双影記 /第4章 -5



 基層に至ったとき王の背に従っていたルデスが脚を止めた。
「陛下。わたしはこれにて――」
 振り返ったエイゼルの前に一揖する。
 一瞬、脚を止めた王は、だが見返ろうとはしなかった。無言で置き捨てるように歩きだす。その王の背に促されてエイゼルが後を追う。
 王が口を開いたのは居室に戻ってからだった。
「わたしは。ルデスに護衛を付けようと思う。彼は嗤うだろうが、危険は犯せぬ」
 その言葉に、エイゼルの手から燭台が落ちた。
「エイゼル――」
 驚き振り返る王の声に、崩れるように跪いたエイゼルが深々と頭を垂れた。浅手とは言ったが、あの時の手応えはそう軽いものではなかった。何故あのような真似をしてしまったか、悔恨が胸を咬む。
「お許しください。あの傷はわたしが――」
「傷? 何のことだ――」
「では――」
 愕然と振り仰ぐエイゼルを見下ろす、王の眦が切れ上がる。
「エイゼル」
 鋭い声に視線を落す、エイゼルが語り終えてなお、王は無言だった。身体を震わせ恐る恐る顔を上げたエイゼルは、無言のまま涙を頬に伝わす王を見出す。
「陛下‥‥」
 衝撃もあらわに見上げてくる青灰色の双眸にアルデは背を向けた。
「‥‥そうだったのか‥‥気付かせもしなかったが‥‥。この身ゆえに、ルデスがそのように傷を受けたとは‥‥」
「違います。陛下のせいではない‥‥この身の‥‥愚かな、気の迷い‥‥お許し‥‥ください‥‥」
「もうよい。己れが今、どのように見られているか‥‥充分に承知している。それがルデスのゆえと思いみなすものが‥‥。ルデスは明日、リクセルに向う。あれのことだ。供は連れまい。親衛隊長を――ルゴートを呼べ。一隊を差し向けさせるのだ。拒んでも、付き従わせねばならぬ‥‥」



 翌朝――
 ルデスはアルデの予想に違わず、単騎オーコールの公邸を発った。ルゴートにその護衛を命じられたブリュセンは一隊を率いてそれに従った。
 前夜、ラデール家公邸に赴き、王の意向を伝えたブリュセンに、ルデスは微かに皮肉な笑みを浮かべただけだった。拒みこそしなかったが諾いもしなかった。
 わずかに遅れて付き従うブリュセン等を無いもののように乗騎を駆って二日。途上一泊して翌日の夕刻、一行はリクセルに着いた。
 リクセル――
 ハソルシャの北西に隣接するラデール家の本拠であり州と同名の州都を持つ。その州都リクセルの東にラデール家は豪壮な城館を構えていた。
 四方を城壁で囲い軍団を擁する、その城館の門前でブリュセンは当惑する。随従はしてきたが受容されたわけではないらしいこの警護の任に、これ以上の随従が許されるのか。
 隊を止めたブリュセンに、門内に消えようとしていたルデスが乗騎を止め見返った。
「どうした。来ぬのか」
 城内の別棟に宿室を与えられたブリュセン等が帰途に就いたのはそれから八日後、再びルデスに従いオーコールに向う。
 王都に帰着したのはそこを発って十一日目の夕刻――ラデール家公邸の門前で途を分かちブリュセン等は城に戻った。
 戻るとすぐに王の前に呼ばれた。
 人を払った、王の居室で、拝跪するブリュセンを前にしばし沈黙したアルデは、やがて、己が思いをこぼすように呟いた。
「長かったな‥‥」
 その、どこかなじるような声調にブリュセンは驚きの目を向ける。己が感情を吐露するような声を、お出しになるお方ではなかった――と。
 実直そうな武人の顔に浮かんだ表情にアルデは微かな狼狽を覚え声を改めた。問われるままにブリュセンは語る。
「‥‥では。ルデスは確かに、床についていたと‥‥」
「こちらを発つ前に傷を負われていたそうです。それが旅の間に悪化したものと――。着いたその夜のうちに熱を発し――」
 その応えに、この時も一人、王の傍らに侍していたエイゼルが息を呑んだ。ブリュセンが訝しげな視線を向ける。かまわず、アルデは問い重ねる。
「お前は。それを己が目で確かめたのか――」
「陛下には――何をお疑いか――」
 憮然とした視線を返すブリュセンに、アルデは息をつめた。重苦しい、沈黙が下りる。
「‥‥いや‥‥よい‥‥。いずれにせよ、無事に戻ったのだ‥‥」
 やがて。気を取り直したアルデの言葉に、
「陛下に申し付けられたとおり、我らも気を付けてはおりましたぞ。だが、あれほどに際立った御方だ。人目に立たずに出歩けると思われますか――。リクセルの者も皆、当主の身を気遣っていた。いや。確かにラデール侯は伏せっておられたのだ――」
 ブリュセンは硬い声を張った。
 アルデは頷く。
「許せよ。お前を疑ったわけではない」
 頬を緩め、労うアルデに一揖し、ブリュセンは退出した。だが、その背を見送るアルデの顔は硬かった。
 エイゼルは蒼白の顔をうつむける。
「もう。己れを。責めるな――」
 視線を返したアルデが言った。どこか苦しげな。怒りを含んだ王の言葉だった。



 翌日遅く。ルデスは少しやつれの見える顔で登城した。
「もう‥‥よいのか‥‥」
 問いかけるアルデに、薄く笑みを含んで頷く。
 この日、二人は主塔の望楼にいた。吹きなぶる風に乱れかかる髪をうるさげに掻き上げる、アルデは、光を含んで明るい双眸を執拗に凝視する。
「初めは‥‥どこへ、行くつもりだったのだ‥‥」
「リクセル――と申し上げたが」
「それは‥‥わたしが、あの婚姻を拒む前のことではなかったのか。ずっと床についていたそうだが、用は、足りたのか――」
「リクセルにいる手下のものに指示を下すために帰ったもの。一応は」
「手下とは――諜者のことか――」
「オダンに聞かれたか――」
 頷くアルデに、ルデスは笑みを消し視線を流した。
「下問あるならお答えするが。戦いとは剣をとってするだけが全てではないのでな――」
「では‥‥どのような‥‥」
「内憂を抱えておらぬ国はない」
「応えたくないか‥‥」
「応えになっておりませぬかな――」
「‥‥ソルスなら‥‥わかるのか‥‥」
 冷ややかな視線を戻すルデスに、アルデは唇を噛んだ。
「いずれ。結果は伝わってくると思われるが。もし何事も起こらねば来春、戦いが――始まると、思われる。この身の、力及ばなかったこと、お詫び申し上げるが。その覚悟を――して、頂きたい」
 アルデが息を詰めた。
「今日は。これで下がらせて頂きたいが。よろしいか――」
「‥‥わかった‥‥」
 苦しげに頷くアルデに一揖し、ルデスは踵を返した。
 艶やかな髪にその背をなぶらせて去るルデスを、黙然と見送ったアルデは、両手に顔を埋めた。
「‥‥なぜ‥‥いつも、こうなのだ‥‥」
 悲痛な声は、風に切れ飛んだ。
 それでも。その後数日は、静穏な日が続いた。
 毎日登城し、政務を執る王の傍らに侍するルデスを、エイゼルは複雑な思いで眺める。
 王もルデスも何事もなかったかのようにエイゼルに接した。エイゼルは一人、胸に重くしこったものを、もてあます。心には常に、ひとつの怖れが揺曳する。今日こそは、二人、塔に上がられるのではないか――と。
 だが。なにゆえに怖れるのか。
 それを知ることさえが、エイゼルには恐ろしかった。
 このまま、このような日々が、続けばよい‥‥その願いが、だがいかに虚しいか、知るエイゼルだった。
 そして五日――
 エイゼルは三層の控の間で、五層に上がる二人を、諦めと痛みの綯い交ぜられた視線で見送った。





「傷は。もうよいのか‥‥」
 部屋の中央に据えた机に片手をつき、アルデは背後に控えるルデスを見返る。
「エイゼルに。聞かれたか――」
「あれは、今だに己れを責めている‥‥」
 ルデスは薄く笑った。
「‥‥傷を‥‥見せてくれ‥‥」
「面白いものとも思えぬが」
「見せよ――」
 命ぜられるままに前をくつろげる。
 胸元にのぞく、晧と白い肌にアルデは指を這わせた。女のものとしてもそれは白すぎる肌だった。張りつめて艶やかな肌に指を掌を滑らせながら静かな顔を見上げる。
「お前の肌は‥‥冷たい‥‥。‥‥熱くなることが、あるのか‥‥」
「見かけがいかに変ろうと――人の身体にそう違いがあるわけではない。御身のされるようになされれば、この肌も燃える」
 どこか苦々しい、吐き捨てるような言葉だった。唖然として、アルデは言葉を失う。
 やがて――
「‥‥あるのか‥‥」
「ある、とは――」
「この‥‥肌を、燃やす‥‥ものが‥‥」
 擦れ、喉にからむ声は低い。ルデスは応えなかった。冷ややかに静もった淡い金の双眸に視線を絡ませながらその服の下に手を滑らせる。胸から肩へ、背へ――
 重い音を立てて着衣が床に落ちた。露になった白い上体に腕を回しアルデはルデスを抱きしめた。
「燃やしてみたい‥‥この肌‥‥」
 口にして、アルデは息を呑んだ。
 思っても見なかった己が言葉、己が衝動に一瞬、自失する――その口をルデスの口が塞いだ。次の瞬間、抱き竦められているのはアルデだった。股間に差し込まれた手に着衣の上から激しく揉みしだかれてアルデの体が仰け反った。
 ああッ――
 封じられた悲鳴に喉が震える。
 かつてない荒々しさで嬲られる痛みに、もがき逃れようとするアルデを背に回したもう一方の腕が押さえ込む。
 アルデは、弓なりに硬直した。その口をルデスはさらに激しく貪り吸った。
 痛いッ――
 ――やめてくれッ――ルデスッ――
 もがき、抗うアルデの手がルデスを押し離そうと露な腕をつかみ爪を立てる。髪を絡めとる。だが、後ろ髪を引かれルデスはさらに深く上体を倒した。
 ルデスの力の前にアルデの抵抗は虚しく押し拉がれる。限界まで反らされたアルデの胸が息苦しさに戦慄いた。
 いやだ‥‥
 このような‥‥いやだッ――
 だが。手は執拗に股間を苛む。強かに、巧みに――アルデの心をも拉いで――その戦きをしだいに別のものにすり変えていく。
 ――その、屈辱に。溢れでた涙が顳 を伝い髪のなかに吸われていった。
 屈辱――だが何故、これを屈辱と感じるのか。己れで求めたものではないのか‥‥
 痛みに苛まれながら、それでもうねりあがる快感に股間を食まれ、痺れるような頭の芯でアルデは反問する。
 求めた‥‥だが、このようにではない‥‥
 かつてないことだった。アルデは今、己れを嬲り苛むルデスの手にこめられた悪意を、その悪意に身を曝されている己れを、感じていた。
 なぜ‥‥
 お前を、したい‥‥言ったからか‥‥
「‥‥やめて、くれ‥‥ルデス‥‥」
 不意に開放された口から、荒い息とともに思いがこぼれ落ちた。
 離れていく白い顔を。淡い金の双眸を。引かれるようにアルデは見上げた。
「ルデス‥‥」
 冷ややかな視線を返すルデスに。屈辱に勝る怖れにとらえられたアルデの声が震える。着衣の下は、すでに痛いばかりにいきり立っていた。それは、狂おしいまでに最後のものを、求めて――脈打っている――
 また‥‥このまま投げ出されるのか‥‥
「ルデス‥‥」
 思わず哀願を滲ませてアルデが繰り返す。そのアルデの身体を荒々しく引きずりルデスは長椅子のうえに投げ出した。
「着衣を。汚すおつもりか」
 その言葉に含まれた侮蔑がアルデを抉った。眦が切れ上がる。
「ルデス――」
 悲痛な声だった。
 ルデスは聞かなかった。無慈悲なまでの手捌きで帯をゆるめ下穿を引き下ろす。剥き出しにされた下肢の間にしなり立つものにアルデは呻いた。
 下半身だけを裸にされた、淫らで滑稽な己が姿に、血が――逆流する。
 アルデは、逃れようと身体を捩った。
 ルデスは逃さなかった。胸元を押さえ込み、しなやかな指に絡めとる。
「いやだッ! このような――己れでしたほうがまし――ッ‥‥」
 叫びは、突き上げる息に途切れた。
 扱き――擦りあわされ、うねり上がる熱い波に、アルデは喘ぐ。
 痛いほどに張りつめた己れに、思わず腰を浮かせながらアルデは啜り泣いていた。
 ‥‥ああ‥‥
 それでも‥‥わたしは‥‥
 ルデスの手に、踊ってしまう‥‥胸元を押さえ付けた手を払い除けようとしていたアルデは、いつかその腕に己が腕を絡め、すがりついていた。
 早く‥‥いかせて‥‥と、腕は哀願する。その屈辱に歯を噛み締めるアルデの喉をあぶり灼いて熱い息がせぐり上げる。
 ――早く‥‥
 痺れるような疼きに噛み砕かれ、萎えかけた腰をそれでもルデスの手に擦り付けるように振り動かしながら――
「‥‥いか‥‥せ‥て‥‥」
 アルデが、啼いた。
 それ故にか。ようやくにその窮みに追い上げられる、アルデは弾けるように放ち――果てた。力の抜けた腕が、落ちる。
 終わっ‥‥た‥‥
 そのまま、アルデは虚脱したように横たわる。瞼を閉ざし眉をひそめ。背けた顔にとめどなく涙が流れ落ちていく。
 そのアルデの上から体を起こしたルデスは取り出した布でアルデのものに汚れた己れの手を拭った。そして無防備に投げ出された下肢からまとわっていた下穿を抜き取り、自由になった膝をつかみ思い切り割り開いた。
「ああっ‥‥」
 まだ‥‥続ける、のか‥‥
 ルデスの意図を悟り、アルデの口から弱々しい悲鳴が奔った。両腕を投げ、逃れ上がろうと長椅子の背をつかむ、刹那――身体の中にぬめり込むものに、息を詰め硬直する。
 再び、絡めとられたそれを揉みしだかれ弛んだ喉から切ない喘ぎが漏れでた。
 双の手、指先だけで――ルデスは翻弄する。
 ルデスの腕の先で、アルデは木偶のように悶え――のたうった。
 やわらかな奥処を抉られる苦痛に似た快感に――いきり立つものに絡みつく指の先から紡ぎだされるとろけるような疼痛に――腰を食まれ、吐息が――乱れ立つ――
「――やめて‥‥や‥めて、く‥‥れ‥‥」
 己が思いを裏切って、身体はすでに灼けつくような渇えにとらえられ、さらに深くルデスの指を銜え込もうと腰をくねらせる――
「‥‥この‥ような‥‥いや‥‥だ‥‥」
 首をうち振り、哀願するアルデに、だが、ルデスは冷ややかな視線を据えるだけだった。股間に差し込んだ手は、なおも執拗に嬲り続ける。
「――ルデス‥‥‥‥ッ‥‥」
 差し伸べられた手は虚しく、空をつかむ。上体を被った着衣の先に剥出しの下腹が淫らにうねる。押し広げられた白い下肢がよじれ震えた。
「‥‥ああ‥‥」
 アルデは吐き出し続けた。
 ルデスの手の中に。己がものを――
 その手に、強いられるままに――




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