VOL2−4





 建国の王グリエンによって築かれたグリエムランの城は、また、黒の城という異名をもつ、黒御影の切石を積み上げてつくられた城だった。

 王都グリエムランの北壁をなす小高い岩山、
 その南の斜面を蓋って階段状に連なる三つの郭からなる城は、通るものを威圧してそびえたつ城門塔、その背後に、角ごとに張り出した円塔、それらを結ぶ異様に高い城壁、
 輝く夏の陽光の下にさえ、わだかまる闇を思わせる陰欝な姿で見上げるものを脅かす、 それは荘重さとはかけ離れた、禍々しくも暗い、陰りを孕んだ城だった。
 その、城の最奥の郭、岩山の頂をなす内郭の広場を見下して城の主塔はそびえていた。
 背後を切り立った断崖に守られた、地上に四層をなす方形の主塔はそれ自体がひとつの城といえる巨大なものだった。
 その主塔の二階、四層までを貫く吹き抜けの大広間の周囲に並ぶ広間の一つに、侍臣さえ従えず、王が、一人の男を接見しようとしていた。
「そ奴か――例のものを見たと言うは――」
 引き締まった長身を黒衣に包んだ騎士が首肯する。傍らに、背後から一人の衛兵に引き据えられて、明らかに旅の遊芸人と知れる貧しい身形の男が蹲っていた。若い頃の美貌をしのばせる顔は老いの兆しはじめた今、醜くすさみ、押さえきれぬ怖気をにじませる。
 段上の椅子を背に、側壁に並ぶ窓から差し込む光の及ばない陰りの中で、王の底光りのする双眸が細められた。
「では、聞こうか――」
 促す、王の声は細く、優しげでさえあった。それに励まされたか、男の顔が阿るような下卑た笑いに歪められた。
「大それたことは考えちゃおりやせんが、これだけはお約束いただきてぇんで。娘は返していただきてぇんで――後はほんの少しご褒美を‥‥」
「こ奴、わしを相手に取引する気であるらしい――」
 王が視線を上げる。嘲嗤を含んだその言葉に黒衣の騎士が恭しく頭を下げた。言葉さえ返さぬ騎士の姿に男の顔が凍りつく。
「話せ――」
「も‥‥もとはといえば、あの男なんで‥‥あの男が小僧を欲しがったんで‥‥て‥‥手前が娘を刺したのは、弾みなんで‥‥短剣を握っていたのは娘なんで‥‥手前はただそれを取り上げようと‥‥」
「己れの弁明は、いらぬ」
 王の声が冷気を孕む。男の体が小刻みに震えだした。
「小僧だけでも取り返そうと、ずっとあとをつけてたんで‥‥よ、夜中に宿に忍び込んで、見ましたんで‥‥竜が‥‥現われて娘を‥‥生き返らせて‥‥小僧を抱いていた‥‥男はシェラム・オーヴと、名乗りやした。宿で聞き取れたのはそれだけで‥‥今朝方、森で、今夜は男の館で‥‥明日、ロシャムに向うと‥‥」
「シェラム・オーヴか――」
 王の口の両端が吊り上がった。その笑いに、背筋を氷塊が伝い落ちたように男が身を強張らせる。
「ギュラン――」
 王に視線を向けられた騎士が衛兵を振り返る。
「そ奴――牢へ入れておけ」
「て‥‥手前はどうなるんで――」
 引立てようとする衛兵に抗って床に身を投げた男が叫んだ。酷薄な視線を下す、黒衣の騎士は不快げに目を細めた。
「お前の言葉に嘘がなければ――褒美はとらそう」

 冬の陽が落ちるのは早い。
 その館は、黄昏の薄闇のなかに寂れた影となって聳えていた。かつて栄えたであろう、男の一族の往時を忍ばせる威容も、内に満る人の気配の絶えて無い、今、虚ろに、見るものを脅かした。
 だが、この館に一人の人もないわけではなかった。足音を聞きつけたか、扉が開き、闇のなかに細く弱々しい灯りが漏れ出た。
「誰だ――」
 警戒の念もあらわな声に男が応える。
「わたしだ――イクル」
「シェラム様か――」
 嗄れた声が一瞬、絶句する。ついで大きく開かれた扉の内から飛び出した人影が転げるように駆け寄った。
「ご無事で‥‥戻られたか‥‥」
 腕を広げ待ち迎える男を抱きしめた人影は、そのまま男の肩に顔を埋め咽ぶように身を震わせた。
「よく‥‥戻ってくだされた‥‥あなたが皆に暇を出され‥‥都に発たれて‥‥爺は‥‥」
「すまなかった‥‥だが、お前は‥‥お前だけは待つと言ってくれた‥‥だから、こうして戻ってきた‥‥もう、泣かないでくれ‥‥もう、案じさせるようなことはせぬ‥‥」
「それは‥‥」
「王への恨みは‥‥忘れる‥‥。そしてこの国を去る‥‥このものたちと‥‥」
「このものたち?‥‥」
 ようやくに気を静め、男から離れた影が、その背後をうかがい見た。男の背に隠れるように佇む、ふたつの人影があった。
 背の高いほうが片手を差し出す。背後に引いた馬の手綱が握られていた。
「ともかく、中にいれてくれ。わけを、話す‥‥」
 老爺イクルは無言で手綱を受け取り、厩に向った。
 男は両脇にリュールとテッサを抱えるようにイクルのあけた扉から館に入った。
 イクルが戻ったとき、三人は食堂の暖炉の前に腰を下ろしていた。扉の閉ざされる音、不意に立ち止まる足音に男が振り向く。
「ミシャナではない。リュールという、少年だ」
「少‥‥年‥‥」
 息を呑み立ち竦んでいたイクルがよろめくように前に出た。その皺深い赤銅色の顔をリュールは無心に見上げる。
「少年が、何故‥‥このように髪を‥‥」
 驚きの反動で咎めるような響きを帯びたイクルの声にリュールの顔が強張る。
「エリエンは‥‥髪を切らない‥‥」
「いいんだ‥‥リューはこのままでいいんだ‥‥」
 並んで腰を下ろしていたテッサがリュールの頭を胸元に抱き寄せた。
「エリエン?」
「この子の養い親だ。この子は竜の養い子なのだ」
「竜の‥‥」
 イクルの顔に、からかわれたもののあいまいな笑みが浮かぶ。だが、イクルに向けられた顔はどれも、思いつめた真剣なものだった。
「ま‥‥さか‥‥」
 重い、沈黙が下りた。
 暖炉で薪が爆ぜる。
 やがて。イクルがつめていた息を吐いた。
「あなたは‥‥ご覧に、なられたのか‥‥その‥‥竜を‥‥」
 男が、うなずいた。
「それでか‥‥。この国を去られるは‥‥」
「できたら‥‥お前も、共に‥‥来て欲しい‥‥騎士として、新たな主に仕えることになろう。もう、十分なことはしてやれぬが‥‥」
 どれほどの間を、ただ無言で見つめあっていたのか、つと、イクルが顔を伏せた。
「うれしいことを‥‥言ってくださる‥‥」
 そそくさと背を向け、厨に向った。
「ともかくも‥‥食事の用意を‥‥」
 しばらくはそれを見ていた男が、暖炉の上の手燭をとり、灯を燈した。
「ついて来い‥‥」
 男が二人を連れていったのは、館の主の寝室であろう、大きな寝台のある続き部屋の、奥の小部屋だった。
 左右の壁ぎわに二個ずつ大きな櫃が置いてある、小部屋の燭台に火を移し、その櫃の蓋を開けていく。
「好きなものをとるといい。そのなりでは旅はできない」
 テッサの、肩にまとった外套の下にのぞくのは、刺され、裂け、血に汚れた薄い踊子の衣装だった。
 促され、怖ず怖ずと前に出て、櫃を覗き込んだテッサが思わず嘆声を上げた。さまざまな彩りの衣服と装身具が縁近くまでつめられていた。子供であれば十分、中で横になれる大きさの櫃はテッサの腰までもある深さだった。
「それは‥‥母上の櫃だ‥‥。お前には大きいかもしれぬが‥‥」
 かすれた声に振り仰ぐ、テッサの視線をさけるように男は背を向けた。
「その横がミシャナ‥‥向い側が、父上やわたしのものだ。みな、捨てていく‥‥遠慮はいらぬ‥‥」
 男は、立ち去った。
 ミシャナの櫃は半分ほども、つまってはいなかった。その少なさに、テッサは男の消えた出入口の闇を見つめ、細く、吐息した。
 やがて。
 身形を改めた二人が食堂に戻ったとき、そこに男はいなかった。暖炉の前に据えられた大卓には三人分の深皿が並べられ、たっぷりとよそわれた野菜の煮込みが暖かそうな湯気を立てている。篭に盛られたパン、薫製肉、チーズ、ミルク。食欲をそそる匂いに、空腹をうったえて腹が鳴った。すぐにも取りつきたい思いを押さえて、暖炉に薪をついでいたイクルに、テッサが聞いた。
「旦‥‥シェラム様は‥‥」
「厩だ。もう戻られよう。食べておればよい」
 振り返ったイクルがそこに立つテッサに目を見張る。首の後ろで長い髪をまとめたテッサのまとっていたものは、男の母のものでも、ミシャナのものでもなかった。
「それは‥‥シェラム様の――」
 うなずく、テッサのきつい目鼻立ちに、その姿はよく似合った。隣に立つリュールも同様のなりになっていたが、ほっそりとした面差しや優しい菫色の目のためか、より少女めいて見えた。
「旅には、男のなりのほうが‥‥」
「そうだな‥‥」
 それまで着ていた服を抱えて立つ二人に、歩み寄ったイクルは受け取ろうと手を差し出した。テッサが渡す。リュールは逆にしっかりと抱き込み、その手から逃れるように下がった。
「リューのはいいんだ。エリエンがくれたものだから」
 イクルは、改めてその衣を見る。わずかに青みを帯びて白い、それは糸で織られた布ではなかった。鞣革のようであって、革でもなかった。
「ロマの花だよ。エリエンが、咲かせてくれた‥‥」
 無心に見上げてくる菫色の瞳に、つと息苦しさを覚えたイクルは背を返した。そのまま扉に向う。
「シェラム様を呼んでくる。冷めないうちに食べるがいい」
 外は、すっかり暮れていた。厩に向いかけたイクルの脚が止まる。前庭に。星明かりの下に佇む人影に。
「どうなされた――」
「イクル――聞こえないか――」
 横に並び、耳を澄ます。吹きわたる夜風が冷たかった。
「いや――何も――」
「気のせいか‥‥」
 館は、切開かれて疎らな森に囲まれていた。うねる大地も、木々も森も、ただ黒々と、仄明るい夜空を背に横たわっていた。
「王の追手だと?――」
「まさかな‥‥」
 男の、自嘲を含んだ声が、自らの疑念を打ち消した。
「戻ろう――」
「竜とは‥‥どのようなものでありました‥‥」
 踵を返した背に続きながら、イクルが聞いた。
「背は‥‥わたしくらいかも知れぬ‥‥頭の頂に角がある、男の姿をしていた‥‥全身を仄青い燐光に包まれて‥‥美しいものだった‥‥」
「何故‥‥養い子を‥‥手放したのであろう‥‥」
「さあ、な‥‥」
「あの子は幼い‥‥歳相応の世知さえ、身につけてはおらぬ‥‥あれで、まともに生きていけようか‥‥」
「教えてやればよい。先は、長い‥‥」
 その声の響きに、
「明るく、なられたな‥‥」
 沁みるようなイクルの言葉だった。一瞬、男の脚が止まる。
「そうか――」
 応えながら、扉を開けた男の全身が屋内の明かりに黒く浮き上がる。刹那、何かが空を切った。気配に、男が身をひねる。その体に、重い響きをたて、数本の矢が突き立っていた。





VOL2−4
− to be continued −

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