれを引き継いだ。
「王であれば。お前の望みどうりにアルデを遇しよう――」
 言外の肯定に、オダンは呻いた。
「結局――お前を頼ってしまう。見限ってよい――己れで言っておきながらな――」
「‥‥何故‥‥そこ迄、せねばならぬか‥‥」
「それだけのことを。してのけたからな。この身は――。死で贖えるなら。安いものだ。そして、戦いに死はつきものだ」
「戦い‥‥」
「望まずとも。いずれ始まる。おそらくは一年以内に――スオミルドが動く」
「ルデス様――」
「王は承知している。王であれば――しのげよう‥‥」
 今なお、ソルスを王と呼ぶルデスに、オダンは、身を強ばらせた。その顔が歪む。
「耐えられぬ‥‥。そのような御身を‥‥。見ては‥‥おれぬ‥‥」
 軋る歯の間から押し出される声は低くかすれた。そのオダンを。ルデスはただ凝然と見詰める。
 やがて‥‥
「すまない――」
 ルデスは言った。
 その、あまりに変わらぬ語調が、オダンの胸を衝く。どれ程の激情をその平静な顔の、声の、下に押し隠しているのか――
 オダンは苦しげに目を伏せた。
「明日――われらが発つまでいてくれ。――去る前に、塔にお移ししてくれ」
 深々と、オダンは頭を下げた。そして、踵を返す。背に――
「もう‥‥会えぬのだな‥‥」
 ルデスのかすれた声が、低く――響いた。
 そして。五十日――
 リファンの後に続くように、ワルベクはハソルシャの館を発った。





 翌々日の夕刻――
 オダンの所領トエスの地を訪ったワルベクがオダンを伴っての帰路の一日目を旅の宿に終えようとしていた頃、王都、ラデール家公邸に帰りついたリファンは、奥棟に、ルデスの妻、エディックを訪っていた。

 カイラム・スウォードンの息女として王家の血に連なるエディックは驕慢とさえいえる矜持に自らをよろい、夫の愛人を迎えた。
 王家の血脈の証しともいうべき漆黒の髪と闇の双眸、死者を思わせる蒼白の肌、血塗れたような朱唇。どこか現王ソルスを彷彿させる妖婉な美貌を僅かに上気させたエディックは、情事の余韻を隠そうともせずに、冷然とリファンを見据える。
 やがて。毒々しいほどの嘲嗤に唇を歪めた。
「お前は――そのようなことを信じよというのか。あの御方が病などになろうものか! いまさら、庇い立てもあるまい。王の求めを無視してまで戻らぬ――どのような魔が殿をとりこにしたか――いうてみよ!」
 片膝立ちに腰を落とし、うつむくリファンの顔が強張る。
「――お信じにならぬは勝手だが――居もせぬものを。どう申せばお気に召すのか――」
 振り仰ぐ、リファンの双眸がきつい光を宿して凝視する。
 エディックは鼻先で嗤った。
「わかった。信じよう。――一応はな。だが。では、それを。己れで王に伝えよ。ただちに登城するがよい。――下がれ」
 立ち上がり、一揖したリファンが踵を返す。その背をエディックの哄笑が追った。
「それにしても――亡き義父上といい、ラデールのものとは多情なものばかりよ。お前も気がもめような――」
 逃れ去るような足取りで、リファンは扉の後ろにその姿を消した。
 哄笑が止む。
 凝然と立ち尽くすエディックの背後で奥の寝室に続く緞帳が揺れた。そこに、丈高い影があった。
「義姉上――」
 緩慢に、エディックが振り返る。
 高い――だがルデスほどではない。胸の厚みはルデスに勝ろう。ルデスによく似た、より逞しい相貌。
 エディックは歩み寄り己が腕をさしあげた。そして、男の首に絡め、その顔を引き寄せる。
 仰向き、下りてくる唇を受け止める頬に散りかかる髪は漆黒。見上げる双眸も漆黒。エディックの面から険が消えた。静かに、瞼が閉ざされる‥‥
 ‥‥やがて、なごり惜しげに、離れていく唇を視線で追う。
「ダルディ‥‥何を怒っている‥‥義姉などと‥‥」
「これは――どういうことなのか、お教えいただきたい――」
「これ――とは?」
「突然、わたしを呼び寄せられた――何を考えておいでだ――今、リファンと話されていた様子では――兄上は今宵、お帰りだったのではないか――」
「おお――そのことを怒っているのか。案じるまでもない。人を出してあった。もしお帰りなら一足早く報せが入ったのだ。――だが、殿はお帰りではなかった」
「それだけではない。王の求めとは――魔が、兄上を虜にしたとは――何のことです――」
 実直そうな相貌に心痛を滲ませて、ダルディが聞いた。エディックは婉然と微笑む。
「つまらぬ噂――お前が気に病むまでもない。だが、それが王の耳にも達したのであろう。――もう。よかろう。――ダルディ――」
 再度、唇をねだって見上げられる濡れ濡れとした双眸を、ダルディは無言のまま、沈痛な面持ちで見返した。
「ダルディ?‥‥」
「何を――隠しておいでだ。義姉上――」
「隠す? わたしが何を隠す――」
「それを――教えていただきたい。義姉上」
「いい加減にしてほしい! では。わたしも聞くが――なぜ。エデュと呼ばぬ! 義姉などと――嫌っているのを知りながら――」
「それは――あなたが、あの者にかまうからだ――」
「この身がリファンに? なにをかまわねばならぬ。つまらぬことを――」
「まるで。妬いているように聞こえた――」
「ダルディ」
「やはり‥‥愛しているのか――」
「馬鹿な――」
 弾かれたようにエディックは目を見開く。
「――もとより、求めあって結ばれた仲ではない。家の定めた婚姻。必要なのはラデールの血を引く男子――始めに拒んだはこの身だ――それを――愛しているなどと――」
 ダルディの首に絡めていた腕を緩め、わずかに身を引いたエディックは、ルデスに似ながら鋭さを欠いた、哀しげな双眸を睨み上げた。
「――何故、拒まれた――」
 エディックは一瞬、絶句する。
「――わたしは。子を生む道具ではない!」
 すぐに、苦々しげに吐き捨てた。
「ほかのもの――それも男に、思いを寄せるお方の子など、産めようか――」
「何ということを――。――だが、今からでも遅くはない。もう拒まれるな。リクセルでは一人としてそのようなもの、おられなかったお方だ。あれは一時の気の迷い、いずれ義姉上のもとにお帰りになられよう――」
「それは――どうか。リクセルのことは知らぬ、だが、リファンに飽きればまた別の男を求められるだけであろう――いや、すでにおいでなのかも知れぬ、ハソルシャには――」
「リクセルでは――昔から思いを寄せるものは多かった。見習いとして寄宿している貴族の子弟は常に十指に下らない――その、一人二人は寵を得ようと躍起になっていたものだ。だが、初めの相手はそのようなものたちでもなかった。今はもういない、変わった男だったが、おそらくはあの男に習われたのだ。リファンは二人目に過ぎない――だが、それも義姉上さえ拒んでおらねば、あるいは――」
「ダルディ! いい加減にしてほしい。何故――突然、そのようなことを――」
 険を刷いた双眸に見詰められて、ダルディは苦しげに顔を背けた。
「――もう。このようなことは、終わりにしたい」
「ダルディ――」
 エディックの声が怒気を孕む。
「怖じけたか――今になって――」
「今までは、幸運だった。――もし子ができたら――取り返しがつかない。兄上に――顔向けできぬ――疲れたのだ。義姉上――」
「お前は――憎くはないのか――長子というだけでお前のもてぬ全てを手にしている――奪ってやろうとは――思わぬのか――」
「――憎むことなどできぬ。庶腹の我らに隔てなく接してくれる――この身をたててくれる――手にしているものは、兄上に――ふさわしい――」
 エディックは嗤った。侮蔑をこめて。
「お前は。愛しているといった。お前の愛とは――その程度のものだったのか――」
「エデュ‥‥違う‥‥愛している‥‥だが、あなたは――兄上の‥‥たまらない‥‥」
 義弟の苦悩に、エディックの面で嘲嗤が凍った。
「殿は――知っている‥‥」
 弾かれたように、ダルディが見返る。
「何を――」
「お前とこうなってじきに――全て話した」
 ダルディは無言のまま凍りついたか、憑かれたようにエディックは語を継ぐ。
「お前の名をだすつもりはなかった。――殿はただ――子ができたら、認めよう――そういわれた。相手の名を、糾そうともせずにな――だから。わたしは告げた」
 ダルディが呻いた。
「我らの仲を裂きたいのか――。わたしに、弟を殺させたいのか――。顔色もかえずに、殿は――そう――応えられた」
 凝然と見詰め合う二人の間には、かつてあったであろう甘やかな空気の片鱗もなかった。
 やがて――
「お前も――憎い。お前たちが憎みあって、引き裂き合えばよいものを――」
 呪咀に充ちた、エディックの叫びだった。
 ダルディは目を閉ざした。
「それほどに――愛しているのか――」
 刹那――
 ダルディの頬が――鳴った。





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